四六 節は (59) その1 2018.5.27
節は、五月にしくはなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたるも、いみじうをかし。九重の内をはじめて、言ひ知らぬたみしかはらの住みかまで、いかでわがもとにしげく葺かむと葺きわたしたる、なほいとめづらしく、いつかことをりは、さはしたりし。空のけしきの曇りわたりたるに、后の宮などには、縫殿より御薬玉とていろいろの糸を組みさげてまゐらせたれば、御帳立てたる母屋の柱に、左右につけたり。
◆◆節日は、五月五日の節日に及ぶものはない。菖蒲や蓬が一緒に香り合っているのも、たいへんおもしろい。内裏の内をはじめとして、言うに及ばない卑しい者の住まいでも、どうかして自分の所には、他よりたくさん葺こうと、一面に軒に葺いてあるのは、やはりとても目馴れぬ面白さで、いつ他の折にはそんなことをしていたことがあるだろうか。空の様子が一面に曇っている時に、中宮様の御殿などには、縫殿寮から御薬玉といって、いろいろな色の糸を組んで垂らして献上してあるので、御帳台が立ててある母屋の柱に、左と右とにそれをつけた。◆◆
■菖蒲、蓬(しょうぶ、よもぎ)=どちらも邪気を払うもの。
■たみしかはら=礫瓦(たびしかわら)の音便か。
九月九日の菊と綾と生絹のきぬに包みてまゐらせたる、同じ柱に結ひつけて月ごろある、薬玉にとりかへて捨つめる。また薬玉は菊のをりまであるべきにやあらむ。されど、それは、みな糸を引き取りて物結ひなどして、しばしもなし。
◆◆(前年の)九月九日、重陽の節供の折の菊と綾と生絹の絹の布に包んで献上したのが、同じ柱に結び付けてこの何か月もあったのを、薬玉に取り換えて、その菊を捨てるようである。またこの薬玉は、菊の節日まで残っているはずのものなのであろうか。けれども、その薬玉の方は、全部飾りの糸をひっぱって取って、物を結ぶのに使ったりして、しばらくの間も残っていない。◆◆
■薬玉(くすだま)=薬や香料を入れた袋を造花や五色の糸で飾ったもの。
■九月九日=重陽の節供。菊は長寿の花。
四六 節は (59) その2 2018.5.27
御節供まゐり、若き人々は、菖蒲のさし櫛さし、物忌みつけなどして、さまざまな唐衣、汗衫、長き根、をかしき折り枝ども、むら濃の組して結びつけなどしたる、めづらしう言ふべき事ならねど、いとをかし。さて春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。
◆◆中宮様に御節供のお食事を差し上げ、若い女房たちは、菖蒲のさし櫛を挿し、物忌みの札をつけなどして、さまざまに、唐衣や汗衫に、菖蒲の長い根や、幾本かの風雅な折り枝を、むら染の組みひもで結びつけなどしてあるのは、珍しい風に言いたてるべきことでもないけれど、たいへんおもしろい。というのは、そんなふうに毎年同じように春ごとに咲くからといって、たいしたことではないように言う人がいるだろうか。◆◆
つちありく童などの、ほどほどにつけては、いみじきわざしたりと、常に袂まもり、人に見くらべ、えもいはず興ありと思ひたるを、そばへたる小舎人童などに引きはられて泣くもをかし。紫の紙に楝の花、青き紙に菖蒲の葉ほそうまきて引き結ひ、また白き紙を根にして結ひたるもをかし。いと長き根などを、文の中に入れたる人どもなど、いと艶なり。
◆◆外を歩き回る童女たちなどが、その身分身分におうじては、身の飾りを素晴らしいことをしたものだと思って、たえず袂を見守り、人のと比べ、何とも言えないほど面白味があると思っているのを、小舎人童などに引っ張られて泣くのもおもしろい。紫の紙に楝の紫の花を包み、青い紙に菖蒲の葉を細く巻いて引き結び、また白い紙を菖蒲の根の所で結んであるのもおもしろい。たいへん長い菖蒲の根などを、手紙の中に入れている人たちなど、とてもほのぼのとして浮きやかな感じがする。◆◆
返事書かむと言ひ合はせ語らふどちは、見せ合はせなどするをかし。人のむすめ、やんごとなき所々に御文聞こえたまふ人も、今日は心ことにぞ、なまめかしうをかしき。夕暮れのほどに、郭公の名のりしたるも、すべてをかしういみじ。
◆◆その手紙の返事を書こうと相談し、親しく話し込んでいる者同士は、来た手紙を見せ合ったりするのもおもしろい。しかるべき人の娘や、貴い方々の所へお手紙をお差し上げになる方も、今日は、格別に心を込めてと、優雅でおもしろい。夕暮れのころは、ほととぎすが鳴いているのも、何から何まで趣があっておもしろい。◆◆
