永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1173)

2012年10月31日 | Weblog
2012. 10/31    1173

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その13

「人々まかでて、しめやかなるゆふぐれなり。宮、臥し沈みてのみはあらぬ御心地なれば、うとき人にこそ逢ひ給へね、御簾のうちにも例入り給ふ人には、対面し給はずもあらず」
――匂宮をお見舞いした人々が退出して、しめやかな夕暮でした。匂宮は、お寝みになっているばかりとでもご気分ですので、親しくない人々には対面なさいませんが、御簾のうちにいつもお入れになる方には、お会いにならぬでもありません――

「見え給はむもあいなくつつまし、見給ふにつけても、いとど涙の先づせきがたさを思せど、思ひしづめて、『おどろおどろしき心地にも侍らぬを、皆人は、つつしむべき病のさまなり、とのみものすれば、内裏にも宮にも思し騒ぐがいと苦しく、げに世の中の常なきをも、心細く思ひ侍る』とのたまひて…」
――大将の君にはお会いになるのも、具合悪く気が退けますし、いざ逢われるにつけては、いっそう涙がとめどもなく溢れるであろうとはお思いになるものの、お心を鎮めて、「たいそう気分が悪いというほどでもないのですが、周囲の人々が皆、しきりに気をつけなければならぬ状態だと言うので、このようにしておます。帝も中宮もご心配下さるのがまことに心苦しく、世の中のはかなさも、しみじみ心細く思われます」とおっしゃって…――

「おしのごひまぎらはし給ふ、と思す涙の、やがてとどこほらずふり落つれば、いとはしたなけれど、必ずしもいかでか心得む、ただめめしく心弱きとや見ゆらむ、と思すも」
――そっと拭いてお隠しになるつもりの涙が、そのまま留めようもなくこぼれ落ちますので、たいそう極まり悪いものの、まさかあの女(浮舟)ゆえとはお分かりになるまい、きっと女々しいくらいに見るであろう、とお思いのようですが――

「さりや、ただこのことをのみ思すなりけり、いつよりなりなむ、われをいかにをかしと、ものわらひし給ふ心地に、月ごろ思しわたりつらむ、と思ふに、この君は、悲しさは忘れ給へるを、」
――(大将は)やはりそうだったのだ。ただひたすらに匂宮はあの浮舟のことばかりお思いになるのだ。浮舟との関係はいったい何時からはじまったのだろう。それと気づかない私を、さぞや間の抜けた男だと可笑しがるお気持で、この月日を過ごして来られたのだろう、と思うと、薫は悲しさも忘れてしまわれる――

「こよなくもおろかなるかな、もののせちに覚ゆる時は、いとかからぬことにつけてだに、空飛ぶ鳥の鳴き渡るにも、もよほされてこそ悲しけれ、わがかくすずろに心弱きにつけても、もし心を得たらむに、さ言ふばかり、もののあはれを知らぬ人にもあらず、世の中の常なきことを、しみて思へる人しもつれなき、と、うらやましくも心にくくも思さるるものから、真木柱はあはれなり。これに対ひたらむさまも思しやるに、形見ぞかし、とうちまもり給ふ」
――(薫の様子を御覧になって匂宮はお心の中で)何とまあ薫は冷淡なことよ。悲しみの切なるときは、このような死別ほどのことでなくても、自然思いがそそられて悲しいものなのに。私がこうして無性に悲歎にくれているのを見て、もしそれが浮舟故だと気づいたならば、それほどものの哀れを知らぬ人ではないだろうに、人生の無常を深く思いこんでいる人ほど、表面は冷淡でいられるのか。と羨ましくも心憎くもお思いになるものの、今は亡き人が真木の柱と頼りに寄り添っていた男君かと思えばなつかしい。薫に対座したであろう浮舟の様子を想像なさるにつけ、薫は浮舟の形見だなあと、しみじみ見つめていらっしゃる――

◆11/1~11/4までお休みします。では11/5に。

源氏物語を読んできて(1172)

2012年10月29日 | Weblog
2012. 10/29    1172
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その12

