永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1077)

2012年02月29日 | Weblog
2012. 2/29     1077

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(48)

 その折も折、少将が、

「『兵部卿の宮の萩の、なほことにおもしろくもあるかな。いかでさる種ありけむ。おなじ枝さしなどのいとえんなるこそ。一日参りて、出で給ふ程なりしかば、え折らずなりにき。ことだに惜しき、と、宮のうち誦し給へりしを、若き人たちに見せたらまほしかば』とてわれも歌よみ居たり」
――「兵部卿の宮の御殿の萩は、やはり格別の風情があった。どこにあのような種があったのだろう。同じ枝ぶりでも、まことに趣きぶかく美しいのだ。先日参上して、丁度宮がお出かけになる折だったので、折りとることが出来なかった。宮が『うつろはむことだに惜しき秋萩に…』と口ずさんでいらっしゃったお姿を、若い人たちに見せたかった」と言って、自分でも歌を作ろうとしている様子です――

 北の方は、心の中で

「いでや、心ばせの程を思へば、人とも覚えず、出で消えはいとこよなかりけるに、何ごと言ひ居たるぞ、とつぶやかるれど、いと心地なげなるさまは、さすがにしたらねば、いかが言ふとて、こころみに」
――いやもう、浮舟に対する心変わりをするような計算ずくの卑しい人は、人とも思えない。宮の御前では全く影もないありさまだったのに、さて何を詠んだのやら、と呟きたくもなりますが、それでも多少の心得がありそうなので、どんな返歌をするかしらと試しに――

北の方の歌「しめゆひし小萩がうへもまよはぬにいかなる露にうつる下葉ぞ」
――大切に囲いをした小萩の上葉(浮舟)は乱れませんのに、どうしてまた下葉(少将)の色が変わったのでしょう――

 と、詠みかけてみますと、少将は気の毒に思って、

少将の歌「宮城野の小萩がもとと知らませばつゆもこころをわかずぞあらまし」
――浮舟が八の宮の姫君と知っていたなら、私はまったく他の女に心を移さなかったでしょう――

「いかでみづからきこえさせあきらめむ」
――何とかして、直々にお目にかかって申し開きをしたいものです――

 と、言って寄こしたのでした。

「故宮の御事聞きたるなめり、と思ふに、いとど、いかで人とひとしく、とのみ思ひあつかはる。あいなう大将殿の御さま容貌ぞ、恋しう面影に見ゆる」
――やはり、少将は八の宮の御事を耳にしたのであろうとおもうにつけ、前より一層、何とかして浮舟を姉君と同列にしてやりたいと、そればかり思案せずにはいられません。わけもなく薫大将のお姿や、お顔が恋しく目の前に浮かんでくるのでした――

◆3/1~6日までお休みします。では3/7に。

源氏物語を読んできて(1076)

2012年02月27日 | Weblog
2012. 2/27     1076

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(47)

「少将のあつかひを、守はまたなきものに思ひ急ぎて、もろ心に、様あしく、営まず、と怨ずるなりけり。いと心憂くこの人により、かかるまぎれどももあるぞかし、と、またなく思ふ方のことのかかれば、つらく心憂くて、をさをさ見入れず」
――(婿の)少将のお世話を、常陸の守はこれ以上のことはないものと、奔走していますのに、北の方の方は、見っともなくも自分と一緒になってお世話しないと恨んでいます。北の方としては、本当に厭な迷惑なこの少将が原因で、このようなごたごたが起ったのではないかと、自分の大切な浮舟のことの事情が事情なので、憂さも辛さもひとしおで、少将をろくろくもてなす気にもなりません――

 さらに、

「かの宮の御前にていと人げなく見えしに、多く思ひおとしてければ、わたくしものに思ひかしづかましを、など思ひしことは止みにたり。ここにてはいかが見ゆらむ、まだうちとけたるさま見ぬに、と思ひて、のどかに居給へる昼つ方、こなたに渡りて物よりのぞく」
――あの匂宮様の御前では、たいそうみすぼらしく見えましたので、すっかり蔑んで、前にこの少将を自分の秘蔵の婿にして、大切にお世話しようなどと思ったことは、とうに失せてしまっていました。一体この邸では、少将はどんなふうに見えるのだろうか。まだくつろいでいる姿を見ていないが、と思って、少将がのんびりとして居られる昼間、北の方はそちらへ出向いて物陰から覗いてみます――

