永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(135)その1

2020年01月26日 | 枕草子を読んできて
123  あはれなるもの  (135)その1

 あはれなるもの 考ある人の子。鹿の音。よき男の若き、御嶽精進したる。いでゐたらむ暁の額など、あはれなり。むつましき人の、目さまして聞くらむ、思ひやる。詣づるほどのありさま、いかならむとつつしみたるに、たひらかに詣で着きたるこそいとめでたけれ。烏帽子のさまなどぞ、なほ人わろき。なほいみじき人と聞こゆれど、こよなくやつれて詣づとこそは知りたるに、右衛門佐宣孝は、「あじきなき事なり。ただ清き衣を着て詣でむに、なでふ事かあらむ。かならずよも『あしくて詣でよ』と御嶽のたまはじ」とて、三月つごもりに、紫のいと濃き指貫、白き襖、山吹のいみじくおどろおどろしきなどにて、隆光が主殿亮なるには、青色の襖、紅の衣、摺りもどろかしたる水干袴にて、うちつづき詣でたりけるに、帰る人も詣づる人も、めづらしくあやしき事に、「すべてこの山道にかかる姿の人見えざりつ」と、あさましがりしを、四月つごもりに帰りて、六月十よ日のほどに、筑前の守失せにしかはりになりにしこそ、「げに言ひけむにたがはずも」と聞こえしか。これはあはれなる事にはあらねども、御嶽のついでなり。
◆◆心にしみじみと感じられるもの 親の喪に服している子。鹿の鳴く声。身分が高く若い男が、御嶽精進しているの。部屋から出て明け方に礼拝しているのなど、しみじみとした感じがする。親しい人が、目を覚ましてそれを聞いているであろうのを、想像することだ。さていよいよ参詣する折のありさまは、どうであろうかと身を慎んでいたのに無事に御嶽に着いたのは、たいへん素晴らしいことだ。ただし、烏帽子の様子などはやはりよくない。やはり身分の高い方と申し上げる場合でも、格別粗末な身なりで参詣するのこそ私は承知しているのに、右衛門佐宣孝は、「つまらないことだ。ただ清浄な着物を着て参詣しようのに、何の悪いことがあろうか。きっとまさか『身なりを悪くして参詣せよ』と御嶽の蔵王権現はおっしゃるまい」ということで、三月の末に、紫のとても濃い指貫に白い狩衣、山吹色の大げさな派手な色の袿などを着て、息子の隆光の主殿の亮であるのには、青色の狩衣、紅の袿、乱れ模様を摺りだしてある水干袴を着せて、連れ立って参詣していたので、御嶽から帰る人も、これから参詣する人も、珍しく奇妙なこととして、「全く、この山道にこんな装束の人は見たことがなかった」とあきれ返ったのを、四月の末に帰って、六月十日余りのころに、筑前の守が亡くなってしまった代わりにちゃんと任官したのこそ、「なるほど、言ったという言葉にまちがいはなかった」と評判だった。これは「しみじみとしたこと」ではないけれども、御嶽の話のついでである。◆◆

■御嶽精進したる=吉野の金峯山に詣でるための精進。修験道の霊地で、ここにはいるものは役の行者の千日参篭にならってあらかじめ長期の精進を行った。

■右衛門佐宣孝(えもんのすけのぶたか)=藤原宣孝。紫式部の夫。正暦元年(990)筑前守、長徳四年(998)右衛門権佐兼山城守、

■隆光=宣孝の長男。母は下総守藤原顕みち女(紫式部が母ではない)。主殿亮(とのもりのすけ)は主殿寮の次官。

■水干袴(すいかんばかま)=「水干」は糊を用いず水だけで張った絹の意がもとで、狩衣に似てやや簡単な服。水干袴は水干を着るときにはく長袴。


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