永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(547)

2009年10月31日 | Weblog
 09.10/31   547回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(29)

「御前の木立いたうけぶりて、花は時忘れぬ気色なるをながめつつ、もの悲しく、侍ふ人々も、鈍色にやつれつつ、淋しうつれづれなる昼つかた」
――一条の宮(落葉の宮の御殿)の庭先の木立が芽を吹いて、花は時季を忘れず咲きだすのを、落葉の宮はうら哀しく眺めながら、物思いにくれていらっしゃる。お側の女房たちも鈍色の喪服姿が何とも淋しげな昼ごろでした――

 そんな折に夕霧がお出でになりましたので、

「あはれ故殿の御けはひとこそ、うち忘れては思ひつれ」
――ああ、柏木様のお出でかと、うっかり思いました――

 と、泣く者もおります。いつもお出でになるのは柏木の弟君たちですので、御息所(落葉の宮の母宮)は、そうとばかり思っておりますと、先ずご案内を乞われた後、夕霧が大そうゆかしいご様子で入っておいでになりました。

「清らなる御もてなしにて入り給へり」
――母屋の廂の間に御座所を設えてお召し入れになりました――

 一般のお客様のように侍女たちがお接待するのはもったいない夕霧のご様子ですので、御息所ご自身が御対面なさいます。夕霧が、

「いみじきことを思ひ給へ歎く心は、さるべき人々にも越えて侍れど、限りあれば聞こえさせやる方なうて、世の常になり侍りにけり。いまはの程にも、宣ひ置く事侍りしかば、疎かならずなむ」
――御不幸をお悔やみ申し上げる心は、お身内の方々にもまさるものがございますが、お身内ならぬ私には自ずから限りのございますこととて、ご挨拶も並み一通りになってしまいました。ご臨終の折に、私へのご遺言もございましたので、決して粗略には存じておりません――
と、お話を続けられます。

「大臣などの心をみだり給ふさま、見聞き侍るにつけても、親子の道の闇をばさるものにて、かかる御中かひの、深く思ひとどめ給ひけむ程を、おしはかり聞こえさするに、いとつきせずなむ」
――(柏木の)大臣や母君のご心痛のほども拝見もし、承りもしますにつけて、親が子を思う心の闇ももとよりでございますが、ご夫婦の御仲はまた格別で、どんなにお心残りがあったでしょうと、思いますにつけご同情に堪えません――

 と、時折り涙をおしぬぐい、鼻をおかみになる。その夕霧のお姿は、

「あざやかに気高きものから、なつかしうなまめいたり」
――夕霧の人品は、際立って気高く、やさしく優雅でいらっしゃる――

◆清らなる=第1級の賛辞。ここでは最高のおもてなし。

ではまた。


源氏物語を読んできて(546)

2009年10月30日 | Weblog
 09.10/30   546回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(28)

柏木の父の大臣も、母上も涙の乾くひまなく思い沈んで、

「はかなく過ぐる日数をも知り給はず、(……)」
――はかなく過ぎる月日さえお分かりにならず、(ご法要の際の僧服や衣装その他万端の用意をも、柏木の兄弟姉妹がそれぞれに準備なさったのでした)――

「七日七日の御誦経などを、人の聞こえおどろかすにも、『われにな聞かせそ。かくいみじと思ひ惑ふに、なかなか道さまたげにもこそ』とて、亡きやうに思しほれたり」
――七日毎の御誦経を、人がご注意申しますにも、「私の耳には入れないでくれ。こんなにひどく歎き惑っているのに、この上亡き人を苦しめては成仏の妨げになる」とか、ぼけたことをおっしゃる。

 ましてや一条の宮(落葉の宮・柏木の正妻)にとりましては、

「おぼつかなうて別れ給ひにしうらみさへ添ひて、日頃ふるままに、広き宮のうち、人げすくなう心細げにて、親しく使ひならし給ひし人は、なほ参りとぶらひ聞こゆ。(……)」
――ご臨終にもお逢いにならずお別れになった無念さは格別で、日数経るにつれて、広い御殿には人けが少なく、心細げに静まり返っております。柏木が生前親しくお使いになった人は、今でも落葉の宮をお見舞いに来られます。(柏木が生前好んでいた鷹や馬も主人を失い、その係りの者たちも気抜けして悄然としている姿をご覧になるにつけ、落葉の宮の悲しみは尽きないのでした)――

「常にひき給ひし琵琶、和琴などの緒も、とり放ちやつされて音を立てぬも、いとうもれいたきわざなりや」
――(柏木が)いつも弾いておられた琵琶や和琴の緒を取り外して、見すぼらしく音を立てぬのも、一層気の滅入る侘しさです――