「白き綾のなつかしげなるに、今様色のうち目などのきよらなるを着て、端の方に前栽見るとて居たるは、何処かはおとる、いときよげなめるは、と見ゆ」
――白い綾の、ほどよく着馴染んで柔らかくなった下着に、薄紅梅色の砧(きぬた)の打ち目も鮮やかなのを重ねて着て、庭の前栽を見ようとして縁先に座っている姿は、どこが劣るといえるか、こざっぱりとしてなかなか綺麗に見えます――

「女まだかたなりに、何心もなきさまにて添ひ臥したり。宮の上のならびておはせし御さまどもの思ひ出づれば、くちをしのさまどもや、と見ゆ。前なる御達に物など言ひたはぶれて、うちとけたるは、いと見しやうに、にほひなく人わろげにも見えぬを、かの宮なりしは、こと少将なりけり、と思ふ」
――娘の方はまだ成熟しておらぬ様に、無邪気に寄り添っています。やはり二条院で、匂宮と御方(中の君)が並んでおいでになったご様子を思い出しますと、まったく見栄えのしない一対にみえることよ。前にいる女房たちに、冗談などを言いかけてくつろいでいる様子は、先日の時ほど風情がなくぶざまにも見えないので、あの時の宮の前に居たのは別人だったのかと思っていますと…――

◆今様色(いまよういろ)=薄紅梅色

◆かたなり=片生り=身体の発育が充分でないこと。未熟なこと。

では2/29に。


源氏物語を読んできて(1075)

2012年02月25日 | Weblog
2012. 2/25     1075

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(46)

 北の方はつづけて、

「この御ゆかりは、心憂しと思ひきこえしあたりを、睦びきこゆるに、びんなきことも出で来なば、いと人わらへなるべし。あぢきなし。ことやうなりとも、ここを人にも知られず、忍びておはせよ。おのづからともかくも仕うまつりてむ」
――この御親戚(中の君方)は、かつては情ない恨めしいと思った所でしたが、あなたの事を思えばこそ、お近づき申しましたのに、今度のような事から思いがけない不都合なことにでもなりましたら、それこそ物笑いの種になりましょう。味気ないことです。ここは粗末な家ですが、誰にも知らせず、人目を避けていらっしゃい。そのうち何とかしますから――

 と言い置いて、自分は帰ろうとします。

「君はうち泣きて、世のあらむこと所せげなる身、と思ひ屈し給へるさま、いとあはれなり。親はたまして、あたらしく惜しければ、つつがなくて思ふごと見なさむ、と思ひ、さるかたはらいたきことにつけて、人にもあはあはしく思はれむが、安からぬなりけり」
――(浮舟は)涙を流して、生きているのも肩身の狭いわが身よ、と、萎れていらっしゃるご様子は、なんともあわれでいらっしゃる。母親の方はまして、無事にどこかに縁づけたいと思いますが、あのような事が起こるにつけても、軽々しい女のように噂されはすまいかと、しきりに心配なのでした――

「心地なくなどはあらぬ人の、なま腹立ちやすく、思ひのままにぞすこしありける。かの家にも隠らへてはすゑたりぬべけれど、しか隠ろへたらむをいとほしと思ひて、かくあつかふに、年ごろかたはら去らず、明け暮れ見ならひて、かたみに心細くわりなし、と思へり」
――(この母、北の方は)分別がない人ではないのですが、少々腹立ちやすく、我儘なところがありまして、浮舟を、あの常陸の守の邸の隠れたところに置いておけましたのに、それでは可哀そうだと、こんな風に取り計らったのでした。二人の親子は今まで片時も離れず朝夕暮らしていましただけに、こう別れて住んでみますと、お互いに心細く辛いのでした――

