永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(797)

2010年07月31日 | Weblog
2010.7/31  797回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(16)

 暁になって、山寺にお出でになる前に、八の宮はまた姫君たちのお部屋にお渡りになって、

「なからむ程心細くな思しわびそ。心ばかりは遣りて遊びなどはし給へ。何事も思ふにえかなふまじき世を。な思し入れそ」
――私の留守中を心細く思わずに、お心だけはゆったりと持って、御琴など弾いていらっしゃい。何事も思うにまかせぬ世ですから、あまり心配せぬように――

 とおっしゃりながら、振り返りがちに山寺へお発ちになったのでした。姫君たちは心細さに起き臥しにも「二人のうち、一人がいなくなりましたなら、どうやって生きてゆかれましょう」などと泣いたり慰めあったりして過ごしておいでになります。

 八の宮の勤行がいよいよ今日で終わるというので、姫君たちは早くお帰りになるようにとお待ちになっていました夕暮れに、寺から使いの者が来て、八の宮のお手紙を差し出されます。文面には、

「今朝よりなやましうてなむえ参らぬ。かぜかとて、とかくつくろふとものする程になむ。さるは、例よりも対面心もとなきを」
――今朝から病に伏せっていて、帰ることができません。風邪かと、あれこれ手をつくしているところです。こう書きながらも、あなた方にいつもよりもお会いしたい気持ちで仕方がないのですが――

 とあります。姫君たちは、

「胸つぶれて、いかなるにかと思し歎き、御衣ども綿厚くて急ぎせさせ給ひて、奉れなどし給ふ。二、三日は下り給はず。いかにいかにと人奉り給へど」
――胸のつぶれる思いで、いったいどうなさったのかと思い、歎きながら、御下着類を綿を厚くして急いでお作らせになって、山寺にお持たせになります。それから二、三日してもお帰りにならず、再三使いの者にご様子を伺わせますが――

 今度は八の宮からは、お手紙ではなく、口上で使いの者が姫君達に申し上げます。

「ことにおどろおどろしくはあらず、そこはかとなく苦しうなむ。すこしもよろしうならば、今念じて」
――特に重篤というわけではありませんが、どことなく苦しいのです。少しでも良くなりましたら、我慢してでも、きっと、帰りましょう――

では8/1に。



源氏物語を読んできて(宇治から奈良への古道)

2010年07月31日 | Weblog
◆宇治古道と奈良街道

 平安時代、都から前都平城京へむかう街道は、東海道の追分から分かれて山科盆地を縦断し、宇治山の山麓沿いを醍醐、黄檗、宇治(宇治橋)を経て奈良にいたる奈良街道が最もよく利用された。

 その後、豊臣時代に桃山城が創建されてからは、伏見を経由して醍醐に入る奈良街道へ移つていった。

写真:宇治川

源氏物語を読んできて(796)

2010年07月29日 | Weblog
2010.7/29  796回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(15)

 姫君達は自分がいったいこの先どうなるのか、これからのことにはお考えが及ばず、父君に先立たれてはほんの一刻も生きていられようか、と、父君のご様子から不安でいっぱいなのでした。

「心の中にこそ思ひ棄て給ひつらめど、明け暮れ御かたはらに習はひ給うて、にはかに別れ給はむは、つらき心ならねど、げにうらめしかるべき御有様になむありける」
――(八の宮は)お心の中でこそさっぱりと現世を諦めておられたでしょうが、朝夕姫君たちをお傍に置き慣れておられて、今急に山寺に別れ住まわれるのは、無常というわけではありませんが、姫君たちからすれば、恨めしいというべき父宮のなされ方ではありましょう――

 明日は山寺に参籠なさるという日、八の宮は特別念入りにお住いのあちらこちらを見回ってお歩きになるのでした。仏間にお入りになって、

「いとものはかなく、かりそめの宿りにて過ぐい給ひにける御住いの有様を、亡からむ後いかにしてかは、若き人の堪へ籠りては過ぐい給はむ」
――振返ってみると、何と心細い思いで、かりそめの宿のつもりがいつの間にか長く
住む事になってしまったことだろう。私の死後はどのようにして、若い姫君たちが山里の御生活に堪えていかれるのだろうか――