「かの宮はた、まして二三日はものも覚え給はず、うつし心もなきさまにて、いかなる御物の怪ならむ、など騒ぐに、やうやう涙つくし給ひて、思ししづまるにしもぞ、ありしさまは恋しういみじく思ひ出でられ給ひける。人には、ただ御病の重きさまをのみ見せて、かくすずろなるいやめのけしき知らせじ、と、かしこくもて隠すと思しけれど、おのづからいとしるかりければ、『いかなることにかく思しまどひ、御命もあやふきまで沈み給ふらむ』と、言ふ人もありければ…」
――さて、かの匂宮は、それにも増さって、二、三日は正気も失っておしまいになったようです。生きた心地もないご様子で、どのような御物の怪(おんもののけ)であろうかなどと、側近の人々が騒いでいるうちに、次第に涙も出なくなられて、気が落ち着かれると、かえって浮舟の生前の姿が恋しく、耐えがたいまでに、まざまざとお思い出しになるのでした。他人にはただ、ご病気が重いだけのことのように見せかけて、このような分けのわからぬ涙顔を見せまいと、健気にも人前を繕っていらっしゃいますが、自然とその悲歎さ目立つものですから、「どういうことで、このようにお悩みになって、お命も危ないほどに沈みこんでいらっしゃるのだろう」と、言う人もいますので…――

「かの殿にも、いとよくこの御けしきを聞き給ふに、さればよ、なほよその文通はしのみにはあらぬなりけり、見給ひては必ずさ思しぬべかりし人ぞかし、ながらへましかば、ただなるよりは、わがためにもをこなることも出で来なまし、と思すになむ、焦がるる胸のすこしさむる心地し給ひける」
――薫もよくよく匂宮のご様子を耳にされるについて、やはりそうだったのだ、何でもない御文のやりとりだけではなかったのだ、あの浮気な匂宮が御覧になれば、必ず御執心なさるような浮舟ではあったから。もし浮舟が生き長らえていたならば、匂宮と自分は身内なだけに、自分にとって人聞きの悪いことにもなったであろう、とお思いになりますと、恋い焦がれる胸の暗さも、少し醒める心地がするのでした――

「宮の御とぶらひに、日々参り給はぬ人はなく、世の騒ぎとなれるころ、ことごとしき際ならぬおもひに籠りゐて、参らざらむもひがみたるべし、と思して参り給ふ」
――匂宮のお見舞いに日々参上せぬ人はなく、世間が騒いでいるこの折に、それほどの身分でもない女一人の喪に引き籠もってお伺いしないのも、すねた態度であろうと、薫は参上なさる――

「その頃、式部卿の宮と聞こゆるも亡せ給ひにければ、御叔父の服にて薄鈍なるも、心のうちにあはれに思ひよそへられて、つきづきしく見ゆ。少し面痩せて、いとどなまめかしきことまさり給へり」
――その頃、式部卿の宮と申し上げた方もお亡くなりになり、薫の叔父にあたりますので、その御喪で、薄鈍色(うすにびいろ)のお召物でいらっしゃるのも、心の内には浮舟の喪服に添えられて、折も折とて、似つかわしくいらっしゃいます。少し面やつれして、いっそう美しくお見えになります――

◆かくすずろなるいやめのけしき=かく・すずろなる・いやめ・の・けしき=こんな訳もない涙っぽい素振り。いやめ=目つき

源氏物語を読んできて(1171)

2012年10月27日 | Weblog
2012. 10/27    1171

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その11

「殿は、なほいとあへなくいみじ、と聞き給ふにも、心憂かりけるところかな、鬼などや住むらむ、などて今までさるところにすゑたりつらむ、思はずなる筋のまぎれあるやうなりしも、かく放ち置きたるに心安くて、人も言ひ犯し給ふなりけむかし、と思ふにも、わがたゆく世づかぬ心のみくやしく、御胸いたく覚え給ふ」
――薫は、なんと儚くあっけないことだとお聞きになるにつけても、何という厭な土地であろう。鬼でも住んでいるのだろうか。どうしてまたあのような場所に、自分は浮舟を囲っておいたのだろう。思いがけない方面の間違い(匂宮とのこと)があるようだったことも、自分がこうして放っておくので、安心して匂宮もご無体にも言い寄られたのであろうと思うにつけても、自分の迂闊で世間知らずな性分がただただ口惜しく、胸が痛むのでした――

