永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(136)その4

2020年03月23日 | 枕草子を読んできて
124 正月寺に籠りたるは  (136)その4 2020.3.23

 日のうち暮るるに、詣づるは、籠る人なンめり。ばらの、もたぐべくもあらぬ屏風などの高き、いとよく進退し、畳などほうと立て置くと見れば、ただ局に出でて、犬伏せぎに簾をさらさらとかくるさまぞ、いみじくしつけたるや。たはやすげなる。そよそよとあまたおりて、大人だちたる人の,いやしからずしのびやかなるけはひにて、帰る人にやあらむ、「その中あやふし。火の事制せよ」など言ふもあり。七八ばかりなるをのこ子の、愛敬づきおごりたる声にて、侍人呼びつけ、物など言ひたるけはひも、いとをかし。また三ばかりなるちごの寝おびれて、うちしはぶきたるけはひうつくし。乳母の名、母などうち出でたるも、たれならむと、いと知らまほし。
◆◆日が暮れ始めるころに詣でるのは、これからお籠りする人のようだ。たちが、持ち上げられそうにもない屏風などの、丈の高いのを、よく前後ろに動いて運び、畳などはポンと立てて置くと見れば、すぐにお籠りするする人の部屋に現れ出て、犬伏せぎにさらさらと簾をかけて部屋作りをする手順は、非常によくし慣れていることよ。たやすく仕事をしている。ざわざわと人が下りてきて、そのうちの年配の老女らしい人が、上品にあたりをはばかって、きっと帰る人なのか、「その部屋の中があぶない、火の用心をしなさいよ」などと言うのもある。七、八歳くらいになる男の子が愛嬌のあるえらそうな声で、家来の男たちを呼びつけ、何か言っている様子もおもしろい。また三つほどの幼児が寝ぼけて怖がって、咳をしているその物音も可愛らしい。乳母の名や「お母さま」などと口にしているのも、その母親はだれなのだろうと、たいへん知りたく思われる。◆◆



 夜一夜いみじうののしり行なひ明かす。寝も入らざりつるを、後夜など果てて、すこしうちやすみ寝ぬる耳に、その寺の仏教を、いと荒々しう、高くうち出でてよみたるに、わざとたふとしともあらず、修行者だちたる法師の読むなンめりと、ふとうちおどろかされて、あはれに聞こゆ。
◆◆一晩中お坊さんが大声で勤行をして明かす。眠れないでいたのを、後夜の勤行などが終わって、すこしうとうと寝てしまった耳に、その寺(初瀬寺なら観音堂)のご本尊にゆかりのある経文を、たいへん荒々しい声で、高く唱える声が入ってくるのが、それは特に尊いということでもなく、修行者めいたお坊さんがよむらしいと、ふと目が覚めて、しみじみとした感じに聞かれるのであった。◆◆

■後夜(ごや)=初夜(そや)に対する。今の午前一時半~四時ごろまで
■おどろかれる=この場合は「目が覚めて


 また夜など顔知らで、人々しき人の行ひたるが、青鈍の指貫の綿入りたる、白き衣どもあまた着て、子どもなンめりと見ゆる若きをのこの、をかしううち装束きたる、童などして、侍の者どもあまたかしこまり、いねうしたるもをかし。かりそめに屏風立てて、額などすこしつくめり。
◆◆また、夜などは暗く顔を知らない人で、相当身分ののあるらしい人の勤行しているのが、青鈍(あおにび)の指貫の綿の入っているのに、白い着物を何枚も重ねて着て、その子息だろうと見える若い男の、美しく着飾っているのや、少年などをつれて、家来の者たちがたくさんかしこまって、周りを取り囲んでいるのもおもしろい。間に合わせに屏風を立てて、ちょっと礼拝するようだ。◆◆

■顔知らで=暗いのでよく見えない。
■いねうし=周りを囲んでかしこまって?


