永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1127)

2012年06月29日 | Weblog
2012. 6/29    1127

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その35

「かの岸にさし着きて下り給ふに、人に抱かせ給はむは、いと苦しければ、抱き給ひて、たすけられつつ入り給ふを、いと見ぐるしく、何人をかくもて騒ぎ給ふらむ、と見たてまつる」
――向こう岸に着いて舟をお降りになりますにも、他人に抱かせるのはたいそう痛々しいので、匂宮ご自身がお抱きになって、人々に助けられながら家の中にお入りになりますのを、まあ何という見ぐるしいことか、いったい誰をこのように大騒ぎなさるのだろうかと、供人たちはお見上げするのでした――

「時方が叔父の因幡の守なるが領ずる庄に、はかなうつくりたる家なり。まだいとあらあらしきに、網代屏風など、御覧じもしらぬしつらいにて、風もことにさはらず、垣のもとに雪むら消えつつ、今もかき曇りて降る」
――この家は時方の叔父の因幡の守が私有する荘園に、ごくざっくりと建てられたものでした。まだ造り上げられたばかりで手が行き届かず、網代屏風などのような、御覧になったこともないようなものが用意されていて、風も充分には塞ぎきれず、垣根の下には雪がまだらに消え残りながら、今も空がかき曇ると雪が降ってきます――

「月さし出でて軒の垂氷の光あひたるに、人の御容貌もまさる心地す。宮も、ところせき道の程に、軽らかなるべき程の御衣どもなり。女も、脱ぎすべさせ給ひてしかば、ほそやかなる姿つき、いとをかしげなり」
――月(日?)がさし始めますと、軒の氷柱(つらら)がそれぞれに響きあって、匂宮(又は浮舟の説あり)のご器量もいっそう美しくなり増さるようです。匂宮も人目を憚る旅先とて、簡素なお召し物でいらっしゃいます。女も匂宮が上着をお脱がせになってみますと、ほっそりとした姿が、また何ともいえず愛らしい――

「ひきつくらふこともなうちとけたるさまを、いとはづかしく、まばゆきまできよらなる人にさしむかひたるよ、と思へど、まぎれむかたもなし」
――(浮舟は)身繕いもせずにいる自分の姿がひどく恥かしく、眩いほど美しい匂宮に向かい合っているなどとは、と思いますが、どう紛らわしようもないのでした――

「なつかしき程なる白きかぎりを五つばかり、袖口裾のほどまでなまめかしく、色々にあまたかさねたらむよりも、をかしう着なしたり。常に見給ふ人とても、かくまでうちとけたる姿などは、見ならひ給はぬを、かかるさへぞ、なほめづらかにをかしう思されける」
――(浮舟は)着馴れて柔らかくなった白い衣を五枚ばかり、袖口や裾までなまめかしく着て、それが色合いのはなやかな衣を何枚も重ねて着るよりも、かえって優雅に着こなしています。匂宮は、常に見馴れておられる中の君や六の君などでも、これほど略装のお姿を御覧になったことがありませんので、今はこういうことまでが珍しく、美しいとお思いになるのでした――

◆7/1~7/6まで休みます。では7/7に。

源氏物語を読んできて(1126)

2012年06月27日 | Weblog
2012. 6/27    1126

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その34

「夜の程にて立ち帰り給はむも、なかなかなべければ、ここの人目もいとつつましさに、時方にたばからせ給ひて、河よりをちなる人の家に率ておはせむ、と構へたりければ、さきだててつかはしたりける、夜更くる程に参れり。『いとよく用意してさぶらふ』と申さす」
――せっかく訪れてすぐお帰りになるならば、却って来ない方がましというもので、さらに邸内の人の目も気兼ねですので、時方に工夫をおさせになって、川向うの人目につきにくい、さる人の家にお連れ出しになるよう手筈を整えさせておりましたので、夜更けてから時方が参って、「万事、御用意いたしました」と申し上げます――

