永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1273)

2013年06月29日 | Weblog
2013. 6/29    1273

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その7
 
薫の君は、なおも

「『思ひながら過ぎ侍るには、またえさらぬことも、数のみ添ひつつは過ぐせど、公私に、のがれがたきことにつけてこそさも侍らめ、さらでは、仏の制し給ふ方のことを、わづかにも聞き及ばむことは、いかであやまたじ、とつつしみて、心のうちは聖におとり侍らぬものを』」
――「出家のことを心にかけながら、浮世に漂っていますうちに、またまたよんどころのない事が次々と加わって過ごす有様で、私自身、公私ともに余儀ない事情のためならともかく、それ以外では、仏の戒め給う筋のことは、多少とも耳にいたします限り、何とか犯すまいと慎んで、心の内では、聖にも劣らぬつもりでいますのに…」――

「『ましていとはかなきことにつけてしも、重き罪得べきことは、なにとてか思ひ給へむ。さらにあるまじきことに侍り。疑ひ申すまじ。ただいとほしき親のおもひなどを、聞きあきらめ侍らむばかりなむ、うれしう心やすかるべき』など、昔より深かりし方の心語り給ふ」
――「まして、このような些細なことから、重い罪障を作るなど、どうして思いましょう。全くとんでもないことでございます。お疑いなさいますな。ただ、浮舟の様子を聞いて、可哀想な親の気持ちを慰めてやりたいだけなのです。それだけで私はうれしく、心がやすまるという訳です」などと、昔から深かった仏道への志をお話になります――

「僧都も、げに、とうなづきて、『いと尊きこと』など聞え給ふほどに、日も暮れぬれば、中宿りもいとよかりぬべけれど、うはの空にてものしたらむこそ、なほびかなかるべけれ、と思ひわづらひて帰り給ふに、このせうとの童を、僧都、目とどめて褒め給ふ」
――僧ともなるほどとうなづいて、「それはいかにも尊いこと」などと申し上げているうちに、日もすっかり傾いてしまいました。これから出かければ、小野の庵室は、中宿りに格好なばしょですが、不確かな気持ちで訪れるというのも、やはり具合悪いであろうと、今宵はひとまず京へお帰りになることにしました。僧都はこの弟に目を留めておほめになります――

「『これにつけて、先づほのめかし給へ』と聞え給へば、文書きて取らせ給ふ。『時々は山におはして遊び給へよ。すずろなるやうには思すまじきゆゑもありけり』と、うち語らひ給ふ」
――(薫が)「この子に託して、先ず小野にそれとなくお話ください」とおっしゃる。僧都は文を書いてこの童にお渡しになり、「時々は山へ遊びにお出でなさいよ。このように申すのも、いわれのないことではないのですから」などとお話になります――

「この子は心も得ねど、文とりて御供に出づ。坂本になれば、御前の人々すこし立ちあかれて、『しのびやかにを』とのたまふ」
――この子は、事情をまったく知らないのですが、僧都の御文を頂いてお供していきます。坂本のあたりにさしかかりますと、薫は御前駆の者たちに、「目立たぬように、少し離れて参れ」と仰せになります――

◆すずろなるやうには思すまじきゆゑ=姉の浮舟が自分(僧都)の弟子であることを暗に示している。

では7/1に。




源氏物語を読んできて(1272)

2013年06月25日 | Weblog
2013. 6/25    1272

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その6

「『まかり下りむこと、今日明日は障り侍る。月たちての程に、御消息を申させ侍らむ』と申し給ふ。いと心もとなけれど、なほなほと、うちつけに焦られむも、さまあしければ、さらば、とて帰り給ふ」
――(僧都は)「山を下りますには、今日、明日は差し障りがございます。月が変わりました時分に、御文をお送りするようにいたさせましょう」と申し上げます。薫はたいそう待ち遠しくお思いになりますが、それでもと、ぶしつけに急きたてますのも体裁悪く、見ぐるしいので、それではとお約束なさってお帰りになりました――