 と、涙ぐみつつ念誦なさっているお姿は、たいそう清らかでいらっしゃる。それから年輩の女房たちをお召しになって、

「うしろやすく仕うまつれ。何事ももとよりかやすく、世にきこえあるまじき際の人は、末のおとろへも常の事にて、紛れぬべかめり。かかる際になりぬれば、人は何とも思はざらめど、くちをしうてさすれへむ、契りかたじけなく、いとほしき事多かるべき」
――(私の亡き後は)私が安心できるように姫君たちにお仕えせよ。何事においても、
身分の軽い者で、人の口にも上らぬ者ならば、子孫が落ちぶれても当たり前のこととして、人目に立つことも無いだろう。しかし私のように皇族の身分になると、他人は何とも思わなくても、情けない有様で世を流離うのは、身分としての宿縁からは恐れ多く、
世間体もきまり悪いことが多いので――

「ものさびしく心細き世を経るは、例のことなり。生れたる家の程、掟のままにもてなしたらむなむ、聞き耳にも、わが心地にも、あやまちなくは覚ゆべき。にぎははしく人数めかむと思ふとも、その心にもかなふまじきとならば、ゆめゆめ軽々しく、よからぬ方にもてなし聞こゆな」
――ひっそりと世間から身を隠して暮らすのはよくあることですよ。たとえ落ちぶれても、生まれた家の地位や格式、家風に従って振る舞えれば、体裁もよく自分の気も済むものです。富栄えて人並みに暮らそうと思っても、思い通りにならぬからといって、決して軽々しく姫君達を良くない方面に向けてはなりませぬ――

 とお言い付けになります。

では7/31に。

 

源氏物語と宇治

2010年07月29日 | Weblog
◆宇治
 
 平安貴族にとって、宇治は別業(べつごう=別荘)の地でした。舟遊びや紅葉狩りなどの遊びの地であるとともに、魂の安らぐ宗教的な地でもありました。宗教的な面が強かったのは、平安時代中ごろに栄華の頂点を極めた、藤原氏の墓地があったためです。

 多くの別業では、貴族たちが御堂(みどう=持仏堂・自分の守り本尊を安置するお堂)にこもり、仏に祈るといった時間を持ちました。また『源氏物語』が執筆されたと考えられる年代よりも後になりますが、世界遺産である平等院も藤原頼通(よりみち)が父・道長(みちなが)から譲り受けた別業を寺院に改めたものです。

 和歌においても宇治は「宇治=憂(う)し」の掛詞(かけことば)として、古くからひんぱんに用いられてきました。このように、宇治は平安貴族にとって身近な土地でありました。こうした背景のもと、宇治は『源氏物語』最後の舞台として選ばれたと考えられます。

「橋姫」で始まり「夢浮橋」で終わる「宇治十帖」では、「京から宇治へ」「光源氏からその子・薫へ」と時空が移ることを「橋」で暗示し、「華やかさと静けさ」「此岸(しがん)と彼岸」など宇治の持つ対照的な要素も加えることで、物語が「春から秋」「昼から夜」の世界へと転じていくことを表したと言えるでしょう。

◆写真:紫式部-土佐光起画  
◆参考:宇治 源氏物語ミュージアムより


源氏物語を読んできて(795)

2010年07月27日 | Weblog
2010.7/27  795回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(14)

 御寺に参籠なさるについて、八の宮は、姫君たちに後の心得などを細々とお諭しになります。

「世の中のこととして、つひの別れを、のがれぬわざなめれど、思ひなぐさまむ方ありてこそ、悲しさをもさますものなめれ。また見ゆずる人もなく、心細げなる御有様どもを、うち棄ててむがいみじきこと。されども、さばかりの事にさまたげられて、長き世の闇にさへ惑はむが益なさを」
――この世の習いとして死別は避けられないことらしいが、何か慰めになるようなことがあってこそ、悲しさをも少なくするものでしょう。それなのに私の死後はお世話を託す人もなく、心細そうな貴女たちを残して死ぬのは実にかなしいことだ。しかしそれ位の恩愛に妨げられて、来世は永劫に成仏せずに迷うのは、つまらないことだが――

「かつ見奉る程だに思ひ棄つる世を、去りなむうしろの事知るべきことにはあらねど、わが身ひとつにあらず、過ぎ給ひにし御面伏せに、軽々しき心どもつかひ給ふな。おぼろげのよすがならで、人の言にうちなびき、この山里をあくがれ給ふな」
――あなた方の傍におりましてさえ思い棄てているこの世ですから、死後のことなど構うべきではないのでしょうが、私一人のためではなく、亡き母上の御名誉のためにも、軽率なお考えなど出してはなりませぬ。しかとしたお相手でなくては、人の言葉に乗ってこの宇治を離れてはなりませぬ――

