永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(903)

2011年02月27日 | Weblog
2011.2/27  903

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(80)

 大君は、

「かの世にさへ妨げきこゆらむ罪の程を、苦しき心地にも、いとど消え入りぬばかり覚え給ふ。いかで、かのまださだまり給はざらむ先にまうでて、同じ所にも、と、聞き伏し給へり」
――あの世においてまで、父君のご往生を妨げもうしているご自分の罪障の程を、苦しい御病気の中で、いよいよ絶え入らんばかりにお嘆きになります。何とかして、まだ父君の往生される先が定まらないうちに、父君の許に参って、同じ所に生まれかわりたい、と、お心も千々に乱れながら臥せっておいでになります――

 阿闇梨は言葉少なに席を立っていかれました。

「この常不経、そのわたりの里々、京までありきけるを、暁の嵐にわびて、阿闇梨のさぶらふあたりを尋ねて、中門のもとに居て、いと尊くつく。回向の末つ方の心ばへいとあはれなり。客人もこなたに進みたる御心にて、あはれしのばれ給はず」
――この常不軽のお勤めをする僧は、山里付近の村々から京まで歩きまわりましたが、寒々と吹き荒れる明け方の嵐に難渋して、阿闇梨の勤行しておられるあたりに向い、中門のところに座って大そう尊げに額づいています。その回向(えこう)の結びの「まさに仏となるを得べし」という言葉は、ひとしお深く胸に沁み入るものがありました。客の薫も仏道には並々ならずお心をこめていらっしゃることとて、感慨にむせんでいらっしゃいます――

「宮の夢に見給ひけむ様おぼし合はするに、かう心ぐるしき御ありさまどもを、天翔けりてもいかに見給ふらむ、と推し量られて、おはしましし御寺にも、御誦経せさせ給ふ」
――(薫は)八の宮が阿闇梨の夢にお見えになった状態を思いあわされますにつけて、このようなお気の毒な姫君たちのご様子を、八の宮はあの世から、どうご覧になっていらっしゃるのか、と、ご推量なさって、八の宮が籠られた阿闇梨のお寺にも、追善の読経をおさせになります――

「所々に、御いのりの使い出だしたてさせ給ひ、公にも私にも、御暇のよし申し給ひて、祭り祓、よろづにいたらぬ事なくし給へど、物の罪めきたる御病にもあらざりければ、何のしるしも見えず」
――(薫は)方々の御寺に御祈祷のお使いをお遣わしになり、宮中にもお邸にもお暇を申し出て、祭りや祓など万事ぬかりなくとりおこなわれましたが、格別何かの罪障の報いというご病気でもありませんので、いっこうにご快復の験(しるし)もあらわれません――

では3/1に。


源氏物語を読んできて(902)

2011年02月25日 | Weblog
2011.2/25  902

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(79)

 薫は、

「夜もすがら人をそそのかして、御湯など参らせ奉り給へど、つゆばかりまゐるけしきもなし。いみじのわざや、如何にしてかはかけ留むべき、と、言はむ方なく思ひ居給へり」
――ひと晩中侍女たちを指図して、薬湯などを差し上げたりなさいますが、大君はまったく召しあがるご様子もありません。薫は、なんと悲しいことよ、どうしたらお命をこの世に取り止めることができようか、と、身も世もなく歎き沈んでいらっしゃいます――

「不断経の暁がたの、居かはりたる声のいと尊きに、阿闇梨も夜居にさぶらひて眠りたる、うちおどろきて陀羅尼よむ。老い枯れにたれど、いと功づきて頼もしうきこゆ」
――不断の御読経の明け方に入れ替わる僧の声が、たいそう尊く聞こえてきますので、夜居に控えてまどろんでいました阿闇梨も目を覚まして、陀羅尼経(だらにきょう)を読み始めました。齢老いてしわがれた声が、却って功徳がありそうで頼もしくきこえます――

