永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(153)その1

2016年11月29日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (153) その1  2016.11.29

「十八日に、清水にまうづる人に、又しのびてまじりたり。初夜はててまかづれば、時は子ばかり。もろともなる人のところに帰りて、ものなどものするほどに、ある者ども、『この乾の方に火なん見ゆるを、出でて見よ』などいふなれば、『もろこしぞ』などいふなり。ここちには、なほ苦しきわたりなどおもふほどに、人々『かうの殿なりけり』と言ふに、いとあさましういみじ。わが家も築土ばかりへだてたれば、さわがしう、若き人をもまどはしやしつらん、いかで渡らんとまどうふにしも、車のすだれはかけられけるものかは、からうじて乗りて来しほどに、みな果てにけり。」

◆◆十八日に、清水寺に参詣する人に、又そっと同行して出かけました。初夜の勤行が終わってお寺を下がると、時刻は真夜中でした。一緒に参詣した人の家に帰って、食事などをしているところに、従者たちが、「この西北の方角に火の手が見えるから、出て見てご覧」などと言うと、「唐土(もろこし)だよ」などと言っています。内心ではもしや気になる方角だと思っていると、人々が「長官殿でした」と言うので、すっかり気も転倒してしまいました。我が家は築地をへだてただけの距離のところなので、きっと若い人たちを戸惑わせていることだろう、なんとか早く帰らねばと、あわてふためいて、車の簾をかけるひまもなく、やっとのことで乗って帰宅すると、その時には何もかも済んでしまっていた。◆◆



「わが方は残り、あなたの人もこなたに集ひたり。ここには大夫ありければ、いかに、土にや走らすさんと思ひつる人も車に乗せ、門強うなどものしたりければ、らうがはしきこともなかりけり。あはれ、男とてよう行ひたりけるよと、見聞くもかなし。」

◆◆私の家は焼け残り、あちらの人も私の所に集まっていました。この家には大夫(道綱)がいましたので、もしや、土の上を裸足でうろたえている娘も車に乗せ、門をしっかり閉めなどしたので、乱暴泥棒などのことはありませんでした。よくぞ道綱は一人前の男としてよくやってくれたことよと、見聞きするにつけても胸がいっぱいになりました。◆◆



「渡りたる人々は、ただ『命のみわづかなり』となげくまに、火しめりはててしばしあれど、とふべき人はおとずれもせず、さしもあるまじきところどころよりもとひつくして、このわたりならんやのうかがひにて、いそぎみえし世世もありしものを、ましてもなりはてにけるあさましさかな、『さなん』と語るべき人は、さすがに雑色や侍やと聞き及びける限りは語りつと聞きつるを、あさましあさましと思ふほどにぞ、門たたく。」

◆◆我が家に非難した人々は、ただ、「命からがらでした」と嘆いていましたが、そのうちに火事もすっかり収まって、しばらくたったけれど、見舞いにくるはずのあの人は姿を見せず、特に見舞わねばならない筋合いでもなさそうな人々からも、みな見舞いがあて、以前は火事はこの辺ではないかと様子を見に、急いで駆けつけてくれた時代もあったのに、まったく薄情になってしまったことか。兼家に火事のことを「これこれ」と報告すべき人は、本邸の雑色とか侍とか、かねて聞き及んでいた限りの者全部に知らせたということなのに、まあ、あきれた、あきれたことと思っているときに、門をたたく音がします。◆◆


■子(ね)=夜十一時~一時ごろ。真夜中。


蜻蛉日記を読んできて(152)

2016年11月26日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (152)  2016.11.26

「三月になりぬ。木の芽、雀隠れになりて、祭りのころおぼえて、榊、笛恋ひしう、いとものあはれなるにそへても、音なきことをなほおどろかしけるもくやしう、例の絶えまよりも安からずおぼえけんは、なにの心にかありけん。」

◆◆三月になりました。木の芽が繁って、雀が隠れるほどになり、賀茂の祭りの頃の時候で、榊や笛の音がなつかしくしのばれて、感傷的な気持ちになるにそえて、あの人からは何も音沙汰がないのに、こちらから歌を送ったりしたこともいまいましく、いつもの絶え間よりも落着いていられないのは、どういう心持ちだったのでしょう。◆◆



