永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1020)

2011年10月31日 | Weblog
2011. 10/31      1020

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(81)

「夏にならば、三條の宮ふたがる方になりぬべし、と定めて、四月ついたちごろ節分とかいふことまだしきさきに渡し奉り給ふ、明日とての日、藤壺に上わたらせ給ひて、藤の花の宴をさせ給ふ」
――夏になりますと、三條の宮が女二の宮の御所(飛香舎)からの方角が悪くなる筈だとして、薫は、四月の初めにおとずれる立夏の節分よりも前に、女二の宮をこちらへお移しすることにしました。それが明日に迫った日に、帝は藤壺にお渡りになって、藤の花の宴を催されます――

 南の廂の間の御簾を上げて、玉座が設えてあります。今日は公の宴で、この藤壺のあるじの女二の宮のお催しではなく、上達部や殿上人のご馳走なども、内蔵寮(くらづかさ)から奉ります。

 お召しに与った上達部は、左大臣、按察使の大納言、藤中納言、左兵衛の督で、それに親王も、三の宮、常陸の宮などが伺候なさいます。後涼殿の東に楽所の人々が召され、暮れゆくまでに双調(そうじょう=十二律の一)を吹いて、宴にいよいよ興をそえます。

 帝が主催されます楽奏の御礼として、女二の宮のところから、お琴や笛などをご用意なさったのを、大臣以下がこれをお取り次ぎして御前にお運びになります。

「故六条の院の御手づから書き給ひて、入道の宮にたてまつらせ給ひし琴の譜二巻、五葉の松につけたるを、大臣取り給ひて奏し給ふ」
――光源氏が自らお書きになって、女三宮に奉られた琴の譜二巻が、五葉の松の枝につけてあるのを、左大臣が薫から受け取られて、帝にその由緒を申し上げ、献上します――

次々に運ばれて参ります筝のの御琴、琵琶、和琴などはみな、その昔の朱雀院の御物でした。姫君の御方からは御肴として粉熟(ふずく)を差し上げられます。

 帝からの御盃を賜わる時、自分ばかりが頂戴していてはと、夕霧は次に薫にお譲りになりますと、ご当人はしきりにご辞退されますが、

「御けしきもいかがありけむ、御盃ささげて、『をし』とのたまへる声づかひもてなしさへ、例の公事なれど、人に似ず見ゆるも、今日はいとど見なしさへ添ふにやあらむ。さし返したまはりて、下りて舞踏し給へる程、いとたぐひなし」
――帝のご意向もきっとその辺にあったのでしょう。薫は御盃を捧げ、「頂戴いたします」と仰せになる声づかいといい、態度といい、いつもの決まった慣例ではありますが、ほかの誰よりもご立派にお見えになるのは、今日は帝の婿君と拝見するせいでしょうか。さし返しを賜って、階下にて拝舞なさるところは、まことに類のないご様子です――

◆節分とかいふことまだしきさきに=季節の変わる時で、立春、立夏、立秋、立冬の前日。
  ここでは立夏。

◆『をし』=元来は警備上の声らしいが、天盃を拝受する際にも唱えられたものらしい。

◆さし返したまはりて=天盃を賜わる時は、土器に移して飲み、その土器をさし返しという。その後、階(きざはし)より下って御前に向かって舞踏して座に帰る。これが定まった作法という。

では11/1に。


源氏物語を読んできて(1019)

2011年10月29日 | Weblog
2011. 10/29      1019

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(80)

「さらなることなれば、にくげならむやは。ゆゆしきまで白くうつくしくて、たかやかに物がたりし、うち笑ひなどし給ふ顔を見るに、わがものにて見まほしくうらやましきも、世の思ひ離れがたくなりぬるにやあらむ」
――(この若君は)お美しい御両親の御子でいらっしゃればこそ、どうして可愛らしくないことがありましょうか。恐ろしいまでに色白で美しく、声高に何かものを言ったり笑ったりなさるお顔をご覧になりますにつけ、薫は、これがわが子であったならと、羨ましくもお思いになるのは、やはり仏の道ではなく、この世に未練をお持ちになったということでしょうか――

