永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(宇治・橋姫神社)

2011年03月31日 | Weblog
◆橋姫神社       
 
 京都府宇治市宇治蓮華

 宇治橋の守り神・瀬織津比(せおりつひめ)を祀る神社。『源氏物語』内では、薫が宇治の八の宮の姫君を「橋姫」にたとえて歌を詠んでいます。現在では悪縁切りの神社として有名。当初は宇治橋の欄干中央にある三の間に祀られていたといいます。


源氏物語を読んできて(918)

2011年03月31日 | Weblog
2011.3/31  918

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(95)

匂宮から中の君には、

「なほかう参り来ることもいと難きを、思ひわびて、近うわたいたてまつるべき事をなむ、たばかり出でたる」
――なかなかこちらからあなたのいらっしゃる宇治へ参上しますことも難しく、思案の末、
あなたをこちらに近い所にお移し申し上げたいと、準備いたしました――

 と、お手紙がきました。

「后の宮きこしめしつけて、中納言もかくおろかならず思ひほれて居たなるは、げにおしなべて思ひがたうこそは、誰もおほさるらめ、と、心ぐるしがり給ひて、二条の院の西の対にわたい給うて、時々も通ひ給ふべく、しのびてきこえ給ひければ、女一の宮の御方に、ことよせておぼしなるにや、とおぼしながら、おぼつかなかるまじきはうれしくて、のたまふなりけり」
――明石中宮がこれらのことをお知りになって、薫中納言が並み一通りでなく夢中になっておられたとのこと、その御妹君であるならば、匂宮としても、そうなおざりなお扱いになるわけもいかないでしょう、と、お気の毒の思われて、二条の院の西の対にお迎えして、時々そっとお通いになさっては、と、そっと仰せられたのでした。匂宮としては、もしや、母君は女一の宮の女房としてお側にお仕えさせることを口実に、そのように思いつかれたのかとお思いになりながらも、あれこれ気を揉まずに中の君に逢えることがうれしくて、あのように宇治におっしゃられたのでした――

「さななり、と、中納言も聞き給ひて、三條の宮も作りはてて、渡いたてまつらむことを思ひしものを、かの御代はりになずらへても見るべかりけるを、など、引きかへし心ぼそし。宮のおぼし寄るめりし筋は、いと似げなき事に思ひ離れて、大方の御うしろみは、われならでまた誰かは、とおぼすとや」
――そのような運びになったということを薫もお聞きになって、自分こそ三條の宮を造営し終えて大君をお移し申そうと思っていたものを、亡くなられた後は、中の君を身代わりになぞらえてでも見る(結婚)べきであった、と、返らぬ昔のことをわびしく思い出されるのでした。匂宮が邪推なされたらしい筋(薫が中の君と親しくなるということ)については、薫はまったくとんでもない思いすごしとして、中の君のお輿入れになるお世話役は自分以外に誰があろうと、薫はしきりに気負っておられますとか――

◆写真:御簾に下げられた総角(あげまき)

■四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 終わり。


では4/1に。


源氏物語を読んできて(917)

2011年03月29日 | Weblog
2011.3/29  917

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(94)

「かくつれなきものから、内裏わたりにもきこしめして、いと悪しかるべきにおぼしわびて、今日は帰らせ給ひぬ。おろかならず言の葉をつくし給へど、つれなきは苦しきものを、と、一節をおぼし知らせまほしくて、心解けずなりぬ」
――中の君はこのように情けなく、打ち解けるそぶりもお見せになりませんが、といって、いつまでもこちらに泊まって居る訳にもきかず、御所でも事の次第をお耳になさって、きついお咎めもあろうかと思いあぐねられて、匂宮は今日のところはお帰りになることにしました。お別れに際してもう一度、中の君に対して並々ならぬ思いをお言葉を尽くして口説かれましたが、中の君からは、薄情なお仕打ちがどんなに辛く苦しいものか、この一点を思い知らせて差し上げたくて、とうとう打ち解けることがありませんでした――

「年の暮れがたには、かからぬ所だに、空のけしき例には似ぬを、荒れぬ日なく降りつむ雪に、うちながめつつ明かしくらし給ふ、心地、尽きせず夢のやうなり。宮よりも御誦経など、こちたきまでとぶらひきこえ給ふ」
――年の暮れともなりますと、このような山里でなくても、あたりの様子がどことなく寂しげですのに、ましてや物思いがちに眺め暮していらっしゃる薫のお心は、尽きせぬ夢に漂っていらっしゃるようです。匂宮からも読経のお布施など仰山なほどの御弔問があります――

