永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(372)

2009年04月30日 | Weblog
09.4/30   372回

三十二帖【梅枝(うめがえ)の巻】 その(11)

 雲井の雁に父の内大臣はそっと、

「さる事をこそ聞きしか。なさけなき人の御心にもありけるかな。大臣の、口入れ給ひしにしうねかりきとて、引きたがへ給ふなるべし。心弱くなびきても人わらへならましこと(……)」
――こんな噂を聞きましたよ。無情な夕霧のお心よ。御父君の源氏が中に入って申し込まれました時、私が強情でしたからといって、他にお話を持っていかれるのでしょう。今更こちらが気弱に折れても見苦しいことですし、(どうしたら良かろうか、やはりこちらから、積極的にご機嫌を取るべきか……)――

 と、涙を浮かべておっしゃいますが、姫君はただただ恥ずかしく、涙をお見せせぬようにと横をお向きになっておられるのもいじらしい。姫君はそのまま縁近くで物思いに沈んでいらっしゃるところに、夕霧から御文がありました。すぐにご覧になりますと、
たいそう細やかに書かれていて、歌、

「つれなさはうき世のつねになり行くを忘れぬ人や人にことなる」
――あなたのつれなさは世間一般の女のようになっていきますのに、あなたを忘れない私は変わり者でしょうか――

 とだけで、噂の縁談については仄めかしさえもありません。薄情な方と心憂き思いながら、返歌は、

「かぎりとて忘れがたきを忘るるもこや世になびく心なるらむ」
――忘れられないでいる私を、今はこれまでとお忘れになってしまわれますのも、やはり世間並のお心なのでしょうか――

 お返事をご覧になって夕霧は、一体何のことだろうと、お手紙をお持ちになったまま、首をかしげて見ておられました。

◆しうねかりき=執念き=強情を張って

三十二帖【梅枝(うめがえ)の巻】おわり。

ではまた。


源氏物語を読んできて(371)

2009年04月29日 | Weblog
09.4/29   371回

三十二帖【梅枝(うめがえ)の巻】 その(10)

さらに、源氏がおっしゃるには、

「いみじう思ひのぼれど、心にしもかなはず、限りあるものから、すきずきしき心つかはるな、(……)位浅く何となき身の程、うちとけ、心のままなるふるまひなどものせらるな。」
――ひどく高望みしても思う通りにはならず、限界があるものだが、浮気はなさるな。(私などは、窮屈な宮中で育ち、過失のないようにと慎んでいたが、それでも色好みとの非難を受けてきまり悪い目にあいましたよ)官位が低く詰まらぬ身分だからとて、自由気ままな行動はなさるな――

「思ひしづむべきくさはひなき時、女の事にてなむ、賢き人、昔も乱るるためしありける。さるまじき事に心をつけて、人のなをも立て、自らもうらみを負ふなむ、つひのほだしとなりける。とりあやまりつつ見む人の、わが心にかなはず、しのばむこと難きふしありとも、なほ思ひ返さむ心をならひて、もしは親の心にゆづり、もしは親無くて世の中かたほにありとも、人がら心苦しうなどあらむ人をば、それを片かどによせても見給へ。わがため、人のため、つひによかるべき心ぞ深うあるべき」
――浮気を止めてくれる種になるような良い妻がない場合は、女の事で賢人が昔も身を持ち崩した例があったのだ。つまらぬことに熱中して、相手の浮き名も立て、自分も恨みを受けるのは、後生までの障りになるのです。見損なって結婚した女が、自分の気に入らず我慢できない点があろうとも、やはり思い直すように心掛けるがよい。親が居れば親に免じて、あるいは親が無くて暮らしが不十分でも、その人がよさそうならば、それを一つの取り柄として連れ添いなさい。自分の為にも相手のためにも、結局はよくなるようにと分別する心が、深いおもいやりというものですよ――

 こんなふうに、ご用のないつれづれの時には、源氏はお教えになります。
 夕霧は、このようなご教訓があるからという訳ではなく、もとより雲井の雁以外の女に心を移すことなど、考えてみたこともないと思っていらっしゃる。
 雲井の雁も、憂き身の上を思って沈んでいらっしゃるが、夕霧のお心を疑うこともなく、時々のお手紙をしみじみとご覧になっています。