節は、五月にしくはなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたるも、いみじうをかし。九重の内をはじめて、言ひ知らぬたみしかはらの住みかまで、いかでわがもとにしげく葺かむと葺きわたしたる、なほいとめづらしく、いつかことをりは、さはしたりし。空のけしきの曇りわたりたるに、后の宮などには、縫殿より御薬玉とていろいろの糸を組みさげてまゐらせたれば、御帳立てたる母屋の柱に、左右につけたり。
◆◆節日は、五月五日の節日に及ぶものはない。菖蒲や蓬が一緒に香り合っているのも、たいへんおもしろい。内裏の内をはじめとして、言うに及ばない卑しい者の住まいでも、どうかして自分の所には、他よりたくさん葺こうと、一面に軒に葺いてあるのは、やはりとても目馴れぬ面白さで、いつ他の折にはそんなことをしていたことがあるだろうか。空の様子が一面に曇っている時に、中宮様の御殿などには、縫殿寮から御薬玉といって、いろいろな色の糸を組んで垂らして献上してあるので、御帳台が立ててある母屋の柱に、左と右とにそれをつけた。◆◆
■菖蒲、蓬(しょうぶ、よもぎ)=どちらも邪気を払うもの。
■たみしかはら=礫瓦(たびしかわら)の音便か。
九月九日の菊と綾と生絹のきぬに包みてまゐらせたる、同じ柱に結ひつけて月ごろある、薬玉にとりかへて捨つめる。また薬玉は菊のをりまであるべきにやあらむ。されど、それは、みな糸を引き取りて物結ひなどして、しばしもなし。
◆◆(前年の)九月九日、重陽の節供の折の菊と綾と生絹の絹の布に包んで献上したのが、同じ柱に結び付けてこの何か月もあったのを、薬玉に取り換えて、その菊を捨てるようである。またこの薬玉は、菊の節日まで残っているはずのものなのであろうか。けれども、その薬玉の方は、全部飾りの糸をひっぱって取って、物を結ぶのに使ったりして、しばらくの間も残っていない。◆◆
■薬玉(くすだま)=薬や香料を入れた袋を造花や五色の糸で飾ったもの。
■九月九日=重陽の節供。菊は長寿の花。
四六 節は (59) その2 2018.5.27
御節供まゐり、若き人々は、菖蒲のさし櫛さし、物忌みつけなどして、さまざまな唐衣、汗衫、長き根、をかしき折り枝ども、むら濃の組して結びつけなどしたる、めづらしう言ふべき事ならねど、いとをかし。さて春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。
◆◆中宮様に御節供のお食事を差し上げ、若い女房たちは、菖蒲のさし櫛を挿し、物忌みの札をつけなどして、さまざまに、唐衣や汗衫に、菖蒲の長い根や、幾本かの風雅な折り枝を、むら染の組みひもで結びつけなどしてあるのは、珍しい風に言いたてるべきことでもないけれど、たいへんおもしろい。というのは、そんなふうに毎年同じように春ごとに咲くからといって、たいしたことではないように言う人がいるだろうか。◆◆
つちありく童などの、ほどほどにつけては、いみじきわざしたりと、常に袂まもり、人に見くらべ、えもいはず興ありと思ひたるを、そばへたる小舎人童などに引きはられて泣くもをかし。紫の紙に楝の花、青き紙に菖蒲の葉ほそうまきて引き結ひ、また白き紙を根にして結ひたるもをかし。いと長き根などを、文の中に入れたる人どもなど、いと艶なり。
◆◆外を歩き回る童女たちなどが、その身分身分におうじては、身の飾りを素晴らしいことをしたものだと思って、たえず袂を見守り、人のと比べ、何とも言えないほど面白味があると思っているのを、小舎人童などに引っ張られて泣くのもおもしろい。紫の紙に楝の紫の花を包み、青い紙に菖蒲の葉を細く巻いて引き結び、また白い紙を菖蒲の根の所で結んであるのもおもしろい。たいへん長い菖蒲の根などを、手紙の中に入れている人たちなど、とてもほのぼのとして浮きやかな感じがする。◆◆
返事書かむと言ひ合はせ語らふどちは、見せ合はせなどするをかし。人のむすめ、やんごとなき所々に御文聞こえたまふ人も、今日は心ことにぞ、なまめかしうをかしき。夕暮れのほどに、郭公の名のりしたるも、すべてをかしういみじ。
◆◆その手紙の返事を書こうと相談し、親しく話し込んでいる者同士は、来た手紙を見せ合ったりするのもおもしろい。しかるべき人の娘や、貴い方々の所へお手紙をお差し上げになる方も、今日は、格別に心を込めてと、優雅でおもしろい。夕暮れのころは、ほととぎすが鳴いているのも、何から何まで趣があっておもしろい。◆◆