永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(844)

2010年10月31日 | Weblog
2010.10/31  844

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(21)

 薫は、はじめから大君との間柄を、こうあらわに誰彼にも口出しさせず、こっそりといつ出来た関係とも分からぬように、と思って来られたことでしたので、薫が、

「御心ゆるし給はずば、いつもいつもかくてすぐさむ」
――大君が御承知にならなければ、いつまでもこのままでいよう――

 とおっしゃいますのを、この弁の君は、

「おのがじしかたらひて、顕証にささめき、さはいへど、深からぬけにや、老いひがめるにや、いとほしくぞ見ゆる」
――他の侍女たちと相談して、人目も憚らず、あからさまに振る舞っているようです。好意からと言っても、浅はかな上に、年寄りの片意地のせいか、何にしてもお気の毒な感じです――

 大君は、ほとほと思案にくれて、丁度、弁の君が参上しました時に、

「年頃も、人に似ぬ御心よせとのみ、のたまひわたりしを聞きおき、今となりては、よろづに残りなく頼みきこえて、あやしきまでうちとけにたるを、思ひしに違ふさまなる御心ばへのまじりて、うらみ給ふめるこそわりなけれ。世に人めきてあらまほしき身ならば、かかる御事をも、何かはもて離れても思はまし」
――今までも父上が、余人とは違う薫の君のご親切のことを言っておられましたのを、お聞きしておりまして、この頃では万事すっかりお頼り申して、不思議なほど親しくしておりましたが、こちらが考えていたこととは違う風なお気持もあって、お恨みになるらしいのは、まことに御無体というものです。普通の女並みに暮らしたいわたしならば、こうした御申し出でに耳をかさない訳はないでしょう――

「されど、昔より思ひ離れそめたる心にて、いと苦しきを、この君のさかり過ぎ給はむもくちをし。げにかかる住ひも、ただこのゆかりにところせくのみ覚ゆるを、まことに昔を思ひきこえ給ふ志ならば、同じ事に思ひなし給へかし。身をわけたる、心の中は皆ゆづりて、見奉らむ心地なむすべきを。なほかうやうによろしげにきこえなされよ」
――けれども、私は昔から結婚のことは断念したつもりですので、たいそう困るのですが、中の君が年頃の盛りを過ぎるのが残念でなりません。こんな山住みも、そのこと一つが悩みの種となっているのです。薫の君が真実父上をお思い申される志でいらっしゃるなら、(わたしも中の君も同じこと)中の君をわたし同様にお考え頂きたいのです。そうしてさえいただけましたら、体は別々でも心はすべて中の君に預けて、共にあの方にお逢い申す気がすることでしょう。そこのところをそなたの口から、よろしく取り繕って申し上げてください――

 と、恥じらいながらも、ご自分の胸の内を細やかに仰せになりますので、さすがに弁の君もお労しく思うのでした。

では11/1に。


源氏物語を読んできて(843)

2010年10月29日 | Weblog
2010.10/29  843

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(20)

 薫の執拗さに困り果てて、大君はお心の中で、

「いかにもてなすべき身かは、一ところおはせましかば、ともかくも、さるべき人にあつかはれ奉りて、宿世といふなる方につけて、身を心ともせぬ世なれば、みな例のことにてこそは、人わらへなるとがをも隠すなれ」
――いったい自分はどうしたらよい身の上なのであろうか。父上、母上のどちらかお一人でも生きておられたなら、何とかしかるべき人のお世話になっていくのでしょうが……。例えば、運命とかいうことにまかせて、意のままにならない一生であっても、それはそれ、世間には良くある事として、外聞の悪い事は隠して繕っていくらしい――

「あるかぎりの人は年つもり、さかしげにおのがじしは思ひつつ、心をやりて、似つかはしげなる事をきこえ知らすれど、こははかばかしき事かは、人めかしからぬ心どもにて、ただ一方に言ふにこそは」
――(ところが)今いる侍女たちは皆、年老いていて、自分ではいかにも利口ぶって、心配りをしている風に、この縁談がいかにもお似合いであると知恵をつけるけれど、こんな事の運び方が、果たして折り目正しい縁組というのだろうか。分別もない老女たちの考えで、ただ一方的に騒ぎ立てているばかりではないか――

 とお思いになりますので、侍女たちが寄ってたかってひき動かさんばかりに口々に申すのも、たいそう辛く厭わしくて、妙な生まれつきの我が身よ、と、全く乗り気におなりになれません。それなのに、侍女たちが、