「なやませ給ふあたりに、かかること思し乱るるもうたてあれば、京におはしぬ。宮の御方にもわたり給はず。『ことごとしき程にも侍らねど、ゆゆしきことを近う聞き侍れば、心の乱れ侍るほどもいまいましうてなむ』と聞え給ひて、つきせずはかなくいみじき世を嘆き給ふ」
――母君がご病気というのに、このような事に心を悩ますのも具合がわるいので、京へお帰りになりました。正妻の女二の宮の御殿へもお出でになりません。「大事件というほどのことでもございませんが、不吉なことを身近に聞きましたので、心が乱れております間は、慎まれまして、失礼いたします」とお耳にお入れしておいて、まことに儚く悲しき契りを、尽きせず嘆いておいでになります――

「ありしさま容貌、いと愛敬づき、をかしかりしけはひなどの、いみじく恋しく悲しければ、うつつの世には、などかくしも思ひ入れず、のどかにて過ぐしけむ、ただ今は、さらに思ひしづめむかたなきままに、くやしきことの数知らず、かかることの筋につけて、いみじうもの思ふべき宿世なりけり…」
――浮舟の生前の容姿の可愛らしく、風情のあった様子などが、大そう恋しく悲しいので、生きていた時にどうしてああも、夢中にならずに、のんびりと過ごしてしまったことだろうか、今となっては、どう心を鎮める術もないままに、口惜しい事が数多く思い出されて、自分は女の問題に関しては、ひどく苦労する生まれつきだったのだ…――

「さま異に志したりし身の、思ひの外に、かく例の人にてながらふるを、仏などもにくしと見給ふにや、人の心を起させむとて、仏のし給ふ方便は、慈悲をも隠して、かやうにこそはあなれ、と思ひつづけ給ひつつ、行ひをのみし給ふ」
――世間一般の人と違った仏道の方面に志した自分が、意外にもこのように俗人として生き長らえているのを、仏も憎いと御覧になるのだろうか。是非とも道心を起させようとの仏の方便(手段)は、わざと慈悲をも隠して、このように残酷なことをなさるのかも知れぬ、などと思い続けながら、ただひたすら、勤行ばかりなさっています――

◆わがたゆく(我が弛く)=自分の心の動きが鈍い。

では10/29に。

源氏物語を読んできて(1170)

2012年10月25日 | Weblog
2012. 10/25    1170

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その10

「『ながらへては、誰にも、しづやかに、ありしさまをも聞えてむ。ただ今は、悲しささめぬべきこと、ふと人伝に聞し召さむは、なほいといとほしかるべきことなるべし』と、この人二人ぞ、深く心の鬼添ひたれば、もて隠しける」
――(右近らは)「歳月が経ったならば、どなたにもゆっくりと事情をお話申しあげましょう。今は、いずれの御方にも、悲しさも醒めてしまいそうな自殺の事などを、人伝にでもお聞きになるようなことがあっては、やはりきっとご迷惑なことになりましょう」と、右近と侍従の二人は、ひどく心の鬼に咎められますので、ひた隠しに隠すのでした――

「大将殿は、入道の宮のなやみ給ひければ、石山に籠り給ひて、騒ぎ給ふころなりけり。さて、いとどかしこをばおぼつかなう思しけれど、はかばかしう、さなむ、といふ人はなかりければ、かかるいみじきことにも、まづ御使ひのなきを、人目も心憂しと思ふに、御庄の人なむ参りて、しかじかと申させければ、あさましき心地し給ひて、御使ひ、そのまたの日、まだつとめて参りたり」
――薫大将殿は、母宮の女三宮がご病気になられたので、ご病気平癒のため石山に参籠されて、何かとお取り込み中のところでした。そこで宇治のことも気にかけておられましたが、はっきりとこれこれのことでした、と申し上げる人もいませんでしたので、宇治では、このような一大事の折に、真っ先に薫からお使いがないことを、世間体にも辛いと思っているところに、荘園の人が石山に参上して、こうこうと取り次ぎから申しあげさせましたので、薫はただただ呆れ果てて、使者を遣わして、その翌日まだ早暁に宇治に伺いました――

