永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(146)

2008年08月31日 | Weblog
8/31  

【絵合(えあわせ)の巻】  その(3)

 冷泉帝は、ご立派な方が入内なさるとお聞きになっておられましたので、大層愛らしいお心づかいをなさっておられます。お歳よりは大人びておられます。

御母の藤壺の宮は、
「かくはづかしき人参り給ふを、御心づかひして、見え奉らせ給へと聞え給ひけり。」
――これほど気の置ける立派な方が入内されるのですから、よくご注意されてお会いなさいませ、と申し上げます――

 帝は、内心、お相手が大人では気詰まりではなかろうかと思っておいでになりましが、
夜が更けて参内なさったのをご覧になりますと、前斎宮はたいそう慎み深くおっとりしていらっしゃりながら、小柄でか細いご様子にお見えになりますので、美しいひととお思いになりました。

 帝は、すでに入内されておりました弘徴殿(権中納言の姫君)とは、仲睦まじく慣れ親しんでおいでになるものの、前斎宮はこちらが気後れするほどにご立派なうえに、源氏のお扱いが丁重なので、おろそかにしてはならないと思し召して、御寝の伺候などは、
弘徴殿女御も斎宮女御も同様になさいます。

「うちとけたる御童遊びに、昼など渡らせ給ふことは、あながちにおはします。権中納言は、思ふ心ありて聞え給ひけるに、かく参り給ひて、御むすめにきしろふさまにて侍ひ給ふを、かたがたに安からず思すべし」
――打ち解けた子供同志の遊び相手に、昼にお出向きなさるのは、弘徴殿女御のほうが多くていらっしゃいます。権中納言は、将来はわが娘を中宮にと考えて入内させましたものを、こうして前斎宮が入内されて、競う形で奉仕なさるのを、何かにつけて不安に思われるようでございます。――

 朱雀院は、
「かの櫛の箱の御返りご覧ぜしにつけても、御心離れ難かりけり」
――あの入内の日の、櫛の箱へのご返事をご覧になりますにつけても、前斎宮を恋しく、
お忘れになりにくいのでした――

◆写真 ムラサキシキブ
ミムラサキとも。落葉低木。
北海道から九州、東アジアの山野にはえる。

ではまた。


源氏物語を読んできて(源氏物語絵巻・絵師たち)

2008年08月31日 | Weblog
源氏物語絵巻・4グループの絵師たち
 
 現存する19の絵を描いた絵師は、その個性から4グループに分けられるという。
①「柏木」「横笛」「鈴虫」「夕霧」「御法」グループ=計算し尽くした構図、繊細な線が特徴。引目鈎鼻(ひきめかぎばな)が描かれている。

②「蓬生」「関屋」グループ=自然描写が豊かで、おおらかな画風が特徴。

③「宿木」「東屋」「早蕨」グループ=物語の情景を明快に表す構図と、華やかな色彩が特徴。

④「竹河」「橋姫」グループ=女性たちの描写に現れる。柔らかな曲線で可憐に描かれる。

いずれも、リーダーの指示に従って絵を仕上げていたと思われる。

●一つの作品を手分けして描く方法は、現代の漫画工房のあり方と似ている。絵巻の紙上に文字が見え、「にわ(庭)」「せさい(前栽)」「つまど(妻戸)」などと指示があり、得意分野があって分担作業だった。女性の目線で描かれたと思われる「竹河一」から、女性の絵師もいたと思われる。

◆写真 ある漫画工房

源氏物語を読んできて(源氏秘義抄)

2008年08月31日 | Weblog
◆写真 源氏秘義抄(げんじひぎしょう)宮内庁書陵部蔵
 
 この中に、平安時代に実在した、ある「源氏物語絵巻」についての記述がる。
「かつて二十巻の源氏物語絵巻があった。絵を描いたのは、紀の局、長門の局らである……」と読める。「局」というのは宮中に仕えた女房、つまり女性である。
 しかしながら両者を結びつける証拠はない。

参考:NHK出版

源氏物語を読んできて(145)

