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【薄雲(うすくも)の巻】 その(15)
秋の雨が静かに降り、お庭の花々がうつむいて咲いている風情に、源氏はかつての六条御息所のことをなつかしく思い出され、涙で袖をぬらしつつ、斎宮の女御のお住いに向われます。
「こまやかなる鈍色の御直衣姿にて、数珠ひき隠して、御様よくもてなし給へる、つきせずなまめかしき御有様にて、御簾の内に入り給ひぬ。御几帳ばかりを隔てて、自ら聞え給ふ」
――濃い墨色の御直衣姿(叔父の式部卿の宮の喪も加えられて、墨色に)で、数珠をひき隠して、目立たないように振る舞われますのが、かぎりなくなまめかしい御様子で、御簾の内にお入りになります。女御は几帳を仲立ちとして、ご自身で応答なさいます――
植え込んだ花も咲きそろいまして…などと、柱に寄りかかって話される源氏のお姿は、夕日に映えて大層お美しい。女御も野々宮での母君を思い出されて、少しお泣きになっていらっしゃるご様子です。
源氏は
「いとらうたげにて、うち身じろぎ給ふ程も、あさましくやはらかに、なまめきておはすべかめる、見奉らぬこそ口惜しけれ、と胸のうちつぶるるぞ、うたてあるや。」
――大層お美しげで、かすかに身じろぎなさる衣擦れの気配も柔らかく、なまめかしくお見えになります。それにしても、いまだに女御のお姿をはっきりとお見上げ出来ないとは口惜しいと、胸がどきどきなさるとは、困ったことですよ――
源氏は長々と続いておっしゃいます。
以前、それほど悩むこともなくて済む筈でした頃でも、やはり色めいた事には性分で苦労が絶えませんでした。無理な恋をして気の毒な思いをした中で、最後まで和解せず胸の晴れぬままに終わってしまったことが二つあります。
「先づ一つは、この過ぎ給ひにし御事よ。(……)」
――その一つが、亡くなられた母君のことですよ。(私をあきれるばかりに恨んで亡くなられたのが、永劫の悲しみの種でしたが、こうしてあなたを親しくお世話もし、また親しく思っていただくのを、せめてもの慰めに思ってみるのですが)――
とて、
「今一つは宣ひさしつ」
――もう一つについては、お口をつぐんで、おっしゃいませんでした。――
ではまた。
【薄雲(うすくも)の巻】 その(15)
秋の雨が静かに降り、お庭の花々がうつむいて咲いている風情に、源氏はかつての六条御息所のことをなつかしく思い出され、涙で袖をぬらしつつ、斎宮の女御のお住いに向われます。
「こまやかなる鈍色の御直衣姿にて、数珠ひき隠して、御様よくもてなし給へる、つきせずなまめかしき御有様にて、御簾の内に入り給ひぬ。御几帳ばかりを隔てて、自ら聞え給ふ」
――濃い墨色の御直衣姿(叔父の式部卿の宮の喪も加えられて、墨色に)で、数珠をひき隠して、目立たないように振る舞われますのが、かぎりなくなまめかしい御様子で、御簾の内にお入りになります。女御は几帳を仲立ちとして、ご自身で応答なさいます――
植え込んだ花も咲きそろいまして…などと、柱に寄りかかって話される源氏のお姿は、夕日に映えて大層お美しい。女御も野々宮での母君を思い出されて、少しお泣きになっていらっしゃるご様子です。
源氏は
「いとらうたげにて、うち身じろぎ給ふ程も、あさましくやはらかに、なまめきておはすべかめる、見奉らぬこそ口惜しけれ、と胸のうちつぶるるぞ、うたてあるや。」
――大層お美しげで、かすかに身じろぎなさる衣擦れの気配も柔らかく、なまめかしくお見えになります。それにしても、いまだに女御のお姿をはっきりとお見上げ出来ないとは口惜しいと、胸がどきどきなさるとは、困ったことですよ――
源氏は長々と続いておっしゃいます。
以前、それほど悩むこともなくて済む筈でした頃でも、やはり色めいた事には性分で苦労が絶えませんでした。無理な恋をして気の毒な思いをした中で、最後まで和解せず胸の晴れぬままに終わってしまったことが二つあります。
「先づ一つは、この過ぎ給ひにし御事よ。(……)」
――その一つが、亡くなられた母君のことですよ。(私をあきれるばかりに恨んで亡くなられたのが、永劫の悲しみの種でしたが、こうしてあなたを親しくお世話もし、また親しく思っていただくのを、せめてもの慰めに思ってみるのですが)――
とて、
「今一つは宣ひさしつ」
――もう一つについては、お口をつぐんで、おっしゃいませんでした。――
ではまた。