「『例の色の御衣どもたてまつりかへよ』など、そそのかしきこえつつ、皆さる心すべかめるけしきを、あさましく、げに何の障りどころがはあらむ、程もなくて、かかる御すまひのかひなき、山なしの花ぞのがれむ方なかりける」
――「はやく喪服でない華やかなお召し物にお着替えください」などと、口々にそそのかします。皆が皆、その心づもりでいるらしいのを、大君はあまりのことと呆れていらっしゃる。こうした手狭な住いでは、身を隠すにも逃れる所さえもない、(親というしっかりした後見のない)情けないわが身の上なので、誰であれ先方がその気にさえなれば、何の邪魔物もなく、事が運んでしまうであろう、それこそ逃れようもないのだから――

では10/31に。

源氏物語を読んできて(842)

2010年10月27日 | Weblog
2010.10/27  842

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(19)

 大君は、つづけて、

「げにさのみ、やうのものと過ぐし給はむも、明け暮るる月日にそへても、御事をのみこそ、あたらしく心ぐるしく悲しきものに思ひ聞こゆるを、君だに世の常にもてなし給ひて、かかる身のありさまもおもだたしく、なぐさむばかり見たてまつりなさばや」
――そうは言いましても、このように二人がこのまま独身で埋もれていくのはどうしたものでしょう。こうして月日を重ねるにつけ、私はともかく、あなたの御身が惜しく、お気の毒に思えてなりません。せめてあなただけは世間並みに縁組なさってください。それでこそ不甲斐ない私の面目も立つでしょう。私も心の重荷をおろして、晴れ晴れとあなたをお見上げできるでしょう――

 とおっしゃるので、中の君は姉君がどうお考えなのかと、

「一ところをのみやは、さて世に果て給へとはきこえ給ひけむ。はかばかしくもあらぬ身のうしろめたさは、数そひたるやうにこそおぼされたまりしか。心細き御なぐさめには、かく朝夕に見たてまつるより、いかなる方にか」
――(お父上は)お一人だけそのまま一人身で過ごしなさいとおっしゃったでしょうか。しっかりしていないということでは、私の方が余計ご心配をおかけしていたのではないでしょうか。心細い山住みのおなぐさめには、こうして朝夕ご一緒に暮らすより外に
どんな方法があるでしょう――

 と、何やら恨めしそうにおっしゃるので、大君も無理もないこと、お労しいとご覧になって、

「なほこれかれ、うたてひがひがしきものに、言ひ思ふべかめるにつけて、思ひみだれ侍るぞや」
――それでもやはり侍女のだれかれが、私を変わり者と思い、口にも出すらしいので、
そんな素振りを見たり聞いたりしますと、つい思い乱れてしまいましてね――

 と、言いさして、口をつぐんでしまわれました。
日が暮れかかっても、薫は一向にお帰りになる様子がありません。大君はまったく煩わしいことと困っていらっしゃる。

「弁まゐりて、御消息どもきこえ伝へて、うらみ給ふをことわりなるよしを、つぶつぶときこゆれば」
――(大君のところへ)弁の君が参上して、薫のご挨拶をお取り次ぎ申して、姫君をお恨み申される理由をいちいち詳しく申し上げますので――

 大君はお返事もされず、ほっと溜息を洩らされるのでした。

では10/29に。


源氏物語を読んできて(841)

2010年10月25日 | Weblog
2010.10/25  841

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(18)

「姫君そのけしきをば、深く見知り給はねど、かくとり分きて人めかしなつけ給ふめるに、うちとけてうしろめたき心もやあらむ、昔物語にも、心もてやは、とある事も、かかる事もあめる、うちとくまじき人の心にこそあめれ」
――大君は侍女たちの考えていることを深く御存じではなさそうですが、薫がこうも特別に弁の君を重んじ、手なづけておられるご様子なので、弁も気を許して、油断のならない気を起こすかも知れない。昔の物語にも女の方からすすんで事を運ぶようなことはなく、常に女房の手引きによって事が起きたと書かれていますから、と油断のならないのは女房たちである――

