気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

【秋の山】をお題にした母の句~秋嶺

2021年09月28日 | 伊代の俳句

※中村昌寛さん/写真AC

秋嶺(しうれい)や一抹の雲肩に負う

秋の山がほんのわずかの雲を背負っている

季語:秋嶺(秋)

※俳句歳時記:【秋の山】秋山(あきやま)・秋山(しうざん)・秋嶺(しうれい)・秋の峰

秋は大気が澄むので、遠い山もくっきりと見える。

秋が深まるにつれ紅葉に彩られた山は華やかさの中にも寂しさを感じる。

母が亡くなった後、同人誌に掲載されていた句や残された短冊の句をブログに載せるようになって2年経ちこの句で50句目となった。

そして、去年の夏に古稀を迎え退職し、時間ができたけれどコロナ禍で外出もままならない私の生活上、ひとつの時間配分となっていた。

見出しの句は、【あした合同句集(座唱Ⅲ)宇咲冬男編著】に掲載されていたもの。

秋嶺を題とした句は短冊にもあった。

秋嶺や話の弾む畦憩い

※TTSさん/写真AC

これは、長閑な刈り入れ時の情景を詠った句だ思う。

遠くには秋の山嶺(さんれい)が見える。(実家地方から見えるのは群馬の山々)

そんな中、田んぼの畦で家族が和やかに休憩をしている。

子供の頃、学校に農繁期休暇があったので、祖母の用意してくれた昼食や休憩時のおやつを田んぼにいる両親や祖父の元へ運んで行った覚えがある。

そして畦に座り一緒に食べる。

母の句に懐かしい昔の秋を思い出した。

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スズメバチの巣とキクイムシ

2021年09月26日 | 日記

胃カメラ検査で見つかった、私の胃の中に推定60年以上生息していた(ピロリ菌)は、
処方薬を1週間飲んで、その一か月後の検査で無事「退治」が確認された。

ただ生息年数が長く胃が荒れていることは写真にて明々白々~ということで年に一回の胃カメラ検査は必須ということだった。

でも取り敢えず菌は居なくなった。

そして今後もほぼ生息することは無いらしい。(私自体がどのくらい生息?という年齢だけれど。

前回一緒に記事にしたハナミズキのうどん粉病対策は続行中、噴霧器での薬散布を3回済ませた。

OGPイメージ

ハナミズキにうどんこ病「糸状菌」~私の胃に「ピロリ菌」 - 気がつけば思い出Ⅱ

うどん粉病とは、土や葉に潜む糸状菌(しじょうきん)と呼ばれるカビが風で運ばれ他の植物に寄生して増殖し葉や茎、蕾などが薄っすらと白く、うどん粉...

ハナミズキにうどんこ病「糸状菌」~私の胃に「ピロリ菌」 - 気がつけば思い出Ⅱ

 

 

1年程の継続が必要とのことなので、頑張っている。

              

今度は菌ではなく…虫…スズメバチとキクイムシが…。

去年スズメバチのことをブログに載せた。

OGPイメージ

スズメバチの巣 - 気がつけば思い出Ⅱ

今日で8月も終わりです。まだまだ暑い日が続いています。先週孫お姉ちゃんが学校から帰ってくると「お隣の屋根に蜂の巣がある。あれは絶対にスズメバ...

スズメバチの巣 - 気がつけば思い出Ⅱ

 

それは(西側)の空き家に出来た巣だった。

結局、他家なので、ハチの巣といえど手をだしてはいけなしらしく市役所から連絡をしてくれたが、家主からは、なしのつぶてでそのままになっている。

でも去年の秋に女王蜂が出て行ったらしく巣は殻になった。

ところが今年は(東側)の空き家にスズメバチの巣を発見した。

よく見ると去年の倍くらいの大きさがある。

2階の屋根の下というところなので、気がつくのが遅く、もう蜂が出入りしていた。

そしてドウダンツツジには(キクイムシ)を発見した。

ずいぶん前にキクイムシにやられたとき、対処方法をネットで検索し成功した(居なくなった)ことがある。

規定濃度に薄めた(スミチオン乳剤)をキクイムシが入って行った穴(その下に木くずが落ちているので見つかる)に注入し包帯で巻いておいた。

何だか、包帯で巻くということが木の看護師さんになったようで、変な作業なのにちょっぴり嬉しかったことを覚えている。

でも今回は余りにも穴の数が多く枝が入り組んでいて包帯が巻けないので絆創膏を貼ってみた。

10か所ほどあって満身創痍(ちょっと大袈裟)という感じになった。

今経過中だけれど、こんなで綺麗な紅葉が見られるだろうか?

