気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

ギター

2021年01月28日 | 日記

      

昨年の9月、孫(次男の息子)の12歳の誕生日祝いにアコースティックギターをプレゼントしました。

それは彼からの要望でした。

コロナ渦のなか送れば済むのに、じじばば馬鹿の私たちは、横浜のギター販売店で購入し鎌倉の家まで届けました。

DVD&CDの教科書付きだったので、年明け年始に来た時、「少しは弾けるようになった?」と聞いたところ、

自分ではすぐにでも弾けそうに思っていたけれど、案外難しくて、ギター教室へ通い始めたとのことでした。

「そう、かっこよく弾けるようになるには、やっぱり、ちゃんと先生に習い、努力しなくてはね…」っていう私は挫折組ですが…

こんな風に弾けるようになるでしょうか?

 斉藤和義【ずっと好きだった】※YouTube

 

先日、フォローさせていただいているshushoudoukourakuさんのブログで、

【ずっと好きだった・ビートルズバージョン】を聞きました。※YouTube

斉藤さんが他の3人とビートルズに扮装して屋外で演奏しているのだけれど~それも凄くいいです。

この曲の中で何回(好きだったんだぜ)と言っているのでしょう?

くどいくらい言っているのに耳障りではないのはどうしてでしょうか?

もしかして、その後にくる「キミは今も奇麗だ」という…女性ならいつまでも言って欲しいフレーズのせいなのかなぁ~。

7年前、コナン劇場版【絶海の探偵】で流れていたのエンディング(ワンモアタイム)も好きな曲です。

ハラハラドキドキ、そして涙…の事件を解決したコナンが甲板をかけ去る…

そこで(エンディング曲のワンモアタイム)が流れる…そして本物の自衛隊イージス艦が海を突き進んでいく…

とにかく感動しました。

斉藤和義 - ワンモアタイム [Music Video Short ver.]

この他【やさしくなりたい】も凄くいい曲です。

身長181cmのギターを弾くカッコイイ斉藤さん。

孫は今12歳で164cmあるので、身長は彼と同じくらいにはなると思うけれど(父である私の息子は183cmなので)

ギターは練習次第でしょう。

でも、「かっこよく弾けなくても、自分のなかに音楽があるという事はこれからの人生の糧になるでしょう」

と独り言を言っている人生もだいぶ後半のばぁば…は

彼がこんな風に大きくなってギターがかっこよく弾けるようになるまで元気でいられるでしょうか?

とりあえず、コロナが収束し、斉藤さんのライブがあったら、一度は行きたいなぁ~。

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写真整理~楽しかった職場の思い出 (*^^)v

2021年01月26日 | 仕事

写真は、現在の箱根(芦ノ湖)春らしい写真

退職後始めた写真整理(スキャンしてPCへ取り込む)がなかなか進まない。

3年くらいかかるかも?が、冗談でなく本当かもしれない、と思うようになった。

1枚1枚、思入れが多すぎるのだ。

     

 このセピア色の写真は学生時代、お世話になったアルバイト先(出版関係)の人達と箱根へ行った時の集合写真。

(皆さんお顔をぼかしてしまいスミマセン  )

当時、社員旅行はどこの会社も、いわば行事のようなものだった。

しかもこの頃は確か春、秋2回あったと思う。

そして私のようなアルバイトも連れて行ってくれた。

左端のぽっちゃりした、ぼかしのかかっていない女子(女性?)が当時19歳の私。

この頃、私の体重はマックスだった。  

後列中央の白い服を着た女性が業務担当の方で一番お世話になった。

母と同い年だったが、独身で服装も若々しく、とても同い年には見えなかった。

時々、渋谷の職場から鎌倉の自宅までタクシーで帰っていて(お金持ちだった?

世田谷で下宿住まいだった私をよく途中まで同乗されてくれた。

食事もたびたびご馳走してくれたし、鎌倉の大きなお宅にも泊りでお邪魔したことがある。

その右が、編集長。

いつも帽子を被りパイプをふかして(くわえて?)た。

この旅でもパイプをくわえ、いたるところで「コーヒーを出せ~」って叫んでいた。 

右上でベレー帽を被っているのは編集者で一番年上の方でとても面白い人だった。

右側に編集者が集まっている。編集の人達も皆それぞれいろいろなことを教えてくれた。

前列の左から2番目の女性が同じ大学の先輩でやはりお世話になった人。

卒業後もこの出版部でアルバイトを続けていた。

クラシック音楽が好きで、一度【ベートーヴェンの第九】の演奏会に誘われて行ったことがある。

アルバイトでお金を貯めてドイツに行く(旅行でなく住む)のが夢だと言っていた。

その右隣りが営業の方で、新刊が出ると東販(東京出版販売-現トーハン)、日販(日本出版販売)をはじめいろいろな取次店を一緒に回った。

この時、必ず行くのが国立国会図書館、そこには発行された出版物は必ず納品するという義務付けがあるということをここで初めて知った。

 