「この月七日になりにけり。今日ぞ『これ縫ひて。慎むことありてなん』とある。めづらしげもなければ、『給はりぬ』など、つれなうものしけり。昼つ方より、雨のどかにはじめたり。」

◆◆そしてこの月も七日になってしまいました。今日、「これを縫ってほしい。慎むことがあって伺えないが」と言ってきました。こういうことは珍しくもないことなので、「いただきました」などと、つれなく返事をしました。昼ごろから雨がのどかに降り始めました。◆◆



「十日、朝廷は八幡の祭りのこととののしる。我は、人のまうづめるところあめるに、いとしのびて出でたるに、昼つ方帰りたれば、あるじの若き人々、『いかでもの見ん。まだ渡らざなり』とあれば、帰りたる車もやがて出だし立つ。」

◆◆十日、朝廷は石清水の臨時の祭りのことで大騒ぎです。私は、知人が物詣をするようなので、いっしょにごくこっそりと出かけたのですが、昼ごろ帰ってくると、留守居の主人役をしていた若い人(道綱と養女)が、「行列を是非見たい。まだ通らないそうです」と言うので、帰ってきた車もそのまま出させました。◆◆



「又の日、かへさ見んと人々のさわぐにも、心ちいと悪しうて臥し暮らさるれば、見ん心ちなきに、こらかれそそのかせば、ただ檳榔ひとつに四人ばかり乗りて出でたり。冷泉院の御門の北のかたにたてり。こと人おほくも見ざりければ、人ごこちして立てれば、とばかりありて渡る人、わが思ふべき人も陪従ひとり、舞人にひとりまじりたり。
このごろ、ことなることなし。」

◆◆翌日は、還り立ちの行列を見ようと、人々が騒いでいるけれども、私は気分がすぐれず横になっていて、見物に出かけるつもりもなかったのに、周りのだれかれが勧めるので、ただ檳榔毛の車一台に四人ほど乗って出かけました。車を冷泉院の御門の北側に止めました。それほど人も多くなかったので、気分も平常にもどって、そこに止まっていると、しばらくして行列が来て、私が目をかけているいる人も陪従(べいじゅう)に一人、舞人に一人混じっていました。このところ、別に変わったことはなくすぎている◆◆



■雀隠れ=美しい言葉である。雀の姿がかくれるくらいに木の葉などが繁ることをいう。

■祭りのころ=賀茂の祭り。四月、中の酉の日におこなわれる。この年の賀茂祭は十七日が斎院の禊、二十日が祭日であった。たまたまこの年閏二月があったので、三月になると四月ごろの季節感があったのであろう。

■八幡の祭り=石清水八幡宮の臨時祭

■あるじの若き人々=道綱と養女

■かへさ=八幡からの帰りの行列。

■檳榔(びろう)=檳榔毛の車の略。びろう(やし科の亜熱帯性高木)の葉を細かく割いて糸のようにし、車の箱の屋根をふき、左右の側にも押し付けたもの。上皇、親王、大臣以下、公卿、女官、僧侶、また相当な身分の女子なども用いる。


蜻蛉日記を読んできて(151)

2016年11月23日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (151)  2016.11.23

「十六日、雨の脚いと心ぼそし。
明くれば、この寝るほどにこまやかなる文みゆ。『今日は方ふたがりたりければなん。いかがせん。』などあべし。返りごとものして、とばかりあれば、みづからなり。日も暮れがたなるを、あやしと思ひけんかし。夜にいりて『いかに、御幣をやたてまつらまし』など、やすらひのけしきあれど、『いと用ないことなり』など、そそのかし出だす。あゆみいづるほどに、あいなう『夜数にはしもせじとす』としのびやかに言ふを聞き、『さらばいとかひなからん。異夜はありと、かならず今宵は』とあり。それもしるく、その後おぼつかなくて、八九日ばかりになりぬ。」

