永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(65)その2

2018年06月30日 | 枕草子を読んできて
五二  にげなきもの  (65)その2  2018.6.30

 靫負佐の夜行。狩衣姿もいといやしげなり。また、人におぢらるるうへの衣、はた、おどろおどろしく、立ちさまよふも、人見つけば、あなづらはし。「嫌疑の者やはある」と、たはぶれにもとがむ。六位の蔵人、うへの判官とうちいひて、世になく、きらきらしき物におぼえ、里人、下衆などは、この世の人とだに思ひたらず、目をだに見合はせで、おぢわななく人の、内わたりの細殿などにしのびて入り臥したるこそ、いとつきなけれ。
◆◆靫負の佐の夜の巡察。その狩衣姿も、皇居にふさわしくなく、ひどくいやしげだ。それが職業柄、人に恐れられる赤色の袍は、なんと仰々しく、巡察の途中で女の局のあたりをうろうろするのも、もし人が見つけるなら、軽蔑したくなるありさまである。そのくせ「嫌疑の者はいないか」などと冗談にも咎める。また、六位の蔵人で、上の判官と称して、世に威光のある者と世間から思われ、宮仕えに縁のない人や、身分のいやしい人などは、この世の人ととさえ思ってもいず、目を見合わせることさえしないで、恐れおののくような人が、内裏のあたりの細殿の局などに、こっそり入り込んで寝ているのこそ、ひどくふさわしくない。◆◆


■靫負佐(ゆげひのすけ)の夜行=靫(ゆぎ=矢を入れる具)を負う者で、もと武官一般をさしたが、のち衛門府の称。佐(すけ)は次官。検非違使の佐を兼ねて違法を取り締まったから、人々に恐れられたらしい。その夜の巡察。佐身分には似合わぬ振る舞い。一説に、表面上は任務だが、その実夜遊びすること。



 空薫物したる几帳に、うちかけたる袴の重たげにいやしう、きらきらしからむもとおしはからるるなどよ。さかしらにうへの衣わきあけ、鼠の尾のやうにてわがねかけたらむほどぞ、にげなき夜行の人々なる。この官のほどは、念じてとどめてよかし。五位の蔵人も。
◆◆どこからともなく匂ってくるように、一帯に香をたきこめてある部屋の几帳に掛けてある布の袴が重たそうで下品で、ぴかぴかしてしているであろうよと推測されるなんて、どうかと思われるよ。自負心たっぷり賢げに上着の袍を着て、裾は鼠のしっぽのようで、それを細く輪に巻いて几帳に掛けてあろう様子は、それこそ女を訪ねるのに似つかわしくない夜行の人々であることだ。この官に在職の間は、我慢して、女の局通いはやめてしまってほしい。五位の蔵人の場合も同じ事。◆◆


枕草子を読んできて(64)(65)その1

2018年06月27日 | 枕草子を読んできて
五一  七月ばかりに、風の  (64) 2018.6.27

 七月ばかりに、風のいたう吹き、雨などのさわがしき日、おほかたいと涼しければ、扇もうち忘れたるに、汗の香すこしかかへたる衣の薄きを引きかづきて、昼寝したるこそをかしけれ。
◆◆七月ごろに、風がひどく吹いて、雨などがさわがしく降る日、おおかたそんな日はたいへん涼しいので、扇もすっかり忘れているときに、汗の匂いを少し残してしる着物の薄いのを、頭から引っかぶって、昼寝をしているのこそ、おもしろいものである。◆◆

