そういう人間ではないかと言われ
ええ?そんなこと考えたことないなと思った
自分がやりたいことを生活のために犠牲にした
と思ったことはない
その時々自分の選択できたのだからと思う
一体人生で何が大事なのか
わたしは中学生の時ゴッホ展を見て ゲイジュツの世界が一番おもしろいに違いないと思った
それは
本当だったと思う
絵描きになりたいと思ったことがないともいえないが
絵を描くというのは
まず一生面白いと思う
ただ 世の中で絵描きになって名をはせてなんていうことは
考えない
最初から考えないというのを諦めたというのかな?
才能には不足があるとは思ってたけれど
それは歌うには声が悪い 程度のことだし
おまえには才能が足りないと思え!という事態にはしょっちゅうなったが
だからどうした?という気分だ
あるがままでしかないと思うし
社会的に仕事を通して 成功するとか名を成すとかとは縁がない
大事なのはそこじゃないと思ってきたのだ
自分が無力とあきらめたわけでもないのだ
人と比較してとか社会的にどのレベルに属するかには関心が無くなってきた
それはだいたい20代半ばにそう思った
それでも ゲイジュツにかかわって生きてきたわけだし
とても楽しいことだ
暮らしを成り立たせるという意味では
人の役に立って初めて世の中から食わせてもらえる
そういう風に思ったのも20代半ばだ
で 仕事を通してどうだったか
間違ったことも下手だったこともあっても
われながら 本当のことを見てやってきたと思っているし
教育と芸術は似ている
さてさて 退職後絵を描けるようになって
自分が発展途上人だというのはよくわかった
70になってしまってもうじき死んじゃうかもしれないし
やり残して死んじゃうことになるだろうけれど
しょうがないよそれで
この間 宗達と 光琳の絵を見て
絵にも格ってのがあると痛切に思ったが
自分よりハイレベルのあれこれは分からないものだなあと思うけれど
すぐれた芸術は
また別 見る側のレベルに合わせて見せる世界があるのだなと思った
レベルレベルと 差別的なことを言うけれど
実際差別的な話なのよ
そういう点でわたしはまだまだ
階段をのぼりながら開いていくべき扉が多いということに この頃
やたら気がつく
だから 面白いのだ
社会的に自分がどういるか
ということに目をやれば
わたしは ドロップアウトした美術おたく というわけだろうが
入っていきたい社会というのも実はなかったのよ