それにしても我が家、東西が空き家。

(南側)もこんな感じになっている。

これでは虫さんにとっては年ごとに住みやすくなってくるのではないだろうか?

私が嫁いできた頃はみんな家族がいて、同じような家庭だったのに・・・。

今はみんな連絡先もよく分からなくなって…本当に今後どうなるのだろうか?

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【月】をお題にした母の句~雨後の月

2021年09月21日 | 伊代の俳句

(メルヘンカメラマンさん/写真AC)

濡れている光放ちて雨後の月

雨上がりの月が濡れた木々や花を照らし

辺りがまるで光りを放っているように美しい

季語:月(秋)

※俳句歳時記:月は四季それぞれの趣きがあるが、そのさやけさは秋にきわまるので、単に月といえば秋の月をいう。

月はいわゆる雪月花の一つで、古来大いに詩歌に詠まれ、物語の背景を支えてきた。➡春の月(春)・夏の月(夏)・冬の月(冬)

この句も解読するのが難しかった。

雨後というのは雨上がりという情景で、季語は(月)で(秋)を詠ったものだと思う。

雨後の月を詠った句を参考にしようとネットで探したが、なかなか母のような句はなかった。

ゆえ自分なりに解読してみた。

母の短冊を載せる見出しの写真は、月が照らしたコスモスの幻想的な写真をいただいた。

今夜は「中秋の名月」8年ぶりに満月と同日らしい。

この南関東は沿岸部を中心に雨雲がかかるところがあるとの天気予報なので、見る事ができないかもしれない。

             

彼岸入りの昨日、我が家の墓参りに行ってきた。

いつもは山の上のお茶屋さんに寄ってお線香とお花を買い、手桶に水を頂いて下まで降りて行くのだけれど、

今回はお茶屋さんには寄らずこの間見つけた道から行ってみようということになって、近所のスーパーでお花を買い、お線香とお水を持って行った。

とても良い天気だったので、ススキの穂が青空のなか、キラキラと綺麗だった。

 

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母さんへ~電話ができないから手紙を書くね (^.^)/ ✉26

2021年09月19日 | 母への手紙

 今年も秋の彼岸の時季になりました。

居なくなってしまった母さんへこうやってブログで手紙を書き始めもう26回目になります。

返事のない手紙だけれど、自分でこんな返事かな・・・と想像をしています。

でも時おり、本当に逢いたくなります。

もう詮方ない事と思いつつも、七夕伝説のように一年に一度でもいいから逢いたいです!

それなのにお墓参りさえできない今の現実。

「現実は厳しいのだよ。」と何事も楽観視できなかった母さんの声が聞こえてくるようです。

そう実際には、七夕の二つの星は光のスピードにしても約14年かかり、一年に一度は会うことは無理なようです。

もちろんその日が雨だとしたら逢えない・・・。現実なんて・・・そう、そういうもののようです。

現実といえば、昔、若いころ松本清張や夏木静子などにハマって、推理小説ばかり読んでいた時期がありました。

人間のドロドロしたところに起きる事件を「ふ~む。なるほど、そうなるね。」なんて読んでいました。

でもここまで生きてきて、そういった事は小説の中だけでなく現実でも起こりうることだと気づいてしまい、

もう(嫌)…というか…もう(いい~や)になったようです。

そんな私は、このごろ、とてもファンタジーが好きになりました。それもアニメと青春ものです。

若い人が恋愛して結ばれる、または切ない別れ・・・。そこで、ジ-エンド(the end)。

その先を見なくてもいいのです。それでいいのです。ある意味嫌なことへの思考のシャットダウンです。

この間、ママにこんな話をしたら、「じゃぁ、お義母さんの好きなコナンはどうなんですか?」って質問されました。

「そう!そう来たか…。」

そこで、「コナンはアニメですから、ほとんどが殺人事件の話でも、ある意味ファンタジーなのです。」と言った私に、

ママは理解しがたいといったような、不思議な顔をしていました。

「ファンタジー【fantasy】とは、超自然的、幻想的、空想的・・・ほら…コナンは当てはまります。」

???…。

まぁ私の理屈がめちゃくちゃなので・・コナンを見ていないママには筋道がとおらず理解しがたいのかもしれません。

      