■七月=初秋



五二  にげなきもの  (65)その1  2018.6.27

 にげなきもの 髪悪しき人の、白き綾の衣着たる。しじかみたる髪に葵つけたる。あしき手を赤き紙に書きたる。下衆の家に雪の降りたる。また、月のさし入りたるも、いとくちをし。月のいと明かきに、屋形なき車にあめ牛かけたる。老いたる者の、腹高くてあへぎありく。また、若き男持ちたる、いと見苦しきに、こと人のもとに行くとて妬みたる。老いたる男のねこよびたる。また、さやうに髭がちなる男の椎つみたる。歯もなき女の梅食ひて、すがりたる。下衆の、紅の袴着たる。このごろは、それのみこそあンめれ。
◆◆似つかわしくないもの 髪の毛の良くない人が、白い綾の着物を着ているの。ちぢれた髪に四月の葵祭りの葵を付けたの。下手な字を赤い紙に書いたの。いやしい者の家に雪の降ってるの。また、月が差し込んでいるのも、たいへんもったいない感じだ。月のとても明るいときに、屋形のない車(荷車か)に高貴で上等な牛として尊ばれたあめ色をした牛をつけているの。年をとった女が、お腹が大きく突き出てふうふう言って歩きまわるの。また、そうした女が、若い男を持っているのは、とってもみっともないのに、他の女のところに行ったといって焼きもちをやいてるの。年老いた男が猫撫で声を出しているの。そんな風に年老いて髭だらけの男が、椎の実をつまんで食べてるの。歯がない女が梅の実を食べて、酢っぱがっているの。身分のいやしい女が、紅の袴をはいているの。このごろはそんな連中ばかりのようだ。◆◆


■にげなきもの=不相応だったり、不釣合いだったりすることからくる不快な感じをもつものを主としてあげている。
■しじかみたる髪=ちぢれている髪
■ねこよびたる=不詳。猫呼ぶで、ねこなで声か
 



枕草子を読んできて(63)

2018年06月23日 | 枕草子を読んできて
五〇  虫は  (63) 2018.6.23

 虫は 鈴虫。松虫。はたおり。きりぎりす。蝶。われから。ひをむし。蛍。蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みければ、親に似て、これもおそろしき心地ぞあらむとて、親のあしき衣をひき着せて、「いま秋風吹かむをりにぞ来むずる。待てよ」と言ひて、逃げていにけるも知らず、風の音聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く。いみじくあはれなり。
◆◆虫は 松虫。鈴虫。きりぎりす。こおろぎ。蝶。われから。蜻蛉。蛍。これらがおもしろい。蓑虫は、たいへんしみじみとした感じを思わせる。鬼が生んだのだったので親に似て、これも恐ろしい気持ちを持っているだろう、というので、女親が粗末な着物を引き着せて、「もうすぐ、秋風が吹く頃になったら、その時迎えに来よう。待ってておいで」と言って、逃げて行ったのも知らず、秋風の音を聞き知って、八月ごろになると「ちちよ、ちちよ」と頼りなさそうに鳴く。たいへんしみじみとした感じだ。◆◆


■鈴虫。松虫=鈴虫は今の松虫、松虫は今の鈴虫というが、確かでない。
■はたおり=今のきりぎりすをいうか。
■きりぎりす=今のこおろぎをいうか。
■われから=甲殻類の小さな節足動物。
■ひをむし=かげろう。朝生暮死の虫。



 蜩。額づき虫、また、あはれなり。さる心に道心おこして、つきありくらむ。また、思ひかけず暗き所などにほとめきたる、聞きつけたるこそ、をかしけれ。
◆◆蜩もおもしろい。額突き虫は、また、しみじみとした感じがする。そんな小さな虫の心で道心をおこして、額をつけて拝みまわっているのだろう。また、思いがけず暗い所などで、ことことと音をたてているのを聞きつけた時は、おもしろいものだ。◆◆



 蠅こそにくき物のうちに入れつべけれ。愛敬なくにくき物は、人々しく書き出づばき物のさまにはあらねど、よろづの物にゐ、顔などに濡れたる足してゐたるなどよ。人の名につきたるは、かならずかたし。
◆◆蠅こそは、憎らしい物の中に入れてしまうものだ。愛敬がなくにくらしい物は、一人前のものとして書きあげる物のありさまではないが、いろいろな物にとまり、顔などに濡れている足でとまっている有様などといったらもう。人の名前に「蠅」とついているのは、かならず人生行く末がむずかしい。◆◆



 夏虫、いとをかしくらうたげなり。火近く取り寄せて物語など見るに、草子の上に飛びありく、いとをかし。蟻はにくけれど、かろびいみじうて、水の上などをただありくこそをかしけれ。
◆◆夏虫は、とてもおもしろく、可憐にみえる。ともし火を手に取って近づけて物語などを見るときに、綴じ本の上を飛びまわるのは、たいへんおもしろい。蟻はいやだけれど、身が軽いのはたいへんなもので、水の上などをすいーと歩き回るのなんて、とてもおもしろい。◆◆




