永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1140)

2012年07月31日 | Weblog
2012. 7/31    1140
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その48

「『さなむ思ひ侍れど、かしこもいとものさわがしく侍り。この人々も、はかなきことなどえしやるまじく、せばくなど侍ればなむ。武生の国府にうつろひ給ふとも、忍びては参り来なむを、なほなほしき身の程は、かかる御ためこそいとほしく侍れ』など、うち泣きつつのたまふ」
――(母君が)「わたしもそうして差し上げたいけれど、あちらでもお産でごたごたしています。この侍女たちでもちょっとした準備も出来そうにないほど手狭なところですからね。たとえ武生(越前にある地)の国府のような遠方にお移りになられるとしても、私はこっそりお訪ねしましょうに。それにしましても私風情の者では、こんなときにお役に立てず、お気の毒でございます」などと、泣きながらおっしゃる――

「殿の御文は今日もあり。『なやましと聞こえたりしを、いかが』ととぶらひ給へり。『みづからと思ひ侍るを、わりなきさはり多くてなむ。この程の暮らしがたさこそ、なかなかくるしく』などあり」
――薫の君からの御文が今日もありました。「ご気分が悪いとのことでしたが、どのようなご様子ですか」とお見舞い下さって、「直接お見舞いにと思いますが、よんどころない差支えが多いものですから。あなたを引き取ると決めてからの日の長さは、前よりかえって苦しいことです」などと書いてあります――

「宮は、昨日の御返りもなかりしを、『いかに思し漂ふぞ。風の靡かむ方もうしろめたくなむ。いとどほれまさりてながめ侍る』など、これは多く書き給へり」
――匂宮は、昨日のお返事がなかったので、「何を思い迷っておいでなのですか。須磨の海人の塩焼く煙のように、思わぬ方(薫)に靡いて行くのではないかと気懸りです。私はいっそう呆けたようになって、物思いに沈んでいます」などと、こちらは長々と書き連ねていらっしゃいます――

「雨降りし日、来あひたりし御使ひどもぞ、今日も来たりける。殿の御随身、かの少輔が家にて時々見る男なれば、『真人は、何しにここには度々は参るぞ』と問ふ」
――雨の降った日に、両方のお使いがここで偶然出会ったことがありましたが、今日もその同じ男どもがきています。薫大将の御随身は、相手があの内大記の家で時々見かける下男なので、「そなたは何の用で度々ここへ参るのか」と問う――

「『私にとぶらふべき人の許にまうで来るなり』といふ。『私の人にや、えんなる文はさし取らする。けしきある真人かな。物隠しは何ぞ』と言ふ」
――下男が「個人的な用事で来るのだ」と言います。薫の随身が、「自分の恋人に色っぽい文を自分で持ってくるのか。妙な男だなあ。なぜ隠しごとをするのか」と問う――

「『まことは、この守の君の、御文女房に奉り給ふ』と言へば、言たがひつつあやし、と思へど、ここにて定め言はむもことやうなべければ、おのおの参りぬ」
――下男は「実は左衛門の大夫の時方さまが、ここの女房にお文をお上げになるのだ」という。薫の御随身は、前後が矛盾してして怪しいと思いましたが、ここで言い争うのも変な話なので、それぞれ京に帰ったのでした――

◆8/1~8/10まで夏休みをいただきます。では8/11に。


源氏物語を読んできて(1139)

2012年07月29日 | Weblog
2012. 7/29    1139

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その47

「昔よりこの河のはやくおそろしきことを言ひて、『先つころ渡守が孫の童、棹さしはづして落ち入り侍りにける。すべていたづらになる人多かる水に侍り』と人々も言ひあへり」
――昔からこの宇治川の流れが速くて危ないことを、女房たちも話して、「先頃も、渡守の孫の童が、棹をさし損ねて河に落ちました。落ちた者はおおかた命を落とす事の多い恐ろしい河です」と言い合っています――

