永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(74)(75)

2018年07月31日 | 枕草子を読んできて
六一  よろづよりは、牛飼童べの   (74) 2018.7.31

 よろづよりは、牛飼童べのなりあしくて持たるこそあれ。こと者どもは、されど、しりに立ちてこそ行け、先につとまもられ行く者、きたなげなるは心憂し。車のしりにことなる事なきをのこどもの連れだちたる、いと見苦し。ほそらかなるをのこ、随身など見えぬべきが、黒き袴の裾濃なる、狩衣は何もうちなればみたる、走る車の方などに、のどやかにてうち添ひたるこそ、わる者とは見えね、なほ、おほかたなりあしくて、人使ふはわろかり。
◆◆何よりもまして、牛飼い童の服装のよくないのを使っているのこそ、感心しない。他の従者たちは、しかし、牛の後についていくから良いが、牛の前に立って、人からじっと注目されて行く牛飼い童が、きたならしい感じのはいやだ。車の後ろに、これといったすぐれてもいない召使の男たちが連れだって歩いているのは、ひどく見苦しい。ほっそりした男で、隋身などと見られそうな者が、黒い袴の裾の方が濃く(汚れている)なっているのをはき、狩衣はどこも着馴れて古くなっている、そういう男が、走る車の側などにゆったりとして付き添っているのこそは、劣っている者とは見えないけれど、やはり、一般に、悪い服装をさせて人を使うのは、よくない。◆◆


■牛飼童べ(うしかひわらはべ)=牛車の牛を扱う者。老若いずれも垂れ髪にして童形をしていた。
■こそあれ=「こそわろくあれ」の意と解く。



 きやれなど時々うちしたれど、なればみて罪なきは、さるかたなりや。使人などこそはありて、童べのきたなげなるは、あるまじく見ゆれ。家にゐたる人も、そこにゐたる人とて使ひにてもまらうどなどの行きたるにも、をかしき童のあまた見ゆるは、いとをかし。
◆◆着破れなどは時々しているけれど、着馴れて難のないのは、それはそれとして見逃せるものだ。宮中から賜った召使はきれいな身なりであって、家での召使にはきたならしい感じなのは、けしからぬように見える。家の使用人も、そこにいる人ということで、使者としてでも客人が行っている場合にも、きれいな童女がたくさん見えているのは、たいへん好ましいものだ。◆◆


■きやれ=着破れ
■使人(つかひびと)=資人(しじん=宮中から位階によって賜る召使)のことか。





六二  人の家の門の前をわたるに   (75) 2018.7.31

 人の家の門の前をわたるに、侍めきたる者などして、ひめきたるをのこつちにをるものなどして、をのこ子の十ばかりなるが、髪をかしげなる、ひきはへても、こはきてたるも、また、五つ六つばかりなるが、髪は頸のもとにかいくくみて、つらいと赤うふくらかなる、あやしき弓、しもとだちたる物などささげたる、いとうつくし。車とどめて、抱き入れまほしくこそあれ。また、さて行くに、薫物の香のいみじくかかへたる、いとをかし。
◆◆牛車で人の門の前を通る時に、侍ふうの者などを使って、ヒメキタルヲノコツチニヲルモノナドシテ、男の子で十歳くらいの者で、髪のきれいに見えるのが、髪を長くたらしても、コハキテタルのも可愛らしく、また五、六歳くらいの子で、髪は頸のあたりに丸くくるんだように重なっていて、頬はたいへん赤くふっくらとしているのが、妙な弓とか、小枝めいたものをふりかざしているのも、たいへん可愛らしい。牛車を止めて、抱いて車の中に入れてしまいたい感じがする。また、そうして通って行くと、薫物の香が、門の奥からただよい香ってくるのも、たいへん風情がある。◆◆

■侍めきたる者=貴人の家に仕え雑用する者。
■つちにをるもの=地に畏まっている者の意か。
■こはきてたるも=不審。
■しもとだちたる=木の細枝。矢にするためか。

*この段は、わかりにくい部分が多く、誤脱が考えられる。

*****8月いっぱいお休みします。9月に又お会いしましょう。*****



枕草子を読んできて(72)(73)

