2013. 2/27 122Ⅰ
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その13
浮舟はさらに思い出すことは、
「いときよげなる男の寄り来て、『いざ給へ、おのが許へ』と言ひて、抱く心地のせしを、宮と聞えし人のし給ふ、と覚えし程より、心地惑ひけるなめり、知らぬ所にすゑ置きて、この男は消え失せぬ、と見しを、つひにかく本意のこともせずなりぬる、と思ひつつ、いみじう泣く、と思ひし程に、その後のことは、絶えて、いかにもいかにも覚えず、人の言ふを聞けば、」
――たいそう綺麗な男が寄って来て、「さあいらっしゃい、わたしのところへ」と言って、抱かれた心地がして、それが匂宮と申し上げた方がなさるのだと思った、その時から正気が無くなってしまったらしい…。その男はわたしを見知らぬ所に置いたまま消えてしまったようで、結局こうして決心したことも果たせずの終わってしまったと思い、ひどく泣いたことは覚えているが、その後のことは全く何も覚えていない。人の話を聞きますと――
「多くの日ごろも経にけり、いかに憂きさまを、知らぬ人にあつかはれ見えつらむ、と、はづかしう、つひにかくて生き返へりぬるか、と思ふもくちをしければ、いみじう覚えて、なかなか、しづみ給へつる日ごろは、現心もなきさまにて、ものいささかまゐる折もありつるを、つゆばかりの湯をだにまゐらず」
――(人の話では)あれからずいぶん日数も経ってしまったようだ。意識を失ってしまっている間に、どんなに厭な姿を、知らない他人から介抱されたり、見られたりしたことだろう。と思うとひどく辛い気がして、また、ついにこうして生き返ったのかと思うのも口惜しく、ただただ悲しく打ちひしがれて、かえって気を失っていた頃には、それなりに少しは食物(あがりもの)なども口にされましたのに、今ではほんの少しの薬湯も召しあがりません――
「『いかなれば、かくたのもしげなくのみはおはするぞ。うちはへぬるみなどし給へることは醒め給ひて、さわやかに見え給へば、うれしく思ひきこゆるを』と、泣く泣く、たゆむ折なく添ひ居てあつかひきこえ給ふ」
――(尼君は)「どうして、こう心細げなご様子なのでしょう。引き続き高かった熱などは下がられて、さっぱりなさったようですので、うれしく思っていますのに」と泣きながらも、怠るときなく付き添って介抱されます――
「ある人々も、あたらしき御さま容貌を見れば、心をつくしてぞ惜しみまもりける。心には、なほいかで死なむ、とぞ思ひわたり給へど、さばかりにて生き留まりたる人の命なれば、いと執念くて、やうやう頭もたげ給へば、ものまゐりなどし給ふにぞ、なかなか面痩せもていく」
――側にいる女房達も、惜しいほど美しい浮舟のご容姿を見ては、まごころを込めて大事に看病するのでした。浮舟の気持ちとしては、やはり何とかして死にたいと思いつづけておられますが、あれほどの重態で取りとめた程の命だけに、たいそう粘り強くて、しだいに頭をもたげる程に良くなられたので、物なども召しあがるようになりましたが、物思いはとめどもなく、却って面やつれが目立ってくるのでした――
「いつしかとうれしう思ひきこゆるに、『尼になし給ひてよ。さてのみなむ生くやうもあるべき』とのたまへば、『いとほしげなる御さまを、いかでかさはなしたてまつらむ』とて、ただ頂きばかりをそぎ、五戒ばかりを受けさせたてまつる。心もとなけれど、もとよりおれおれしき人の心にて、えさかしく強ひてものたまはず。僧都は、『今はかばかりにて、いたはりやめたてまつり給へ』と言ひ置きて、のぼり給ひぬ」
――(尼君は)早く快くおなりになるようにと楽しみにしていますのに、浮舟は「尼にしてくださいませ。生きていくにはそれより他に道はないのです」とおっしゃるので、尼君は「あなたのようなおいたわしい方を、どうして尼などになどおさせ申せましょう」と言って、頂(いただき)のお髪を少しばかり削いで、五戒だけをお授けになります。それだけでは、浮舟は何とも物足りないご様子ではありますが、もとよりたおたおとした気質ですので、偉そうにそれ以上はおっしゃらない。僧都は、「今のところ、この程度の作法にして、もっぱら病気を治すようにしてあげてください」と言い置いて、山へお上りになりました――
◆五戒(ごかい)=仏教で、「殺生、偸盗、邪婬、妄語、飲酒の5つの戒め