◆◆(二月)十六日、雨脚がとても心細い。夜が明けると、私がまだ寝ているころに、あの人から心細やかな手紙がきました。「今日はそちらへの方角が塞がったので、どうしたらよいだろう」などとあったっけ。返事を出してしばらくすると、ご本人がやってきました。日も暮れ方なのに、どうも私はおかしいと思ったことでした。夜になって、「どうしよう。幣帛(へいはく)を天一の神様に奉って泊まるお許しを得ようか」などと、帰りを渋っている様子であるけれど、「そんなことをしても何にもなりませんよ」といって、送り出しました。部屋を出て行くときに私がつい、「今夜は訪れの数には入れないでおきましょう」と
そっと言うのを聞きつけて、「それでは、禁忌を犯して来た甲斐がないというものだ、他の夜はとにかく、今夜は是非とも」などと言いました。それもそのとおり案の定その後は音沙汰なくて、八、九日ばかり経ってしまったのでした。◆◆


「かく思ひ置きて、『数には』とありしなりけりと思ひあまりて、たまさかにこれよりものしけること、
<片時にかへし夜数をかぞふれば鴫のもろ羽もたゆしとぞ鳴く>
返りごと、
<いかなれや鴫の羽がきかずしらず思ふかひなき声に鳴くらん>
とはありけれど、おどろかしくてもくやしげなるほどをなん、いかなるにかと思ひける。
このごろ、庭もはらに花ふりしきて、海ともなりなんと見えたり。
今日は廿七日、雨昨日のゆふべよりくだり、風残りの花を払ふ。」

◆◆当分来ないつもりで「夜数に入れよ」と言ったのかと思うと黙っていられなくて、めずらしくこちらから送った歌は、
(道綱母の歌)「短い時間の訪れと引き換えに、あなたが来なくなった夜の数は、鴫(しぎ)が両羽を搔いて数えても悲鳴をあげるほど多い。私は数多い夜離れに泣くばかりです。」
返事には、
(兼家の歌)「どうしてだろう、鴫の羽搔きのようにいつもいつも思っている。その甲斐も泣くあなたが泣いているというのは」
と言って寄こしたけれど、このように自分から送った歌に却って後悔するような羽目になるなんて、どうしてこんなことになるのかと思うのでした。
今日は二十七日、雨が昨日の夕べから降り続いていて、風が枝に残っていた花を拭き払ってしまうのでした。◆◆



蜻蛉日記を読んできて(150)

2016年11月20日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (150) 2016.11.20

「十日、賀茂へまうず。『しのびてもろともに』といふ人あれば、『なにかは』とて詣でたり。いつもめづらしき心ちするところなれば、今日も心ばはる心ちす。田墾しなどするも、かうしひけるはと見ゆ。紫野どほりに北野にものすれば、沢にもの摘む女、わらはべなどもあり。うちつけに、ゑぐ摘むかとおもへば、裳裾おもひやられけり。船岡うちめぐりなどするも、いとをかし。」

◆◆十日、賀茂の神社にお参りをしました。「こっそりとご一緒にいかが」と誘う人があったので、「参りましょう」といって参詣しました。いつも清新な感じのするところなので、今日も心がのびやかになる。田を耕している人もよくこのように無理をして働いているものよと見たりして、紫野を通って、北野に行くと、沢で何かを摘んでいる女や子どもがいます。見た瞬間に、えぐを摘んでいるのかと思うと、裳裾がさぞかし濡れることだろうと思いやられます。船岡山を回ったりするのもたいそう面白かった。◆◆



「暗う家に帰りて、うち寝たるほどに、門いちはやくたたく。胸うちづぶれてさめたれば、思ひのほかにさなりけり。心の鬼は、もし、ここ近きところに障りありて、返されてにやあらんと思ふに、人はさりげなけれど、うちとけずこそ思ひ明かしけれ。つとめて、すこし日たけて帰る。さて五六にちばかりあり。」

