永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて  (17)

2018年01月30日 | 枕草子を読んできて
七    うへに候ふ御猫は   その2  (17)2018.1.30

 「忠隆、実房なむ打つ」と言へば、制しにやるほどに、からうじて鳴きやみぬ。「死にければ、門のほかに引き捨てつ」と言へば、あはれがりなどする夕つかた、いみじげに腫れ、あさましげなる犬の、わびしげなるが、わななきありけば、「あはれ、翁まろか。かかる犬やはこのごろは見ゆる」など言ふに、「翁まろ」と呼べど、耳にも聞き入れず。「それぞ」と言ひ、「あらず」と言ひ、口々申せば、「右近ぞ見知りたる。呼べ」とて、しもなるを、「まづ、とみの事」とて、召せば、まゐりたる。
◆◆「忠隆と実房が打っている」と言うので、止に人をやるうちに、どうやらようやく鳴きやんだ。「死んだので、門の外に引っ張っていって捨てた」というので、可哀そうだと思っている夕方、ひどい様子に腫れあがり、あきれるまでの姿をした犬が、気力を失った様子で、ぶるぶる震えて歩き回っているので、「まあ、翁まろかしら。でもこの犬はいまごろいるはずがない」などと言うので、「翁まろ」と呼ぶけれど、耳に聞き入れもしない。「翁まろだ」と言い、「そうではない」とも言い、口々に申すので、皇后様は「右近が見知っている。呼べ」ということで、自分の部屋に下がっていたのを、「何をさておいても、急用だ」と言って、お呼び寄せにあそばすので、参上しました。◆◆



 「これは翁まろか」と見せさせたまふに、「似てはべるめれど、これはゆゆしげにこそはべるめれ。また、『翁まろ』と呼べば、よろこびてまうで来るものを、呼べど寄りて来ず。あらぬなンめり。『それは打ち殺して捨てはべりぬ』とこそ申しつれ。さる者どもの二人して打たむには生きなむや」と申しば、心憂がらせたまふ。
◆◆「これは翁まろか」と定子皇后がお見せあそばされると、「似ておりますようですが、これは見るからにひどい様子でございますようです。また、『翁まろ』と呼べば、喜んでくるものを、呼んでも寄ってきません。違うように見えます。『翁まろは打ち殺して捨ててしまいました』とちゃんと申しました。ああいた者が二人で打ちますなら生きおおせましょうか」と申し上げるので、皇后さまは心苦しいことだとお思いあそばされる。◆◆



 暗うなりて、物食はせたれど、食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬるつとめて、御けづり櫛にまゐり、御手水まゐりて、御鏡持たせて御覧ずれば、候ふに、犬の柱のもとについゐたるを、「あはれ昨日翁まろをいみじう打ちしかな。死にけむこそかなしけれ。何の身にか、このたびはなりたらむ。いかにわびしき心地しけむ」とうち言ふほどに、この寝たる犬ふるひわななきて、涙をただ落としに落とす。いとあさまし。「さは、これ翁まろこそありけれ。昨夜は隠れしのびてあるなりけり」と、あはれにくくて、をかしきこと限りなし。御鏡をもうち置きて、「さは、翁まろ」と言ふに、ひれ伏して、いみじく鳴く。
◆◆暗くなって、物を食べさせたけれど、食べないので、別な犬だと言い決めて、そのままで終わってしまった翌朝、皇后さまの御調髪に参上し、お手洗の水をおつかいあそばして、わたくしに御鏡を持たせて御髪の様子をご覧あそばすので、おそばにお付き申しあげていると、犬が柱のもとにうずくまっているので、わたしが、「ああ、きのう翁まろをひどく叩いたのだわねぇ。多分死んでしまっただろうが、ほんとうにかわいそうだこと。いったい何の身に今度はなっているかしら。どんなにつらい気持ちがしたことだろう」とふと言っている間に、この寝ている犬がぶるぶる震えて、涙をぽろぽろひたすら流す。ひどく意外である。「それでは、これこそ翁まろだったのだ。昨夜は隠れて我慢していたのだった」と、しみじみとその気持ちがにくらしい一方、またおもしろいことは限りもない。持っていた鏡もうち置いてわたしが、「それでは、翁まろなの」と言うと、ひれ伏して、ひどく鳴く。◆◆