2008年08月30日 | Weblog
8/30  

【絵合(えあわせ)の巻】  その(2)

 源氏はまた、その他のお文などもありはしないかとお尋ねになりますが、女別当は計らいかねて、お見せになりません。
院へのお返し(返歌)を源氏は前斎宮に催促されますので、

「前斎宮は、いとはづかしけれど、いにしへ思し出づるに、いとなまめき清らにて、いみじう泣き給ひし御様を、そこはかとなくあはれと見奉り給ひし御幼心も、ただ今の事と覚ゆるに、……」
――前斎宮は恥ずかしくお思いになりますが、伊勢下向の当時を思い出され、朱雀院のおやさしく、お美しいご様子で、伊勢への別れを悲しまれてお泣きになりましたのを、しみじみと身にしみて拝見した幼心も、ついほんの少し前のように思われ、(また御母の御息所のことなどつられて思い出され、このようにお書きになりました。)――

「わかるとて遙かにいひしひとこともかへりてものは今ぞかなしき」
――お別れのとき、再び京にお帰りなさるなと仰せられた一言が、帰京しました今、このようなお手紙をいただくにつけ、かえって悲しく思われます――

「院の御有様は、女にて見奉らまほしきを、この御けはひも似げなからず、いとよき御あはひなめるを、内裏はまだいといはけなくおはしますめるに、かく弾き違へ聞ゆるを、人知れず、ものしとや思すらむなど、にくき事をさへ思しやりて、胸づぶれ給へど、……」
――朱雀院のご様子は、女にしてお見上げしたいほどお美しく、前斎宮も相応しくお似合いでいらっしゃいますのに、冷泉帝はまだほんの幼くていらっしゃいます。こうして院のご希望に、人知れず背いて進めてきましたことを、院はさぞお心では不愉快にお思いでありましょうと、源氏はさしすぎたことまで気をまわして、胸のつぶれるほど心が痛みますが、(今日になってお取り止めになるべきことでもないので、入内の御儀式の万事をお指図なさった上で参内なさいました)――

 源氏は、れっきとした親代わりとはお思い頂かぬようにと、院に気兼ねをされて、ご機嫌伺いのようにお振る舞いになります。

◆写真 (思い出)伊勢下向の時の、斎宮との「別れの櫛の儀」。
     当時、斎宮は14歳。
 



源氏物語を読んできて(源氏物語絵巻・紙作り3)

2008年08月30日 | Weblog
源氏物語絵巻・紙作り(3)

「国宝・源氏物語絵巻」の紙質は、表面はなめらかで、繊維が隙間なくぎっしりつまっていて、繊細な線を自在に描ける。
楮をそのまま使って漉いた紙は、繊維が長すぎて(1センチを越える)隙間が多く、絵巻の紙に近づけるためには、なんらかの加工を加えなければならないことが分かった。

通常の方法で楮を漉いた紙を、機械で刻み、切断して水を含ませ、木槌でたたきつぶし、再び水に溶かし、もう一度漉く。さらに漉き返した紙を砧(きぬた)でたたく「打ち紙」をおこなう。……その紙を御影石の上に置き、丸い御影石を左右に往復させて磨く。少しずつ、少しずつ表面が光沢を帯びて、滑らかさが増してくる。
出来上がった和紙は、細い筆で線を引いても、ほとんどにじまない。

 平安時代の人々の、紙に対するこだわりの高さがうかがえる。このような紙を機械を使わず、いったい何日かけて作ったのだろうか。そして、この紙を手渡された絵師たちの緊張はどれほどであったろうか。

◆写真:打ち紙を御影石に置き、丸みのある御影石で磨く
 参考:NHK出版

源氏物語を読んできて(144)

2008年08月29日 | Weblog
8/29  

【絵合(えあわせ)の巻】  その(1)