◆◆暗くなって家に帰ってぐっすり寝ているところへ、門をひどくうち叩く音がします。びっくりして目をさますと、なんとあの人でした。疑心暗鬼にもしかして、近くの女に差し障りがあって返されてきたのかしらと思ったので、あの人はそんなそぶりは見せなかったけれど、私は打ち解けずに夜を明かしたのでした。翌朝、すこし日が登ってから帰り、そのまま、五、六日ほど経ってしまったのでした。◆◆

■しひけるは=体が麻痺するほどの重労働をする意。


蜻蛉日記を読んできて(149)

2016年11月16日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (149) 2016.11.17

「閏二月のついたちの日、雨のどかなり。それよりのち天晴れたり。
三日、方あきぬと思ふを、音なし。
四日もさて暮れぬるを、あやしと思ふ思ふ寝て聞けば、夜中ばかりに火のさわぎをするところあり。『近し』と聞けど物うくて起きもあがられぬを、これかれとふべき人、徒歩からあるまじきもあり。それにぞ起きて出でて答へなどして、『火しめりぬめり』とてあかれぬれば、入りてうち臥すほどに、先追ふ者、門にとまる心ちす。あやしと聞くほどに『おはします』と言ふ。」

◆◆閏二月の一日の日、雨がのどかに降る。それから後晴れ。
三日、方角が開いたというのに、あの人からの消息がありません。
四日もそのまま暮れてしまったので、不思議だと思い思い寝ていると、夜中に火事騒ぎをする家がありました。「近い」と聞くけれど、億劫で起き上がりもせずにいると、あれこれ見舞いに来るべき人、徒歩ではとても来られないと思う人までが来ました。それでやっと起きて応対などしていますと、「どうやら火事も収まったようですから」と言って見舞いの客らも帰って行ったので、奥に入って横になっていると、先払いの者が門口に止まる様なきがしました。変だと思って侍女に聞くと、「殿がお越しです」と言います。◆◆



「ともし火の消えて、はひ入るに暗ければ、『あな暗、ありつるものをたのまれたりけるにこそありけれ。近き心ちのしつればなん。今は帰りなんかし』と言ふ言ふうち臥して、『宵よりまゐりこまほしうてありつるを、男どもも皆まかり出にければ、えものせで。昔ならましかば、馬にはひ乗りてもものしなまし。なでふ身にかあらむ、何ばかりのことあらばかくて来なんなど思ひつつ寝にけるを、かうののしりつればいとをかし。あやしうこそありつれ』など、心ざしありげにありけり。明けぬれば『車など、異様ならん』とて、いそぎ帰られぬ。
六七日、物忌みときく。
八日、雨ふる。夜は石の上の苔くるしげにきこえたり。」

◆◆灯火が消えて、入るのに暗いので、あの人は、「ああ、真っ暗だ。さっきの火事の明かりを当てにしていたのだな。火事が近いようなので来て見た。鎮まったようだから帰ろうかな」などと言い言いして横になって、「宵から参ろうと思っていたのだが、供の者どもがみな退出してしまったので、出かけられず、昔だったら馬に乗ってでも来たろうに、なんという窮屈な身だろうか、どれほどのことがあれば、これこれだと飛んでこられよう、などと思いながら寝てしまったが、こんな騒ぎがおきたのだから、実際おもしろいものだ。不思議な気がしたね」などと言って、気を使ってくれている様子でした。夜が明けると、「車などぶざまな格好だろうから」と言って帰って行きました。◆◆

■車など、異様ならん=昨夜の騒ぎで、粗末な車に乗ってきたので。


蜻蛉日記を読んできて(148)その2

2016年11月14日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (148)その2  2016.11.14

「またの日を思ひたれば、又南ふたがりにたり。『などかは、さは告げざりし』とあれば、『さ聞こえたらましかば、いかがあるべかりける』とものすれば、『違へこそはせましか』とあり。『思ふこころをや今よりこそは心みるべかりけれ』など、なほもあらじに誰もものしけり。小さき人には手ならひ、歌よみなど教へ、ここにてはけしうはあらじを思ふを、『おもはずにてはいと悪しからん。いまかしこなるともろともにも裳着せん』など言ひて、日暮れにけり。「おなじうは院へまゐれん」とて、ののしりて出でられぬ。」