枕草子を読んできて(62)

2018年06月20日 | 枕草子を読んできて
四九  あてなるもの  (62) 18.6.20

 あてなるもの 薄色に白襲の汗衫。削り氷の甘葛に入りて、あたらしき鋺に入れたる。梅の花に雪の降りたる。いみじううつくしきちごのいちご食ひたる。かりのこ割りたるも。水晶の数珠。
◆◆高貴で上品なもの 薄紫色の衵(あこめ)の上に白襲の汗衫(かざみ)を重ねたもの。削り氷が甘葛(あまずら)に入っていて、新しい金属製の碗に入れてあるの。梅の花に雪が降ってるの。とても可愛らしい幼児がいちごを食べてるの。かりの卵を割ってあるのも。水晶の数珠。◆◆


■あてなるもの=高貴なもの。上品な。
■薄色に白襲の汗衫(かざみ)=薄紫色の衵(あこめ)の上に白襲の汗衫(かざみ)を重ねたもの。初夏の童女の服装。
■甘葛(あまづら)=甘葛を煎じた汁。甘味料。
■鋺(かなまり)=金属製のわん
■かりのこ割り=「あてなるもの」の範囲では軽鴨が当たるという。

枕草子を読んできて(61)その2

2018年06月16日 | 枕草子を読んできて
四八  鳥は  (61) その2  2018.6.16

 庭鳥のひななき。水鳥。山鳥は、友を恋ひて鳴くに、鏡を見せたれば、なぐさむらむ、いとわかう、あはれなり。谷へだてたるほどなど、いと心苦し。鶴は、こちたきさまなれども、鳴く声の雲居まで聞こゆらむ、いとめでたし。頭赤き雀。斑鳩の雄鳥。たくみ鳥。
◆◆にわとりのピヨピヨと鳴くのが良い。水鳥がよい。山鳥は、友を恋しがって鳴くときに、鏡を見せておくと、その心がなぐさむそうであるのは、たいへん純真で、しみじみ心にしみておぼえる。雌雄が谷を隔てて寝ている夜の間など、たいへん気の毒だ。鶴は仰々しい様子ではあるけれども、鳴く声が天まで聞こえるというのが、たいへん結構だ。頭の赤い雀。斑鳩の雄鳥。たくみ鳥。これらも良い。◆◆

■谷へだてたる=昼は雌雄同居し、夜は谷を隔てて寝るといわれる。
■頭赤き鳥=べに雀。一説、入内雀。



 鷺は、いと見目もわろし。まなこゐなども、よろづにうたてなつかしからねど、「ゆるぎの森にひとりは寝じ」とあらそふらむこそをかしけれ。鴛鴦いとあはれなり。かたみにゐかはりつつ、羽の上の霜をはらふらむなど、いとをかし。雁の声はるかなる、いとあはれなり。近きぞわろき。千鳥いとをかし。はこ鳥。
◆◆鷺は見た目も劣っている。目つきなども、万事につけても親しみにくいけれど、「ゆるぎの森にひとりは寝じ」と妻争いをするというのこそおもしろい。鴛鴦(おしどり)はとてもしみじみとした感じがする。お互いに位置を代わり代わりしながり、羽の上の霜を払うらしいなど、たいへんおもしろい。雁の声がはるか遠いのはとてもしみじみとする。だが近いのは劣った感じだ。千鳥はとてもおもしろい。はこ鳥もおもしろい。◆◆

■「ゆるぎの森にひとりは寝じ」=「高島やゆるぎの森の鷺(さぎ)すらもひとりは寝じと争ふものを」
  ゆるぎの森は滋賀県高島郡万木にある。
■羽の上=「羽の上の霜うち払ふ人もなしをしの独り寝今朝ぞ悲しき」古今集



