永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(100)その3

2018年11月25日 | 枕草子を読んできて
八七  返る年の二月二十五日に  (100) その3  2018.11.24

 暮れぬれば、まゐりぬ。御前に人々おほくつどひて、物語のよきあしき、にくき所などをぞ定め言ひしろひ、涼・仲忠が事など、御前にもおとりまさりたる事仰せされける。「まづこれいかにとことわれ。仲忠が童生ひのあやしさをせちに仰せらるるぞ」など言へば、「何かは。琴なども天人おるばかり弾きて、いとわろき人なり。御門の御むすめやは得たる」と言へば、仲忠が方人と心を得て、「さればよ」など言ふに、「この事もとよりは。昼忠信がまゐりたりつるを見ましかば、いかにめでまどはましとこそおぼゆれ」と仰せらるるに、人々「さてまことに、常よりもあらまほしうこそ」など言ふ。「まづその事こそ啓せむと思ひてまゐりはべりつるに、物語のことにまぎれて」とて、ありつる事を語りきこえさすれば、「たれもたれも見つれど、いとかく縫ひたる糸、針目までやはとほしつる」とて笑ふ。
◆◆日が暮れてしまったので、職に参上した。中宮様の御前に女房たちが大勢集まって座っていて、物語の良し悪し、気に食わない所などを品定めし言い争い、涼や仲忠のことなど、中宮様におかれても、劣っていること勝っていることを仰せあそばしたのだった。「何よりもさきにこれはどんなものかと判定しなさい。中宮様は、仲忠の子供のころの生い立ちのいやしさを強く仰せになりますよ」などと女房の一人が言うので、「どうしてどうして、涼は琴なども天人が降りる程度に弾いただけで、とても劣った人です。涼は仲忠のように御門の御娘を手に入れていますか」と言うと、私を仲忠の味方であると判断して、「そらごらんなさい」などと言うときに、中宮様が、「仲忠びいきのことはもともと知っていますよ。昼に斉信が参上していたのを、もしもそなたが見たのだったら、それこそどんなに素晴らしがって大騒ぎしたことだろうにと感じられる」と仰せになると、人々が「そうして本当にいつもよりも非の打ちどころなくお見えで…」などと言う。私は、「何より先にそのことをその事をこそ申し上げようとおもって参上いたしましたのに、物語のことにまぎれまして」と言って、先刻のことをお話し申し上げると、「だれもだれも見たけれど、徹底的にこんなに縫ってある糸や針目までも見通してしまったろうか」と言って笑う。◆◆

■涼・仲忠が事(すずし・なかただ)=涼(帝の子、母は長者の娘)・仲忠(右大臣の子、母は清原氏)は、『宇津保物語』の人物。仲忠は幼時貧しく、母と杉の洞に住む。

■琴なども天人……=『宇津保物語』に、紅葉賀の折、仲忠・涼の琴の演奏によって天人が降下して舞ったとある。この一文は涼を悪くとっている。仲忠は女一の宮を賞に得、涼は得ぬことをさす。
■とほしつる=不審。



「『西の京といふ所の荒れたりつる事。見る人あらまほしかばとなむおぼえつる。垣などもみなやぶれて、苔生ひて』など語りつれば、宰相の君の『瓦の松はありつるや』といらへたりつるを、いみじうめでて、『西の方去れる事いくばくの御いのちぞ』と口ずさみにしつること」など、かしがましきまで言ひしこそ、をかしかりしか。
◆◆「頭中将が『西の京というところの荒れてしまったことよ。一緒に見る人がいるのだったら、と思われた。垣などもみな破れて、苔が生えて』などと話したところ、宰相の君が『瓦の松はありましたか』と応じたのを、頭中将がたいそうほめて、『西の方去れる事いくばくの御いのちぞ』などと口ずさみに吟じたことよ」などと、人々がうるさいほどに言ったのこそ、おもしろかった。◆◆

■宰相の君=中宮の女房。作者に並ぶ才女。



枕草子を読んできて(100)その2

2018年11月20日 | 枕草子を読んできて
八七  返る年の二月二十五日に  (100) その2

 桜の直衣、いみじくはなばなと、裏の色つやなど、えも言はずけうらなるに、葡萄染めのいと濃き指貫に、藤の折枝、ことごとしく織り乱れて、紅の色、打ち目などかがやくばかりぞ見ゆる。下に白き薄色など、あまた重なりたり。せばきままに、片つ方はしもながら、すこし簾のもと近く寄りゐたまへるぞ、まことに絵にかき、物語のめでたき事に言ひたる、これこそはと見えたる。
◆◆桜の直衣は、とても華やかで、裏の色艶など、なんとも言えないほど清らかで美しいが、そのうえ、葡萄染めのとても濃い指貫に、藤の折枝の模様を、豪華に織り散らして、下着の紅の色や、砧で打った光沢などは輝くばかりに見える。その下には白いのや薄紫色などの下着が、たくさん重なっている。簀子が狭いので、片足は縁から下におろしながら、片足で座って、上半身は少し簾のもと近くに寄っていらっしゃる様子は、本当に絵に描いたり、物語の中でのすばらしいこととして言ったりしているのは、まったくこれのことよというふうに見える。◆◆