 さて、

「かのせうとの童、御供に率ておはしたりけり。こと兄弟どもよりは、容貌もきよげなるを、呼び出で給ひて、『これなむ、その人の近きゆかりなるを、これをかつがつものせむ。御文一くだり賜へ。その人とはなくて、ただたづねきこゆる人なむある、とばりの心を、知らせ給へ』とのたまへば…」
――(薫は)浮舟の弟の小君を横川へのお供に連れておいでになりました。他の兄弟たちよりは容貌も美しいこの小君を呼び出されて、僧都に、「この子がその女の近親なのですが、これをさしあたり使いに出しましょう。どうぞお手紙を一筆書いてお渡しください。誰それと名を示さず、ただ行方をお探しする方が居ると、それだけの内容を知らせておやりください」とおっしゃると――

「『なにがし、このしるべにて、必ず罪得侍りなむ。ことのありさまは、くはしくとり申しつ。今は御みづから立ち寄らせ給ひて、あるべからむことは、ものせさせ給はむに、なにの咎か侍らむ』と申し給へば、…」
――「拙僧はこの手引きによって、必ず破戒の罪を蒙りましょう。事の次第はいっさい申し上げました。この上は御自身が小野にお立ち寄りになられて、お話しなさるべきことはお話になっても、何の差支えがございましょう」と申し上げますと――

「うち笑ひて、『罪得ぬべきしるべと、思ひなし給ふらむこそはづかしけれ。ここには、俗のかたちにて、今まで過ぐすなむいとあやしき。いはけなかりしより、思ふ志深く侍るを、三條の宮の心細げにて、たのもしげなき身ひとつをよすがに思したるが、さりがたきほだしに覚え侍りて、
かかづらひ侍りつる程に、おのづから位などいふことも高くなり、身のおきても心にかなひがたくなどして…』」
――(薫は)にっこりとお笑いになって、「罪作りな御案内役とお考えになっておられるのでは、こちらがかえって恥かしくなります。私はこれまで俗人の姿で過ごしてきたのが、甚だ不思議なくらいなのです。幼い頃から出家の志が強かったのですが、母の女三宮が心細そうにして、頼もしげもない私一人を力にしておられるのが、避けがたいきずなに思われまして、とかく俗事に関わっておりますうちに、いつの間にか官位なども昇進して、わが身を勝手に振る舞うことができなくなってしまいました…」――

◆かつがつものせむ=(かつがつ=不満足ながら、まあまあ、)まあ、さしあたって使わせましょう。

では6/27に。

源氏物語を読んできて(1271)

2013年06月23日 | Weblog
2013. 6/23    1271

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その5

「『なま王家流などいふべき筋にやありけむ。ここにももとよりわざと思ひしことにも侍らず、ものはかなく見つけそめては侍りしかど、またいとかくまで落ちあふるべき際とは思ひ給へざりしを、めづらかに、あともなく消え失せにしかば、身を投げたるにや、など、さまざまに疑ひ多くて、たしかなることは、え聞き侍らざりつるになむ』」
――(薫は)「ちょっとした王家の末につながる血筋だったようです。私としても、もともと晴れて妻にと思ったわけでもなく、ふとしたことから逢い初めるようになったのですが、それでもこのようなまで落ちぶれる身の上とは考えも及びませんでした。まったく思いもかけぬうちに跡かたも無く消え失せてしましましたので、身投げしたのだろうか、などと、さまざまに取り沙汰されましたが、いずれも確かとは分からず、ついにはっきりとは聞き出せぬままに終わってしまったのでした――

 さらに、

「『罪軽めてものすなれば、いとよしと心安くなむ、みづからは思ひ給へなりぬるを、母なる人なむ、いみじく恋ひ悲しぶなるを、かくなむ聞き出でたる、と告げ知らせまほしく侍れど、月ごろ隠させ給ひける本意たがふやうに、ものさわがしくや侍らむ。親子の中のおもひ絶えず、悲しびに堪へで、とぶらひものしなどし侍りなむかし』などのたまひて…」
――「尼となって罪障も軽くなるよう出家させて頂いたようで、何よりだと私自身は安心いたしましたが、母なる人がひどく悲しんでいられるので、きょう伺った事情を知らせてやりたいのです。しかし、この幾月もの間、ずっと隠しておいでになった尼君の御本心に背くようで面倒なことになるかもしれません。親子の間の恩愛は断ちきれず、悲しみに堪えず、こちらへ尋ねてくるかもしれませんからね」などとおっしゃって、――