 先払いの声を賑やかに立てて、一条の宮の門前に止まった人がおられます。夕霧がお出でになりました。

◆やつされて=見すぼらしい姿で

◆うもれいたきわざ=埋もれいたし=気が晴れ晴れしない。わざ(事)=ありさま、様子。

ではまた。

源氏物語を読んできて(545)

2009年10月29日 | Weblog
 09.10/29   545回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(27)

 大将の君(夕霧)は、亡き人(柏木)が思いあまって仄めかされたことを、

「いかなる事にかありけむ、少し物覚えたる様ならましかば、さばかりうち出でそめたりしに、いとよう気色を見てましを、いふかひなきとじめにて、折あしう、いぶせくて、あはれにもありしかな、と面影忘れ難くて」
――いったいどういうことであったのか、もう少し柏木が気の確かな時であったなら、あれだけ打ち明けようとなさったのだから、もっとよく仔細を知ることができたであろうに。もう何ともしようのない臨終の間際で、折悪しく気がもめるばかりで、はっきりしないままに悲しい事になってしまったものよ、と、面影がいつまでも眼裏に残っていて――

 肉親のご兄弟方よりも居たたまれず、恋しくてなりませんが、一方では、どうにも腑に落ちない思いもして、

「女宮のかく世を背き給へる有様、おどろおどろしき御なやみにもあらで、すがやかに思し立ちける程よ、またさりともゆるし聞こえ給ふべき事かは、二条の上の、さばかり限りにて、泣く泣く申し給ふと聞きしをば、いみじき事に思して、つひにかくかけとどめ奉り給へるものを」
――女三宮が、あのように出家なされたこと。たいしたご病気でもないのに、きっぱりと決心なさった事よ。いくらご決心なさっても源氏がお許しになるはずもないでしょうに。二条の上(紫の上)が、あれほどの危篤の時に、泣く泣くお願いされたと聞いているご出家の事も、源氏は、どんでもない事と、ついにああしてお留めなさったのに――

 などと、あれこれと思い巡らしておりますと、

「なほ昔より絶えず見ゆる心ばへ、え忍ばぬ折々ありきかし、いとようもてしづめたる上べは、人よりけに用意あり、のどかに、何事をこの人の心の中に思ふらむと、見る人も苦しきまでありしかど、」
――やはり、柏木は昔から思い切れなかった宮への恋に、堪えられぬ折もあったのだろう。表面は沈着で、人よりも思慮深く落ち着いていて、何を考えているのかと他の人まで苦しくなる程だったが、――

「すこし弱き所つきて、なよび過ぎたりしけぞかし、いみじうとも、さるまじき事に心を乱りて、かくしも身に代ふべき事にやはありける、人の為にもいとほしう、わが身はた、徒にやなすべき、さるべき昔のちぎりといひながら、いとかるがるしう、あぢきなきことなりかし」
――少し意志の弱いところがあって、柔和すぎたせいであろうか、どんなに恋しくても、道に外れた恋に心を乱して、あのように命と引き換えてしまうべき事であろうか。相手の女の為にもすまないし、自分自身をも粗末にしてよいものか。前世の因縁で当然だとはいえ、たいそう軽々しく、味気ないことになってしまったものよ――

 などと、内心では思いますものの、妻(雲井の雁で柏木の妹)にも、まして父君の源氏にも申し上げることはいたしません。しかし少しこの事を仄めかして源氏のお顔色をこっそり見てみたい、とも思うのでした。

ではまた。


源氏物語を読んできて(544)

2009年10月28日 | Weblog
 09.10/28   544回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(26)

 源氏は、夫として間の抜けたこれらのことを、

「わが御咎あることはあへなむ、二ついはむには、女の御為こそいとほしけれ、など思して、色にも出だし給はず。」
――まあ、自分が笑われる位はどうでもよい。女三宮と自分とを比べたら、女である宮の方がもっと気の毒だ、などとお考えになって、不快さをお顔には出されない――

また、

「心知らざらむ人は如何あらむ、猶いとよく似通ひたりけりと見給ふに、親たちの、子だにあれかしと歎い給ふらむにも、え見せず、人知れずはかなき形見ばかりをとどめ置きて、さばかり思ひあがり、およずけたりし身を、心もて失ひつるよ、とあはれに思しければ、めざましと思ふ心も引き返し、うち泣かれ給ひぬ」
――(薫の可愛らしい様子を)事情を知らない人たちはどう思うか知らないが、源氏はやはり、かの人(柏木)に良く似ているとご覧になっています。衛門の督(柏木)の親たちが、せめて子でも残してくれたならと歎いておられる由なのに、見せるわけにもいかず、柏木が秘密のうちにほんの形見だけを残して、あれほど気位高く、年よりも老成していたのに、なんとまあ自分から破滅へと導いたことよと、同情もわいてきて、源氏は癪にさわるお気持と打って変わって、ほろりとなさったのでした――