「こはいかにし給ふことにか、と、右近もいと心あわただしければ、寝おびれて起きたる心地も、わななかれて、あやしき童べの雪遊びしたるけはひのやうにぞ、ふるひあがりにける。『いかでか』なども言ひあへさせ給はず、かき抱きて出で給ひぬ。右近はここの後見にとどまりて、侍従をぞたてまつる」
――これはいったいどういうおつもりか、と右近も気が気ではなく、寝ぼけて起きた心地でぶるぶる震えて、子供が雪投げをした時のように、震えあがるのでした。匂宮は浮舟に「まあ、どうして(参れましょう)」などという余裕もお与えにならず、抱きかかえてお出ましになりました。右近はこの家の留守役に残って、侍従をお付き添い申させます――

「いとはかなげなるものと、あけくれ見出す、ちひさき舟に乗り給ひて、さし渡り給ふ程、遥かならむ岸にしも漕ぎ離れたらむやうに、心ぼそく覚えて、つとつきて抱かれたるも、いとらうたしと思す」
――(浮舟は)ただ頼りないものだと朝夕見ていました小舟に、匂宮がお乗りになって、川向うにお渡りになる間も、はるばる遠い岸に離れていくような心地がして、ぴったり寄り添って抱かれているのも、匂宮はただもういじらしいと御覧になるのでした――

「有明の月すみ昇りて、水の面も曇りなきに、『これなむ橘の小島』と申して、御舟しばしとどめたるを見給へば、おほきやかなる岩のさまして、されたる常盤木のかげ繁れり」
――有明の月がさやかに空に昇り、水の面も曇りなく明るく見渡されます。舟人が、「これが橘の小島でございます」と申して、お舟をしばらく留めたのを御覧になりますと、大きな岩のような形で、洒落た常盤木が茂っています――

「『かれ見給へ。いとはかなけれど、千年も経べき緑の深さを』とのたまひて、『年経ともかはらむものかたちばなの小島のさきに契るこころは』」
――「あれを御覧なさい。ちょっとした頼りない木だが、千年も保ちそうな緑の深さですよ」とおっしゃって、歌「千年の緑を保つ橘の小島で約束するのだから、二人の仲は何年たっても変わることはない」――

「女も、めづらしからむ道のやうに覚えて、『たちばなの小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ』をりから、人のさまに、をかしくのみ、何ごとも思しなす」
――女も、なにか珍しい旅路を行くような心地がして、歌「橘の小島の緑の色のように貴方のお心は変わらないでしょうが、波に浮かぶ小舟のような頼りない私の身は、いったいどうなるのでしょうか」折も折とて、この浮舟のご様子もまことにたおやかですので、匂宮は何もかも風流に感じていらっしゃいます――

では6/29に。


源氏物語を読んできて(1125)

2012年06月25日 | Weblog
2012. 6/25    1125

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その33

「かの人の御けしきにも、いとどおどろかれ給ひければ、あさましうたばかりて、おはしましたり。京には、友待つばかり消え残りたる雪、山深く入るままに、やや降り埋みたり。常よりもわりなき、まれの細道をわけ給ふ程、御供の人も、泣きぬばかり恐ろしう、わづらはしきことをさへ思ふ」
――(匂宮は)薫のご様子にたいそうぎくりとなさって、呆れるほどの無理な口実をつくって宇治にお出かけになりました。都では後から降る雪をまつばかりに、かすかに消え残っている雪が、山深く分け入るにつれて、だんだんに降り積もっています。いつもよりもずっと歩きにくく、人通りもまれな細道を踏み分けていらっしゃるので、お供の者たちも泣きだしたい程恐ろしく、全く迷惑なことだとさえ思うのでした――

「しるべの内記は、式部の少輔なむかけたりける。いづかたもいづかたも、ことごとしかるべき官ながら、いとつきづきしく、引き上げなどしたる姿も、をかしかりけり」
――案内役の内記は、式部の少輔(しきぶのしょう)をも兼ねていて、どちらにしても重々しい地位にいる男なのですが、いかにもお供に適しているように、指貫(さしぬき)の裾などを引き上げたりしている姿もおかしい――