 北の方は、

「ここは、またかくあばれて、あやふげなる所なめり。さる心し給へ。曹司曹司にある者ども、召し出でて使ひ給へ。宿直人のことなど言ひおきて侍るも、いとうしろめたけれど、かしこに腹立ち恨みらるるが、いと苦しければ」
――この家はこのように手入れが不十分で不用心ですから、どうか気をつけてください。御用がありましたら、あちこちの局にいる侍女たちを呼んで使ってください。夜の番人のことも申しつけて置きましたが、とても気懸りでなりません。こうすることには私は気懸りでなりませんが、あちらの家を空けていては、何かと腹を立てられ、恨まれたりしますのが困りますので――

 と、泣き泣き帰って行ったのでした。

◆親はたまして=親・はた・まして

では2/27に。

源氏物語を読んできて(1074)

2012年02月23日 | Weblog
2012. 2/23     1074

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(45)
 
 北の方が、

「さらに御心をば隔てありても思ひきこえさせ侍らず。かたはらいたうゆるしなかりし筋は、何にかかけてもきこえさせ侍らむ。その方ならで、思ほし放つまじき綱も侍るをなむ、とらへ所に頼みきこえさする」
――あなたさまのお志に、分け隔てがおありになるとは、まったく思っておりません。故八の宮が浮舟をお子とお認め下さらなかったことは、今更何をわたしがとやかく申し上げましょう。それは別としまして、あなた様が私をお見棄てなさる筈のない身内の御縁を頼みに、御すがりしているのでございます――

 などと、くどくどと申し上げ、

「明日明後日かたき物忌に侍るを、おほぞうならぬ所にてすぐして、またも参らせ侍らむ」
――明日と明後日はきびしい物忌にあたりますから、しかるべき静かな所で過ごさせまして、いずれまた参上させましょう――

 と言って、浮舟を連れて帰ります。

「いとほしく本意なきわざかな、とおぼせど、えとどめ給はず。あさましうかたはなることにおどろき騒ぎたれば、をさをさ物もきこえで出でぬ」
――(中の君は)可哀そうに、不本意なこととお思いになりますが、強くは御引き留めになりません。北の方の方では、以外にも怪しからぬ事件が起こったと、あわてふためいていますので、ろくろくご挨拶もせずにお暇をします――

「かやうの方違へどころと思ひて、ちひさき家設けたりけり。三條わたりに、ざればみたるが、まだつくりさしたる所なれば、はかばかしきしつらひもせでなむありける」
――(北の方は)このような方違えの時の場所と思って、小さい家を用意してありました。三條のあたりに、ちょっと洒落てはいますが、まだ造りかけのところで、これという設備もしてありません――

 北の方は、

「あはれこの御身ひとつを、よろづに持てなやみきこゆるかな。心にかなはぬ世には、あり経まじきものにこそありけれ。みづからばかりは、ただひたぶるに、品々しからず人げなう、さる方にはひ籠りてすぐしつべし…」
――ああなんと、この方一人のために、なにかと苦労が絶えないことか。ままならぬ世の中には、長生きなどしたくないものです。私だけなら、ただ一途に、人並みにもてなされなくても、それはそれで、ひたすら世間の片隅に引き籠もっても暮らしましょうが…――

 と言って、さらに…

◆おほぞうならぬ所=(おほぞう=普通、通り一辺)=通り一辺でない特別な所

◆ざればみたる=戯ばみたる=ふざけた、洒落た

では2/25に。


源氏物語を読んできて(1073)

2012年02月21日 | Weblog
2012. 2/21     1073

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(44)

「乳母車乞いて、常陸殿へ往ぬ。北の方にかうかうといへば、胸つぶれ騒ぎて、人も怪しからぬ様に言ひ思ふらむ、正身もいかがおぼすべき、かかる筋の物にくみは貴人もなきものなり、と、おのが心ならひに、あわただしく思ひなりて、夕つ方参りぬ」
――乳母は、二条院のお車をお借りして、常陸の守の邸に行き、北の方にこうこうのことがありました、と話しますと、ひどく驚いてあわてて、あちらの女房たちも、さぞ怪しからぬことと思っていよう、中の君御自身もどうお思いでしょう、このような嫉妬は貴人も下々も変わりはないのだからと、自分のいつもの考えから推して、いたたまれぬ気持ちでそそくさと、夕方参上しました――