◆◆次の日を考えてみると、又南の方角が塞がっていました。あの人が「どうして、そうと告げなかったのだ」と言うので、「そう申し上げましたなら、どうなさるおつもりでしたか」と尋ねると、「方違えをしただろうよ」と言います。「あなたのお心のうちをこれからはいちいち確かめてみなければなりませんね」などと、どちらも引っ込んでいられないとばかり、お互いに言い合ったのでした。この小さき娘には手習いや和歌などを教え、私の許ではそう不足はあるまいと思うけれど、あの人は「期待はずれの思いをさせてはまずかろう。本宅の娘(詮子か)と一緒に裳着の式をあげよう」などと言っているうちに、日が暮れてしまいました。「同じことなら(同じ方違えをするなら)院へ参ろう。」と言って、声高く先払いをさせて出て行かれました。◆◆



「このごろ空のけしきなほりたちて、うらうらとのどかなり。あたたかにもあらず、さむくもあらぬ風、梅にたぐひて鶯の誘ふ。にはとりの声などさまざまなごうきこえたり。屋の上をながむれば、巣くふ雀ども、瓦の下をいで入りさへづる。庭の草、氷にゆるされ顔なり。」

◆◆このごろは、空模様もすっかりよくなって、うらうらとのどかです。暖かくもなく、寒くも無い風が、梅の香りを運んでいって、山の鶯を里に誘いだしています。鶏の声などさまざま和やかに聞こえてきます。屋根の上を眺めると、巣を作っている雀どもが、瓦の下を出たり入ったりしてさえづっています。庭の草は氷から開放されてうれしそうな顔を出しています。◆◆
  


■南ふたがり…=兼家邸は作者邸からは南、東三条殿と推定される。

蜻蛉日記を読んできて(148)その1

2016年11月10日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (148)その1  2016.11.10

「さて廿五日の夜、宵うちすぎてののしる。火の事なりけり。『いと近し』などさわぐを聞けば、憎しと思ふ所なりけり。その五六日は例の物忌みときくを、『御門の下よりなん』とて文あり。なにくれとこまやかなり。今はかかるもあやしと思ふ。七日は方ふたがる。」

◆◆さて、二十五日の夜、宵を過ぎた頃大騒ぎになった。火事だという。「とても近所です」などと侍女たちが騒いでいるのを聞くと、あの憎たらしいと思っている近江の女の所でした。その二十五、六日ごろは例によってあの人は物忌みだと聞いていたけれど、「ご門の下からこれが」と言って手紙がありました。なんと細やかな文面で、今ではこんな手紙を寄こすのはと怪訝な気持ちだこと。二十七日は本低からこちらの方角が塞がったのでした。◆◆



「八日の日、未の時ばかりに、『おはします おはします』とののしる。中門おしあけて車ごめ引き入るるを見れば、御前の男どもあまた轅につきて、簾まきあげ、下簾左右おしはさみたり。榻もてよりたれば、下り走りて、紅梅のただいま盛りなる下よりさしあゆみたるに、にげなうもあるまじううち見上げつつ、『あなおもしろ』と言ひつつあゆみのぼりぬ。」

◆◆二十八日の日、未(午後一時から二時ごろ)の時刻ごろに「いらっしゃいます、いらっしゃいます」と侍女たちが騒いでいます。中門を押し開けてそのまま車ごと引き入れるのを見ると、先駆の男どもが大勢轅(ながえ)にとりついて、車の簾を巻き上げ、下簾は左右に開けて、わきに挟んでいます。供の者が榻(しじ)を持って近寄りますと、あの人はさっと降りて紅梅の今が盛りの下をゆったりと足を運ぶその姿が、いかにも盛りの花に似つかわしく、声を張り上げて「あなおもしろ」と言いながら、部屋に上がってきました。◆◆

■憎しと思ふ所=兼家の新しい通い所。近江の女

■御門の下より=物忌み中の手紙なので堂々とは届けられない。作者邸の門の下からそっと渡すのである。

■車ごめ=車ごと。兼家を乗せた車ごと。

■「あなおもしろ」=歌謡の一節であろうか。


蜻蛉日記を読んできて(147)その8

2016年11月07日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (147)その8 2016.11.7