「かしこには、あはせむとありつれど、かかる雪には、と、うちとけたるに、夜更けて右近に消息したり。あさましうあはれ、と、君も思へり。右近は、いかになりはて給ふべき御ありさまにか、と、かつは苦しけれど、今宵はつつましさも忘れぬべし」
――宇治の浮舟の邸では、匂宮からご来訪のお知らせがありましたが、まさかこのような雪では、と、気を許していますと、夜更けてから、右近のもとにお着きになったとの申し入れがありました。なんという御愛情の深さかと浮舟も心を打たれたご様子です。右近は、
この方(浮舟)はいったい行く末はどうなってしまわれるのか、と案じられますが、一方では今夜ばかりは、宮の篤いお志に、周囲への気兼ねも忘れてしまったのでしょう――

「言ひかへさむかたもなければ、同じやうにむつまじく思いたる若き人の、心ざまも奥なからぬを語らひて、『いみじくわりなきこと。同じ心に、もて隠し給へ』と言ひてけり。もろともに入れたてまつる」
――お断りする術もありませんので、自分同様に浮舟が親しく思っておられる若い女房で、気立ても浅はかでないのを、仲間に引き入れて「とても困ったことがおきたのです。私に協力して秘密にしてください」と言ったのでした。二人で匂宮をお入れ申し上げます――

「道の程に濡れ給へる香の、ところせうにほふも、もてわづらひぬべけれど、かの人の御けはひに似せてなむ、もてまぎらはしける」
――(二人は)途中で濡れた匂宮のお召し物の香りが、あたり一面に漂うのに困り果てながらも、あの薫の君のように見せかけて、その場をごまかすのでした――

では6/27に。

源氏物語を読んできて(1124)

2012年06月23日 | Weblog
2012. 6/23    1124

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その32

「雪にはかに降りみだれ、風など烈しければ、御遊びとくやみぬ。この宮の御宿直所に、人々参り給ふ。ものまゐりなどして、うちやすみ給へり。大将、人にもののたまはむとて、すこし端近く出で給へるに、雪のやうやうつもるが、星の光におぼおぼしきを『闇はあやなし』と覚ゆるにほひ、ありさまにて、『衣かたしき今宵もや』とうち誦し給へるも、はかなきことを口ずさみにのたまへるも、あやしくあはれなるけしき添へる人ざまにて、いともの深げなり」
――雪がにわかに降り乱れ、風がはげしく吹き出しましたので、管弦は取り止めにまりました。人々は匂宮の宿直所(とのいどころ=内裏内に設けられたお部屋)に集まり、お食事を召しあがって休息なさいます。薫が誰かに何かをおっしゃろうとして、少し端近くにお出でになって、雪が大分積もって何とか星明りで見えるほの暗さの中で、「闇は黒白(あや)なし梅の花」の古歌を思い出させるような芳しい香りを漂わせて、「衣方敷き今宵もや」と、「われを待つらむ宇治の橋姫」の上の句をふと口をついておいでになりますが、この何ということもない口ずさみも、薫はしみじみとしたところのあるお人柄ですので、大そう奥ゆかしいのでした――

「言しもこそあれ、宮は寝たるやうにて御心騒ぐ。おろかには思はぬなめりかし、かたしく袖を、われのみ思ひやる心地しつるを、同じ心なるもあはれなり、わびしくもあるかな、かばかりなる本つ人をおきて、わが方にまさるおもひは、いかでつくべきぞ、と、ねたう思さる」
――他に誦すうたもあろうに、と匂宮は寝入ったふりをしていらっしゃいますが、お心が騒ぐのでした。薫は浮舟をいい加減に思ってはいないようだ。「片敷く袖」の女が、自分だけをわびしく待っているだろうと、自分だけが思いやっているつもりだったのに、薫もまた同じ気持ちだとは、なんとまあ。これほど愛情の深い最初の人(薫)をさしおいて、浮舟が、どうして自分の方に一層の愛情を持たせることができようか、と、妬ましくお思いになるのでした――

