蜻蛉日記 上巻 (55)(56) 2015.7.26
「九月になりて、『世の中をかしからん。ものへ詣でせばや。かうものはかなき身のうへも申さん』などさだめて、いとしのびある所にものしたり。一挟みの御幣にかう書きつけたりけり。
まづ下の御社に、
<いちしるき山口ならばここながら神のけしきを見せよとぞおもふ>
中のに、
<稲荷山おほくの年ぞ越えにける祈るしるしの杉をたのみて>
はてのに、
<神がみと上り下りはわぶれどもまださかゆかぬここちこそすれ>
◆◆九月になって、世の中の景色はさぞかし素晴らしいことでしょう、物詣ででもしたいもの。このような心細い身の上を神に申し上げよう」と決めて、ごく内密にして稲荷山に参詣しました。一串の幣帛(へいはく)に、このように書いて結び付けました。まず下の社に、
(道綱母の歌)「霊験あらたかな山の入口であるならば、この下社でさっそく霊験を示して頂きたいと思います」
中の社に、
(道綱母の歌)「長年、稲荷山の、しるしの杉に、頼みをかけて祈ってきたのです」
そして、最後の上の社に、
(道綱母の歌)「上中下の神々に、次々お参りするために、上り下りの坂道はつらく感じられましたが、まだ霊験を頂いた気がいたしません」◆◆
「また、おなじつごもりに、ある所に、おなじやうにて詣でけり。二挟みづつ、下のに、
<神やせくしもにやみくづつもるらん思ふこころのゆかぬ御手洗>
また、
<榊葉のときはかきはにゆふしでや片苦しなるめな見せそ神>
また、上のに、
<いつしかもいつしかもとぞ待ちわたる森の木間より光みむまを>
また、
<木綿だすきむすぼほれつつ嘆くこと絶えなば神のしるしとおもはん>
などなん、神の聞かぬところに、聞こえごちける。秋はてて、冬はついたちつごもりとて、あしきもよきもさわぐめるものなれば、ひとり寝のやうにて過ぐしつ。」
◆◆また、同じ九月の月末に、ある所に前と同じように参詣しました。二串づつ、下の御社に、
(道綱母の歌)「御手洗川(みたらしがわ)の流れが滞るように、私の願いが叶わぬのは、神様が遮っているのでしょうか。それとも私の心が拙いからでしょうか」
また、
(道綱母の歌)「常緑の榊葉に木綿しでを固く結んで、一生懸命お祈り申し上げます。どうか私だけには辛い思いをさせないでください」
また上の社に、
(道綱母の歌)「森の木の間から、神さまの御光の出現を、早く早くと待ち続けております」
また、
(道綱母の歌)「心が結ぼれ、うつうつと嘆く私の物思いがなくなりましたら、神様にお祈りした験があったと思いましょう」
などと、神さまのお耳に入らぬ所で申し上げました。
秋が過ぎ、冬の上旬、下旬だと言って、貴賎上下の別なく、だれもかれも忙しがっているようなので、あの人も来ず、私は一人寝のような有様で過ごしたのでした。◆◆
■ある所=稲荷神社をさす。京都市伏見区。福徳を授け給う神として世人の信仰が厚い。もと稲荷三箇峯といって、上中下の峰にそれぞれ三柱の神が祭られてあった。
■一挟みの御幣(ひとはさみのみてぐら)=串にさして神前に供える幣の意に用いることが多い。
古くは、神に奉る物の総称。絹布、木綿(ゆう)、麻が多いが、後には紙、布で作り、串にさした。
■しるしの杉=稲荷社の杉を引いて自邸に植え、その栄枯で吉凶を占う風習。
■木綿(ゆう)=楮(こうぞ)のあま皮の繊維をよった糸で幣にして垂らしたもの。
作者は兼家の愛情を得たい、子宝に恵まれるようにと常に願っていた。
「九月になりて、『世の中をかしからん。ものへ詣でせばや。かうものはかなき身のうへも申さん』などさだめて、いとしのびある所にものしたり。一挟みの御幣にかう書きつけたりけり。
まづ下の御社に、
<いちしるき山口ならばここながら神のけしきを見せよとぞおもふ>
中のに、
<稲荷山おほくの年ぞ越えにける祈るしるしの杉をたのみて>
はてのに、
<神がみと上り下りはわぶれどもまださかゆかぬここちこそすれ>
◆◆九月になって、世の中の景色はさぞかし素晴らしいことでしょう、物詣ででもしたいもの。このような心細い身の上を神に申し上げよう」と決めて、ごく内密にして稲荷山に参詣しました。一串の幣帛(へいはく)に、このように書いて結び付けました。まず下の社に、
(道綱母の歌)「霊験あらたかな山の入口であるならば、この下社でさっそく霊験を示して頂きたいと思います」
中の社に、
(道綱母の歌)「長年、稲荷山の、しるしの杉に、頼みをかけて祈ってきたのです」
そして、最後の上の社に、
(道綱母の歌)「上中下の神々に、次々お参りするために、上り下りの坂道はつらく感じられましたが、まだ霊験を頂いた気がいたしません」◆◆
「また、おなじつごもりに、ある所に、おなじやうにて詣でけり。二挟みづつ、下のに、
<神やせくしもにやみくづつもるらん思ふこころのゆかぬ御手洗>
また、
<榊葉のときはかきはにゆふしでや片苦しなるめな見せそ神>
また、上のに、
<いつしかもいつしかもとぞ待ちわたる森の木間より光みむまを>
また、
<木綿だすきむすぼほれつつ嘆くこと絶えなば神のしるしとおもはん>
などなん、神の聞かぬところに、聞こえごちける。秋はてて、冬はついたちつごもりとて、あしきもよきもさわぐめるものなれば、ひとり寝のやうにて過ぐしつ。」
◆◆また、同じ九月の月末に、ある所に前と同じように参詣しました。二串づつ、下の御社に、
(道綱母の歌)「御手洗川(みたらしがわ)の流れが滞るように、私の願いが叶わぬのは、神様が遮っているのでしょうか。それとも私の心が拙いからでしょうか」
また、
(道綱母の歌)「常緑の榊葉に木綿しでを固く結んで、一生懸命お祈り申し上げます。どうか私だけには辛い思いをさせないでください」
また上の社に、
(道綱母の歌)「森の木の間から、神さまの御光の出現を、早く早くと待ち続けております」
また、
(道綱母の歌)「心が結ぼれ、うつうつと嘆く私の物思いがなくなりましたら、神様にお祈りした験があったと思いましょう」
などと、神さまのお耳に入らぬ所で申し上げました。
秋が過ぎ、冬の上旬、下旬だと言って、貴賎上下の別なく、だれもかれも忙しがっているようなので、あの人も来ず、私は一人寝のような有様で過ごしたのでした。◆◆
■ある所=稲荷神社をさす。京都市伏見区。福徳を授け給う神として世人の信仰が厚い。もと稲荷三箇峯といって、上中下の峰にそれぞれ三柱の神が祭られてあった。
■一挟みの御幣(ひとはさみのみてぐら)=串にさして神前に供える幣の意に用いることが多い。
古くは、神に奉る物の総称。絹布、木綿(ゆう)、麻が多いが、後には紙、布で作り、串にさした。
■しるしの杉=稲荷社の杉を引いて自邸に植え、その栄枯で吉凶を占う風習。
■木綿(ゆう)=楮(こうぞ)のあま皮の繊維をよった糸で幣にして垂らしたもの。
作者は兼家の愛情を得たい、子宝に恵まれるようにと常に願っていた。