永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(117)その2

2019年03月30日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その2 2019.3.30

 かういふ所には、明順の朝臣家あり。「そこもやがて見む」と言ひて、車寄せておりぬ。田舎だち、事そぎて、馬の形かきたる障子、網代屏風、三稜草の簾など、ことさらに昔の事をうつしたる。屋のさまは、はかなだちて、端近き、あさはかなれどをかしきに、げにぞかしがましと思ふばかり鳴き合ひたる郭公の声を、御前に聞こしめさず、さはしたひつる人々にもなど思ふ。
◆◆このようにいう所には、明順朝臣の家がある。「そこも早速見物しよう」と言って、車を寄せて降りてしまった。田舎風で、簡素な造りで、馬の絵を描いてある衝立障子、網代屏風、三稜草(みくり)の簾など、わざわざ昔の事の様子を写している。建物のありさまは、かりそめの様で、端近なのは、奥深さはないがおもしろく、全く人が言っていたように、やかましいほどに鳴き合っている郭公(ほととぎす)の声を、中宮様におかれましてもお聞きあさばされず、あんなに後を追っていた人々にも聞かせないで…などと思う◆◆

■明順(あきのぶ)の朝臣家=中宮のおじ。高階成忠(中宮の母貴子の父)の三男。左中弁。
■障子=部屋を仕切る建具。ここでは襖(ふすま)、衝立のようなもの。
■網代屏風(あじろびょうぶ)=檜皮を網代に編んだ屏風
■三稜草(みくり)の簾=三稜草の茎で編んだすだれ。



 「所につけては、かかる事をなむ見るべき」とて、稲といふものおほく取り出でて、若き下衆女どもの、きた
なげならぬ、そのわたりの家のむすめ、女などひきゐて来て、五六人してこかせ、見も知らぬくるべき物ふし、二人して引かせて、歌うたはせなどするを、めづらしくて「笑ふに、郭公の歌よまむなどしたる、忘れぬべし。よこゑにあるやうなる懸盤などして、物食はせたるを、見入るる人なければ、家あるじ「いとわろくひなびたり。
かかる所に来ぬる人は、ようせずは『あるも』など責め出だしてこそまゐるべけれ。むげにかくては、その人ならず」など言ひてとりはやし、「この下蕨は、手づから摘みつる」など言へば、「いかでか、女官などのやうに、つきなみてはあらむ」など言へば、「取りおろして。例のはひぶしにならはせたる御前たちなれば」とて、取りおろしまかなひさわぐほどに、「雨降りぬべし」と言へば、いそぎて車に乗るに、
◆◆
◆◆明順は「ここ田舎なりに、こうしたものを見るのがいいでしょう」といって、稲というものをたくさん取り出して、若い下層の女たちや、きたならしくはないその近所の家の娘や、女どもを連れてきて、五、六人して稲こきをさせ、見たこともないくるくる回る機械フシを、二人で引かせて、歌を歌わせるなどするのを、めずらしくて笑っているうちに、郭公の歌を詠むことも忘れてしまったのだった。ヨコエにあるような懸盤などを使って、食物を出しているのを、だれも見向きもしないので、家の主人の明順が「とても粗末な田舎風の料理です。けれど、このようなところに来る人は、悪くすると、「もっと他には」などと責め立てて召しあがるものです。それなのにいっこうに召しあがらないので、そうした人らしくない」などと言って調子よく座を取り持ち、「この下蕨は、私が自分で摘んだ物です」と言うので、わたしが、「どうしてまあ、女官なんかのように、懸盤の前に並んで座に着いてはいられましょう」などと言うと、「懸盤から下ろして召し上がれ、いつも腹這いに馴れていらっしゃるあなな方なのだから」といって、懸盤から取り下ろして食事の世話をして騒ぐうちに、供の男が、「雨が降ってくるにちがいありません」というので、いそいで車に乗る時に、◆◆


