09.9/30 516回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(70)
この柏木のただ事ではない様子に、父君の致仕大臣や母君(元の右大臣の四の君)が驚かれて、女二宮(落葉の宮)の邸から、柏木をこちらの御殿に移すことになりました。後に残される落葉の宮のご心痛はいかばかりでしょうか。
柏木は、落葉の宮といずれは打ち解けて睦みあうことがあろうかと、空頼みしてきたのですが、さてこれを限りにお別れの門出になるかと思えば、あはれにも悲しくて、落葉の宮のお嘆きももったいなく、辛いと思うのでした。落葉の宮の母である御息所(朱雀院の女御であった人)もたいそうお嘆きになって、
「世の事として、親をばなほさるものにおき奉りて、かかる御中らひは、とある折もかかる折も、離れ給はぬこそ例のことなれ、かく引き別れて、たひらかにものし給ふまでも、過ぐし給はむが心づくしなるべき事を、しばしここにてかくてこころみ給へ」
――世間一般としては、親は親として置いていただき、夫婦というものはどんなときにも、お離れにならぬのが当たり前のことです。それをこうして別れて、ご快復になるまでお過ごしになるのは心配ですから、しばらくここで、このまま御養生なさいませ――
と、傍らに几帳などを立てて見守り、お世話をなさっていらっしゃる。柏木は、
「ことわりや。(……)いとみじかくさへなり侍れば、深き志をだに御覧じはてられずやなり侍りなむと思う給ふるになむ、とまり難き心地にも、えゆきやるまじく思ひ給へらるる」
――ごもっともです。(内親王という女二宮をいただいておりながら)不幸にして、このような重病になりまして命も当てにならないことになりました。深い志さえもご覧頂けずに終わるのかと考えますと、どうせ助かるまい病気と思いましても、とても死に切れぬ気がいたします――
とおっしゃって、お互いにお泣きになるのでした。このような訳で、急にも父邸に移って来られないことに、柏木の母君の北の方は、
「などか、まづ見えむとは思ひ給ふまじき。われは、心地も少し例ならず心細き時は、あまたの中にまづ取りわきて、ゆかしくも頼もしくもこそ覚え給へ。かくいとおぼつかなきこと」
――(大そう具合が悪いというのに)どうして真っ先に親に会いたいと思わないのですか。私は、気分がすぐれず心細い時には、大勢の子どもの中の誰よりもあなたに会いたく、頼もしくも思っているのですよ。それなのに、このままで、顔もみせないとは頼りないこと――
と、柏木に恨み言をおっしゃるのも、またもっともなことです。
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(70)
この柏木のただ事ではない様子に、父君の致仕大臣や母君(元の右大臣の四の君)が驚かれて、女二宮(落葉の宮)の邸から、柏木をこちらの御殿に移すことになりました。後に残される落葉の宮のご心痛はいかばかりでしょうか。
柏木は、落葉の宮といずれは打ち解けて睦みあうことがあろうかと、空頼みしてきたのですが、さてこれを限りにお別れの門出になるかと思えば、あはれにも悲しくて、落葉の宮のお嘆きももったいなく、辛いと思うのでした。落葉の宮の母である御息所(朱雀院の女御であった人)もたいそうお嘆きになって、
「世の事として、親をばなほさるものにおき奉りて、かかる御中らひは、とある折もかかる折も、離れ給はぬこそ例のことなれ、かく引き別れて、たひらかにものし給ふまでも、過ぐし給はむが心づくしなるべき事を、しばしここにてかくてこころみ給へ」
――世間一般としては、親は親として置いていただき、夫婦というものはどんなときにも、お離れにならぬのが当たり前のことです。それをこうして別れて、ご快復になるまでお過ごしになるのは心配ですから、しばらくここで、このまま御養生なさいませ――
と、傍らに几帳などを立てて見守り、お世話をなさっていらっしゃる。柏木は、
「ことわりや。(……)いとみじかくさへなり侍れば、深き志をだに御覧じはてられずやなり侍りなむと思う給ふるになむ、とまり難き心地にも、えゆきやるまじく思ひ給へらるる」
――ごもっともです。(内親王という女二宮をいただいておりながら)不幸にして、このような重病になりまして命も当てにならないことになりました。深い志さえもご覧頂けずに終わるのかと考えますと、どうせ助かるまい病気と思いましても、とても死に切れぬ気がいたします――
とおっしゃって、お互いにお泣きになるのでした。このような訳で、急にも父邸に移って来られないことに、柏木の母君の北の方は、
「などか、まづ見えむとは思ひ給ふまじき。われは、心地も少し例ならず心細き時は、あまたの中にまづ取りわきて、ゆかしくも頼もしくもこそ覚え給へ。かくいとおぼつかなきこと」
――(大そう具合が悪いというのに)どうして真っ先に親に会いたいと思わないのですか。私は、気分がすぐれず心細い時には、大勢の子どもの中の誰よりもあなたに会いたく、頼もしくも思っているのですよ。それなのに、このままで、顔もみせないとは頼りないこと――
と、柏木に恨み言をおっしゃるのも、またもっともなことです。
ではまた。