2013. 6/29 1273
五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その7
薫の君は、なおも
「『思ひながら過ぎ侍るには、またえさらぬことも、数のみ添ひつつは過ぐせど、公私に、のがれがたきことにつけてこそさも侍らめ、さらでは、仏の制し給ふ方のことを、わづかにも聞き及ばむことは、いかであやまたじ、とつつしみて、心のうちは聖におとり侍らぬものを』」
――「出家のことを心にかけながら、浮世に漂っていますうちに、またまたよんどころのない事が次々と加わって過ごす有様で、私自身、公私ともに余儀ない事情のためならともかく、それ以外では、仏の戒め給う筋のことは、多少とも耳にいたします限り、何とか犯すまいと慎んで、心の内では、聖にも劣らぬつもりでいますのに…」――
「『ましていとはかなきことにつけてしも、重き罪得べきことは、なにとてか思ひ給へむ。さらにあるまじきことに侍り。疑ひ申すまじ。ただいとほしき親のおもひなどを、聞きあきらめ侍らむばかりなむ、うれしう心やすかるべき』など、昔より深かりし方の心語り給ふ」
――「まして、このような些細なことから、重い罪障を作るなど、どうして思いましょう。全くとんでもないことでございます。お疑いなさいますな。ただ、浮舟の様子を聞いて、可哀想な親の気持ちを慰めてやりたいだけなのです。それだけで私はうれしく、心がやすまるという訳です」などと、昔から深かった仏道への志をお話になります――
「僧都も、げに、とうなづきて、『いと尊きこと』など聞え給ふほどに、日も暮れぬれば、中宿りもいとよかりぬべけれど、うはの空にてものしたらむこそ、なほびかなかるべけれ、と思ひわづらひて帰り給ふに、このせうとの童を、僧都、目とどめて褒め給ふ」
――僧ともなるほどとうなづいて、「それはいかにも尊いこと」などと申し上げているうちに、日もすっかり傾いてしまいました。これから出かければ、小野の庵室は、中宿りに格好なばしょですが、不確かな気持ちで訪れるというのも、やはり具合悪いであろうと、今宵はひとまず京へお帰りになることにしました。僧都はこの弟に目を留めておほめになります――
「『これにつけて、先づほのめかし給へ』と聞え給へば、文書きて取らせ給ふ。『時々は山におはして遊び給へよ。すずろなるやうには思すまじきゆゑもありけり』と、うち語らひ給ふ」
――(薫が)「この子に託して、先ず小野にそれとなくお話ください」とおっしゃる。僧都は文を書いてこの童にお渡しになり、「時々は山へ遊びにお出でなさいよ。このように申すのも、いわれのないことではないのですから」などとお話になります――
「この子は心も得ねど、文とりて御供に出づ。坂本になれば、御前の人々すこし立ちあかれて、『しのびやかにを』とのたまふ」
――この子は、事情をまったく知らないのですが、僧都の御文を頂いてお供していきます。坂本のあたりにさしかかりますと、薫は御前駆の者たちに、「目立たぬように、少し離れて参れ」と仰せになります――
◆すずろなるやうには思すまじきゆゑ=姉の浮舟が自分(僧都)の弟子であることを暗に示している。
では7/1に。
五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その7
薫の君は、なおも
「『思ひながら過ぎ侍るには、またえさらぬことも、数のみ添ひつつは過ぐせど、公私に、のがれがたきことにつけてこそさも侍らめ、さらでは、仏の制し給ふ方のことを、わづかにも聞き及ばむことは、いかであやまたじ、とつつしみて、心のうちは聖におとり侍らぬものを』」
――「出家のことを心にかけながら、浮世に漂っていますうちに、またまたよんどころのない事が次々と加わって過ごす有様で、私自身、公私ともに余儀ない事情のためならともかく、それ以外では、仏の戒め給う筋のことは、多少とも耳にいたします限り、何とか犯すまいと慎んで、心の内では、聖にも劣らぬつもりでいますのに…」――
「『ましていとはかなきことにつけてしも、重き罪得べきことは、なにとてか思ひ給へむ。さらにあるまじきことに侍り。疑ひ申すまじ。ただいとほしき親のおもひなどを、聞きあきらめ侍らむばかりなむ、うれしう心やすかるべき』など、昔より深かりし方の心語り給ふ」
――「まして、このような些細なことから、重い罪障を作るなど、どうして思いましょう。全くとんでもないことでございます。お疑いなさいますな。ただ、浮舟の様子を聞いて、可哀想な親の気持ちを慰めてやりたいだけなのです。それだけで私はうれしく、心がやすまるという訳です」などと、昔から深かった仏道への志をお話になります――
「僧都も、げに、とうなづきて、『いと尊きこと』など聞え給ふほどに、日も暮れぬれば、中宿りもいとよかりぬべけれど、うはの空にてものしたらむこそ、なほびかなかるべけれ、と思ひわづらひて帰り給ふに、このせうとの童を、僧都、目とどめて褒め給ふ」
――僧ともなるほどとうなづいて、「それはいかにも尊いこと」などと申し上げているうちに、日もすっかり傾いてしまいました。これから出かければ、小野の庵室は、中宿りに格好なばしょですが、不確かな気持ちで訪れるというのも、やはり具合悪いであろうと、今宵はひとまず京へお帰りになることにしました。僧都はこの弟に目を留めておほめになります――
「『これにつけて、先づほのめかし給へ』と聞え給へば、文書きて取らせ給ふ。『時々は山におはして遊び給へよ。すずろなるやうには思すまじきゆゑもありけり』と、うち語らひ給ふ」
――(薫が)「この子に託して、先ず小野にそれとなくお話ください」とおっしゃる。僧都は文を書いてこの童にお渡しになり、「時々は山へ遊びにお出でなさいよ。このように申すのも、いわれのないことではないのですから」などとお話になります――
「この子は心も得ねど、文とりて御供に出づ。坂本になれば、御前の人々すこし立ちあかれて、『しのびやかにを』とのたまふ」
――この子は、事情をまったく知らないのですが、僧都の御文を頂いてお供していきます。坂本のあたりにさしかかりますと、薫は御前駆の者たちに、「目立たぬように、少し離れて参れ」と仰せになります――
◆すずろなるやうには思すまじきゆゑ=姉の浮舟が自分(僧都)の弟子であることを暗に示している。
では7/1に。