 薫は、

「かくてのみにや、新しき年さへ歎きすぐさむ、ここかしこにも、おぼつかなくて閉じこもり給へることをきこえ給へば、今はとて帰り給はむ心地も、たとへむ方なし。」
――(お心の中で)このままこうして新年までも歎き通せようか…と思っていらっしゃいます。あちらこちらからも、薫が音沙汰なく宇治に籠っていらっしゃることをご心配のようで、今はもう都へ帰ることにお心を決められました。しかしまた、後ろ髪を引かれる思いでもいらっしゃいます――

 薫がこうして御滞在の月日が長かったので、人の気配も多く頼りがいもありましたが、京へお帰りになっては、この山荘もどんなにか寂しくなるであろうと、侍女たちは大君がお亡くなりになった際の目前の悲しかった騒ぎ以上に、しんと静まりかえっている今がひどく悲しくて、

「時々をりふし、をかしやかなる程にきこえかはし給ひし年頃よりも、かくのどやかに過ぐし給へる、日頃の御ありさまけはひのなつかしくなさけ深う、はかなき事にもまめなる方にも、思ひやり多かる御心ばへを、今はかぎりに見たてまつりさしつること」
――薫の君がその時々何かの折々に、大君と趣き深い御文を取り交わされたあの頃よりも、こうしてのんびりとお過ごしになった作今のお暮しぶりの方が、侍女たちには懐かしく、ちょっとした風流なことにも、また暮らし向きの面にも、濃やかなお心遣いをなさるお優しいお人柄を思いますと、もうこれきりお見上げ申すことが出来なくなるとは…――

 と、侍女たちは誰も誰も涙にむせぶのでした。

◆をかしやかなる=をかしやか=いかにも趣きがあるさま。風流めいているさま。

◆見たてまつりさしつること=見奉り・さし・つる・こと

◆さし(さす)=尊敬の補助動詞「給ふ」「おはします」「まします」、尊敬の助動詞「らる」などとともに用いて、尊敬の意をさらに強める。最高敬語。…になられる。…なされる。

では3/31に。


源氏物語を読んできて(916)

2011年03月27日 | Weblog
2011.3/27  916

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(93)

「人の見るらむもいと人わろくて、歎きあかし給ふ。うらみむもことわりなる程なれど、あまりに人憎くも、と、つらき涙のおつれば、ましていかに思ひつらむ、と、さまざまあはれにおぼし知らる」
――(匂宮は)人の手前、ひどく極まりが悪く見っともない気がなさったまま、歎き明かされたのでした。思いますに、中の君が私を一途にお恨みなさるのももっともながら、余りにも無愛想ではないか。しかし私でさえこんなに辛いのだから、ましてや中の君は長い間音沙汰なくすごされたのだから、そのお辛さはどんなだったであろう、と、あれこれと身に沁みて思い知らされるのでした――

「中納言の、あるじ方に住み馴れて、人々安らかに呼びつかひ、人もあまたして物参らせなどし給ふを、あはれにもをかしうも御らんず。いといたうやせ青み、ほれぼれしきまで物を思ひたれば、心ぐるしく見給ひて、まめやかにとぶらひ給ふ」
――薫がこの邸の主人風に住みついて、侍女たちを気楽に呼び使い、侍女も大勢でお食事を差し上げるなど、しておられるのを、匂宮はこのような山奥でお気の毒にとも、また薫らしく面白いともご覧になります。薫はひどくお痩せになり顔も青白く、ぼおっとして物思いに沈んでおられますのを、匂宮は心苦しくお気の毒で、懇ろに御弔問なさいます――

 薫は、

「ありしさまなど、かひなき事なれど、この宮にこそはきこえめ、と思へど、うち出でむにつけても、いと心弱く、かたくなしく見えたてまつらむにはばかりて、言ずくななり」
――大君の生前のご様子などを、今更どうなることでもないではありますが、この宮にはぜひ申し上げたいと、思われたのですが、打ち明け申したところで、何と気の弱い愚か者と見られますに違いないと遠慮されて、言葉少なにしていらっしゃいます――