「さて、『いとびんなきしるべとは思すとも、かの坂本に下り給へ。かばかり聞きて、なのめに思ひ過すべくは思ひ侍らざりし人なるを、夢のやうなりことどもを、今だに語り合はせむ、となむ思ひ給ふる』とのたまふけしき、いとあはれと思ひ給へば、容貌をかへ、世を背きにき、と覚えたれど、髪髭剃りたる法師だに、あやしき心は失せぬもあなり、まして女の御身はいかがあらむ、いとほしう罪得ぬべきわざにもあるべきかな、と、あぢきなく心みだれぬ」
――さて、それから薫は、「はなはだご迷惑な案内役とはお思いでしょうが、その坂本へ下山していただけますまいか。ここまで伺った以上、このままいい加減に見過ごすわけにはいかない女(ひと)でしたので、せめて尼姿となった今となっても、夢のような出来ごとの数々を、話し合いたいと思います」とおっしゃるご様子が、僧都にはいかにもあわれに思われるのでした。僧都は心の中で、浮舟が髪を落してこの世を捨ててしまったのだと、自分は思ったのでしたが、髪や鬚(ひげ)を剃った法師だとて愛欲の心はなくならぬ者も居るということだ。まして婦女子の身では、どんなものだろう、可哀そうに、今薫の君に逢ったならば、迷いが出て、きっと罪作りなことにもなりかねまい、と僧都はますます途方にくれるのでした――

◆なま王家流(なまわかんどほり)=ちょっとした王家筋

では6/25に。


源氏物語を読んできて(1270)

2013年06月21日 | Weblog
2013. 6/21    1270

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その4

「『のちになむ、かの坂本にみづから下り侍りて、護身など仕うまつりしに、やうやう息出でて人となり給へりけれど、《なほこの領じたりけるものの、身に離れぬ心地なむする。このあしきもののさまたげをのがれて、後の世を思はむ》など悲しげにのたまふことどもの侍りしかば、法師にては、勧めも申しつべきことにこそは、とて、まことに出家せしめたてまつりてしに侍る……』」
――「その後やっと(西坂本)の小野に私自身下りまして、延命の加持などいたしましたところ、次第に息を吹き返して並みの身体になりましたが、御当人は、『やはりまだ自分の身体に取り憑いたものが離れないような気がします、こういう悪い物の障りを逃れて、来世の安楽をお願いしたい』などと悲しげにおっしゃったりしますので、出家のことは、法師としては、こちらからお勧めしても上げたい事だと存じまして、本心からご出家おさせしたわけでございます…」――

「『さらに、しろしめすべきこととは、いかでかそらにさとり侍らむ。めづらしきさまにもあるを、世語りにもし侍りぬべかりしかど、聞えありて、わづらはしかるべきことにもこそ、と、この老人どものとかく申して、この月ごろ音なくて侍りつるになむ』と申し給へば」
――全く、貴方様のご関係筋だとは、存じませんでした。何分めずらしい出来ごとでございますから、世間の恰好の噂話にもなりかねません。そのような評判が立ちましては面倒なことになるかもしれぬと、母尼たちがあれこれ申しまして、今まで沈黙を守って来たのでございます」と申し上げます――

「さてこそあなれ、とほの聞きて、かくまでも問ひ出で給へることなれど、むげに亡き人と思ひ果てにし人を、さはまことにあるにこそは、と思す程、夢の心地してあさましければ、つつみもあへず涙ぐまれ給ひぬるを、僧都のはづかしげなるに、かくまで見ゆべきことかは、と思ひ返して、つれなくもてなし給へど…」
――(薫は)こうこうだそうだ(小野で尼になっているようだ)と、小耳に挟まれた時は、半信半疑でしたでしょうが、やはりここまで出向かれて詮索しただけのことはあり、まったく死んでしまったとばかり諦めきっていた人が、それでは本当に噂どおり生きていたのか、そうお思いになりますと、ただただ夢のような気がして、思わず涙がこぼれそうになるのでした。けれども僧都の行いすました手前も恥かしく、こんな姿を見せてはと思い直し、さりげなくお振舞いになるのでした――

