永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(516)

2009年09月30日 | Weblog
 09.9/30   516回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(70)

 この柏木のただ事ではない様子に、父君の致仕大臣や母君(元の右大臣の四の君)が驚かれて、女二宮(落葉の宮)の邸から、柏木をこちらの御殿に移すことになりました。後に残される落葉の宮のご心痛はいかばかりでしょうか。

 柏木は、落葉の宮といずれは打ち解けて睦みあうことがあろうかと、空頼みしてきたのですが、さてこれを限りにお別れの門出になるかと思えば、あはれにも悲しくて、落葉の宮のお嘆きももったいなく、辛いと思うのでした。落葉の宮の母である御息所(朱雀院の女御であった人)もたいそうお嘆きになって、

「世の事として、親をばなほさるものにおき奉りて、かかる御中らひは、とある折もかかる折も、離れ給はぬこそ例のことなれ、かく引き別れて、たひらかにものし給ふまでも、過ぐし給はむが心づくしなるべき事を、しばしここにてかくてこころみ給へ」
――世間一般としては、親は親として置いていただき、夫婦というものはどんなときにも、お離れにならぬのが当たり前のことです。それをこうして別れて、ご快復になるまでお過ごしになるのは心配ですから、しばらくここで、このまま御養生なさいませ――

 と、傍らに几帳などを立てて見守り、お世話をなさっていらっしゃる。柏木は、

「ことわりや。(……)いとみじかくさへなり侍れば、深き志をだに御覧じはてられずやなり侍りなむと思う給ふるになむ、とまり難き心地にも、えゆきやるまじく思ひ給へらるる」
――ごもっともです。(内親王という女二宮をいただいておりながら)不幸にして、このような重病になりまして命も当てにならないことになりました。深い志さえもご覧頂けずに終わるのかと考えますと、どうせ助かるまい病気と思いましても、とても死に切れぬ気がいたします――

 とおっしゃって、お互いにお泣きになるのでした。このような訳で、急にも父邸に移って来られないことに、柏木の母君の北の方は、

「などか、まづ見えむとは思ひ給ふまじき。われは、心地も少し例ならず心細き時は、あまたの中にまづ取りわきて、ゆかしくも頼もしくもこそ覚え給へ。かくいとおぼつかなきこと」
――(大そう具合が悪いというのに)どうして真っ先に親に会いたいと思わないのですか。私は、気分がすぐれず心細い時には、大勢の子どもの中の誰よりもあなたに会いたく、頼もしくも思っているのですよ。それなのに、このままで、顔もみせないとは頼りないこと――

 と、柏木に恨み言をおっしゃるのも、またもっともなことです。

ではまた。


源氏物語を読んできて(515)

2009年09月29日 | Weblog
 09.9/29   515回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(69)

 柏木は、

「人よりけにまめだち屈んじて、まことに心地もいとなやましければ、いみじきことも目にとまらぬ心地する人をしも、さしわきて空酔ひをしつつかくのたまふ、たはぶれのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃のめぐり来るも頭いたくおぼゆれば」
――人よりも真面目くさって沈み込んでおり、実際気分も大変悪そうで、楽しい催しにも格別目を留めていない、そんな人を、源氏が取り分け名指して、酔ったふりをなさって、このように言われますのは、冗談のようでも、柏木自身は胸がつぶれるほど、どきっとして、盃がめぐってきましても、ひどく頭が痛くて仕方がなくて――

「気色ばかりにてまぎらはすを、御覧じとがめて、持たせながらたびたび強ひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、なべての人に似ずをかし」
――(柏木が)飲む振りをしてごまかしていますのを、源氏は見咎めて、盃を取らせては何度も無理にすすめて飲まされますので、柏木が困り切って飲みかねている様子は、
他所から見れば、なかなかに慎ましげにみえます――

「心地かき乱りて、堪へ難ければ、まだ事もはてぬに、まかで給ひぬるままに、いといたく惑ひて、例のいとおどろおどろしき酔ひにもあらぬを、如何なればかかるらむ、つつましと思ひつるに、気ののぼりぬるにや、いと然言ふばかり、憶すべき心弱さとは覚えぬを、いふかひなくもありけるかな、と自ら思ひ知らる」
――(柏木は)いよいよ気分が悪くて、まだ宴会が終わらない内に帰宅されますや、ひどく患い出しまして、常の時のように、大そう酔ったという訳でもないのに、どうしてこうなのだろう、「申し訳ない」とあの事を心に責めていましたので、のぼせたものであろうか。「まさか、それほどの気弱さとは思っていなかったのに、何と不甲斐ないことよ」と自分でも思い知ったのでした――