 顔知らぬは、たれならむと、いとゆかし。知りたるは、「さなンめり」と見るもをかし。若き人どもは、とかく局どもなどのわたりにさまよひて、仏の御方に目見やりたてまつらず、別当など呼びて、うちささめけば、呼びていぬる、えせ者とも見えずかし。
◆◆顔を知らない人の場合は、誰だろうと知りたいものだ。知っている人の場合は、「ああ、あの人のようだ」と見るのもおもしろい。若い男の人などは、とかく女たちの部屋などのあたりをうろついて、仏様の方に視線を向け申し上げないで、寺の長官を呼んでは、小声で話すと、呼んで話したまま立ち去っていく。その様子はいい加減な者とも思えない。◆資格

■別当=寺の長官


枕草子を読んできて(136)その3

2020年03月18日 | 枕草子を読んできて
124 正月寺に籠りたるは  (136)その3

 誦経の鐘の音、「わがなンなり」と聞くは、たのもしく聞こゆ。かたはらによろしき男の、いとのびやかに額づく。立ち居のほども心あらむと聞こえたるが、いたく思ひ入りたるけしきにて、寝も寝ずおこなふこそ、いとあはれなれ。うちやすむほどは、経高くは聞こえぬほどによみたるも、たふとげなり。高くうち出でさせまほしきに、まして鼻などを、けざやかに聞きにくくはあらで、すこしのびてかみたるは、何事を思ふらむ、かれをかなへばやとこそおぼゆれ。
◆◆誦経の鐘の音を、「あれは私のためのものだ」と聞くのは、頼もしく聞こえる。隣の部屋でかなりの身分の男が、たいへんひっそりと額をつけて拝んでいる。立ったり座ったりする様子もたしなみがあるように聞こえる、その人が、ひどく思い悩んでいる様子で、寝もしないで勤行に励んでいるのこそは、しみじみと感じられる。礼拝をやめて休む間は、お経を声高には聞こえぬほどに読んでいるのも、尊い感じがする。高い声を出してお経を唱えてほしいと思っているときに、まして鼻などを、音高くはあってもそう不愉快なようではなく、すこし遠慮がちにかんでいるのは、何を思っているのだろう、その願い事をかなえさせたいと感じられる。◆◆

■誦経の鐘の音=僧に誦経させるときにつく鐘。


 日ごろ籠りたるに、昼はすこしのどかにぞ、はやうはありし。法師の坊に、をのこども、童べなど行きて、つれづれなるに、ただかたはらに、貝をいと高く、にはかに咲き出でたるこそおどろかるれ。清げなる立て文持たせたる男の、誦経の物うち置きて、堂童子など呼ぶ声は、山ひびき合ひて、きらきらしう聞こゆ。
◆◆何日も続けて籠っていると、日中はすこしのんびりと、以前はしていた。下にあるお坊さんの宿坊に、供の男たちや、子供たちなどが行って、わたしはお堂の部屋で一人で所在ない気持ちでいると、すぐそばで、午の時の法螺貝をたいそう高く、急に吹き出したのにはびっくりしたものだった。きれいな立文を供の者に持たせた男が、誦経のお布施の物をそこに置いて、堂童子などを呼ぶ声は、山がこだまし合って、きらきら輝かしいまでに聞こえる。◆◆

■貝をいと高く=時刻の合図に法螺貝を吹く
■立て文=願文を包んだ立文。書状の正式な包み方。
■誦経の物=誦経の布施。装束・布など。



 鐘の声ひびきまさりて、いづこならむと聞くほどに、やむごとなき所の名うち言ひて、御産たひらかに教化などする、所いかならむと、おぼつかなく念ぜまほしく。これはただなるをりの事なンめり。正月などには、ただ物さわがしく、物のぞみなどする人の、ひまなく詣づる見るほどに、行なひもしやられず。
◆◆誦経の鐘の音が一段と高く響いて、この誦経はどこの御方があげるのだろうと思って聞くうちに、お坊さんが高貴な所の名を言って、お産が平らかであるように祈祷するのは、(お産の安否の心配が不安で祈るのだろう)。こうした昼の騒がしさは、普通のことであるらしい。正月などには、ただもう物騒がしく、何かの望み事の立願などする人が、絶え間なく参詣する人を見ているので、勤行も十分することができない。◆◆

■教化などする……=不詳
■物のぞみ=一説に、正月の県召除目(あがためしじもく)に任官を望む人。