「されど、いふかひなくなり給ひし人の、世の常のありさまにて、かやうならむ人をも、とどめ置き給へらましかば、とのみ覚えて、このごろおもだたしげなる御あたりに、いつしかなどは思ひよられぬこそ、あまりすべなき君の御心なめれ」
――それにしても、はかなく逝ってしまわれた大君が、世間並みに自分の妻となり、せめてこのような子供でも遺しておいてくださったならば、と、そんな風にばかりお考えになって、先頃、晴れがましく結婚なさった女二の宮に、いつか御子が生まれればうれしいのになどとは一向にお思いにならないのは、あまりにどうしようもない薫のお心というものですこと――

「かく女々しくねぢけて、まねびなすこそいとほしけれ。しかわろびかたほならむ人を、帝のとりわき切に近づけて、睦び給ふべきにもあらじものを、まことしき方ざまの御心おきてなどこそは、めやすくものし給ひけめ、とぞおしはかるべき」
――(一方で)このように薫を女々しくひねくれて描写するのは、ちょっとお気の毒ではあります。そのように体裁悪い人を、帝が選りに選って婿君にお召しになる筈もないと思いますと、政治向きの手腕などは相当なものであったろうと想像されますね――

「げにいとかく幼き程を見せ給へるもあはれなれば、例よりは物語などこまやかにきこえ給ふほどに、暮れぬれば、心やすく夜をだにふかすまじきを、苦しう覚ゆれば、歎く歎く出で給ひぬ」
――(薫は)中の君が、いたいけな若君のお姿を、こうしてわざわざお見せくださったのもあはれ深く、いつもより細々とお話なさっているうちに、日もすっかり暮れてしまいましたので、こちらにくつろいで夜を更かすわけにもいきませんのをお辛くお思いになって、
嘆息しながらお帰りになりました――

「『をかしの人の御にほひや。折りつれば、とかやいふやうに、うぐひすもたづね来ぬべかめり』など、わづらはしがる若き人もあり」
――(侍女の中には)「まあ、いい匂いを残して行かれましたこと。折りつれば、の歌のように、鶯も訪ねてきそうですこと」と、この匂いを厄介がる者もいます――

◆折りつれば=古今集「折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯の鳴く」

では10/31に。


源氏物語を読んできて(1018)

2011年10月27日 | Weblog
2011. 10/27      1018

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(79)

「されど、ありしながらのけしきに、先づ涙ぐみて、『心にもあらぬまじらひ、いとおもひのほかなるものにこそ、と、世を思ひ給へみだるることなむまさりにたる』と、あいだちなくぞ憂へ給ふ」
――ところが(薫は)昔ながらのご様子で、まず初めから涙ぐまれて、「この度は心に染まない婚儀が調いまして、何事も思うままになりませんことと、この世の中を思い乱れる心が、いよいよつのってまいりました」と、遠慮もなく愚痴をおっしゃいます――


「『いとあさましき御事かな。人もこそおのづからほのかにも漏り聞き侍れ』などはのたまへど、かばかりめでたげなる事どもにもなぐさまず、忘れ難く思ひ給ふらむ心深さよ、と、あはれに思ひきこえ給ふに、おろかにもあらず思ひ知られ給ふ」
――(中の君は)「まあ、何と言うことをおっしゃいます。もしや誰かが漏れ聞きでもしましたら、大変なことでしょうに」とおっしゃりながら、これほど結構そうなご縁組にさえも、お心が慰められず、自分たちの過ぎ去った日のことを忘れずにおいでになるとは、なんとお心の深いことであろうと、身に沁みて思い知らされるのでした――


「おはせましかば、と、くちをしく思ひ出できこえ給へど、それもわがありさまのやうにぞ、うらやみなく身をうらむべかりけるかし、何ごとも、数ならでは、世の人めかしき事もあるまじかりけり、と覚ゆるにぞ、いとどかの、うちとけはてでやみなむ、と思ひ給へりし御心おきては、なほいとおもおもしく思ひ出でられ給ふ」
――(それにしても)姉君が生きておられたならば、と残念にお思いになりますものの、その姉君にしても、薫に、今度のようなこの上ない御身分の北の方がお出来になったならば、つまりは自分のような境遇になられて、同じようにわが身の御不運をお嘆きになったことでしょう。何ごとも相当な家に生まれなくては、人並みに幸せな暮らしなど出来る筈もない、と思われますにつけ、あの姉君が薫を拒み通そうとなさったお心構えこそ、やはり思慮深いことだったと、いよいよ思い当たられるのでした――