「しばしの酔いの惑ひにもあらざりけり。やがていといたく患ひ給ふ」
――しかしそれは、一時的な悪酔いではありませんでした。やがてそのままひどく重体になられたのです――

◆まめだち屈んじて=生真面目に沈み込んで

ではまた。


源氏物語を読んできて(514)

2009年09月28日 | Weblog
 09.9/28   514回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(68)

 朱雀院ご自身が、万事簡略にとおっしゃっておられますので、源氏の六条院での催しもそれに添ってなさっております。源氏は、

「楽のかたの事は御心とどめて、いとかしこく知り整へ給へるを、さこそ思し棄てたるやうなれ、静かに聞し召しすまさむこと、今しもなむ心づかひせらるべき。かの大将ともろともに見入れて、舞の童の用意心ばは、よく加へたまへ」
――(朱雀院は諸芸に明るくていらっしゃる中でも)音楽については特にご熱心で、よく通暁していらっしゃいますので、世をお捨てになっていらっしゃるとはいっても、こういう折こそ静かにお聴きになると思えばこそ、十分に準備をしませんとね。夕霧と一緒によく世話をして、舞の童たちの態度や心得をよろしく頼みます――

 と、たいそう優しくお言い付けになられましたので、柏木はほっと安心しながらも心苦しく身のすくむような心地がして、一刻も早く院のお前を立ち去りたいと、そこをようやく滑り出てしまいました。

 試楽の日を、源氏は女方に見物し甲斐があるようにと配慮されました。童たちは、
髭黒右大臣の四男、夕霧の長男、次男、三男、蛍兵部卿の宮の子息たちで、立派に楽に合わせて舞う姿に、みな涙を流さんばかりに感激しておいでになります。正式ではないのでご馳走などは手軽に用意されておりましたが、酔いがまわるにつれ、主人側の源氏が、

「過ぐる齢にそへえは、酔ひ泣きとどめ難きわざなれ。衛門の督心とどめてほほゑまるる、いと心はづかしや。さりとも今しばしならむ。さかさまにゆかぬ年月よ。老いは、えのがれぬわざなり」
――だんだん歳をとるにつれて、酔えばすぐ涙のこぼれ出るのを抑えることのできないものだ。衛門の督(柏木)が、私のこんな有様をじっとご覧になって、ひとり微笑んでおいでなのが、甚だ恥ずかしい。しかし、その若さに奢っておられますのも今だけですよ。年月は逆さまに進みませんからね。誰だって老いは避けられないものですからね――

 とおっしゃりながら、柏木に御目を据えてじいっとご覧になります。

ではまた。


源氏物語を読んできて(513)

2009年09月27日 | Weblog
 09.9/27   513回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(67)

 源氏は続けて、

「御賀といへば、事々しきやうなれど、(……)拍子ととのへむこと、また誰にかはと思ひめぐらしかねてなむ、月頃とぶらひものし給はぬうらみも棄ててける」
――御賀と言いますと大袈裟なようですが、(私の孫たちが大勢いますので、それを院にご覧いただこうと思って舞の稽古をはじめました)その拍子取りを貴方の他に考えつきませでしたので、ながらく御来訪のない恨みも忘れてお呼びした次第です――

 こうおっしゃる源氏のご様子は、何の屈託もないようにお見受けするものの、柏木は、

「いとどはづかしきに、顔の色違うらむと覚えて、御いらへもとみに聞こえず」
――まことに面目なく、恥ずかしさに、我ながら顔色も変っているに違いないと思えて、お返事も急には口に出ません――

 柏木は驚愕しながら、

「月頃かたがたに思しなやむ御こと、承り歎き侍りながら、春の頃ほひより、例もわづらひ侍る、みだり脚病というもの、所せく起こりわづらひ侍りて、はかばかしく踏み立つる事も侍らず、月頃に添へて沈み侍りてなむ、内裏などにも参らず、世の中あと絶えたるやうにて籠り侍る」
――長らくあの方この方のご病気で、ご心痛のことを承り心配しておりましたが、私はこの春頃から、持病の脚気という病気がひどくなりまして、しっかりと立ち歩きもできず、月日とともにさらに弱くなりまして、参内もせず、世間と絶縁の有様で引き籠もっております――