 内大臣は、

「中務の宮なむ、大殿にも御気色たまはりて、さもやと思しかはしたなる」
――中務(なかつかさ)の宮が太政大臣(源氏)のご承諾を得て、ご縁談をおすすめになっているらしい――
 
 と、噂する人もあるので、さらに胸の塞がる思いをなさっていらっしゃる。

◆くさはひ=種はひ=物事の原因、種

◆かたほ=物事が不完全なこと=片親

◆片かど=ちょっとした取得

ではまた。


源氏物語を読んできて(織り・穀)

2009年04月29日 | Weblog
穀(こめ)

 捩り織物の一種で我が国では奈良時代からみられる。表面に米粒のような点描で表された織物で、全面にあるのを無文穀(むもんのこめ)、文様部に表したのを文穀(もんこめ)と呼ぶ。

 経緯ともに生絹(すずし)で織って張を持たせ、夏の料とした。殿中での夏の直衣(のうし)は三重襷(みえだすき)紋に織った文穀を用い、二藍(ふたあい)に染めた。

源氏物語を読んできて(370)

2009年04月28日 | Weblog
09.4/28   370回

三十二帖【梅枝(うめがえ)の巻】 その(9)

 雲井の雁のご様子は、今が盛りと美しさも整っておいでですのに、沈んでおられるのを見るのは、内大臣としては嘆きの種である上に、

「かの人の御気色はた、同じやうになだらかなれば、心弱く進みよらむも人笑はれに、人のねんごろなりしきざみに、なびきなましかば、など人知れず思し嘆きて、一方に罪をもえおほせ給はず」
――夕霧の態度がまた、依然として落ち着いていますので、こちらから折れて進みゆくのも外聞が悪く、かつて夕霧が熱心に望んだ時に従っておれば良かったなどと心密かに歎いては、成り行きの悪さを夕霧一人のせいにすることもお出来になれない――

 宰相の君(夕霧)は、このように内大臣が少し折れてこられたご様子を、耳にされておりますが、

「しばしつらかりし御心を憂しと思へば、つれなくもてなし鎮めて、さすがに外ざまの心はつくべくも覚えず、心づから戯れにくき折多かれど、あさみどり聞こえごちし御乳母どもに、納言に上りて見えむの御心深かるべし」
――あの頃の辛かったお仕打ちを恨めしく思っておられますので、騒ぎ立つ胸を人目には知らせずおし鎮めながら、とはいえ、他の女に心を向ける気にもなりません。心の底からやるせなく思うことが多いのですが、六位の袍の浅緑と侮った乳母どもに、せめて位が納言(なごん)に昇ってから会うことにしようとの決意も固いのでした――

 父の源氏は、夕霧が身を固めようとしないことを心配されて、

「かのわたりのこと思ひ絶えにたらば、右の大臣、中務の宮などの、気色ばみ言はせ給ふめるを、いづくも思ひ定められよ」
――あの雲井の雁を諦めたのならば、右大臣や中務(なかつかさ)の宮なども、そなたを婿にとのご意向があるようだから、どこなりと決めなさい――

 夕霧は無言のまま、畏まって控えていらっしゃる。源氏は「私自身も故院の有難いお教えにさえ従わなかったのだから、意見はしたくないが、今となってみると、そのご教訓こそは、長く心の掟にすべきお言葉でしたよ」と、さらにつづけておっしゃるには、

「つれづれとものすれば、思ふところあるにや、と、世人もおしはかるらむを、宿世のひく方にて、なほなほしき事にありありて靡く、いと尻びに人わろき事ぞや」
――独身で寂しく暮らしていると、何かわけがあるのかと世間も推量するだろうし、宿縁に引かれて結局はつまらない女と一緒になるようなことがあっては外聞もわるく、初めは良くても末がしぼむ見苦しい事になりかねない――