■くるべき物ふし=不審。
■『あるも』=不審
■まゐる=召しあがる。
■御前(おまえ)=「おほまへ」の約という。



 「さてこの歌は、ここにてこそよまめ」と言へば、「さはれ、道にて」など言ひて、卯の花いみじく咲きたるを折りつつ、車の簾、そばなどに、長き枝を葺きささせたれば、ただ卯の花垣根を牛にかけたるやうにぞ見えける。供なるをのこどもも、いみじうわづらひつつ、網代をさへ突きうがちつつ、「ここまだし、ここまだし」と、あしあつむなり。人も会はなむと思ふに、さらにあやしき法師、あやしの言ふかひなき者のみ、たまさかに見ゆるに、いとくちをし。
◆◆(女房の一人が)「ところでこの郭公の歌は、ここでこそ詠むのがいいでしょう」というので、わたしは「それはそうだけど、道中でもと」などと言って、卯の花がよく咲いているのを手折り手折りしながら、車の簾や脇などに長い枝を葺いて挿させたところ、まるで卯の花垣根を牛に掛けてあるように見えるのだった。供をしている男たちも、ひどく挿しにくそうにしながらも、網代をまで突いて穴を開けあけして、「ここがまだ、ここもまだだ」と、どうやらびっしり集めるようだ。だれか人でもわれわれに行き会ってほしいものだと思うのに、いっこうにいやしい法師や、身分の低くてつまらない者だけが、たまに見えるくらいのもので、とても残念だ。◆◆

■卯の花=うつぎの白い花。
■網代=この牛車は、網代車で、屋形・天井を網代で作ってある。

*写真は網代車=牛車(ぎっしゃ)の一つ。車の屋形に竹または檜(ひのき)の網代を張ったもの。四位・五位・少将・侍従は常用とし、大臣・納言・大将は略儀や遠出用とする。

枕草子を読んできて(117)その1

2019年03月27日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その1 2019.3.27

 五月の御精進のほど、職におはしますに、塗籠の前、二間なる所を、ことに御しつらひしたれば、例様ならぬもをかし。ついたちより雨がちにて、曇り曇らずつれづれなるを、「郭公の声たづねありかばや」と言ふを聞きて、われもわれもと出で立つ。賀茂の奥に、なにがしとかや、七夕のわたる橋にはあらで、にくき名ぞ聞こえし。
「そのわたりになむ、日ごとに鳴く」と人の言へば、「それは日ぐらしなンなり」といらふる人もあり。「そこへ」とて、五日のあした、宮司、車の事言ひて、北の陣より、五月雨はとがめなきものぞ、とて、入れさせおきたり。四人ばかりぞ、乗りてゆく。
◆◆五月の御精進のころ、中宮様が職の御曹司にお出であそばすので、塗籠の前の二間である所を、特別に御設備を整えてあるので、いつもと違っているのもおもしろい。月始めから雨がちで、曇ったり曇らなかったりして所在なないので、「郭公(ほととぎす)の声を探し求めてまわりたいものだ」と私が言うのを聞いて、われもわれもということで出発する。賀茂の奥に、なになにとか、織女星の渡るかささぎの橋ではなく、変な名前がついていた。「そのあたりに、毎日鳴く」と人が言うと、「それは、蜩のようだ」と応じる人もいる。「そこへ」ということで、五日の朝、職の役人が、車の事を指図して、北の陣を通って、「五月雨の頃はかまわないのだ」ということで、車を職の御曹司の端際まで入れさせておいてある。四人くらいがその車に乗って行く◆◆