と、お気づきになって、

「せめてうらみ深くば、この君をおし出でむ、おとりざまならむにてだに、さても見そめてば、あさはかにはもてなすまじき心なめるを、まして、ほのかにも見そめてば、なぐさみなむ」
――薫がしきりに迫ってこられるならば、中の君をお薦めしよう。不器量な女であっても、一旦契りをもったならば、いい加減には取り扱わない薫のご性分らしいので、ましてや美しい中の君でしたら、ちょっとでもお逢いしたならば、きっと気も紛れましょう――

「言に出でては、いかでかは、ふとさる事を待ち取る人のあらむ、本意になむあらぬと、うけひくけしきのなかなるは、かたへは人の思はむ事を、あいなう浅き方にやなど、つつみ給ふならむ」
 ――心で思っていても、どうして口に出してそういうことを承知する人がいるでしょう。私の望みは中の君ではないと、薫が認めるご様子がないのは、一つには世間の思惑を、不快で軽薄な意に取られはしないかと、いぶかっていらっしゃるのでしょう――

と、あれこれと思い巡らされて、しかしその事を、中の君にそれとなくお知らせしておかなければ罪なことだと、わが身につまされて中の君がいとおしく、それとなくお話になります。

「昔の御おもむけも、世の中をかく心細くてすぐし果つとも、なかなか人わらへに、かろがろしき心つかふな、などのたまひおきしを、おはせし世のほだしにて、おこなひの御心をみだりし罪だにいみじかりけむを、今はとて、さばかりのたまひし一言をだに違へじ、と思ひ侍れば、心細くなどもことに思はぬを、この人々の、あやしく心ごはきもに憎むめるこそ、いとわりなけれ」
――亡き父上のご意向にも、世の中を心細く過ごそうとも、決して人に笑われるような軽率な心を起こしてはならぬ、と言い置かれましたのを、私たちが父上御在世中の足手まといになって、勤行のお心を乱した罪だけでも大変だったでしょうに、ご臨終の時のあれほどおっしゃった一言だけには背くまいと思います。心細いなどとは思ってもおりませんのに、侍女たちが妙に私を頑固者のように言っているようで困ったことです――

◆人めかしなつけ=(ひとめかす=一人前に扱う)なつけ(懐く=なじむ)

◆うけひくけしき=承け引く=承諾する、承知する様子

では10/27に。


源氏物語を読んできて(840)

2010年10月23日 | Weblog
2010.10/23  840

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(17)

 中の君の濃鈍色の喪服から薄鈍色のご衣裳にお替えになったお姿は、今が盛りの若さでもあり、たいそう美しくなまめいて見えます。大君は中の君に髪など洗いお手入れさせてご覧になるにつけても、心ひそかに薫と結婚を進めても見劣りはしない筈と、今では他に中の君のお世話を託する人もいませんので、大君はご自分が親の気持ちで世話をしてお上げになります。

 一方薫は、

「かの人は、つつみきこえ給ひし藤の衣も、改め給へらむなが月も、しづごころなくて、またおはしたり。例のやうに聞こえむ」
――かの人(薫)は、それを口実に求愛を拒まれた喪服も、常の御衣に替えられるはずの九月も待ち切れず、宇治にお出でになりました。以前のように、またお目にかかりたい――

 と、ご挨拶申されますが、大君は、

「心あやまりして、わづらはしくおぼゆれば」
――具合わるくいたしまして、大儀ですので――

 と、お断りなさって、ご対面されません。薫は、

「おもひのほかに心憂き御こころかな。人もいかに思ひ侍らむ」
――随分意外なご態度で心外です。侍女たちもきっと変に思うでしょう――

 と、御文にて申されます。大君もお返事に、

「今はとて脱ぎ侍りし程のまどひに、なかなか沈み侍りてなむえきこえぬ」
――今は限りと喪服を脱ぎました現在の歎きから、却って気持ちが沈んでおりまして、とてもお返事など申し上げられません――
 
 と、ありました。薫は恨みわびて、例の弁の君をお呼びになり、いろいろとご相談になります。

「この君をのみ頼みきこえたる人々なれば、おもひにかなひ給ひて、世の常のすみかにうつろひなどし給はむを、いとめでたかるべき事に言ひあはせて、ただ入れたてまつらむと、皆かたらひあはせけり」
――薫だけをお頼りしている侍女たちなので、大君が自分たちの望みどおり薫に縁付かれて、人並みに京のお住いに移られることを、何より結構なことと話し合って、いっそのこと薫を大君のお部屋にお入れしてしまおうと、皆が話を決めてしまいました――