■右近=右近の内侍。主上付きの女房だが、定子皇后の信任も厚かったらしい。



枕草子を読んできて(16)

2018年01月27日 | 枕草子を読んできて
七    うへに候ふ御猫は   その1  (16) 2018.1.27

 うへに候ふ御猫は、かうぶり給はりて、命婦のおとどとて、いとをかしければ、かしづかせたまふが、端に出でたまふを、乳母の馬命婦、「あな正無や。入りたまへ」と呼ぶに、聞かで、日のさしあたりたるに、うちねぶりてゐたるを、おどすとて、「翁まろ、いづら。命婦のおとど食へ」と意ふに、まことかとて、痴れ者は走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾の内に入りぬ。朝餉の間に、うへはおはしますに、御覧じて、いみじうおどろかせたまふ。猫は御ふところに入れさせたまひて、をのこども召せば、蔵人忠隆まゐりたるに、「この翁まろ打ちてうじて、犬島にながしつかはせ、ただいま」と仰せさあるれば、あつまりて狩りさわぐ。馬命婦もさいなみて、「乳母かへたむ。いとうしろめたし」と仰せらるれば、かしこまりて御前にも出でず。犬は狩り出でて滝口などして、追ひつかはしつ。
◆◆主上のおそばに伺候している御猫は、五位をいただいて、名を「命婦のおとど」いって、たいそうかわいいので、たいせつに養っておいであそばす、その猫が、縁先に出ていらっしゃるのを、お守役の命婦が、「まあ、お行儀の悪いこと。お入りなさいまし」と呼ぶのだけれど、聞かないで、日のあたって
居るところで、眠ってじっとしているのを、おどかすために、「翁まろ、どうしたの。命婦のおとどに噛みつけ」というと、本当かと思って、おろか者の翁まろは走って向かっていったので、ねこのおとどは怖がってうろたえて、御簾の中に入ってしまった。朝餉の間に、主上はおいでになっていて、ご覧になって、ひどくびっくりあそばされる。猫はご自分の懐にお入れあそばされ、殿上の男の人たちをお呼び寄せあそばすと、蔵人の忠隆が参上したので、「この翁まろを打ちこらしめて、流して犬島に追いやれ、今すぐ」とお命じあそばすので、集まって大騒ぎして追いたてる。主上はこの馬命婦をも責めて、「守役を変えてしまおう。ひどく気がかりだ」と仰せになるので、恐縮して御前にも出ない。犬は狩り立て見つけて、滝口の武士などに命じて追放なさってしまう。◆◆



 「あはれ、いみじくゆるぎありきつるものを、三月三日に、頭弁、柳のかづらをせさせ、桃の花かざしにささせ、梅腰にささせなどして、ありかせたまひし。かかる目見むとは思ひかけけむや」と、あはれがる。「おもののをりは、かならず向ひさぶらふに、さうざうしくこそああれ」など言ひて、三四日になりぬ。
◆◆「ああ、これまでたいへん得意げに身体をゆすって歩き回っていたのに、三月三日に、頭弁が、柳のかずらを頭にのせさせ、桃の花をかんざしとして挿させ、梅の枝を腰に差させなどしてお歩かせになりましたよ。こんな目にあおうとは思ってみただろうか」とみんなで気の毒がる。「皇后様のお食事の時は、必ず御前の正面に向かった伺候していたのに、いないのは物足りなくさびしいことだ」などと言って、三、四日になってしまった。◆◆



