蜻蛉日記 上巻 (35) 2015.5.30
「かかるほどに、祓のほどもすぬらん、七夕はあすばかりと思ふ。忌みも四十日ばかりになりにたり。日ごろなやましうてしはぶきなどいたうせらるるを、物の怪にやあらん、加持もこころみん、狭ばどころのわりなく暑きころなるを、例もものする山寺へのぼる。」
◆◆こうしているうちに、六月三十日の夏越えの祓えも過ぎて、七夕は明日当りだと思う。物忌みも四十五日のうち四十日が過ぎていきました。最近は気分がすぐれず、咳がひどく出て、物の怪なのでもあろうか、加持祈祷もしてみようと、狭苦しくて(父倫寧邸)夏の暑い頃でもあるので、いつも出かける山寺にのぼりました。◆◆
「十五六日になりぬれば、盆などするほどになりにけり。見れば、あやしきさまに荷なひいただき、さまざまにいそぎつつ集まるを、もろともに見てあはれがりも笑ひもす。さて心地もことなることなくて、忌みもすぎぬれば京にいでぬ。秋冬はかなうすぎぬ。」
◆◆十五、六日になり、盂蘭盆会などの供物をするころになってしまったのでした。見ていると、下衆の者が盆供を頭の上に乗せて運んだりして、さまざまな支度をして集まってくるのを、あの人と一緒に見ては、感心したり、笑ったりしたものでした。たいして私の気分も別条なく、物忌みも終わったので京に出発しました。秋と冬も取り立てて言うことも無く過ぎていったのでした。◆◆
■山寺=鳴滝の般若時
蜻蛉日記 上巻 (36) 2015.5.30
「年かへりて、たでふこともなし。人の心のこたなることなき時は、よろづおいらかにぞありける。このついたちよりぞ、殿上ゆるされてある。禊の日、例の宮より、『物見られば、その車に乗らん』との給へり。御文の端に、かかることあり。
<わかとしの…>
例の宮にはおはせぬなりけり。」
◆◆次の年になりましたが、取り立てて変化もありません。あの人の気持ちが私の方に向いているときは、万事が穏やかな日々なのでした。この四月一日より昇殿もゆるされていて、賀茂の祭りのための賀茂川での斎院の禊の日、兵部卿章明親王から、「見物にお出での折には、私も便乗したいが」と言ってこられました。お手紙の端にこんなことが書かれてありました。
(兵部卿章明親王の歌)「わかとしの…」
けれども、伺ってみますといらっしゃいません。◆◆
「町の小路わたりかとてまゐりたれば、うべなく『おはします』と言ひけり。まづ硯乞ひて、かく書きて入れたり。
<きみがこのまちの南にとみにおそき春には今ぞたづねまゐれる>
とて、もろともに出でたまひにけり。」
◆◆町の小路(宮の通い処か)のあたりに伺いますと、案の定「いらっしゃいます」とのこと。あの人はまず硯を所望して、このように書いて差し入れました。
(兼家の歌)「町の小路の南のお宅に、やっとお探し申して、時節遅れですがご挨拶に参上いたしました」
といって、宮様もごいっしょにお出かけになったのでした。◆◆
「かかるほどに、祓のほどもすぬらん、七夕はあすばかりと思ふ。忌みも四十日ばかりになりにたり。日ごろなやましうてしはぶきなどいたうせらるるを、物の怪にやあらん、加持もこころみん、狭ばどころのわりなく暑きころなるを、例もものする山寺へのぼる。」
◆◆こうしているうちに、六月三十日の夏越えの祓えも過ぎて、七夕は明日当りだと思う。物忌みも四十五日のうち四十日が過ぎていきました。最近は気分がすぐれず、咳がひどく出て、物の怪なのでもあろうか、加持祈祷もしてみようと、狭苦しくて(父倫寧邸)夏の暑い頃でもあるので、いつも出かける山寺にのぼりました。◆◆
「十五六日になりぬれば、盆などするほどになりにけり。見れば、あやしきさまに荷なひいただき、さまざまにいそぎつつ集まるを、もろともに見てあはれがりも笑ひもす。さて心地もことなることなくて、忌みもすぎぬれば京にいでぬ。秋冬はかなうすぎぬ。」
◆◆十五、六日になり、盂蘭盆会などの供物をするころになってしまったのでした。見ていると、下衆の者が盆供を頭の上に乗せて運んだりして、さまざまな支度をして集まってくるのを、あの人と一緒に見ては、感心したり、笑ったりしたものでした。たいして私の気分も別条なく、物忌みも終わったので京に出発しました。秋と冬も取り立てて言うことも無く過ぎていったのでした。◆◆
■山寺=鳴滝の般若時
蜻蛉日記 上巻 (36) 2015.5.30
「年かへりて、たでふこともなし。人の心のこたなることなき時は、よろづおいらかにぞありける。このついたちよりぞ、殿上ゆるされてある。禊の日、例の宮より、『物見られば、その車に乗らん』との給へり。御文の端に、かかることあり。
<わかとしの…>
例の宮にはおはせぬなりけり。」
◆◆次の年になりましたが、取り立てて変化もありません。あの人の気持ちが私の方に向いているときは、万事が穏やかな日々なのでした。この四月一日より昇殿もゆるされていて、賀茂の祭りのための賀茂川での斎院の禊の日、兵部卿章明親王から、「見物にお出での折には、私も便乗したいが」と言ってこられました。お手紙の端にこんなことが書かれてありました。
(兵部卿章明親王の歌)「わかとしの…」
けれども、伺ってみますといらっしゃいません。◆◆
「町の小路わたりかとてまゐりたれば、うべなく『おはします』と言ひけり。まづ硯乞ひて、かく書きて入れたり。
<きみがこのまちの南にとみにおそき春には今ぞたづねまゐれる>
とて、もろともに出でたまひにけり。」
◆◆町の小路(宮の通い処か)のあたりに伺いますと、案の定「いらっしゃいます」とのこと。あの人はまず硯を所望して、このように書いて差し入れました。
(兼家の歌)「町の小路の南のお宅に、やっとお探し申して、時節遅れですがご挨拶に参上いたしました」
といって、宮様もごいっしょにお出かけになったのでした。◆◆