「かく思しけることを、この世にはなき人とおなじやうになしたること、とあやまちしたる心地して、罪深ければ、『あしきものに領ぜられ給ひけむも、さるべき前の世の契りなり。思ふに高き家の子にこそものし給ひけめ。いかなるあやまりにて、かくまではふれ給ひけむにか』と問ひ申し給へば」
――(僧都は)薫の君がこれほど思っておられたものを、なんと、この世では死んだも同然な尼にしてしまったことよ、と、過ちでも犯したように罪深い心地がして、「その方が執念深い物の怪に取り憑かれておしまいになられたのも、そうなる前世の因縁でございます。その方はお察ししますところ、身分ある方のお子でいらっしゃったのでしょう。どうした間違いで、これほどまで落ちぶれてしまわれたのでしょう」とお訊ね申し上げます――

では6/23に。

源氏物語を読んできて(1269)

2013年06月19日 | Weblog
2013. 6/19    1269

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その3

「『かしこに侍る尼どもの、初瀬に願侍りて、詣でて帰りける道に、宇治の院といふ所にとどまりて侍りけるに、母の尼の労気にはかにおこりて、いたくなむわづらふ、と告げに、人のまうで来たりしかば、まかり向かひたりしに、先づあやしきことなむ』とささめきて、『親の死にかへるをばさしおきて、持てあつかひ歎きてなむ侍りし。この人も亡くなり給へるさまながら、さすがに息は通ひておはしければ、昔物語に、魂殿に置きたりけむ人のたとひを思ひ出でて、さやうなることにや、とめづらしがり侍りて、弟子ばらの中に験ある者どもを呼び寄せつつ、かはりかがりに加持せさせなどなむし侍りける……』」
――(僧都は)「その小野に住んでおります母尼や妹尼が、初瀬に願がございまして、詣でて帰るその道中の宇治の院という所に泊まりました。そこで、母の尼が急に旅の疲れが出て大そう苦しんでいると、私のもとに使いが知らせてきましたので、急いで出向きましたところ、まあ早々に変なことがありまして…」と声をひそめて、「(妹尼が)母親が死に瀕しているのも差し置いて、その方の介抱に大騒ぎをしております。その人は亡くなられたも同然の有様ながら、どうやら息は通っておいでなので、昔物語に、魂殿に置いてあった人が生き返ったという話のあることを思い出して、万一そのようなこともあろうかと、弟子たちの中で法力のある者たちを呼び寄せて、代わる代わる加持させたりしていました…」――

 つづけて、

「『なにがしは、惜しむべき齢ならねど、母の旅の空にて病おもきを、助けて念仏をも心乱れずせさせむ、と、仏を念じたてまつり思う給へし程に、その人のありさま、くはしくも見給へずなむ侍りし。ことの心おしはかり思ひ給ふるに、天狗木霊などやうものの、あざむき率てたてまつりたりけるにや、となむ承りし……』」
――「拙者としては、年に不足のない母ではありますが、旅の空で重く患っていますのを、何とか助けて、念仏なども一心に唱えさせようと仏に念じておりました折のことで、その方の様子を細かくも見ずにしまいました。事情を推し量ってみますと、天狗とか木霊(こだま)とかいったものが、たぶらかして連れ出したのではないかというように存じた次第でございます」――

 さらに、

「『助けて京にお連れもうしてからも、三月ばかりは亡き人にてなむものし給ひけるを、なにがしが妹、故衛門の督の北の方にて侍りしが、尼になりて侍るなむ、一人もちて侍りし女子をうしなひてのち、月日は多く隔て侍りしかど、悲しび堪えず歎き思ひ給へ侍るに、おなじ年の程と見ゆる人の、かく容貌いとうるはしくきよらなるを見出でたてまつりて、観音の賜へる、とよろこび思ひて、この人いたづらになしたてまつらじ、と惑ひ焦られて、泣く泣くいみじきことどもを申されしかば……』」
――お助けして京におつれしてからも三か月ほどは、まるで死んだ人のようだったそうでございますが、たまたま私の妹で、故衛門の督の妻で、今は尼になっておりますのが、一人娘に先立たれて、もう久しく年月がたちますのに、いまだ悲しみも覚めやらず、歎き続けておりましたところ、同じ年ごろのこのようなみめ麗しい御方を見出だしましたので、初瀬の観音様がお授けくださったとばかり喜びまして、この方をまた死なせまいと、身も世もなく歎き悲しんで、泣く泣く私のところに訴えてまいりましたので……」――