「音をのみ泣きて日数経にければ、顔がはりのしたるも、見ぐるしくはあらで、いよいよ物きよげになまめいたるを、女ならば必ず心うつりなむ、と、己がけしからぬ御心ならひにおぼし寄るも、なまうしろめたかりければ、いかで人のそしりも恨みをもはぶきて、京にうつろはしてむ、とおぼす」
――(薫が)声も涸れるほど日数を重ねて泣き暮らしてこられて、お顔もやつれていらっしゃいますが、見ぐるしくはなく、憂いを含んだお姿がいよいよ美しくあでやかなのを、匂宮は、女ならば必ず心を惹かれるだろうと、ご自分の怪しからぬお心癖から薫と中の君のことが急にご心配になり、何とかして世間の非難や、夕霧左大臣のお恨みをも斥けて、中の君を京へお移しせねば、とお思いになるのでした――

◆かたくなしく=頑なし=融通がきかずがんこである。強情。

では3/29に。

源氏物語を読んできて(915)

2011年03月25日 | Weblog
2011.3/25  915

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(92)

「夜のけしきいとどけはしき風の音に、人やりならず歎きふし給へるもさすがにて、例の、物へだててきこえ給ふ」
――夜ともなりますと、このあたりは風の音も一段とはげしく吹きすさんでくるのでした。ご自分の身から出たこととは言いながら、匂宮が侘びしさをかこってつまらない風に横になっておいでになりますのを、中の君はさすがにお気の毒に思えて、昼間のように几帳を隔ててお話などなさいます――

 
「千々の社をひきかけて、行く先長きことを契りきこえ給ふも、いかでかく口馴れ給ひけむ、と、心憂けれど、よそにてつれなき程のうとましさよりは、あはれに、人の心もたわおやぎぬべき御さまを、一方にもえ疎み果つまじかりけり」
――(匂宮が)ありったけの神々の名にかけて、この先決して変わらぬ愛情をお約束なさるのを、どうしてこのように口先がお上手なのかしら、きっとこのような調子で数々の女を……と、腹立たしくもありますが、離れていて冷淡にされる時の不愉快さよりは、こうしてのご対面ながらも、しみじみと心も和むに違いないご様子なのを、いちがいには疎んじ切ってしまえないのでした――

 匂宮のご弁解をつくづくとお聞きになって、

(中の君の歌)「来しかたを思ひいづるもはかなきを行く末かけて何たのむらむ」
――今までの事を思い出しても心細く頼りない思いをしましたものを、どうして遠い将来まで当てに出来ましょう――

 と、微かにおっしゃいます。匂宮は、せっかくお訪ねしましたのに中の君の打ち解けないご様子に、いっそう気が塞ぐ思いで、

(匂宮の歌)「行く末をみじかきものと思ひなば目の前にだにそむかざらまし」
――将来をはかないものと思われますならば、せめて目の前でだけでも、私に背かないでください――

 と、この歌に続けて、

「何事もいとかう見る程なき世を、罪深くなおぼしないそ」
――万事すべてはこうして忽ち移ろいゆく世の中ですから、私を苦しめるような罪作りなことはお考えくださいますな――

 と、お言葉をつくしてご機嫌をおとりになりますが、中の君は「気分がすぐれませんので…」と言葉少なにおっしゃって奥に入ってしまわれました。

◆人の心もたわおやぎぬべき御さま=人の心も・たおやぎぬべき・御さま=人の心を和らげずにはおかない(匂宮の)御物越し

では3/27に。


源氏物語を読んできて(914)

2011年03月23日 | Weblog
2011.3/23  914

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(91)

 この夜は、どんなお咎めを蒙ろうともかまわないおつもりで、匂宮はこの山荘にお泊まりになられました。

「『物越しならで』といたく詫び給へど」
――「物越しではなく親しく御対面を」と、しきりに訴えられますが――

 中の君は、
「『今少し物おぼゆる程にて侍らば』とのみきこえ給ひて、つれなきを」
――「もう少し人心地がつきましてから」とだけお答え申して、素っ気なく、うち解けるご様子がありませんのを――