「ただかう人に違ひたる契り異なる身と思しなして、ここに世をつくしてむ、と思ひとり給へ。ひたぶるに思ひしなせば、ことにもあらず過ぎぬる年月なりけり。まして女は、さる方に堪へこもりて、いちじるくいとほしげなる余所のもどきを負はざらむなむよかるべき」
――あなた方は、ただこのような他人とは運命の違う身だと分別なさって、この地で生涯を終えようと決心なさい。私など一途に覚悟をしているので、年月は何のこともなく過ぎたのでしたよ。まして女は、女らしく山里に引き籠って、特別気の毒なと、他人の非難を受けないのがよろしいのですよ――

 と、言い聞かせていらっしゃる。

◆過ぎ給ひにし御面伏せに=個人の面目汚し=亡き母上にとって不名誉になること

◆いちじるく=いちじるし=甚だしい

◆余所のもどきを負はざらむなむ=他人の非難を浴びないように

では7/29に。


源氏物語を読んできて(794)

2010年07月25日 | Weblog
2010.7/25  794回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(13)

 薫はお心の中で、

「三の宮いとゆかしう思いたるものを、わが心ながら、なほ人には異なりかし、さばかり御心もてゆるい給ふ事の、さしもいそがれぬよ」
――匂宮が案の定この姫君たちにお心を惹かれていらしたが……。我ながらどうしてこうも人と違ってぐずぐずしていることよ。八の宮が姫君のことを、これほど積極的に許していらっしゃるというのに。しかしそれほど急ぐ気にはなれないし…――

「もて離れて、はたあるまじき事とはさすがに覚えず、かやうにて物をも聞こえかはし、おりふしの花紅葉につけて、あはれをも情けをもかよはすに、にくからずものし給ふあたりなれば、宿世ことにて、外ざまにもなり給はむは、さすがにくちをしかるべく、領じたる心地しけり」
――そうかと言って、姫君との結婚をあるまじき事とも考えられず、無関心ではないが、
今のような状態で、季節ごとの花紅葉にこと寄せてしみじみと御文を通わすには、とても好ましいお相手でいらっしゃるので、そのままで良いともおもうけれど、しかし宿世(ご縁が無くて)にて、姫君が他の人と結婚されるのは、やはり残念でならない、などと、もうご自分のものとなさったお気持でいらっしゃる――

 薫はまだ夜深い頃に都にお帰りになりました。八の宮の余命いくばくもないような心細げなご様子を、お労わしく思い浮かべながら、ここ当分忙しい公務をやり終えてからまた宇治に伺おうとのお心積りなのでした。
 匂宮もこの秋には紅葉にこと寄せて宇治を訪ねたいと、あれから御文だけは欠かさず差し上げていらっしゃるのでした。

「女は、まめやかに思すらむとも思ひ給はねば、わづらはしくもあらで、はかなきさまにもてなしつつ、折々に聞こえかはし給ふ」
――姫君たちは、匂宮が真剣に慕ってのご本心ともお思いになっておられぬせいか、却って心安く、時々は何気ない風にあしらっては、折々御文を交換なさっておいでになります――

 こうして秋がいよいよ深まっていくにつれ、八の宮はいっそう余命を心細く感じられて、例の静かな阿闇梨の寺で念仏三昧に浸りたいと思い立たれたのでした。

◆領じたる心地=自分の物とした心持ち。結婚したような気持ち。

では7/27に。


源氏物語を読んできて(793)

2010年07月23日 | Weblog
2010.7/23  793回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(12)

 その折の八の宮のお歌は、

「『われ亡くて草のいほりは荒れぬともこのひとことはかれじとぞ思ふ』かかる対面もこのたびや限りなむ、と、もの心細きに、しのびかねて、かたくなしきひが言多くもなりぬるかな」
――(歌)「私が死んで、この山荘が荒れ果ててしまいましょうとも、娘たちを引きうけようとおっしゃった貴方のお言葉は間違いないと信じてします」こうしてお逢いするのも今回限りと思いますと、やはり心細さを隠せず、ついつい愚痴めいた繰り事が多くなってしまいましたなあ――