「君は、さてもわが身行方も知らずなりなば、誰も誰も、あへなくいみじ、と、しばしこそ思う給はめ、ながらへて人わらへに憂きこともあらむは、いつかそのものおもひの絶えむとする、と思ひかくるには、さはりどころもあるまじく、さわやかによろづ思ひなさるれど、うちかへしいと悲し。親のよろづに思ひ言ふありさまを、寝たるやうにてつくづくと思ひみだる」
――浮舟は、それにしても自分が行方知れずになったなたらば、誰もかれも(母君、薫、匂宮ら)敢え無く悲しいことと、しばらくはお嘆きになるだろう。でも生き長らえて、世の物笑いになるゆなことにでもなったなら、いったい何時物思いが尽きることか。そう考えていくと、今、死んでゆくことに何の障りもなく、そうすれば万事さっぱりするとは思われるものの、あれこれと行ったり来たり考えてみるとやはり悲しい。母君が自分の身の上を何かと案じて言い言いしている有様を、寝た振りをして聞いていて、つくづくと思い乱れていらっしゃる――

「なやましげにて痩せ給へるを、乳母にも言ひて、さるべき御いのりなどせさせ給へ、祭り祓などもすべきやうなど言ふ。御手洗川にみそぎせまほしげなるを、かくも知らでよろづに言ひ騒ぐ」
――浮舟がまるでご病気のように痩せていられるのを母君は心配して、乳母にも、どうぞご祈祷などもおさせになってください。祭りや祓などもこのように、などと言います。浮舟としては「恋せじと…」の歌のように、御手洗川に禊ぎをしたい思い(神は受けない)でも、母君はそれとは知らず、何かと騒いで世話をやいています――

「『かしこにわづらひ侍る人も、おぼつかなし』とて帰るを、いともの思はしく、よろづ心細ければ、また逢ひ見でもこそ、ともかくもなれ、と思へば、『心地の悪しく侍るにも、見たてまつらぬがいとおぼつかなく覚え侍るを、しばしも参り来まほしくこそ』と慕ふ」
――(母君が)「常陸の介の邸で患って(お産の娘)いる人のことも気懸りなので」といって帰りますのを、浮舟は物思いが多く、心細い時ですし、もうニ度と母君にお目にかかれずに死んでしまうかもしれないと、名残り惜しくて「気分が悪うございますし、お目にかからずに居るのは気懸りです。しばらくでも母君のお側に参っていとうございます」と慕うのでした――

◆御手洗川(みたらしがわ)=伊勢物語「恋せじと御手洗川にせし禊ぎ神は受けずもなりにけるかな」

では7/31に。

源氏物語を読んできて(1138)

2012年07月27日 | Weblog
2012. 7/27    1138

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その46

 「『のちは知らなど、ただ今はかく思し離れぬさまにのたまふにつけても、ただ御しるべをなむ思ひ出できこゆる。宮の上の、かたじけなくあはれに思したりしも、つつましきことなどの、おのづから侍りしかば、中空にところせき御身なり、と、思ひ歎きはべりて』といふ」
――(母君が)「後のちのことは存じませんが、ただ今はこのようにお見棄てなく、深いお志のお言葉を頂くにつけましても、ほんとうに貴女さまのお取り持ちのお陰と、うれしく思っております。中の君が勿体なくもこの娘を可愛くお思いくださいましたにも、実は少々不都合なことが起こりましたので、そのままお預りねがうことができませんで、寄るべのないお身の上になられたと嘆いておりまして」といいます――

「尼君うち笑ひて、『この宮の、いとさわがしきまで、色におはしますなれば、心ばせあらむ若き人、さぶらひにくげなむ。おほかたは、いとめでたき御ありさまなれど、さる筋のことにて、上のなめしと思さむなむわりなき、と大輔が女の語り侍りし』と言ふにも、さりや、まして、と君は聞き臥し給へり」
――尼君はほほえんで、「あの匂宮は、うるさいほどの色好みでおいでだそうですから、気の利いた若い女房はお仕えしにくいようです。その他のことでは、まことにご立派なお方なのですけれども、この方面のことで、宮の上(中の君)が、ご機嫌を悪くなさっても困ると、大輔(たいふ)の娘が申しています」と言っています。浮舟は、なるほど女房でさえそうなのだから、まして自分は…と聞きながら、またうち伏してしまわれました――