■五月の御精進のほど=正月、五月、九月を斎月と称し、戒を保って精進する。これは長徳四年(998)のことと推定される。

■塗籠(ぬりごめ)=周囲を壁で塗り籠めた部屋。調度などを納める。

■二間なる所=柱のあいだを二間とった部屋。

■郭公=ほととぎす。

■七夕のわたる橋=かささぎの橋。七夕の夜、織女星を渡すという。

■日ぐらし=蜩。それは日を暮れさせる「日暮らし(蜩)」であるようだ、の意。



 うらやましがりて、「いま一つして同じくは」など言へど、「いな」と仰せらるれば、聞きも入れず、情けなきさまにて行くに、馬場といふ所にて、人おほくさわぐ、「何事するぞ」と問へば、「手つがひにてま弓射るなり。しばし御覧じておはしませ」とて、車とどめたり。「右近中将みな着きたまへる」と言へど、さる人も見えず。六位などの立ちさまよへば、「ゆかしからぬ事ぞ。はやかけよ」とて、行きもて行けば、道も祭のころ思ひいでられてをかし。
◆◆残された女房たちがうらやましがって、「もう一台の車で、同じ事なら」と言うけれど、中宮様から「いけない」と仰せられているので、自分たちも耳にも留めず、薄情な風を見せて出かけていくと、馬場(うまば)という所で、人が大勢騒いでいる。「何をするのか」と訊ねると、「競射の演習があって、弓を射るのです。しばらく御覧になっていらっしゃいませ」といって車を止めてある。「右近の中将やみなさまご着座していらっしゃる」というけれど、そういう人も見えない。六位の役人などが、あちこちうろうろしているので、「見たくもないことだ、早く走りなさい」と言って、どんどん進んで行くと、この道も賀茂の祭の頃がおもいだされておもしろい。◆◆


■平安時代にはホトトギスと郭公(カッコウ)が混同されていたようですが、なぜそのようなことになったのか疑問なのです。
両者は似ていますが、体長、鳴き声で明確に区別できます。
全長は28cmほどで、ヒヨドリよりわずかに大きく、ハトより小さい。頭部と背中は灰色で、翼と尾羽は黒褐色をしている。胸と腹は白色で、黒い横しまが入るが、この横しまはカッコウやツツドリよりも細くて薄い。目のまわりには黄色のアイリングがある。
ホトトギスは古来から多くの和歌に歌われていて、ポピュラーな鳥です。ホトトギスよりも鳴き声が優れていると書かれたものもあります。(忌み鳥としての伝承も多いようですが)
見るのが困難な稀少種ではありません、どうして混同されたのでしょうか?
また、コオロギとキリギリスもおなじように混同されていたようなのですが、ひよっとして当時の「風雅」の風潮として意識的に用いられたのでしょうか。
ホトトギスの実際の鳴き声を聞いたことはありませんが、CD-ROM盤の辞典で聞くと、テッペンカケタカには聞こえません、むしろホトトキと聞こえます。

*写真はほととぎす


枕草子を読んできて(116)

2019年03月24日 | 枕草子を読んできて
一〇三 くちをしきもの(116) 2019.3.24

 くちをしきもの 節会、仏名に雪の降らで、雨のかきくらし降りたる。節会、さるべきをりの、御物忌にあたりたる。いどみ、いつしか思ひたる事の、さはる事出で来て、にはかにとまりたる。いみじうほしうする人の、子生まで年ごろ具したる。遊びをもし、見すべき事もあるに、かならず来なむと思ひて呼びにやりつる人の、「さはる事ありて」など言ひて来ぬ、くちをし。
◆◆残念なもの 節会、仏名に雪が降らないで、雨が空を暗くして降っているの。節会やしかるべき行事の折が宮中の物忌みに当たっているの。競争して、早くその日が来てほしいと思っているのに、用事ができて、急に中止になってしまうの。ひどく子を欲しがっている人が子を産まないで何年の連れ添っているの。音楽の遊びもし、見せようと思っている時に、必ず来るだろうと思って、使いを出して呼んだ人が、「さしつかえがあって」などと言って来ないのは、残念だ。◆◆