 昼つかた、犬のいみじく鳴く声のすれば、何ぞの犬のかく久しく鳴くにかあらむと聞くに、よろづの犬ども走りさわぎ、とぶらひに行く。御厠人なる者走り来て、「犬を蔵人二人して打ちたまふ。死ぬべし。ながさせたまひけるが、帰りまゐりたるとて、てうじたまふ」と言ふ。心憂の事や。翁まろなンなり。
◆◆お昼頃、犬がひどく鳴く声がするので、いったいどういう犬がこんなに長く鳴いているのであろうかと思って聞いていると、たくさんの犬どもが走りさわいで、見にたずねて行く。御厠人なる者が走ってきて、「犬を蔵人二人でお打ちになります。死んでしまうでしょう。お流しになったのが帰ってきたとて、お懲らしめになるのです」と言う。可哀そうなことよ。翁まろであるようだ。◆◆


■うへ=一条天皇。以下の事件は定子が内裏におられた長保二年(1000)三月中旬のことと推測される。
 定子は皇后になられたころ。

■命婦のおとど=猫の呼名。命婦はもと五位以上の女官の称。延喜以降は中臈女房をもいう。「おとど」は婦人の敬称。

■乳母の馬命婦(めのとのむまのみょうぶ)=猫の養育係。

■翁(おきな)まろ=宮中で飼われている犬の名。

■犬島=犬の流刑地。萩谷氏は淀の湿地帯の中州の島を当てる。

■滝口(たきぐち)=(清涼殿の東北隅の御溝水の落ちる所)に詰めている禁中警護の武士。蔵人所に属する。

■頭弁(とうのべん)=弁官で蔵人頭を兼ねている者。ここでは藤原行成。書家として高名。

■御厠人(みかわようど)=便器の掃除をする最下級女官。


                        

枕草子を読んできて (15)

2018年01月23日 | 枕草子を読んできて
六    大進生昌が家に  その3  (15)  2018.1.23

 姫宮の御方の童べの装束せさすべきよし仰せらるるに、「童の衵のうはおそひは何色にかつかまつらすべき」と申すをまた笑ふ、ことわりなり。
 また「姫宮の御前の物は、例のやうにてはにくげにさぶらはむ。ちうせい折敷、ちうせい高坏にてこそよくさぶらはめ」と申すを、「さてこそはうはおそひ着たる童べもまゐりよらめ」と言ふを、「なほ例の人のつらに、これな笑ひそ。いときすくなるものを、いとほしげに」と制せさせたまふもをかし。
◆◆(中宮様が)姫宮のお付きの童女たちの装束をつくらせるようにということをお言いつけになるのに、生昌が、「童の衵(あこめ)の上覆いは何色にしてさしあげさせたらよろしゅうございましょう」と申し上げるのを、また女房たちが笑うのは、もっともである。
 また、「姫宮様の御食膳は、普通のものではにくらしく見えることでございましょう。ちうせい折敷やちうせい高坏であるのが、よろしゅうございましょう」と申し上げるのを、わたくしが「そうしてこそ、上覆を着ている童女もお近くにお伺いすることでしょう」というのを、中宮様は「やはり世間の人と同じ並みに扱って、これを笑わないでおくれ。とても真面目なのだから。気の毒に見えること」とお止めあそばされるのも、おもしろい。◆◆



 中間なるをり、「大進、物聞こえむとあり」と、人の告ぐるを聞しめして、「またなでふこと言ひて笑はれむとならむ」と仰せらるる、いとをかし。「行きて聞け」と仰せさるれば、わざと出でたれば、「一夜の門の事を中納言に語りはべりしかば、いみじう感じ申されて、『いかでさるべからむをりに対面してもうしうけたまはらむ』となむ申されつる」とて、またこともなし。
◆◆ちょっと用事が途絶えている時、「大進が、お話し申し上げたいと言ってします」と人がわたしに告げるのをお聞きあそばして、「また、どんなことを言って笑われようというのだろう」と仰せになるのも、たいへんおもしろい。「行って話を聞け」と仰せになるので、わざわざ出たところ、生昌は、「先夜の門のことを中納言に話しましたら、たいへん感心申し上げなさって、『どうかして、適当な機会にお目にかかって、お話を申し上げたり承ったりしたいものだ』と申しておられました。」というのであって、他には何のこともない。◆◆