「宮おはしまさねば心安くて、『あやしく心幼げなる人を参らせ置きて、後やすくは頼みきこえさせながら、鼬の侍らむやうなる心地のし侍れば、よからぬものどもに、憎みうらみられ侍る』ときこゆ」
――匂宮がおいでにならなかったのでほっとして、中の君に、「どうかと思われるような、幼い娘をお預けして、これで安心と、ただひたすら頼み申し上げましたものの、鼬(いたち)のように落ち着かずにおりました。家におりましてもあの娘が心配で、出来の悪い他の子供たちには恨まれております」と申し上げます――

「『いとさ言ふばかりの幼さにはあらざめるを、うしろめたげにけしきばみたる御まかげこそ、わづらはしけれ』とて笑ひ給へるが、心はずかしげなる御まみを見るも、心の鬼にはづかしくぞ覚ゆる。いかに思すらむ、と思へば、えもうち出できこえず」
――(中の君が)「浮舟はあなたがおっしゃるほど幼げには見えません。御心配でしょうが、そのように不安そうに意味ありげなお疑いでは、お預かりした甲斐がありませんわ」と言ってお笑いになります。こちらが気後れするほどに澄んだ中の君の御目許を拝見するにつけても、北の方は気が咎めてなりません。昨夜のことを、どう思っていらっしゃるだろうかと思うと、ものも言い出せません――

「かくて侍ひ給はば、年ごろの願ひの満つ心地して、人の漏り聞き侍らむもめやすく、おもだたしきことになむ思ひ給ふるを、さすがにつつましきことになむ侍りける。深き山の本意は、みさをになむ侍るべきを」
――こうして浮舟があなた様にお仕えなさるならば、年来の願いが叶う心地がいたしまして、誰が聞き洩らしても恥かしいどころか、たいそう光栄なことと存じますが、やはり御遠慮申すべき事でございました。出家して山深く籠ろうとする初心は固く守って変わらぬ筈ですもの――

 と言いながら泣いているのも気の毒で、中の君は、

「ここには、何ごとかうしろめたく覚え給ふべき。とてもかくても、うとうとしく思ひ放ちきこえばこそあらめ、怪しからずだちてよからぬ人の、時々ものし給ふめれど、その心を皆人知りためれば、心づかひして、びんなうはもてなしきこえじ、と思ふを、いかにおしはかり給ふにか」
――ここに居て、何がそんなにご心配なのでしょう。あれこれと私が浮舟を疎々しくお構いもしないと言いますならとにかく、とんでもない心を起して困った人(匂宮)が、時折りお出でになりますが、その辺の事は誰もみな心得ておりますから、具合の悪いようにはおさせしますまいと思いますものを、どうしてまた、そのようにご心配なさるのですか――

 とおっしゃいます。

◆御まかげ=まかげ=鼬(いたち)が目の上に手をかざして逡巡、猜疑すること。

では2/23に。

源氏物語を読んできて(1072)

2012年02月19日 | Weblog
2012. 2/19     1072

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(43)

「額つきまみの薫りたる心地して、いとおほどかなるあてさは、ただそれとのみ思い出でらるれば、絵はことに目もとどめ給はで、いとあはれなる人の容貌かな、いかでかうしもありけるにかあらむ、故宮にいとよく似たてまつりたるなめりかし」
――(浮舟の)額のあたりや目もとがほんのり匂っているようで、たいそうおっとりとした高貴さは、大君にそっくりそのままに思い出されますので、中の君は絵の方はろくろく御覧にならず、まあ、なんとなつかしい顔かたちであろう、どうしてこうまで似たのかしら、故父宮にたいそうよく似ていらっしゃるようだこと――

 そして、

「故姫君は宮の御方ざまに、われは母上に似たてまつりたり、とこそは、古人ども言ふなりしか、げに似たる人はいみじきものなりけり、と、おぼしくらぶるに、涙ぐみて見給ふ」
――姉君は父宮似で、私は母上に似ていると、老女たちが言っていたようでしたが、たしかに似ているというのは、なつかしいものだこと、と、心の中で思い較べながら涙ぐんで見ておいでになります――