■節会(せちえ)=節日・大礼・公事のある日に天皇が群臣に酒餞を賜う儀。

■仏名(ぶつみょう)=仏名会は「毎年12月19日から3夜の間、清涼殿で、過去・現在・未来の三千の仏名を唱えて、その年の罪業を懺悔し消滅させる法会



 男も女も、宮仕へ所などに、同じやうなる人もろともに、寺に詣で物へも行くに、このもしうこぼれ出でて、用意はけしからず、あまり見苦しとも見つべくぞあるに、さるべき人の馬にても車にても、行きあひ見ずなりぬる、いとくちをし。わびては、好き好きしからむ下衆などにても、人に語りつべからむにてもがなと思ふも、けしからになンめりかし。
◆◆男でも女でも、仕えている所などで、身分・気質など同じような人が、寺に詣でたりどこかへの出かけて行くときに、牛車から衣装が風流にこぼれ出ていて、その趣向はひどく風変わりで、あまりにも見苦しいと人が見るであろうが、しかるべき人が馬に乗ってでも、牛車にでも、行きあって見てくれるということがなくて終わってしまうのは、本当に残念だ。がっかりして情けなく思っては、せめて、風流心のありそうな下層の者などであっても、ちゃんと人に話して聞かせるに違いなさそうな者が欲しいな、と思うのも、はなはだ奇妙なことであるようだ。◆◆

■宮仕へ所=出仕している所。必ずしも宮中とはかぎらない。

■こぼれ出でて=出衣(いだしぎぬ)をいう。

■かしからず=「怪しくあらず」であるが、怪しくあるどころではなく、はなはだ怪しくある、の意を表すという。ひどく異様だ。

■さるべき人=さあるべき人=身分教養高く見せがいのある。

*写真は仏名会


枕草子を読んできて(115)

2019年03月21日 | 枕草子を読んできて
一〇二  あさましきもの(115) 2019.3.21

 あさましきもの さし櫛みがくほどに、物にさへて折りたる。車のうち返されたる。さるおほのかなる物は、所せう久しくなどやあらむとこそ思ひしか、ただ夢の心地してあさましう、あやなし。
◆◆あまりの意外さにあきれてしまうもの 挿し櫛を磨くうちに、物に突き当たって折ったの。牛車のひっくり返されたの。そんなに物凄く大きな物は、そのままそこにあるだろうと思っていたのが、ただ夢のような気がして、意外で、何がなんだがわからない。◆◆

■さし櫛みがく=飾りとして髪に挿す櫛。つげや象牙で作り木賊(とくさ)で磨く。
■あやなし=「あや」は物事の筋目。筋が通らない。物の道理がわからない。


 人のためにはづかしき事、つつみもなく、ちごも大人も言ひたる。かならず来なむと思ふ人の、待ち明かして、暁がたに、ただいささか忘られて、寝入りたるに、烏のいと近く、かかと鳴くに、うち見開けたれば、昼になりたる、いとあさまし。調半にどう取られたる。むげに知らず見ず聞かぬ事を、人のさし向かひて、あらがはすべくもなく言ひたる。物うちこぼしたるもあさまし。賭弓に、わななくわななく久しうありてはづしたる矢の、もてはなれて、こと方へ行きたる。
◆◆その人の恥ずかしいことを、無遠慮に、子供も大人も言ってるの。必ず来るだろうと思う人が、一晩中待ち明かして、暁の頃にただちょっと忘れて寝てしまって、烏が近くでかあかあと鳴くので、戸を開けて見ると昼になっている、何だかあきれる。双六で調半に相手に筒を取られるの。全く知らず見もせず聞いてもいないことを、人がこちらに向かって、反論の余地もなく言ってるの。物をひっくりかえし、こぼしているのもあきれえる。
賭弓に震え震えて長くかかって射た矢が、的から離れて、別のところに行ってしまってるの。◆◆

■調半(てふばみ)にどう取られたる=双六で二つの賽を振って同じ目のそろって出るのを争う遊び。賽を入れるものを筒(どう)といい、同じ目の時は続いて筒を振る事ができるので、ここでは相手に筒をとられた、の意。
■賭弓(のりゆみ)=射礼(じゃらい)の翌日(正月十八日)弓場殿に天皇が臨幸して左右の近衛府・兵衛府の舎人たちが射を競うのをご覧になる行事。