「院の御齢足り給ふ年なり、人よりさだかに数へ奉り仕うまつるべきよし、致仕の大臣思ひおよび申されしを、(……)重き病をあひ助けてなむ、参りて侍し」
――朱雀院が五十歳におなりになる年でもあり、人一倍お祝い申し上げるべき事を、父大臣も存知及んではいるのですが、(何分退官した身で出すぎてはと、「おまえは、身分は低いが、志は私と変わるまい、それをご覧いただきなさい」と勧められましたので、
重病をこらえて去る日、参上いたしました――

 柏木の言葉を、源氏は聞かれて、「落葉の宮ご主催の御賀の盛大なのを聞いていたが、それとは言わずにいること」を、なかなか思慮ある心だと感心なさった。

◆みだり脚病=脚気

◆写真:源氏の前におののいている柏木  Wakogenjiより

ではまた。


源氏物語を読んできて(512)

2009年09月26日 | Weblog
 09.9/26   512回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(66)

 柏木から、参上できませんというお返事に、源氏は、

「さるは、そこはかと苦しげなる病にもあらざなるを、思ふ心のあるにやと、心苦しくおぼして、取りわきて御消息つかはす」
――そうとは言っても、柏木は別段特に悪い病気でもないのに、多分気兼ねをしているのであろうと、気の毒にもお思いになって、特にお言葉をお伝えになります――

父大臣(今は致仕の)も、

「などか、かへさひ申されける。ひがひがしきやうに、院にも聞し召さむを、おどろおどろしき病にもあらず、助けて参り給へ」
――どうしてご辞退されたのか。拗ねているように源氏に思われましょうに。大した病気でもなし、我慢して参上しなさい――

 と、柏木を促されます丁度その時に、源氏からも催促が参りましたので、「ああ、辛い、苦しい」と心に思いながら参上なさったのでした。まだ上達部なども集まっていらっしゃらない時刻でしたので、源氏はいつものように、柏木をほど近い御簾の内にお入れになって、御自分は母屋の御簾越しにいらして、柏木の様子をご覧になりますと、

「げにいといたく痩せ痩せに青みて、例も誇りかにはなやぎたる方は弟の君達にはもて消たれて、いと用意あり顔にしづめたる様ぞことなるを、(……)ただ事のさまの、誰も誰もいと思ひやりなきこそ、いと罪ゆるしがたけれ、など御目とまれど、さりげなくいとなつかしく」
――まことにひどく痩せはてて、顔色も青白く、普段から華やかな点は弟君よりは少なくて、大そうたしなみ深そうに落ち着いた人ではありましたものの、(今日は一段と沈んでおられ、その様子は皇女方の婿として並べてみても、なるほど差し障りがなさそうですが)ただ、例の一件で、柏木も女三宮もまことに思慮に欠けた態度であるのが、勘弁ならぬなどと考えられて、源氏は柏木を見つめる目がキッと鋭くなりましたが、そこはさりげなく優しいお言葉にして――

「その事となくて、対面もいと久しくなりにけり。(……)院の御賀のため、ここにものし給ふ御子の、法事仕うまつり給ふべくありしを、つぎつぎ滞ることしげくて、かく年もせめつれば(……)」
――何ということもなしに、お会いすることも随分久しく絶えていましたね。(この数カ月あちこちの病人の世話で気の休まる暇もない間に)朱雀院の御賀のため、ここにおられる女三宮が仏事をなさる筈のところを、次々と差し障りができまして、こんなに年末も迫りましたので(ほんの型通り、朱雀院に精進料理を差し上げることになりました)――
 と、先ずはお話しされます。

◆かへさひ申す=ご辞退申し上げる

◆ひがひがしきやうに=僻が僻むしき=ひねくれている、素直でない。

◆おどろおどろしき病=(はっとする意の動詞から)大袈裟で気味悪い病気、ひど く重い病

ではまた。

源氏物語を読んできて(511)

2009年09月25日 | Weblog
 09.9/25   511回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(65)