 一夜の事や言はむと、心ときめきしつれど、「今静かに御局に候はむ」とていぬれば、帰りまゐりたるに、「さて何事ぞ」とのたまはすれば、申しつる事をさなむとまねび啓して、「わざと消息し、呼び出づべきことにぞあらぬや。おのづから静かに局などにあらむにも言へかし」とて笑へば、「おのが心地にかしこしと思ふ人のほめたるを、うれしとや思ふとて、告げ知らするならむ」とのたまはする御けしきも、いとをかし。
◆◆先夜の部屋へ来た時のことを言うのだろうかと、胸がどきっとしたけれども、「そのうちゆっくりとお部屋に伺いましょう」と言って立ち去るので、帰って御前に伺ったところ、「それで、何だったの」と仰せあそばすので、生昌が言ったことを、あれこれとそのままそっくり申し上げて、仲間の女房たちに、「わざわざ申し入れをして、呼び出さなければならないことではないわね。自然な感じで静かに部屋などにゐそうな時にでも言えば良いのに」と言って笑うと、中宮様は、「自分の気持ちの中で優れている人だと思うその人がほめているのを、そなたも多分うれしいと思うだろうというつもりで、報告するのであろう」と仰せあそばすご様子も、たいへんすばらしい。◆◆


■姫宮の御方=一条天皇第一皇女脩子(しゅうし)内親王。母は中宮定子。長徳二年(996)十二月二十六日誕生。当時四歳。

■衵(あこめ)のうはおそひ=上の衣と下の単衣どの間に着るもの。「上襲(うはおそひ)」は表着。衵の上に着るのは童女の場合は汗衫(かざみ)だから、そういえば良いのに、「衵のうわ着」と言ったから笑ったのである。

■ちうせい=「ちひさき」の訛りであろう。

■中間(ちゅうげん)なるをり=中途半端な時。

■中納言=生昌の兄、平惟仲。

■心ときめき=胸がある期待でどきどきすることであるが、好ましいことに限らない。ここでは、あの時生昌に間の悪い思いをさせたので、恨み言を言われるかと、さすがにどきっとした、の意か。

■まねび=「まねぶ」は、そのまま、まねをして言うこと。

枕草子を読んできて (14)

2018年01月19日 | 枕草子を読んできて
六    大進生昌が家に  その2  (14) 2018.1.19

 東の対の西の廂かけてある北の障子には、かけがねもなかりけるを、それもたづねず。家ぬしなれば、よく知りてあけてけり。あやしう嗄ればみたるものの声にて、「候はむにはいかが、候はむにはいかが」と、あまたたび言ふ声に、おどろきて、見れば、几帳のうしろに立てたる火の光はあらはなり。障子を五寸ばかりあけて言ふなりけり。いみじうをかし。さらにかやうの好き好きしきわが夢にせぬものの、家におはしましたりとて、むげに心にまかするなンめりと思ふも、いとをかし。
◆◆東の対屋の、西の廂の間にかけて立ててある北の襖障子には、掛け金もなかったのだが、それも詮索しもしなかった。生昌は、この家の主人だから、勝手を知ってあけてしまったのだった。変にしわがれたものの声で「そこへお伺いしてはいけませんか、そこへお伺いしてはいけませんか」と何度も何度も言う声に目が覚めて、見ると、几帳のうしろに立ててある灯台はあかあかとしている。ふすま障子を五寸ばかり開けて言うのであった。たいへんおもしろい。いっこうにこうした色好みめいたことは夢にもしない人が、さては、わが家に中宮様がおいであそばしているということで、やたらに気ままなことをするのであるようだと思うにつけても、ひどくおかしい。◆◆



