2012. 11/29 1186
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その26
御文には、
「『いみじきことに死なれ侍らぬ命を、心憂く思う給へ歎き侍るに、かかる仰せ言見侍るべかりけるにや、となむ。年ごろは、心細きありさまを見給へながら、それは数ならぬ身のおこたりに思う給へなしつつ、かたじけなき御一言を、行く末長く頼みきこえさせ侍りしに、いふかひなく見給へ果てては、里の契りもいと心憂く悲しくなむ。さまざまにうれしき仰せ言に命延び侍りて、今しばしながらへ侍らば、なほ頼み聞こえさせ侍るべきにこそ、と思ひ給ふるにつけても、目の前の涙にくれ侍りて、え聞こえさせやらずなむ』など書きたり」
――「ひどく悲しい目に遭いましても死なれずにいる命を、辛いと歎いておりますのに、それもこうした有難い御言葉を拝するためであったのでしょうかと存ぜられまして。長年、浮舟の心細い生活を見ながらも、それは母の私が取るに足りぬ身のせいだと解しましては、京へとおっしゃる貴方様の勿体ないお約束を、長い将来までもとお頼り申しておりましたのに。むなしく死なせてしまいました今は、あの山里の名にまつわる「憂し」の因縁も大そう辛く悲しうございます。もうしばらく生き長らえますならば、更に子供たちの事もお頼み申すことができるのだと思いますにつけましても、今は目の前の出来ごとに涙が溢れて、何ごとも申し上げることができません」などと書くのでした――
「御使ひに、なべての禄などは見ぐるしき程なり、飽かぬ心地もすべければ、かの君に、奉らむと志して持たりける、よき斑犀の帯、太刀のをかしきなどを袋に入れて、車に乗る程、『これは昔の人の御志なり』とて、贈らせてけり」
――お使いに、並み一通りの贈り物を差し上げるのは相応しくない折でもあり、そうかと言って、何もしないのも物足りなく思い、いつか薫に献上するつもりで用意していました立派な斑犀の帯と見事な太刀などを袋に入れて、お使いが車に乗ろうとするときに、「これは亡き人のお志です」と、人を以て使者の仲信に贈らせました――
「殿に御覧ぜさすれば、『いとすずろなるわざかな』とのたまふ。言葉には、『みづから会い侍りたうびて、いみじく泣く泣くよろづのことのたまひて、《幼な者どものことまで仰せられたるが、いともかしこきに、まだ数ならぬ程は、なかなかいとはづかしうなむ。人に何ゆゑなどは知らせ侍らで、あやしきさまどもをも皆参らせ侍りて、さぶらはせむ》となむものし侍りつる』と聞こゆ」
――(使いが戻って)薫大将殿に御覧にいれますと、「まことに考えのないことをしたものだな」とおっしゃいます。口上の言葉としては、「母君自身わたしに対面なされまして、ひどくお泣きになりながら、いろいろおっしゃいました。『殿が子供達のことまで仰ってくださったのは、大変畏れ多いことでございますが、まだ取るに足らぬ身分の間は、却って気が引けます。世間の人にはどういう縁故でとは知らせませんで、見ぐるしい者もみな参上させて、御奉公させていただきます』とのことでございます」と申し上げます――
「げにことなることなきゆかりむつびにぞあるべけれど、帝にも、さばかりの人の女奉らずやはある、それに、さるべきにて、時めかし思さむをば、人のそしるべきことかは、ただ人はた、あやしき女、世に旧りにたるなどを持ち居るたぐひ多かり、かの守の女なりけりと、人の言ひなさむにも、わがもてなしの、それにけがるべくありそめたらばこそあらめ、一人の子をいたずらになして思ふらむ親の心に、なほこのゆかりこそ面だたしかりけれ、と思ひ知るばかり、用意は必ず見すべきこと、と思す」
――(薫はお心の中で)実際、あまり感心しない親戚付き合いというものだが、御所にも常陸の介風情の人の娘を差し上げないこともあるまい。その上前世の因縁で帝がその娘を寵愛されたところで、人があれこれ非難すべきではない。普通人にしても、身分の低い女や、他に一度嫁いだ女を妻とする例は多い。自分の場合には、浮舟が常陸の介の娘なのだと人が噂したところで、それを本妻にしなかった自分のやり方が、身分に疵でもつくというならともかく、一人の娘を死なせて歎いている母親の心に、やはりその娘の縁で面目をほどこしたのだと納得する程に、必ず配慮はしてやるものだ。そう思うのでした――
◆斑犀(はんさい)の帯=斑紋のある犀角を鎮めた石帯。四位五位の常用で、公卿は諒闇に持ちいる