 その阿闇梨が、薫に、「今宵のお加減はいかがでございましょう」などとお伺いなさるついでに、つい亡き八の宮の御事に話が及んでは、しきりに鼻をかむのでした。

 阿闇梨は、

「いかなる所におはしますらむ。さりとも涼しき方にぞ、と思ひやり奉るを、先つ頃の夢になむおはしましし。俗の御かたちにて、『世の中を深ういとひ離れしかば、心とまる事なかりしを、いささかうち思ひしことに乱れてなむ、ただしばし願いのところを隔たれるを思ふなむ、いと口惜しき。すすむるわざせよ』と、いとさだかに仰せられしを、たちまちに仕うまつるべき事の覚え侍らねば、堪えたるにしたがひて、行ひし侍る法師ばら五六人して、なにがしの念仏なむ仕うまつらせ侍る。さては思ひ給へ得たること侍りて、常不経をなむつかせはべる」
――八の宮はどのようなところに往生されたのでしょう。いくら何でも極楽浄土にちがいないと想像申すのですが、先日夢にてお目にかかったのです。まだ御在俗のお姿で、「自分は現世をまことに厭うていたから、後に執念が残るまいと思っていたのに、少し気にかかる事があった為か、正念が乱れて、そのためか望んでいた極楽浄土から遠ざかっているとおもうと実に残念だ。極楽往生を助ける供養をしてくれ」と、実にはっきりと仰せになられたのです。私はとっさにご供養の方法も思いつきませんので、私のできる範囲で、修業中の法師ら五、六人に命じて、称名念仏をさせております。なお私にいささか思いつくことがございますので、常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)を額づかせております――

 と申し上げますと、薫も涙を堪え切れず、ひどくお泣きになるのでした。

◆かけ留む=引きとどめる。この世に生きながらえさせる。
◆不断経(ふだんきょう)=僧に交替させて昼夜絶え間なく誦させる経のこと。
◆陀羅尼(だらに)=陀羅尼経で、梵語の音読み。意味は善法を保つ、悪法をさえぎる。このお経は長文の呪文で、漢訳せず原語のまま読みあげる。

では2/27に。


源氏物語を読んできて(901)

2011年02月23日 | Weblog
2011.2/23  901

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(78)

 薫は、

「『かく待たれ奉りつる程まで、参り来ざりけること』とて、さくりもよよと泣き給ふ」
――「こんなにお待たせするまで、お訪ねしなかったとは」と、しゃくりあげて涙をながしていらっしゃる――

 大君は少しお熱が高いようで、薫は、

「何の罪なる御心地にか。人のなげき負ふこそかくはあなれ」
――どんな罪障でこんな病気になられたのでしょう。人に恨まれた者がこういう目に遇うそうですのに――

 と、大君のお耳にお口を当てて、くどくどと仰いますので、大君は煩わしいのと恥ずかしさで、お顔を覆っておしまいになりました。薫はこのまま大君を亡くしたならばと、胸も張り裂けそうな思いで、中の君に、「日頃からお疲れでございましょう、私が今夜は御看病いたしますから、お寝みください」と申し上げます。
中の君は気懸りではありますが、何か訳がおありなのだろうとお思いになって、奥にお引き込みになりました。

「ひたおもてにはあらねど、這ひ寄りつつ見奉り給へば、いと苦しくはづかしけれど、かかるべき契りこそありけめ、とおぼして、こやなうのどやかに後やすき御心を、かの片つかたの人に見くらべ奉り給へば、あはれとも思ひ知られにたり」
――まともにお顔を突き合わせるのではありませんが、薫がいざり寄ってご覧になりますので、大君はまことに苦しく恥ずかしくてなりませんが、これが前世からの御縁というものだ、と、お考えになって、あの好色がましいもうお一方に引き換え、この上も無く穏やかで安心のできるお心の薫を慕わしい人であると、しみじみ思い知られるのでした――

 そして、大君はお心のうちで、

「『空しくなりなむ後の思い出にも、心ごはく、思ひ隈なからじ』と、つつみ給ひて、はしたなくもえおし放ち給はず」
――「自分が亡くなってのち、あの方にいつまでもなつかしく思い出して頂くためにも、強情で思いやりのない女だったとは思われたくない」との思いをお心に秘めて、素っ気なく追い帰したりはなさらないのでした――