■平安時代の「双六」 
平安時代を代表する室内遊戯といえば、まず碁でしょう。そしてより庶民的で流行したものに「双六」があります。
囲碁に関しては用具もルールも現代に伝わっていますので、あえて紹介するまでもありませんが、双六は子供のお正月遊び「紙双六」に変化してしまって、平安の遊びとは違うものになってしまい、本当の双六「盤双六」はすたれてしまっています。
 ここでは双六のルールをご紹介して、賭事に使われて何度も禁令が出されたほど平安人が熱中した楽しみを感じていただきたいと思います。
 ただし本当の平安時代のルールというのは実は判っていません。「ぞろ目」である「重五」「朱四」などのさまざまな専門用語が古い記録に残っていますが、それがどういうもので、どういった働きをゲーム中でするのか今では正確なことは不明です。たぶん「ぞろ目が出ればもう一度賽を振れる」ルールであったでしょうが・・・。
ここでは文献に見られるルールの断片と、同じインド発祥のゲームが変化したと言われる西欧の「バックギャモン」から推測したルールをご紹介します。

双六の道具
双六盤、白コマ・黒コマ15ずつ、振り筒、サイコロ2個を用います。
振り筒にサイコロを入れて盤にはっしと打ち付ける姿が絵巻物「長谷雄草紙」に描かれています。双六盤は上下それぞれを12区画に仕切り、中央に分離帯を設けた形で線が引かれています。

ゲームの種類
双六盤をつかったゲームには、「本双六」「柳(つみかえ)」「追い回し」「折り葉」などがあります。どれも基本的なルールは同じ様なもので、自分の色(白か黒)のコマをすべて自分の陣地に入れたら勝ちです。その中でも最も単純なのが「柳(つみかえ)」でしょう。なお先手後手は、それぞれが1個ずつ同時にサイコロを投げて数の多かった者が先手になります。

柳(つみかえ)
 白黒ともに、端の区画に15コマ積み上げ、これをサイコロの数で前進させて、反対側の端の区画にすべて入れれば勝ちです。あまりテクニック性のない単純なゲームで、入門には良いでしょう。

*写真は双六あそび。

枕草子を読んできて(114)

2019年03月19日 | 枕草子を読んできて
一〇一  かたはらいたきもの  (114) 2019.3.19

 かたはらいたきもの まらうどなどに会ひて物言ふに、奥の方にうちとけと人の言ふを、制せで聞く心地。思ふ人のいたく酔ひさかしがりて、同じ事したる。聞きゐたるをも知らで、人の上言ひたる。それは何ばかりならぬ使人なれど、かたはらいたし。旅立ち所近き所などにて、下衆どものざれかはしたる。
◆◆いたたまれない感じのもの 来客などに会って話をしている時に、奥の方でくつろいだ内輪話を人がするのを、止めないで聞く気持ち。自分の思っている人ひどく酔って偉そうにして、同じことを繰り返しているの。側にゐて聞いているのも知らないで、人のうわさをしているの。それはたいした身分の人でもない使用人であるけれども、いたたまれない感じがする。外泊してしる家の近い所で、下男たちがふざけあっているの。◆◆