■桜=桜襲(さくらがさね)表白、裏赤または紫。
■けうらなる=「きよら」の転音。


 御前の梅は、西は白く、東は紅梅にて、すこし落ちがたになりたれど、なほをかしきに、うらうらと日のけしきうららかにて、人に見せまほし。簾の内に、ましてわかやかなる女房などの、髪うるはしく長く、こぼれかかりなど、添ひゐたンめる、いますこし見所あり、をかしかりぬべきに、いとさだ過ぎ、ふるぶるしき人の、髪などもわがにはあらねばにや、所々わななき散りぼひて、おほかた色ことなる事なれば、あるかなきかなる薄鈍ども、あはひも見えぬ衣どもなどあれば、つゆの映えも見えぬに、おはしまさねば、裳も着ず、袿姿にてゐたるこそ、物ぞこなひにくちをしけれ。
◆◆梅壺の御前の梅は、西が白く、東のは紅梅で、少し散りかたになっているけれど、やはりおもしろい折から、うらうらと日の光の様子がのどやかで、人に見せたい。簾の内側にはまして年若な女房などで、髪がきちんと整って長く、顔や肩にこぼれかかりなどして、寄り添って座っているような場合は、もうすこし見所もあり、おもしろいに違いないだろうが、(私のような)すっかり盛りを過ぎて古びた女で、髪なども自分のでないからだろうか、ところどころちぢれていて乱れてもいて、今は喪服でいつもとちがっているときなので、色があるかないか分からぬ薄鼠色の上衣や、重ねの色合いもはっきりしていない着物などを着ているので、まったく引き立っても見えない。そのうえ中宮様がいらっしゃらないので裳も付けず、袿姿で座っているのこそは、せっかくの雰囲気に対してぶち壊しで残念なことだ。◆◆


「職へなむまゐる。ことづけやある。いつかまゐる」などのたまふ。「さても昨夜、明かしも果てで、さりともかねてさ言ひてしかば、待つらむとて、月のいみじう明かきに西の京より来るままに、局をたたきしほど、からうじて寝おびれ起き出でたりしけしき、いらへのはしたなさ」など語りて、笑ひたまふ。
「むげにこそ思ひうんじにしか。などさる者をば置きたる」など。げにさぞありけむと、いとほしくをかしくもあり。しばしありて出でたまひぬ。外より見む人は、をかしう、内にいかなる人のあらむと思ひぬべし。奥の方より見いだされたらむうしろこそ、外にさる人やともえ思ふまじけれ。
◆◆「職へ参上する。伝言はあるか。いつ参上するのか」などと頭中将がおっしゃる。「それにしても昨晩夜を明かしてもしまわないで、たといこんな時刻ではあっても、前からああ言っておいたのだから、待っているだろうと思って、月のたいそう明るい頃に西の京から来るとすぐに、局を叩いたところ、留守居の女がやっとのことで寝ぼけて起き出てきていたその様子、その応対の言葉のばつの悪さ」などといろいろ話して、お笑いになる。
「全くいやになってしまったよ。どうしてあんな者を置いてあるのか」などと。なるほどそうであったかと、頭中将が気の毒でもあり、おかしくもある。しばらくして頭中将はお出ましになった。外から見る人があったら、その人は素晴らしく、内側にどんな美人がいるだろうと思うに違いない。反対に奥の方から見られているとしたら、私の後ろ姿こそは、外にそんなに素敵な男性がいようかとも、思いつくこともできないだろう。◆◆

■西の京=朱雀大路を境として西側の京。東側は栄えたが西側は衰えていた。
■うんじ=「倦みす」の撥音便。
■外より見む人は=頭中将が御簾の傍で中に向かい話しかける様子を外側から見る人。
■見いだされたらむ=奥から外へ視線を向けて出すことが「見いだす」であり、作者は後ろ姿を見られることになる。
■さる人=そんなすばらしい男性が。

