蜻蛉日記 中卷 (90)2015.12.30
「七月十よ日にもなりぬれば、世の人のさわぐままに、盆のこと、年ごろは政所にものしつるも、離れやしぬらんと、あはれ、亡き人もかなしうおぶすらんかし、しばし心みて、ここに斎もせんかし、と思ひつづくるに、涙のみ垂り暮すに、例のごと調じて文添ひてあり。『亡き人をこそおぼし忘れざりけれと、惜しからでかなしき物になん』と書きてものしけり。
◆◆七月十日すぎにもなったので、世間ではお盆の支度で騒いでいるにつけ、お盆の供え物など、毎年あの人の政所で整えてくれていたけれど、もう今年は知らん顔でやってくださらないのっかしら、ああ、亡き母上もどんなにか悲しい思いでいらっしゃるのかと、しばらく様子をみておいて、もし届かなければ、こちらで仏事の支度をしようと思い続けて、涙ばかりこぼれ落ちる有様で日を過ごしていましたが、いつものように整えて手紙も添えて届けられました。私からの返事は、「亡き母のことはお忘れなさいませんでしたけれど、それにつけましても、『惜しからで悲しきものは』という思い、そのままでございまして」と書いて送りました。◆◆
■斎(とき)=仏事に出す食事
■惜しからでかなしき物になん=「惜しからで悲しきものは身なりけり人の心のゆくへ知らねば」(西本願寺本・類従本『貫之集』)を本歌とする。
「七月十よ日にもなりぬれば、世の人のさわぐままに、盆のこと、年ごろは政所にものしつるも、離れやしぬらんと、あはれ、亡き人もかなしうおぶすらんかし、しばし心みて、ここに斎もせんかし、と思ひつづくるに、涙のみ垂り暮すに、例のごと調じて文添ひてあり。『亡き人をこそおぼし忘れざりけれと、惜しからでかなしき物になん』と書きてものしけり。
◆◆七月十日すぎにもなったので、世間ではお盆の支度で騒いでいるにつけ、お盆の供え物など、毎年あの人の政所で整えてくれていたけれど、もう今年は知らん顔でやってくださらないのっかしら、ああ、亡き母上もどんなにか悲しい思いでいらっしゃるのかと、しばらく様子をみておいて、もし届かなければ、こちらで仏事の支度をしようと思い続けて、涙ばかりこぼれ落ちる有様で日を過ごしていましたが、いつものように整えて手紙も添えて届けられました。私からの返事は、「亡き母のことはお忘れなさいませんでしたけれど、それにつけましても、『惜しからで悲しきものは』という思い、そのままでございまして」と書いて送りました。◆◆
■斎(とき)=仏事に出す食事
■惜しからでかなしき物になん=「惜しからで悲しきものは身なりけり人の心のゆくへ知らねば」(西本願寺本・類従本『貫之集』)を本歌とする。