「『いみじきことは、聞くままにみづからものすべきに、かくなやみ給ふ御ことにより、つつしみt、かかるところに日を限りて籠りたればなむ。昨夜のことは、などか、ここに消息して、日を延べてもさることはするものを、いと軽らかなるさまにて、いそぎせられにける。とてもかくても、同じいふかひなさなれど、とぢめのことをしも、山がつの謗りをさへ負ふなむ、ここのためもからき』など、かのむつまじき大蔵の大夫してのたまへり」
――「そのような一大事には、聞くなりすぐに自分が出掛けるべきだが、このように母君のご病気平癒のため、石山に日数を決めて参籠しているので、すぐに参るわけにはいきません。昨夜の葬送はこちらに知らせて、日を延ばしてでもする筋なのに、なぜ、そのように手軽に急いで済ませれたものか。どのみち甲斐のないことではあるが、一生の終わりの葬式について、田舎者から悪口まで言われるとは、自分のために辛いことだ」などと、あの御信任厚い大蔵の大夫を使者として仰せになります――

「御使ひの来たるにつけても、いとどいみじきに、聞こえむかたなきことどものなれば、ただ涙におぼほれたるをかごとにて、はかばかしうもいらへやらずなりぬ」
――御使者が参ったにつけましても、皆ますます悲しみが増さりますが、申し上げようもないことですので、ただ涙にくれて言葉も出ないということを口実にして、はっきりお答えせずに済ませてしまったのでした――

では10/27に。


源氏物語を読んできて(1169)

2012年10月23日 | Weblog
2012. 10/23    1169

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その9

「大夫内舎人など、おどしきこえし者どもも参りて、『御葬送のことは、殿に事の由申させ給ひて、日さだめられ、いかめしうこそ仕うまつらめ』など言ひけれど、『ことさらに、今宵過ぐすまじ、いと忍びて、と思ふやうあればなむ』とて、この車を、むかひの山の前なる原にやりて、人も近うも寄せず、この案内知りたる法師のかぎりして焼かす。いとはかなくて、けぶりは果てぬ」
――薫の家来で、宇治の警護をした内舎人(うどねり)や、その婿の右近大夫などの、先日来、やかましい事を言って脅した者たちも集まってきて、「御葬送のことは、大将殿に事の次第を申し上げてから、日を改めて、厳かに取りおこなわれるべきでしょう」などと言いますが、右近は、「どうしても今宵のうちに行いたいのです。思う仔細がありまして」と言って、この車を向こうの山の前の野辺にやって、誰も近づけず、事情を知っている法師たちだけで、焼かせました。あっけない有様(死体が無いため)で、煙が立ち昇って弔いは終わりました――

「田舎人どもは、なかなかかかることを、ことごとしくしなし、言忌など深くするものなりければ、『いとあやしう、例の作法など、あることどももし給はず、下衆下衆しく、あへなくてせられぬることかな』と謗りければ、『かたへおはする人は、ことさらにかくなむ、京の人はし給ふなる』など、さまざまになむ安からず言ひける」
――田舎の人々は、却って葬式などは仰山に取り行い、言忌などの縁起をひどくかつぐものなので、「まことに妙なことだ。世間並みの葬儀など、当然すべき事もなさらず、下々の葬式のようにあっけないやり方で、済まされたことよ」と非難する者もいれば、「兄弟のおいでになる方は、わざとこのように略式に、京の人はなさるのです」などと、あれこれと、不安な気持ちで説明するのでした――

「かかる人どもの言ひ思ふことだにつつましきを、ましてもののきこえ隠れなき世の中に、大将殿わたりに、骸もなく亡せ給へり、と聞こし召さば、必ず思ほし疑ふこともあらむを、宮はた、同じ御なからひにて、さる人のおはしおはせず、しばしこそ、忍ぶとも思さめ、つひには隠れあらじ、また、さだめて宮をしも疑ひ聞こえ給はじ、いかなる人か率て隠しけむ、などぞ、思し寄せまうかし…」
――こういう人々の言葉や思惑さえ恥かしいのに、まして悪い噂はすぐさま広がるのが世の常のことですから、大将殿にしても、亡骸もないままお亡くなりになったとお聞きになりましたなら、必ず匂宮が関わっておられるとお疑いになることもありましょう。しかしまた、匂宮にしましても、薫と御同族の間柄で、浮舟らしい人の居る、居ないについて、当座のうちこそ、薫が隠して居るのではと、お思いになるかも知れませんが…――

「生き給ひての御宿世は、いとけだかくおはせし人の、げに亡きかげに、いみじきことをや疑はれ給はむ、と思へば、ここのうちなる下人どもにも、今朝のあわただしかりつるまどひに、けしきも見聞きつるには口かため、案内知らぬには聞かせじ、などぞたばかりける」
――生きておられた間は、まことに申し分のない御運勢の姫君が、成る程「亡き影に浮名流さむ…」の歌の詞のように、死後ひどいことを疑われなさるのかと思えば、この邸内の召し使いどもにも、今朝の慌ただしかった騒ぎの中に、見聞きした者には口止めをし、事情を知らぬ者には、聞かせぬようになどして、何かと工作するのでした――