2018年07月29日 | 枕草子を読んできて
五九  若くてよろしき男の  (72) 2018.7.29

 若くてよろしき男の、下衆女の名言ひなれて呼びたるこそ、いとにくけれ。知りながらも、何とかや、片文字はおぼえで言ふはをかし。宮仕へ所の局などに寄りて、夜などぞ、さおぼめかむはあしかりぬべけれど、主殿寮、さらぬただ所にては、侍、蔵人所にある者をゐて行きて、呼ばせよかし。てづからは声もしるきに。
 はした者、童べなどは、されどよし。
◆◆若くて身分教養のある男が、身分のいやしい女の名を言い馴れてなれなれしく呼んでいるのは、ひどくにくらしい。知っていながらも、何といったか、名の一部は思い出さない風に言うのは、好ましい。宮仕え所おの女房の局などに立ち寄って、夜などに、そうぼやかして言うのは、まあ悪いに違いないけれど、宮中なら主殿寮、そうでない普通の場所では、侍所や、蔵人所にいる者を連れて行って、女を呼ばせるのがよい。自分から呼ぶのでは、誰の声かはっきり分かるので。
 はした者や、童女などの名は、しかし自分で呼んでもかまわない。

■いとにくけれ=身分違いの者が直接口をきく事は当時の社会では憚られた。
■侍(さぶらひ)=侍所。親王・摂関・大臣などの家においた家臣の詰所。
■蔵人所=東宮坊・親王・摂関家における蔵人所。事務を司るところの詰所。
■はした者=半者(はしたもの)。どっちつかずの半端者、樋洗(ひすまし)・御厠人(みかわようど)などよりは少し上位の雑仕の女をさすか。


六〇  若きひととちごとは   (73)  2018.7.29

 若き人とちごとは、肥えたるよし。受領など大人だちたる人は、太きよし。あまりやせからめきたるは、心いられたらむとおしはからる。
◆◆若い人と乳飲み子は、ふっくらしているのがよい。受領などのような充分年輩の人は、でっぷりしているのが良い。あまり痩せてひからびているようなのは、気分がいらいらしているのだろうと想像される。◆◆


枕草子を読んできて(71)

2018年07月24日 | 枕草子を読んできて
五八  殿上の名対面こそ  (71)  2018.7.24

 殿上の名対面こそなほをかしけれ。御前に人候ふをりは、やがて問ふもをかし。足音どもしてくづれ出づるを、うへの御局の東面に耳をとなへて聞くに、知る人の名告りには、ふと胸つぶるらむかし。また、ありとも聞かぬ人をも、このをりに聞きつけたらむはいかがおぼゆらむ。名告りよしあし、聞きにくく定むるるもをかし。
◆◆殿上の名対面こそは、やはりおもしろいものだ。主上の御前に人が(点呼の番の蔵人)伺候しているときに、殿上の間に立ち戻らず御前に侍するままで点呼をとるのもおもしろい。殿上人たちの足音がして、どやどやと出て来るのを、弘徽殿の上の御局の東面のところで、耳をすまして私たち女房が聞いているのに、その中のだれか自分が知っている人の名告りには、さだめしはっと胸がつぶれていることであろう。また、それっきりで生きているとも聞いていない人の名告りをも、この折に聞きつけたような時にはどんな感じがするだろう。名告りようの良い悪いを聞き苦しく批評しているのもおもしろい。◆◆

■殿上の名対面(てんじょうのなだいめん)=清涼殿殿上の間で行われる宿直人の点呼。毎夜亥二刻(午後9時半ごろ)に行われるという。
■となへて聞く=そろえて聞く。整えるの意。



 果てぬなりと聞くほどに、滝口の弓鳴らし、沓の音そそめき出づるに、蔵人のいと高く踏みこほめかして、丑寅の隅の高欄に高膝つきとかやいふゐずまひに、御前の方に向かひて、うしろざまに「たれたれか侍る」と問ふほどこそをかしけれ。
◆◆(名対面が)終わってしまったと聞いているうちに、次の滝口の武士が弓を鳴らし、沓の音がざわざわして出て来ると、蔵人がたいへん足音高く板橋を踏み鳴らして、東北の隅の高欄の所に、高膝つきとかいう座り方で、主上の御前の方に顔を向けて、滝口の侍には後ろ向きに、「だれだれは、控えているか」とたずねる様子こそはおもしろい。◆◆