 女房たちが退いた間に、源氏は宮のお側にお寄りになって、

「この人をば如何見給ふや。かかる人を棄てて、背きはて給ひぬべき世にやありける。あな心憂。(歌)『誰が世にかたねはまきしと人とはばいかが岩根の松はこたへむ』など忍びて聞こえ給ふに、御答もなうて、ひれふし給へり」
――この若宮をどうお思いですか。こんな可愛らしい子を見棄てて、出家してしまわれる筈の仲だったのでしょうか。ああ残念な。(歌)「これはいったいどなたのお子さんですかと尋ねられましたら、どうお答えになりますか」などと小声でおっしゃるのでした。女三宮はご返事もできず、うつ伏してしまわれました――

 源氏は、それ以上はおっしゃらないけれども、いったい宮はこのことを何と思っているのか、まさか平気な筈はあるまい、とお思いになるにつけ、やはり胸苦しく晴れ晴れとしないのでした。

ではまた。


源氏物語を読んできて(543)

2009年10月27日 | Weblog
 09.10/27   543回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(25)

源氏は、

「『あはれ、残りすくなき世に、おひ出づべき人にこそ』とて、抱き取り給へば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし」
――「ああ、私のこんな晩年に生まれくる運命を持った子よ」とおっしゃって抱きとられますと、人懐こく、にこっとされて、丸々と太って色白で大変美しい――

 薫は大そう上品な上に愛くるしく、目元が美しくてよく笑顔をなさるので、源氏はまことにあわれ深くご覧になり、

「思ひなしにや、なほいとよう覚えたりかし。唯今ながら、まなこゐののどかに、はづかしきさまもやう離れて、かをりおかしき顔ざまなり」
――気のせいか、やはり良く柏木に似ている。こんなに小さい時から眼差しがしっとり落ち着いていて、奥ゆかしい様子も人並み以上に優れ、匂いやかな顔かたちだ――

 と、お思いになるにつけ、他の人はこの秘密を知らぬことや、柏木の儚かった運命を
考え続けておられますと、涙がほろほろとこぼれるのでした。しかし今日は五十日の祝いの日ですので、涙は禁物と覆いかくして、

「『静かに思ひて歎くに堪へたり』と誦し給ふ。五十八を十とりすてたる御齢なれど、末になりたる心地し給ひて、いとものあはれに思さる。『汝が父に』とも、いさめまほしう思しけむかし」
――「静かに思ひて歎くに堪へたり」(白楽天が五十八歳で一子を得た時の詩)を口ずさんでいらっしゃる。今、源氏は白楽天の五十八歳から十歳を引いた四十八歳ですが、もう晩年の心地で、しみじみとこの世をものあわれにお思いになります。「汝が父に」(白楽天の詩の続きで)と口づさんで、汝の父柏木に似ないようにと、源氏は薫にお諌めになりたいお気持だったでしょうか――

 源氏は、宮の秘密を知っているものが侍女の中に居るに違いなく、さぞかし私を何も知らない馬鹿者だと思っているだろうといらいらしていらっしゃる。

◆まなこゐ=眼居=目つき、まなざし

◆「源氏物語絵巻」復元模写:五十日の祝いに薫を抱く源氏

ではまた。  

源氏物語を読んできて(542)

2009年10月26日 | Weblog
09.10/26   542回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(24)

 五十日のお祝いに、この若君に餅をご用意する女房たちが、母君が尼姿ですので、どうしたら良いかと困っているところに、源氏がお出でになって、

「何か。女にものし給はばこそ、同じ筋にて、いまいましくもあらめ」
――何の、気にすることはない。女の子なら、同性の母親が尼では不吉だということもあろうが、――

 と、おっしゃって、南側に小さい御座を設えて、餅を参らせられます。乳母たちは華やかに装って、若君の前に据えられたご馳走のきれいに飾って盛ってありますのを、盛んに頂戴しています。若君の秘密など知りませんので無理もないことですが、源氏は、何とも言えない空しい気持ちで見ていらっしゃいます。(この子の実父は、喪中であるというのに…)