霜月(11月)は年末も近く、なにかと落ち着かない時節になりますが、源氏は、

「またいとどこの御姿も見苦しく、待ち見給はむをと思ひ侍れど、さりとてさのみ延ぶべき事にやは。むつかしくものおぼし乱れず、あきらかにもてなし給ひて、このいたく面痩せ給へる、繕ひ給へ」
――(そうかといって)段々あなたのお姿も見苦しくなってくるでしょうし、せっかくお待ちになっておいでの朱雀院を思いますと、これ以上日を延ばすこともできないでしょう。くよくよなさらず元気を出して、そのやつれたお顔をお化粧なさい――

 とおすすめになるのでした。

さて、今までの源氏は衛門の督(柏木)を何か興のある時には必ずお呼び寄せになって、ご相談などなさいましたのに、その後はまったくそうしたお誘いもなさらない。

「人あやしと思ふらむとおぼせど、見むにつけても、いとどほれぼれしき方はづかしく、見むにはまたわが心もただならずやと思し返されつつ、やがて月頃参り給はぬをも咎めなし」
――人は変に思うことだろうと源氏はお考えになりますが、柏木と顔を合わせては、自分の間抜けさ加減を見られのも恥ずかしく、会えば会ったで自分の心が穏やかではいられないだろうと思い直されては、あれ以来柏木が何か月も六条院へ参上されないのも、お咎めになりません――

 大方の人々は、柏木がずうっと病気だということと、六条院でも管弦のお遊びなどもない年でもありましたので、特に不信には思っていないようでしたが、大将の君(夕霧)だけは、

「あるやうある事なるべし。好き者は定めて、わが気色とりし事には忍ばぬにやありけむ」
――何か理由があってのことだろう。あの浮気者はきっと私の思っていた通り、宮への恋を辛抱できなかったのではなかったか――

 とは思い寄りましたが、まさかこれほど何もかも源氏に知られていようとは、想像もしておりませんでした。
十二月になりました。朱雀院の御賀の日を十日ほどと決めて、舞楽などの練習が六条院をあげて賑やかに行われています。この試楽の日には紫の上もご覧になりたさに、六条院においでになりました。

 源氏は、このような折に柏木をお呼びにならないのは、催しも物足りなく、人も変だと首をかしげるに違いないので、是非参られるようにと伝えましたが、柏木は「病気のため参上できません」とお返事をされたようです。

◆試楽=本番の管弦の舞楽には男性だけが参加できます。参加できない女性のために、本番さながらの催しをして、女たちを楽しませる恒例。

ではまた。

源氏物語を読んできて(510)

2009年09月24日 | Weblog
 09.9/24   510回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(64)

 源氏はつづけて、

「いにしへより本意深き道にも、たどり薄かるべき女方にだに、皆思ひおくれつつ、いとぬるき事多かるを、(……)院の御世の残り久しくもおはせじ。いとあつしくいとどなりまさり給ひて、もの心ぼそげにのみ思したるに、今さらに思はずなる御名漏り聞こえて、御心乱り給ふな。この世はいと安し。事にもあるず。後の世の御道のさまたげならむも、罪いと恐ろしからむ」
――昔から強く望んでいました出家も、それほどの信心もない女方に先を越されて、はなはだ見っともないことですが、(……)朱雀院のご寿命もそう長いことはないでしょう。ますます衰弱なさって心細そうにしていらっしゃいますのに、今更、貴女の思いがけない浮名をお耳に入れて、お心をお苦しめなさるな。こんなことは(源氏が不実をかぶること)心安いことです。大した問題でもありません。朱雀院の後世の御往生の障りとなっては、その罪は格別に恐ろしいでしょう――

 と、源氏は、はっきりと柏木との事とはおっしゃいませんが、しみじみとお話をなさいますので、宮はただただ涙にくれて、正体もなくうち沈んでおられます。源氏もまたお泣きになって、

「人の上にても、もどかしく聞き思ひし、ふる人のさかしらよ、身に変はることにこそ。
いかにうたての翁やと、むつかしくうるさき御心添ふらむ」
――昔は他人の事でも、老人のお説教はうるさいことだと聞いたことでしたよ。それを今は、自分が代わって言うようになったのか。全く厭なお爺さんだと貴女はうるさくお思いでしょう――

 と、自嘲なさって、ご自分から硯を引きよせ、墨を摺って、料紙を揃えて朱雀院へのお返事を宮にお書かせになりますが、宮は手が震えてお書きになれません。
あの細々と書いてありました柏木のお手紙へのお返事は、きっとこんなにお困りにならず書かれたであろうと想像なさると、源氏は、