「若君を切にゆかしがりきこえ給へば、はづかしけれど、何かはへだて顔にもあらむ、わりなきことひとつにつけて、うらみらるるよりはほかには、いかでこの人の御心に違はじ、と思へば、みづからはともかくもいらへ聞こえ給はで、乳母してさし出でさせ給へり」
――(薫が)若君を切に御覧になりたがっておいでになりますので、中の君は気が負けますものの、何もそれほど疎外する風にできましょうか、無理なお志だけはお聞き入れするわけにはいきませんが、その外のことは何とかして、この方のお心に背くまいとあれこれお考えになって、ご自分からは何もお返事なさらず、若君を乳母に抱かせて、御簾の外にお差し出しになります――

では10/29に。


源氏物語を読んできて(1017)

2011年10月25日 | Weblog
2011. 10/25      1017

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(78)

 帝はご心配のあまり、薫の母宮(女三宮)の御許へ勅使を賜って、その御文にもただただこの姫君のことばかり書いておありになります。

「故朱雀院の、とりわきて、この尼宮の御ことをば、きこえ置かせ給ひしかば、かく世を背き給へれど、おとろへず、何事ももとのままにて、奏せさせ給ふことなどは、必ずきこしめし入れ、御用意深かりけり」
――故朱雀院が特にこの尼宮(女三宮)の御身上をお心にかけて御遺言になりましたので、こうして出家なさって後も変わらず、何事も前々通りに、女三宮が奏上なさることは必ずお聞き届けになり、充分にご配慮されるのでした――


「かくやむごとなき御心どもに、かたみに限りもなくてもてかしづきさわがれ給ふおもだたしさも、いかなるにかあらむ、心のうちにはことにうれしくも覚えず、なほともすれば、うちながめつつ、宇治の寺つくることをいそがせ給ふ」
――このように帝と母宮との尊いお心から、この上もなく大切にされ、もてなしを受けていらっしゃる御立場ですのに、どうしたわけでしょうか、薫のお心の内は別段うれしそうでもなく、ややもすれば物思いに沈んでばかりおられ、宇治のお寺を作る事を急がせておいでになるのでした――


「宮の若君の五十日になり給ふ日数へ取りて、その餅のいそぎを心に入れて、籠物檜破籠などまで見入れ給ひつつ、世の常のなべてにはあらず、とおぼし志して、沈、紫檀、白銀、黄金など、道々の細工どもいと多く召しさぶらはせ給へば、われおとらじと、さまざまの事どもをし出づめり」
――(薫は)匂宮の若君が五十日におなりになる日を指折り数えて、そのお祝いの餅(もちい)の準備を熱心にして、籠物(こもの)、檜破籠(ひわりご)などまでご自身でお目通しになります。何事も世間並ではおもしろくないとのお考えから、沈(じん)、紫檀(したん)、白銀、黄金など、それぞれの道の細工師どもを大勢召し寄せられてお作らせになりますので、皆自分こそ負けをとるまいと、さまざまに工夫を凝らすようです――


「みづからも、例の、宮のおはしまさぬひまにおはしたり。心のなしにやあらむ、今すこし重々しくやむごとなげなるけしきさへ添ひにけりと見ゆ。今はさりとも、むつかしかりしすずろごとなどは、まぎれ給ひにたらむ、と思ふに心やすくて、対面し給へり」
――(薫は)ご自身も、いつものように匂宮がいらっしゃらない暇に、中の君をお訪ねになります。気のせいでしょうか、中の君のご様子が一段と重々しく、品格もいっそう加わったようにお見えになります。(中の君は)薫が女二の宮の御婿と定まった今はもう、あの厄介であった懸想などは忘れておしまいになられたことであろうと、安心してお逢いになるのでした――

では10/27に。


源氏物語を読んできて(1016)

2011年10月23日 | Weblog
2011. 10/23      1016

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(77)

「三日の夜は大蔵卿よりはじめて、かの御方の心寄せになさせ給へる人々、家司に仰せ言たまひて、しのびやかなれど、かの御前、随人、車ぞひ、舎人まで禄たまはす。その程のことどもは、私事のやうにぞありける」
――ご結婚第三夜は、大蔵卿をはじめとして、この女二の宮の親しく召し使っておられた人々や家司に、帝から仰せ言がありまして、内輪ながら、男君(薫)の御前駆の人々、随身、車副いの従者、舎人にまで禄をくださいます。その間の作法は臣下の場合と同じなさり方だったということでした――