「見て、『あはれ、いとらうたげなめり。誰が子ぞ、なほ言へ、言へ』とあれば、恥なかめるを、さはれ、あらはしてむと思ひて、『さは、らうたしと見給まふや、きこえてん』と言へば、まして責めらる。」

◆◆あの人が見て、「ああ、ほんとうに可愛らしいね。いったい誰の子か。言いなさい、言いなさい」と言うので、この子の素性を話しても恥にはならないだろうと、それでははっきりと打ち明けてしまおうと、「では、この子をいとおしいとお思いですか。それでは申し上げましょう」と言うと、ますます責められる。◆◆


「『あなかしがまし、御子ぞかし』と言ふにおどろきて、『いかにいかに、いづれぞ』とあれど、とみに言はねば、『もしささの所にありと聞きしか』とあれば、『さなめり』とものするに、『いといみじきことかな。今ははふれ失せにけんとこそ見しか。かうなるまで見ざりけることよ』とてうち泣かれぬ。」

◆◆私が、「まあうるさこと、あなたの御子さんですよ」と言うのにびっくりして、「なに、何だって。どちらのだ」と言うけれど、わたしがすぐには答えないでいると、「もしかしたら、これこれのところに生まれたと聞いたその子か」と言うので、「そのとおりです」と言いますと、「ああ、なんと意外なことか。今は落ちぶれてどこに居るのか分らなくなってしまっていると思っていたのに。こんなに大きくなるまで見なかったことよ」と言って、思わず涙を落としました。◆◆



「この子もいかに思ふにかあらん、うちうつぶして泣きゐたり。みる人もあはれに、昔物語のやうなれば、みな泣きぬ。単衣の袖あまたたび引きいでつつ泣かるれば、『いとうちつけにも、ありきには今は来じとするところに、かくていましたること。我ゐていなん』などたはぶれ言ひつつ、夜ふくるまで泣きみ笑ひみして、みな寝ぬ。」

◆◆この子もどう思ったのでしょう。打つ臥して泣いていました。側の侍女たちも胸打たれて、全く昔物語のような話にみな泣いてしまったのでした。私も単衣の袖を引っ張り出しては泣けていると、あの人は、「まったく寝耳に水で、こちらにはもう来るまいと思っているところに、こんな可愛い子が来られたとは。私が連れて行こう」などと、冗談を言いつつ、夜が更けるまで泣いたり笑ったりして、みな寝ました。◆◆



「つとめて、帰らんとして呼び出だして、見て、いとらうたがりけり。『今ゐていなん、車よせばふと乗れよ』とうち笑ひて出でられぬ。それよりのち、文などあるには、かならず、『小さき人はいかにぞ』など、しばしばあり。」

◆◆翌朝、あの人が帰ろうとして、あの子を呼んで、見ては、かわいがっていました。「そのうちに連れて行こう。車を寄せたら、さっとお乗りなさい」と笑いながら行って出て行かれました。それから後は、お手紙などあるときは決まって、「あの小さい人はどうしているかね」などと、しばしば書いて寄こしていました。◆◆



蜻蛉日記を読んできて(147)その7

2016年11月04日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (147)その7  2016.11.4

「今日めづらしき消息ありつれば、『さもぞある、行き合ひては悪しからん、いと疾くものせよ。しばしはけしき見せじ、すべてありやうにしたがはん』など定めつるかひもなく、先だたれにたれば、いふかひなくてあるほどに、とばかりありて来ぬ。」
 
◆◆今日、あの人からめづらしく手紙が届いたので、「今日見えるかも知れないけれど、ああ困ったこと、かち合ってはまずいでしょう。急いで行って連れてきなさい。当分の間、このことは内緒にしておきたいの。でもすべては成り行きにまかせましょう」などと決めていた甲斐も無く、あの人の方が先に見えてしまったので、仕方がないと思っているうちに、大夫(道綱)の一行が帰ってきたのでした。◆◆