■滝口(たきぐち)の弓鳴らし=滝口の武士の名対面。弓弦を手で鳴らし妖気を払う。
■こほめかして=ごとごと音を立てる意。わざわざ音を立てるのが故実らしい。
■丑寅(うしとら)=清涼殿の東北。



 ほそう高う名告り、また、人々候はねばにや、名対面つかまつらぬよし奏するを、「いかに」と問へば、さはる事ども申すに、さ聞きて帰るを、方弘は、聞かずとて、君達の教へければ、いみじう腹立ちしかりて、かんがへて、滝口にさへ笑はる。
 御厨子所のおもだなといふ物に、沓置きて、はらへののしるを、いとほしがりて、「誰が沓にかあらむ。え知らず」と、主殿司、人々言ひけるを、「やや、方弘がきたなき物ぞや」。とりにきても、いとさわがし。
◆◆細くまたは高く滝口は名告り、また、何人かが伺候していないからなのか、今夜は名対面を申し上げない旨を奏上するのに、、蔵人が「どうしてか」と事情を尋ねるので、滝口が差し障りの理由などを申し上げるとき、それを聞いて帰るのが例なのであるが、ある時、蔵人の方弘(まさひろ)は、事情を聞かずに帰ったといって、君達がそのことを注意したところ、方弘はひどく腹を立てて、滝口を叱って、とがめて、滝口の武士たちにさへ笑われた。
 また、後涼殿の御厨子所の「おも棚」というところに、方弘は沓を置いて、それを人々がけがれを祓って大騒ぎをしているのを、気の毒がって、「だれの沓でしょうか。知りようのありません」と、主殿司の女官や、他の人々が庇って言ったのを、「やあやあ、それは方弘の汚いものですよ」という。沓を取りに来ても、大笑いをしてたいへん騒がしいことだ。◆◆

■方弘(まさひろ)=源方弘。文章生出身の蔵人。六位蔵人在任は、長徳2年(996)正月から同5年正月まで。のち阿波守にいたる。粗忽者だった。
■御厨子所(みずしどころ)=後涼殿の西廂にあり、主上の食事を調理する所。
■おもだな=おものだな(御膳棚)か。



枕草子を読んできて(70)その3

2018年07月21日 | 枕草子を読んできて
五七  職の御曹司の立蔀のもとにて  (70)その3  2018.7.21

 入らせたまひて、なほめでたき事ども言ひ合はせてゐたるに、南の遣戸のそばに、几帳の手のさし出でたるにさはりて、簾のすこしあきたるより、黒みたる物の見ゆれば、のりたかがゐたるなンめりと思ひて、見も入れで、なほことどもを言ふに、いとよくゑみたる顔の、さし出でたるを、「のりたかなンめり、そは」とて見やりたれば、あらぬ顔なり。
◆◆(主上と中宮が)奥にお入りあそばされてから、なお素晴らしい御有様どもを式部のおもとと話あっている時に、南の引き戸のそばに、几帳の手の突き出ているのにつかえて、簾がすこし開いている所から、黒ずんだ物が見えるので、則隆が座っているのだろうと思って、気をつけて見もしないで、やはりいろいろと二人で話していると、たいへんにこにこしている顔が差し出たのを、「則隆だろう、それは」と思って、そちらに目を向けたところ、違う顔である。◆◆

■几帳の手=几帳の丁字形につき出ている両端を「手」という。
■のりたか=橘則隆。六位蔵人。


 あさましと笑ひさわぎて、几帳引きなほし隠るれど、頭弁にこそおはしけれ。見えたてまつらじとしつるものをと、いとくちをし。もろともにゐたる人は、こなたに向きてゐたれば、顔も見えず。立ち出でて、「いみじく名残なくも見つるかな」とのたまへば、「のりたかと思ひはべれば、あなづりてぞかし。などかは、『見じ』とのたまひしに、さつくづくとは」と言ふ。
◆◆あきれたことだと笑って騒いで、几帳を引きなおして隠れるけれど、それは頭の弁でいらっしゃったのだった。顔を見られ申されないようにしていたのに、たいへん残念だ。一緒に座っている人は(式部のおもと)、こちらに向いて座っていたのであちらからは顔も見えていない。頭の弁は立ってこちらへ姿を現して、「まったくあますところなく見てしまったことだ」とおっしゃるので、「則隆と思っていたので、気をゆるしていたのですよ。どうして、『見まい』とおっしゃっていらしたのに、そんなにしっかりとは」と言う。◆◆

