蜻蛉日記 下巻 (164) 2017.1.30
「大夫、例のところに文やる。さきざきの返りごとども、みづからのとは見えざりければ、うらみなどして、
<夕されの閨のつまづまながむれば手づからのみぞ蜘蛛もかきける>
とあるを、いかが思ひけん、白い紙にものの先にて書きたり。
<蜘蛛のかくいとぞあやしき風吹けば空に乱るるものと知る知る>
たちかへり、
<つゆにても命かけたる蜘蛛のいに荒き風をば誰かふせばむ>
『暗し』とて返りごとなし。又の日、昨日の白紙おもひいでてにやあらん、かく言ふめり。
<但馬のや鵠のあとを今日みれば雪の白浜しろくては見じ>
とてやりたるを、『物へなん』とて返りごとなし。」
◆◆道綱が例の大和のところに手紙を送ります。これまでの返事がその女の自筆のものとは見えなかったので、恨んだりして、
(道綱の歌)「夕方寝所のすみずみを見ながら、未来の妻あなたとのことを考えていると、蜘蛛でさえ自分で巣をかけているのに、あなたは自分で手紙を書いてくれない」
と言ってやったのを、どう思ったのでしょうか、白い紙に何かの切先でもって書いてあります。
(大和の歌)「蜘蛛がかく糸のように風に吹き散らされてしまう手紙を書くわけにはいきません。(私の手紙をまき散らす浮気なあなたと知りつつ返事を書くなど私は心配で、できません。)
折り返して、送った歌
(道綱の歌)「蜘蛛の巣は風にちらされるだろうが、大切なあなたからの手紙は散らしません」
先方では「暗くなったので」と言って、返事はありませんでした。次の日、道綱は昨日の手紙が白紙だったことを思い出してであろうか、このように言ってやったようでした。
(道綱の歌)「雪の白浜につけられた鵠の足跡のような白一面の角筆の手紙は読めません。ぜひあなたの筆跡がみたいものです」
と手紙を送ったけれども「外出中なので」といって返事はなかったのでした。◆◆
「又の日、『帰りにたりや、返りごと』と、言葉にて乞ひにやりたれば、『昨日のはいと古めかしき心ちすれば、きこえず』と言はせたり。
又の日、『一日は古めかしとか。いとことわりなり』とて、
<ことわりや言はでなげきし年月もふるの社の神さびにけん>
とあれど、『今日あすは物忌み』と、返りごとなし。
あくらんとおもふ日のまだしきに、
<夢ばかり見てしばかりにまどひつつあくるぞ遅き天の戸ざしは>
このたびもとかう言ひ紛らはせば、又、
『<さもこそは葛城山になれたらめただ一言やかぎりなりける>誰かならはせる』となん。
◆◆次の日、大夫が「お帰りにでしょうか。お返事を」と、口上で催促してやったところ、「昨日のお手紙は随分古めかしい感じがしますので、お返事申し上げません」と、取次ぎの者に言わせました。
次の日、「先日のは古めかしい歌だとおっしゃったそうですね。まことにもっともです」と言って、
(道綱の歌)「古くさいと言われるのももっともです。私はもの言わぬ思いに年月を重ね、年をとってしまったのでしょう」
と言ってやったけれど、「今日明日は物忌み」といって返事がない。
物忌みがもう明けるだろうと思う日の明け方に、
(道綱の歌)「ちらりと姿を見て以来、あなたへの恋に心乱れております。天の岩戸が閉じたような物忌みが早く明けてほしい」
今度もなにやかやと言い紛らわすので、又
(道綱の歌)「さすがは大和の方で、葛城山の一言主神とおなじみなのでしょう。それでこの間のただ一言が最後だというのですか、それはひどいですよ。―いったい誰がそのように躾たのでしょう」とか。◆◆
■鵠(くぐひ)=鳥の名。
「大夫、例のところに文やる。さきざきの返りごとども、みづからのとは見えざりければ、うらみなどして、
<夕されの閨のつまづまながむれば手づからのみぞ蜘蛛もかきける>
とあるを、いかが思ひけん、白い紙にものの先にて書きたり。
<蜘蛛のかくいとぞあやしき風吹けば空に乱るるものと知る知る>
たちかへり、
<つゆにても命かけたる蜘蛛のいに荒き風をば誰かふせばむ>
『暗し』とて返りごとなし。又の日、昨日の白紙おもひいでてにやあらん、かく言ふめり。
<但馬のや鵠のあとを今日みれば雪の白浜しろくては見じ>
とてやりたるを、『物へなん』とて返りごとなし。」
◆◆道綱が例の大和のところに手紙を送ります。これまでの返事がその女の自筆のものとは見えなかったので、恨んだりして、
(道綱の歌)「夕方寝所のすみずみを見ながら、未来の妻あなたとのことを考えていると、蜘蛛でさえ自分で巣をかけているのに、あなたは自分で手紙を書いてくれない」
と言ってやったのを、どう思ったのでしょうか、白い紙に何かの切先でもって書いてあります。
(大和の歌)「蜘蛛がかく糸のように風に吹き散らされてしまう手紙を書くわけにはいきません。(私の手紙をまき散らす浮気なあなたと知りつつ返事を書くなど私は心配で、できません。)
折り返して、送った歌
(道綱の歌)「蜘蛛の巣は風にちらされるだろうが、大切なあなたからの手紙は散らしません」
先方では「暗くなったので」と言って、返事はありませんでした。次の日、道綱は昨日の手紙が白紙だったことを思い出してであろうか、このように言ってやったようでした。
(道綱の歌)「雪の白浜につけられた鵠の足跡のような白一面の角筆の手紙は読めません。ぜひあなたの筆跡がみたいものです」
と手紙を送ったけれども「外出中なので」といって返事はなかったのでした。◆◆
「又の日、『帰りにたりや、返りごと』と、言葉にて乞ひにやりたれば、『昨日のはいと古めかしき心ちすれば、きこえず』と言はせたり。
又の日、『一日は古めかしとか。いとことわりなり』とて、
<ことわりや言はでなげきし年月もふるの社の神さびにけん>
とあれど、『今日あすは物忌み』と、返りごとなし。
あくらんとおもふ日のまだしきに、
<夢ばかり見てしばかりにまどひつつあくるぞ遅き天の戸ざしは>
このたびもとかう言ひ紛らはせば、又、
『<さもこそは葛城山になれたらめただ一言やかぎりなりける>誰かならはせる』となん。
◆◆次の日、大夫が「お帰りにでしょうか。お返事を」と、口上で催促してやったところ、「昨日のお手紙は随分古めかしい感じがしますので、お返事申し上げません」と、取次ぎの者に言わせました。
次の日、「先日のは古めかしい歌だとおっしゃったそうですね。まことにもっともです」と言って、
(道綱の歌)「古くさいと言われるのももっともです。私はもの言わぬ思いに年月を重ね、年をとってしまったのでしょう」
と言ってやったけれど、「今日明日は物忌み」といって返事がない。
物忌みがもう明けるだろうと思う日の明け方に、
(道綱の歌)「ちらりと姿を見て以来、あなたへの恋に心乱れております。天の岩戸が閉じたような物忌みが早く明けてほしい」
今度もなにやかやと言い紛らわすので、又
(道綱の歌)「さすがは大和の方で、葛城山の一言主神とおなじみなのでしょう。それでこの間のただ一言が最後だというのですか、それはひどいですよ。―いったい誰がそのように躾たのでしょう」とか。◆◆
■鵠(くぐひ)=鳥の名。