雪が積もった翌朝早く、昨夜の詩を奉ろうと帝の前に伺候される匂宮のご容姿は、この頃は殊に優れて、今を盛りの美しさです。また薫もちょうど同じ年ごろで、落ち着いた御気質のせいか、少し大人びて見えます。帝の婿君として何一つ恥かしいところがなく、ご立派でいらっしゃると、世間の人も評して居ます。学才でも政務の上でも、人に劣る所は見当たらないのでした。詩の披露が終わって一同は御前を退出します。匂宮の御作をご立派だと言って人々が声高く誦していますが、ご自身は別段嬉しいとも思えず、どういうつもりでこんな詩などを作ったりするのだろう、と、ただぼんやりしていらっしゃる――

◆「闇はあやなし」=古今集「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」

◆「衣方敷き今宵もや」=古今集「さむしろに衣かたしき今宵もやわれを待つらむ宇治の
橋姫」

では6/25に。

源氏物語を読んできて(1123)

2012年06月21日 | Weblog
2012. 6/21    1123
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その31

「まいて、こひしき人によそへられたるも、こよなからず、やうやうものの心知り、都馴れ行くありさまのをかしきも、こよなく見まさりしたる心地し給ふに、女は、かき集めたる心のうちに、もよほさるる涙、ともすれば出でたつを、慰めかねつつ、『宇治橋のながきちぎりは朽ちせじをあやぶむかたに心さわぐな、今見給ひてむ』とのたまふ」
――まして、浮舟が恋しい大君に似ていると思いますと、ひとしおの思いで、だんだん人の心を知るようになってきて、都の暮らしに馴染んで行く様子も愛らしく、前よりもはるかに見栄え良くなってきていると感じていますのに、浮舟はあれやこれやと物思いの積もった心の中に、せきあげる涙が、ともすれば先立つのを、薫は「あの宇治橋のように、長い二人の契りは絶えることがない筈だから、不安がって心配なさることはありません。私の誠実さはじきに分かるでしょう」とおっしゃいます――

「絶え間のみ世にはあやふき宇治橋を朽ちせぬものとなほたのめとや」
――(浮舟の返歌)ところどころ壊れている宇治橋のように、途絶えがちなあなたを、永久の契りとして、なお信頼せよとおっしゃるのですか――

「さきざきよりもいと見棄てがたく、しばしも立ちとまらほしく思さるれど、人のもの言ひの安からぬに、今さらなり、心やすきさまにてこそ、など思しなして、あかつきにかへり給ひぬ」
――(薫は)今までよりもいっそうこの女を見棄て難く、少しでも長くここに居たいとお思いになりますが、世間の取り沙汰がうるさいので、今更そのようにするより(宇治に通うより)京に引きとってから気安く逢おうと、思い直されて夜明けにお帰りになります――

「いとようもおとなびたりつるかな、と、心苦しく思し出づること、ありしにまさりけり」
――実によくまあ、おとなびたことよ、と、いたわしく思い出されることが、今まで以上なのでした――

「二月の十日の程に、内裏に文作らせ給ふとて、この宮も大将も参りあひ給へり。折りにあひたるものの調べどもに、宮の御声はいとめでたくて、『梅が枝』など謡ひ給ふ。何ごとも人よりはこよなうまさり給へる御さまにて、すずろなること思し焦らるるのみなむ、罪深かりける」
――二月の十日ごろ、内裏で漢詩の会を催されるというので、匂宮も薫も参会なさいました。時節にふさわしい管弦の調べが響く中に、匂宮の御声はまことに麗しく、催馬楽の「梅が枝」などをお謡いになります。この匂宮という方は、何ごとにも人より優れておいでになるご様子ですのに、つまらぬ浮気に夢中になられることだけが、罪深いことですね――

◆「『梅が枝』=催馬楽(さいばら)「梅が枝に来居るうぐいすや、春かけて、鳴けども未だや、雪は降りつつ、あはれ、そこよしや、雪は降りつつ」

では6/23に。

源氏物語を読んできて(1122)