◆11/30~12/6までお休みします。では12/7に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その26
御文には、
「『いみじきことに死なれ侍らぬ命を、心憂く思う給へ歎き侍るに、かかる仰せ言見侍るべかりけるにや、となむ。年ごろは、心細きありさまを見給へながら、それは数ならぬ身のおこたりに思う給へなしつつ、かたじけなき御一言を、行く末長く頼みきこえさせ侍りしに、いふかひなく見給へ果てては、里の契りもいと心憂く悲しくなむ。さまざまにうれしき仰せ言に命延び侍りて、今しばしながらへ侍らば、なほ頼み聞こえさせ侍るべきにこそ、と思ひ給ふるにつけても、目の前の涙にくれ侍りて、え聞こえさせやらずなむ』など書きたり」
――「ひどく悲しい目に遭いましても死なれずにいる命を、辛いと歎いておりますのに、それもこうした有難い御言葉を拝するためであったのでしょうかと存ぜられまして。長年、浮舟の心細い生活を見ながらも、それは母の私が取るに足りぬ身のせいだと解しましては、京へとおっしゃる貴方様の勿体ないお約束を、長い将来までもとお頼り申しておりましたのに。むなしく死なせてしまいました今は、あの山里の名にまつわる「憂し」の因縁も大そう辛く悲しうございます。もうしばらく生き長らえますならば、更に子供たちの事もお頼み申すことができるのだと思いますにつけましても、今は目の前の出来ごとに涙が溢れて、何ごとも申し上げることができません」などと書くのでした――
「御使ひに、なべての禄などは見ぐるしき程なり、飽かぬ心地もすべければ、かの君に、奉らむと志して持たりける、よき斑犀の帯、太刀のをかしきなどを袋に入れて、車に乗る程、『これは昔の人の御志なり』とて、贈らせてけり」
――お使いに、並み一通りの贈り物を差し上げるのは相応しくない折でもあり、そうかと言って、何もしないのも物足りなく思い、いつか薫に献上するつもりで用意していました立派な斑犀の帯と見事な太刀などを袋に入れて、お使いが車に乗ろうとするときに、「これは亡き人のお志です」と、人を以て使者の仲信に贈らせました――
「殿に御覧ぜさすれば、『いとすずろなるわざかな』とのたまふ。言葉には、『みづから会い侍りたうびて、いみじく泣く泣くよろづのことのたまひて、《幼な者どものことまで仰せられたるが、いともかしこきに、まだ数ならぬ程は、なかなかいとはづかしうなむ。人に何ゆゑなどは知らせ侍らで、あやしきさまどもをも皆参らせ侍りて、さぶらはせむ》となむものし侍りつる』と聞こゆ」
――(使いが戻って)薫大将殿に御覧にいれますと、「まことに考えのないことをしたものだな」とおっしゃいます。口上の言葉としては、「母君自身わたしに対面なされまして、ひどくお泣きになりながら、いろいろおっしゃいました。『殿が子供達のことまで仰ってくださったのは、大変畏れ多いことでございますが、まだ取るに足らぬ身分の間は、却って気が引けます。世間の人にはどういう縁故でとは知らせませんで、見ぐるしい者もみな参上させて、御奉公させていただきます』とのことでございます」と申し上げます――
「げにことなることなきゆかりむつびにぞあるべけれど、帝にも、さばかりの人の女奉らずやはある、それに、さるべきにて、時めかし思さむをば、人のそしるべきことかは、ただ人はた、あやしき女、世に旧りにたるなどを持ち居るたぐひ多かり、かの守の女なりけりと、人の言ひなさむにも、わがもてなしの、それにけがるべくありそめたらばこそあらめ、一人の子をいたずらになして思ふらむ親の心に、なほこのゆかりこそ面だたしかりけれ、と思ひ知るばかり、用意は必ず見すべきこと、と思す」
――(薫はお心の中で)実際、あまり感心しない親戚付き合いというものだが、御所にも常陸の介風情の人の娘を差し上げないこともあるまい。その上前世の因縁で帝がその娘を寵愛されたところで、人があれこれ非難すべきではない。普通人にしても、身分の低い女や、他に一度嫁いだ女を妻とする例は多い。自分の場合には、浮舟が常陸の介の娘なのだと人が噂したところで、それを本妻にしなかった自分のやり方が、身分に疵でもつくというならともかく、一人の娘を死なせて歎いている母親の心に、やはりその娘の縁で面目をほどこしたのだと納得する程に、必ず配慮はしてやるものだ。そう思うのでした――
◆斑犀(はんさい)の帯=斑紋のある犀角を鎮めた石帯。四位五位の常用で、公卿は諒闇に持ちいる
◆11/30~12/6までお休みします。では12/7に。