「『大夫はいづこに行きたりつるぞ』とあれば、とかう言ひ紛らはしてあり。日ごろも、かく思ひまうしかば、『身の心ぼそさに、人の捨てたる子をなん取りたる』などものし置きたれば、『いで、見ん。誰が子ぞ。我いまは老いにたりとて、若人求めて我を勘当したまへるならん』とあるに、いとをかしうなりて、『さは見せたてまつらん。御子にし給はんや』とものすれば、『いとよかなり。させん、なほなほ』とあれば、我もとういぶかしさに呼び出でたり。」

◆◆あの人が、「大夫はどこに行っていたのか」と尋ねるけれど、何とかかんとか言い紛らしておきました。かねてからこんな場合のこともあるかと思って、「心細い身の上ですので、男親の見捨てている子を迎えることにしました」などと言い置いていましたので、あの人は、「どれ、見たいものだ。いったい誰の子か。わたしが今は年取ったからといって、若い人をみつけてわたしを捨てようとするのだろう」などと言うので、可笑しくなって、「それでは、お見せ申し上げましょう。ご自分の子になさいますか」と言いますと、「それは良い。そうしよう。さあ早く見せなさい」というので、私も先ほどから気になっていましたので、呼び出しました。◆◆



「聞きつる年よりもいと小さう、いふかひなく幼げなり。近う呼びよせて、『立て』とて立てたれば、丈四尺ばかりにて、髪は落ちたるにやあらん、裾そぎたる心ちして丈に四寸ばかりぞたらぬ、いとらうたげにて、かしらつきをかしげにて様体いとあてはかなり。」

◆◆その子は聞いていた年よりもたいそう小柄で、それはそれは子ども子どもしています。近くに来させて、「立ってごらん」と立たせますと、身の丈は四尺くらいで、髪は抜け落ちのであろうか、裾の方を削いだようで、身の丈に四寸ほど足りません。とてもいじらしく髪の具合も美しく、姿かたちがたいそう上品です。◆◆

■一尺=約33センチ。 一尺は十寸

■様体(やうだい)=体つき、姿


蜻蛉日記を読んできて(147)その6

2016年11月01日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (147)その6  2016.11.1

「それより後もふたたびばかり文ものして、こと定まり果てぬれば、この禅師たちいたりて、京に出だしたてけり。ただ一人いだしたてけんも、思へばはかなし。おぼろげにてかくあらんや、ただ親もし見給はばなどにこそあらめ、さ思ひたらんに、わが本にてもおなじごと見ること難からんこと、またさともなからん時、なかなかいとほしうもあるばきかななど、思ふ心添ひぬれど、いかがはせん、かく言ひ契りつれば思ひかへるべきにもあるず。」

◆◆それから後も2度ばかり手紙を送って、話がすっかり決まったので、この禅師たちが、志賀に行き、先方では女の子を京に出向かせました。たった一人でこちらに出向かせたようですが、考えてみるとまことにあっけなく浅い母子の縁であったことよ。並大抵のことでこのようなこと(子を手放す)するだろうか。ただ、父親である兼家が面倒をみてくださるのなら、私のところへ来ても以前同様、父兼家に会う事はむずかしいであろう。そんなことで母親の期待に添えない時は、かえって気の毒なことになるであろう、などと思ってみるけれど、今さら仕方がない、このように約束してしまったのだから、考え直すわけにもいかない。◆◆



「『この十九日よろしき日なるを』と定めてしかば、これ迎へにものす。しのびてただきよげなる網代車に、馬に乗りたる男ども四人、下人はあまたあり。大夫やがてはひ乗りて、後に、このことに口入れたる人と乗せて、やりつ。」

◆◆「この19日が養女を迎えるのに、差し支えない日であるから」と決めておいたので、この女の子を迎えに行きます。目立たぬようにただこぎれいな網代車に、馬に乗った侍たちが四人、下人は大ぜいお供をする。道綱がすぐに乗り込んで、車の後部にはこの件で口を利いた人を乗せて同行させました。◆◆