◆他の女=貴族の夕霧としての他の女とは、北の方にふさわしい女のこと。当時は宮仕えの女房たちや、家人の女達は性欲のはけ口で、女の数にも入らない。

◆なほなほしき事にありありて=直直しきことに在り在りて=何の取り柄もない平凡なことにとどのつまりはなってしまって

◆尻び=尻尾=尻すぼみ

ではまた。



源氏物語を読んできて(織り・綾織物)

2009年04月28日 | Weblog
◆綾織物

 地経(たて)糸または地緯(ぬき)糸で地文様を織った紋織物の総称。朝服などの袍(ほう)に、また女官の儀礼服の生地として織られる。

 公家各家の袍や狩衣(かりぎぬ)に、また用途に従った専用の織文が作られ、それらが有職文様として成立していった。白生地で織上げ、後染をした。

源氏物語を読んできて(369)

2009年04月27日 | Weblog
09.4/27   369回

三十二帖【梅枝(うめがえ)の巻】 その(8)

 源氏は、たくさんの人々に、筆も墨も紙も惜しみなく差し上げられて、依頼文を添えて、思い思いに書いて下さるようにお願いなさっております。ご自分ももちろん寝殿にお籠りになって、古歌などを草仮名などで、心ゆくまでこの上なく美しくお書きになります。

 蛍兵部卿の宮は、ご自邸のお手本をお取り寄せになって、源氏にお見せになります。

「嵯峨の帝の、古万葉集を選び書かせ給へる四巻、延喜の帝の、古今和歌集を、唐の浅縹の紙をつぎて、おなじ色の濃き紋の、綺の表紙、同じ玉の軸など」
――嵯峨の帝が古万葉集の中から選んでお書きになった四巻、延喜の帝が古今和歌集を、唐の浅縹(あさはなだ)の紙を継いで、おなじ色の濃い文様のある唐の綺の表紙、縹色の玉の軸など――

 源氏は、大殿油を近くにお寄せになって、これらの書物をご覧になりながら、

「つきせぬものかな。この頃の人は、ただかたそばを気色ばむにこそありけれ」
――古人の筆跡は趣深く興味のつきないものですね。この頃の人はただその一部を真似するにすぎないのですね――

 と、しみじみ眺め入っておられます。蛍兵部卿の宮は、

「女子などを持て侍らましだに、をさをさ見はやすまじきには、伝ふまじきを、まして朽ちぬべきを」
――私は娘を持っていませんが(娘がいたとしても)、ろくに鑑賞もできない者には譲るべきではないと思っておりますし、このまま朽ちらせてしまいますのも何ですので――

 と、この万葉集と古今和歌集をそのまま、源氏に贈られました。源氏はお礼として、唐の手本などのたいそう心を用いて書いたものを、沈の箱にお入れになって、立派な高麗笛を添えて、お使いの侍従の君にお贈りなさいました。

 さらに、この頃の源氏は、ひたすら仮名の品定めをなさって、今の世で能書家と評判の人を身分を問わず探し出し、それぞれにふさわしい物をお書かせになって、入内の準備へと急いでおります。

 内大臣は、

「この御いそぎを、人の上にて聞き給ふも、いみじう心もとなく、さうざうしと思す」
――(源氏が)明石の姫君入内のご用意をされているご様子を、他人事に聞かれるにつけても、(雲井の雁)を思って、ひどく不安な淋しい心地でいらっしゃいます――

ではまた。

源氏物語を読んできて(織り・顕紋紗)

2009年04月27日 | Weblog
 顕紋紗(けんもんしゃ)

 羅を簡略にした織物で、経(たて)糸三本を一組にして捩り織りをしたもの。私服の狩衣(かりぎぬ)に多用され、透けた地合いに不透明な文様を織りだして、裏地と対照的な配色で文様を浮き立たせて表現した。
 平安時代、羅で複雑な文様が織れなくなり、以降この顕紋紗が盛行する。

源氏物語を読んできて(368)

2009年04月26日 | Weblog
09.4/26   368回

三十二帖【梅枝(うめがえ)の巻】 その(7)

 ご入内の調度品も今までのものの上に更に整えられて、種々その道に優れた方を召し集めてお作らせになります。草子類はそのまま、手蹟のお手本にもできそうな、今に名を残している方々のもあります。源氏は紫の上を前にしてお話になります。