 わがかたはらなる人を起こして、「かれ見たまへ。かかる見えぬものあンめるを」と言へば、頭もたげて、見やりていみじう笑ふ。「あれは誰そ。顕証に」と言へば、「あらず。家ぬしと局あるじと定め申すべき事の侍るなり」と言へば、「門の事をこそ申しつれ、障子あけたまへとやは言ふ」「なほその事申しはべらむ。そこに候はむいかに、そこに候はむいかに」と言へば、「いと見苦しき事。ことさらにえおはせじ」とて笑ふめれど、「若き人々おはしけり」とて、引き立てていぬる後に笑ふ事いみじ。あけぬとならば、ただまづ入りねかし。消息をするに「よかンなり」とは、たれかは言はむと、げにをかしきに、つとめて御前にまゐりて啓すれば、「さる事も聞こえざりつるを、昨夜の事にめでて入りにたりけるなンめり。あはれ、あれをはしたなく言ひけむこそいとほしけれ」と笑はせた.
◆◆私の側にいる人を起こして、「あれをごらんなさい。あんなみかけないものがいるようよ」と言うと、頭を上げてそちらに目を向けてひどく笑う。「あれは誰なの。開けっぱなしで」と言うと、「いえ違います。ここの主と、この局の主(清少納言)とご相談申し上げなければならないことがございますのです。」と言う。「門のことこそ申し上げましたが、襖障子をお開けくださいとは言いはしませんよ」「それのことを申し上げましょう。そこにお伺いするのはどうでしょう。そこにお伺いするのはどうでしょう」と言うので、側の女房が、「ひどくみっともないこと。今さらあらためてお入りにはなれないでしょう」と笑って言うようだけれど、「若い方がおいでだったのですね」と言って、ふすまを引いて閉めて立ち去った後に笑うことはたいへんなものだった。ふすまを開けたしまったなら、ひたすらまず入ってしまえばいいのだ。申し入れをするのに、「だれが、さしつかえないようです」などと言うはずがあろうか、と、なるほどおかしいので、翌朝、中宮様の御前に参上して、申し上げると、「そんなことをするといううわさも聞いていなかったのに、昨夜のことに感心して入ってきてしまったのだったろう。まあまあ、生真面目なあの男を、間が悪い思いをさせるように言ったようだが、それは何ともかわいそうなことだこと」とお笑いあそばされる。◆◆


■廂(ひさし)かけてある=廂の間。寝殿造りの母屋の外側にある細長い一間。「かけてある」はわかりにくい。続いてあるのに、か?

■ことさらにえおはせじ=色好みの行動と受け取っての発言とみる。黙って無理にでも入ってくるのなら格別、いまさらわざわざ改めて許可をもらって入るなどまぬけなことはできまい。

枕草子を読んできて (13)

2018年01月12日 | 枕草子を読んできて
六    大進生昌が家に    その1  (13) 2018.1.12

 大進生昌が家に、宮の出でさせたまふに、東の門には四足になして、それより御輿は入らせたまふ。北の門より女房の車ども、陣屋のゐねば入りなむやと思ひて、頭つきわろき人もいたくもつくろはず、寄せておるべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛の車などは、門小さければ、え入らねば、例の筵道敷きておるるには、いとにくく、腹立たしけれど、いかがはせむ。殿上人、地下立ち添ひ見るもねたし。
◆◆大進生昌の家に、中宮がお出ましあそばす折に、東の門においては、四足の門に改装して、そこから中宮様の御輿はお入りあそばされます。北の門から女房どもの牛車は、陣屋の武士が詰めていないから、多分入ってしまえるだろうと思って、髪かたちのみっともない人もたいして繕わず、車は直接建物に寄せて降りるはずだとのんきに考えていたところ、檳榔毛の車などは、門が小さいので、入れないので、例のとおり、筵を敷いて降りるというのには、ひどくにくらしく、腹立たしいけれど、どうしようもない。殿上人や地下の役人たちが、陣屋のそばに立ち並んで見てるのも、いまいましい。◆◆