では10/25に。


源氏物語を読んできて(1168)

2012年10月21日 | Weblog
2012. 10/21    1168

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その8

「『忍びたることとても、御心より起こりてありしことならず。親にて、なきのちに聞き給へりとも、いとやさしき程ならぬを、ありのままに聞えて、かくいみじくおぼつかなきことどもさへ、かたがた思ひ惑ひ給ふさまは、すこしあきらめさせたてまつらむ。亡くなり給へる人とても、骸を置きてもてあつかふこそ世の常なれ、世づかぬけしきにて日ごろも経ば、さらに隠れあらじ。なほ聞こえて、今は世の聞えをだにつくろはむ』と語らひて、忍びてありしさまを聞ゆるに」
――(二人は)「匂宮との御事が秘密であるといっても、姫君の方から望んで起こったことではありません。親として、死後に聞かれたならば、そんなに恥かしいことではないでしょうから、ありのままに母君に申し上げて、悲しみの上に、どうしたわけで姫君が行方知れずになられたのかまであれこれ悩んでおられるのに、少しでも分かっていただけるようにしてはどうでしょう。亡くなられた方としても、亡きがらを前にしてお葬式の用意をするのが、世間の常識ですのに、このような常ならぬ有様で幾日も経っては、とても隠してはおけませんもの」と話し合って、母君にそっと申し上げます――

「言ふ人も消え入り、え言ひやらず。聞く心地も惑ひつつ、さば、このいと荒らましと思ふ河に、流れ亡せ給ひける、と思ふに、いとどわれも落ち入りぬべき心地して、『おはしましけむ方をたづねて、骸をだにはかばかしくをさめむ』とのたまへど」
――申し上げる方も気が遠くなるようで、言葉も途切れがちです。聞く方もいっそう心が乱れて、それでは、この荒々しい宇治川に流れてお亡くなりになったかと思いますと、いよいよ自分も水に落ちてしまいそうな気がして、「流れていらっしゃった行方を尋ねて、亡骸だけでもちゃんと葬って差し上げましょう」と言うのですが――

「『さらに何の甲斐侍らじ。行方も知らぬ大海の原にこそおはしましにけめ。さるものから、人の言ひ伝へむことは、いとど聞きにくし』と聞こゆれば、とざまかくざまに思ふに、胸のせきのぼる心地して、いかにもいかにもすべき方もおぼえ給はぬを…」
――(右近たちが)「お捜しになっても、それはもう甲斐のないことでございます。果てしない大海に流れ入ってしまわれたでしょう。それですから、世間の評判になりますと、たいそう聞きにくいことになりましょう」と申し上げます。母君はあれこれ思うにつけ、胸がこみ上げて来て、本当にどうしてよいのか皆目分からないのでした――

「この人々二人して、車寄せさせて、御座ども、けじかう使ひ給ひし御調度ども、皆ながら脱ぎおき給へる御衾などやうのものを取り入れて、乳母子の大徳、それが叔父の阿闇梨、その弟子のむつまじきなど、もとより知りたる老法師など、御忌に籠るべきかぎりして、人の亡くなりたるけはひに真似びて、出だし立つるを、乳母、母君は、いとゆゆしくいみじ、と臥し転ぶ」
――右近と侍従が二人で車を寄せさせて、お茵(しとね)や、身近でお使いになったお道具類、そのまま脱ぎ捨てていらした、お夜着のような物を取り納めて、乳母子(めのとご)の大徳(だいとこ)、その叔父の阿闇梨、その弟子のごく親しい者など、前々から親しく出入りしている老法師など、忌中に詰めて供養するべき関係者だけが付き添って、いかにも人が亡くなった様子を装って車を送りだすのを、乳母や母君は、これではあまりにも不吉だと言って、臥せったままで泣くばかりです――

◆御座ども(おましども)=座布団の類、寝る時下に敷く物。茵(しとね)

では11/23に。


源氏物語を読んできて(1167)

