2011.3/17 911
四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(88)
「雪のかきくらし降る日、ひねもすにながめくらして、世の人のすさまじき事にいふなる十二月の月夜の、くもりなくさし出でたるを、簾巻きあげて見給へば、むかひの寺の鐘の声、枕をそばだてて、今日も暮れぬ、と、かすかなるを聞きて」
――雪が絶え間なく降る寒い日、薫は一日中物思いに過ごされていましたが、夜に入って、世間では殺風景なものの例に引く十二月の月が、隈なくさし出てきましたので、白氏文集にあるように、簾を巻き上げてご覧になりますと、丁度冴え渡った月影に、向こうの寺の鐘の音が、今日も暮れてしまった、と、いうようにかすかに響いてきましたので――
(歌)「おくれじと空ゆく月をしたふかなつひにすむべきこの世ならねば」
――大君の後を追って私も死んでしまいたい。永久に生きていられるこの世ではないのだから(大君を月にたとえる)――
この山荘の風情は、京の御殿のすばらしく磨き立てた所でも、これほどではあるまいと感慨深く、いっそう大君が甦っておいでになられたなら、ご一緒に心ゆくまでこの景色を語り合いたいものと、思いつづけておられますと、たまらなく恋しさが胸に溢れてきて、
(歌)「恋いわびて死ぬる薬のゆかしきに雪の山にやあとを消なまし」
――恋しさのあまり死ぬという薬が欲しいので、経文にいう薬草の多い雪の山(ヒマラヤ山)にでも分け入りたい――
薫はお心の中で、
「半ばなる偈教えけむ鬼もがな、ことつけて身もなげむ」
――そういえば、尊い経文にあるように、(釈迦如来がその前世、雪山童子として修業中、羅刹(らせつ)が現れ、偈(げ)を半ばまで教えて口をつぐんだ。その先を尋ねると、
「ひもじくて言えない。人の血と肉が欲しい」という。そこでわが血と肉を与える約束をして、やっと残りの偈(げ)を得たが、童子は約束どおり谷に身を投げた)ここでそのような羅刹でも現れてくれたなら、それにかこつけて、わが身も投げように――
「とおぼすぞ、心きたなき聖心なりける」
――などと、あらぬ事をお思いになりますが、あちらは仏法の修行のため、こちらは恋のため、なんとも汚れた求道心であることよ――
◆すさまじき=凄まじ=興ざめ。寒々としている。荒涼としている。当時の人は十二月を不興な事の例にした。
◆簾巻きあげて(みすまきあげて)=白氏文集十六「遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き、香炉峰の雪は簾(すだれ)をかかげてみる」とある。
◆偈(げ)=仏教語で、梵語の音訳「偈陀(げだ)」の略。仏の徳又は教えなどを賛美する韻文体の経文。
◆写真:宇治にある総角(あげまき)ゆかりの碑
では3/19に。