一〇八 淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など (121)その6 2019.8.6
羊の時ばかりに、「筵道まゐる」といふほどもなく、うちそよめき入らせたまへば、宮もこなたに寄らせたまひぬ。やがて御帳に入らせたまひぬれば、女房南面にそよめき出でぬ。廊、馬道に殿上人いとおほかり。殿の御前に宮司召して、くだ物、さかな召さす。「人々酔はせ」など仰せらる。まことにみな酔ひて、女房と物言ひかはすほど、かたみにをかしと思ひたり。
◆◆午後二時ごろ、「筵道をお敷き申し上げる」と声がすると間もなく、主上がお召し物の衣ずれの音をおさせになってお入りあそばされたので、中宮様もこちらの母屋のほうにお移りあそばされた。そのままお二人が御帳台にお入りあそばされたので、女房は南の廂に衣ずれの音をさせて出た。郎や馬道に、殿上人がたくさんいる。殿の御前に、職の役人をお呼び寄せになって、果物や酒の肴を取り寄せなさる。みなほんとうに酔って、南の廂の女房と話を交わすころは、お互いにおもしろいという気分になっている。◆◆
■羊(ひつじ)の時=午後2時頃。
■筵道(えんどう)まゐる=主上がおいでになるために筵道(貴人の通行の時、道に敷く薄縁様のもの)の支度をする。
日の入るほどに起きさせたまひて、山の井の大納言召し入れて、御袿まゐらせたまひて、帰らせたまふに、殿ノ大納言、三位中将、内蔵頭などみな候ひたまふ。
◆◆日がはいるころに主上がお起きあそばされて、山の井の大納言(藤原道頼=中宮の異腹の兄)をお呼び入れになさって、お召し替えに奉仕おさせになって、お帰りあそばされるので、殿の大納言、山の井の大納言、三位の中将、内蔵の頭などみなお供申しあげなさる。◆◆
宮のぼらせたまふべき御使ひにて、馬の内侍のすけまゐりたまへり。「今宵はえ」などしぶらせたまふを、殿聞かせたまひて、「いとあるまじき事。はやのぼらせたまへ」と申させたまふに、また、東宮の御使ひしきりにあるほど、いとさわがし。御むかへに、女房、春宮のなどもまゐりて、「とく」とそそのかしきこゆ。「まづ、さは、かの君わたしきこえたまひて」とのたまはすれば、「さりともいかでか」とあるを、「なほ見送りきこえむ」などのたまはするほど、いとをかしう、めでたし。「さらば遠きを先に」とて、まづ淑景舎わたりたまひて、殿など帰らせたまひてぞのぼらせたまふ。道のほども、殿の御さるがう言に、いみじく笑ひて、ほとほとうち橋よりも落ちぬべし。
◆◆中宮様が今夜清涼殿におのぼりあさばされるようにとの主上の御使いとして、馬の内侍のすけが参上していらっしゃる。「今晩はとても」などとお渋りあそばすのを、殿がお聞きなさって、「それはよくない事だ、早く御のぼりなさいませ」と、申し上げなさっていると、また、東宮の御使いがしきりにあって、その間たいそう騒がしい。に、主上付きの女房、春宮方の女房なども参上して、「早く」とおのぼりをお勧め申し上げる。「先に、それでは、あの淑景舎の君をあちらへ、お行かせなさってそれから」と殿に中宮様が仰せあそばすと、「それでもどうして私が先には」と淑景舎のお言葉があるのを、「やはりあなたをお見送り申し上げましょう」などと中宮様が仰せあそばす折のその場の様子など、とてもおもしろく、素晴らしい。「それならば遠いお方を先に」ということで、初めに淑景舎がそちらへお越しになって、殿などがそのお供から中宮様のもとにお戻りあそばされてから、中宮様はおのぼりあそばされる。そのお供の道中も、殿のおどけたご冗談に、女房たちなどはひどく笑って、ほとんどうち橋からも落ちてしまいそうである。◆◆