 薫もあまりこじれてはと、ご心配になり、しかるべき侍女をお呼びになって、

「御ありさまに違ひて、心浅きやうなる御もてなしの、昔も今も心憂かりける、月頃の罪は、さも思ひきこえ給ひぬべき事なれど、憎からぬさまにこそ勘がへたてまつり給はめ。かやうなる事まだ見知らぬ御心にて、苦しうおぼすらむ」
――こちらの中の君のお気持を軽んじて、匂宮が情なくしてこられた昔も今も御不快なことを思えば、中の君のお考えもご尤もですが、あまり頑なにならぬよう叱って差し上げなさるくらいになさるように。世に有りがちな男の夜離れ(よがれ)など、まだご経験もない中の君の御身では、さぞお辛いでしょうが――

 と、こっそり侍女をとおしてお世話をやかれますので、それとなくお聞きになっていらっしゃる中の君は、この薫の思惑も恥ずかしく、いよいよ匂宮へのお返事をしかねていらっしゃいます。

 匂宮が、

「あさましう心憂くおはしけり。きこえしさまをも無下に忘れ給ひけること」
――何という情けないお心持ちのお方でしょう。いつぞやあれほどお約束したことを、すっかりお忘れになったのですか――

 とひどくお嘆きになって、そのままそこで日をお暮しになります。

◆かやうなる事=結婚後は男性が女性の家に通うが、男とは所詮好きなように振る舞うもの、訪れなくなる夜が続く。

では3/25に。


源氏物語を読んできて(913)

2011年03月21日 | Weblog
2011.3/21  913

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(90)

「何人かは、かかるさ夜中に雪を分くべき、と、大徳たちも驚き思へるに、宮、狩の御衣にいたうやつれて、濡れ濡れ入り給ふなりけり」
――いったい誰がこんな真夜中を雪を踏み分けておいでになるとは、と、僧たちも驚いていますと、匂宮が狩衣姿もひどくおやつしになって、ずぶ濡れになってお着きになったのでした――

 門を叩かれるのが、匂宮のお出でらしいとお聞きになって、薫は、

「隠ろへたる方に入り給ひて、しのびておはす。御忌は日数のりたりけれど、心もとなくおぼしわびて、夜一夜雪にまどはされてぞおはしましける」
――物陰にお隠れになっていらっしゃいます。四十九日までにはまだ日数があるのでしたが、匂宮は待ち遠しく、いらいらされて、一晩中雪に悩まされながらお出でになったのでした――

 匂宮の御訪問に、中の君は、

「日頃のつらさも紛れぬべき程なれど、対面し給ふべき心地もせず、おぼし歎きたるさまのはづかしかりしを、やがて見なほされ給はずなりにしも、今より後の御心あらたまらむは、かひなかるべく思ひしみてものし給へれば、」
――今までの辛さも紛れそうな時分に違いない頃ですが、対面なさるご気分にはなれず、大君がこの匂宮の無情を歎かれたご様子が痛々しく、それとても、そのままお心を安らかにおなりになることもなく亡くなってしまわれたことを思いますと、これから先、匂宮のお心が改まったところで、何になりましょう。いまさら、と、深く思っておいでになります――

「誰も誰もいみじうことわりをきこえ知らせつつ、物越しにてぞ、日頃のおこたりつきせずのたまふを、つくづくと聞き居給へる」
――侍女の誰もが、「是非ご対面されますように」と言葉をつくしてお勧めもうしあげますので、しかたなく中の君は物越しにお逢いになります。匂宮が今までの御無沙汰を長々と言われますのを、じっとお聞きになっておられます――

「これもいとあるかなきかにて、後れ給ふまじきにや、ときこゆる御けはひの心ぐるしさを、うしろめたういみじ、と、宮もおぼしたり」
――こちらの中の君も消え入りそうなご様子で、姉君の後をお追いになるのではあるまいかと思われるほど、痛々しげでいらっしゃるのを、匂宮はたまらなく不安で悲しくお思いになるのでした――

◆大徳(だいとこ)=「だいとく」の転。 徳高く行いの清い僧、転じて単に僧侶。

◆写真:総角ゆかりの立て札


では3/23に。


源氏物語を読んできて(912)

2011年03月19日 | Weblog
2011.3/19  912

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(89)