「かれは、限りなくあてにけだかきものから、なつかしうなよよかに、かたはなるまで、なよなよとたわみたくさまのし給へりしにこそ、これは、またもてなしのうひうひしげによろづの事をつつましうのみ思ひたるけにや、見どころ多かるなまめかしさぞおとりたる、ゆゑゆゑしきけはひだにもてつけたらば、大将の見給はむにも、さらにかたはなるまじ、など、このかみ心に思ひあつかはれ給ふ」
――亡き姉君は限りなく上品で気高くて、それでいて人なつかしく、優しくて、危ういほどになよやかでいらっしゃった。こちらの浮舟は、物腰もまだ初々しく、何につけても恥かしくばかりに思っているせいか、見た目では優雅さが劣っていますものの、せめて重々しい感じを添えたならば、薫大将がお逢いになっても、決して見ぐるしいことはありますまい、などと、中の君は姉君らしいお心で思案されるのでした――

 お二人はお話などなさって、明け方になってお寝みになりました。

「かたはらに臥せ給ひて、故宮の御ことども、年ごろおはせし御ありさまなど、まほならねど語り給ふ。いとゆかしう、見たてまつらずなりにけるを、いとくちをしう悲し、と思ひたり」
――中の君は、御自分の側に浮舟をお寝かしになって、故父宮の御事や、御在世中のご様子などを、思い出されるままにお話になります。浮舟は、ひとしお心惹かれてなつかしく、とうとうお目にかかれなかったことを口惜しくかなしく思うのでした――

「昨夜の心知りに人々は、『いかなりつらむかな。いとらうたげなる御さまを、いみじうおぼすとも、かひあるべきことかは。いとほし』と言へば、右近ぞ、『さもあらじ。かの御乳母の、引きすゑて、すずろに語り憂へしけしき、もて離れてぞ言ひし。宮も、逢ひても逢はぬやうなる心ばへにこそ、うちそぶき口ずさび給ひしか。いさや、ことさらにもやあらむ。そは知らずかし。昨夜の火影のいとおほどかなりしも、事あり顔には見え給はざりしを』など、うちささめきて、いとほしがる」
――昨夜の経緯をよく知って知る人々は、「どうだったのでしょうか。たいそう可愛いいお方ではありますが、上(中の君)が、いくら大事になさっても、宮様とああなってしまっては、その甲斐があるでしょうか。お気の毒に」と言うと、右近が『そんなこともなかったでしょう。あの方の乳母が、私をつかまえて、とりとめもなく愚痴をこぼした様子では、お二人は何の関係もないような口ぶりでしたよ。匂宮も、逢っても逢わなかったような気がする、という古歌を吟誦なさいましたよ。それはまあ、わざと反対のことを言われたのかも知れません。そこまでは分かりませんが、昨夜の灯影でお見受けしたお姿の、姫君(浮舟)の大そう落ちついておおようでいらっしゃったのは、事あり顔にはお見えになりませんでしたよ』などと、ひそひそ囁きあって気の毒がっています――

◆あてさ=貴さ=身分が高い、高貴

◆逢ひても逢はぬ=古歌「臥すほどもなくて明けぬる夏の夜は逢ひても逢はぬ心地こそすれ」

では2/21に。

源氏物語を読んできて(1071)

2012年02月17日 | Weblog
2012. 2/17     1071

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(42)

「われにもあらず、人の思ふらむこともはづかしけれど、いとやはらかにおほどき過ぎ給へる君にて、押し出でられて居給へり。額髪などの、いたう濡れたるをもて隠して、灯の方に背き給へるさま、上をたぐひなく見たてまつるに、け劣るとも見えず、あてにをかし」
――浮舟は正気もない風で、人の思惑も恥かしくてなりませんが、もともと優れて素直でおっとりした御気質の方ですので、押し出されるまま、中の君の御前にお座りになります。額髪などが涙でひどく濡れていらっしゃるのを、そっと隠して、灯火にお顔を背けていらっしゃるご様子を、侍女たちの、上(中の君)を比べる者もなく美しい御方とお見上げしている目にも、それに劣るとも見えず、上品であでやかな方だと思うのでした――

 そして、

「これにおぼしつきなば、めざましげなることはありなむかし、いとかからぬをだに、めづらしき人、をかしうし給ふ御心を、と二人ばかりぞ、御前にてえはぢあへ給はねば、見居たりける」
――(匂宮が)こんな美しい人に執心されたならば、きっと心外なことが起こるであろう。これほどのご器量でなくても、目新しい人を可愛がるお心癖なのですから、と、(心に思いながら)右近と少将の二人だけがお側に控えていて、中の君の御前に恥じ隠れもおできにならない浮舟を見ているのでした――