◆労気(ろうけ)=所労、病気
◆魂殿(たまどの)に置きたりけむ人=古物語に魂殿に置いた死骸が動きだした話があったらしい。但し、その物語は未詳。

では6/21に。

源氏物語を読んできて(1268)

2013年06月17日 | Weblog
2013. 6/17    1268

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その2

「『そのわたりには、ただ近きころほひまで、人多く住み侍りけるを、今は、いとかすかにこそなりゆくめれ』などのたまひて、今すこし近う居寄りて、忍びやかに、『いと浮きたる心地もしはべる、またたづねきこえむにつけては、いかなりけることにか、と心得ず思されぬべきに、かたがた憚られ侍れど、かの山里に、知るべき人の隠ろへて侍るやうに聞き侍りしを、たしかにてこそは、いかなるさまにて、なども洩らしきこえめ、など思ひ給ふる程に…』」
――(薫が)「その辺り(小野)はつい最近まで人が大勢住んでいたのに、今はたいそう寂びれてゆくようです」などと仰って、もう少し僧都の方に膝を進めて、声をひそめ、「こんなことをお尋ねするのは、一体どのような事情があるのかとご不審に思われましょう。いずれにしても甚だ申し上げにくいことなのですが、実はその小野に、私が世話をしなければならない女人が、身を潜めているように聞き及びましたので、それが確かなことならば、貴方にこのような事情が……などとも、そっとお打ち明けしようと存じておりますうちに…」――

さらに、

「『御弟子になりて、忌むことなど授け給ひてけり、と聞き侍るは、まことか。まだ年も若く、親などもありし人なれば、ここにうしなひたるやうに、かごとかくる人なむ侍るを』などのたまふ」
――「当人はすでにもう貴方のお弟子になって、すでに受戒などお授けになったと聞きましたが、本当ですか。まだ年も若く、親などもある女(ひと)なので、私がその女を死なせたように、言いがかりをつける人がいますのでね…」などとおっしゃる――

「僧都、さればよ、ただ人と見えざりし人のさまぞかし、かくまでのたまふは、軽々しくは思されざりける人にこそあめれ、と思ふに、法師と言ひながら、心もなくたちまちに容貌をやつしけること、と、胸つぶれて、いらへきこえむやう思ひまはさる」
――僧都は、案の定そうだったのか、どうも普通の女とは見えないあの人の様子だった。薫大将がこれほどまでに仰るからには、いい加減には思っておられなかった人とみえる、と思うと、いくら法師の勤めだといっても、分別も無く直ちに髪を落ろさせてしまったことよ、と胸がどきりとして、何とお答え申したものかと、途方にくれるのでした――

「たしかに聞き給へるにこそあめれ、かばかり心得給ひて、いかがひたづね給はむに、隠れあるばきことにもあらず、なかなかあらがひ隠さむに、あいなかるべし、など、とばかり思ひ得て、『いかなることにか侍りけむ、と、この月ごろうちうちにあやしみ思う給ふる人の御ことにや』
とて」
――(僧都は心の中で)この方は確かな筋からお聞き及びになったのであろう。これほどご承知になって御自分から聞き出される上は、隠しきれるものでもない。なまじっか逆らって隠しだてしたりするのはよくあるまい、などと、しばらく思案した末に、「一体どうした訳でしょうかと、先日来ひそかに不思議に存じておりますあの御方のことでしょうか」と申し上げます――

では6/19に。


源氏物語を読んできて(1267)

2013年06月15日 | Weblog
2013. 6/15    1267

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その1


 薫(大将の君)  28歳 夏
 浮舟       23歳
 小君(こきみ)  浮舟の母と常陸の介(守)の息子.浮舟の義弟。
女一の宮(一品の宮) 今上帝と明石中宮の第一皇女
女二の宮 薫の正妻。今上帝の第二皇女、母は明石中宮ではない。



「山におはしまして、例せさせ給ふやうに、経仏など供養ぜさせ給ふ。またの日は横川におはしたれば、僧都おどろきかしこまりきこえ給ふ」
――(薫は)比叡山根本中堂に赴かれて、いつものように経や仏などの供養をなさり、その翌日、横川にお出かけになりました。僧都は、わざわざお越しになったことに大そう驚き恐縮して御礼を申し上げます――