「かくてのちは、忍び忍びに参り給ふ。心のうちには、なほ忘れがたきいにしへざまのみ覚えて、昼は里に起き臥しながめ暮して、暮るれば心よりほかにいそぎ参り給ふをも、ならはぬ心地に、いともの憂く苦しくて、まかでさせ奉らむ、とぞおぼし掟てける」
――こうして後は、薫は目立たぬように忍んで姫宮のもとにお通いになります。お心の内では、今だに忘れられない亡き御方(大君)のことばかりが思い出されて、昼は三条の自邸に起き臥しながら思いにふけり、日が暮れますと心ならずも女二の宮のところへ急いで参上なさることも、慣れないことゆえ、大そう億劫で辛くて、いっそ御所から姫宮をこちらへお迎え申し上げようと、ご計画になります――

「母宮はいとうれしき事におぼしたり。おはします寝殿ゆづりきこえ給ふべくのたまへど、『いとかたじけなからむ』とて、御念誦堂のあはひに、廊を続けてつくらせ給ふ。西面にうつろひ給ふべきなめり。東の対どもなども焼けてのち、うるはしくあたらしくあらまほしきを、いよいよ磨き添へつつ、こまかにしつらはせ給ふ」
――母宮(女三宮)は、そのことを大そうお喜びになって、ご自分のお住みになっていらっしゃる寝殿をお譲りになろうとまで仰いましたが、『それではあまりにも、もったいのうございます』と、御念誦堂との間に廊を続けて新しい御殿をお造らせになります。母宮は西面のほうにお移りになるおつもりのようです。東の対なども火災にあって後、立派に新築なされ、申し分なく出来あがっておりますのを、更にいっそう磨きこんで、細々と御用意なさるのでした――

「かかる御心づかひを、内裏にも聞かせ給ひて、程なくうちとけうつろひ給はむを、いかがとおぼしたり。帝ときこゆれど、心の闇は同じことなむおはしましける」
――薫が女二の宮を自邸にお迎えなさろうとするお心づもりを、帝もお聞きになって、女二の宮にとって、結婚後まだ日も浅いというのに、軽々しく婿君のお邸に移るとは、どんなものかとお思いになります。帝と申し上げましても、子を思う親心の闇に迷うのは同じことでいらっしゃいます――

◆大蔵卿(おおくら卿)=女二の宮の母方の伯父。母藤壺の兄。

では10/25に。

源氏物語を読んできて(1015)

2011年10月21日 | Weblog
2011. 10/21      1015

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(76)

「御みづからも、月ごろ物おもはしく心地のなやましきにつけても、心細くおぼしわたりつるに、かくおもだたしく今めかしき事どもの多かれば、すこしなぐさみもやし給ふらむ」
――(中の君)ご自身も、この月頃はお心にかかる事が多くて、ご気分もすぐれず、心細い思いを重ねていらっしゃいましたが、このように晴れがましい御産養のにぎわいが打ち続きましたので、幾分かはお気持も安らいだことでしょう――

「大将殿は、かくさへおとなび果て給ふめれば、いとどわが方ざまはけどほくやならむ、また宮の御志もいとおろかならじ、と思ふ心は口惜しけれど、またはじめよりも心おきてを思ふには、いとうれしくもあり」
――薫としては、こうしてすっかり母親らしくおなりになったのでは、ますます自分とはとおく離れていってしまうだろう。また匂宮のご寵愛も並々ではあるまいと思いますと、たいそう口惜しくもありますが、中の君の御幸福を念じていた最初からの定めを考えれば、一方ではほっともし、喜ばしくもあるのでした――

「かくてその月の二十日あまりにぞ、藤壺の宮の御裳着のことありて、またの日なむ大将参り給ひける。その夜のことは忍びたるさまなり。天の下響きていつくしう見えつるかしづきに、ただ人の具し奉り給ふぞ、なほあかず心ぐるしく見ゆる」
――こうして、その月の二十日過ぎ頃に、藤壺の女二の宮の御裳着の式がありまして、その翌日、大将殿(薫)は婿君として御所にお上がりになりました。その夜の御儀は、万事内々に取り行われました。世間の評判になるほど大切にお育てになりました帝の姫君に、臣下の方が婿となられるとは、やはり物足りなく、お気の毒にみえるようです――