 と、おっしゃって涙をぬぐっておられます。薫は返歌に、

「いかならむ世にかかれせむながき世のちぎりむすべる草のいほりは」
――(歌)この山荘で末長くとお約束しました上は、とこしえに違えることはありません――

相撲など、公の行事が一区切りしましたら又参上いたしましょう、と、ご挨拶なさって、

「こなたにて、かの問はず語りの古人召し出でて、残り多かる物語などせさせ給ふ。入り方の月は隈なくさし入りて、すき影なまめかしきに、君達も奥まりておはす。世の常の懸想びてはあらず、心深う物語のどやかに聞こえつつものし給へば、さるべき御いらへなど聞こえ給ふ」
――(薫は)お部屋を辞して、別間にお下がりになり、あの問わず語りの老女(弁の君)を召されて、語り残しの先日の話をおさせになります。折から入り方の月が明るく差し込んで、御簾に映る薫の透き影のなまめかしさに、姫君達は面映ゆく、奥まった方に引き入っていらっしゃる。薫は世間にあるような好色がましい素振りなどは少しもなく、いかにも考え深く物静かにお話をなさるので、大君も時々はごく普通にお返事をなさっています――

◆相撲(すまひ)=毎年7月、諸国の供御人を召し集めて、帝がご覧になった相撲の会

では7/25にまた。


源氏物語を読んできて(792)

2010年07月21日 | Weblog
2010.7/21  792回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(11)

 八の宮のしみじみとしたお話に、薫は、

「すべてまことに、しか思う給へ棄てたるけにや侍らむ、みづからの事にては、いかにもいかにも深う思ひ知る方の侍らぬを、げにはかなき事なれど、声にめづる心こそ、そむき難きことに侍りけれ。さかしう聖だつ迦葉も、さればや、立ちて舞ひ侍りけむ」
――すべて真に先ほど申し上げましたように、現世を諦めたせいでしょうか、自分についてはどのような事でも深く会得したものはございませんのに、お言葉どおりなるほど儚いことですが、音楽を好む心だけは、世を棄てかねることなのでございます。さればこそ、あの聖めいた迦葉尊者さえ琴の音に感じ入って、釈尊の御前も忘れて立ち舞うたとか――

 と、いつかほんの少し立ち聞きされた姫君たちの琴の音をご所望されますので、八の宮は姫君達を薫に親しませようと思われたのでしょうか、奥に行かれてしきりに勧められます。が、

「筝の琴をぞいとほのかに、掻き鳴らして止み給ひぬる。いとど、人のけはひも絶えて、あはれなる空の景色、所のさまに、わざとなき御遊びの心に入りて、をかしう覚ゆれど、うちとけて、いかでかは弾きあはせ給はむ」
――(姫君たちは)筝の琴をほんの少し掻き鳴らしてお止めになりました。すっかり人の気配も絶えて、空の景色が場所柄につけて、いっそうさりげない御琴の音が心に沁みて趣き深い風情ながらも、どうして姫君たちがお心を許してお弾きになるでしょうか――

八の宮は、

「おのづから、かばかりならしそめつる残りは、世籠れるどちにゆづりて聞こえてむ」
――私としては、貴方にここまでお引き合せいたしましたから、あとは自然に若い人たちにお任せいたしましょう――

 とおっしゃって、仏間にお入りになりました。

◆迦葉(かせう)=釈迦十大弟子の一人。大樹緊那羅経に、仏前で瑠璃の琴を弾じ、八万四千音楽を奏したところ、この迦葉尊者は威儀を忘れて起ち出たという。

では又7/23に。

源氏物語を読んできて(791)

2010年07月19日 | Weblog
2010.7/19  791回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(10)

 薫が、

「一言にてもうけたまはりおきてしかば、さらに思う給へおこたるまじくなむ。世の中に心をとどめじと、はぶき侍る身にて、何事もたのもしげなき生い先の少なさになむ侍れど、さる方にてもめぐらひ侍らむかぎりは、変はらぬ志をご覧じ知らせむとなむ、思う給ふる」
――以前一言にでも拝承いたしましたからには、決して疎かにするようなことはございません。私はこの現世に執着しまいと、系類も少ない(妻も持たず)身とて、万事頼りない前途の心細さでございますが、とにかく生きております限りは変わらぬ真心をご覧頂こうと存じます――

 と、申し上げますと八の宮は頼もしくうれしくお思いになるのでした。夜も更けて月がくっきりと雲間を出、西の山の端にさしかかる頃、八の宮は念誦読経をなされ、また昔のお話をしみじみされるのでした。

