2013. 5/31 1262
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その54
「『さりとも、思し出づることは多からむを、つきせず隔て給ふこそ心憂けれ。ここには、かかる世の常の色あひなど、久しく忘れにければ、なほなほしく侍るにつけても、昔の人あらましかば、など思ひ出で侍る。しかあつかひきこえ給ひけむ人、世におはすらむや。かく亡くなして見侍りしだに、なほいづこにかあらむ、そことだにたづね聞かまほしく覚え侍るを、行くへ知らで、思ひ聞こえ給ふ人々侍らむかし』とのたまへば」
――(尼君が)「それにしましても、思い出されることはたくさんおありでしょうに、いつまでも隔てがましくお思いなのが辛うございます。私は世間の人の着る美しい色合いの着物など、長らく手にしませんので、上手に縫えませんが、それにつけても、亡くなった娘が生きていてくれたなら、などと思い出します。あなたには、そのようにあなたを大切にお世話なさった親御が、おいでにならないのでしょうか。私のように死なせてしまってさえ、やはりどこにいるのかしら、せめてどこそことだけでも聞きたいと思いますのに。こうして行方知れずになられたのでは、さぞ心配していらっしゃる方々もおられましょうに」とおっしゃいますと――
「『見し程までは、一人はものし給ひき。この月ごろ亡せやし給ひぬらむ』とて、なみだの落つるをまぎらはして、『なかなか思ひ出づるにつけて、うたて侍ればこそ、え聞え出でね。隔ては何事にか残し侍らむ』と、言ずくなにのたまひなしつ」
――(浮舟が)「一所に居りました時は、母がひとりございました。この頃はもう亡くなっているかもしれません」と、涙が落ちるのを紛らわして、「なまじ思い出しますと悲しくなりますので、それで申し上げないのです」と言葉少なく言い繕うのでした――
「大将は、このはてのわざなどせさせ給ひて、はかなくもやみぬるかな、とあはれにあぼす。かの常陸の子どもは、かうぶりしたるは蔵人になし、わが御つかさの蒋監になしなど、いたはり給ひけり。童なるが、中にきよげなるをば、近く使ひ馴らさむとぞ思したりける」
――薫大将は、浮舟の一周忌の法要などを営まれて、浮舟との縁もあっけなく終わってしまったことよ、としんみりとお思いになります。あの常陸の守の子どもたちは、元服した子は蔵人(くろうど)にしたり、ご自分の役所(右近衛府)の蒋監(ぞう)にしたりして、約束通り何くれとなく面倒を見ておられます。また、まだ元服せず、兄弟中でもきれいな子を、ご自分の手元において召使おうと考えていらっしゃいます――
「雨など降りてしめやかなる夜、后の宮に参り給へり」
――さて、大将は、雨などが降ってしめやかな夜に、后の宮(明石中宮の御殿)に参上されました――
◆6/6までお休みします。では6/7に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その54
「『さりとも、思し出づることは多からむを、つきせず隔て給ふこそ心憂けれ。ここには、かかる世の常の色あひなど、久しく忘れにければ、なほなほしく侍るにつけても、昔の人あらましかば、など思ひ出で侍る。しかあつかひきこえ給ひけむ人、世におはすらむや。かく亡くなして見侍りしだに、なほいづこにかあらむ、そことだにたづね聞かまほしく覚え侍るを、行くへ知らで、思ひ聞こえ給ふ人々侍らむかし』とのたまへば」
――(尼君が)「それにしましても、思い出されることはたくさんおありでしょうに、いつまでも隔てがましくお思いなのが辛うございます。私は世間の人の着る美しい色合いの着物など、長らく手にしませんので、上手に縫えませんが、それにつけても、亡くなった娘が生きていてくれたなら、などと思い出します。あなたには、そのようにあなたを大切にお世話なさった親御が、おいでにならないのでしょうか。私のように死なせてしまってさえ、やはりどこにいるのかしら、せめてどこそことだけでも聞きたいと思いますのに。こうして行方知れずになられたのでは、さぞ心配していらっしゃる方々もおられましょうに」とおっしゃいますと――
「『見し程までは、一人はものし給ひき。この月ごろ亡せやし給ひぬらむ』とて、なみだの落つるをまぎらはして、『なかなか思ひ出づるにつけて、うたて侍ればこそ、え聞え出でね。隔ては何事にか残し侍らむ』と、言ずくなにのたまひなしつ」
――(浮舟が)「一所に居りました時は、母がひとりございました。この頃はもう亡くなっているかもしれません」と、涙が落ちるのを紛らわして、「なまじ思い出しますと悲しくなりますので、それで申し上げないのです」と言葉少なく言い繕うのでした――
「大将は、このはてのわざなどせさせ給ひて、はかなくもやみぬるかな、とあはれにあぼす。かの常陸の子どもは、かうぶりしたるは蔵人になし、わが御つかさの蒋監になしなど、いたはり給ひけり。童なるが、中にきよげなるをば、近く使ひ馴らさむとぞ思したりける」
――薫大将は、浮舟の一周忌の法要などを営まれて、浮舟との縁もあっけなく終わってしまったことよ、としんみりとお思いになります。あの常陸の守の子どもたちは、元服した子は蔵人(くろうど)にしたり、ご自分の役所(右近衛府)の蒋監(ぞう)にしたりして、約束通り何くれとなく面倒を見ておられます。また、まだ元服せず、兄弟中でもきれいな子を、ご自分の手元において召使おうと考えていらっしゃいます――
「雨など降りてしめやかなる夜、后の宮に参り給へり」
――さて、大将は、雨などが降ってしめやかな夜に、后の宮(明石中宮の御殿)に参上されました――
◆6/6までお休みします。では6/7に。