 女三宮も尼姿でお出でになりましたが、そのお姿は以前よりももっとお痩せになっていて、尼姿がぴったりしない感じで、恥ずかしそうにしておられるご様子は、可愛い子供のようでいらっしゃる。

 几帳を押しやって入って来られた源氏は、

「いで、あな心憂。墨染こそなほいとうたて、目もくるる色なりけれ。かやうにても見奉る事は絶ゆまじきぞかしと、思ひなぐさめ侍れど、旧り難う理なき心地する涙の人わろさを、いとかう、思ひ棄てられ奉る身の咎に思ひなすも、さまざまに胸いたう口惜しうなむ。(……)」
――ああ、本当に侘しい。墨染の色はやはり陰気な、目も昏むような色ですね。お姿がこのようにおなりになっても、この世ではお逢いつづけることのできるのは有難いことと思いますが、相も変わらず切ない思いに涙ばかり流しておりますよ。こんな風に棄てられましたわが身の至らなさを思い諦めてはいますけれども、さまざまに胸が痛み口惜しくてなりません。(取り返しのつくことなら……と思いますが)――

 源氏は薫をご覧になり、若宮にお仕えする人たちをお召しになって、心得を申しつけになります。

「御乳母たちは、やむごとなくめやすき限りあまた侍ふ」
――薫の乳母たちは相当の身分で器量も悪くない人ばかりが大勢仕えております――

◆写真:華やいでいる乳母たち。貴族の御子には複数の乳母がいて、乳が充分足るようにした。 風俗博物館

ではまた。


源氏物語を読んできて(五十日の祝い)

2009年10月26日 | Weblog
五十日(いか)の祝い

●祝いの餅
 儀式の中心は赤ん坊の口に餅を含ませることで、その餅は市(いち)で調達するのが通例だったようです。月の前半は東の市で、後半は西の市で整えたとされます。五十日に合わせて50個の餅を用意しました。

 生後50日の赤ん坊が実際に食べる訳ではありませんが、祝の食膳も用意しました。儀式の参列者やお祝いを寄せてくれた人々へのご祝儀として、籠物や折櫃・檜破子なども用意されました。これらも50個に数を揃えたようです。

 古来、日本人には「稲霊(いなだま)信仰」と呼ばれる米に対する信仰がありました。1粒の種籾から多くの実を結ぶ生命力から、米粒には神の力が宿ると考えたもので、特に餅は稲霊の形を象ったものとされています。稲霊を食すことで、その生命力を体内に取り入れ、自らの生命力を強めようとした訳です。

 柳は、春真っ先に芽吹くため、生命力復活のシンボルとされました。古代中国では魔除けに用いられたことが知られています。

●現代との接点
 餅を口に含ませて成長を祝い祈願する儀式は、平安時代中期には五十日と百日の2度行われましたが、末期になると五十日が百日に吸収され、100日目に2つを合わせる形で祝うこともあったようです。
後にはこれが「箸立(はしだて)」と称されるようになり、いわゆる「お食い初め」の原型となりました。

◆写真:祝いの品々 風俗博物館


源氏物語を読んできて(541)

2009年10月25日 | Weblog
09.10/25   541回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(23)

 尼宮(女三宮)は、

「おほけなき心もうたてのみおぼされて、世に長かれとしも思さざりしを、かくなむと聞き給ふは、さすがにいとあはれなりかし。若君の御事を、さぞと思ひたりしも、げにかかるべき契りにてや、思の外に心憂き事もありけむ、とおぼし寄るに、さまざまもの心細うて、うち泣かれ給ひぬ」
――(柏木の)怪しからぬ心が厭でしたので、柏木に長生きして欲しいとも思っておられませんでしたが、亡くなったとお聞きになっては、やはり可哀そうだとお胸が痛むのでした。若君(薫)のことを、ご自分の子だと思い込んでいましたのも、こうなるべき前世の約束であって、あのような辛いことがあったのかと思い寄っては、何かと心細く泣き萎れていらっしゃる――

やがて三月になりました。

「空の気色もものうららかにて、この君五十日の程になり給ひて、いと白ううつくしう、程よりはおよずけて、物語などし給ふ」
――空の気色もうららかで、この若君(薫)も五十日ほどにおなりになり、まことに色白で美しく、成長が早くて何か言いなどなさる――

源氏が女三宮の所へお出でになって、

「御心地はさわやかになり給ひにたりや。いでや、いとかひなくも侍るかな。例の御有様にて、かく見なし奉らましかば、いかにうれしう侍らまし。心憂く思し棄てける事」
――ご気分はさっぱりなさいましたか。でもまあ、尼姿では詰まりませんね。普通のお姿で五十日(いか)のお祝いを申し上げるのでしたら、どんなに嬉しいでしょう。私を棄てて出家なさるなんて、ひどいことですね。――