枕草子を読んできて(100)その1

2018年11月12日 | 枕草子を読んできて
八七  返る年の二月二十五日に  (100) その1  2018.11.12

 返る年の二月二十五日に、宮、の職の御曹司に出でさせたまひし御供にまゐらで、梅壺に残りゐたりしまたの日、頭中将の御消息とて、「昨日の夜、鞍馬へ詣でたりしに、今宵方のふたがれば、違へになむ行く。まだ明けざらむに、帰りぬべし。かならず言ふべき事あり。いたくたたかせで待て」とのりたまへりしかど、「局に人々はあるぞ。ここに寝よ」とて、御匣殿召したれば、まゐりぬ。
◆◆あくる年の二月二十五日に、中宮様が、職の御曹司にお出ましあそばした御供に参上しないで、梅壺に居残っていた次の日、頭中将(斉信)のお手紙ということで、「昨日の夜、鞍馬へ参詣していたが、今晩方角が塞がるので、方違えによそへ行く。まだ夜が明けないうちにきっと京へ帰るだろう。是非話したいことがある。あまり局の戸を叩かせないで待っててくれ」とおっしゃっていらしたけど、「局には留守居の女房たちはいるのだから、あなたはここで寝よ」ということで、御匣殿がお召しになっているので、そちらに参上してしまった。◆◆

■返る年=前段を受けて長徳二年
■職の御曹司(しきのみざうし)=中宮職内の中宮御所
■梅壺(うめつぼ)=凝花舎(ぎょうかしゃ)
■御匣殿(みくしげどの)=天皇の服を裁縫する所で貞観殿にある別当(長官)。道隆四女で定子の同腹の妹がそれと推定されている。



 久しく寝起きておりたれば、「昨夜いみじう人のたたかせたまひし。からうじてうらてかねおきてはべりしかば、『うへにか。さらば、かくなむ』とのたまひしかども、『よも聞かせたまはじ』とて、臥しはべりにき」と語る。心もとなの事やとて聞くほどに、主殿寮来て、「頭の殿の聞こえさせたまふなり。『ただいままかり出づるを、聞こゆべき事なむある』」と言へば、「見るべき事ありて、うへへなむのぼりはべる。そこにて」と言ひて、局は引きもやあけたまはむと、心ときめきして、わづらはしければ、梅壺の東面の半蔀上げて、「ここに」と言へば、めでたくぞ歩み出でたまへる。
◆◆長く寝て起きて下局に下がっていると、下仕えの女が「昨夜はひどく戸をお叩きになりました。やっとウラテ?が寝覚めて起きましたところ、『上においでか。それなら、これこれとお伝えせよ』とおっしゃいましたが、『お取次ぎしてもよもやお聞きになりますまい』とお断りして、寝てしまいました。」と話す。なんとじれったいことよ、と思って聞いているうちに、使いの主殿寮の男が来て、「頭の殿があなたに申し上げなさるのです。『今すぐ退出するのだが、申し上げたいことがある』とのことで…」言うので、(私が)「しなくてはならない用事があって上へのぼります。そこで」言って、局は、戸をお引き開けになるかもしれないと、胸がどきどきして、面倒なので、梅壺の東面の半蔀を上げて、「こちらへ」と言うと、すばらしいお姿で歩み出ていらっしゃる。◆◆