2012年10月19日 | Weblog
2012. 10/19    1167

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その7

「かかることどもの紛れありて、いみじうもの思ひ給ふらむ、とも知らねば、身を投げ給ひつらむ、とも思ひも寄らず、鬼や食ひつらむ、狐めくものや取りもて去ぬらむ、いと昔物語のあやしきもののことのたまひにか、さやうなることも言ふなりし、と思ひ出づ」
――(浮舟が)この頃、匂宮とのことで込み入った訳があって、ひどく物思いに沈んでおいでになったとは、母君は知りませんので、身投げなさったとは思いもよらず、鬼が食ったのか、狐のようなものがさらって行ったのか、昔話には不思議な話の例などに、そんなふうなこともあった、
などと思い出すのでした――

「さては、かのおそろしと思ひきこゆるあたりに、心などあしき御乳母やうの者や、かう迎へ給ふべし、と聞きて、めざましがりて、たばかりたる、人もやあらむ、と、下衆などを疑ひ、『今参りの心知らぬやある』と問へば、」
――さてはあの、かねて恐ろしいと思っています、大将殿の北の方のあたりに、腹黒い御乳母などが居て、薫がこうして浮舟を京へ迎えられると聞いて、腹立たしく心外なことと思い、何か手を回したのではあるまいかとも思って、下人などを疑って、「新参の者で、気心の知れないのが居はすまいか」と問うと――

「『いと世離れたりとて、ありならはぬ人は、ここにてはかなきこともえせず、今とく参らむ、と言ひつつなむ、皆そのいそぐべきものどもなど取り具しつつ、かへり出で侍りにし』とて、もとよりある人だに、かたへはなくて、いと人ずくななる折になむありける」
――(侍女が)「ここは遠く京を離れた不便な土地だというので、住み馴れない者(新参者)は、ここではちょっとした用事もできず、じきに戻って参ります、と言っては、皆京へ引き移る用意の物などを持って帰って行ってしまいました」ということで、もとから居る侍女でさえ、一部は居なくなっていて、まことに人不足な折なのでした――

「侍従などこそ、日ごろの御けしき思ひ出で、『身をうしなひてばや』など泣き入り給ひし折々のありさま、書きおき給へる文をも見るに、「なきかげに」と書きすさび給へるものの、硯の下にありけるを見つけて、河の方を見やりつつ、響きののしる水の音を聞くにも、うとましく悲し、と思ひつつ」
――その中でも侍従などは、近頃の浮舟のご様子を思い出して、「いっそ死んでしまいたい」などと泣き入られた折々の様子、また、母君へ書き遺された御文をみますと、「亡き影に」と書き流されたものが硯の下にありましたので、宇治川の方を眺めやりながら、荒々しい響きを立てて流れる水の音を聞くにつけても、気味悪く悲しい、と思いながら――

「『さて亡せ給ひけむ人を、とかく言ひ騒ぎて、いづくにもいづくにも、いかなる方になり給ひにけむ、と、思し疑はむも、いとほしきこと』と言ひ合はせて…」
――そんな風に亡くなられた方を、あれこれ騒ぎ立てて、あちらでもこちらでも、一体どういう風にお亡くなりになったのかとお疑いになっては、姫君がお気の毒なことですもの」と、侍従は右近と相談して…――

では10/21に

源氏物語を読んできて(1166)

2012年10月17日 | Weblog
2012. 10/17    1166

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その6

侍従の話がつづきます。

「『日ごろいといみじくものを思し入るまりしかば、かの殿の、わづらはしげに、ほのめかしきこえ給ふことなどもありき。御母にものし給ふ人も、かくののしる乳母なども、はじめより知りそめたりし方にわたり給はむ、となむいそぎ立ちて、この御ことをば、人知れぬさまにのみ、かたじけなくあはれと思ひきこえさせ給へりしに、御心みだれけるなるべし。あさましう、心と、身を亡くなし給へるやうなれば、かく心のまどひに、ひがひがしく言ひつづけらるるなめり』とさすがにまほならずほのめかす」
――「(姫君は)この頃ずっと物思いに沈んでいらっしゃいましたところへ、大将殿(薫)が、匂宮との事を、煩わしいばかりあれこれと仄めかして言ってお寄こしになりましたこともございました。母君にあたるお方も、ああして物狂おしく泣き騒ぐ乳母なども、はじめから御縁のありました御方の許に引き移られるものと、そのお積りで準備をなさっておいででした。宮様とのことは、ただ心密かに、勿体なく、慕わしい御方とお思い申しておられましたので、お心が狂わしくなったのでございましょう。情けないことですが、どうも自らお命を落とされたようですので、私どもはこうして気も転倒しておりまして、乳母はあのように妙な事も言い続けているのでございましょう」と、それでもさすがに、あからさまでは無く、仄めかして言うのでした――