「いと憎ければ、よろづのあはれも醒めぬべけれど、言葉など教へて書かせ奉り給ふ。参り給はむことは、この月かくて過ぎぬ」
――ひどく癪にさわって憎らしく、宮に対する一切の愛情も醒めてしまいそうにお思いになりながらも、とにかく言葉などをお教えになってお書かせになります。朱雀院への御賀はこの月もこうして果たせずに過ぎたのでした――

◆写真:柏木からの手紙   風俗博物館

ではまた。

 

源氏物語を読んできて(509)

2009年09月23日 | Weblog
 09.9/23   509回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(63)

 源氏はつづけておっしゃいます。

「心苦しき御消息に、まろこそいと苦しけれ。思はずに思ひ聞こゆる事ありとも、おろかに人の見とがむばかりはあらじとこそ思ひ侍れ。誰が聞こえたるにかあらむ」
――気にかかるお手紙で、私こそはなはだ困ります。たとえあなたを心外なことと思いましても、貴女を粗末にしているなどと人から言われるようなことはするまいと思っているのです。いったいだれが朱雀院へ奏上なさったのでしょう――

 女三宮は、

「はぢらひて背き給へる御姿も、いとらうたげなり。いたく面痩せて、もの思ひ屈し給へる、いとどあてにをかし」
――恥ずかしそうにお顔を背けていらっしゃるお姿もまことに幼い。随分と面痩せなさって、ただただ物思いに沈んでいらっしゃるのが、たいそう高貴で美しくいらっしゃるが――

 源氏がつづけて、

「いと幼き御心ばへを見置き給ひて、いたくはうしろめたがり聞こえ給ふなりけりと、思ひ合はせ奉れば、今より後もよろづになむ。かうまでもいかで聞こえじと思へど、上の御心に背くと聞し召すらむことの安からずいぶせきを、ここにだに聞こえ知らせでやはとてなむ……」
――院は貴方の子供っぽいご性質をご承知でひどくご心配なさっておいでなのだとお察しします故、今後も十分ご注意なさい。こんなことまで申し上げたくはないのですが、院が私を御意に背くと考えておいでらしいのが心外で、気になりますので、せめて貴女だけにでもお知らせしておこうと思うのです。…――

 と、朱雀院から切にご養育をと頼まれましたいきさつをお話になります。

「いたりすくなく、ただ人の聞こえなす方にのみ寄るべかめる御心には、ただおろかに浅きとのみおぼし、また今はこよなくさだすぎにたる有様も、あなづらはしくて目馴れてのみ見なし給ふらむも、方々に口惜しくもうれたくも覚ゆるを、院のおはしまさむ程は、なほ心をさめて、かの思しおきてたるやうありけむ、さだすぎ人をも、おなじく准へ聞こえて、いたくな軽め給ひそ」
――思慮が浅く、ただ、人が申し上げる通りに行動なさるような貴女のお気持ちでは、私がまるで心が疎いばかりとお考えなのでしょう。また今ではひどく年老いてしまった私の様子も、常に軽蔑の目でのみ見慣れておいでかと、あれこれにつけ、残念にも侘びしくも感じるのです。朱雀院が御在世中は、やはり気が落ち着けるところとて、院にお考えがあって貴女を私にお頼みになられたらしいこの老人(源氏・自分の事)に対して、どなたか(柏木を仄めかして言う)と同じような身分のようなお考えで貶め、あまり軽蔑さなさるものではありせんよ――

◆安からずいぶせきを=(安からず)=心が落ち着かない、不案。(いぶせき)=気持が晴れない、気がかりだ。

◆いたりすくなく=至り少なく=思慮が浅い

◆さだすぎにたる有様=さだ過ぎ=時が過ぎる、盛りの年が過ぎる、老いる。

ではまた。


源氏物語を読んできて(508)

2009年09月22日 | Weblog
 09.9/22   508回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(62)

 つづいて朱雀院のお心の内は、

「その後なほり難くものし給ふらむは、その頃ほひ便なきことや出で来たりけむ、自ら知り給ふ事ならねど、よからぬ御後見どもの心にて、如何なる事にかあらむ、」
――その後も相変わらずだというのは、その頃、女三宮に何か不都合なことでもおきたのであろうか。宮ご自身が知らないことで、良くない侍女たちの計画で、何事かが生じたのだろうか――