では10/25に。


源氏物語を読んできて(839)

2010年10月21日 | Weblog
2010.10/21  839

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(16)

 大君は、

「総角をたはぶれにとりなししも、心もて『尋ばかり』のへだてにても、対面しつるとや、この君も思すらむ、と、いみじくはづかしければ、心地あしとてなやみくらし給ひつ」
――総角(あげまき)を戯れに取り扱って薫の歌に返歌したことも、自分から進んで一尋(ひとひろ)ほどの隔てでも対面したのであろうかと、中の君も思っていらっしゃるであろう、と、ひどく極まり悪く、気分がすぐれないまま、ご病気になってしまわれました――

 侍女たちが、

「日はのこりなくなり侍りぬ。はかばかしく、はかなき事をだに、また仕うまつる人もなきに、折あしき御なやみかな」
――御一周忌まで幾日も無くなりました。ちょっとした事さえ、きちんとご用意できる人もおりませんのに、大君の何とまあ、折悪しくご病気とは――

 と、不安げに中の君に申し上げます。中の君は名香にかける組み紐を作り終えてのち、大君に、

「心葉など、えこそ思ひより侍らね」
――心葉(こころば)の結び方など、私にはとても出来そうにありませんので――

 と、無理に大君に申されますので、大君は起きてご一緒にお造りになりました。薫から御文が参りましたが、「今朝からひどく気分が悪うございまして」と侍女を通して申し上げます。侍女たちは陰で、「まあ何と困ったことでしょう。子供のようでいらっしゃる」とひそひそ言い合っています。

「御服などはてて、脱ぎ棄て給へるにつけても、かた時もおくれ奉らむものと思はざりしを、はかなく過ぎにける月日の程をおぼすに、いみじう思ひのほかなる身の憂さと、泣き沈み給へる御さまども、いと心ぐるしげなり」
――喪服での一年間が済んで、喪服をすっかり脱ぐ日が来たことにつけても、父宮に後れては、片時も永らえまいと思っていましたのに、と、姫君たちは、はかなく過ぎ去ったこの一年が悔まれて、ままならぬ身の憂さが胸に込み上げてきて、泣き沈んでいらっしゃるご様子は、何とも痛々しい限りです――

◆写真:心葉(こころば)=大事な捧げものなどに添える飾り花。


では10/23に。

源氏物語を読んできて(838)

2010年10月19日 | Weblog
2010.10/19  838

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(15)

 大君は、

「人の思ふらむ事のつつましきに、とみにもうち臥され給はで、たのもしき人なくて世を過ぐす身の心憂きを、ある人どもも、よからむこと何やかやと、つぎつぎに従ひつつ、言ひ出づめるに、心よりほかの事ありぬべき世なめり、とおぼしめぐらすには」
――侍女たちがどう思うかと憚られて、すぐには眠る事もできずにいらっしゃる。自分には後見人もおらず、この世を生きて行く身の心細さが辛いのを察して、傍にいる侍女たちも懸想文の取り次ぎなどつまらぬことを、あれこれと次から次へと言い出すに違いない。そんなことで男との関係で困ったことがきっと起こるに違いない、と思い巡らしていては――

「この人の御けはひありさまの、うとましくはあるまじく、故宮も、さやうなる心ばへあらば、と、折々のたまひおぼすめりしかど、みづからはなほかくて過ぐしてむ」
――この方(薫)のお感じやご容姿を、決して疎ましいと思うわけではなく、お父上(八の宮)も薫にそのようなお気持があるならば、自分と結婚させてもよかろうと、折々ほのめかしておられましたが、しかし、やはり自分はこのまま独身で過ごそう――

「われよりは、さま容貌もさかりに、あたらしげなる中の宮を、人なみなみに見なしたらむこそうれしからめ、人の上になしてば、心のいたらむ限り思ひ後見てむ、みづからの上のもてなしは、また誰かは見あつかはむ」
――自分よりも、今を盛りのこのままでは惜しい中の宮(中の君)を、世間並みに縁づけて差し上げたなら、それこそ嬉しいことだろう。薫を中の君の夫としたならば、出来る限りお世話をして差し上げよう。自分自身のことについては、また誰かが世話をしてくれるであろうから――