2012年06月19日 | Weblog
2012. 6/19    1122

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その30

「『つくらするところ、やうやうよろしうしなしてけり。一日なむ見しかば、ここよりはけじかき水に、花も見給ひつべし。三條の宮も近き程なり。あけくれおぼつかなき隔ても、おのづからあるまじきを、この春の程に、さりぬべくばわたしてなむ』と思ひてのたまふも、かの人の、のどかなるべきところ思ひ設けたり、と、昨日ものたまへりしを、かかることもし知らで、さ思すらむよ、と、あはれながらも、そなたになびくべきにはあるずかし、と思ふからに、ありし御さまの、面影に覚ゆれば、われながらも、うたて心憂の身や、と思ひ続けて泣きぬ」
――(薫が)「今新築している京の邸が、だんだん出来上がってきましたよ。先日見てきましたが、ここよりはもっと川に近くて、花も御覧になれるでしょう。私の住まいにも近い所です。朝夕逢えないことを嘆くことも自然なくなりましょうから、この春の間に、都合がよければお移ししましょう」と、そういうお積りでおっしゃるにつけても、浮舟は、匂宮が静かな住居を見つけたから、と、昨日も御文でおっしゃっていましたのを、匂宮は薫大将がこのようにお考えでいられるともご存知なく、そのように思っていらっしゃるのを、身に沁みながらも、やはり、そちら(匂宮)へ靡くべきではないとも思うのでした。ただいつぞやの取り乱しての匂宮の御愛情の様子が目の前にちらつき、われながら、何とまあ厭な女であろうかと思い、情けなく泣きつづけているのでした――

「『御心ばへの、かからでおいらかなりしこそ、のどかにうれしかりしか。人のいかに聞え知らせたることかある。すこしもおろかならむこころざしにては、かうまでまゐり来べき、身の程道のありさまにもあらぬを』など、つひたちごろの夕月夜に、すこし端近く臥してながめ出だし給へり」
――(薫が)「あなたのお気持が、いままでこのように嘆くこともなく、おっとりなさっていたので、わたしは気楽に安心していたのですよ。誰か私について告げ口でもした者がいたのですか。私の心が少しでも浅かったならば、この身分でわざわざお訪ねできる道中でもないでしょうに」などと、月初めの夕月夜の頃でしたので、少し端近くに横におなりになって、外を眺めておいでになります――

「男は、過ぎにし方のあはれをも思し出で、女は、今より添ひたる身の憂さを嘆き加へて、かたみにもの思はし」
――男(薫)は大君が生きておられた当時のことなどを思い出し、女(浮舟)は女で匂宮が現れて、これからいっそう加わった身の辛さを嘆いて、お互いに物思いに沈んでいるのでした――

 山のほうは霞に隔てられ、寒い洲崎に立っている鷺の姿も、場所柄のせいかまことに趣き深く見えます。他所ではみられない景色に、薫は過ぎ去った大君の面影が、今更のようにありありと思い出されるのでした。

「いとかからぬ人を見かはしたらむだに、めづらしき中のあはれ多かるべき程なり」
――たとえ、大君に似ていない女と向かい合っていたとしても、怪しいほどに気持ちが揺らぎそうな、そんな風情の夕べです――

では6/21に。


源氏物語を読んできて(1121)

2012年06月17日 | Weblog
2012. 6/17    1121

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その29

「この人はた、いとけはひことに、心深く、なまめかしきさまして、久しかりつる程のおこたりなどのたまふも、言多からず、恋しかなしとおりたたねど、常にあひ見ぬ恋の苦しさを、さまよき程にうちのたまへる、いみじく言ふにはまさりて、いとあはれ、と人の思ひぬべきさまを、しめ給へる人柄なり」
――こちらの殿(薫)はまたこちらで、並み優れて気品が高く、心深く優雅な様子で、長い間、ご無沙汰したとおっしゃるのにも、言葉少なく、恋しいとか悲しいとか、しつこくは言わず、始終逢う事のできない切なさを、品よく仄めかしておっしゃるのが、あれこれ言葉多くおっしゃるよりもずっと深く心を打つと、誰しもが思うであろうご様子を身につけておられるお人柄です――