 と、朱雀院はご心配になるのでした。出家されて世間を振り棄てられた御身でありながら、矢張り親子の道だけは別のようで、御心配のあまり宮に細々とお手紙をお書きになります。丁度源氏が六条院にいらっしゃる時でしたので、源氏がそのお手紙をご覧になりますと、

「その事となくて、しばしばも聞こえぬ程に、おぼつかなくてのみ、年月の過ぐるなむあはれなりける。(……)世の中さびしく思はずなることありとも、忍び過し給へ。うらめしげなる気色など、おぼろげにて、見知り顔にほのめかす、いと品おくれたるわざになむ」
――(お手紙には)これという用事もなくて、度々お便りをすることもない間に、ただ気にかかるままで、年月が過ぎていくのは寂しいことでした。(ご病気のことを聞いて以来、念仏読経の折にも心配していますが、どんな具合ですか)源氏との間に、淋しく気に入らぬことがありましても、我慢してお暮しなさい。恨めしげな素振りなど、一寸したことで見知ったようなご態度は品の悪いことですからね――

 と、教え諭すものでした。源氏は、

「いといとほしく心苦しく、かかる内うちのあさましきをば、聞こえ召すべきにはあらで、わがおこたりに本意なくのみ聞き思すらむことを、とばかり思しつづけて」
――朱雀院のお気持ちを思いますと、とてもお気の毒でお労しく、このような内密の不祥事をお聞きになる訳もないでしょうから、みな私の不実を困った事と思われるであろうと、しばらく思いめぐらされて――

 源氏は、女三宮に

「この御返りをばいかが聞こえ給ふ」
――このご返事をあなたはどうお書きになりますか――

◆写真:朱雀院からのお手紙。源氏と女三宮。WAKOGENJIより

ではまた。


源氏物語を読んできて(507)

2009年09月21日 | Weblog
 09.9/21   507回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(61)

 源氏は朧月夜に尼のご衣装を差し上げるべく、紫の上からお指図をおさせになります。型通りの法服めいた衣裳では、味気ないとも思われますが、しかし矢張り法服らしさを残して仕立させます。それに尼として必要なお道具類も用意するよう、特別念を入れてお言いつけになります。

 こうして朱雀院五十の御賀も延び延びとなって秋(秋は7月~9月)になってしまいました。八月は夕霧の母葵の上の祥月で、奏楽所のお世話には不都合であり、九月は朱雀院の御母弘徽殿大后が亡くなられた月なので、源氏は、十月にこそと思っていましたが、

「姫宮いたくなやみ給へば、また延びぬ」
――肝心の女三宮が大そうお苦しみのご様子なので、また延びてしまわれた――

一方、

「衛門の督の御あづかりの宮なむ、その月には参り給ひける。……督の君も、そのついでにぞ、思ひおこして出で給ひける。なほなやましく例ならず、やまひづきてのみ過し給ふ」
――柏木がお世話をしておられる女二宮(落葉の宮)だけが、この月にお祝いにお出向きになりました。……柏木もこの御賀の機会に、やっと気を取り直してお出かけになりました。けれどもその後も気分がすぐれないままに、常のようにもなく、寝たり起きたりして日を過ごしていらっしゃる――

 女三宮は、その後も気が引けて、辛いとばかりお悩みのせいか、月が重なるにつれてお苦しそうですので、源氏も女三宮のお命の程もご心配で、ご祈祷などおさせになります。

 そのような折に、

「御山にも聞し召して、らうたく恋しと思ひ聞こえ給ふ。月頃かく外々にて、渡り給ふこともをさをさなきやうに、人の奏しければ、如何なるにかと御胸つぶれて、世の中も今さらにうらめしくおぼして、対の方のわづらひける頃は、なほそのあつかひにと聞し召してだに、なま安からざりしを、」
――御山の朱雀院も女三宮のご懐妊をお聞きになって、不憫にも恋しくもお思いになっておられますときに、源氏とはこの幾月も別居の状態で、宮の許にめったに行かれることもないように人が奏上しましたので、いったいどうしたことかと胸のつぶれる思いで、男女の仲の頼み難さを今更ながら恨めしく思われるのでした。あの紫の上が病気だった頃、看病のために宮と離れておられると聞かれてさえ、何となく不愉快であったのに…――

◆女二宮(落葉の宮)と女三宮は、共に朱雀院の姫宮。女三宮の御母はすでに故人なので、朱雀院は殊に不憫に思っています。

ではまた。