 御前にまゐりて、ありつるやう啓すれば、「ここにても人はみるまじくやは。などかはさしもうち解けつる」と笑はせたまふ。「されど、それはみな目馴れて侍れば、よくしたてて侍らむしもぞおどろく人も侍らむ。さても、かばかりなる家に、車入らぬ門やはあらむ。見えば笑はむ」など言ふほどにしも、「これまゐらせむ」とて、御硯などさし入る。「いで、いとわろくこそおはしけれ。などてか、その門せばく造りては住みたまひけるぞ」と言へば、笑ひて「家のほど、身のほどに合わせて侍るなり」といらふ。
「されど、門の限りを高く造りける人も聞こゆるは」と言へば、「あなおそろし」とおどろきて、「それは于公が事にこそ侍ンなれ。古き進士などにはべらずは、うけたまはり知るべくも侍らざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへられはべり」など言ふ。「いで、御道もかしこからざんめり。筵道敷きたれど、みなおちいりてさわぎつるは」と言へば、「雨の降りはべれば、げにさも侍らむ。よしよし、また仰せられかくべき事もぞ侍る。まかり立ちはべりなむ」とて、いぬ。「何事ぞ、生昌がいみじうおぢつるは」と問はせたまふ。「あらず。車の入らざりつる事申しはべり」と申しておりぬ。
同じほど、局に住む若き人々などして、よろづの事も知らず、ねぶたければ、寝ぬ。
◆◆中宮様の御前に参上してさきほどのありさまを申し上げると、「ここでだって、人が見ないということでもなかろう。どうしてそんなに気を許してしまっているのか」とお笑いあそばされる。「ですけれど、そうした人がみな見慣れておりますから、こちらがよく身づくろいをして飾っておりましたら、それこそかえって驚く人もおりますでしょう。それにしてもまあ、これほどの人の家に、車の入らないような門があってよいものだろうか。ここに現れたら笑ってよろう」などと言っている折も折、「これを差し上げましょう」と言って、成昌が御硯などを御簾の中に差し入れる。「まあ、あなたは、つまらない方でいらっしゃいましたね。どうして、その門を狭く作って、お住みになったのですか」と言うと、笑って「家の程度、身分の程度に合わせているのでございます」と応じる。「でも、門だけを高く造った人もあると聞きますよ」と言うと、「これはまあ恐れ入ったことで」とびっくりして、「それはどうやら于公のことのようですね。年功を積んだ進士などでございませんと、とても伺ってわかりそうにもないことでございましたよ。私はたまたまこの文章の道に入っておりましたから、せめてこれくらいのことだけは自然に弁別いたすのでございます」などと言う。「いえもう、その御『道』も立派ではないようです。筵道をしいてあるけれど、みな落ち込んで大騒ぎしましたよ」と言うと、「雨が降りましたから、なるほど、きっとそうでございましょう。まあまあ、またあなたから仰せさけられることがあると困ります。下がってしまうことにいたしましょう」と言って立ち去る。中宮様は「何だったの、成昌がひどく怖がったいたのは」とおたずねあそばされる。「なんでもございません。車が入らなかったことを申したのでございます」と申し上げて、局に下がってしまう。同じころ、局に住む若い女房たちと一緒に、何にも知らず、眠たいので寝てしまった。◆◆



■大進生昌(だいじんなりまさ)=中宮識の三等官。平生昌。珍材(よしき)の次男。邸は三条にあった。ここに中宮がお産のために行啓された。

■檳榔毛(びりょうげ)の車(びろう)の葉を細かく裂いて白く晒したもので屋形を覆った牛車。

■于公(うこう)が事=前漢の于定国の父。門を大きく作ったら、子の于定国は相丞になり子孫が栄えたという故事。



枕草子を読んできて (11)(12)