■もろともにゐたる人=式部のおもと



 「『女は寝起きたる顔なむ、いとよき』となむ言へば、ある人の局に行きて、かいま見して、またもし見えやするとて来たりつるなり。まだうへのおはしつるながらあるを、え知らざりけるよ」とて、それより後恥ぢず、局の簾うちかづきなどしたまふめりき。
◆◆「『女は寝起きの顔が、とても良い』ということだから、ある人の所の局に行って、覗き見をして、また、ひょっとしてあなたの顔が見られるかも知れないと思ってやって来てしまったのですよ。まだ主上がおいでになっているときから、そのまま居るのを、あなたは全く気がつかなかったのですね」と言って、それから後は平気で、私の局の簾をおくぐりになって、中に入りなどなさるようでした。◆◆

■『女は寝起きたる顔なむ~』=当時のことわざのようなものか。あるいは行成の皮肉か。
「女は寝起き顔なむいと難き」(女は寝起き顔は容易に見られない)の意か。
◎「五七」の前半は長徳三年(997)六月~十月の間のことか。後半「三月つごもり~」以下は長保二年(1000)三月のことであろう。行成と作者との交渉は他の段にも見え、気が合っていたらしい。作者の方が十歳ほど年長。


枕草子を読んできて(70)その2

2018年07月18日 | 枕草子を読んできて
五七  職の御曹司の立蔀のもとにて  (70)その2  2018.7.19

 物など啓せさせむとても、そのはじめ言ひほめし人をたづね、しもなるをも呼びのぼせ、局などにも来て言ひ、里なるには、文書きても、みづからもおはして、「おそくまゐらば、『さなむ申したる』と申しにまゐらせよ」のどのたまふ。「その人の候ふ」など言ひゆづれど、さしもうけひかずなどぞおはする。
◆◆(頭の弁は)何かを中宮様に申し上げさせようというときでも、最初に取り次ぎを頼んだ私を探して、局に下がっているのまでも呼んでのぼって来させ、さもなければ局などにも来て言い、宿下がりをしている時には、手紙を書いてでも、またご自分でおいでになってでも、「もしあなたが遅く参上するのなら、『このように頭の弁が申しております』と中宮様に言上しに人を参上させよ」などとおっしゃる。「わたくしでなくても、何事でも、これこれの人がひかえております」とその人にゆずるのだけれど、そうは承知しないといったふうでいらっしゃる。◆◆

■啓せさせむ=「させ」は使役。取り次ぎの者を通して中宮に言上するのが普通。
■しもなるを=「上」に対し女房の私的な個室のある方面。自分の局にさがっているわたし(作者)
■里なるには=自宅に宿下がりをしているとき。



 「あるにしたがひ、定めず、何事も、もてなしたるをこそ、よきにはすれ」とうしろ見きこゆれど、「わがもとの心の本性」とのみのたまひつつ、「改まらざる物は心なり」とのたまへば、「さて『はばかりなし』とは、いかなる事を言ふにか」とあやしがれば、笑ひつつ、「仲よしなど人々にも言はるる。かう語らふとならば、何かは恥づる。見えなどもせよかし」とのたまふを、「いみじくにくければ、『さあらむ人はえ思はじ』とのたまひしによりて」。「にくくもぞなる。さらば、な見えそ」と、おのづから見つべきをりも、顔をふたぎなどしてまことに見たまはぬも、まごころにそら言したまはざりけりと思ふに、
◆◆「何言でもその場にあるのに従って、一つとは決めずに処理してしるのをこそ、よいことにしております」と、忠告がましいことを申し上げますが、「自分のもともとの本性だから」とだけいつもおっしゃって、「改まらない物は心だ」とおっしゃるので、「それでは『改めるのに遠慮はいらない』とは、いったいどういうことを言うのでしょうか」と不審がると、笑いながら、「あなたと仲が良いなどと人々からも言われています。こう親しく話をするからには、どうして恥ずかしがることがあろうか。わたしに顔なども見せなさいよ」とおっしゃるのを、「わたしはとても憎らしい顔をしていますから、『そういうような人は好きになれそうもない』と前におっしゃったので」と言う。頭の弁は「憎らしくなるといけないな。それでは、どうぞ顔を見せてくださるな」とおっしゃって、自然に私の顔を見てしまいそうな機会にも、顔をふさぎなどして、本当に御覧にならないのも、本心で、うそはおっしゃらないのだったと思っていたところ、◆◆
 



