永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1250)

2013年04月29日 | Weblog
2013. 4/29    1250

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その42

「例の、いらへもせでそむきゐ給へるさま、いと若くうつくしければ、『いとものはかなくぞおはしける御心なれ』と泣く泣く御衣のことなどいそぎ給ふ。鈍色は手馴れにしことなれば、小袿袈裟などしたり。ある人々も、かかる色を縫ひ着せたてまつるにつけても、『いと覚えず、うれしき山里の光と、あけくれ見たてまつりつるものを、くちをしきわざかな』と、あたらしがりつつ、僧都をうらみ謗りけり」
――いつものように返事もなさらず、顔をそむけていらっしゃる浮舟のご様子がまことに可愛らしく美しいので、「何とまあ、頼りないお心でいらっしゃること」と、尼君は泣く泣く御法衣の用意をなさいます。鈍色の衣は仕立て馴れていますので、早速、小袿や袈裟などもお作りします。一緒にいる人々も、このような鈍色の衣を縫ってお着せするにつけても、この山里に思いもかけず差し込んだ光のように嬉しく、朝夕お見上げしていましたのに、何という残念なことか、と惜しみつづけて、この方に出家を遂げさせた僧都を恨んだり、謗ったりするのでした――

「一品の宮の御なやみ、げにかの弟子の言ひしもしるく、いちじるきことどもありて、おこらせ給ひにければ、いよいよいと尊きものにののしる」
――一品の宮(匂宮の姉宮)のご病気は、なるほどあの弟子の僧が言いましたとおり、僧都の加持祈祷がたいそうな験(げん)を現して、ご平癒なさいましたので、いよいよあらたかな聖と人々がもてはやしております――

「名残りもおそろしとて、御修法延べさせ給へば、とみにもえ帰り入らでさぶらひ給ふに、雨など降りてしめやかなる夜、召して、夜居にさぶらはせ給ふ」
――予病をご案じになって、御修法をお延ばしになりましたので、僧都は急には山へお帰りになることも出来ず、伺候なさっていますと、雨などが降って静かな夜、中宮は僧都をお召しになって、夜居の祈祷を勧めるように仰せになります――

「日ごろいたくさぶたひ困じたる人は、皆休みなどして、御前に人ずくなにて、近く起きたる人少なき折に、同じ御帳におはしまして、『昔より頼ませ給ふ中にも、このたびなむ、いよいよ、後の世もかくこそは、と、たのもしきことまさりぬる』などのたまはす」
――この数日来のご看病申し上げて疲れている女房達は皆、寝んだりして、御前は人も少なく、お側に起きてお仕えしている人々もまばらな折のことでした。御母の明石中宮は、一品の宮と同じ御帳台にいらせられて、取り次ぎを通して、「以前からあなたさまを信頼していらっしゃいましたが、特に今度という今度は、来世もこのとおりお救いくださるに違いないと、ますます信頼の念が増しましたよ」と、仰せになります――

「『世の中に久しく侍るまじきさまに、仏なども教へ給へることども侍るうちに、今年来年過ぐしがたきやうになむ侍りければ、仏をまぎれなく念じつとめ侍らむとて、深く籠り侍るを、かかるおほせごとにて、まかり出で侍りにし』など啓し給ふ」
――(僧都は)「もうこの世に長くはあるまいと、仏のおさとしも数々ございましたうちにも、ますます今年、来年も生きられそうにないようでございます。それで、せめてその間なりと、一心に念じお勤めいたそうと存じまして、山深く籠っていましたところ、この度のお言葉で、山を降りて参った次第でございます」などと、申し上げます――

◆5/8までお休みします。ゴールデンウイークを
 お楽しみください。では5/9に。


源氏物語を読んできて(1249)

2013年04月27日 | Weblog
2013. 4/27    1249

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その41

「いとあへなし、と思ひて、かかる心の離るるなりけり、さてもあへなきわざかな、いとをかしく見えし髪の程を、たしかに見せよ、と、一夜も語らひしかば、さるべからむ折に、と言ひしものを、と、いとくちをしうて、たちかへり、『聞えむかたなきは、岸遠く漕ぎはなるらむあまぶねに乗りおくれじといそがるるかな』例ならず取りて見給ふ」
――(中将は)がっかりして、それほどまでに出家の願いが強かった人なればこそ、ちょっとのお返事も、し始めまいと、よそよそしく振る舞っていたのであろう。それにしても、何とあっけないことよ、たいそう綺麗な黒髪の具合だったのに、もっとよく見せてくださいと、先夜も少将の尼をかき口説いたところ、その内に折をみてなどと、言っていたものを、恨めしさも並大抵ではない。すぐ折り返して、「申し上げようもないご出家のことは。(歌)この世を厭うて出家されたという貴女を追って、私も早く出家したい気がしきりにいたします」と認められます。浮舟もいつもと違って、この度は手にとって御覧になります――