もう50年も前なのに、そしてもうみんな没交渉なのに、今でもこの人達の名前やエピソードを憶えている。

(一つ釜の飯を食う)というけれど、一緒に旅をすることで、親近感が生まれていたような気がする。

今は若い人から敬遠されがちな社員旅行。

でも私の経験したこの旅行は、年上の人達は優しく、その人達から得ることも多く、楽しかった。

  

この職場で一番好きだった仕事は ”原稿取り” で、いろいろなところへ行った。

特に青山にオフィスがあったイラストレーター・エッセイストの真鍋博さん(1932-2000)のところへ原稿を受け取りに行ったのを覚えている。

車の運転ができない私はタクシーで行って良かったので、青山はすぐ近くなのにタクシーで行った。

時々待たされたが、その間、沢山の色のペンが入っている沢山のペン立てや、

壁にかかった絵などを観ていると楽しくて、待たされている方が良いと思っていた。

    

な~んて、この一枚の写真にしても次々と思い出が湧いて・・・。

写真整理は3年どころでは終わらないかもしれない・・・。

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母さんへ~電話ができないから手紙を書くね(^.^)/ ✉15

2021年01月20日 | 母への手紙

1月も半ば過ぎになり、今日は大寒です。

文字通り、一年中で最も寒い時季です。

日本海側や山間部には雪が沢山降って大変なようです。

まだこの辺では降っていません。

私が幼い頃は、余り降らないこの関東でも、今よりは降りましたよね!

高校生の頃、家の前が雪で埋まって道にも出られず、学校を休んだことがありました。

たぶんあの頃は電話も無くて休みの連絡もできなかったと思います。

暗黙の状況判断~というところでしょうか…。

でも私はちょっと嬉しかった!のを覚えています。

あの頃は田んぼや川にも氷が張っていましたね。

その上で遊ぶのは危険だからと、母さんたち大人に何度も念を押されていました。

あれから50年以上たって、そんな光景も見られなくなりました。

気温が確実に上がった(よく言わている地球温暖化)ということでしょうか。

  

庭の花はやはり寒くなってきたためか、だいぶ少なくなってきています。

 ビオラとパンジーは強いですね。まだ咲いています。

  ペチュニアは最後の一輪が頑張っていたので、

切って瓶に挿し、私の机に置きました。

根は春になったらまた咲くかも?と思ってそのままにしておいたけれど咲くでしょうか?

  暮に買ったシンビジュームは今奇麗に咲いています。

夜は家の中にに取り込み、晴れた日はベランダに出しています。

      

おつかいの帰りにコンクリートの隙間に咲いているピンクの花を見つけました。

きっとこぼれ花なのでしょう。

 greenSnap というアプリで調べてみるとシレネピンクパンサーという名前でした。

鮮やかなピンクの根性花でした。

隣りの花のない葉だけのはものはスミレ?でしょうか?

   

でもね母さん…。

以前は頑張るとか…根性とか…の言葉は好きで自分でも根性で頑張ってきたつもりなのに、

この頃、重たく感じるようになりました。

この頃、頑張り屋はやめようかな…もうやめていいのではないかなぁ?

なんて思ったりして余りメリハリの無いまったりとした日々を過ごしています。

これって気力が先か、体力が先か分からないけれど、気力と体力が歳とともに薄らいできたためでしょうか…?。

退職後、今まで遣れなかったことをあれこれ遣ろう、忙しくて会えなかった人に会いに行こう、旅行もしようなど、

と思っていた矢先に、コロナで出ばなを挫かれたためでしょうか…。

  

1年前ほどから始まったコロナの感染は相変わらず収まらず、この地域も2回目の緊急事態宣言が出されました。

じじパパとが、家で仕事をするようになってもうかれこれ1年になります。

の会社は、収束後も全員がリモート体制となるようです。

ということはずっと今の状態(家で仕事)ということです。

は多分収束したとしても、歳なのでこのままの状態で退職までいくかもしれません。

私が生きてきた経験の中では、ふたりが家で仕事するようになるなんて予想もつきませんでした。

本当に生きているうちは何があるか、どんな変化があるか分かりませんね。

母さんは亡くなる少し前私に、

「私と同じだけ生きるとするとあと20年だね…」と言ってフフフと笑っていたけれど、

後20年生きていたら、何???があるのでしょうか?