 中の君は、浮舟にやさしく話しかけられて、

「例ならずつつましき所など、な思ひなし給ひそ。故姫君のおはせずなりにし後、忘るる世なくいみじく、身もうらめしく、類なき心地してすぐすに、いとよく思ひよそへられ給ふ御さまを見れば、なぐさむ心地してあはれになむ。思ふ人もなき身に、昔の御志のやうに思ほさば、いとうれしくなむ」
――ここを普通と違う気詰まりな所だなどとお思いなさいますな。姉君が亡くなられてから後は、心の紛れることなく悲しく、残されたわが身も恨めしく、自分のような不幸な者は二人といない気がして歎き暮らしていましたのに、あなたが大そう姉君に似ていらっしゃるご様子を見ていますと、悲しさも慰められるような気がして嬉しゅうございます。私は頼る人とてない身ですから、あなたが亡き姉君のような優しいお気持で私を思ってくださるなら、どんなに嬉しいでしょう――

 などと、お話になりますが、浮舟は何とも極まり悪く、また田舎びた心ではお返事を上手にする術もなくて、

「年ごろいとはるかにのみ思ひきこえさせしに、かう見たてまつり侍るは、何ごともなぐさむ心地し侍りてなむ」
――長い年月、遠く離れて暮らしていまして、よそながらお慕い申しておりましたが、こうして親しくお目にかかれましたので、何もかも慰められる心地がいたしております――

 とだけ、まだ幼さの抜けきれない声で言うのでした。

「絵など取り出でさせて、右近に詞読ませて見給ふに、向かひて物はぢもえしあへ給はず、心に入れて見給へる火影、さらにここと見ゆる所なく、こまかにをかしげなり」
――(中の君の侍女に)物語絵など取り出させて、右近にことば書きを読ませられますと、さすがにさし向いでは、そうそうはにかんでも居られず、熱心に絵を御覧になっていらっしゃるお姿は、灯影に、まったくどこにも難点があるとも思われず、繊細でお美しい――

◆詞(ことば)読ませ=物語絵の文章の部分

◆源氏物語絵巻 東屋 1
匂宮に言い寄られて傷ついた浮舟に、中君は絵物語などを読ませて慰める。

では2/19に。


源氏物語を読んできて(1070)

2012年02月15日 | Weblog
2012. 2/15     1070

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(41)

 さらに、中の君はしみじみと、

「わが身のありさまは、飽かぬこと多かる心地すれど、かくものはかなき目も見つべかりける身の、さははふれずなりにけるにこそ、げにめやすきなりけれ、今はただこの憎き心添へる人の、なだらかにて思ひ離れなば、さらに何ごとも思ひ入れずなりなむ、とおもほす」
――私の身の上も不満なことも多いような気がしますが、運次第では浮舟同様、つまらない目にも逢う筈だった身が、そうは落ちぶれずにすんだことは、まことに幸運なことであった。今はただ薫大将が自分に寄せておいでの、困った恋心を穏やかに鎮めてくださるなら、もうほんとうに物思うこともなくなるであろうに、とお思いになるのでした――

「いと多かる御髪なれば、とみにもえ乾しやらず、起き居給へるも苦し。白き御衣一襲ばかりにておはする、細やかにてをかしげなり」
――(中の君は)たいそう御髪が多いので、すぐに乾かすことができず、起きていらっしゃるのもお辛そうです。白い御衣を一重ねだけお召しになっていらっしゃる御姿が、ほっそりとして美しい――

「この君はまことに心地あしくなりにたれど、『いとかたはらいたし。事しもあり顔におぼすらむを、ただおほどかにて見えたてまつり給へ。右近の君などには、事のありさまはじめより語り侍らむ』と、せめてそそのかし立てて、こなたの障子のもとにて、『右近の君に物きこえさせむ』と言へば」
――(こちらの浮舟は)ほんとうにご気分も冴えないでいらっしゃるので、乳母が、「それでは、まことに見苦しゅうございます。上様(中の君)には何かあったように思われましょう。ただ何気なくご対面なさいませ。右近の君には、はじめから事の次第をお話しましょう」と、無理におすすめして、まず自分がこちらの障子口で、「右近の君に申し上げたいことがございます」と言いますと――