「『あなむくつけや。帝の御女をもちたてまつり給へる人なれど、よそよそにて、あしくもよくも、あらむは、いかがはせむ、と、おほけなく思ひなし侍る。よからぬことを引き出で給へらましかば、すべて、身には悲しくいみじと思ひきこゆとも、また見たてまつらざらまし』など、言ひかはすことどもに、いとど心ぎももつぶれぬ」
――(母君が)「まあ、なんて気味が悪い。薫の君は帝の内親王を北の方にいただいておいでになりますが、でもまあ、それは血の繋がった仲のお方とは違っていますし、良くも悪くも、(日蔭者として)とにかく成り行きに任せるより仕方がないと、お畏れおおくも考えています。でももしも、あちらの宮様との間に、とんでもないことを起されでもしましたら、もう私は自分がどんなに悲しくおもうにせよ、ニ度とふたたび浮舟の顔は身ますまい」などと話し合っているのを、浮舟はお聞きになって、いっそう肝もつぶれるように思われます――

「なほわが身をうしなひてばや、つひに聞きにくきことは出で来なむ、と思ひ続くるに、この水の音のおそろしげに響きて行くを、『かからぬ流れもありかし。世に似ず荒ましき所に、年月を過ぐし給ふを、あはれと思しぬべきわざになむ』など、母君したり顔に言ひ居たり」
――(浮舟は)やはりこの身を亡きものにしてしまおう、きっと外聞の悪い事が起こるにちがいない、と考えつづけておりますと、宇治川の水音がすさまじい響きを立てて流れていきますので、母君が「同じ川でもこんなに荒々しくない流れもありましょうに。このような世にも荒々しい所に、長い間暮らしておいでですもの、可哀そうだと薫大将がお思いになりますのも、ご無理もないことでしょう」などと、したり顔で言っています――

では7/29に。

源氏物語を読んできて(1137)

2012年07月25日 | Weblog
2012. 7/25    1137

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その45

 母君は昔話などするのに、あちらのお部屋の弁の尼を呼び出しますと、この弁の尼は、亡き大君のご様子が、とても思慮深くおいでになって、さまざまなことをご心配になっているうちに、見る見るはかなくおなりになったことなど話し、

「『おはしまさましかば、宮の上などのやうに、きこえ通ひ給ひて、心細かりし御ありさまどもの、いとこよなき御さひはひにぞ侍らましかし』と言ふにも、わが女はこと人かは、思ふやうなる宿世のおはしはてばおとらじを、など思ひつづけて」
――尼君が「大君がもし生きておられましたなら、中の君と同じように、薫の北の方として、お互いに御文を交わし合って、あれほど心細かったご生活も、きっと今はこの上なくお幸せでございましたでしょうに」と言うので、(母君は)わが娘だとて、同じ八の宮の御胤で、この御姉妹と他人ではないではないか。望み通りの幸運が終わりまで続けてくださるならば、浮舟だって中の君に劣るまいに、などと思いつづけて――


「『世とともに、この君につけては、ものをのみ思ひ乱れしけしきの、すこしうちゆるびて、かくてわたり給ひぬべかめれば、ここに参り来ること、かならずしもことさらには、え思ひ立ち侍らじ。かかる対面の折々に、昔のことも心のどかに、きこえうけたまはらまほしけれ』など語らふ」
――(母君が)「いつもいつも浮舟のことでは心配ばかりしていましたが、幸いにも少し事情がよくなりまして、こうして薫大将が京にお引き取りくださることになりましたので、私がこちらへ参上いたしますことは、もうございませんでしょう。このようにお目にかからせていただく折々に、ゆっくり昔のことを申し上げもし、またお話もうかがいとうございます」などと話しあうのでした――

「『ゆゆしき身とのみ思う給へしみにしかば、こまやかに見えたてまつりきこえさせむも、何かは、とつつましくて過ぐし侍りつるを、うち棄ててわたらせ給ひなば、いと心細くなむ侍るべけれど、かかる御住居は、心もとなくのみ見たてまつるを、うれしくも侍るべかなるかな』
――(尼君が)「私は自分をただもう縁起でもない身と思いこんだことですから、こまごまとお目にかかってお話もうしますのもどうかと気がひけますが、いよいよ私をここに残して京へお移りになりましたならば、後どんなに心細いことでございましょう。でもこのような侘しいお住いではと不安に思っておりましたので、京へのお引越しはほんとうにうれしゅうございます――