「『さる御ゆるしはありながらも、ただ今かくいそがせ給ふまじきことぞかし』と、そしらはしげに思ひのたまふ人もありけれど、おぼし立ちぬること、すがすがしくおはします御心にて、来し方のためしなきまで、同じくはもてなさむ、と、おぼしおきつるなめり」
――「そういうご縁組の勅許があったにしても、御裳着の儀を待ちかねたように、そうお急ぎにならなくてもよさそうなものを」と非難がましく言う人もありましたが、帝は思い立たれたことはさっさとお運びになられるご性分ですので、同じ事なら前例のない程に、手厚くもてなしてみようと、お心に決めていらっしゃるようです――

「帝の御婿になる人は、昔も今も多かれど、かくさかりの御世に、ただ人のやうに、婿とりいそがせ給へるたぐひは、すくなくやありけむ」
――帝の御婿となる人は、昔も今も多いけれど、帝がまだこのように盛りの御歳でいらっしゃるのに、臣下の慣習のように婿取りをお急ぎになる例はあまりないようです――

右の大臣(夕霧)も、

「『めづらしかりける人の御おぼえ宿世なり。故院だに、朱雀院の御末にならせ給ひて、今はとやつし給ひし際にこそ、かの母宮を得奉り給ひしか。われはまして、人もゆるさぬものを、拾ひたりしや』とのたまひ出づれば、宮は、げにとおぼすに、はづかしくて御答へもえし給はず」
――珍しいほどあの方(薫)は宿世のおぼえめでたい人だ。亡き六条院(光源氏)でさえ、朱雀院が晩年におなりなって、いよいよ出家なさるという際に、薫の母宮(女三宮)をお迎えになったものだった。わたしなどはましてや、御降嫁どころではない、世間も許さぬお方を拾ったようなものだった」と語りだされますので、その昔の女二の宮は、全くその通りだったと思われるにつけ、恥ずかしくてお返事もおできにならない。

◆右の大臣(夕霧)=夕霧は左大臣の筈だが、ときどき混乱がみられる。

◆宮は=ここでの宮とは、朱雀院の内親王、女二の宮。柏木の正妻、柏木が死去してのち、落葉宮と呼ばれた人で、強引に夕霧が妻の一人とした。
光源氏の子孫は臣下の身分。当時の貴族たちは内親王と縁を結び、血統にこだわった。

では10/23に。


源氏物語を読んできて(1014)

2011年10月19日 | Weblog
2011. 10/19      1014

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(75)

「からうじてそのあかつきに、男にて生まれ給へるを、宮もいとかひありてうれしくおぼしたり。大将殿も、よろこびに添へて、うれしくおぼす。昨夜おはしましたりしかしこまりに、やがてこの御よろこびもうち添へて、立ちながら参り給へり。かく籠りおはしませば、参り給はぬ人なし」
――ようようのことで、その明け方男の御子がお生まれになりました。匂宮も御案じになられた甲斐があって、うれしくお思いになります。大将殿(薫、昇進して)も、ご自分の昇進に加えて、うれしくお思いになります。昨夜匂宮が饗宴にお越しいただいた御礼の上に、早速御出産のお祝いも併せて、二條院にお出でになり、(産穢を避けて)お庭先で立ち礼にてご挨拶をされます。匂宮がこうして二條院に引き籠もっておいでになりますので、こちらへお喜びに参上せぬ者はありません――

「御産養、三日には例のただ宮の御わたくし事にて、五日の夜は、大将殿より屯食五十具、碁手の銭、椀飯などは、世の常のやうにて、子持の御前の衝重三十、児の御衣五重襲にて、御むつきなどぞ、ことごとしからず、しのびやかにしなし給へれど、こまかに見れば、わざと目馴れぬ心ばへなど見えける」
――御産養(うぶやしない)も、三日には例によって宮家の内々のお祝いで、五日の夜は、大将殿(薫)より、屯食五十具(どんじき五十ぐ=強飯を固く握ったもの)、碁手の銭(ごてのぜに=碁の勝負に賭ける銭)、椀飯(わうばん=椀に盛った飯)などのことは、まず世間一般の習慣通りにして、子持の御前の衝重三十(こもちのごぜんのついがさね三十=御産婦のお前には衝重三十)、児の御衣五重襲(ちごのおんぞ、いつへがさね=若君の御衣を五重襲)にて、御むつき(おむつ)などは、大げさでなく目立たぬようになさいましたが、それでも気をつけて細かにみて見ますと、一通りでない心遣いがうかがわれるのでした――
 
