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「あくれば川渡りて行くに、柴垣しわたしてある家どもを見るに、いづれならん、よもの物語の家など、思ひ行くに、いとぞあはれなる。今日も寺めくところに泊まりて、又の日は椿市といふところに泊まる。」
◆◆夜が明けて泉川を渡って行きますと、その途中、柴垣を廻らしてある家などを見るに付け、どの家かしら、よもの物語に出てくる家は、などと思いながら行くので、なかなか風情がありました。今日も寺のようなところに宿泊し、次の日は椿市という所にとまりました。◆◆
「又の日、霜のいと白きに、詣でもし帰りもするなめり、脛を布の端して引きめぐらしたる者ども、ありき違ひさわぐめり。蔀さしあげたるところに宿りて、湯わかしなどするほどに見れば、さまざまなる人の行き違ふ。おのがじしはおもふことこそはあらめと見ゆ。とばかりあれば、文ささげて来る者あり。」
◆◆その翌日、霜が真っ白に置いている朝、参詣をしに行く者、帰って来る者であろう、脛(はぎ)を布切れで巻いている者たちが行き来して騒いでいるようです。蔀を上げた所に泊まって、潔斎の湯を沸かしている間に見ていると、さまざまな人が行ったり来たりしています。その人々はみな何かの悩み事があるように見えます。そうしているときに、兼家からの文を捧げ持って来る者がいます。◆◆
「そこにとまりて、『御文』と言ふめり。見れば、『きのふ今日のほど、なにごとか、いとおぼつかなくなん。人すくなにてものしにし、いかが。言ひしやうに三日さぶらはんずるか。帰るべからん日聞きて、迎へにだに』とぞある。」
◆◆そこに立ち止まって、「お手紙でございます」と言っている様子。見ると、「昨日といい、今日という、いったいどうしたことか。供の者も少なく出かけたが、大丈夫か、変わったことはないか。前にも言っていたように三日間参籠するおつもりか。帰る予定の日を聞いて、せめて迎えにだけは行こう」とありました。◆◆
「返りごとには、『椿市といふところまでは平らかになん。かかるついでにこれよりも深くと思へば、帰らん日をえこそきこえ定めね』と書きつ。『そこにてなお三日候ひ給ふこと、いと便なし』などさだむるを、使ひ、聞きてかへりぬ。」
◆◆私からの返事は「椿市というところまでは無事に参りました。ここに参りましたついでに、もっと山深く入りたいと思いますので、帰る日はいつと決めて申し上げることができません」と書いたのでした。侍女たちが「あそこで三日もお籠りなさいますのは、よくありません」などと話しているのを、使いの者が聞いて帰って行きました。◆◆
■よもの物語=他本には「かもの物語」。今に残っていない。
■椿市(つばいち)=。「海石榴市」とも書くこの地は、大和国城上郡の長谷山口(現在の奈良県桜井市金屋)にあり、初瀬詣が盛んになった平安時代以降、長谷寺への参詣者を受け入れる宿泊地として栄えました。椿市から長谷寺までは、東へと初瀬川を遡る約4kmの道のりです。
両側を山に囲まれた谷中の道を、長谷寺へと登ってゆくことになります。
*写真は長谷寺本堂