 さらに、

「『世に知らず重々しくおはしますべかめる殿の御ありさまにて、かくたづねきこえさせ給ひしも、おぼろげならじ、ときこえ置き侍りにし、浮きたることにやは侍りける』などいふ」
――「薫の君は、世にまたとなく重い身分でおいでのご様子ですのに、こうして浮舟様をお尋ね申されたことも並大抵のお心ではあるまいと、以前申し上げておきましたが、決していい加減なことではございませんでしたでしょう」などと言うのでした――

◆わが女はこと人かは=わが娘だって、(同じ故八の宮の御胤)この姉妹と異人(他人)であるものですか

では7/27に。

源氏物語を読んできて(1136)

2012年07月23日 | Weblog
2012. 7/23    1136

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その44

「乳母出で来て、『殿より、人々の装束なども、こまかに思しやりてなむ。いかできよげに何ごとも、と思う給ふれど、ままが心ひとつには、あやしくのみぞし出で侍らむかし』など言ひ騒ぐが、心地よげなるを見給ふにも」
――乳母が出て来て、「薫の君より、女房たちの装束のことまで細々とご配慮いただきました。何とかして万事手ぬかりなく調えたいと思いますが、私の一存ではみすぼらしいことしか出来ないでしょうよ」などと言って騒いでいるのが、いかにも楽しそうで、それを御覧になると――

「君は、けしからぬことどもの出で来て、人わらへならば、たれもたれもいかに思はむ、あやにくにのたむふ人はた、八重たつ山にこもるとも、かならずたづねて、われも人もいたづらになりぬべし、なほ心安く隠れなむことを思へ、と、今日ものたまへるを、いかにせむ、と、心地あしくて臥し給へり」
――浮舟は、けしからぬ事態が生じて、人々の物笑いにでもなったなら、女房たちもどう思うだろう。無理なことをおっしゃるあの方(匂宮)がまた、たとえ八重山たつ山の奥に隠れても、必ず尋ね出し、私もあなたもきっと命を棄てることになるでしょう。やはり今のうちに、気を楽にもって、隠れることをお考えなさい、と、今日も言ってお寄こしになりましたのを、どうしたものかと思っているうちに気分が悪くなって、うち臥してしまわれました――

「『などかかく例ならず、いたく青み痩せ給へる』と驚き給ふ。『日ごろあやしくのみなむ。はかなきものも聞こし召さず、なやましげにせさせ給ふ』と言へば、あやしきことかな、もののけなどにやあらむ、と、『いかなる御心地ぞ、と思へど、石山とまり給ひにきかし』と言ふも、かたはらいたければ伏し目なり」
――(母君が)どうして今日は、いつもと違ってこんなにお顔の色が青白く、痩せていらっしゃるのでしょう」と驚いております。乳母が「この頃ずっとお加減が悪いのでございます。ちょっとしたものも召しあがらず、もの憂そうにしておいでになりまして」と申しますと、おかしなこともあるもの、物の怪などのせいかしらと思ったり、「どういうご気分なのでしょう。(ひょっとして妊娠されたのでは、とも思いますが)あの石山詣ででも、月の障りのためお取り止めになったのですし」と言っていますのを、浮舟は恥かしくて目を伏せています――

「暮れて月いとあかし。有明の空を思ひ出づる、涙のいととめがたきは、いとけしからぬ心かな、と思ふ」
――日が暮れて、月がたいそう明るく冴えきっています。浮舟は、いつぞや、匂宮と舟で渡った時の、あの有明の空を思い出しますと、とめどもなく涙がこぼれて、どうすることもできないのは、ほんとうに良からぬ心よ、と、われながら思うのでした――

では7/25に。


源氏物語を読んできて(1135)