枕草子を読んできて(61)その1

2018年06月12日 | 枕草子を読んできて
四八  鳥は  (61) その1 2018.6.12

 鳥は こと所の物なれど、鸚鵡はいとあはれなり。郭公。水鶏。鴫。みこ鳥。ひわ。ひたき。都鳥。川千鳥は、友まどはらむこそ。雁の声は、遠く聞こえたる、あはれなり。鴨は、羽の霜うちはらふらむと思ふに、をかし。
◆◆鳥は 異国のものだけれども、鸚鵡(おうむ)はとてもしみじみとした感じがする。郭公(ほととぎす)。水鶏(くいな)。鴫(しぎ)。みこ鳥。ひわ。ひたき。都鳥。これらがいい。川千鳥は、友を惑わせて鳴くというが、その点が良い。雁の声は、遠く聞こえているのが、しみじみと感じられる。鴨は、羽を置いた霜を打ち払うというが、そうだと思うとおもしろい。◆◆

■鸚鵡(あうむ)=西域の霊鳥といわれた。
■都鳥=ゆりかもめ
■友まどはすらむ=「夕されば佐保の川原の川霧に友惑はせる千鳥鳴くなり」(拾遺・冬)
■羽の霜…=「埼玉の小埼の沼に鴨そ翼霧る己が尾に降り置ける霜を払ふとにあらし」(万葉1744)。



 鶯は、世になくさま、かたち、声もをかしきものの、夏秋の末まで老い声に鳴きたると、内裏のうちに住まぬぞ、いとわろき。また、夜鳴かぬぞいぎたなきとおぼゆる。十年ばかり内に候ひて聞きしかど、さらに音もせざりき。さるは、竹もいと近く、通ひぬべき枝のたよりもありかし。まかでて聞けば、あやしの家の梅の中などには、はなやかにぞ鳴き出でたるや。
◆◆鶯は世にたぐいなく様子も容貌も声もたいへん良いものであるけれど、夏や秋の末まで年老いた声で鳴いているのと、内裏に内に住まないのが、たいへん悪い。また、夜鳴かないのは寝坊助に感じられる。十年ほど宮中にお仕えして聞いていたけれど、一向に鳴きもしなかった。そのくせ、宮中には竹もたいへん近くにあり、通ってくるのにちょうど良い枝もあるのに。宮中から退出して聞くと、みすぼらしい家の梅の中などには、はなばなしく鳴き立てているよ。◆◆

■十年ばかり=作者の宮仕え年数や執筆年次を知る手がかりとして注目される。



 郭公は、あさましく待たれてより、うち待ち出でられたる心ばへこそいみしうめでたけれ。六月などにはまことに音もせぬか。雀ならば、鶯もさしもおぼえざらまし、春の鳥と、立ちかへるより待たるる物なれば、なほ思はずなるは、くちをし。人げなき人をばそしる人やはある。鳥の中に、烏、鳶などの声をば見聞き入るる人やはある。鶯は、文などに作りたれど、心ゆかぬ心地する。
◆◆(それにくらべて)ほととぎすは、あきれるほど人に待たれてから、期待通り鳴き出す心待ちがたいへん素晴らしい。そして六月などには、もう鳴きもしない。雀ならば、そんなにも感じられないであろうのに、春の鳥として、「年立ちかえる」時から、待たれるものであるから、やはり意外であるのは、残念である。人間でも、一人前でない人をば非難するする人があろうか。鳥の中でも、ありきたりの烏や鳶などの声は注意して見たり聞いたりする人があろうか。鶯は、漢詩文などに詠みこまれている、そうした点で満足できない気持ちがする。◆◆