2018年01月08日 | 枕草子を読んできて
四   ことことなるもの  (11) 2018.1.8

 ことことなるもの 法師のことば。男女のことば。下衆のことばに、かならず文字あましたる。
◆◆別々なもの 坊さんの言葉。男・女の言葉。身分の低い者の言葉には、なくてもよい余計な言葉が必ず加わっている。◆◆

■ことことなる=「異異なる」と解いたが「言異なる」「異言なる」「言言なる」などの諸説がある。




五   思はむ子を   (12)

 思はむ子を法師になしたらむこそは、いと心苦しけれ。さるはいとたのもしきわざを、ただ木の端などのやうに思ひたらむ、いといとほし。精進の物のあしきを食ひ、いぬるをも言ふ。若きは、物もゆかしからむ。女などのあり所をも、などか忌みたるやうに、さしのぞかずもあらむ。それをもやすからず言ふ。
◆◆(その子を親が)かわいがっている子を僧にしていようなら、このことは大層気の毒である。とはいえ、(一人出家すると、七生の父母も救われるなどと言われた)親としてとても頼りになる仕事であるのを、世の人はまるで木の端などのように非情のものと思っているようなのは、たいへんかわいそうである。精進物の粗末な食事をし、寝るのまでやかましく言う。若い法師は好奇心もあろう。女性などの居場所をも、どうしていやがって避けているように、のぞかないでいられようか。ところが、それをもおだやかでないように言う。◆◆



 まして験者などの方は、いと苦しげなり。御嶽、熊野、かからぬ山なくありくほどに、おそろしき目も見、しるしあり、聞こえ出で来ぬれば、ここかしこに呼ばれ、時めくにつけて、やすげもなし。いたくわづらふ人にかかりて、物の怪調ずるもいと苦しければ、困じてうちねぶれば、「なぶりなどのみして」とがむるも、いと所せく、いかに思はむと。これは昔の事なり。今様はやすげなり。
◆◆まして験者などの方面は、ひどく苦しそうである。御嶽、熊野、足跡のおよばない山もなくめぐり歩くうちに、恐ろしい目にも会い、やがては効験があり、自然評判が立って、あちこちに呼ばれて、羽振りをきかせるに従って、気楽ではなくなる。ひどい重病人にとりかかって、物の怪を調伏するのも、ひどく苦しいので、疲れ切って、ついちょっと眠ると、「ねむってばかりいて」と非難するのも、たいへん窮屈なことで、当人は、いったいどう思うだろうかと。でも、これは昔のことである。現代は、法師生活は気楽そうである。◆◆


■験者(けんざ)=修験者。病気平癒その他息災の加持・祈祷をする修験道の行者。

■物の怪(もののけ)=「もの」は眼に見えぬ霊的存在。「け」は「異」「気」なども当てる。人にとりつく生霊・死霊の類。



枕草子を読んできて  (10)

2018年01月04日 | 枕草子を読んできて
三   正月一日は   その3  (10) 2018.1.4

 三月三日、うらうらとのどかに照りたる。桃の花は今咲きはじむる。柳などいとをかしくこそさらなれ。それもまた、まゆにこもりたるこそをかしけれ。ひろごりたるはにくし。花も散りたる後は、うたてぞ見ゆる。おもしろく咲きたる梅を長く折りて、大きなる花がめにさしたるこそ、わざとまことの花かめふさなどしたるよりもをかしけれ。梅の直衣に出袿して、まらうどにもあれ、御せうとの君達にもあれ、そこ近くゐて物などうち言ひたる、いとをかし。鳥虫の額つきいとうつくしうて飛びありく、いとをかし。
◆◆三月三日の節供の日は、うららかにのんびりと日が照っているのがいい。桃の花は今咲きはじめたのがいい。柳などがたいへん明るくこころよいのは言うまでもない。その柳もまた、まゆにこもっているのこそ、おもしろい。ひろがっているのはにくらしい。花も散ってしまった後は、不愉快にみえる。明るく晴れやかに咲いている梅を、長く折って、大きな花瓶に挿してあるのこそ、わざわざ本当の花カメフサなどしてあるのよりもおもしろい。梅の直衣を着て出袿(いだしうちき)をして、それが客であるにせよ、兄弟の君達であるにもせよ、その花の近くに座って、ものなどちょっと言っているのは、とてもいいものである。鳥や虫が、額のかっこうがたいへんかわいらしい様子で飛び回るのはとてもおもしろい。◆◆