■「今宵はえ」=「え」は、「えまゐらじ」の略。
*8月末までお休みします。
羊の時ばかりに、「筵道まゐる」といふほどもなく、うちそよめき入らせたまへば、宮もこなたに寄らせたまひぬ。やがて御帳に入らせたまひぬれば、女房南面にそよめき出でぬ。廊、馬道に殿上人いとおほかり。殿の御前に宮司召して、くだ物、さかな召さす。「人々酔はせ」など仰せらる。まことにみな酔ひて、女房と物言ひかはすほど、かたみにをかしと思ひたり。
◆◆午後二時ごろ、「筵道をお敷き申し上げる」と声がすると間もなく、主上がお召し物の衣ずれの音をおさせになってお入りあそばされたので、中宮様もこちらの母屋のほうにお移りあそばされた。そのままお二人が御帳台にお入りあそばされたので、女房は南の廂に衣ずれの音をさせて出た。郎や馬道に、殿上人がたくさんいる。殿の御前に、職の役人をお呼び寄せになって、果物や酒の肴を取り寄せなさる。みなほんとうに酔って、南の廂の女房と話を交わすころは、お互いにおもしろいという気分になっている。◆◆
■羊(ひつじ)の時=午後2時頃。
■筵道(えんどう)まゐる=主上がおいでになるために筵道(貴人の通行の時、道に敷く薄縁様のもの)の支度をする。
日の入るほどに起きさせたまひて、山の井の大納言召し入れて、御袿まゐらせたまひて、帰らせたまふに、殿ノ大納言、三位中将、内蔵頭などみな候ひたまふ。
◆◆日がはいるころに主上がお起きあそばされて、山の井の大納言(藤原道頼=中宮の異腹の兄)をお呼び入れになさって、お召し替えに奉仕おさせになって、お帰りあそばされるので、殿の大納言、山の井の大納言、三位の中将、内蔵の頭などみなお供申しあげなさる。◆◆
宮のぼらせたまふべき御使ひにて、馬の内侍のすけまゐりたまへり。「今宵はえ」などしぶらせたまふを、殿聞かせたまひて、「いとあるまじき事。はやのぼらせたまへ」と申させたまふに、また、東宮の御使ひしきりにあるほど、いとさわがし。御むかへに、女房、春宮のなどもまゐりて、「とく」とそそのかしきこゆ。「まづ、さは、かの君わたしきこえたまひて」とのたまはすれば、「さりともいかでか」とあるを、「なほ見送りきこえむ」などのたまはするほど、いとをかしう、めでたし。「さらば遠きを先に」とて、まづ淑景舎わたりたまひて、殿など帰らせたまひてぞのぼらせたまふ。道のほども、殿の御さるがう言に、いみじく笑ひて、ほとほとうち橋よりも落ちぬべし。
◆◆中宮様が今夜清涼殿におのぼりあさばされるようにとの主上の御使いとして、馬の内侍のすけが参上していらっしゃる。「今晩はとても」などとお渋りあそばすのを、殿がお聞きなさって、「それはよくない事だ、早く御のぼりなさいませ」と、申し上げなさっていると、また、東宮の御使いがしきりにあって、その間たいそう騒がしい。に、主上付きの女房、春宮方の女房なども参上して、「早く」とおのぼりをお勧め申し上げる。「先に、それでは、あの淑景舎の君をあちらへ、お行かせなさってそれから」と殿に中宮様が仰せあそばすと、「それでもどうして私が先には」と淑景舎のお言葉があるのを、「やはりあなたをお見送り申し上げましょう」などと中宮様が仰せあそばす折のその場の様子など、とてもおもしろく、素晴らしい。「それならば遠いお方を先に」ということで、初めに淑景舎がそちらへお越しになって、殿などがそのお供から中宮様のもとにお戻りあそばされてから、中宮様はおのぼりあそばされる。そのお供の道中も、殿のおどけたご冗談に、女房たちなどはひどく笑って、ほとんどうち橋からも落ちてしまいそうである。◆◆
■「今宵はえ」=「え」は、「えまゐらじ」の略。
*8月末までお休みします。