の仕事が8月末からリモートより出勤に変わったことは前の手紙で書きましたが、

出勤しはじめてすぐ社内でコロナ感染者が出たため9月5日にPCR検査をしました。

リモートならスルーできたことで、仕事とはいえ出歩くことはリスクなのですね。

その日は菩提寺のお坊さんがお彼岸の法要に来られる予定だったのですが事情をお話し、お断りしました。

なので、今年は秋彼岸の法要はありません。義母さんが亡くなってから23年目、はじめてのことです。

幸い陰性だったので家族みんな一安心しましたが、コロナが蔓延している状況はあまり変わっておらず油断できません。

昨日も二回目のコロナワクチンの接種をしました。12歳から接種できるようです。

子供の接種には慎重な親も多いようなのですが、家は医療従事者のママに全ての判断は任せています。

これでもし家族内クラスターがあったとしても、「ワクチンのまだ打つことのできないを守ることができる」とママは言っていました。

でも、二回のワクチンを接種してもその時できた抗体は徐々に減ってくるらしいし(しかも高齢者から…)心配です。

コロナとの果てしない戦いにならなければいいなと思っています。

       

見出し写真の白い彼岸花は以前に写したお隣のもので、今年はそこに家が建つためにもうありません。残念です。

家の庭もこの頃、花が少なくなってきました。

でも6月に買った黄色いバラがまた咲いてきました。

 アスターは仏花にはよいです。来年はもっと種を蒔こうと思います。

 ニャンコ先生が庭のバラを見ています。

が出勤になって、昼間はひとりになってこんな風に遊んでいます。

また、緊急事態宣言が延長され、隔日登校も9月末までになったと時々ボードゲームで遊んでいます。

私は(赤ちゃん返り)ならぬ(子供返り?)でしょうかねぇ、母さん。

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はじめての俳句🖊26~蜩(ヒグラシ)

2021年09月16日 | 喜代の俳句

かなかなの鳴く声を待つ神社かな

季語:かなかな・蜩(ひぐらし)・日暮(ひぐらし)・茅蜩(ひぐらし):

※俳句歳時記:蜩という名の通り夕暮れに特に鳴く。カナカナと一種哀調のある声が遠くまで響く。

すでに晩夏から鳴きだし、夕暮れに限らず、明け方に鳴くこともある。➡蝉は(夏)

作品の背景:ここ数年、何故か蜩の声を聞かない。暮れかかる夕方に涼しそうなその声を聞くと、夏の終り、
そして秋の訪れを感じるので、今年は聞くことができれば良いと思い待っている。

提出した句:かなかなと鳴く声待つや夕間暮れ

先生の添削:情緒の感じられる素敵な作品ですね。情景はよく分かります。

「かなかな」は夕方に鳴くことが多いので、「夕間暮れ」は省略できるでしょう。

その代わりに、鳴く声を待つ場所を期してあげると、作品がより具体的になっていいと思います。

最期には切字の「かな」を用いましょう。

【かなかなの鳴く声を待つ神社かな】

             

提出句の夕間暮れ(ゆうまぐれ)の意味は、まぐれは「目(ま)暗(ぐれ)の意。「間暮」は当て字で夕方のうす暗いこと。また、その時分。ゆうぐれ。※goo辞書

(ゆうぐれ)は4文字で(ゆうまぐれ)は5文字だったので、ぴったりとおさまり、正直「いい言葉を見っけ…」と思いました。

前回同様これも使いたかった文字が没…。省略できるものは省略するということがまだうまくできていないようです。

ここは学習能力のなさを実感。

そして添削句は、文字種は違うけれど「かなかな」ではじまって「かな」で終わるのにふと気づき、面白いなと思いました。

9月も中旬になって、蝉の声もだいぶ聞こえなくなってきました。

もう一つの秋の季語になる蝉のツクツクボウシ(法師蝉)はまだ時折鳴いていますが、

今年も蜩(かなかな)の声は聞けませんでした。この辺にはいなくなってしまったのかもしれません。

やはりちょっと田舎の神社のように、木立が多くあるところでなくては聞けないのでしょうか。

そんなところへの旅もいいかな…。できれば長引くコロナの自粛で気力が衰えないうちに…。

ヒグラシ鳴く 4K60P  ※鳴き声をYouTubeよりお借りしました。

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