「心得がたく思ひて、『さらば、のどかに参らむ。立ちながら侍るも、いとことそぎたるやうなり。今御むづからもおはしましなむ』と言へば」
――(時方は)「まだ納得しがたい気がして、「では、またいずれ、ゆっくり伺いましょう。立ったままでお話していても、まことに失礼なようです。そのうち匂宮御自身もお見えになりましょう」と言いますと――

「『あなかたじけな。今更に人の知りきこえさせむも、亡き御ためは、なかなかめでたき御宿世見ゆべきことなれど、忍び給ひしことなれば、また漏らさせ給はでやませ給はむなむ御志に侍るべき』ここには、かく世づかず亡せ給へる由を、人に聞かせじ、と、よろづにまぎらはすを、自然にことどものけしきもこそ見ゆれ、と思へば、かくそそのかしやりつ」
――(侍従は)「まあ、何という勿体ない事を。今となって宮様との秘密を、人が知るようになりますのも、亡き姫君のためには却って名誉な御運とも見えましょうが、姫君御自身が秘めておいでになったことですから、宮様もこのままお漏らしにならずに済ませてくださるのが、御親切というものでしょう」と言いながら、(侍従は心の中で)この邸では、こうして普通でなく亡くなられた由を世間に聞かせまいとして、あれこれ工面するものを、時方に長居されては、うっかり事の様子があからさまになってしまうだろうと思って、とにかく急きたてて帰らせました――

「雨のいみじかりつるまぎれに、母君もわたり給へり。さらに言はむかたもなく、『目の前に亡くなしたらむ悲しさは、いみじうとも、世の常にて、たぐひあることなり。これはいかにしつることぞ』とまどふ」
――雨のひどく降るのに紛れて、母君も宇治に来られました。今更口にする言葉もないほどの嘆きようで、「目の前で愛しい子を亡くしてしまった悲しさは、どんなに辛い事だと言っても、人の世の常で、他にも例のあることです。しかしこれはいったい何としたことか」と泣き惑うのでした――

では10/19に。

源氏物語を読んできて(1165)

2012年10月15日 | Weblog
2012. 10/15    1165

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その5

乳母が続けて、

「『うち棄て給ひて、かく行方も知らせ給はぬこと。鬼神もあが君をばえ領じたてまつらじ。人のいみじく惜しむ人をば、帝釈も返し給ふなり。あが君を取りたてまつりたらむ、人にまれ鬼にまれ、返したてまつれ。なき御骸をも見たて待つらむ』と言ひ続くるが」
――この乳母をお見棄てになって、こうして行く先もお知らせ下さらないなんて。鬼も神も、私の姫君をわが物にすることは出来ますまい。人がたいそう惜しむ方は、帝釈天もお返しになると申します。人であれ、鬼であれ、さあ、お返し申せ。せめて御亡骸でも拝みたい」と言い続けているのが――

「心得ぬことどもまじるを、あやしと思ひて、『なほのたまへ。もし人の隠し聞こえ給へるか。確かに聞き召さむ、と、御身のかはりに出だし立てさせ給へる御使ひなり。今は、とてもかくてもかひなきことなれど、のちにも聞こし召し合はすることの侍らむに、たがふことまじらば、参りたらむ御使ひの罪になるべし…』」
――(死骸を返せなどと)合点のゆかぬ言葉が混じっていますのを、妙だと思って、「本当のことをおっしゃってください。もしや、どなたかがお隠しになったのですか。匂宮は確かなことをお知りになろうと、ご自身の代わりに私を使者にお遣わしになったのですよ。今となっては仕方が無いことですが、後日、宮が真相をお聞き合わせになられて、それが今日のご報告と違う点があっては、参上しました使者の私の罪となるでしょう…」――