「年ごろも御祈りなどにつけ、語らひ給ひけれど、ことにいと親しきことはなかりけるを、このたび一品の宮の御心地の程に、さぶらひ給へるに、すぐれ給へる験ものし給ひけり、と見給ひてより、こよなう尊び給ひて、今少し深き契り加へ給ひてければ、おもおもしうおはする殿の、かくわざとおはしましたること、と、もて騒ぎきこえ給ふ」
――年来、薫は御祈祷などに関して、ご相談なさっていましたが、別段御懇意というほどではありませんでしたのに、この度、女一の宮のご病気の際、僧都がご祈祷に伺候された折の、優れたご祈祷力を持っておられる方だとお認めになって以来、以前より一層深い関係をお結びになられたのでした。重々しいご身分の薫が、こうしてわざわざお出向きくださったとはまあ、と僧都もお心をこめておもてなし申し上げます――

「御ものがたりなど、こまやかにしておはすれば、御湯漬けなど参り給ふ」
――薫は僧都に四方山話などしみじみなさっておられますので、御湯漬けなどを差し上げます――

「すこし人々しづまりぬるに、『小野のわたりに、知り給へる宿りや侍る』と問ひ給へば、『しか侍り。いとことやうなる所になむ。なにがしが母なる朽ち尼の侍るを、京にはかばかしきすみかも侍らぬうちに、かくて籠り侍る間は、夜中暁にも、あひとぶらはむ、と思ひ給へおきて侍る』など申し給ふ」
――ざわざわしていた薫の供人たちが、少し静まった頃、「小野の辺りに、お知り合いの家がおありでしょうか」と薫がお訊ねになりますと、僧都は、「はい、ございます。大そうむさくるしい所でございます。拙僧の母の老尼がおりますが、都にしかとした家も定まらなぬうちに私がこうして山籠りしております間は、いついかなる時もすぐに見舞ってやりたいと思いまして、あそこに住まわせております」などと申し上げます――

では6/17に。

源氏物語を読んできて(1266)

2013年06月13日 | Weblog
2013. 6/13    1266

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その58

「宮の御ことを、いとはづかしげに、さすがにうらみたるさまには言ひなし給はで、『かのこと、またさなむ、と聞きつけ給へらば、かたくなにすきずきしうも思されぬべし。さらに、さてありけりとも、知らず顔にて過ぐし侍りなむ』と啓し給へば、『僧都の語りしに、いとものおそろしかりし夜のことにて、耳もとどめざりしことにこそ。宮はいかでか聞き給はむ。聞えむかたなかりける御心の程かな、と聞けば、まして聞きつけ給はむこそ、いと苦しかるべけれ。かかる筋につけて、いと軽く憂きものにのみ、世に知られ給ひぬめれば、心憂くなむ』とのたまはす」
――(薫は)匂宮の御事にはたいそうお心配りをなさって、恨んでいる風には言われずに、「その女のことを、又探し出したなどと、宮がお聞きになりましたなら、さぞかし私を色好みな、戸お思いになりましょう。それで、私はもうもう浮舟が生きていたという事すら知らぬ顔で過ごそうかと思います」と申し上げますと、中宮は、「その僧都の話は、話はしたのですが、大そう気味悪い夜のことだったので、耳にも入らなかったのですよ。匂宮がどうしてお聞き及びになりましょう。あなたには申し訳ないほど怪しからぬお振舞いだったとか、今更また宮のお耳にでも入ったなら、それこそ困った事と思っています。匂宮がこうした女の問題では、たいそう軽率で困ると世間では定評になっておられるらしいので、心配なことです」などと仰せになります――

「いと重き御心なれば、必ずしも、うちとけ世語りにても、人の忍びて啓しけむことを洩らさせ給はじ、など思す」
――中宮はたいそう慎み深い御人柄でいらっしゃるので、打ち解けた世間話にもせよ、人が内密に申し上げたことを必ず口外なさることはあるまい、と薫は思うのでした――