 源氏    (内大臣、大殿)  31歳
 斎宮女御  (前斎宮、梅壺の御方、宮、六條御息所の御娘) 22歳
 朱雀院   (母違いの源氏の兄君、冷泉帝に譲位)33歳~34歳
 冷泉帝   (藤壺と源氏の密事の御子、本人は知らない)13歳
 弘徴殿女御 (権中納言の姫君、先に入内) 13歳
 
(この巻の絵合わせは、960年をモデルにしたのでは?と言われています)

 前斎宮のご入内の事を、藤壺の中宮が熱心に催促されます。源氏は朱雀院がお聞きになってはとご遠慮されて、結局二條の院には前斎宮をお連れしませんでした。けれども親代わりの一般のご用意をされます。

「院はいと口惜しく思し召せど、人わろければ、御消息など絶えにたるを、その日になりて、……心ことに整へさせ給へり。大臣見給ひもせむにとかねてよりや思し設けけむ、いとわざとがましかめり」
――朱雀院は前斎宮を御自分のほうに得られないことを、口惜しく思っておられますが、人聞きが悪いので、お文などもご遠慮されておりましたが、ご入内(ごじゅだい)のその日になって(素晴らしいご装束なども、御櫛の箱、うちみだりの箱、香壺の箱ども、世に二つと無いものばかり、また、幾種類もの御薫物、薫衣香(くのえこう)など、心を込めてお整えなさいます。これは源氏もご覧になろうからと、予定されてか、実にことさらめいたご様子でした――

 丁度源氏も来合わせて居られるときでしたので、女別当がご覧にいれます。櫛の箱の片端に、朱雀院の御文、

「わかれぢに添へしをぐしをかごとにてはるけき中と神やいさめし」
――伊勢下向の際、再び帰るなと別れの小櫛を差し上げましたが、あれを口実にして、あなたと私との間はご縁のないものと神はお定めになったのでしょうか――

 源氏は、御自分の無理な恋に突き進むご性分から、身につまされて、朱雀院に申し訳なく思うのでした。伊勢に下る時の斎宮を、朱雀院が密かに愛しておられたことを知りながら、どうしてこのような無謀なことをして、院をお苦しませ申すのか。かつての退居のときはお恨み申したこともあるものの、また懐かしく、情け深いご気性の院であられるものよ、と思い乱れてご覧になっておられます。

◆伊勢の斎宮に下るとき、再び帰るな=在世期間中、帝の代理として伊勢に仕えるので、帝の在世が長からんことを願って、こう言う。

◆写真:打乱筥(うちみだりのはこ)=木製で作られた理髪具を入れる筥。蓋裏は蒔絵、内側は錦を貼る。風俗博物館より


源氏物語を読んできて(源氏物語絵巻・紙作り・2)

2008年08月29日 | Weblog
源氏物語絵巻・紙作り(2)

 復元プロジェクトの模写に際しても、全く同じく良質の紙を見つけることから始まった。
研究グループが、初めてハイビジョン顕微鏡カメラでとらえた、剥がれた絵の具の隙間から、平安時代の紙の繊維が見えた。900年前のものとは思えない、艶やかな輝きを保っている。(前述)
 
 繊維の太さや形などから、紙の原料は「楮(こうぞ)」と考えられた。

 楮はクワ科の落葉低木で、繊維作物として各地で栽培されている。この木の樹皮が和紙の原料となる。

 復元模写の紙作りを任されたのは、京都の岡墨光堂社長・岡岩太郎氏で、紙の材質について詳しい方である。

 現在、われわれの周りにあふれている紙は、繊維加工の工程で化学薬品を使ってつくられているものが多く、900年もの年月に絶えることはできない。岡氏の研究室で、
「国宝・源氏物語絵巻」の紙の質に近づける研究が進められた。

◆写真 楮(こうぞ)の木
◆参考 NHK出版

源氏物語を読んできて(絵巻の詞書き)

2008年08月29日 | Weblog
◆写真 コンピューター・グラフィックで復元された「源氏物語絵巻」の詞書き。

 さまざまな意匠を凝らした料紙が用いられている。料紙の装飾は一枚一枚異なり、それ自体が芸術品といえる。(料紙=紙に装飾を加えたもの。)