■かたはらいたきもの=脇から見て苦々しい、いらいらして我慢しかねる感じだ、の意。
■旅立ち所=自宅以外に泊まるのが旅である。



にくげなるちごを、おのれが心地にかなしと思ふままに、うつくしみ遊ばし、これが声のまねにて、言ひける事など語りたる。才ある人の前にて、才なき人の、物おぼえ顔に、人の名など言ひたる。ことによしともおぼえぬを、わが歌を人に語り聞かせて、人のほめし事など言ふも、かたはらいたし。人の起きて物語などするかたはらに、あさましううちとけて寝たる人。まだ音も弾きととのへぬ琴を、心一つやりて、さやうの方知りたる人の前にて弾く。いとどしう住まぬ婿の、さるべき所にて舅に会ひたる。
◆◆可愛げのない乳飲み子を、自分の気持ちでは実に可愛いと思うままにまかせて、かわいがって遊ばせて、その子の声色をまねて、言ったことなどを話してるの。才学の優れている人の前で、才学のない人が、物知り顔に、史伝などに見える古人の名など言ってるの。取り立てて良いとは思われないのに、自分の歌を人に話して聞かせて、その人が褒めたことなどを言うのも、いまいましい感じだ。人が起きていて話などをしている側で、あきれるほどくつろいで寝ている人。まだ音も弾いて整えていない琴を、自分の心だけで満足させて、そちらの方面に通暁している人の前で弾くのも。さっぱり通ってくることのない婿が、しかるべき表舞台で、舅に出会ったの。◆◆

■琴(こと)=「琴」は弦楽器の総称。

*写真は「琴」

枕草子を読んできて(113)その2

2019年03月13日 | 枕草子を読んできて
一〇〇  ねたきもの  (113) その2  2019.3.13

 見すまじき人に、ほかへやりたる文取りたがへて持て行きたる、いとねたし。「げにあやまちてけり」とは言はで、口かたうあらがひたる。人目をだに思はずは、走りも打ちつべし。おもしろき萩、薄などを植ゑて見るほどに、長櫃持たる者、鋤など引きさげて、ただ掘りに堀りていぬるこそ、わりなうねたかりけれ。よろしき人などのあるをりは、さもせぬものを、いみじう制すれど、「ただすこし」など言ひていぬる、言ふかひなくねたし。受領などの家に、しもめなどの来て、ながめに物言ひ、さりとてわれをばいかが思ひたるけはひに言ひ出でたる、いとねたげなり。
◆◆見せてはならない人の所へ、余所へ送った手紙を取り違えて持って行っているのは、ひどくいまいましい。使いの者が、「なるほど間違えてしまいました」とは言わないで、頑固に抗っているの。人目をさえ気にしないなら、走って行って打ってしまうだろう。風情のある萩、薄などを植えて眺めてみている間に、長櫃を持った者が、鋤などを引き下げて来て、ひたすら掘るに掘って立ち去って行くのこそはどうしようもなく忌々しかった。相当な地位、身分の人のいる時には、そんなことはしないものを、ひどく止めるけれど、「ほんの少しだけ」などと言って行ってします。言う甲斐もなくいまいましい。受領などの家に、下僕などが来て、無礼な風に口を利き、そうしたところで自分をいったいどう思っているのかという口つきで言葉に出しているのは、たいそう忌々しい感じだ。◆◆

■長櫃(ながびつ)=長方形の、足のついた長持ち。二人でかつぐ。

■受領(ずりょう)=国司交代の際、新任国司が前任国司から事務を引き継ぎ、官物を受領うることからの名。その折の新任の国司の長官をいう。受領は都の権力ある貴族からはばかにされていた。

■しもめ=「しもべ」と同じか。



 見すまじき人の、文を引き取りて、庭におりて見立てる、いとわびしうねたく、追ひて行けど、簾のもとにとまりて見るこそ、飛びも出でぬべき心地すれ。
◆◆見せてはならない筈の人が、手紙を引っ張り取って、庭に下りて立って見ているのは、とてもやりきれなく、忌々しくて追いかけて行きたいけれど、女性は簾(すだれ)より外に出るわけにはいかないので、簾のもとに立ち止まって見ているのこそ、今にも飛び出して行ってしまいたい気持ちがするものだ。◆◆