三月つごもりころは、冬の直衣の着にくきにやあらむ、うへの衣がちにて、殿上人宿直姿もある。つとめて日さし出づるまで、式部のおもとと廂に寝たるに、奥の遣戸をあけさせたまひて、うへの御前、宮の御前出でさせたまへれば、起きもあへずまどふを、いみじく笑はせたまふ。唐衣を髪の上にうち着て、宿直物も何も、うづもれながらあるうへにおはしまして、陣より出で入る者など御覧ず。殿上人のつゆ知らで寄り来て物言ふなどもあるを、「けしきな見せそ」と笑はせたまふ。さて立たせたまふに、「二人ながら、いざ」と仰せらるれば、「いま顔などつくろひてこそ」とてまゐらず。
◆◆三月の末ごろは、冬の直衣が着づらいのであろうか、多くは袍だけで、殿上人が宿直姿をしているのもある。翌朝、日が差し出るころまで、式部のおもとと、廂の間に寝ていると、奥の引き戸をお開けあそばされて、主上と中宮様がお出ましあそばされたので、起きおおせもできず慌てふためくのを、たいそうお笑いあそばされる。唐衣を髪の上に着こんで(髪は唐衣の上に出すものを)、夜具類やなにやかや、それらに埋もれているあたりにお出でになって、陣から出たりはいったりする者どもをご覧あそばす。殿上人で、主上と中宮様のおいでを全く知らずに、寄ってきて話かける者などもいるのを、「わたしたちが、ここにいるというそぶりを見せないでおくれ」とお笑いあそばされる。そうしてお立ちあそばされる時に、「二人とも、さあ」と参上をお命じあそばすので、「ただいま、顔などとのえましてから」といって参上しない。◆◆


■三月つごもりころ=ここからは、三月末のある日のことを描く。四月一日の更衣前だが暑い。
■うへの衣がち=下襲を脱いで袍だけの姿。
■宿直姿(とのゐすがた)=束帯(昼の装束)に対する略式の姿。袍・冠・指貫はつけるが、束帯のように下襲・石帯はつけない。
■式部のおもと=中宮つきの女房であろう。
■うえと宮=一条帝と中宮定子


枕草子を読んできて(70)その1

2018年07月13日 | 枕草子を読んできて
五七  職の御曹司の立蔀のもとにて  (70)その1   2018.7.13

 職の御曹司の立蔀のもとにて、頭弁の、人と物をいと久しく言ひ立ちたまへれば、さし出でて、「それはたれぞ」と言へば、「弁侍ふなり」とのたまふ。「何かはさも語らひたまふ。大弁見えば、うち捨てたてまつりていなむものを」と言へば、いみじく笑ひて、「たれかかかる事をさへ言ひ聞かせけむ。『それさなせそ』と語らふなり」とのたまふ。
◆◆職の御曹司の立蔀のもとで、頭の弁が、人とたいへん長く立ち話をしているので、私がその場に出て行って、「そこに居るのはだれですか」と言うと、「弁がお伺いしているのです」とおっしゃる。「どうしてそんなに親しく話していらっしゃるのですか。大弁が見えたら、あなたをお見捨て申し上げて行ってしまうでしょうに」と言うと、たいそう笑って、「だれがこんなことまで言って聞かせたのでしょう。『それを、どうかそうしないでおくれ』と話し込んでいるのです」とおっしゃる。◆◆