 匂宮の御前にも、浅香の折敷(せんごうのおしき=沈香木の折敷)、高杯(たかつき)などに、粉熟(ふずく=五穀を粉にして餅のようにしたもの)を盛って差し上げます。女房たちには衝重(ついがさね)は言うまでもなく、檜破籠(ひわりご=檜の薄板で作った仕切りのある弁当箱)を三十に、いろいろと手の込んだお料理が添えてありますが、大将(薫)のご性分から、人目に立つようなけばけばしいことは、わざとなさらない。

「七日の夜は、后の宮の御産養なれば、参り給ふ人々いと多かり。宮の大夫をはじめて、殿上人上達部、数知らず参り給へり。内裏にもきこしめして、『宮のはじめておとなび給ふなるには、いかでか』とのたまはせて、御佩刀奉らせ給へり」
――七日の夜は、中宮(明石中宮)の御産養がありますので、参上なさる人々も大勢です。中宮の大夫(だいぶ=「職」の長官)をはじめとして、殿上人上達部が数えきれないほど参上なさいます。帝もお聞きになって、「兵部卿の宮(匂宮)が初めて人の親になられたというのに、祝わずにいられようか」とおっしゃって、御佩刀(みはかし=貴人の太刀)をお贈りになります――

 九日にはまた、左大臣(夕霧)がお祝いをされます。中の君のことではあまり快くは思えないけれども、匂宮の思惑もおありであろうと、御子息の公達が参上されて、何の屈託もなげにご立派にお祝いをされるのでした。

◆立ちながら参り給へり=産の穢れを避けて、お庭先でご挨拶なさる。

では10/21に。


源氏物語を読んできて(1013)

2011年10月17日 | Weblog
2011. 10/17      1013

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(74)

「二月のついたちごろに、直物とかいふことに、権大納言になり給ひて、右大将かけ給ひつ。右のおほい殿左にておはしけるが、辞し給へる所なりけり。よろこびに所々ありき給うて、この宮にも参り給へり」
――(薫は)二月(きさらぎ)一日のころ、直物(なおしもの)ということで、源中納言(薫)は権大納言におなりになり、右大将を兼任なさいました。右大臣(夕霧)が左大将を兼任しておられましたのが、この度辞任され、今までの右大将がその後任の左大将になられたからです。薫はお礼申しにあちらこちらおまわりになって、二条の院の匂宮邸にもお出でになりました――

「いと苦しくし給へば、こなたにおはします程なりければ、やがて参り給へり。僧などさぶらひて、びんなきかたに、と、おどろき給ひて、あざやかなる御直衣、御下襲などたてまつり、ひきつくろひ給ひて、下りて答の拝し給ふ、御さまどもとりどりにいとめでたく」
――(中の君が)大そう苦しがられるために、匂宮は中の君のお部屋にいらっしゃる時でしたので、薫はそのままこちらに参上されたのでした。祈祷の僧などが伺候していて、ひどく取り乱しておられる折とて、匂宮は驚かれて、しかしすぐに目もあざやかな御直衣、御下襲(したがさね)などをお召しになり、威儀を正して階段を下り、お返しの拝礼をなさいます。お二方ともそれぞれにご立派です――

「『やがて、今宵つかさの人に禄賜ふあるじの所に』と、請じたてまつり給ふを、なやみ給ふ人によりてぞ、おぼしたゆたひ給ふめる」
――(薫が)「引き続いて、今宵は右近衛府の部下の人々にも披露の饗宴を催しますので、なにとぞお出まし下さいますよう」とお招き申しますが、匂宮はお悩みになっておられる方(中の君)があるので、どうしたものかとためらっていらっしゃいます――