2012年07月21日 | Weblog
2012. 7/21    1135

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その43

「『絵師どもなども、御随身どもの中にある、むつまじき殿人などを選りて、さすがにわざとなむせさせ給ふ』と申すに、いとど思し騒ぎて、わが御乳母の、遠き受領の妻にてくだる家、下つ方にあるを、『いと忍びたる人、しばし隠いたらむ』と語らひ給ひければ、いかなる人にかは、と思へど、大事と思したるに、かたじけなければ、『さらば』ときこえけり」
――その大内記が「絵師たちなども、御随身たちの中に居る者で、気心の知れた家来などを選んで、さすがに念入りなものを作らせておいでになります」と匂宮に申し上げますと、いっそう匂宮はお気持がいらいらなさって、ご自分の乳母で、遠国の受領の妻として下る者の家が、下京にあるのを、「ごく内密にしてある人を、しばらく匿いたいのだが」と御相談になります。受領はいったいどんな人だろうかと思うものの、匂宮がたいそう大事なことをお思いになっておられるご様子に、畏れ多くて、「どうぞ、お使いくださいまし」と申し上げます――

「これを設け給ひて、すこし御心のどめ給ふ。この月のつごもりがたに下るべければ、やがてその日わたさむ、と思し構ふ。『かくなむ思ふ。ゆめゆめ』と言ひやり給ひつつ、おはしまさむことはいとわりなくあるうちにも、ここにも、乳母のいとさかしければ、難かるべき由をきこゆ」
――(匂宮は)この隠れ家をご用意なさって、少しほっとされました。乳母とその夫たちはこの月末ごろ、任地に赴く予定なので、すぐその日に、宇治から浮舟を移らせようと計画されています。「決して手ぬかりするな、決して」と御文を宇治にお遣わしになりますが、ご自身で宇治にお出向きになりますのはご無理で、また、宇治でも乳母がたいそうやかましいので、お迎えするにも何かと面倒な様子を申し上げるのでした――

「大将殿は、四月の十日となむ定め給へりける。さそふ水あらば、とは思はず、いとあやしく、いかにしなすべき身にかあらむ、と、浮きたる心地のみすれば、母の御許にしばしわたりて、思ひめぐらす程あらむ、と思せど、少将の妻、子産むべき程近くなりぬとて、修法読経など隙なく騒げば、石山にもえ出で立つまじ、母ぞこちわたり給へる」
――薫大将は、浮舟を迎える日取りを四月の十日とお決めになりました。浮舟は、浮き草のように「誘う水あらば」誰でもよいという気はせず、われながらもまことに怪しく、この身は一体どうしたらよいのだろうと、宙を踏んでいるような気持ちばかりしますので、母君の許へ行って、しばらくあれこれと考えるゆとりが欲しい、と思うのですが、あちらでは、少将の妻となった人のお産の日が近づいたというので、修法やら読経やらで隙も無く騒いでいますとかで、一緒に石山に詣でることさえ出来そうにもありません。そうこうしているうちに、母君の方から宇治に来られたのでした――

◆さそふ水あらば=古今集「わびぬれば身を浮き草の根を絶えて誘う水あらばいなむとぞ思う」

では7/23に。

源氏物語を読んできて(1134)

2012年07月19日 | Weblog
2012. 7/19    1134

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その42

「女宮に物語など聞え給ひてのついでに、『なめしともや思さむ、と、つつましながら、さすがに年経ぬる人の侍るを、あやしき所に棄て置きて、いみじくもの思ふなるが心苦しさに、近う呼び寄せて、と思ひ侍る』
――女二の宮(薫の正妻)にお話をなさるついでに薫が、「失礼なとお思いになりますまいかと恐縮なのですが、実は、長年世話をしている女がありまして、むさくるしい田舎に棄て置きましたところ、たいそう沈みこんでいますので、近くに呼び寄せようかと思っているのです」――

 つづけて、

「『むかしより異やうなる心ばへ侍りし身にて、世の中を、すべて例の人ならですぐしてむ、と思ひ侍りしを、かく見たてまつるにつけて、ひたぶるにも棄てがたければ、ありと人にも知らせざりし人の上さへ、心苦しう、罪得ぬべき心地してなむ』ときこえ給へば、『いかなることに心置くものとも知らぬを』といらへ給ふ」
――「わたしは昔から人と違う気持ちがありまして、現世を一切人並みでなく送りたいと思いましたのに、こうして貴女と一緒に暮らすにつけて、一途に遁世もしにくくなり、今では人にも知らせずにいました女のことまでもが可哀そうになり、きっと罪障になるような気がしますので」と申し上げますと、女二の宮は「どんなことに気兼ねしなくてはならないのか、それさえ存じませんのに」とお返事なさる――

