永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(136)その2

2020年02月12日 | 枕草子を読んできて
124 正月寺に籠りたるは  (136)その2  2020.2.12

 御あかし、常灯にはあらで、うちにまた人の奉りたる、おそろしきまで燃えたるに、仏のきらきらと見えたまへる、いみじくたふときに、手ごとに文をささげて、礼盤に向ひてろきちかふも、さばかりゆすり満ちて、これは、とり放ちて聞きわくべくもあらぬに、せめてしぼり出だしたる声々の、さすがにまたまぎれず、「千灯の御こころざしは、なにがしの御ため」と、はつかに聞こゆ。帯うちかけて拝みたてまつるに、「ここにかう候ふ」と言ひて、樒の枝を折りて持て来るなどのたふときも、なほをかし。
◆◆仏前のご灯明の、常灯明ではなくて、内陣にまた参詣の人がお供え申し上げてあるのが、恐ろしいまでに燃え盛っているのに、本尊の仏さまがきらきらと金色に光ったお見えになるのが、たいへん尊いのに、お坊さんが手に手に参詣人の願文をささげ持って、礼拝の座に向かって(?)を誓う声も、あれほどまでに、堂内が大勢の張り上げる祈願の声でいっぱい揺れ動くので、これは誰の願文と、一つ一つ取り離して聞き分けることもできないが、それでもお坊さんたちが、無理に絞り出している声々が、さすがに他の声にまぎれないで、「千灯のお志は、だれそれの御ため」、と、ちらっときこえる。私が掛帯を肩に打ち掛けてご本尊を拝み申し上げていると、「御用承りの者です」と言って、樒(しきみ)の枝を折って持ってきているのなどの尊い様子も、やはりおもしろい。◆◆


■礼盤(らいばん)=仏前にある高座で、仏を礼拝し読経などするときに導師が座る。
■ろき=不審。
■せめて=「せめて」は副詞。「迫む」(下二段自動詞)から出た語。できることのぎりぎりの線まで近づいてが原義。
■帯うちかけて=儀礼用の掛け帯。寺社参詣、読経の折などに、肩に掛ける。
■樒(しきみ)の枝=枝を仏前に供え、葉や樹皮から抹香(まっこう)をつくる。


枕草子を読んできて(136)その1

2020年02月09日 | 枕草子を読んできて
124 正月寺に籠りたるは  (136)その1  2020.2.9
 
正月寺に籠りたるは、いみじく寒く、雪がちに氷りたるこそをかしけれ。雨などの降りぬべきけしきなるは、いとわろし。
◆◆正月に寺に籠っているときには、ひどく寒く、雪も積もりがちに冷え込んでいるのこそおもしろい。雨が降りそうな空模様は、とても良くない。◆◆


初瀬などに詣でて、局などするほどは、くれ階のもとに、車引き寄せて立てるに、おびばかりしたる若き法師ばらの、足駄といふ物をはきて、いささかつつみもなくおりのぼるとて、何ともなき経の端をよみ、倶舎頌をすこし言ひつづけありくこそ、所につけてはをかしけれ。わがのぼるはいとあやふく、かたはらに寄りて、高欄おさへて行くものを、ただ板敷きなどのやうに思ひたるもをかし。「局したり」など言ひて、沓ども持て来ておろす。
◆◆初瀬などに参詣して、尾籠のお部屋の準備などをしている間は、くれ階のそばに車を引き寄せて立っていると、ちょっと帯くらいをした若いお坊さんたちが、足駄というものを履いて、少しも恐れる様子もなく上り下りしながら、これといった決まっていないお経の片端を口にしたり、倶舎頌をすこし唱えて歩いているのこそ、場所が場所だけにおもしろい。自分が上るのは、ひどく危なっかしくて、片側によって高蘭を抑えながら行くのに、あのお坊さんたちは、まるで板敷きを歩くように思っているのもおもしろい。坊さんが「お部屋の準備ができました」などと言って、いくつもの履物を持ってきて、私どもを車から降ろす。◆◆