「この人の御様の、なのめにうち紛れたる程ならば、かく見馴れぬる年頃のしるしに、うちゆるぶ心もありぬべきを、はづかしげに見えにくきけしきも、なかなかいみじくつつましきに、わが世はかくて過ぐしはててむ」
――薫のご容姿がいい加減で目立たぬ程度ならば、こうして長年親しんできたということで、気持ちも和らいできたでしょうが、気が引けるほどご立派で、傍に寄りにくいご様子であって、こちらとしては遠慮されるので、自分は一生このままで終えてしまおう――

 と、しみじみ思い続けて、咽び泣きつつ夜を明かそうとなさるのですが、心ぐるしくて、中の君の臥せっておられる奥に行かれて添い寝なさったのでした。中の君は大君が傍に来られたのがうれしくて、御衣を引き着せなさると、

「御移香のまぎるべくもあらず」
――香りが、紛れもなく薫のそれで――

 薫と大君の御仲は、侍女たちが噂をしている通りなのだろうと、たまらなくお気の毒で、まんじりともしないでお声もかけられません。
薫の方は、弁の君をお呼びになって、大君へのご挨拶を生真面目に申し置いて、京へお帰りになりました。

では10/21に。


源氏物語を読んできて(837)

2010年10月18日 | Weblog
2010.10/17  837

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(14)


さらに空が明るくなってきて、むら鳥の立ち騒ぐ声や、寺の鐘の音がかすかに聞こえてきます。大君が、「せめて今お帰り下さい。ひどくはしたのうございますから」と、恥ずかしさに戸惑っていらっしゃる。薫が、

「ことあり顔に朝霧もえ分け侍るまじ。また、人はいかがおしはかりきこゆべき。例のやうになだらかにのてなさせ給ひて、ただ世に違ひたる事にて、今より後もただかやうにしなさせ給ひてよ。よにうしろめたき心はあらじとおぼせ。かばかりあながちなる心の程も、あはれとおぼし知らぬこそかひなけれ」
――あなたとまるで何かがあったように、まさか朝霧を分けても帰れますまい。そんなことをしましたなら、他人はどう推量するでしょうか。うわべはもう普通の夫婦のように穏やかにお振舞いになって、実は世間とは違う清い関係で今後もただこのようになさってください。私は決してご心配になるような心は抱かないとお信じください。これ程一途な私の気持ちを、あはれともお思いになられぬことこそが残念でなりません――

 と、お帰りになる気配もありません。大君は、

「『あさましく、かたはならむ』とて、『今より後は、さればこそ、もてなし給はむままにあらむ。今朝は、またきこゆるに従ひ給へかし』」
――「こう、何時までも居られましたなら、あまりにも見っともないでしょう」とおっしゃって、「これからは、それでは、そのようにいたしましょう。とにかく今朝は申し上げるとおりになさってくださいませ」――

 と、どうにも方法がなくて、こうおっしゃいますが、薫は、

「あな苦しや。暁のわかれや、まだ知らぬことにて、げにまどひぬべきを」
――何と辛いことでしょう。こうした後朝(きぬぎぬ)の別れなど、まだ経験もございませんが、まことに昔の人が言うように、涙にくれ塞がって、帰る道にも迷いそうな心地です――

 と歎いていらっしゃる時に、鶏が鳴いて、薫は京を思い出されます。歌を詠みあわれて大君を障子口までお送りになって、薫は、

「昨夜入りし戸口より出でて、臥し給へれど、まどろまれず。名残り恋しくて、いとかく思はましかば、月ごろも今まで心のどかならましや、など、帰らむことももの憂くおぼえ給ふ」
――昨夜の戸口から出て横になられましたが眠れません。名残惜しく恋しくて、前からこれほど恋しく思っていたならば、今までのようにのんびりしていられただろうか、などとよろずに思い続けていらっしゃると、京へ帰るのも物憂く思えるのでした――

●この日も投稿ボタンをミスしました。すみません。



源氏物語を読んできて(836)

2010年10月18日 | Weblog
2010.10/15  836

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(13)

 薫はお心の中で、

「墨染の今さらに、をりふし心いられしたるやうに、あはあはしく、思ひそめしに違うべければ、かかる忌なからむ程に、この御心にも、さりともすこしたわみ給ひなむ」
――大君が喪服を着ておられる今、いかにも時を焦っているように軽々しく、また最初の決心にも背くことになる。この喪中という謹慎の時期が過ぎたならば、大君のお心も何とか少しは折れるであろう――