◆さくりもよよと泣き=さくり・も・よよと泣く=しゃくりあげて激しく泣く

◆ひたおもて=直面(ひたおもて)=顔を隠さずむき出しにすること。面と向かうこと。

◆心ごはく=心強く=強情

◆つつみ給ひて=包み給ひて=隠す。秘める。

では2/25に。


源氏物語を読んできて(900)

2011年02月21日 | Weblog
2011.2/21  900

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(77)

「暮れぬれば、例の『彼方に』ときこえて、御湯漬けなど参らせむとすれど、『近くてだに見奉らむ』とて、南の廂は僧の座なれば、東面の今少し気近きかたに、屏風など立てさせて入り居給ふ」
――この日も暮れましたので、侍女が、薫にはいつものように「あちらの御客間にどうぞ」と申し上げ、お湯漬けなどを差し上げようとしますが、薫は「せめてお近くに居りまして御看病申したい」とおっしゃいます。南廂は僧たちのお席が準備されていますので、東面の大君のお部屋の少しお近くに屏風などを立てさせて、そこにお入りになります――

「中の宮苦しとおぼしたれど、この御中を、なほもてはなれ給はぬなりけり、と、皆思ひて、疎くももてなし隔て奉らず。初夜よりはじめて法華経を不断に読ませ給ふ。声たふときかぎり十二人して、いと尊し」
――中の宮(中の君のこと)は余りにも薫がお近くにいらっしゃいますので、いくら何でも、はしたないこととお思いになりますが、侍女たちはみな、やはり薫と大君とは、それらしい間柄であるとお察ししていますので、よそよそしく薫を遠ざけるようなことはいたしません。初夜(そや)の勤行から始めて、法華経などを絶え間なくお読ませになります。声の尊い僧ばかり十二人で、それはそれは有難く聞こえるのでした――

「燈はこなたの南の間に灯して、内は暗きに、几帳を引き上げて、少しすべり入りて見奉り給へば、老人ども二三人ぞさぶらふ」
――灯は東面の南の間に灯して、大君の居られる中は暗いので、几帳の帷子(かたびら)を引き上げて少し滑るようにして入ってごらんになりますと、老女が二三人控えております――

 お側にいらした中の君はさっと隠れておしまいになりましたので、あたりはひっそりとして、大君だけが心細げに臥せっておいでになりますのを、薫が、

「『などか御声をだに聞かせ給はぬ』とて、御手をとらへておどろかしきこえ給へば」
――「お声だけでもどうしてお聞かせくださらないのです」とお手を捉えて、目をお覚まさせしますと――

 大君は、

「心地には覚えながら、物言ふがいと苦しくてなむ。日頃おとづれ給はざりつれば、おぼつかなくて過ぎ侍りぬべきにや、と、くちをしくこそ侍りつれ」
――心ではお話したいと存じながら、近頃お訪ねくださいませんでしたので、このままお目にかからずに死んでしまうのかしら、と、悲しく思っておりました――

 と、苦しげな息の下からおっしゃいます。

◆中の宮=中の君のこと。ときどき混同して書かれている。

◆初夜よりはじめて=初夜(そや)よりはじめて=初夜は夜六時の一で、現在の十時~十二時の間。この時刻から始めて僧が、代わるがわる連続して休みなく読経する。

◆絵:大君を看病する薫

では2/23に。


源氏物語を読んできて(899)

2011年02月19日 | Weblog
2011.2/19  899

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(76)

 さらに、弁の君が心配でしかたのない様子で、薫に申し上げます。

「もとより人に似給はず、あえかにおはします中に、この宮の御事出で来にしのち、いとど物おぼしたる様にて、はかなき御果物をだに御らんじ入れざりしつもりにや、あさましく弱くなり給ひて、さらに頼むべくも見え給はず。世に心憂く侍りける身の命のながさにて、かかる事を見奉れば、まづいかで先立ちきこえなむ、と、思う給へ入り侍り」
――もともと大君は人と違ってひ弱な質でいらっしゃいますが、この匂宮の御事がございましてからというもの、いっそうお悩みも深く、ちょっとした水菓子でさえも、お口になさらぬお積りででもありましょうか、ひどく御衰弱なさって、もうそれほどお命が永らえられますとも思えません。わたしは本当にあきれるほど世に永らえましたために、このような事を拝見することになりました。この上は何とかして真っ先にこの世を去りたいと思い詰めております――