「住むらむ山里はいづこにかあらむ、いかにして、さまあしからずたづね寄らむ、僧都に逢いひてこそは、たしかなるありさまも聞きあはせなどして、ともかくも問ふべかめれ、など、ただこのことを起き臥し思す。月ごとの八日は、必ず尊きわざせさせ給へば、薬師仏に寄せたてまつるにもてなし給へるたよりに、中堂には、時々参り給ひけり」
――(薫はお心の中で)浮舟が住んでいるという山里は、いったいどこなのだろう。どうにかして、見ぐるしくない様にして、訪ねていくことができるだろうか。ともかくも僧都に逢って、たしかな事情も聞き合せるなり何なりするのがよいだろう、などと寝ても醒めてもただただ、この事ばかりを考えておいでになります。毎月八日には、必ず薬師如来の尊い御供養をなさって、その御寄進のために、時々比叡山の根本中堂にお出かけになります――

「それよりやがて横川におはせむ、と思して、かのせうとの童なる、率ておはす。その人々には、とみに知らせじ、ありさまにぞ従はむ、と思せど、うち見む夢の心地にも、あはれをも加へむ、とにやありけむ。さすがに、その人とは見つけながら、あやしきさまに、容貌ことなる人の中にて、憂きことを聞きつけたらむこそいみじかるべけれ、と、よろづ道すがら思し乱れけるにや」
――そのついでに、横川に赴こうとお思いになって、あの(浮舟)弟の童を連れてお出ましになります。浮舟の家族たちには、すぐには知らすまい。その時の様子をみてのことにしようとお考えになられましたが、幼い弟を伴う事にしましたのは、夢のような気がするこの再会に、一段の情趣を添えようとのお気持で、小君を伴われたのであろうか。そうはいうものの、確かに浮舟都巡り逢いながら、みすぼらしい尼たちの中に混じって、ほかの男でも通わせてでもいるような、厭な噂でも耳にしたりしては、どんなに辛い事だろう、と道すがらも、さぞかし千々に思い乱れておいでだったことでしょう――

◆せうと=「せうと」は女より男の兄弟を指していう語。

◆五十三帖 【手習(てならひ)の巻】終り

源氏物語を読んできて(1265)

2013年06月11日 | Weblog
2013. 6/11    1265

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その57

「所もかはらず、その頃のありさまと思ひあはするに、たがふ節なければ、まことにそれとたづね出でたらむ、いとあさましき心地もすべきかな、いかでかはたしかに聞くべき、おりたちてたづねありかむも、かたくなしなどや人言ひなさむ、またかの宮も、聞きつけ給へらむには、かならず思し出でて、思ひ入りにけむ道もさまたげ給ひてむかし…」
――(薫はお心の内で)場所もおなじ宇治で、当時の事情を思い合わせると、全く矛盾する所がないので、本当にそれが浮舟だと分かったならば、実に情けなく呆れた思いだ。どうしたら確かな事が聞けるだろうか。自分の足でじかに探しまわるのは見ぐるしく愚かしいと、噂の種にもなりかねない。また、あの兵部卿の宮(匂宮)もこのことを聞きつけられたなら、必ず昔の事を思い出されて、折角浮舟が求めて入った仏道の邪魔もなさることだろう…――

 さらに、

「さて、さなのたまひそ、など聞え置き給ひければや、われには、さることなむ聞きし、と、さるめづらしきことを聞し召しながら、のたまはせぬにやありけむ、宮もかかづらひ給ふにては、いみじうあはれと思ひながらも、さらに、やがて失せにしものと、思ひなしてをやみなむ…」
――そうして、中宮に、薫には何も仰いますな、などと申して置かれたために、私には、これこれの噂があるが、と、そんな珍しい事件をお耳にされながらおっしゃらないのであろうか。もし匂宮も浮舟に執心しておられるならば、自分とて深く愛しているけれども、もうもう、あのまま死んでしまったものと思って、きっぱりと諦めてしまおう――

 そしてまた、

「うつし人になりて、末の世には、黄なる泉のほとりばかりを、おのづから語らひ寄る風のまぎれもありなむ、わがものに取り返し見むの心はまたつかはじ、など思ひ乱れて、なほのたまはずやあらむ、と思へど、御けしのゆかしければ、大宮に、さるべきついで作り出でてぞ啓し給ふ」
――浮舟がこの世に生きて居てくれたなら、来世は黄泉のほとりで逢うことぐらいは、どうかした風の吹きまわしで、自然話し合う機会もあるだろう。わが物として手許に取り返して世話をしようなどとの気持ちは今更抱くまい…、などとあれこれ思い悩んだ末に、お尋ねしてもやはりおっしゃっては下さるまいと思いもしますが、明石中宮の御意向もうかがいたいので、さるべき機会をつくって、中宮にお話申し上げます――