■立ちかへるより=「あらたまの年立ち返るあしたより待たるるものは鶯の声」
■山鳥=尾の長い、きじ科の鳥。



枕草子を読んできて(60)その3

2018年06月09日 | 枕草子を読んできて
四七  木は  (60) その3  2018.6.9

 譲る葉のいみじうふさやかにつやめきたるは、いと青う清げなるに、思ひかけず似るべくもあらぬ茎の赤うきらきらしう見えたるこそ、いやしけれどもをかしけれ。なべての月ごろは、つゆも見えぬものの、師走のつごもりにしも、時めきて、亡き人の物にも敷くにやと、あはれなるに、またよはひ延ぶる歯固めの具にして使ひたンめるは、いかなるにか。「紅葉せむ世や」と言ひたるも、たのもしかし。柏木いとをかし。葉守りの神のますらむも、いとをかし。兵衛督、佐、尉などいふらむも、をかし。姿なけれど、すろの木、唐めきて、わろ家の物とは見えず。
◆◆譲る葉のたいへんふさふさとつややかなのは、とても青くて清らかな様子であるのに、それとは似合いそうもない茎が赤くきらきらと派手に見えるのは、品がないけれどもおもしろい。このゆずり葉の場合、普通の月には全く見られないものだが、十二月の晦日に幅をきかせて、亡き人の精霊に供える食物にも敷くのだろうかと、しみじみとした感じがするのに、一方では、寿命を延ばすおめでたい歯固めの食膳の品としても使っているようであるのは、いったいどういうわけなのだろうか(祝儀、不祝儀両方に使う)。「紅葉せむ世や」と歌にも詠まれているのも、頼もしいことだ。柏木はたいへんおもしろい。葉を守る神様がいらっしゃるようであるのも、たいへんおもしろい。兵衛督(ひょうえのかみ)、佐(すけ)、尉(じょう)などを柏木というようであるのも、おもしろい。木の格好は趣がないけれど、棕櫚の木は中国風で、下品な家の物とは見えない。◆◆


■譲る葉=ゆずり葉
■師走=亡霊は十二月末日午の刻に来て、正月一日卯の刻に帰るという。
■歯固めの具=新年の延寿の祝膳。肉や餅を食べ歯を食い固めたという。餅などにゆずり葉を敷いたのであろう。
■「紅葉せむ世や」=「旅人に宿かすが野の譲る葉の紅葉せむ世や君を忘れむ」(夫木抄・雑四)。常緑樹で紅葉しないからこういったもの。
■柏木=ぶな科の落葉喬木。
■木の葉を守る神=柏の葉は枯れても春まで落葉しない。「柏木に葉守の神のましけるを知らでぞ折りしたたりなさるな」(大和物語)
■すろの木=棕櫚の木


枕草子を読んできて(60)その2

2018年06月05日 | 枕草子を読んできて
四七  木は  (60) その2  2018.6.5

 この世近くも見え聞こえず、御嶽に詣でて帰る人など、しか持てありくめる、枝さしなどの、いと手触れにくげに荒々しけれど、何の心ありて、あすは檜の木とつけけむ、あぢきなきかねごとなりや。たれにたのめたるにかあらむと思ふに、知らまほしうをかし。ねずもちの木、人のなみなみなるべきさまにもあらねど、葉のいみじうこまかに小さきが、をかしきなり。楝の木。山橘。山梨の木。椎の木は、常盤にいづれもあるを、それしも、葉がへせぬためしに言はれたるもをかし。
◆◆「あすは檜の木」は、この近辺では見られず、ただ御嶽に参詣して帰ってくる人などは、手ぢかに持って回るようである。その枝ぶりなどが、とても手で触れないような荒っぽいものだけれど、どうしてまた、「明日は檜の木」と名付けたのだろうか、当てにもならない約束事よ。だれに頼みにさせているのだろうかと思うと、その相手を知りたくておもしろい。ねずみもちの木は、一人前に他の木なみに扱うべきものでもないけれど、葉がとても細かくて小さいのが面白いのである。楝の木。山橘。山梨の木。これらもおもしろい。椎の木は、常磐木はどれも落葉しないものであるのに、椎の木に限って、葉をかえない例として歌に詠まれているのもおもしろい。◆◆