 と、言い終えぬうちに泣き崩れていますのも、まったくもっともなことというべきでしょう。薫は、

「心憂く、などか、かくとも告げ給はざりける。院にも内裏にも、あさましく事しげき頃にて、日頃もえきこえざりつるおぼつかなさ」
――なんと情ないこと。どうしてまた、これほど御重態です、と、どなたもお知らせくださらなかったのですか。院にも御所にも用事が立てこんでいた頃ではありましたが、それにしても近頃お見舞いできなかったことの何と残念だったことよ――

 と、おっしゃって、いつも通されているお部屋に入られ、大君の臥せっておいでになるらしい近くでお話をなさいますが、大君はお声も出ないご様子で、お返事もなさらない。

 薫は、

「『かく重くなり給ふまで、誰も誰も告げ給はざりけるが、つらく、思ふにかひなきこと』とうらみて、例の阿闇梨、大方世にしるしありときこゆる人のかぎり、あまた請じ給ふ」
――(侍女たちに)「このようにご病状が重くなられるまで、誰一人として教えてくれなかったとは何としたこと。もっと手立てもあったでしょうに。なんと辛いことよ。今更どうにもならないではないか」と恨めしくお思いになり、例の阿闇梨はもちろんのこと、世に祈祷の効き目のあると評判の験者ばかりを大勢お招きになります――

 御修法(みずほう)や御読経(みどきょう)を、早速明日からお始めになるおつもりで、家来も大勢集められ、上下の者たちも忙しく立ち働いていますので、昨日とは打って変わって家の中は頼もしげにみえます。

では2/21に。


源氏物語を読んできて(898)

2011年02月17日 | Weblog
2011.2/17  898

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(75)

「左の大臣殿のわたりの事、大宮も『なほさるのどやかなる御後見をまうけ給ひて、そのほかに尋ねまほしうおぼさるる人あらば、参らせて、重々しくもてなし給へ』ときこえ給へど、『しばし、さ思う給ふるやうなむ』などきこえ否び給ひて、まことにつらき目は、いかでか見せむ、などおぼす御心を、知り給はねば、月日に添へて物をのみおぼす」
――夕霧左大臣の六の君との御結婚については、明石中宮が「やはりそういう安心のいく御正室をお迎えになって、そのほかに側に置きたい女があるなら、上がらせて、あなたは重々しくお振舞いなさい」とご意見申されますが、匂宮は「もう暫くおまちください。私にも思う仔細がございますので」とお言葉を濁されて御承知なさいません。どうしてあの宇治の姫君に辛い目をお遭わせできようか、などとお思いのお胸の内を、宇治ではご存知の筈もなく、月日が経つにつれて、物思いばかりを重ねていらっしゃいます――

 一方、薫はお心のうちで、

「見しほどよりは、軽びたる御こころかな、さりとも」
――匂宮は思ったよりも好色でいらっしゃることよ。そうかと言って、いくら何でもこのままで済まされようとはお思いできないが――

 と、ご自分のお心に頼みながら、中の君には後ろめたさも感じて、めったに匂宮の所へも参上されません。

 薫は、

「山里には、如何に如何に、と、問ひきこえ給ふ。この月となりては、少しよろしうおはす、と聞き給ひけるに公私ものさわがしき頃にて、五六日もたてまつれ給はぬに、いかならむ、とうち驚かれ給ひて、わりなき事のしげさを打ち捨てて、まうで給ふ」
――(宇治の大君のお加減を心配なさって)どうですか、どうですかとしきりにお見舞い申し上げます。十一月になりましてからは、大君のご気分も大分良くなられたとお聞きになり、公にも私的にも多忙のことがありましたので、五、六日の間、薫は宇治へお使いもさしあげませんでしたのを、急にご心配になって、何もかも放り出されて宇治に参上なさいます――