 祭のころは、いみじうをかしき。木々の木の葉まだいとしげうはなくて、わかやかに青みたるに、霞も霧もへだてぬ空のけしきの、何となくそぞろにをかしきに、すこし曇りたる夕つかた夜など、しのびたる郭公の遠う空耳かとおぼゆるまでたどたどしきを聞きつけたらむ、なに心地かはせむ。
◆◆賀茂の祭のころは、たいへん趣深い。木々の葉がまだ多く茂っているほどではなく、若々しく青々としていて、霞とも霧とも分かちがたい空の様子の何とも言えない快い感じがするのに、少し曇っている夕方や夜などに、声を忍ばせているほととぎすが遠くの方で聞き違いかと思うほどおぼつかない声で鳴いているのを聞きつけたような時は、まったくどんなにすばらしい気持ちがすることだろう。◆◆



 祭近くなりて、青朽葉、二藍などの物どもを押し巻きつつ細櫃の蓋に入れ、紙などにけしきばかり包みて行きちがひ持てありくこそをかしけれ。裾濃、むら濃、巻染など、常よりもをかしう見ゆ。童べの頭ばかりを洗ひつくろひて、なりはみなほころび絶え、乱れかかりたるが、屐子、沓などの緒すげさせて、さわぎ、いつしかその日にならなむといそぎ走りありくもをかし。あやしくをどりてありく者どもの、装束きたてつれば、いみじく定者といふ法師などのやうに、練りさまよふ、いかに心もとなからむ。ほどにつけて、おほやうは、女、姉などの、供人してつくろひありくもをかし。
◆◆祭の日が近くなって、青朽葉、二藍などの布地を巻き巻き、細櫃の蓋に入れて、紙などにほんの体裁だけ包んであちこち行きちがい持って回るのこそおもしろい。裾濃、むら濃、巻染などで染めたものも、いつもよりおもしろく見える。女の童の、頭だけぐらいを洗って手入れして、身なりの方はすっかりほころびて糸目が切れ、乱れて下がっているといった格好のが、足駄や沓などの鼻緒をすげさせて、はしゃいで、早くお祭りの日になってほしいと、大急ぎではしゃぎまわるのもおもしろい。おかしなかっこうをして踊って歩きまわる童女たちが、祭の日になって衣装を立派に飾り着けていますと、ご大層に、法会の時の定者(じょうざ)という坊さんのように、もったいぶって練り歩く、それはどんなに不安なことであろう。身分に応じて、だいたいは、親族の女性、姉などが、供人となって世話をしながら歩くのもおもしろい。◆◆



■三月三日=上巳(じょうし)の節供。水辺でお祓いをし、曲水宴などが行われた。

■まゆ=柳の葉を糸と形容する縁でまゆという。

■うたて=物事が移り進んで一段とひどくなってゆくさまを表す副詞。

■おもしろし=明るく晴れやかで心楽しい意。音楽・月・花・紅葉・水(雪)・邸宅・絵・詩歌・催しなどに限定して用いられた。

■祭のころ=四月中の酉の日に行われる賀茂祭。勅使の奉幣がある。

■青朽葉(あをくちば)=青みがかった朽葉色。朽葉は赤みを帯びた黄色。

■二藍(ふたあゐ)=藍と紅の間の色

■屐子(けいし)=足駄

■定者(ぢやうざ)といふ法師=法会の時行道に香炉を持って前行する役僧。