 さらに、

「『また、さりともと頼ませ給ひて、君たちに対面せよ、と仰せられつる、御心ばへも、かたじけなし、とは思されずや。女の道にまどひ給ふことは、人の御門にも、古き例どもありけれど、まだかかること、この世にあらじ、となむ見たてまつる』といふに」
――「その上、宮様が、まさか亡くなられたというようなことはあるまいと、一縷の望みを抱かれて、あなた達に会って、事情を確かめて来いとお言い付けになられたそのお気持も、勿体ないとはおもわれませんか。女の道にお迷いになることは、異朝(支那)にも、古い例はいくつかありますが、まだこれほどまでのご執心は、この世にはあるまいと存じます」と言うので――

「げにいとあはれなる御使ひにこそあれ、隠すとも、かくて例ならぬことのさま、おのづから聞こえなむ、と思ひて、『などか、いささかにても、人や隠いたてまつり給ふらむ、と思ひ寄るべきことあらむには、かくしもあるかぎりまどひ給ふらむ、と思ひ寄るべきことあらむには、かくしもあるかぎりまどひ侍らむ…』」
――(侍従も)これはまことに畏れ多いお使いに違いなく、このような例のないような事というのは、隠そうとしても自然評判になることであろうと、「少しでも、誰かがお隠し申されたのかと心当たりがありますならば、どうしてこんなに、皆の者が慌て惑いましょう…」――

では10/17に。


源氏物語を読んできて(1164)

2012年10月13日 | Weblog
2012. 10/13    1164

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その4

「右近に消息したれども、え逢わず。『ただ今ものおぼえず、起き上がらむ心地もせでなむ。さるは、今宵ばかりこそは、かくも立ち寄り給へめ、え聞かぬこと』と言はせたり。『さりとて、かくおぼつかなくては、いかが帰りまゐり侍らむ。いま一所だに』とせちに言ひたれば、侍従ぞ逢いたりける」
――(時方が)右近に会いたいと申し入れましたが、会うことができません。「今はあまりのことに分別さえ失って、起き上がる気力さえありません。もっともあなたがこうしてお立ちより下さるのも今宵かぎりでしょうに、お目にかかれないのは残念でございます」と取り次ぎの者に言わせます。時方がなおも、「そうかといって、このように訳がわからなくては、どうして帰参できましょう、せめてもうお一方(侍従)にでも」と、強いて言いましたところ、やっと侍従が会うことになりました――

「『いとあさましく、思しもあへぬさまにて亡せ給ひにたれば、いみじと言ふにも、あかず夢のやうにて、誰も誰もまどひ由を申させ給へ。すこしも心地のどめ侍りてなむ、日ごろもものおぼしたりつるさま、一夜、いと心苦しと思ひ聞えさせ給へりしありさまなども、聞えさせ侍るべき。このけがらひなど、人の忌み侍るほど過ぐして、今ひとたび立ち寄り給へ』と言ひて、泣くこといといみじ」
――(侍従は)「本当に何と申しましたらよいのでしょう。ご想像も及ばぬ状態でお亡くなりになりましたので、悲しいと申すのも、あまりにあっけなく夢のようで、一同途方に暮れております旨を、どうぞ匂宮に申し上げてくださいませ。もう少し気分も落ち着きましてから、浮舟さまがこの頃、始終物思いに沈んでいらっしゃったご様子や、先夜、宮様をお通し出来ず、たいそうお気の毒にお思い申しておられたことなど、お聞かせ申し上げましょう。死人の穢れや何やら、人が不吉とします期間が過ぎましてから、もう一度お立ち寄りくださいまし」と言って、ただ泣きに泣くのでした――

「うちにも泣く声のみして、乳母なるべし、『あが君や、いづかたにかおはしましぬる。むなしき骸をだに見たてまつらぬが、かひなく悲しくもあるかな。あけくれ見たてまつりてもあかずおぼえ給ひ、いつしかかひある御さまを見たてまつらむ、と、あしたゆふべに頼みきこえつるにこそ、命も延び侍りつれ』」
――家の中でも、人々の泣く声ばかりして、乳母であろうか、「ああ、お嬢様、いったいどちらへ行っておしまいになったのですか。亡きがらさえも拝せないとは、お側にいた甲斐もなく悲しゅうございます。明け暮れお見上げしていてさえ、拝し足りない感じで、いつになったら見がいのあるご境遇が拝せようか、はやくそうなれば良いと、朝夕それをひたすら頼りにしていましたからこそ、生き延びてもきましたものを…」――

◆けがらひなど=穢れなど

では10/15に。