「修法はおこたりはて給ふまで、と、のたまひ置きけるを、よろしくなりにける、とて、阿闇梨をも返し給ひければ、いと人少なにて、例の老人出で来て、御ありさまきこゆ」
――御祈祷は御全快なさるまで続けるようにと、薫が言って置かれましたのに、大君が「お陰様で大分良くなりました」とおっしゃって、阿闇梨も帰しておしまいになりましたので、お住居は人数も少なくひっそりとしています。あの弁の君が罷り出て、大君の御容体などを申し上げますには――

「そこはかといたき処もなく、おどろおどろしからぬ御悩みに、物をなむ更にきこし召さぬ……」
――大君は、どこがどうと特にひどくお悪いというのでも、大病というのでもございませんのに、全くお食事を召しあがらないのでございまして……――

◆おどろおどろしからぬ御悩み=大病というほどでもない御患いで

では2/19に。


源氏物語を読んできて(897)

2011年02月15日 | Weblog
2011.2/15  897

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(74)

 この匂宮からの御歌に、姫君たちは、

「耳馴れにたるを、なほあらじことと見るにつけても、うらめしさ増さり給ふ」
――ありふれたお言葉ですこと。匂宮としては黙ってもいられないので、こんな風に言ってこられたのだとお思いになるにつけても、姫君たちはなおさら恨めしさがこみあげてくるのでした――

 大君はお心の中で、

「さばかり世にありがたき御ありさま容貌を、いとど、いかで人にめでられむ、と、好ましくえんにもてなし給へれば、若き人の心よせ奉り給はむもことわりなり」
――あれほど世にも類なくご立派な御容姿の上に、匂宮ご自身がまた、なんとか女に騒がれようと風流めかしく優雅におつくろいになっておいでなのですから、若い中の君が心をお寄せになるのも無理はない――

「程経るにつけても恋しく、さばかりところせきまで契りおき給ひしを、さりとも、いとかくては止まじ、と思ひ直す心ぞ常に添ひける」
――(中の君は)匂宮がお見えにならぬまま日数が経つにつれ恋しくて、あれほど、大袈裟なくらいに愛を約束なさったのですもの、まさかこのままになる筈はない、と、気を取り直しては、繰り返し思っていらっしゃるのでした――

 匂宮の使者が、「今夜のうちに京に戻りたいのです。お返事を」と申し上げております。侍女たちも、中の君に早くお返事を、と、お勧めになりますので、ただ一つ歌だけを書いて差し上げます。

(歌)「あられふる深山のさとは朝夕にながむる空もかきくらしつつ」
――霰の降る宇治の山里では、朝夕眺める空もかき曇っていて、あなたを思う私の心は晴れる時とてございません――

 それは神無月(十月)の末のことでありました。

「月もへだたりぬるよ、と、宮は静心なくおぼされて、今宵今宵とおぼしつつ、さはりおほみなる程に、五節などとく出できたる年にて、内裏わたり今めかしく紛れがちにて、わざともなけれど過ぐい給ふ程に、あさましう待ち遠ほなり」
――ああ、中の君を訪ねぬままにひと月も経ってしまったことよ、と、匂宮は気が気では無く、今夜こそ今夜こそとお思いになりながら、何かと差し障りが起こっていらっしゃるうちに、今年は五節(ごせち)なども上旬に行われる年ですので、宮中の中もその準備で華やぎ、匂宮もそぞろに取り紛れておいでになるのを、山荘では堪らなく待ち遠しくていらっしゃるのでした――

「はかなく人を見給ふにつけても、さるは御心に離るる折りなし」
――(匂宮は)かりそめに女にお逢いになるにつけても、やはり中の君のことを忘れることができません――

◆さはりおほみなる程=障りがちに

◆五節(ごせち)=朝廷で大嘗祭(だいじょうさい)および、毎年の新嘗(にいなめ)祭りに五人(新嘗祭りでは四人)の舞姫たちによって演じられる、舞楽を中心とする行事。陰暦十一月、中の丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)の四日間行われる。後世は大嘗祭のときだけ行われた。

では2/17に。


源氏物語を読んできて(896)