根性でもうひと踏ん張りしなくてはならないことがあるのでしょうか?

何だか今回は(でしょうか?)の多い手紙になっていますね 母さん。

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ナラのホームページを閉める

2021年01月17日 | ナラ

ナラが家に来たのはの1999年、その時ナラのホームページを(AOLジャパン)に開設した。

その後AOLから(Yahoo!ジオシティーズ)に引っ越し、しばらく続けていたのだけれど、

2019年3月にYahoo!よりHPサービス提供が終了となるとのメールがあり、

その際、載っているデーターも全て消去となるということで、5社ほどの引っ越し先が提示された。

そこでとりあえず(忍者ホームページ)へ引っ越しをした。

それから2年、更新も少なくなっていたいたため、

ナラの思い出はブログの中に書こうと思い、パソコンを新しくしたのを機に閉めることにした。

 初期のトップページ

 この時は、次男家族と同居で、長男はまだ独身。(後に結婚した長男家族と同居)

そして初孫が生まれたばかりだった。(この孫娘は今年大学生になる)

時の流れを感じる。懐かしい。

 義父が亡くなったばかりのページ

 gifアニメをネットで貰い、お義父さんの横で天使が舞うようにした。

 次男の結婚式の時

 コウノトリは翼をパタパタとして飛んでいて、バックにBGMを流した。

ブログは文字や写真を入れるだけで便利だけれど、

HP作成は、マウスを載せると絵が変わるとか、ジャバスプリクトで画面に雪や木の葉を降らせたりとかができ、

覚えたてのHTMLでソースを書き、ページの構図を作る作業も結構楽しかった。

その時、もし退職して、こんなことを一日中やれるのなら、老後なんてちっとも退屈しないなんて思ったりしたほど・・・。

 元気なころ、新聞を運ぶのがナラの一日の始まり!

月日の流れっていろいろなことが変わっていってしまう。

いまほんとうに退職した時には、ナラも亡くなっていて、ホームページ作成のサービスも少なくなった。

生活も風景も、表現方法や伝達方法もだんだんと形を変えていくようだ。

その時、その時に、臨機応変に対応していかなければならないのかもしれない。

なんとなく、一抹の寂しさを感じたけれど、

あとは思い出したときに思い出したことをブログに書いて行こうと思う。

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【名探偵コナン】放送1,000回記念企画~OP&EDムービーYouTube公開

2021年01月13日 | コナン

コナン公式アプリから貰った今年の壁紙

【アニメ】名探偵コナンの歴代のオープニング&エンディングムービーが

放送1,000回記念企画として公式 YouTube チャンネルにて1月8日に公開された。

その中の私の好きな一曲 

【名探偵コナン】倉木麻衣「Revive」2009年1月19日~放送

この他の曲も、CMなしで次々と聞くことができる。

1996年1月8日より放送が開始され今年で25周年、3月6には放送1000回目を迎えるための企画。

また去年中止となっていた劇場版【緋色の弾丸】の公開日が(4月16日)に決まったのでそのタイミングでの配信だと思う。

テレビアニメのほうも、何話かが公式として無料公開されている。

      

劇場版はこのところ増え続けているコロナの感染状況を考えると今年も中止となるかもしれない・・・。 

もし、劇場が感染対策をとって上映するとしても、行っていいものかどうか?

今のところ「公開されたら絶対行くからね!」って孫達には言っている(年甲斐もない変なば~ば)だけれど、

自分はともかく、コロナを貰ってきて、家族に移すのは避けたい…としたら…

やはり行かない方がよいのではと…コナンファンの私としては思い悩むところで、

難しい選択になるようだ。

      

ちなみにコナンの誕生日は、今日、1月13日だそうです。

【名探偵コナン】の連載が始まったのは1994年1月13日で、テレビでの放映は1996年1月8日、

つまり1月13日は工藤新一がAPTX(アポトキシン)4869 を飲まされ幼児化しコナンになってしまった日で

コナン誕生というわけです。※情報(りんりん雑貨/今日は何の日より)

本当のファンの知識は深いです。

私は今まで知りませんでした。

まだまだファンとしては未熟なのでしょうか?

でも、コナンには元気をもらっているので、劇場版、観にいけるといいな・・・。

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