09.8/31 486回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(40)
源氏は、女三宮がこのところご気分が悪そうだとお聞きになって、紫の上のことで心労が続いているこんな時に、またどうしたことかと驚かれて六条院へいかれました。
「そこはかと苦しげなる事も見え給はず、いといたくはぢらひしめりて、さやかにも見合わせ奉り給はぬを、久しくなりぬる絶え間をうらめしく思すにや、といとほしくて、かの御心地のさまなど聞こえ給ひて」
――(宮のご様子は)どこが苦しいという事もなく、ひどく恥じらって、しょげて、まともに源氏と顔を見合わせられませんのを、(源氏は)自分が久しく来なかったのを恨んでおいでなのかと、可哀そうに思われて、紫の上のご容体などをお話になって――
「今はのとぢめにもこそあれ。今さらに愚かなるさまを見えおかれじとてなむ、いはけなかりし程よりあつかひそめて、見放ち難ければ、かう月頃よろづを知らぬさまに過し侍るぞ。おのづから、この程過ぎば、見直し給ひてむ」
――紫の上はもう最後かも知れません。今更冷淡な風をお見せしてはいけないと思ってね。あの方は幼少の頃からお世話をしてきて、見放すわけにはいきませんので、こう幾月もあなたを忘れたように過ごしてしまったのですよ。この時期が過ぎれば、自然と私の真心が分かってくださるでしょう――
女三宮は、源氏の言い訳をお聞きになりながら、ご自分の秘密に気づかれないのもお労しく、お気の毒に感じられて、人知れず涙ぐんでいらっしゃる。
一方柏木は、
「まして、なかなかなる心地のみまさりて、起き臥し明かし暮らしわび給ふ。(……)」
――ましてや、なまじお逢いしたばかりに、慕わしく一層悩みが増さって、寝ても覚めても、明け暮れにつけてそのことばかり思いわびていらっしゃる。(葵祭りの当日も物見に誘われても気分がすぐれない振りをして、一日ぼんやり横になって物思いにふけっているのでした)――
「女宮をば、かしこまりおきたるさまにもてなし聞こえて、をさをさうちとけても見え奉り給はず、わが方に離れ居て、いとつれづれに心細くながめ給へるに、童べの持たる葵を見給ひて」
――妻の女二宮には、表面は敬意を表している風にして、めったに親しく逢われもせず、自室に離れ住んで、なすこともない淋しさにぼんやりしていらっしゃる時に、童が持っている葵をご覧になって――
柏木の歌、
「くやしくぞつみをかしけるあふひ草神のゆるせるかざしならぬに」
――くやしいことだ。神が許した仲でもないのに、あの人を犯してしまったことよ――
◆はぢらひしめり=恥ずかしげに物思いに沈んでいる
◆今はのとぢめ=今は(臨終)とじめ(最後のとき)
◆葵(あふひ)は、逢う、契るに、◆摘む(つみ)は罪に掛ける。
◆女二宮は身分が内親王なので、柏木からの表現は「奉る」などの敬語となる。
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(40)
源氏は、女三宮がこのところご気分が悪そうだとお聞きになって、紫の上のことで心労が続いているこんな時に、またどうしたことかと驚かれて六条院へいかれました。
「そこはかと苦しげなる事も見え給はず、いといたくはぢらひしめりて、さやかにも見合わせ奉り給はぬを、久しくなりぬる絶え間をうらめしく思すにや、といとほしくて、かの御心地のさまなど聞こえ給ひて」
――(宮のご様子は)どこが苦しいという事もなく、ひどく恥じらって、しょげて、まともに源氏と顔を見合わせられませんのを、(源氏は)自分が久しく来なかったのを恨んでおいでなのかと、可哀そうに思われて、紫の上のご容体などをお話になって――
「今はのとぢめにもこそあれ。今さらに愚かなるさまを見えおかれじとてなむ、いはけなかりし程よりあつかひそめて、見放ち難ければ、かう月頃よろづを知らぬさまに過し侍るぞ。おのづから、この程過ぎば、見直し給ひてむ」
――紫の上はもう最後かも知れません。今更冷淡な風をお見せしてはいけないと思ってね。あの方は幼少の頃からお世話をしてきて、見放すわけにはいきませんので、こう幾月もあなたを忘れたように過ごしてしまったのですよ。この時期が過ぎれば、自然と私の真心が分かってくださるでしょう――
女三宮は、源氏の言い訳をお聞きになりながら、ご自分の秘密に気づかれないのもお労しく、お気の毒に感じられて、人知れず涙ぐんでいらっしゃる。
一方柏木は、
「まして、なかなかなる心地のみまさりて、起き臥し明かし暮らしわび給ふ。(……)」
――ましてや、なまじお逢いしたばかりに、慕わしく一層悩みが増さって、寝ても覚めても、明け暮れにつけてそのことばかり思いわびていらっしゃる。(葵祭りの当日も物見に誘われても気分がすぐれない振りをして、一日ぼんやり横になって物思いにふけっているのでした)――
「女宮をば、かしこまりおきたるさまにもてなし聞こえて、をさをさうちとけても見え奉り給はず、わが方に離れ居て、いとつれづれに心細くながめ給へるに、童べの持たる葵を見給ひて」
――妻の女二宮には、表面は敬意を表している風にして、めったに親しく逢われもせず、自室に離れ住んで、なすこともない淋しさにぼんやりしていらっしゃる時に、童が持っている葵をご覧になって――
柏木の歌、
「くやしくぞつみをかしけるあふひ草神のゆるせるかざしならぬに」
――くやしいことだ。神が許した仲でもないのに、あの人を犯してしまったことよ――
◆はぢらひしめり=恥ずかしげに物思いに沈んでいる
◆今はのとぢめ=今は(臨終)とじめ(最後のとき)
◆葵(あふひ)は、逢う、契るに、◆摘む(つみ)は罪に掛ける。
◆女二宮は身分が内親王なので、柏木からの表現は「奉る」などの敬語となる。
ではまた。