「えんなる方はさるものにて、行く末長く人の頼みぬべき心ばへなど、こよなくまさり給へり」
――(その上)薫の君は、深みのあるところはもちろんのこと、末長くお頼みする御気質という点では、たしかに匂宮よりも優れていらっしゃる――

「思はずなるさまの心ばへなど、漏り聞かせたらむ時、なのめならずいみじくこそあべけれ。あやしう、うつし心もなう思し焦らるる人を、あはれと思ふも、それはいとあるまじく軽きことぞかし」
――(浮舟は)匂宮に惹かれていく自分のとんでもない料簡を、もしも薫が漏れ聞かれたなら、その時はいったいどんな大変なことになるだろうか。正体もなく思い悩んでおられる御方(匂宮)を、愛しい慕わしいと思うにつけても、そのようなことはあってはならない軽々しいことなのに――

「この人に憂しと思はれて、忘れ給ひなむ心ぼそさは、いと深うしみにければ、思ひみだれたるけしきを、月ごろにこよなうものの心知り、ねびまさりにけり、つれづれなる住処の程に、思ひ残すことはあらじかし、と見給ふも、心苦しければ、常よりも心とどめて語らひ給ふ」
――薫から愛想をつかれでもして、忘れ去られてしまうことにでもなる心細さは、どんなであろうかなどと、身に沁みておぼえられますので、あれこれ思い乱れていますのを、薫は御覧になって、しばらく訪ねなかった間に、物ごころも分かるようになり、大人びてきたことよ、淋しい毎日の暮らしの中で、さまざまな物思いを尽したのだろう、とお思いになられるらしく、いじらしく、いつもよりしみじみと御物語をなさるのでした――

では6/19に。

源氏物語を読んできて(1120)

2012年06月15日 | Weblog
2012. 6/15    1120

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その28

「かしこには石山もとまりて、いとつれづれなり。御文には、いといみじきことを書き集め給ひてつかはす。それだに心やすからず、『時方』と召して、大夫の従者の、心も知らぬしてなむやりける。『右近が古く知れりける人の、殿の御供にてたづね出でたる、さらがへりてねんごろなる』と、友達には言ひきかせたり。よろづ右近ぞ、そらごとしならひける」
――宇治では石山詣でも中止になって、つれづれな日を送っています。匂宮からは、逢えないために一層恋しさのつのるお気持をお書きになってお遣りになります。それだけでは安心できず、あの時方という大夫の従者で、事情など知らない者を使者として宇治に遣わされました。右近は、「私が昔懇意にした人が、薫の君のお供で来ていて、私を見つけ出したのですが、その者が、以前のように親しく使いを寄こすので」と周囲の女房たちには言って聞かせています。すべてに右近は嘘で固めているのでした――

「月もたちぬ。かう思し焦らるれど、おはしますことはいとわりなし。かうのみものを思はば、さらにえながらふまじき身なめり、と、心細さを添へて嘆き給ふ」
――こうしてその月も過ぎました。匂宮は、これほどお心が苛立っておいでになりましても、宇治にお出かけになるのは大そう難しく、こんなに物思いばかりしていては、とても生き長らえそうにもない、などと、心細さまで添って嘆いていらっしゃいます――