「この頃の世はいかがなりにたらむ。宮中などにて、かやうなる秋の月に、御前の御遊びの折にさぶらひあひたる中に、物の上手と覚しきかぎり、とりどりにうち合はせたる拍子など、ことごとしきよりも、よしありとあぼえある女御更衣の御局々の、おのがじしはいどましく思ひ、うはべの情をかはすべかめるに、夜深き程の人の気しめりぬるに、心やましくかい調べ、ほのかにほころび出でたる物の音など、聞きどころあるが多かりしかな」
――この頃の世の中ではどうなっておりますのやら。昔は御所などでは、こうした秋の月の夜など、御前での管弦の催しに伺候しておりますと、その道の名手と思われる人だけが、それぞれに合奏し、それはそれは大そう素晴らしいものでした。けれどもその道に優れていらっしゃるとの評判の女御、更衣の御局(おつぼね)で、お互いにお心の内では帝の寵を争いながらも、表面は親しげにしている方々が、夜更けた時分になって人気(ひとけ)も静まった頃に、悩ましい調子で弾き、微かに漏れ出る琴の音など、聞き甲斐のあるのが多かったことでしたなあ――

 さらに、

「何事にも、女はもてあそびのつまにしつべく、ものはかなきものから、人の心を動かすくさはひになむあるべき。されば罪の深きにやあらむ、子の道の闇を思ひやるにも、男はいとしも親の心をみださずやあらむ。女は、かぎりありて、いふかひなき方に思ひ棄つべきにも、なほいと心苦しかるべき」
――何事につけても、女は気軽な慰み事の相手にする位の、所詮は他愛ないものですが、それでいて人の気を揉ませる種でもあります。ですから女は罪障が深いのでしょう。子故の闇に迷う親心を思いやりますと、男の子はそれほど親の心を乱さないもののようですね。女の子には運命が定まっていて、丹精したところで仕甲斐がないと諦めてみたところで、やはり心にかかってならないもののようです――

 などと、世間一般にかこつけておっしゃいますのを、薫は八の宮の偽りのないご本心であろうと、ご推察なさるのでした。

◆はぶき侍る身=省く=系類が少ないようにする。妻を持たない。

◆女はもてあそびのつまにしつべく=女はもてあそびのつま(端)にする位のもの

では7/21に。

源氏物語を読んできて(790)

2010年07月17日 | Weblog
2010.7/17  790回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(9)

「宰相の中将、その秋、中納言になり給ひぬ。いとどにほひまさり給ふ。世のいとなみに添へても、思すこと多かり」
――宰相の中将(薫)は、この秋中納言におなりになりました。いっそうご立派になられ、公務も多忙を極めていらっしゃるものの、胸のわだかまりが晴れることがなくお悩みは多いのでした――

「いかなる事と、いぶせく思ひ渡りし年頃よりも、心苦しうて過ぎ給ひにけむいにしへざまの思ひやらるるに、罪軽くなり給ふばかり、行ひもせまほしくなむ。かの老人をばあはれなる者に思ひ置きて、いちじるきさまならず、とかくまぎらはしつつ、心よせとぶらひ給ふ」
――(自分の出生のことが)いったいどういうことなのかと不審を持っていました年月の長さよりも

 さて、薫が久しく宇治にご無沙汰申されていましたのを思い出されて、にわかにお出かけになりました。七月のことです。都ではまだそれほど感じられない秋の気配がそこここに見られ、二月にお尋ねした頃をなつかしく思い出しています。

「音羽の山近く、風の音もいと冷やかに、槇の山辺もわづかに色づきて、(……)宮はまいて、例よりも待ちよろこび聞こえ給ひて、この度は心細げなる物語、いと多く申し給ふ」
――(宇治の)音羽山の近くでは風も冷やかに吹いていt、槇の山辺の木々も色づいています。八の宮は薫の来訪をいつも以上にお喜びになって、この度はなおのことご不安の心持を申し上げるのでした――

「亡からむ後、この君たちをさるべきもののたよりにもとぶらひ、思ひ棄てぬものに数まへ給へ」
――(八の宮は)私が亡くなりました後、この姫たちを何かのついでにも訪れて、お見棄てなさらぬ人の中にお数えください――

 と、常にご心配の、その方向にお話を持っていかれるのでした。

◆宰相の中将、その秋、中納言に=すでに「竹河の巻」で中納言である

では、7/19に。