忘れると損だから書いておく
よく中国や韓国の坊さんはパッチワークの
黄土色の衣装を着ている
あれは ふんぞ っていうんだよな
と思い込んで
糞衣と書くんだと思っていて
あの色はどうやって染めるのだ?
と気になって調べた
糞掃衣(ふんぞうえ)と言うのだそうだ
捨てるようなぼろを集めて
やっぱりパッチワークで作るんだ
でまだ糞色だと私は思っている
馬糞紙もなんで
あの色なの?染めるの?と思った
藁など混ぜて作ったそまつなボール紙だってさ
ところで 馬糞紙と言う言葉も使われないらしく
あああ 私って 化石かあ と悲しいが
さて
糞掃衣はくずの布を集めてパッチワークは分かったが
あの色は
雑色と言うんだって
昔の雑色がああいう色の服を着る定めだったのか?
どうやら違うらしい
和名色辞典と言う本があるはずだが見つからない
で
ついにわかった
http://www.mahoroba-jp.net/blog/2008/03/post_230.html
チベット原産の植物で染めるんだ
訶子って知らない
ミクロバランと言うらしい↑
黄八丈の黄色って刈安なんだよね
(って 刈安を知らない)
ススキに似たこういう植物らしい
今度どれだかわかるようになって
染めてみたい
秋田ではハマナスで黄色を染めるらしい
カヤの実は何色になるだろうか?
昨日
Yさんが生まれ変わったら もっと才能のある人に生まれ変わりたい
と言ったら
旦那が
「あるじゃん!」と言ったって
私たちも「あるじゃん!」と言った
あと
もっと頭がよく生まれればよかったって
これもかなり頭のいい人だと拝察しているんだが
欲張りなんだよ!
私なんか頭いいと 考えることがもっといっぱいになって
私の頭蓋骨だと頭痛が起きるから やだ
しかし よい頭は 政治家が一番必要だろうが
なかなか人材がいないねえ
生まれ変わったら
妖艶な美女に生まれ変わって
男を惑わしてやる!
と言うのが口癖だが
白状すると そんなこと思ってない
男は邪魔だ 惑ってうろちょろされるのはごめんだ
で
私が生まれ変わったら
世の陳腐な大人と同じ後悔をしている
学校を抜け出すために とる単位を最小限にして
勉強しなかったので
色々なことがよくわかんない
もっと勉強しておけばよかった
よくわかんなくてじれったいだけではなく
実は 面白いことがいっぱいあるんだなと思ってる
地学とか取ればよかったと思った
私自然科学は化学と物理しか取ってないもん
と言ったら
Yさんは 地学も物理も生物も化学もみんな取ったらしい
でちゃんと勉強もしたらしい
うん
見かけによる
試験前とか ちゃんとやるべきことはちゃんとやってきたようだった
思い出すが
試験前も
「試験前はさ 頭が冴えないといけない
映画見に行って 早く寝よう!」
と言ったけ
見たい映画がどこでやっているか調べるのに
職員室に新聞見せてもらいに行って
映画館の欄を見ていたら
先生が来て 何見ているかと言うので
↑のように答えた覚えがある
子供のころから 脳みそのキャパが小さいので
頭使いすぎるとだめになるんだった
そうじゃない人もいるんだね
先生って 頭は使えば使うほど強くなるって
そういって 勉強しろっていうじゃない?
あれって
偽科学だよ 多分
自分の考えることは
他人には余計なお世話だな
と思いつついろいろ考える
何で余計なお世話かと言うと
私はやっぱり感性は貧しく
余計なことばかり 結局考えているばかりで
通じるか?と思う話が通じないと ア これは独り言だったと思うからだ
で
Yさんには 豊かな感性があると感じ
私には理解できないものがある
そういうの
Kさんにもあるんだよね
人はだから面白い
若者のころ「つまりこうだ となったらそこから死んでいくんですよ」
「芸術は常に新しくなければ芸術ではない
だから 前衛なのです」
と言うことが言葉的にわかっていても
じゃあ どうすんのよ!と言うことがわからなくなって
気が付いたら老人になっていた
老人になって少しわかるようになったかもしれない
(遅いんだよ じき死んじゃうのに)と思うがな
美術や芸術の話ではなく
どこかで聞きかじった話に
生きるということは絶えず死ぬということだって
死ぬことを包括していない生はないというの
わかりやすく説明された本を読んだ
細胞が常に死んで更新していくことで
生きている
死んでしまうと更新しなくなって朽ち果てていく
そういうことだ
同じジャンと思ったんだよな
そのころから ものが存在するって なんでこう 同じ機序
繰り返し現れるのか
これが自然の摂理だな
と
何位ついても 繰り返し感じる
脱線すると樹の表皮側だけが生きていて
年輪は死んでいるというの
それも そこはもう細胞は更新しないということなんだよな
植物と動物の違いはそういうことかもしれないと思った
逆に 物事のとらえ方には
ぶれない芯って 大事だというのもある
デッサンでも変わるものと変わらないものという意識で
とらえる
で そのブレないものがいつでも転換できる
と言う風でもないと硬直していく
そういうこと
原発関連の論争を見ていても思う
早川先生のぶれない芯と言うのはなんとなくわかっていても
つい そこまで言わなくても
とか
辛い人に追い打ちかけてと思うけれど
↓のように仰る
「配慮不足、不適切、不謹慎。私が大嫌いなことば三つ。」
これだな ぶれずに 情報を届けるために戦術はぶれない
そういうことだ
こんな高邁な目的はなくても
自分勝手で 話しかけられるとうざいと思うというプールの話をしていて
配慮のない人格と言う話になって思い出した
結局人が言ったりやったりすることは
自分の都合で 自分勝手だ それで いいのだ!