「人々近う呼び出で給ひて、御物語などせさせ給ふけはひなどの、いとあらまほしう、のどやかに心深きを、見たてまつる人々、若きは、心にしめて、めでたしと思ひたてまつる」
――(薫が)侍女たちを近くに呼び寄せて、物語をなさるそのご様子の、めったに拝見できないほどの優雅で思慮深くおいでになるのをお見上げ申している中でも、特に若い侍女たちは、本当にご立派な御方であるとお誉め申し上げています――

 老女たちは、

「御心地の重くならせ給ひしことも、唯この宮の御事を、思はずに見たてまつり給ひて、人笑へにいみじ、とおぼすめりしを、さすがにかの御方には、かく思ふと知られたてまつらじ、と、ただ御心ひとつに世を恨み給ふめりしほどに、はかなき御菓物をもきこしまし触れず、ただ弱りになむ弱らせ給ふめりし」
――大君が重態に陥られましたのも、ただただ、匂宮のことを心外にお思い申されて、人聞き悪く悲しいと思っておられましたご様子でしたが、中の君には、このように心配しているとは知られまいとお思いになって、ただご自分のお心の裡ひとつにお恨み申しておいでになっておられて、ちょっとした水菓子でさえもお召しにならず、ただただ弱りに弱っていかれたのです――

「上べには、何ばかりことごとしく物深げにももてなさせ給はで、下の御心のかぎりなく、何事もおぼすめりしに、故宮の御戒めにさへたがひぬること、と、あいなう人の御上をおぼし悩みそめしなり」
――表面上は、別段たいそうご心配そうにはしておられませんでしたが、お心の裡では、何事にも慎重にお心遣いされておられましたのに、亡き父宮のご遺言にまで背いてしまったことよと、ひたすら思い悩まれて、中の君の御身の上のことで御煩悶なさりはじめたのございましたよ――

 と、薫に申し上げて、折々大君がお口になさったことなどを、思い出すまま侍女たちはお互いに話し合っては、皆いつまでも泣きくれています。

 薫は、

「わが心から、あぢきなきことを思はせたてまつりけむこと、と、取り返さまほしく、なべての世もつらきに、念誦をいとあはれにし給ひて、まどろむ程なくあかし給ふに、まだ夜深き程の雪のけはひいと寒げなるに、人々声あまたして、馬の音きこゆ」
――自分のために大君につまらない物思いをおさせしたことよ、と、昔を取り戻せるものなら取り戻したいと、何かにつけて世の中が恨めしいので、いよいよお心を込めて御念誦に励まれて、一睡もせず夜を明かしてしまいそうな時刻の、夜がすっかり深まって降りしきる雪も寒々とした折から、大勢の人声がして、馬の音が聞こえてきます――

◆絵:中世の宇治川

では3/21に。


源氏物語を読んできて(911)

2011年03月17日 | Weblog
2011.3/17  911
四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(88)

 「雪のかきくらし降る日、ひねもすにながめくらして、世の人のすさまじき事にいふなる十二月の月夜の、くもりなくさし出でたるを、簾巻きあげて見給へば、むかひの寺の鐘の声、枕をそばだてて、今日も暮れぬ、と、かすかなるを聞きて」
――雪が絶え間なく降る寒い日、薫は一日中物思いに過ごされていましたが、夜に入って、世間では殺風景なものの例に引く十二月の月が、隈なくさし出てきましたので、白氏文集にあるように、簾を巻き上げてご覧になりますと、丁度冴え渡った月影に、向こうの寺の鐘の音が、今日も暮れてしまった、と、いうようにかすかに響いてきましたので――

(歌)「おくれじと空ゆく月をしたふかなつひにすむべきこの世ならねば」
――大君の後を追って私も死んでしまいたい。永久に生きていられるこの世ではないのだから(大君を月にたとえる)――

 この山荘の風情は、京の御殿のすばらしく磨き立てた所でも、これほどではあるまいと感慨深く、いっそう大君が甦っておいでになられたなら、ご一緒に心ゆくまでこの景色を語り合いたいものと、思いつづけておられますと、たまらなく恋しさが胸に溢れてきて、

(歌)「恋いわびて死ぬる薬のゆかしきに雪の山にやあとを消なまし」
――恋しさのあまり死ぬという薬が欲しいので、経文にいう薬草の多い雪の山(ヒマラヤ山)にでも分け入りたい――