◆参考 NHK出版

源氏物語を読んできて(143)

2008年08月28日 | Weblog
8/28  

【関屋(せきや】の巻  その(4)

空蝉は、
「……今はましていとはづかしう、よろずの事うひうひしき心地すれど、めづらしきにや、え忍ばれざりけむ」
――(昔でも辛く思っておりましたが)、まして今は、歳もとってはづかしく、何につけても気後れがしますが、久々にいただいたお文の珍しさに、やはりご返事をせずにはいられないようでした。

空蝉の返しのうた
「あふさかの関やいかなるせきなれば繁きなげきの中をわくらむ」
――逢坂の関とはいっても、わたしたちは再会しながら、どうして嘆きを重ねるのでしょう――

 源氏は空蝉のあわれ深さも、情の剛さも、お心に残っている女君なので、時々お文を
渡されて、心を動かそうとなさるのでした。

 こうしている間に、この常陸介は年老いて病気がちになり、行く末を案じて子ども達に、空蝉のことを、
「よろづの事、ただこの御心にのみ任せて、ありつる世にかはらで仕うまつれ」
――何事につけても、ただこの方のお心のままにして上げて、私が世にあった時と変わらずにお仕えするようにせよ――

 こうして、常陸守は亡くなりました。当分の間は子供たちも父上の遺言に添うような情もみせていましたが、継母(空蝉は常陸介の後妻)なので、実際はつらい仕打ちがあるようでした。これも世の常のことながら、空蝉は嘆き暮らしております。

 ただ、この河内守だけは、昔から継母の空蝉に好き心があって、
「あはれに宣ひおきし、かずならずとも、思し疎まで宣はせよ、など追従しよりて……」
――父上が懇ろに遺言されましたので、お役に立たぬ私でも、よそよそしくなさらずに、
何事もご用をお言いつけください、などと、機嫌をとるように近づいてきて、(道ならぬ心が見えますので、生きながらえての果ての果てに、このようなあるまじき情けないことを聞くものよ、と、人知れず心を決めて)――

「人にさなむ、とも知らせで、尼になりにけり。」
――誰にも知らさず、尼になってしまいました――

 仕えていた女房たちは嘆き、河内介は、私をお嫌いになってのことであろうが、この先どうなさるおつもりか、などと言っておりました。
又世間では、つまらぬ貞女ぶりよ、と噂するものもあったとか。

◆写真 追分けのにぎわい

関屋の巻  おわり。

ではまた。

源氏物語を読んできて(源氏物語絵巻・紙作り・1)

2008年08月28日 | Weblog
源氏物語絵巻・紙作り(1)

「国宝・源氏物語絵巻」は、いつ、だれが、何のために作ったのか。その記録は残っていない。宮内庁が保存している『長秋記(ちょうしゅうき)』に平安時代、『源氏物語』を題材に絵巻が作られていた事実を示す記録があるという。

『長秋記』は、平安時代の後期、宮廷の権力者たちに仕えた、源師時(みなもとのもろとき)の日記である。

 それによると、1119年11月27日、師時は中宮に呼ばれて参内した。この中宮は
鳥羽天皇の后、待賢門院璋子(たいけんもんいんしょうし)である。
このとき中宮は18歳であったが、後に崇徳天皇となる子を出産し、宮廷内の権力基盤を揺るぎないものとしていた。

 その中宮から、この日、師時に一つの下命があった。
「中宮の御方はこうおっしゃった。中将の君をもって、源氏絵間紙を調達すべし……」
(『長秋記』)

 「源氏絵間紙」というのが、具体的にどんな紙だったのかは、はっきりしない。しかし宮廷の最高権力者たちが『源氏物語』の絵巻を作ろうとしていたことは間違いない。
彼はすぐに取りかかったと思われる。まず、しなければならなかったこと、それは、質の良い「紙」を十分に揃えることであった。

◆参考 NHK出版
◆写真 『長秋記』 源師時が、1111年~36年にかけて書いた日記