「大将殿、すこしのどかになりぬるころ、例の、忍びておはしたり。寺に仏など拝み給ふ。御誦経せさせ給ふ僧に、物賜ひなどして、夕つかた、ここには忍びたれど、これはわりなくもやつし給はず、烏帽子直衣の姿、いとあらまほしくきよげにて、歩み入り給ふより、はづかしげに、用意ことなり」
――薫の大将は、朝廷の行事も済んで、すこしのんびりなさった頃、いつもの通り、お忍びで宇治に来られました。まず、寺へお参りをして、仏などを拝まれ、御誦経(みずきょう)をおさせになる僧たちに御布施をなさったりして、夕がた、浮舟の家に忍んで来られました。そのお姿は匂宮と違って、烏帽子直衣のお姿は、まことに申し分なくお美しく、歩み入って来られるご態度も、こちらが恥かしくなるくらいご立派で、奥ゆかしさといい、お心づかいが格別にみえます――

「女、いかで見えたてまつらむとすらむ、と、そらさへはづかしく恐ろしきに、あながちなりし人の御ありさま、うち思ひ出でらるるに、またこの人に見えたてまつらむを思ひやるなむ、いみじう心憂き」
――女(浮舟)は、どのような態度で薫に顔をお合わせできようかと、天の目まで気が引けて恐ろしいというのに、あのように無理押しだった方(匂宮)から抱きしめられたことが目先にちらついて思い出され、こちらの薫大将にお逢いすることを考えますと、実に辛くてたまらないのでした――

「われは年ごろ見る人をも、皆思ひかはりぬべき心地なむする、とのたまひしを、げにその後御心地苦しとて、いづくにもいづくにも、例の御ありさまならで、御修法など騒ぐなるを聞くに、またいかに聞きて思さむ、と思ふも、いと苦し」
――(匂宮が)自分は今まで愛した女でも、皆あなたに思い移るに違いない、そんな予想が(この年月出会った女たちが、みな厭になってしまいそうな気がする)すると、おっしゃっていらして、そのお言葉どおり、ご帰京後ご気分が悪いとおっしゃって、どの女のところへもいつものようにはお通いにはならず、ご祈祷などと周りが騒いでいるようなご様子を聞きますにつけ、私がこうしてまた、薫の君にお目にかかったとお聞きになりましたなら、どうお思いでしょうと、思うだけでも堪え難く辛いと思うのでした――

では6/17に。


源氏物語を読んできて(1119)

2012年06月13日 | Weblog
2012. 6/13    1119
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その27

「『なやましげにおはします、と侍りつれば、宮にもいとおぼつかなく思し召してなむ。いかやうなる御悩みにか』と聞き給ふ」
――(薫が)「お加減がお悪いとのことで、大宮にもたいそうご案じになっておられます。どのような御容態でいらっしゃいますか」とお聞きになります――

「見るからに、御心さわぎのいとどまされば、言すくなにて、聖だつと言ひながら、こよなかりける山伏心かな、さばかりあはれなる人を、さて置きて、心のどかに、月日を待ちわびさすらむよ、と思す」
――(匂宮は)薫の姿を御覧になるなり、胸さわぎがますますひどくなってこれれて、言葉少なにお返事をされます。それにしても、この方(薫)は聖めいているとの評判だが、とんだ山伏心もあったものだ。あのような可愛らしい女を、あのような所に隠して置いて、のんびりと長い間、待ちわびさせるとは。などとお心の中で思っていらっしゃる――

「例は、さしもあらぬことのついでだに、われはまめ人ともてなし名のり給ふを、ねがたり給ひて、よろづにのたまひ破るを、かかること見あらはいたるを、いかにのたまはまし」
――いつもは、大したことでもないと思うような折でも、薫が、自分こそは実直人(まめびと)という顔つきで振る舞い、また、それを口にもされていましたのが忌々しくて、事々に匂宮は言い負かしていたものを、まして、こうした秘密を見つけたからには、どんなにでもおっしゃるでしょうに――

「されど、さやうのたはぶれごともかけ給はず、いと苦しげに見え給へば、『いとふびんなるわざかな。おどろおどろしからぬ御心地の、さすがに日数経るは、いとあしきわざに侍る。御風邪よくつくろはせ給へ』など、まめやかに聞こえ置きて出で給ひぬ」
――全く冗談口にもなさらずに、大そうお苦しそうにしていらっしゃいますので、薫は、「それはいけませんな。これという大したご病気でもなく、それでいて何日も治らないのは、良くない御容態かと存じます。どうか御風邪をよくご養生なさいますように」と、心からお見舞い申し上げてお帰りになります――