「『あさましうてうしなひ侍りぬ、と思う給へし人、世に落ちあふれてあるやうに、人のまねび侍りしかな。いかでかさることは侍らむ、と思ひ給ふれど、心とおどろおどろしう、もて離るることは侍らずや、と思ひわたり侍る人のありさまに侍れば、人の語り侍りしやうにては、さるやうもや侍らむ、と似つかはしく思う給へらるる』とて、今少し聞え出で給ふ」
――(薫は)「ひどい死に方をさせてしまったと存じておりました人が、この世に落ちぶれて生きているとか、噂に言う人がおりました。まさかそのようなことがあろうはずが無いとは存じましたが、自分から人騒がせにも投身までして、世を棄てることなどあるまいに、と思いつづけてきました、あれのことでございます。人が噂した様子では、なるほどそんなこともありましょうかと、どうもあれのような気がいたします」と前置きをして、もう少し事情を細かく申し上げます――

では6/13に。


源氏物語を読んできて(1264)

2013年06月09日 | Weblog
2013. 6/9    1264

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その56

「『御前にだにつつませ給はむことを、ましてこと人はいかでか』と聞えさすれど、『さまざまなることにこそ。またまろはいとほしきことぞあるや』とのたまはするも、心得て、をかしと見たてまつる」
――(小宰相は)「中宮様でさえご遠慮あそばしますことを、まして私などがどうして申せましょう」と申し上げますが、中宮様が「それは人や事がらによりましょう。それに私の口から言っては気の毒なわけもありますから」と仰せられますので、小宰相は、匂宮とのいきさつもあってのことだと心得て、中宮の濃やかなお心遣いを心に深く思うのでした――

「立ち寄りて物語りなどし給ふついでに、言ひ出でたり。めづらかにあやし、と、いかでかはおどろかれ給はざらむ。宮の問はせ給ひしも、かかることをほの思し寄りてなりけり、などかのたまはせ果つまじき、とつらけれど、われもまた、はじめよりありしさまのこと聞えそめざりしかば、聞きてのちもなほをこがましき心地して、人にすべて洩らさぬを、なかなかほかには聞ゆることもあらむかし」
――(薫が)小宰相の所に立ち寄られて世間話をなさったついでに、小宰相は、僧都の話されたことをつぶさにお話しました。大将は世にも珍しく不思議なことと、どうしてお驚きにならずにいられましょう。いつぞや中宮がお訊ねになられたのも、それとなく思い当たられることがおありだったにちがいない。それならどうして最後までお話にならなかったのかと恨めしいが、思えば自分もこの事については何一つ申し上げてはいなかったのだから、今事情を聞いて、実はこれこれと今更お話するのも愚かしい気がして、いくら人に隠し置いても、却って人は噂をしていることなのだろう――

「うつつの人々の中に忍ぶることだに、隠れある世の中かは、など思ひ入りて、この人にも、さなむありし、など明かし給はむことは、なほ口重き心地して、『なほ、あやしと思ひし人のことに、似てもありける人のありさまかな。さてその人はなほあらむや』とのたまへば、」
――現在生きている人の間で秘密にすることでさえ、隠しきれる世間だろうか、などと考えこまれますが、それでもなお、この人に事情を明かすのはためらわれて、「それにしても、不思議に思った女の事に良く似た話ですね。ところでその人はまだ生きているのだろうか」とおっしゃる――

「『かの僧都の山より出でし日なむ、尼になしつる、いみじうわづらひし程にも。見る人惜しみてせさせざりしを、正身の本意深き由を言ひてなりつる、とこそ侍るなりしか』と言ふ」
――(小宰相は)「あの僧都が山を降りられた日に、その人を尼にしたそうです。ご病気がひどく悪かった時にも、人々がみな、惜しがって尼にはおさせにならなかったのに、ご本人の強いご本意だからと言うので、出家してしまったということでございます」といいます――

では6/11に。