 すずろなる事腹立ちて、同じ所にも寝ず、身じくり出づるを、しのびて引き寄すれど、わりなく心こはければ、あまりになりて、人も「さはよかンなり」と怨じて、かいくくみて臥しぬる後、いと寒きをりなどに、ただ単衣ばかりにて、あやにくがりて、おほかた皆人も寝たるに、さすが起きゐらむ、あやしくて、夜のふくるままに、ねたく、起きてぞいぬべかりけるなど思ひ臥したるに、奥にも外にも、物うち鳴りなどしておそろしければ、やをらまろび寄りて、きぬ引きあぐるに、空寝したるこそ、いとねたけれ。「なほこそこはがりたまはめ」などうち言ひたるよ。
◆◆つまらないことに女が腹をたてて、男と一つ所に寝ないで、蒲団から身じろぎをして抜け出るのを、男がこっそり引き寄せるけれど、むやみに強情なので、あまりのことにと思って、男も「それならそのままで良さそうなんだね」と恨んで、夜具を引きかぶって寝てしまった後で、ひどく寒い折などに、ただ単衣(ひとえ)だけで、ちぐはぐな気持ちで不愉快で、もうほとんどの人が寝ているときに、そうはいっても起きているのは変なので、夜が更けるにつれて、忌々しくて、さっき起きて出て行けばよかったなどと思って寝ていると、奥の方でも、外の方でも何か音が鳴って恐ろしいので、そっと男の方へ転がって寄っていって、夜具を引き上げると、たぬき寝入りしているのこそ、ひどく忌々しい。なんとまあ、「そのままやはり強情を張っていらっしゃるのが良い」などと言っていることよ。◆◆


■身じくり=不審、仮に「身じろき」の説にしたがう。




枕草子を読んできて(113)その1

2019年03月09日 | 枕草子を読んできて
一〇〇  ねたきもの  (113) その1  2019.3.9

 ねたきもの これよりやるも、人の言ひたる返事も、書きてやりつる後に、文字一つ二つなどは思ひなほしたる。とみの物縫ふに、縫ひ果てつと思ひて、針を引き抜きたれば、はやう結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるも、いとねたし。
◆◆いまいましいもの こちらから送る手紙でも、人が言ってきてる手紙の返事でも、書いてしまった後で、文字の一つや二つなどは考えなおしているの。急ぎの物を縫うときに、縫い終わってしまったと思って、針を引き抜いたところ、もともと糸の尻を結んでおかなかったのだった。また、裏表を反対に縫っているのも、ひどくいまいましい。◆◆

■ねたきもの=してやられたとか、しくじったとか、他に対して引け目を覚えて、忌々しい、癪だと感じる気持ち。

■はやう結ばざりけり=「はやう……けり」で「もともと……だったのだ」の意。



 南の院におはします頃、西の対に殿のおはします方に、宮もおはしませば、神殿にあつまりゐて、さうざうしければ、たはぶれ遊びをし、渡殿にあつまりてゐなどしてあるに、「これただいま、とみの物なり。たれもたれもあつまりて、時かはさず縫ひてまゐらせよ」とて、平絹の御衣を給はせたる。
◆◆三条南の院に中宮様がおいであそばしたころ、西の対屋に御父君(藤原道隆)がおいであそばすそちらの方に、中宮様もおいであそばすので、女房たちは神殿に集まって座って、取り残された感じで物さびしいので、遊びふざけたり、渡殿に出て集まって座ったりなどしているところに、「これは、たった今、大急ぎの物だ。みな集まって、時を移さず縫ってさしあげよ」ということで、平絹のお召し物をお下げ渡しあそばしている。◆◆

■南の院=東三条南院。道隆邸。正暦四年(993)三月焼失、後再建、同五年十一月道隆はここに還り、長徳元年(995)四月六日出家、中宮は同日行啓、十日道隆は薨じた。この折の事の回想記といわれるが、女房の言動などのんびりしすぎているようでもある。一説、焼失以前に行啓のあった折のこととする。

