蜻蛉日記 下巻 (153) その1 2016.11.29
「十八日に、清水にまうづる人に、又しのびてまじりたり。初夜はててまかづれば、時は子ばかり。もろともなる人のところに帰りて、ものなどものするほどに、ある者ども、『この乾の方に火なん見ゆるを、出でて見よ』などいふなれば、『もろこしぞ』などいふなり。ここちには、なほ苦しきわたりなどおもふほどに、人々『かうの殿なりけり』と言ふに、いとあさましういみじ。わが家も築土ばかりへだてたれば、さわがしう、若き人をもまどはしやしつらん、いかで渡らんとまどうふにしも、車のすだれはかけられけるものかは、からうじて乗りて来しほどに、みな果てにけり。」
◆◆十八日に、清水寺に参詣する人に、又そっと同行して出かけました。初夜の勤行が終わってお寺を下がると、時刻は真夜中でした。一緒に参詣した人の家に帰って、食事などをしているところに、従者たちが、「この西北の方角に火の手が見えるから、出て見てご覧」などと言うと、「唐土(もろこし)だよ」などと言っています。内心ではもしや気になる方角だと思っていると、人々が「長官殿でした」と言うので、すっかり気も転倒してしまいました。我が家は築地をへだてただけの距離のところなので、きっと若い人たちを戸惑わせていることだろう、なんとか早く帰らねばと、あわてふためいて、車の簾をかけるひまもなく、やっとのことで乗って帰宅すると、その時には何もかも済んでしまっていた。◆◆
「わが方は残り、あなたの人もこなたに集ひたり。ここには大夫ありければ、いかに、土にや走らすさんと思ひつる人も車に乗せ、門強うなどものしたりければ、らうがはしきこともなかりけり。あはれ、男とてよう行ひたりけるよと、見聞くもかなし。」
◆◆私の家は焼け残り、あちらの人も私の所に集まっていました。この家には大夫(道綱)がいましたので、もしや、土の上を裸足でうろたえている娘も車に乗せ、門をしっかり閉めなどしたので、乱暴泥棒などのことはありませんでした。よくぞ道綱は一人前の男としてよくやってくれたことよと、見聞きするにつけても胸がいっぱいになりました。◆◆
「渡りたる人々は、ただ『命のみわづかなり』となげくまに、火しめりはててしばしあれど、とふべき人はおとずれもせず、さしもあるまじきところどころよりもとひつくして、このわたりならんやのうかがひにて、いそぎみえし世世もありしものを、ましてもなりはてにけるあさましさかな、『さなん』と語るべき人は、さすがに雑色や侍やと聞き及びける限りは語りつと聞きつるを、あさましあさましと思ふほどにぞ、門たたく。」
◆◆我が家に非難した人々は、ただ、「命からがらでした」と嘆いていましたが、そのうちに火事もすっかり収まって、しばらくたったけれど、見舞いにくるはずのあの人は姿を見せず、特に見舞わねばならない筋合いでもなさそうな人々からも、みな見舞いがあて、以前は火事はこの辺ではないかと様子を見に、急いで駆けつけてくれた時代もあったのに、まったく薄情になってしまったことか。兼家に火事のことを「これこれ」と報告すべき人は、本邸の雑色とか侍とか、かねて聞き及んでいた限りの者全部に知らせたということなのに、まあ、あきれた、あきれたことと思っているときに、門をたたく音がします。◆◆
■子(ね)=夜十一時~一時ごろ。真夜中。
「十八日に、清水にまうづる人に、又しのびてまじりたり。初夜はててまかづれば、時は子ばかり。もろともなる人のところに帰りて、ものなどものするほどに、ある者ども、『この乾の方に火なん見ゆるを、出でて見よ』などいふなれば、『もろこしぞ』などいふなり。ここちには、なほ苦しきわたりなどおもふほどに、人々『かうの殿なりけり』と言ふに、いとあさましういみじ。わが家も築土ばかりへだてたれば、さわがしう、若き人をもまどはしやしつらん、いかで渡らんとまどうふにしも、車のすだれはかけられけるものかは、からうじて乗りて来しほどに、みな果てにけり。」
◆◆十八日に、清水寺に参詣する人に、又そっと同行して出かけました。初夜の勤行が終わってお寺を下がると、時刻は真夜中でした。一緒に参詣した人の家に帰って、食事などをしているところに、従者たちが、「この西北の方角に火の手が見えるから、出て見てご覧」などと言うと、「唐土(もろこし)だよ」などと言っています。内心ではもしや気になる方角だと思っていると、人々が「長官殿でした」と言うので、すっかり気も転倒してしまいました。我が家は築地をへだてただけの距離のところなので、きっと若い人たちを戸惑わせていることだろう、なんとか早く帰らねばと、あわてふためいて、車の簾をかけるひまもなく、やっとのことで乗って帰宅すると、その時には何もかも済んでしまっていた。◆◆
「わが方は残り、あなたの人もこなたに集ひたり。ここには大夫ありければ、いかに、土にや走らすさんと思ひつる人も車に乗せ、門強うなどものしたりければ、らうがはしきこともなかりけり。あはれ、男とてよう行ひたりけるよと、見聞くもかなし。」
◆◆私の家は焼け残り、あちらの人も私の所に集まっていました。この家には大夫(道綱)がいましたので、もしや、土の上を裸足でうろたえている娘も車に乗せ、門をしっかり閉めなどしたので、乱暴泥棒などのことはありませんでした。よくぞ道綱は一人前の男としてよくやってくれたことよと、見聞きするにつけても胸がいっぱいになりました。◆◆
「渡りたる人々は、ただ『命のみわづかなり』となげくまに、火しめりはててしばしあれど、とふべき人はおとずれもせず、さしもあるまじきところどころよりもとひつくして、このわたりならんやのうかがひにて、いそぎみえし世世もありしものを、ましてもなりはてにけるあさましさかな、『さなん』と語るべき人は、さすがに雑色や侍やと聞き及びける限りは語りつと聞きつるを、あさましあさましと思ふほどにぞ、門たたく。」
◆◆我が家に非難した人々は、ただ、「命からがらでした」と嘆いていましたが、そのうちに火事もすっかり収まって、しばらくたったけれど、見舞いにくるはずのあの人は姿を見せず、特に見舞わねばならない筋合いでもなさそうな人々からも、みな見舞いがあて、以前は火事はこの辺ではないかと様子を見に、急いで駆けつけてくれた時代もあったのに、まったく薄情になってしまったことか。兼家に火事のことを「これこれ」と報告すべき人は、本邸の雑色とか侍とか、かねて聞き及んでいた限りの者全部に知らせたということなのに、まあ、あきれた、あきれたことと思っているときに、門をたたく音がします。◆◆
■子(ね)=夜十一時~一時ごろ。真夜中。