蜻蛉日記 上巻 (20) 2015.4.30
「かくて絶えたるほど、わが家は内裏よりまゐりまかづる道にしもあれば、夜中あか月とうちしはぶきてうち渡るも、聞かじと思へども、うちとけたる寝もねられず、夜長うして眠ることなければ、さななりと見聞く心ちは何にかは似たる。」
――こうして夜離れがつづいている間、わたしの家はあの人が内裏への行き帰りの途中でもありましたので、夜中といわず、明け方といわず、前駆(さき)の咳ばらいをして通って行くのが、聞くまいと思っても耳について眠られず、「夜長うして眠ることなし」の詩句のとおりで、あの人が通り過ぎていくのだと察するこの気持ちは何にもたとえようもないのでした。――
「今はいかで見聞かずだにありにしがなとおもふに、昔すきごとせし人も、『今はおはせずとか』など、人につきて聞こえごつをきくをものしうのみおぼゆれば、日くれはかなしうのみおぼゆ。」
――今はもうあの人のことを見たり聞いたりしたくないと思っているのに、昔、兼家との結婚の前に言い寄っていた男までもが、「(兼家は)現在は通っておられぬとか」などと、侍女を介して下心ありげに言ってくるのを、聞くにつけ不愉快で、ことに日の暮れ方はいっそう寂しくてやりきれないのでした。――
蜻蛉日記 上巻 (21) 2015.4.30
「子どもあまたありと聞くところも、むげに絶えぬと聞く。あはれ、ましていかばかりと思ひてとぶらふ。九月ばかりのことなりけり。『あはれ』など、しげく書きて、
<ふく風につけてとはむささがにの通ひし道はそらに絶ゆとも>
――(兼家との)子どもが沢山いると聞いている時姫さまのところにも、あの人はふっつりと通わなくなったと聞きました。私以上にお気の毒なここと思ってお便りを差し上げました。それは九月ごろのことでした。「おいたわしいこと…」などと、あれこれと書き連ねて、
(道綱母の歌)「秋風に託してお見舞いを申し上げます。その風で兼家の訪れが途絶えているとしても(女同士つらい思いを慰めあってまいりましょう)」――
「返りごとに、こまやかに、
<色かはるこころとみればつけてとふ風ゆゆしくもおもほゆるかな>
とぞある。
――返事は、こまやかな文面で、
(時姫の歌)「(ご厚情は痛み入りますが)人の心は移ろいやすいもの、まして「風につけて」とおっしゃるその風も、秋(飽き)風に託しての好意だと思いますと、不吉な気がします。(どうぞいつまでもお変わりなく)」
「かくて、つねにもえいななはてで、ときどき見えて、冬にもなりぬ。臥し起きは、ただをさなき人をもてあそびて、『いかにして網代の氷魚にこと問はむ』とぞ心にもあらでうち言はるる。」
――こうして、あの人は、そうそう訪ねないわけにもいかないとみえて、ときどき訪れてきているうちに冬になりました。私は明け暮れ幼い(道綱=二歳)息子を相手に、「どうしてお父様は来てくれないのでしょうね。網代の氷魚に聞いて見ましょう」などと、我知らず言ってしまうのでした。――
■いななはてで=(未詳ながら)いな(否)びはてで。と解する。
■『いかにして網代の氷魚にこと問はむ』=拾遺集「いかでなほ網代の氷魚にこと問はむ何によりてか我をとはぬと」より、下句を暗示。
「かくて絶えたるほど、わが家は内裏よりまゐりまかづる道にしもあれば、夜中あか月とうちしはぶきてうち渡るも、聞かじと思へども、うちとけたる寝もねられず、夜長うして眠ることなければ、さななりと見聞く心ちは何にかは似たる。」
――こうして夜離れがつづいている間、わたしの家はあの人が内裏への行き帰りの途中でもありましたので、夜中といわず、明け方といわず、前駆(さき)の咳ばらいをして通って行くのが、聞くまいと思っても耳について眠られず、「夜長うして眠ることなし」の詩句のとおりで、あの人が通り過ぎていくのだと察するこの気持ちは何にもたとえようもないのでした。――
「今はいかで見聞かずだにありにしがなとおもふに、昔すきごとせし人も、『今はおはせずとか』など、人につきて聞こえごつをきくをものしうのみおぼゆれば、日くれはかなしうのみおぼゆ。」
――今はもうあの人のことを見たり聞いたりしたくないと思っているのに、昔、兼家との結婚の前に言い寄っていた男までもが、「(兼家は)現在は通っておられぬとか」などと、侍女を介して下心ありげに言ってくるのを、聞くにつけ不愉快で、ことに日の暮れ方はいっそう寂しくてやりきれないのでした。――
蜻蛉日記 上巻 (21) 2015.4.30
「子どもあまたありと聞くところも、むげに絶えぬと聞く。あはれ、ましていかばかりと思ひてとぶらふ。九月ばかりのことなりけり。『あはれ』など、しげく書きて、
<ふく風につけてとはむささがにの通ひし道はそらに絶ゆとも>
――(兼家との)子どもが沢山いると聞いている時姫さまのところにも、あの人はふっつりと通わなくなったと聞きました。私以上にお気の毒なここと思ってお便りを差し上げました。それは九月ごろのことでした。「おいたわしいこと…」などと、あれこれと書き連ねて、
(道綱母の歌)「秋風に託してお見舞いを申し上げます。その風で兼家の訪れが途絶えているとしても(女同士つらい思いを慰めあってまいりましょう)」――
「返りごとに、こまやかに、
<色かはるこころとみればつけてとふ風ゆゆしくもおもほゆるかな>
とぞある。
――返事は、こまやかな文面で、
(時姫の歌)「(ご厚情は痛み入りますが)人の心は移ろいやすいもの、まして「風につけて」とおっしゃるその風も、秋(飽き)風に託しての好意だと思いますと、不吉な気がします。(どうぞいつまでもお変わりなく)」
「かくて、つねにもえいななはてで、ときどき見えて、冬にもなりぬ。臥し起きは、ただをさなき人をもてあそびて、『いかにして網代の氷魚にこと問はむ』とぞ心にもあらでうち言はるる。」
――こうして、あの人は、そうそう訪ねないわけにもいかないとみえて、ときどき訪れてきているうちに冬になりました。私は明け暮れ幼い(道綱=二歳)息子を相手に、「どうしてお父様は来てくれないのでしょうね。網代の氷魚に聞いて見ましょう」などと、我知らず言ってしまうのでした。――
■いななはてで=(未詳ながら)いな(否)びはてで。と解する。
■『いかにして網代の氷魚にこと問はむ』=拾遺集「いかでなほ網代の氷魚にこと問はむ何によりてか我をとはぬと」より、下句を暗示。