「立ちて出でたれば、『いとあやしく侍りつる事の名残りに、身もあつうなり給ひて、まめやかに苦しげに見えさせ給ふを、いとほしく見侍る。御前にてなぐさめきこえさせ給へ、とてなむ。あやまちもおはせぬ身を、いとつつましげに思ほしわびためるも、いささかにても世を知り給へる人こそあれ、いかでかは、と、ことわりにいとほしく見たてまつる』とて、引き起こして参らせたてまつる」
――(右近の君が)立って出てきましたので、乳母が、「まことに妙な事が起こりましたせいで、姫君はお熱が出て、ほんとうに苦しそうで、おいたわしゅうございます。上様(中の君)からお慰め申していただきたいと存じまして。何の間違いもおありになりませんでしたのに、たいそう恥ずかしそうに滅入っておられますのも、少しでも男を知っておられる人ならともかく、そうではない方だけに、お悩みになるのも尤もなこととお気の毒で」と言ってから、伏せっておいでの浮舟を無理にも起されて、中の君の御前にお連れ申されます――

では2/17に。


源氏物語を読んできて(1069)

2012年02月13日 | Weblog
2012. 2/13     1069

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(40)

「上、いとほしく、うたて思ふらむ、とて、知らず顔にて、『大宮なやみ給ふとて参り給ひぬれば、今宵は出で給はじ。ゆするの名残りにや、心地もなやましくて、起き居侍るを、渡り給へ。つれづれにも思さるらむ』ときこえ給へり」
――中の君は、浮舟が可哀そうで、さぞかし不快なことであろうとお思いになって、このことを知らぬ風にして、浮舟に使いの者を出して「(匂宮は)明石中宮のご病気で参内なさったのですから、今夜はこちらへはお戻りになりますまい。私は洗髪をしましたせいか、気分も冴えなくてねられずにおります。こちらへいらっしゃい、あなたも退屈でいらっしゃるでしょう」とおっしゃいます――

「『みだり心地のいと苦しう侍るを、たまらひて』と、乳母してきこえ給ふ。『いかなる御心地ぞ』と、立ち返りとぶらひきこえ給へば、『何心地ともおぼえ侍らず、ただいと苦しくはべり』ときこえ給へば、少将右近、目まじろきをして、『かたはらぞいたくおぼすらむ』と言ふも、ただなるよりはいとほし」
――(浮舟が)「私も気分がすぐれませんで、たいそう悩ましゅうございますので、ぐずぐずしております」と乳母を代理にお返事させますと、「どんなご気分でしょう」と中の君から折り返しお訊ねになりますので、「どこがどう悪いということもございませんが、ただもう、何となく悩ましいのでございます」と申し上げます。少将と右近が目くばせして、「上(中の君)も、さぞかし、苦々しくお思いでしょうね」と声をひそめて言うのは、誰も知らないよりは却って浮舟にお気の毒なことです――

 中の君は、お心の中で、

「いと口をしう心ぐるしきわざかな、大将の心とどめたるさまにのたまふめりしを、いかにあはあはしく思ひおとさむ、かく乱りがはしくおはする人は、聞きにくく、実ならぬことをもくねり言ひ、またまことに少し思はずならむことも、さすがに見ゆるしつべうこそおはすめれ」
――本当に浮舟にはおいたわしいことになったものですこと。薫がお心にかけていらっしゃったようですのに、どんなにか軽はずみな女と、お蔑みになることでしょう。匂宮のように女にだらしのない方は、無実のことでも聞きづらく難癖をつけては恨み事を言い、それでも実際に少々不都合なことがあっても、見逃しておしまいになりますが――

「この君は、言はで憂しと思はむこと、いとはづかしげに心深きを、あいなく思ふこと添ひぬる人の上なめり、年ごろ見ず知らざりつる人の上なれど、心ばへ容貌をみれば、え思ひ放つまじう、らうたく心ぐるしきに、世の中はありがたくむつかしげなるものかな」
――薫というお方は、何ごとも表には出さず、お心深く悲しみ歎くという、ひどく気が退けるほどご立派で深みのあるご性分ですのに、困った事になってしまいました。この年月会った事もない妹ではありますが、気立ても器量も可愛らしくいじらしいので、とても見棄てられそうになく、なんと世の中はままならぬ煩わしいことでしょう――