「はづかしげなる人なりかし、わがありさまを、いかに思ひくらべけむ、など、さまざまなることにつけつつも、ただこの人を、時の間忘れず思し出づ」
――(匂宮はお心の中で)本当に薫という人は奥ゆかしい人だ。あの山里の浮舟は、この薫と自分を引き比べてどのように思うであろうか。などと何ごとにつけても、ただただあの女のことを少しの間も忘れずにお思い出しになるのでした――

では6/15に。



源氏物語を読んできて(1118)

2012年06月11日 | Weblog
2012. 6/11    1118

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その26

「まめやかなるをいとほしう、いかやうなることを聞き給へるならむ、とおどろかるるに、答へきこえ給はむこともなし。ものはかなきさまにて見そめ給ひしに、何ごとをも軽らかにおしはかり給ふにこそはあらめ、すずろなる人をしるべにて、その心よせを思ひ知りはじめなどしたる、あやまちばかりに、おぼえおとる身にこそ、と思しつづくるも、よろづ悲しくて、いとどらうたげなる御けはひなり」
――(中の君は)匂宮が本気でおっしゃるのが気にかかって、一体どんなことを聞きつけられたのかしらと驚くにつけ、何とお返事をしてよいか分からずにおります。匂宮は最初から何と言う訳もなく私と結婚されたので(きちんとした儀式もなく)、何ごとにつけても私を軽率に推し量っていらっしゃるのであろう。あまり縁の無い人(薫)を頼りにして、その好意を受け入れたのが過まちのもとで、匂宮からこうして軽く見られるようになったのだとお考えつづけになりますと、すべてに悲しくなって、そのご様子がいっそういとおしいご様子に見えるのでした――

「かの人見つけたることは、しばし知らせたてまつらじ、と思せば、異ざまに思はせて怨み給ふを、ただこの大将の御ことをまめまめしくのたまふ、と思すに、人やそらごとをたしかなるやうに聞こえたらむ、など思す。ありやなしやを聞かぬ間は、見えたてまつらむもはづかし」
――(匂宮は)あの女(浮舟)を見つけたことを、しばらくは中の君にお知らせしまいと思われますので、ほかの事のように思わせて恨み事をおっしゃる。中の君はただ薫のことを本気になって怨んでおられるのだとお思いになって、誰かが根も葉もないことを、真のように申し上げたのだろうとお思いになり、噂の実否を確かめないうちは、匂宮と目をお合せすることも恥かしいと思っていらっしゃる――

「内裏より大宮の御文あるに、おどろき給ひて、なほ心解けぬ御けしきにて、あなたに渡り給ひぬ。『昨日のおぼつかなさを、なやましく思されたなる。よろしくば参り給へ。久しうもなりにけるを』などやうに聞こえ給へれば、騒がれたてまつらむも苦しけれど、まことに御心地もたがひたるやうにて、その日は参り給はず。上達部などあまた参り給へど、御簾のうちにて暮らし給ふ」
――御所から母宮中宮の御文がありましたので、匂宮は驚かれて、まだお心持が晴れやらぬままに、ご自分のお部屋にお渡りになります。御文には「昨日一日お見えにならなかったことを、帝は不愉快に思われていらっしゃるご様子です。よろしかったら是非参内なさい。久しくお目にかかりませんもの」などとの仰せごとなので、ご心配をお掛け申すのも心ぐるしくはあるのですが、ほんとうに病気になってしまったようで、その日は参内なさらず、上達部などが大勢お見舞いに参上しますが、御簾の内で一日中お暮しになっています――

「夕つ方、右大将参り給へり。『こなたにを』とて、うちとけながら対面し給へり」
――夕方になって、右大将(薫)がお出でになりました。「こちらへどうぞ」とお通しして、くつろいだお姿のまま、匂宮はお会いになります――

では6/13に。