「『内裏になど、あしざまに聞し召さする人や侍らむ。世の人のもの言ひぞ、いとあじきなくけしからず侍るや。されどそれは、さばかりの数にだに侍るまじ』などきこえ給ふ」
――(薫は)「それについて、あるいは帝に私のことを悪く告げ口申す人などがあるかも知れません。世間の口というものは、まことに不当なつまらぬものです。しかし、今申した女は、そういう噂の種になるほどの者でもありませんよ」などと申し上げます――

「つくりたる所にわたしてむ、と思し立つに、『かかる料なりけり』など、はなやかに言ひなす人やあらむ、など、苦しければ、いと忍びて、障子張らすべきことなど、人しもこそあれ、この内記が知る人の親、大蔵の大夫なるものに、むつまじく心やすきままに、のたまひつけたりければ、聞きつぎて、宮には隠れなく聞こえけり」
――薫は今度建てた邸に浮舟を移したいと計画なさったけれど、「こういうお積りであったのか」などと大袈裟に取り沙汰されるのも心苦しいので、ごく内々に、襖や障子を張らせるのでしたが、それが人もあろうに、親しく心安いところから、あの大内記の妻の父の、大蔵の大夫にお言い付けになりましたので、話は次々に伝わって、何もかも匂宮のお耳に入ってしまったのでした――

では7/21に。

源氏物語を読んできて(1133)

2012年07月17日 | Weblog
2012. 7/17    1133

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その41

「『先づかれを、人見ぬ程に』と聞こゆ。『今日はえきこゆまじ』とはじらひて、手習ひに、『里の名をわが身に知れば山城の宇治のわたりぞいとど住み憂き」
――侍従が「まず、匂宮へのご返事を。誰も見ませんうちに」と申し上げます。浮舟は「きょうはお返事は書けません」と、恥かしがって、手すさびのように、歌を「里の名の宇治(憂し)ということを、わが身の上だと感じておりますから、このあたりは、他よりもいっそう住みづらい気がします」と書くのでした――

「宮のかき給へりし絵を、時々見て泣かりけり。ながらへてあるまじきことぞ、と、とざまかうざまに思ひなせど、ほかに絶えこもりてやみなむは、いとあはれに覚ゆべし」
――浮舟は、匂宮がお描きになった絵を、ときどき取り出して見ては自然と涙が出てきます。匂宮との間は長く続く筈はないとあれこれ思い、諦めようとしてはみるものの、このまま他所へ行って、お目にかかれなくなってしまったなら、どんなに悲しいことであろうか、と思われるのでした――

「『かき暮らし晴れせぬ峰のあま雲に浮きて世をふる身をもなさばや、まじりなば』ときこえたるを、宮はよよと泣かれ給ふ。さりとも、こひしと思ふらむかし、と思しやるにも、もの思ひて居たらむさまのみ、面影に見え給ふ」
――浮舟からのお文に「あてもなく世をすごす私の身を、いっそあの真っ暗に曇って晴れない峰の雨雲にしてしまいたい、いっそ雲になってしまったならば…」とありましたのを、匂宮は御覧になって、涙をほろほろとお流しになってお泣きになります。そうは言っても、きっと私を恋しがっているだろうとお察しになるにつけても、あの物思いの姿ばかりが、目の前に浮かんでくるのでした――

「まめ人はのどかに見給ひつつ、あはれ、いかにながむらむ、と思ひやりて、いとこひし。『つれづれと身を知る雨のをやまねば袖さへいとど水かさまさりて』とあるを、うちも置かず見給ふ」
――いっぽう真面目な薫の方は、ゆったりと返事をお読みになって、ああ可哀そうに、浮舟はどんなに寂しくしていることだろうと、遥かに宇治の方を思いやって、しみじみと恋しく思うのでした。浮舟の返歌は「憂き身を思わせる雨がつれづれと止まずに降りますので、宇治の川水が増すばかりでなく、袖までもいよいよ涙でぬれることです」と書かれてあって、それを薫は下にも置かず眺めていらっしゃる――