◆ゆするの名残りにや=ゆする(泔る=髪を洗うこと)そのせいか。
 ■泔る=強飯(こわめし)を蒸した後の湯で、洗髪に使った。
 ■泔坏(ゆするつき)=鬢盥(びんだらい)、髪を洗う器。昔は土器、この頃は漆器や銀器。

◆目まじろきをして=目瞬ぐ=まばたきをする。

◆あはあはしく思ひおとさむ=淡淡しく思い落す=軽薄なものと蔑む

◆くねり言ひ=ひがむ。すねる。

では2/15に。

源氏物語を読んできて(1068)

2012年02月11日 | Weblog
2012. 2/11     1068

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(39)

「君は、ただ今はともかくも思ひめぐらされず、ただいみじくはしたなく、見知らぬ目を見つるに添へても、いかにおぼすらむ、と思ふに、わびしければ、うつぶし伏して泣き給ふ」
――浮舟は、今はただもう、何も考えることができず、この上なく恥かしく、今まで味わったことのない目にあった上に、姉君がどうお思いになっていらっしゃるかと、それが切なくて、うつ伏して泣いておいでになります――

 乳母は、浮舟をおいたわしいと思いつつも、慰めかねて、

「何かかくおぼす。母おはせぬ人こそ、たづきなう悲しかるべけれ。よそのおぼえは、父なき人はいとくちをしけれど、さがなき継母に憎まれむよりは、これはいと安し。ともかくもしたてまつり給ひてむ。なおぼし屈ぜぞ」
――なぜそのようにお嘆きになります。母親のない身の上の人こそ、この上なく頼りなくて悲しいことでしょう。世間では父親のない人を侮りますが、なまじ父親がいても、意地の悪い継母に憎まれるよりは、あなたの場合はずっと安心でしょう。どのようにしてでも、母君はあなたをお守りしてくださるでしょう。あまりくよくよなさいますな――

 さらに、つづけて、

「さりとも初瀬の観音おはしませば、あはれと思ひきこえ給ふらむ。ならはぬ御身に、度々しきりて詣で給ふことは、人のかくあなづりざまにのみ思ひきこえたるを、かくもありけり、と思ふばかりの御幸ひおはしませ、とこそ念じ奉れ。あが君は人笑はれにてはやみ給ふなむや」
――いくら何でも、初瀬の観音様がついていてくださるのですから、きっと、あわれと思ってくださるでしょう。旅馴れぬ御身で度々御参詣になりましたのを、ともすれば、人は軽々しく思っているでしょうが、行く末、こうもあったのだと人が思うほどのご幸福に恵まれますようにと、念じてのことでございます。どうしてお嬢様が、物笑いのままでこの世を終えられるようなことがありましょうか――

 と、世の中のことを、安心のゆくようにお話してお聞かせになるのでした。

「宮はいそぎて出で給ふなり。内裏近き方にやあらむ、こなたの御門より出で給へば、物のたまふ御声もきこゆ。いとあてに限りもなくきこえて、心ばへある故言などうち誦し給ひて過ぎ給ふ程、すずろにわづらはしく覚ゆ。うつし馬ども引き出して、宿直にさぶらふ人、十人ばかりして参り給ふ」
――匂宮は急いで御所に参内されます。御所へはこちらからの方が近いのでしょうか、浮舟のお住いに近い西の御門からお出ましのようで、何かおっしゃるお声もきこえます。大そう上品に、この上もなく良いお声で、趣きのある古歌などを口づさみつつお通り過ぎになられるのですが、浮舟には何となく厭わしい気持ちがするのでした。乗り換えの馬など引き出して、御所の宿直に控えている人々を十人ばかり連れてお出かけになります――

◆なおぼし屈ぜぞ=な・思し・屈せ・ぞ=決して・くよくよ・しなさるな

◆すずろにわづらはしく=すずろに(何となく)わづらわし(煩わし=厭わしい、いやらしい)

では2/13に。