蜻蛉日記 中卷 (83) 2015.11.30
「かくて経るほどに、その月のつごもりに、『小野宮の大臣かくれ給ひぬ』とて、世はさわぐ。ありありて、『世の中いとさわがしかなれば、つつしむとて、え物せぬなり。服になりぬるを、これら疾くして』とはある物か。いとあさましければ、『このごろ、物するものども、里にてなん』とて、返しぬ。これにまして心やましきさまにて、たえて言づてもなし。さながら六月になりぬ。」
◆◆こうして過ぎていってその月末ごろに、「小野宮(兼家の父師輔の兄、摂政太政大臣実頼)の大臣様がお亡くなりにあった」といって、大層世間が大騒ぎしています。あの人は無沙汰続きのあげくに、「世間がたいへん騒がしいようだから、慎んでいて、しかたなく訪ねられないのだ。喪中になったので、これら喪服を急いで仕立てて」と言ってきたけれど、どういうことか。まったくあきれたことなので、「このところ裁縫をする者が里下がりをしていて、居りませんので」と言って返してやりました。これでますます機嫌をそこねたようで、まったく言伝てさえもなくなりました。そんなふうに過ごしながら六月になりました。◆◆
■小野宮=(兼家の父師輔の兄、摂政太政大臣実頼)のあったところ。その邸の名。死去は五月十八日であった。
蜻蛉日記 中卷 (84)
「かくて数ふれば、夜見ることは三十よ日、昼見ることは四十よ日なかりけり。いとにはかに、あやしと言へばおろかなり。心もゆかぬ世とはいひながら、まだいとかかる目は見ざりつれば、見る人々もあやしうめづらかなりと思ひたり。物しおぼえねば、ながめのみぞせらるる。人目もいとはづかしうおぼえて、落つる泪おしかへしつつ臥して聞けば、鶯ぞをりはへて鳴くにつけて、おぼゆるやう、
<鶯も期もなきものや思ふらんみな月はてぬ音をぞ鳴くなる>」
◆◆こうしたことで、指折り数えてみると、夜逢ってから三十日あまり、昼逢ってからは四十日の日が過ぎたことになるのでした。急な変わりようで、おかしいと言う位では言い足りないこと。
不満足な夫婦仲とはいいながら、まだこれほどの目に合ったことは無かったので、周りの人々も変だ、今までに無いことだと思っています。あまりの事に私は呆然としてただただ物思いに沈んでしまうばかりです。家の者達の目にもきまりが悪く、落ちる泪をひた隠しながら臥せっていると、鶯が時節はずれに鳴くのが聞こえてきて、こんなふうに思ったのでした。
(道綱母の歌)「私と同じように、終りのない物思いをしているのでしょうか。六月になっても尽きぬ悲しみの声で鳴いているのが聞こえる」◆◆
「かくて経るほどに、その月のつごもりに、『小野宮の大臣かくれ給ひぬ』とて、世はさわぐ。ありありて、『世の中いとさわがしかなれば、つつしむとて、え物せぬなり。服になりぬるを、これら疾くして』とはある物か。いとあさましければ、『このごろ、物するものども、里にてなん』とて、返しぬ。これにまして心やましきさまにて、たえて言づてもなし。さながら六月になりぬ。」
◆◆こうして過ぎていってその月末ごろに、「小野宮(兼家の父師輔の兄、摂政太政大臣実頼)の大臣様がお亡くなりにあった」といって、大層世間が大騒ぎしています。あの人は無沙汰続きのあげくに、「世間がたいへん騒がしいようだから、慎んでいて、しかたなく訪ねられないのだ。喪中になったので、これら喪服を急いで仕立てて」と言ってきたけれど、どういうことか。まったくあきれたことなので、「このところ裁縫をする者が里下がりをしていて、居りませんので」と言って返してやりました。これでますます機嫌をそこねたようで、まったく言伝てさえもなくなりました。そんなふうに過ごしながら六月になりました。◆◆
■小野宮=(兼家の父師輔の兄、摂政太政大臣実頼)のあったところ。その邸の名。死去は五月十八日であった。
蜻蛉日記 中卷 (84)
「かくて数ふれば、夜見ることは三十よ日、昼見ることは四十よ日なかりけり。いとにはかに、あやしと言へばおろかなり。心もゆかぬ世とはいひながら、まだいとかかる目は見ざりつれば、見る人々もあやしうめづらかなりと思ひたり。物しおぼえねば、ながめのみぞせらるる。人目もいとはづかしうおぼえて、落つる泪おしかへしつつ臥して聞けば、鶯ぞをりはへて鳴くにつけて、おぼゆるやう、
<鶯も期もなきものや思ふらんみな月はてぬ音をぞ鳴くなる>」
◆◆こうしたことで、指折り数えてみると、夜逢ってから三十日あまり、昼逢ってからは四十日の日が過ぎたことになるのでした。急な変わりようで、おかしいと言う位では言い足りないこと。
不満足な夫婦仲とはいいながら、まだこれほどの目に合ったことは無かったので、周りの人々も変だ、今までに無いことだと思っています。あまりの事に私は呆然としてただただ物思いに沈んでしまうばかりです。家の者達の目にもきまりが悪く、落ちる泪をひた隠しながら臥せっていると、鶯が時節はずれに鳴くのが聞こえてきて、こんなふうに思ったのでした。
(道綱母の歌)「私と同じように、終りのない物思いをしているのでしょうか。六月になっても尽きぬ悲しみの声で鳴いているのが聞こえる」◆◆