「右のおほい殿のし給ひけるままにとて、六条の院にてなむありける。垣下の親王たち上達部、大饗におとらず、あまり騒がしきまでなむつどひ給ひける。この宮もわたり給ひて、しづ心なければ、まだ事も果てぬに急ぎ帰り給ひぬるを、大殿の御方には、『いとあかずめざまし』とのたまふ」
――夕霧が任大臣の折になさった通りにしようとて、六条院で宴が催されます。お相伴の親王たち上達部も、左大臣の大饗の時に劣らず、少々騒がしすぎるほどにお集まりになります。匂宮もお出でにはなりましたが、御方(中の君)のことがご心配で、まだ宴もおわらないうちに、急いでお帰りになりますのを、大殿(夕霧)の方々は、ひどく物足りなく
「あまりなお仕打ちだ」とおっしゃる――

「おとるべくもあらぬ御程なるを、ただ今のおぼえのはなやかさにおぼしおごりて、おしたちもてなし給へるなめりかし」
――(中の君も)六の君に劣るわけではないご身分ですのに、大殿の方では、目下の声望の華やかさに奢り高ぶって、わがままな振る舞いもなさるようです――

◆直物(なおしもの)=定期の除目(じもく=任官)の後に追加して行われる任官式。

◆よろこびに=喜び=祝い事、御礼

◆つかさの人に禄賜ふあるじ=大将就任の際、披露のため部下に禄を与え、饗宴を行う。親王公卿などは相伴として招待された。
つかさ(官・司)=ここでは右近衛府。
あるじ(主)=人をもてなす、饗応。

では10/19に。


源氏物語を読んできて(1012)

2011年10月15日 | Weblog
2011. 10/15      1012

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(73)

薫   26歳
中の君 26歳
匂宮  27歳

「正月つごもりがたより、例ならぬさまになやみ給ふを、宮まだ御らんじ知らぬことにて、いかならむ、とおぼし歎きて、御修法など、所々にてあまたせさせ給ふに、またまたはじめ添へさせ給ふ。いといたくわづらひ給へば、后の宮よりも御とぶらひあり」
――正月の晦日ごろから、中の君のご出産が近づいて、お苦しみになりますのを、匂宮はまだお産婦をご覧になる経験のないことですので、どうなることかとご心配で、御修法などもあちこちで、今まで沢山おさせになっていましたものを、その上にもまた新しく安産のご祈祷を諸方のお寺でおさせになります。中の君がたいそうお苦しみになりますので、明石中宮からもお見舞いがあります――

「かくて三年になりぬれど、一所の御こころざしこそおろかならね、おほかたの世には、ものものしくももてなしきこえ給はざりつるを、この折ぞ、いづこにもいづこにもきこしめしおどろきて、御とぶらひどもきこえ給ひける」
――ご一緒になられてから三年になりますが、匂宮お一人のご愛情こそは、一通りではないものの、世間一般の方々は、中の君をそれほど重々しくも待遇申されなかったのを、このご出産の折になってはじめて、どなたもどなたもこうした噂に驚かれて、それぞれお見舞いになられるのでした――

「中納言の君は、宮のおぼしさわぐにおとらず、いかにおはせむ、と歎きて、心苦しくうしろめたくおぼさるれど、かぎりある御とぶらひばかりこそあれ、あまりもえ参で給はで、しのびてぞ御祈祷などもせさせ給ひける」
――中納言の君(薫)は、匂宮のご心配にも負けず劣らず、どうしておいでになるかと胸を痛め、お産の事をしきりに気を揉んでいらっしゃいますが、一応のお見舞いだけはともかく、あまり足しげくお伺いすることは出来ませんので、ひそかにご祈祷などをさせておいでになります――

「さるは、女二の宮の御裳着、ただこの頃になりて、世の中ひびきいとなみののしる。よとづのこと、帝の御心ひとつなるやうに、おぼしいそげば、御後見なきしもぞ、なかなかめでたげに見えける」
――実は、女二の宮(帝の第二の姫宮)の御裳着の式が丁度この頃、世間でもっぱらの評判となり、賑々しく準備がすすめられておりました。すべて万事、父帝のお心次第のようにしてご準備なさいますので、なまじ御後見人のいらっしゃらないのが、かえって好都合のようです――