◆2/28~3/4までお休みします。では3/5に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その13
浮舟はさらに思い出すことは、
「いときよげなる男の寄り来て、『いざ給へ、おのが許へ』と言ひて、抱く心地のせしを、宮と聞えし人のし給ふ、と覚えし程より、心地惑ひけるなめり、知らぬ所にすゑ置きて、この男は消え失せぬ、と見しを、つひにかく本意のこともせずなりぬる、と思ひつつ、いみじう泣く、と思ひし程に、その後のことは、絶えて、いかにもいかにも覚えず、人の言ふを聞けば、」
――たいそう綺麗な男が寄って来て、「さあいらっしゃい、わたしのところへ」と言って、抱かれた心地がして、それが匂宮と申し上げた方がなさるのだと思った、その時から正気が無くなってしまったらしい…。その男はわたしを見知らぬ所に置いたまま消えてしまったようで、結局こうして決心したことも果たせずの終わってしまったと思い、ひどく泣いたことは覚えているが、その後のことは全く何も覚えていない。人の話を聞きますと――
「多くの日ごろも経にけり、いかに憂きさまを、知らぬ人にあつかはれ見えつらむ、と、はづかしう、つひにかくて生き返へりぬるか、と思ふもくちをしければ、いみじう覚えて、なかなか、しづみ給へつる日ごろは、現心もなきさまにて、ものいささかまゐる折もありつるを、つゆばかりの湯をだにまゐらず」
――(人の話では)あれからずいぶん日数も経ってしまったようだ。意識を失ってしまっている間に、どんなに厭な姿を、知らない他人から介抱されたり、見られたりしたことだろう。と思うとひどく辛い気がして、また、ついにこうして生き返ったのかと思うのも口惜しく、ただただ悲しく打ちひしがれて、かえって気を失っていた頃には、それなりに少しは食物(あがりもの)なども口にされましたのに、今ではほんの少しの薬湯も召しあがりません――
「『いかなれば、かくたのもしげなくのみはおはするぞ。うちはへぬるみなどし給へることは醒め給ひて、さわやかに見え給へば、うれしく思ひきこゆるを』と、泣く泣く、たゆむ折なく添ひ居てあつかひきこえ給ふ」
――(尼君は)「どうして、こう心細げなご様子なのでしょう。引き続き高かった熱などは下がられて、さっぱりなさったようですので、うれしく思っていますのに」と泣きながらも、怠るときなく付き添って介抱されます――
「ある人々も、あたらしき御さま容貌を見れば、心をつくしてぞ惜しみまもりける。心には、なほいかで死なむ、とぞ思ひわたり給へど、さばかりにて生き留まりたる人の命なれば、いと執念くて、やうやう頭もたげ給へば、ものまゐりなどし給ふにぞ、なかなか面痩せもていく」
――側にいる女房達も、惜しいほど美しい浮舟のご容姿を見ては、まごころを込めて大事に看病するのでした。浮舟の気持ちとしては、やはり何とかして死にたいと思いつづけておられますが、あれほどの重態で取りとめた程の命だけに、たいそう粘り強くて、しだいに頭をもたげる程に良くなられたので、物なども召しあがるようになりましたが、物思いはとめどもなく、却って面やつれが目立ってくるのでした――
「いつしかとうれしう思ひきこゆるに、『尼になし給ひてよ。さてのみなむ生くやうもあるべき』とのたまへば、『いとほしげなる御さまを、いかでかさはなしたてまつらむ』とて、ただ頂きばかりをそぎ、五戒ばかりを受けさせたてまつる。心もとなけれど、もとよりおれおれしき人の心にて、えさかしく強ひてものたまはず。僧都は、『今はかばかりにて、いたはりやめたてまつり給へ』と言ひ置きて、のぼり給ひぬ」
――(尼君は)早く快くおなりになるようにと楽しみにしていますのに、浮舟は「尼にしてくださいませ。生きていくにはそれより他に道はないのです」とおっしゃるので、尼君は「あなたのようなおいたわしい方を、どうして尼などになどおさせ申せましょう」と言って、頂(いただき)のお髪を少しばかり削いで、五戒だけをお授けになります。それだけでは、浮舟は何とも物足りないご様子ではありますが、もとよりたおたおとした気質ですので、偉そうにそれ以上はおっしゃらない。僧都は、「今のところ、この程度の作法にして、もっぱら病気を治すようにしてあげてください」と言い置いて、山へお上りになりました――
◆五戒(ごかい)=仏教で、「殺生、偸盗、邪婬、妄語、飲酒の5つの戒め
◆2/28~3/4までお休みします。では3/5に。