 と、強いてお心を落ち着かせてのんびりしようとなさる。秋の夜の気配は、このような侘びしいお住いでなくても、おのずからあわれ深いものですが、ましてここは、峰の嵐も垣根の虫の音もひとしお心細く身に沁みるのでした。

「常なき世の御物語に、時々さし答へ給へるさま、いと見所多くめやすし。いぎたなかりつる人々は、かうなりけり、と、けしきとりて皆入りぬ。」
(薫は)無情の世の中のことなどをお話になりますと、大君のその時々のお答えのご様子が、まことに整っていて申し分ないのでした。今まですっかり寝込んでいた侍女たちは、お二人の間が、いよいよと察して、皆自分の部屋に引き取っていきます――

 大君は、

「宮ののたまひしさまなどおぼし出づるに、げに、ながらへば心のほかにかくあるまじき事も見るべきわざにこそは、と、物のみ悲しうて、水の音に流れそふ心地し給ふ」
――父宮のご遺言などを思い出されるにつけ、なるほど生きていれば意外にこうしたとんでもない事に出あうものだ、と、ただただ悲しくて、川瀬の音に誘われてとめどもなく涙が流れるのでした――

 夜がようよう明けてきて、供人が馬の世話などし始めています。薫が、

「何とはなくて、ただかやうに月をも花をも、同じ心にもてあそび、はかなき世のありさまをきこえ合せてなむ、過ぐさまほしき」
――何ということもなく、あなたとただこのように月や花を同じ心で眺め、儚いこの世のことを語り合って過ごしたいものです――

 と、大君にお話になりますと、ようやく恐ろしさも紛れて、大君が、

「かういとはしたなからで、物へだててなどきこえば、まことに心のへだてはさらにあるまじくなむ」
――こんな風に面と向かっての端たないようではなく、物越しにでもお話いたしますならば、まことに心の隔てはきっとないでしょうに――

 とお返事なさいます。

●うっかり投稿ボタンを忘れてしまいました。すみません。





源氏物語を読んできて(835)

2010年10月13日 | Weblog
2010.10/13  835

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(12)

「『かかる御心の程を思ひよらで、あやしきまできこえなれたるを、ゆゆしき袖の色など、見あらはし給ふ心あささに、みづからのいふかひなさも思ひ知らるるに、さまざまなぐさむ方なく』とうらみて、何心もなくやつれ給へる墨染の火影を、いとはしたなくわびしと思ひまどひ給へり」
――(大君は)「あなたがこんなお気持だとは気が付きませんで、自分でも不思議なほどお親しみ申しておりましたのに、喪服の侘びしい姿をすっかり見ようとなさるあなたの思いやりなさにつけましても、自分の身の軽さも思い知らされて、どうしようもなく辛くて…」と怨めしげに、やつれた墨染のお姿が灯影に浮かぶのを、たいそう恥ずかしく辛いと苦しそうなご様子です――

 薫は、

「いとかくしもおぼさるるやうこそは、とはづかしきに、きこえむ方なし。袖の色をひきかけさせ給ふはしも、ことわりなれど、こころ御らんじなれぬる志のしるしには、さばかりの忌おくべく、今はじめたる事めきてやはおぼさるべき。なかなかなる御わきまへ心になむ」
――どうしてそれほど私をお避けになる訳があるのかと、恥ずかしさに申し上げようもありません。喪服のことを口実になさるのも、尤もですが、長いこと私の志をお見知りくださった上で、これ位のことを憚られるような、今はじまった間柄にお思いになってよいものでしょうか。随分と水臭いおっしゃりようですね――

 と、かつて琴の音をかすかにお聞きになった有明の月影からのお話に始まって、折々につけて思いの深くなって、もう忍び難くなってきている気持ちの数々を、綿々とお話になります。大君は、

「はづかしくもありけるかな、とうとましく、かかる心ばへながらつれなくまめだちけるかな、と聞き給ふこと多かり」
――今更ながら、なんと恥ずかしいことよ、と、疎ましく、このようなお気持をもちながら、薫が、素知らぬふりで真面目さを装っていらしたのかと、心外なことよと聞いていらっしゃる――

 大君は側にある几帳を仏前との間に置いて、物にもたれていらっしゃいます。仏前の名香が芳しく漂って、薫は人よりも特に仏のことを尊ぶご性分ですので、その香りに遠慮されて…。

では10/15に。