2011年02月13日 | Weblog
2011.2/13  896

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(73)

 このような折りですから、匂宮からの御文にお二人は少しは物思いが紛れるというものでしょうが、中の君はすぐにはお手紙をご覧になりません。

 大君が、それでも強いて、

「なほ心うつくしくおいらかなるさまに聞こえ給へ。かくてはかなくもなり侍りなば、これより名残りなき方に、もてなしきこゆる人もや出でこむ、と、うしろめたきを、まれにもこの人の思い出できこえ給はむに、さやうなるあるまじき心つかふ人はえあらじ、と思へば、つらきながらなむ頼まれ侍る」
――やはり素直におだやかな風にお返事を申し上げなさい。こうして私が亡くなることがありましたならば、匂宮以上にもっとひどい目にお遭わせするような男も出てこようかと、気懸りでなりませんもの。たまにでも匂宮が思い出してくださっている間は、不心得な者が懸想じみた振る舞いなどするまいと思いますので、辛いお仕打ちとはお恨み致しますものの、それでもせめてもと、お頼み申しましょう――

 と、おっしゃると、中の君は、

「おくらさむ、とおぼしけるこそ、いみじう侍れ」
――私を残してあの世に行こうとお思いになるとは、恨めしゅうございます――

 と、いよいよお袖で顔を覆っておしまいになります。大君は、

「かぎりあれば、片時もとまらじと思ひしかど、ながらふるわざなりけり、と思ひ侍るぞや。明日知らぬ世の、さすがに歎かしきも、誰がため惜しき命にかは」
――人には寿命というものがあるのですよ。父宮が亡くなられて後、いっときも生きられまいと思っていましたのに、こうして生き長らえてきたのも不思議といえば不思議です。それでも明日をも知れぬ世の中が不安でならないというのは、誰のために惜しい命でしょう。みな、あなたのためなのですよ――

 とおっしゃって、灯火をお側近くに寄せられて、御文をごらんになります。
 匂宮の御文は例によって、細々とお書きになった中に、

(歌)「ながむるは同じ雲居をいかなればおぼつかなさをそふる時雨ぞ」
――あなたを思っていつも私が眺めるのは同じ空なのに、どうして今日の時雨空は、いつもより恋しさを募らせるのでしょう――

 「『かく袖ひづる』などいふこともやありけむ」
――「こんなに袖が濡れたことはなかったのに」とでも書かれてあったでしょうか――

◆明日知らぬ世=古今集・紀貫之「明日知らぬわが身と思へば暮れぬ間の今日は人こそ悲しかりけれ」

◆『かく袖ひづる』=古歌「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖ひづる折はなかりき」
 袖ひづる=袖ひちる=袖が濡れる

では2/15に。

源氏物語を読んできて(895)

2011年02月11日 | Weblog
2011.2/11  895

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(72)

「弱き御心地は、いとど世に立ちとまるべくもおぼえず。はづかしげなる人々にはあらねど、思ふらむところの苦しければ、聞かぬやうにて寝給へるを、姫宮、物思ふときのわざと聞きし、うたたねの御さまのいとらうたげにて…(……)」
――(大君の)衰弱なさったご気分では、いよいよ世に生きられそうにもおもわれません。ここの侍女たちには気詰まりな者とて居りませんが、内心では今度の事を、どう思っているかと、大君は、それにも苦痛でならず、なにも聞こえない振りをして臥せっておられます。
姫宮(中の君のこと)が物思う時のしぐさや、うたた寝のお姿がたいそう愛らしく…(そのお姿をご覧になって、父宮がご遺言で、めったな風の夫は持つな、とお諌めになられたお言葉などに思い当たられて、悲しみが込み上げてくるのでした)――

「罪深かなる底にはよも沈み給はじ、いづこにもいづこにも、おはすらむ方に迎へ給ひてよ、かういみじくもの思ふ身どもをうち棄て給ひて、夢にだに見え給はぬよ、と思い続け給ふ」
――父宮は罪深い者がゆくという地獄には、まさか落ちてはおられまい。たとえどこのどんな所でありましても、おいでになる所へ私をお迎えください。このようにひどく悩みを持つ私どもをお見棄てになって、夢にさえ現れてくださらないとは、と、大君は思い続けていらっしゃいます――