「よろづの事、昔にはおとりざまに、深くなり行く世の末なれど、仮名のみなむ今の世はいと際なくなりたる。古きあとは、定まれるやうにはあれど、ひろき心ゆたかならず、一筋に通ひてなむありける。」
――すべてのことが昔よりもだんだん深みに欠けて見劣りするようになってきましたが、仮名文字だけは、今の世の方がずっと巧みになりましたね。古人の筆跡は型にははまっていますが、のびのびとした自由な味わいが無くて、手筋がみな一様に似通っています――

「妙にをかしきことは、外よりてこそ書き出づる人々ありけれど、女手を心に入れて習ひしさかりに、こともなき手本多くつどへたりし中に、中宮の母御息所の、心にも入れず走り書い給へりし一行ばかり、わさとならぬをえて、際ことに覚えしはや」
――美しく優雅な書風は、近頃の人によって拓かれてきましたが、私が仮名を熱心に習った頃、良いお手本のたくさんありました中に、秋好中宮の御母でいらっしゃる六条御息所が、さらさらと走り書きされた一行ほどの仮名書きを拝見して、格別感心したことがありました――

「さてあるまじき御名もたて聞こえしぞかし。くやしき事に思ひしみ給へりしかど、さしもあらざりけり」
――そんなことから、とんでもない浮名を立てられるようになったのです。私の方ではそれほど薄情なつもりはなかったのです――

さらに「私がこうして中宮をお世話申すのを、六条御息所はあの世で私をきっと見直してくださっているでしょう」と、小声でお続けになります。

「故入道の宮の御手は、いと気色深うなまめきたる筋はありしかど、弱き所ありて、にほひぞすくなかりし。院の尚侍こそ、今の世の上手におはすれど、あまりそぼれて癖ぞ添ひためる。さはありとも、かの君と、前斎院と、ここにとこそは書き給はめ」
――故藤壺入道の宮の手蹟は、ごく深みがあって優雅ではありましたが、弱いところがあって、余韻が乏しかった。朱雀院の尚侍の朧月夜こそは、今の世で上手ではありますが、洒落過ぎて癖がありますね。まあそうではありますが、朧月夜と前斎院の朝顔の君と、あなた(紫の上)とが、今のところ女手の名手でしょうね――  

と、紫の上を御認めになるのでした。

ではまた。


源氏物語を読んできて(367)

2009年04月25日 | Weblog
09.4/25   367回

三十二帖【梅枝(うめがえ)の巻】 その(6)

 秋好中宮をはじめ、理想通りお美しく、奥ゆかしい方々をお集めになっています六条院のお住居を、源氏は改めてまことに結構なことだと思っていらっしゃる。ただ、

「母上の、かかる折だにえ見奉らぬを、いみじと思へりしも、心苦しうて、参うのぼらせやせましと思せど、人の物言いをつつみて過ぐし給ひつ。」
――姫君の母上(明石の御方)が、このような晴れがましい儀式の姫君を見られませんのを、悲しまれているのも気の毒と源氏は思われて、余程こちらへ参るようにおさせしようかと思いましたが、人の陰口を憚ってそのままになさったのでした――

 「東宮の御元服は、廿よ日(はつかよか)の程になむありける。いとおとなしくおはせば、人の女(むすめ)ども競ひ参らすべき事を、心ざし思すなれど(……)」
――東宮の御元服は、二十日過ぎでございました。東宮はたいそう大人びていらっしゃいますので、娘たちを競って入内させようと人々が算段されていますが、(源氏が明石の姫君を格別なお考えで準備されているとの噂に、なまじ差し出してもつまらぬお扱いに終わるような宮仕えでは)――

 と、左大臣などは、思い留まられるということを、源氏がお耳になさって、

「いとたいだいしき事なり。宮仕えの筋は、あまたある中に、すこしのけじめをいどまむこそ本意ならめ。そこらのきゃうざくの姫君たち、引き籠められなば、世に栄あらじ」
――それはもってのほかです。宮仕えというものは大勢の中でちょっとした優劣を競うのが本筋でしょう。多くの優れた姫君たちが、宮仕えに出ずに引き籠られては、東宮の御所はさぞ淋しいことでしょう――