◆まじりなば=古歌から2つ引く。
      ①白雲の晴れぬ雲居にまじりなばいずれかそれと君は訪ねむ
      ②行く舟の跡なき方にまじりなば誰かは水のあはとだに見ゆ

では7/19に。      

源氏物語を読んできて(1132)

2012年07月15日 | Weblog
2012. 7/15    1132

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その40

「これかれと見るもいとうたてあれば、なほ言多かりつるを見つつ臥し給へれば、侍従右近見合わせて、『なほ移りにけり』など、言はぬやうにていふ」
――(浮舟が)どちらのお手紙も見るのも大そう厭な気がしますので、やはり言葉を多く続けている匂宮の御文を見ながら、臥していらっしゃると、侍従と右近が顔を見合わせて、『どうやら匂宮にお心がお移りのようね』などと言葉には出さずうなずきあっています――

「『ことはりぞかし。殿の御容貌を、たぐひおはしまさじ、と見しかど、この御ありさまはいみじかりけり。うちみだれ給へる愛敬よ。まろならば、かばかりの御おもひを見る見る、えかくてあらじ。后の宮にも参りて、常に見たてまつれむ』と言ふ」
――(侍従が)「それはそうでしょうとも。薫の君のご様子をまたといらっしゃらない御方とお見上げしておりましたが、匂宮のご容貌はまた格別ですもの。打ち解けていらっしゃるときのあのご愛敬!わたしだったらこれほどのご愛情を見い見い、こうしてはいられないでしょう。中宮様の御殿にでもご奉公させていただき、いつも御顔を拝さずにはいられませんもの」などと言いますと――

「『うしろめたの御心の程や。殿の御ありさまにまさり給ふ人は、たれかあらむ。容貌などは知らず、御心ばへけはひなどよ。なほこの御ことは、いと見苦しきわざかな。いかがならせ給はむとすらむ』と、二人して語らふ。心ひとつに思ひしよりは、そらごともたより出で来にけり」
――(右近が)「まあ、気懸りなお心のうちですこと。薫大将に優るお方など誰がいるでしょう。ご器量などはとにかく、あのご気質や立ち居振る舞いの素晴らしさといったら。それにしても、今度の匂宮との忍び逢いはまったく見ぐるしいこと。いったいこの先どうなることかしら」と二人で話し合っています。右近一人で嘘をつきとおしていた時よりは、相談相手ができましたので、頼りが生じたのでした――

「後の御文には、『思ひながら日ごろになること。ときどきは、それよりもおどろかい給はむこそ、思ふさまならめ、おろかなるにやは』など。はしがきに、『水まさるをちの里人いかならむ晴れぬながめにかきくらすころ』常よりも、思ひやりきこゆることまさりてなむ、と、白き色紙にて立文なり」
――薫のお文にには、「気にかかりながら、何日も経ってしまいました。時折りはそちらからもお便りくださるならうれしいでしょうに。並々の思いではないのですよ」などとあって、終わりのところに、歌が「長雨が晴れやらず、物思いに心も暗いこのごろ、川の水も増す宇治の里のあなたは、いったいどうお過ごしですか」と、白い色紙をきちんと立文にしてあります――

「御手もこまやかにをかしげなれねど、書きざまゆゑゆゑしく見ゆ。宮はいと多かるを、ちひさく結びなし給へる、さまざまをかし」
――御手蹟も繊細で、見事だということでもありませんが、書風は由緒ありげです。匂宮の方は、お言葉がたいそう多いのを、小さい結び文になさっており、どちらもそれぞれに趣きがあります――

では7/17に。

源氏物語を読んできて(1131)

2012年07月13日 | Weblog
2012. 7/13    1131

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その39

「かくあやしき住ひを、ただかの殿のもてなし給はむさまをゆかしく待つことにて、母君も思ひなぐさめたるに、忍びたるさまながらも、近くわたしてむことを思しなりにければ、いとめやすくうれしかるべきことに思ひて、やうやう人もとめ、童のめやすきなど迎へておこせ給ふ」
――あのような田舎の暮らしでも、ただ薫の君がお世話してくださるのを当てにしてお待ちするということで、浮舟の母君は心を慰めていましたが、薄々ながら近々京へ連れて行こうというお気持になられましたので、傍目にも体裁よく嬉しいことと思い、次々と女房を召し抱え、女童の可愛らしいのを雇ったりして宇治に寄こすのでした――