 寒々とした夕暮れにさっと時雨がきて、木々の下をはらう風の音などがいっそう侘びしさを誘います。大君は数日来のご病気でお顔色が少し青ざめていらっしゃいますが、それが却って品よくお見えになります。
 昼寝をされていました中の君が、荒々しい風音に目を覚まされて、たいそうお美しいお顔色で、特に思い悩まれたご様子も無く、

「故宮の夢に見え給へる、いと物おぼしたるけしきにて、このわたりにこそほのめき給ひつれ」
――亡き父宮が夢にお見えになりました。深く物思いに沈まれたご様子で、この辺りにかすかにお見えになりましたよ――

 と、おっしゃいますと、大君はますます悲しくなられて、

「亡せ給ひて後、いかで夢にも見奉らむ、と思ふを、さらにこそ見奉らね」
――お亡くなりになってからというもの、何とかして夢にでもお逢いしたいと思っておりましたのに、私はまだ一度もお目にかかれません――

 とおっしゃって、お二方とも、抱き合ってお泣きになるのでした。
すっかり日が暮れた頃に、匂宮からお使いの者が文を持って参りました。

では2/13に。


源氏物語を読んできて(894)

2011年02月09日 | Weblog
2011.2/9  894

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(71)

 さて、この薫のお供で来ていた人で、何時の間にかここの若い侍女を手に入れた者がおりました。二人が睦み合いの話の中で、

「かの宮の、御しのびありき制せられ給ひて、内裏にのみ籠りおはしますこと。左の大臣殿の姫君を、あはせ奉り給ふべかなるを、女方は年頃の御本意なれば、おぼしとどこほることなくて、年の内にありぬべかなり。宮はしぶしぶにおぼして、内裏わたりにも、ただ好きがましき事に御心を入れて、帝后の御いましめに静まり給ふべくもあらざめり」
――匂宮が忍び歩きを禁止されなさって、宮中に留め置かれていらっしゃいますこと。夕霧左大臣の姫君を北の方におすすめ申されるとかいうことですが、姫君方では以前からのご希望なので、躊躇なく年内にご婚儀があるらしいです。匂宮はお気に染まぬらしく、御所でも好色がまししことにばかりに熱を上げられ、帝や后のご意見でもおさまりそうにないご様子とか――

「わが殿こそ、なほあやしく人に似給はず、あまりまめにおはしまして、人にはもてなやまれ給へ。ここにかく渡り給ふのみなむ、目のあやに、おぼろげならぬ事、と人申す」
――そこへいくと、わが主君(薫)こそ、不思議にも世間の男とはちがって真面目すぎて、人から厄介がられておられるほどのお方です。こうしてこちらへお通いになるのも目も眩む次第で、大君へのお心は並大抵のものではないと、皆が噂をしているような訳で――

 と問わず語りに聞いたことを、その侍女が「あの人がこんなことを言っていましたよ」などと、侍女仲間で囁きあっていますのを、大君は耳にされますにつけても、いよいよ胸も張り裂ける思いでいらっしゃいます。

「今はかぎりにこそあなれ、やむごとなき方に定まり給はぬほどの、なほざりの御すさびにかくまでおぼしけむを、さすがに中納言などの思はむ所をおぼして、言の葉のかぎり深きなりけり、と思ひなし給ふに、ともかくも人の御つらさは思ひ知られず、いとど身のおきどころなき心地してしをれ臥し給へり」
――ああ、今はもうこれまでということなのか。匂宮という御方は、立派な方(夕霧の姫君)に御縁がお定まりになられぬ間の、いい加減なお慰みとして、あのように中の君を愛されたのでしょうか、それでも薫などの思惑を気になさって、お言葉だけは思い入れ深く仰ったのだと、つくづく思い知らされるのでした。それにしましても、どうしても匂宮の無情さについては納得がゆかず、大君は、いよいよ身の置きどころもないような心地がなさって、萎れて泣き伏してしまわれました――

では2/11に。