■御嶽(みたけ)=吉野の金峰山。修験道の霊地。
■あすは檜の木=あすなろ
■ねずもちの木=ねずみもちの木
■山橘(やまたちばな)=やぶこうじ。正月の祝儀用。



 白樫などいふもの、まして深山木の中にもいとけどほくて、三位二位の上の衣染むるをりばかりぞ、葉をだに人の見るめる。めでたき事、をかしき事に申すべくもあらねど、いつとなく雪の降りたるに見まがへられて、須佐之男命の、出雲の国におはしける御供にて、人麻呂よみたる歌などを見るに、いみじうあはれなり。いひ事にても、をりにつけても、一ふしあはれともをかしとも聞きおきつる物は、草も木も鳥虫も、おろかにこそおぼえね。
◆◆白樫などと言う木は、まして深山の木の中でも、たいへん親しみの薄いもので、せいぜい三位や二位の袍を染める折ぐらいに、葉をだけを人は見るようである。素晴らしいこと、おもしろいこととして申してよいことでもないけれど、(白樫の様が)時季の分かちなく雪が降っているのに見間違えられて、
須佐之男命が、出雲の国にお出かけになったお供をして、人麻呂が詠んだ歌などを見ると、たいへんしみじみとした感じがする。◆◆

■人麻呂よみたる歌=人麻呂の「足引きの山路も知らず白樫の枝にも葉にも雪の降れれば」(『万葉集』の原歌は第四句「枝もとををに」)を『綺語抄』『和歌童蒙抄』では須佐之男命の作とする。歌語り的伝説であったか。


枕草子を読んできて(60)その1

2018年06月01日 | 枕草子を読んできて
四七  木は  (60) その1  2018.6.1

 木は、かつら。五葉。柳。橘。そばの木、はしたなき心地すれども、花の木どもの散り果てて、おしなべたる緑になりたる中に、時もわかず、濃き紅葉のつやめきて、思ひかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めずらし。まゆみさらにも言はず。その物ともなけれど、宿り木といふ名、いとあはれなり。榊、臨時の祭、御神楽のをりなど、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前の物と言ひはじめけむも、とりわきをかし。
◆◆木は かつら。五葉の松。柳。橘がよい。そばの木、これはどっちとも言えない気がするけれど、花咲く木がなどがみな散り果てて、全体が新緑になった中に、時節にはお構いなく、濃い紅葉がつやつやした感じで、思いもかけない青葉の中から差し出ているのは、目新しい。まゆみは、今さら言うまでもない。まあ取り立てて言うほどでもないが、宿り木と言う名は、しみじみとした感じがする。榊(さかき)は臨時の祭において、御神楽の時など、たいへんおもしろい。世に木はたくさんあれど、特にこの木を神の御前に奉るものと言い始めたそうであることも、格別におもしろ。◆◆

■かつら=『和名抄』は楓をカツラ、ヲカツラ、桂をメカツラ、カツラとよむ。それぞれ現在の木の何に当たるか必ずしもあきらかでないようだ。
■そばの木=錦木、かなめもちの両説あり。
■まゆみ=錦木科落葉樹。秋紅葉する。檀紙の料として、また弓の材となる。
■宿り木=寄生植物の総称。一説に蔦。
■榊(さかき)=賀茂臨時祭(十一月下酉の日)、石清水臨時祭(三月中午の日)に舞人が榊をかざして舞うという。

 

 楠の木は、木立ちおほかる所にも、ことにまじらひ立てらず。おどろおどろしき思ひやりうとましきを。千枝にわかれて、恋する人のためしに言はれたるぞ、たれかは数を知りて言ひはじめけむと思ふにをかし。檜の木、人近からぬ物なれど、「みつばよつばの殿つくり」もをかし。五月に雨の声まねぶらむも、いとをかし。
◆◆楠の木は、木立ちの多い所でも、特に混じって生えていない。仰山に生えている所を想像するといやな気がするけれども、枝が千に分かれて、恋する人の千々に乱れる心の引き合いに歌に詠まれているのは、だれがその数を千と知って言い始めたのかとおもうのもおもしろい。檜の木は、人里に近い所には生えていないものだけれど、「三葉四葉の殿作り」に用いられるのもおもしろい。五月の雨に、その雫で五月雨の音のまねをするとかいうのも、とてもおもしろい。◆◆



かへでの木、ささやかなるにも、萌え出でたる、木末の赤みて、同じ方にさしひろごりたる葉のさま、花もいと物はかなげにて、虫などの枯れたるやうにてをかし。
◆◆かへでの木は、小さな木にも、萌え出ている、木の先が赤らんでいて、同じ方向にさし広がっている葉の様子がおもしろいし、花もたいそうはかなげに、虫などがひからびているようでおもしろい。◆◆