 と、涙ぐんでお恨み申し上げます。こういうことになってからの後は毎日お渡りになって、女三宮を大切に遇されております。

◆五十日(いか)の祝い:新生児の死亡率が極めて高かったこの時代、五十日は非常に重要な節目と考えられていました。

ではまた。


源氏物語を読んできて(540)

2009年10月24日 | Weblog
09.10/24   540回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(22)

 柏木のさらにお苦しみのご様子に、加持僧も、母君、父大臣も駈けつけられて、お屋敷中が立ち騒いでおりますので、夕霧は泣く泣く退出したのでした。

 弘徽殿女御(柏木の妹)、雲井の雁(柏木の異母妹・夕霧の北の方)、玉鬘(柏木の異母姉)と、みなが歎き悲しんで、特別な御祈祷をいたしましたが、

「やむ薬ならねば、かひなきわざになむありける。女宮にも、つひにえ対面し聞こえ給はで、泡の消え入るやうにて亡せ給ひぬ」
――恋の病を治す薬はないという古歌にもあるように、何の効き目もございませんでした。落葉の宮にも、ついに御対面かなわず、柏木は泡の消えるようにはかなくお亡くなりになってしまわれました――

 落葉の宮には、御心の底から深く思ってくださらなかった柏木でしたが、それなりに万事やさしく、礼儀を失わずお世話下さったことを思い、特別恨めしいとは思っていらっしゃらないようでしたが、ただ、

「かく短かりける御身にて、あやしくなべての世すさまじく思ひ給ひけるなりけり、と思ひ出で給ふに、いみじうて、思し入りたるさまいと心苦し。御息所も、いみじう人わらへに口惜しと、見奉り歎き給ふこと限りなし」
――このように、柏木が短命に生まれついた身で、夫婦仲というものをつまらないものと思っておられたらしいことを、思い出されますにつけても、ひどく悲しくて、沈み込んでいらっしゃるご様子がなんとも痛々しく、母君も落葉の宮の身の上が人聞き悪くて残念だと深く歎いていらっしゃる――

 柏木の父大臣も母君も、自分たちこそ先立ちたいものを、と歎くこと限りもありません。

◆いみじう人わらへに口惜し=内親王は独身を通すのが普通なのに、ご降嫁して早くも夫に先立たれたことが、人の口の端にのぼるなど外聞が悪く、残念でならない。

ではまた。


源氏物語を読んできて(539)

2009年10月23日 | Weblog
09.10/23   539回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(21)

 柏木は長々とお話になりましたので、たいそう苦しいご様子に見えます。夕霧は悲しみの中にも、心の中で思い当たる事が無くも無いと思うのですが、それとはっきりしている訳でもないので、

「いかなる御心の鬼にかは。(……)などかく思す事あるにては、今まで残い給ひつらむ。こなたかなたあきらめ申すべかりけるものを、今はいふかひなしや」
――それは疑心暗鬼というものでしょう。(父上にはさような様子は見えませんし、あなたの御重態を聞いて驚き残念がっておられるのですよ)そんなにご煩悶がおありなのに、なぜ私にまで黙っておられたのでしょう。両方の間に立って弁明もいたしましたのに。もう手遅れというものでしょうか――

 と、元に戻せるものなら戻したいと夕霧は悲しくてならないのでした。柏木は、

「げにいささかも隙ありつる折、聞こえ承るべうこそ侍りけれ。されどいとかう、今日明日としもやはと、みづからながら知らぬ命の程を思ひのどめ侍りけるも、はかなくなむ。」
――まったくお言葉のとおり。まだ病気が進まぬ時に申し上げて、ご意見を承るのでしたね。まさかこんなに早く今日明日に死期が迫ろうとは、自分でも知らずのんびりしておりましたのも、おかしなことでしたが――

「この事はさらに御心より漏らし給ふまじ。……。一条にものし給ふ宮、ことに触れて訪い聞こえ給へ。こころ苦しきさまにて、院などにも聞し召され給はむを、繕い給へ」
――このことはあなた以外には決して口外くださいますな。一条におります落葉の宮を、何かの折毎にお訪ねください。お気の毒な風に朱雀院もお思いになるでしょうが、よしなにお取り計らいください――

 柏木は、もっと仰りたい事がおありのようでしたが、どうにもならない程苦しくなられ、

「出でさせ給ひね。」
――もう、お帰りください――

 と、手真似でお伝えになります。

ではまた。