 と、おっしゃって、明石の姫君のご入内をお延ばしになりました。そこで、この姫君の後からと差し控えておいでになった方々も、源氏のご意見をお聞きになって、

「左大臣殿の三の君参り給ひぬ。麗景殿と聞こゆ」
――まず、左大臣の三の君が入内されました。麗景殿(れいけいでん)と申し上げます――

 源氏は、明石の姫君の宮中のお部屋として、ご自身昔の宿直所でありました桐壷を、立派に模様替えなさって、東宮もお待ちかねでいらっしゃるので、入内を四月にとお定めになりました。

ではまた。

源氏物語を読んできて(366)

2009年04月24日 | Weblog
09.4/24   366回

三十二帖【梅枝(うめがえ)の巻】 その(5)

 「蔵人所の方にも、明日の御遊びのうちならしに、御琴どもの装束などして、殿上人などあまた参りて、をかしき笛の音ども聞ゆ」
――蔵人所(くろうどどころ=宮中に模した六条院内の詰所)の方でも、明日の管弦のお遊びの練習に、楽器類の手入れなどなさって、殿上人たちが大勢集まって、笛の音など面白く聞こえてきます――

 内大臣家の柏木中将と弁の少将が参上のご挨拶だけで退出なさるところを、源氏はお引き留めになって、御琴などをご用意させて、

「宮の御前に琵琶、大臣に筝の御琴まゐりて、頭の中将和琴たまはりて、はなやかに掻きたてたる程、いとおもしろく聞こゆ。宰相の中将横笛ふき給ふ。折にあひたる調子、雲井とほるばかり吹きたてたり。弁の少将拍子とりて、「梅枝」いだしたる程いとをかし」
――蛍兵部卿の宮の御前には琵琶、源氏には筝の事を差し上げ、頭の中将(柏木)は和琴を承ってはなやかに奏でられますのが、たいそう面白く聞こえます。夕霧は横笛を御吹きになります。弁の少将(柏木の弟)は拍子を取って、催馬楽の「梅が枝」を謡い出された様子もなかなか趣があります――

 この夜は改まった催しではありませんが、なかなか風流なお遊びでした。蛍兵部卿の宮から源氏に盃をおさしになって、その折に歌を一首、源氏もお返しに歌を一首というように、順次盃を回されて、鶯、梅、霞、風を織り込んだ歌が歌われたのでした。

 宮への贈り物に、

「みづからの御料の直衣の御よそひ一領、手ふれ給はぬ薫物二壺そへて、御車にたてまつらせたまふ。……つぎつぎの君たちにも、ことごとしからぬさまに、細長小袿などかづけ給ふ」
――源氏ご自身の御直衣一揃いに、まだ手も触れていない薫物二壺を添えられて、御車の中にお入れ申し上げます。……柏木や弁の少将以下の人々にも、あまり目立たないように、女ものの細長や小袿などを贈られました――

さて、

「かくて西の御殿に、戌の時に渡り給ふ」
――翌日二月十一日、源氏は西の対の中宮の御殿に、午後八時ごろお渡りになりました――

 西の対に造られた放出(はなちで)を、御裳著のために飾り立てて、紫の上もお出でになり、たくさんの女房たちでいっぱいです。

「子の時に御裳たてまつる。大殿油(おほとなぶら)ほのかなれど、御けはひいとめでたし、と宮は見奉り給ふ」
――(明石の姫君は)午後十二時頃に御裳を着られます。大殿油(おほとなぶら)の灯は仄かですが、(腰結役の)秋好中宮は姫君のご様子をまことにお美しいとご覧になります――

◆催馬楽の「梅が枝」=むめがえに(梅が枝に)来ゐる鶯や 春かけて はれ 春かけて 鳴けどもいまだや 雪は降りつつ あはれ そこよしや 雪は降りつつ

◆写真:裳著の前の源氏と明石の姫君

ではまた。