■職の御曹司(しきのみぞうし)=中宮識の御曹司に中宮は長徳三年六月からしばらく住まわれた。
■頭弁(とうのべん)=弁官で蔵人の頭である藤原行成


 
 いみじく見えて、をかしき筋など立てたる事はなくて、ただありなるやうなるを、皆人はさのみ知りたるに、なほ奥深き御心ざまを見知りたれば、「おしなべたらず」など、御前にも啓し、また、さ知ろしめしたるを、常に「『女はおのれをよろこぶ者のために、顔づくりす。士はおのれを知る者のために死しぬ』と言ひたる」と、言ひ合はせつつ申したまふ。
◆◆(頭の弁は)ひどく目立つように、風流な方面などをわざわざ押し立てるようなことはなくて、平凡でありのままのご気性であるのを、人はみなそうとは知っているけれども、私はもっと深みのある御心の様子を見知っているので、「尋常一様ではありません」などど、中宮様にも申し上げ、また、中宮様もそのようにご存じでいらっしゃったが、頭の弁はいつも、「『女は自分を愛する者のために化粧をする。男は自分を理解するもののために死んでしまう』と言っている」と私と互いに同じことをおっしゃる。(中国の古人の言葉を、わたしの中宮様への献身の志、ならびに知己としてもわたしへの頭の弁の感謝の志に言い当て言い当てして申し上げなさる。)◆◆

■ただあり=平凡

 
 「とほつあふみの浜柳」など言ひかはしたあるに、若き人々は、ただ言ひにくみ、見苦しきころになむ、つくろはず言ふ、「この君こそうたて見えにくけれ。こと人のやうに読経し、歌うたひなどもせず、世間すさまじく、なにしにさらにこれかれに物言ひなどもせず」。「女は目は縦ざまにつき、眉は額に生ひかかり、鼻は横ざまにありとも、ただ口つき愛敬づき、頤の下、頸などをかしげにて、声にくげならざらむ人なむ思はしかるべき。とは言ひながら、なほ顔のいとにくげなるは心憂し」とのみのたまへば、まいて頤はそく、愛敬おくれたらむ人は、あいなうかたきにして、御前にさへあしう啓する。
◆◆(頭の弁と私は)「とほつあふみの浜柳」などと言いかわしているのに、若い女房たちは、頭の弁のことをただ悪く言ってにくらしがり、見苦しいこととして、歯にきぬを着せず言う、「この君こそはいやにお目にかかりにくい。ほかの人のように読経をしたり、歌をうたったりもせず、世の中はさも興ざめたという顔で、いったい何でまあ、あれこれの人に物を言いかけたりもしないで」と。頭の弁は「女は目は縦むきに付き、眉毛は額にまでかかるように生え、鼻は横向きにあるとしても、ただ口のかっこうが愛敬があって、あごの下や、頸などがきれいに見えて、声がにくらしそうでないような人が好きになれそうだ。とは言うものの、やはり顔がにくらしそうな人はいやだ」とひたすらおっしゃるので、まして、顎は細く、愛敬のとぼしいような人は、そうしたところでどうしようもないことながら、目の敵にして、中宮様にまで(頭の弁のことを)悪く申し上げる。◆◆


■「とほたあふみの浜柳」=「あられ降り遠江(とほつあふみ)の吾跡川(あどがわ)柳刈れどもまたも生ふといふ吾跡川柳」万葉集。
訛り伝または類歌が当時あったのだろう。「刈る」に「離る」をかけ、一時は離れてもまた仲良くする意を寓したもの。


枕草子を読んできて(68)(69)

2018年07月09日 | 枕草子を読んできて
五五  主殿司こそ   (68)  2018.7.9

 主殿司こそ、なほをかしきものはあれ。下女の際は、さばかりうらやましきものはなし。よき人にせさせまほしきわざなり。若くてかたちよく、なりなど常によくてあらむは、ましてよからむかし。年老いて、物の例など知りて、面なきさましたるも、いとつきづきしう目やすし。主殿司の、顔愛敬づきたらむを持たりて、装束時にしたがひて、唐衣など、今めかしうて、ありかせばやとこそおぼゆれ。
◆◆主殿司(とのもりづかさ)の女官こそ、やはりよいものではある。下級の女官の身分としては、これほどうらやましいものはない。身分のある人にさせてみたいような仕事である。若くて美貌で、服装などをいつもきれいにしている者ならば、ましてきっとよいだろうよ。年をとって、物事の先例などを知って、物おじをせず平気な様子をしているのも、とてもその場に合った感じで、見ていて難がない。主殿司の女官で、顔の愛敬のあるような者を、自分のむすめ分として持っていて、装束を季節季節に従って、唐衣などを、今風に仕立てて、歩きまわらせてみたいものだと思われる。◆◆