■うらてか=不審

枕草子を読んできて(99)その4

2018年11月05日 | 枕草子を読んできて
八六  頭中将のそぞろなるそら言にて   (99)  その4  2018.11.5

 修理亮則光、「いみじきよろこび申しに、うへにやとてまゐりたりつる」と言へば、「なぞ。司召ありとも聞こえぬに、何になりたまへるぞ」と言へば、「いで、まことにうれしき事昨夜侍りしを、心もとなく思ひ明かしてなむ。かばかり面目ある事なかりき」とて、はじめありける事ども、中将の語りつる同じ事どもを言ひて、「『この返事にしたがひて、さる者ありとだに思はじ』と、頭中将のたまひしに、ただに来たりしはなかなかよかりき。持て来たりしだびは、いかならむと胸つぶれて、まことにわろからむは、せうとのためもわろかるべしと思ひしに、なのめにだにあらず、そこらの人のほめ感じて、『せうとこそ。聞け』とのたまひしかば、下心にはいとうれしけれど、『さやうの方には、さらにえくふんすまじき身になむはべる』と申ししかば、『言加へ聞き知れとにはあらず。ただ人に語れとて聞かするぞ』とのたまひしなむ、すこしくりをしきすとのおぼえにはべりしかど、『これが本つけ試みるに、言ふべきやうもなし。こと、またこれが返しをやすべき』など言ひ合はせ、わろき事いひては、なかなかねたかるべしとて、夜中までなむおはせし。これ、身のためにも、人の御ためにも、さていみじきよろこびにはべらずや。司召に少々の司得てはべらむは、何と思ふまじくなむ」と言へば、げにあまたしてさる事あらむとも知らで、ねたくもあるかな。これになむ胸つぶれておぼゆる。この「いもうとせうと」といふ事は、うへまでみな知ろしめし、殿上にも、司名をば言はで、せうととぞつけたる。
◆◆修理の亮則光が、「たいへんなよろこび申し上げに、上の御局におられるかと思ってそちらに参上してしまっていたのです」と言うので、「なぜです。司召があるとも聞いていないのに、何におなりになっているのですか」と言うと、「いやもう、ほんとうにうれしいことが昨夜ございましたのを、待ち遠しく思って夜を明かしまして。これほど面目を施したことは今までありませんでした」と言って、最初にあった事々、源中将がすでに話してしまったと同じことをいろいろ言って、(さらに則光は)「『この返事次第で、そんな者がいるとさえも思うまい』と、頭の中将がおっしゃった時に、使いの者が何も持たずに帰って来ていたのは、かえってよかった。二度目に返事を持って来ていた時は、どうなのだろうと胸がどきっとして、ほんとうにその返事がまずければ、このきょうだいのためにも不味いと思ったのに、一通りどころではない出来栄えで、大勢の人がほめて感心して、『きょうだいよ。聞けよ』とおっしゃったので、内心はもちろんうらしいけれど、『そうした文雅の方面には、いっこう思慮できそうもない身でございます』と申し上げたところ、『批評したり、聞いて理解したりしろというのではない。ただ、人に吹聴しろということで聞かせるのだよ』とおっしゃったのは、少し残念なきょうだいの思われ方でございましたが、『これの上の句をつけようとしてやってみるけれど、どうにも言いようがない。ことさらまたこれの返事をしなければならないこともあるまい』などと相談して、下手なことを言っては、返ってきっとしゃくだろうというわけで、夜中までもそうしておいでになりました。これは、わたしの身のためにも、あなたの御ためにも、そのまま大変なよろこびではございませんか。司召に少々良い官を得ておりましょうのは、これに比べれば、何とも思いますまいことで」と言うので、なるほど大勢でそんなことがあろうとも知らないで、癪なことだったこと。このことでは胸がどきっとするように感じられる。この「きょうだい分」ということは、主上までもすっかりご存じあそばして、殿上でも、官名の修理の亮は言わずに「きょうだい」とあだ名がつけてある。◆◆


■修理亮則光(すりのすけのりみつ)=橘氏。長徳二年(996)修理亮。作者と親しい関係にあったらしい。
■よろこび申し=「よろこび」は自分のうれしく思う気持ち。
■司召(つかさめし)=秋の京官の除目をいうが、ここでは臨時の除目をいうのだろう。
■せうと=「兄人(せひと)」の音便。本来は女から同腹の兄弟をさしていう語。則光の通り名代わりに使われている。則光は作者と義兄妹の約束があったのだろうという。仮に「きょうだい」と訳す。年上か年下か確かなことは未詳。
■いもうと=「妹人(いもひと)」の音便。本来は男から同腹の姉妹をいう語。作者のこと。きょうだい分。愛人関係と普通解されているが、一説にはなお夫婦となるには距離なり事情がある場合に義兄妹の約をすること。



 物語などしてゐたるほどに、「まづ」と召したれば、まゐりたるに、この事仰せされむとてなりけり。うへのわたらせたまひて、語りきこえさせたまひて、「をのこどもみな扇に書きて持たる」と仰せらるるにこそ、あさましう、何の言はせたる事にかとおぼえしか。
 さて後に、袖几帳など取りのけて、思ひなほりたまふめりし。
◆◆女房たちと話をしている時に、中宮様から「すぐにいらっしゃい」とのお召しがありましたので、参上いたしましたところ、この事を仰せられあそばされたのでした。主上がお越しあそばされて、中宮様にそのことをお話しあげあそばして、その結果、中宮様は、「殿上の男たちはみな扇にあの句を書きつけて持っているよ」と仰せになるのには、それこそあきれて、何がそんな風に吹聴させていることなのだろうかと感じられた。
 それから後に、袖几帳などを頭の中将は取りのけて、お気持ちがおなおりになるようであったよ。◆◆