「わが心にも、それこそはあるべきことに、はじめより待ちわたれ、とは思ひながら、あながちなる人の御ことを思ひ出づるに、うらみ給ひしさま、のたまひしことども、面影につと添ひて、いささかまどろめば夢に見え給ひつつ、いとうたてあるまで覚ゆ」
――(浮舟も)自分自身、そうなることを初めから待ち望んでいた筈でしたのに、あの無理な思いを一途に通される匂宮のことを思い出しますと、嫉妬に恨み言をおっしゃったご様子やお言葉がまざまざと目に浮かんできて、すこしうとうとする間にも、夢に見えたりして、われながら何と言うことかと厭わしく思われるのでした――

「雨降りやまで、日ごろ多くなるころ、いとど山路思し絶えて、わりなく思されければ、親のかふこはところせきものにこそ、と思すもかたじけなし。つきせぬことども書き給ひて、『ながめやるそなたの雲も見えぬまで空さへくるる頃のわびしさ』筆にまかせて書きみだり給へるしも、見どころあり、をかしげなり」
――雨が降りやまず、何日も続く頃で、この雨に山路を辿るのはかなり難しいことと、匂宮は仕方なくお思いになりますが、親に大切にされている身とは窮屈なものよ、とお思いになりますのも畏れ多いことです。匂宮は思い尽きせぬ事どもをあれこれと書いておやりになり、「つくづくとながめやる宇治の方の雲も見えぬ程に、心ばかりか空までも暗くなるこの頃の心細さよ」と、筆にまかせて書き散らされたものが、却って見事で趣き深いのでした――

「ことにいと重くなどはあらぬ若き心地に、いとかかる心を思ひもまさりぬべけれど、はじめより契り給ひしさまも、さすがに、かれはなほいともの深う、人柄のめでたきなども、世の中を知りにしはじめならばにや、かかる憂きこと聞きつけて、思ひうとみ給ひなむ世には、いかでかからむ」
――特にとりたてて重々しいということでもない浮舟の若い気持ちとしては、匂宮の情熱を以前よりも深く思うのは当然かもしれないけれど、最初にお契りになった薫のご様子もさすがに(思い出されて)あの方(薫)は何と言っても大そう思慮深く、人柄がご立派であることにつけても、浮舟としては最初に知った男性であったからでしょうか、こうした厭な事実を耳にされて私をお嫌いになられたら、その時はいったいどうして生きていけるでしょう――

「いつしかと思ひまどふ親にも、思はずに心づきなしとこそは、もてわづらはれめ、かく心焦られし給ふ人はた、いとあだなる御心本性とのみ聞きしかば、かかる程こそあらめ、またかうながらも、京にも隠し据ゑ給ひ、ながらへても思しかずまへむにつけては、かの上の思さむこと、よろず隠れなき世なりければ、あやしかりし夕暮のしるべばかりだに、かうたづね出で給ふめり」
――いつ薫に迎えられるか、早くそうなればよいと気を揉む母君からも、とんでもないことと厄介がられるに決まっている。このように焦っていられる匂宮にしても、ただもう大そう浮気なお心、ご性質と聞いていますし、こうしている今はとにかく、京にそっと隠し所に移されても、末長く人並みに愛してくださるには、中の君が何とお思いになるでしょう。万事秘密にしておけない世間であってみれば、あの妙な具合になった匂宮との縁というだけで、このように探しだされたのですから――

「ましてわがありさまのともかくもあらむを、聞き給はぬやうはありなむや、と思ひたどるに、わが心も、きずありてかの人にうとまれたてまつらむ、なほいみじかるべし、と思ひみだるる折しも、かの殿より御使ひあり」
――まして薫が、私のこの有様がどうにかなることを、お聞きにならぬ訳がありましょうか。とあれこれ思い思案しつづけながら、ご自分としても薫から過失ありとして嫌われ申されるのは、やはり辛くてならない。そう思い乱れている時に、その薫からお便りが参りました――

では7/15に。