「女御のし置き給へる事をばさるものにて、作物所、さるべき受領どもなど、とりどりに仕うまつることども、いとかぎりなし。やがてその程に、参りそめ給ふべきやうにありければ、男方も心づかひし給ふ頃なれど、例のことなれば、そなたざまには心も入らで、この御ことのみいとほしく歎かる」
――(女二の宮の母君、藤壺女御が)生前用意しておかれたものは言うまでもなく、作物所(つくもどころ)や、しかるべき国の守たちがそれぞれに調えて献上する品々は、数限りもありません。やがて裳着の式がお済みになった時分から、薫には、早速女二の宮の許に通いなさるようにと、帝の御内意がありましたので、男方(おとこがた・薫)の方でも心用意をなさる筈でありますのに、いつもの癖で、女二の宮の方には気が進まず、中の君のことばかりを案じているのでした――

◆あまりもえ参で給はで=あまり・も・え・参で・給はで=あまり度々も参上なさることができず

◆作物所(つくもどころ)=蔵人所の所管で、官中の諸調度を調進する所

◆さるべき受領どもなど、とりどりに仕うまつることども=相当の身分の国司達は、当時、朝廷に必要ある際は、命じられて財物を調達献上させられた。

では10/17に。


源氏物語を読んできて(1011)

2011年10月13日 | Weblog
2011. 10/13      1011

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(72)

「御琴ども教へたてまつりなどして、三、四日籠りおはして、御物忌などことつけ給ふを、かの殿にはうらめしく思して、大臣内裏より出で給ひけるままに、ここに参り給へれば、『ことごとしげなるさまして、何しにいましつるぞとよ』とむづかり給へど、あなたに渡り給ひて対面し給ふ」
――(匂宮は)中の君に、琴など御教授なさって、三、四日こちらに引き籠もっていらっしゃいます。六の君のところへは物忌などを口実にお出掛にならないのを、左大臣(夕霧)方では、恨めしく思われて、大臣が御所からご退出の途中、そのまま二条院にお寄りになりました。匂宮は「仰々しい参内のままの服装で、何しにいらしたと言うんだ」と、仏頂面をなさるけれど、寝殿の自室に帰られて対面なさいます――

「『ことなる事なき程は、この院を見で久しくなり侍るもあはれにこそ』など、昔の御物語どもすこし聞こえ給ひて、やがて引き連れきこえ給ひて出で給ひぬ」
――(夕霧左大臣は)「格別の用事もございません昨今は、自然、こちらの院をお見舞いもせずご無沙汰を重ねました…」などと、昔の物語を少しなさって、やがて匂宮と御一緒にお立ち出でになりました――

「御子どもの殿ばら、さらぬ上達部殿上人なども、いと多く引き続き給へる、勢ひこちたきを見るに、ならぶべくもあらぬぞ屈しいたりける」
――夕霧の御子息やそのほかの公卿殿上人なども、たいそう多く引き連れての、その勢い盛んな様子を拝見されるにつけ、中の君は、六の君と肩を並べるどころではありませんので、気が滅入ってしまわれるのでした――

 女房たちが覗いてみて、

「さもきよらにおはしける大臣かな。さばかり、いづれとなく若くさかりにて清げにおはさうずる御子どもの、似給ふべきもなかりけり。あなめでたや」
――なんてお綺麗な大臣でしょうね。あれほど揃いも揃って、お若く男盛りの御令息方の中で、とても御父大臣に比べられるほどのお方はいらっしゃいませんもの。本当にご立派なこと――

 と言う者もあり、また、

「さばかりやむごとなげなる御さまにて、わざと迎へに参り給へるこそ憎けれ。やすげなの世の中や」
――あのようなご立派な方が、わざわざお迎えにいらっしゃるなんて、憎らしいこと。安心していられないこちらの御方ですわね――

 などと、歎く者もいます。

「御みづからも、来しかたを思ひ出づるよりはじめ、かのはなやかなる御中らひに、立ちまじるべくもあらず、かすかなる身のおぼえを、と、いよいよ心細ければ、なほ心やすく籠り居なむのみこそ、目やすからめ、など、いとど覚え給ふ」
――中の君ご自身も、昔からのことを思いやってみますと、あの華やかな六の君のご一族に立ち交じれそうにもなく、見る影もない身の上ですもの、この先いったいどうしたらよいものか、と、ますます心細いので、やはり心静かに宇治に籠ってしまうのが無難なようだ、と、ひとしおお思いになるのでした――

 「はかなくて年も暮れぬ」
――こうして、はかなくこの年も暮れました――

◆やすげなの世の中や=安心していられないご夫婦の中

では10/15に。