■主殿司(とのもりづかさ)=後宮十二司の一つ。(清掃・火燭・薪炭などのことを司る役所)の女官。主殿司には、「尚侍一人、典侍二人、女嬬六人」がいる。ここではその女嬬。ただしこの本文にみえるようにその役柄は次第に派手なものになったらしい。



五六  をのこは、また随身こそ  (69) 2018.7.9

をのこは、また隋身こそあンめれ。いみじくびびしくをかしき君達も、随身もなき、いとさうざうし。弁などをかし。よき官と思ひたれども、下襲の尻短くて、随身なきぞ、いとわろきや。
◆◆召使の男では、また、随身こそすぐれているようだ。たいそう華やかで魅力的な貴公子も、随身も連れていないのは、ひどく物足りない。弁官など、優れている。ただし立派な官(つかさ)だと思っているけれども、下襲(したがさね)の裾が短くて、随身がないことが、ひどく劣っていることだ。◆◆


■をのこ=(中古では身分の低い男性をさす)「をのこにては、をかしきは、またまた隋身こそあンめれ」の意。
■随身(ずいしん)=は朝廷から賜る護衛兵。近衛の将曹、府生、番長、舎人が勤める。上皇以下官位によって人数が定められている。
■弁(べん)=太政官の職員。左右に分かれ、各大中小がある。八省を管し、文書などを扱う。名家の人を任ずる。
■下襲の尻短く=激職なので短くしたかという。
 

枕草子を読んできて(66)(67)

2018年07月02日 | 枕草子を読んできて
五三  細殿に人とあまたゐて  (66) 2018.7.2

 細殿に人とあまたゐて、ありく者ども、見やすからず呼び寄せて、物など言ふに、清げなるをのこ、小舎人童などの、よき包み、袋に、衣ども包みて、指貫の腰などうち見えたる。袋に入れたる弓、矢、楯、細太刀など持てありくを、「誰がぞ」と問ふに、ついゐて、「なにがし殿の」と言ひて行くは、いとよし。けしきばみやさしがりて、「知らず」とも言ひ、聞きも入れでいぬる者は、いみじうぞにくきかし。
◆◆
細殿に、他の女房とたちと大勢で座っていて、そこを通る者たちを、みっともないのもかまわずに、(女房が声かけるのは不体裁)呼び寄せて、話などするときに、きれいな様子の召使の男や、小舎人童などが、立派な包みや袋に、着物などを包んで、指貫の腰紐などがちらっと見えているのは、おもしろい。袋に入れてある弓、楯、細太刀などを持って歩きまわるのを、「どなたのか」と問うと、ひざまづいて座って、「某殿ので」と言って行くのは、たいへんよい。気取って恥ずかしがって「知りません」と言ったり、聞き入れもしなかったりして去っていく者は、ひどにくらしいものだ。◆◆

■細殿=中宮定子は登華殿にいたので、ここは登華殿の西廂をさすか。その前は清涼殿への通路に当たる。




五四  月夜にむな車のありきたる (67) 2018.7.2

 月夜にむな車のありきたる。清げなる男のにくげなる妻持ちたる。髭黒ににくげなる人の、年老いたるが、物語する人のちごもてあそびたる。
◆◆月夜に空の牛車が動き回っているの。きれいな男が不器量な妻を持っているの。髭が黒々として不器量な男で、年とっているのが、片言をいう幼児をあやしているの。どれも似つかわしくないものだ。◆◆

■むな車=人の乗らぬ空の車。一説、荷車。
■人のちご=「人のちご」(幼児)で一語。
■この一段は、明らかに「にげなきもの」の続きであろうが、この位置にあるのは不審。