■何の言はせたる事にか=一説に、何という魔性の物が私に憑いて、あの時あの句を言わせたのか。
■袖几帳=前に「袖をふたぎて」とあった。
        頭の中将斉信(ただのぶ)の官位からすると、長徳元年(995)二月のことだろう。
一条帝16歳。中宮19歳。斉信(ただのぶ)29歳。作者30歳のころになる。




枕草子を読んできて(99)その3

2018年11月01日 | 枕草子を読んできて
八六  頭中将のそぞろなるそら言にて   (99)  その3  2018.11.1

 みな寝て、つとめていととく局におりたれば、源中将の声して、「草の庵やある。草の庵やある」と、おどろおどろしう問へば、「などてか、さ人げなきものはあらむ。『玉のうてな』もとめたまはしかば、いらへ聞こえてまし」と言ふ。
◆◆みな寝て、翌朝たいへん早く自分の局に下がっていると、源中将の声で、「草の庵はいるか。草の庵はいるか」と、大げさな言い方でたずねるので、「まあ、どうしてそんな人間らしくない者がいましょうか。『玉の台(うてな)』をお探しなら、きっとお返事をもうしあげましょうに」と言う。◆◆

■草の庵=寂しい草の庵にいる私を誰が訪れようか。
■源中将(げんのちゅうじょう)=宣方(のぶかた)、正暦5年右中将。



 「あなうれし。しもにありけるよ。うへまでたづねむとしけるものを」とて、昨夜ありしやう、「頭中将の宿直所にて、すこし人々しき限り、六位まであつまりて、よろづの人の上、昔今と語り言ひしついでに、『なほこの者、むげに絶え果ててこそあらね、もし言ひづる事もやと待てど、いささか何とも思ひたらず、つれなきがいとねたきを、今宵よしともあしとも定めきりてやみなむ。むつかし』とて、みな言ひ合はせたりし事を、『「ただいまは見るまじ」とて入りたまひぬ』とて、主殿寮来しを、また追ひ返して、『ただ袖をとらへて、東西をせさせず乞ひ取り、持て来ずは、文を返し取れ』といましめて、さばかり降る雨のさかりにやりたるに、いととく帰り来たり。『これ』とてさし出でたるが、ありつる文なれば、返してけるかとうち見るに、をめけば、『あやし。いかなる事ぞ』とて、みなよりて見るに、『いみじき盗人かな。なほえこそ捨つまじけれ』と、見さわぎて、『これが本つけてや
らむ。源中将つけよ』など言ふ。夜ふくるまでつけわづらひてなむやみにし。この事はかならず語りつらふべき事なりとなむ定めし」と、いみじくかたはらいたきまで言ひ聞かせて、「御名は、今は草の庵となむつけたる」とて、いそぎ立ちたまひぬれば、「いとわろき名の、末まであらむこそくちをしかるべけれ」と言ふほどに、
◆◆「ああよかった。下の局にいたのでしたね。上の局まで探そうとしていたものを」と言って、昨夜あったことを、「頭中将の宿直所で、少し人並みだというようなものは全部、六位の者まで集まって、いろいろな人のこと、昔、今と話をしたついでに、『やはりこの女(ひと)はすっかり絶交してしまったことではないが、もしかしたら、何か口を切って言いだすこともあるかと思って待つけれど、まったく何とも思っていないで、知らん顔しているのが憎らしいので、今晩良いとも悪いともはっきり定めて、けりを付けてしまおう。うっとうしい感じだ』と言って、皆で相談して手紙を寄こしたのを、『「いまここでは見まい」と言って中にお入りになってしまった』と言って、主殿寮の男が帰って来たのを、又追い返して、『ただもう、袖をつかまえて、有無を言わせずに返事をねがって受け取って帰って来ないのなら、手紙を取り返せ』と注意を与えて、あれほど降る雨のまっさかりに使いにやった所、たいへん早く帰ってきました。『これを』と言って差し出してしるのが、さっきの手紙なので、『返したのだったか』と頭中将が見ると、『おお』と声を上げるので、『妙な、どうしたことか』といって皆が寄って見たところ、『たいへんな曲者だな。やはり無視することはできそうもないよ』と見て大騒ぎして、『これの上の句をつけて送ろう。源中将つけろ』などと言う。夜が明けるまでつけわずらって、結局つけずに終わってしまいました。このことは、必ず語り伝えなくてはならないことだと、皆で定めました」と、とてもいたたまれないほど私に話して聞かせて、「あなたのお名前は、今は『草の庵』とつけてある」と言って、急いでお立ちになってしまったので、「ひどく劣った名前が、末代までのころうというのこそ、残念なことであるはずです」と言っている時に。◆◆