■平絹(ひらぎぬ)=綾目のない平織にした絹。



 南面にあつまりゐて、御衣片身づつ、たれかとく縫ひ出づるといどみつつ、近くも向はず縫ふさまもいと物ぐるほし。命婦の乳母、いと縫ひ果ててうち置き、つづきにゆだけのかたの御身を縫ひつるがそむきざまなるを見つけず、とじ目もしあへず、まどひ置きて立ちぬるに、御背合はせむとすれば、はやうたがひにけり。笑ひののしりて、「これ縫ひなほせ」と言ふを、「たれかあしう縫ひたりと知りてかなほさむ、綾などならばこそ、縫ひたがへの人のげになほさめ、無紋の御衣なり。何をしるしにてか。なほす人たれかあらむ。ただまだ縫ひたまはざらむ人になほさせよ」とて、聞きも入れねば、「さ言ひてあらむや」とて、源少納言、新中納言などいふ、なほしたまひし顔見やちてゐたりしこそをかしかりしか。これは、よさりののぼらせたまはむとて、「とく縫ひたらむ人を、思ふと知らむ」と仰せられしか。
◆◆みなは、南面(みなみおもて)に集まって座って、お召し物を片身ずつ、誰が早く縫い上げるかと競争して、近くに向かい合いもせず縫う様子はひどく気違いじみている。命婦の乳母が、糸で身頃を縫い終えて、下に置き、続いて裄丈の御片身を縫った、それが裏表取り違えているのに気が付かず、糸の結び止めもし終えずに、大慌てにあわてて置いて立ってしまったのに、御背を合わせようとすると、はじめから違ってしまっていたのだった。大騒ぎして笑って、「これを縫い直しなさい」と言うのを、「だれが間違って縫ったのかと知って直すものですか。綾だったら縫い間違えた人が直すはずでしょうが、これは無紋のお召し物です。何を目印にしてと言うのですか。だから縫い直す人がいるはずがありません。ただ、まだお縫いにならない方に直させてください」と言って、聞き入れないので、「そんなことを言ってこのままにしておけようか」というわけで、源少納言、新中納言などという中宮付きの女房がお縫い直しになった顔を遠くから見て座っていたのこそおもしろかった。これは、夜分中宮様が参内あそばされようということで、「早く縫いあげよう人を、私を思ってくれると知ろう」と仰せられたのだ。◆◆

■命婦の乳母(みょうぶのめのと)=中宮の乳母。

■つづきにゆだけのかたの……=続いて裄丈の片身を縫ったのが裏表取り違えているのを。

■仰せられしか=…「しか」で結ぶのは不審。

*写真は女房達の仕事・縫い物。


枕草子を読んできて(112)

2019年03月03日 | 枕草子を読んできて
九九  御乳母の大輔の、今日の   (112) 2019.3.3

 御乳母の大輔の、今日の、日向かへくだるに、給はする扇どもの中に、片つ方には、日いとはなやかにさし出でて、旅人のある所、ゐ中将のたちなどいふさま、いとをかしうかきて、いま片つ方には、京の方、雨いみじう降りたるに、ながめたる人などかきたるに、
 あかねさす日に向かひて思ひ出でよ都ははれぬながめすらむと
ことばに御手づから書かせたまひし、あはれなりき。さる君を置きたてまつりて、遠くこそえ行くまじけれ。
◆◆御乳母の大輔が、今日の、日向(ひゅうが)に下るというときに、中宮様がお与えになるたくさんの扇の中に、片方には、日がぱっと差し出て、旅人が居る所、井中将の館などというありさまを、とてもおもしろく描いて、もう片一方には、京の方面のありさまで、雨がひどく降っているのに、物思いをして見つめている人などを描いてあるのに
(歌)映える日に向かっても思い出しなさい、都では晴れることのない長雨にじっと物思いにふけって見つめているであろうと
 (中宮様が)言葉として御自らお書きあそばしたのは、しみじみと身に染みておぼえたことだった。このようなご主君をそのままお置き申し上げて、遠くへ行くことは、とてもできそうにないことだ。◆◆

■御乳母の大輔=中宮の乳母であろうか。伝不詳。

■扇=扇は再び「あ(逢)う」に因んで、餞別に送ったのであろう。

■ゐ中将=不審。