 薫はお心の中で、

「半ばなる偈教えけむ鬼もがな、ことつけて身もなげむ」
――そういえば、尊い経文にあるように、(釈迦如来がその前世、雪山童子として修業中、羅刹(らせつ)が現れ、偈(げ)を半ばまで教えて口をつぐんだ。その先を尋ねると、
「ひもじくて言えない。人の血と肉が欲しい」という。そこでわが血と肉を与える約束をして、やっと残りの偈(げ)を得たが、童子は約束どおり谷に身を投げた)ここでそのような羅刹でも現れてくれたなら、それにかこつけて、わが身も投げように――

「とおぼすぞ、心きたなき聖心なりける」
――などと、あらぬ事をお思いになりますが、あちらは仏法の修行のため、こちらは恋のため、なんとも汚れた求道心であることよ――
 
◆すさまじき=凄まじ=興ざめ。寒々としている。荒涼としている。当時の人は十二月を不興な事の例にした。

◆簾巻きあげて(みすまきあげて)=白氏文集十六「遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き、香炉峰の雪は簾(すだれ)をかかげてみる」とある。

◆偈(げ)=仏教語で、梵語の音訳「偈陀(げだ)」の略。仏の徳又は教えなどを賛美する韻文体の経文。

◆写真:宇治にある総角(あげまき)ゆかりの碑

では3/19に。


源氏物語を読んできて(910)

2011年03月15日 | Weblog
2011.3/15  910

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(87)

「ゆるし色の氷解けぬかと見ゆるを、いとどもらしそへつつながめ給ふさま、いとなまめかしうきよげなり」
――(薫のご衣裳の)薄紅の色が、氷の光るように艶やかなお袖を、いよいよ涙にぬらしながら、物思いに沈まれておいでになるお姿は、まことになまめかしく清らかでいらっしゃいます――

 侍女たちが物の透き間からお覗きして、

「いふかひなき御事をばさるものにて、この殿のかくならひたてまつりて、今はとよそに思ひきこえむこそ、あたらしくくちをしけれ。おもひの外なる御宿世にもおはしけるかな。かく深き御心の程を、かたがたにそむかせ給へるよ」
――大君の亡くなられたことを、今更申し上げても仕方がありませんが、薫の君をこうして親しくお馴れ申してきて、もうこれきり、よその御方にしてしまいますのは、ほんとうに勿体なく残念なことです。これもままならぬ宿世というものなのでしょうか。これほど深いお心でいらっしゃったのに、お二人ともお応えにならなかったなんて、なんとまあ――

 と、泣き合っています。

薫は中の君に対しては、侍女をとおして、

「昔の御形見に、今は何事もきこえ承らむ、となむ思ひ給ふる。うとうとしくおぼし隔だづな」
――亡き大君のお形見として、今は何事も申し上げ、また承りとう存じます。よそよそしく隔てなどお置きくださいますな――

 と、お伝え申し上げますが、中の君は、何もかも不幸な身の上だったと気後れなさっていて、まだ薫とご対面してお話などもなさらないのでした。
薫はお心のうちで、

「この君は、けざやかなる方に、いま少し兒めき、気高くおはするものから、なつかしく匂ひある心ざまぞ、劣り給へりける」
――中の君は、はっきりした性質で、大君よりも子供っぽいながら、上品でいらっしゃるものの、しっとりと滲み出る味わい深いお人柄という点では、やはり見劣りがする――

 と、何かにつけてお思いになるのでした。

◆ゆるし色=許し色=だれでも自由に着用することができた衣服の色。禁色(きんじき)に対する。

◆禁色(きんじき)とは、衣服に使用を禁じた色の意で、位階によって袍の色に規定があった。天皇・皇族以外の者は、梔子(くちなし)色、黄丹(きあか)色、赤色、青色、深紫色、深緋(ふかひ)色、深蘇芳(ふかすおう)色の七色を禁じられた。ただし、天皇の許可があった人は着用できた。それを「色許さる」という。
七色でも薄い色はゆるされたので、「ゆるし色」といった。この場面の薫の衣は薄紅である。

◆いとどもらしそへつつながめ給ふさま=いとど・もらし・そへつつ・ながめ・給ふさま。

◆写真は深緋(ふかひ)色、これを薄くしたのが薫の衣裳の色。

では3/17に。