■くれ階(くれはし)=階段のついた屋根のある長廊下。
 ■倶舎頌(くしゃのじゅ)=「具舎」は『阿毘達磨具舎論』の略。「頌」は字句を一定して誦しやすくするもの。



 衣うへさまに引き返しなどしたるもあり。裳、唐衣などこはごはしく装束きたるもあり。深沓、半靴などはきて、廊のほどなど沓すり入るは、内わたりめきて、またをかし。
◆◆着物を上の方に裾をはしょって着ている者もある。裳や唐衣などゴワゴワしているのを四角張ってきている者もある。深沓、半靴などをはいて、廊のあたりなどを、摺り足でお堂に入って行くのなどは、宮中めいていて、これもまたおもしろい。◆◆

■深沓(ふかぐつ)=下部を革でつくり、上部は薔薇錦をつけ細い革緒で締めた沓をいう。
■半靴(はうくわ)=木を浅く掘り、黒漆で塗った沓。深沓の頸を短くした形のもの。

 内外などのゆるされたる若き男ども、家ノ子など、また立ちつづきて、「そこもとは落ちたる所に侍るめり。あがりたる」など教へ行く。何者にかあらむ、いと近くさし歩み、さいだつ者などを、「しばし、人のおはしますに、かくはまじらぬわざなり」など言ふを、「げに」とてすこし立ちおくるるもあり、また聞きも入れず、「われまづとく仏の御前に」と、行くもあり。局に行くほども、人のゐ並みたる前を通り行けば、いとうたてあるに、犬防ぎの中を見入れたる心地、いみじくたふとく、「などて月ごろも詣でず過ぐしつらむ」とて、まづ心もおこさる。
◆◆表向き、外向きなど両方の出入りを許されている若い男たちや、その縁の子弟などが、またずうっと、「そこのところは低くなっているところでございます。そこのところは高くなって…」など女主人に教えながら行く。何者だろうか、女主人にひどく近寄ったり追い越して行く物を、「しばらく待て、高貴な方がいらっしゃるのに、こんなに近寄ってはならないことだ」などと言うのを、「なるほど」と言って、少し下がって歩く者もいるし、また耳にも止めないで、「自分がまず先に仏の御まえに」と行く者もある。
お籠りの部屋に行く間も、人が並んで座っている前を通って行くので、ひどく疎ましく思っているのに、それでも、ぎの内側の内陣を覗いた気分は、たいそう尊く「どうして、この何か月も間お参りしないで
来てしまったのだろう」と思われて、なによりも先に信心の気持ちを自然におこすようになる。◆◆


■また=「あまた」の間違いか。
■犬防ぎ(いぬふせぎ)=仏堂の内陣と外陣とを仕切る作り付けの格子。内陣には本尊が安置されている。


枕草子を読んできて(135)その2

2020年02月02日 | 枕草子を読んできて
123  あはれなるもの  (135)その2  2020.2.2

 九月つごもり、十月ついたち、ただあるかなきかに聞きわけたるきりぎりすの声。鶏の子抱きて伏したる。秋深き庭の浅茅に、露の色々玉のやうにて光たる。河竹の風に吹かれたる夕暮。暁に目さましたる。夜なども、すべて。思ひかはしたる若き人の中に、せく方ありて、心にもまかせぬ。山里の雪。男も女も清げなるが、黒き衣着たる。二十六七日ばかりの暁に、物語してゐ明かして見れば、あるかなきかに心ぼそげなる月の、山の端近く見えたる。秋の野。年うち過ぐしたる僧たちの行なひしたる。荒れたる家に葎這ひかかり、蓬など高く生ひたる家に、月の隈なく明かき。いと荒うはあらぬ風の吹きたる。
◆◆九月の末、十月のはじめ、かすかに聞き分けられるようなこおろぎの声、鶏がひなを抱いて伏してるの。秋が深まった庭の茅萱に露の色々が玉のように光っているの。河竹が風に吹かれている夕暮。明け方に目をさましているの。夜なども万事につけて。愛し合っている若い人の中に、邪魔をする人がいて、心にもまかせて逢えないの。山里に降る雪。男も女も美しい人が黒い衣を着ているの。二十六、七日ほどの明け方に、話をして座ったままで夜を明かして、外を見れば、あるかないかの心細げな月が、山の端近くに見えるの。秋の野。年取った僧が勤行しているの。荒れた家に葎が這いかかり、蓬などが高く生い茂った家に、月が隈なく明るく照り渡しているの。あまり強くない風が吹いてるの。◆◆

■きりぎりす=今の「こおろぎ」
■浅茅(あさぢ)=背丈の低い茅萱