「もののあはれなる折に、今はと思ふもあはれなるものから、いかが思さるらむ、はかなきものの端に、『心こそ憂き世の岸をはなるれどゆくへも知らぬあまのうき木を』と例の、手習ひにし給へるを、つつみて奉る」
――出家したばかりの、何となくあわれの心の沁みる折から、中将の、今はと諦めたご様子なのがいかにもお労しい気もしますが、そうかといって今更どうにかなるものでもなし、何と思われたのか、ちょっとした紙の端に、「心だけは辛いこの世を棄てましたけれども、末はどうなるやら分からないはかない尼のわたくしです」と、いつものように、書くともなしにしておいでになるのを、少将の尼はそのまま包んで、中将に差し上げようとなさるのでした――

「『書き写してだにこそ』とのたまへど、『なかなか書きそこなひ侍りなむ』とてやりつ。めづらしきにも、言ふかたなく悲しうなむ覚えける」
――(浮舟が)「せめて何かに書き写してから差し上げてください」とおっしゃいますが、少将の尼は「かえって書き損じましては」と言って、そのまま持たせてやります。中将は珍しい自筆の歌と思うにつけても、言いようもなく悲しく思うのでした――

「物詣での人帰り給ひて、思ひ騒ぎ給ふことかぎりなし。『かかる身にては、すすめきこえむこそは、と思ひなし侍れど、残り多かる御身を、いかで経給はむとすらむ。おのれは、世に侍らむこと、今日明日とも知りがたきに、いかでうしろやすく見置きたてまつらむ、と、よろづに思ひ給へてこそ、仏にも祈りきこえつれ』と、伏しまろびつつ、いといみじげに思ひ給へるにも、まことの親の、やがて骸もなきものと思ひ惑ひ給ひけむ程おしはかるぞ、先づいと悲しかりける」
――初瀬に参詣にいらした尼君がお帰りになって、事の次第に嘆くこと並々ではありません。「私がこのような出家の身ですから、出家をお勧めするのが本当だとは思いますが、まだまだ長いご一生ですのに、一体どうしてお過ごしになるおつもりですか。私はこの世に長らえるのは、今日明日とも分からぬ身の上ですから、何とかして、貴女を安心なご境遇に置いて差し上げたいと、いろいろ思案すればこそ、このように観音様にもお祈り申したのですよ」と、伏しまろびながら、
ひどく悲しそうなご様子でいらっしゃるのをご覧になりますにつけ、浮舟は、他人の尼君でさえこのように悲しまれるのですから、まして実の親が、行方不明のまま亡きがらも見ないことよと、悲しみにくれておいでかと思いますと、そのお姿が思いやられて、何よりもそれが悲しいのでした――

では4/29に。

源氏物語を読んできて(1248)

2013年04月25日 | Weblog
2013. 4/25    1248

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その40

「翌朝は、さすがに人の許さぬことなれば、変りたらむさま見えむもいとはづかしく、髪のすその、にはかにおほどれたるやうに、しどけなくさへ削がれたるを、むつかしきことども言はで、つくろはむ人もがな、と、何ごとにつけてもつつましくて、暗うしなしておはす」
――翌朝は、さすがに人の許さぬことをしましたので、浮舟は気が咎め、また変り果てたわが姿を人に見られるのも恥かしく、髪のすそが急にしどけなく肩のあたりにひろがり、その上、不揃いに削がれていますのを、面倒な小言など言わずにこの髪を梳いてくれる人がいてくれたなら、と思いますものの、何ごとにも気後れがして、お部屋をわざと暗くしておいでになります――

「思ふことを人に言ひ続けむ言の葉は、もとよりだにはかばかしからぬ身を、まいてなつかしうことわるべき人さへなければ、ただ硯に向かひて、思ひあまる折は、手習ひをのみ、たけきことにて書きつけ給ふ」
――心の内を細々と人にお話しするようなことは、もともとはっきりとは言い出せない性格ですのに、ましてここでは、甘えて相談できる人さえおりません。そのような時には、ただ硯に向かってすさび書きばかりを、ひたすらつづけていらっしゃるのでした――

「『なきものに身をも人をも思ひつつ棄ててし世をぞさらに棄てつる、今はかくて限りつるぞかし』と書きても、なほみづからいとあはれと見給ふ」
――(歌)「自分をも人をも無い者として、一度捨てた命を、今また出家して、再び捨ててしまいました。今ではこうして一切が終わってしまったのだ」と、書いては見たものの、やはり断ちけれない思いが胸にこみ上げてきて、しみじみと筆の後を眺めているのでした――

「『かぎりぞと思ひなりにし世の中をかへすがへすもそむきぬるかな』」
――(歌)「これが最後と、あの時一旦決意したこの世なのに、いよいよ尼になってまた捨てたことになってしましました」

「おなじ筋のことを、とかく書きすさび居給へるに、中将の御文あり。ものさわがしうあきれたる心地しあへる程にて、かかることなむ、と言ひてけり」
――同じようなことをあれこれと書きすさんでいらっしゃることろへ、中将からのお文がとどきました。浮舟のご出家のことで、皆がただただ呆れているところでしたが、とにかく事の次第を中将にお知らせします――


では4/27に。

源氏物語を読んできて(1247)

2013年04月23日 | Weblog
2013. 4/23    1247

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その39

「『あなあさましや。などかくあうなきわざはせさせ給ふ。上帰りおはしましては、いかなることをのたまはせむ』と言へど、かばかりにしそめつるを、言ひ乱るるものし、と思ひて、僧都いさめ給へば、寄りてもえさまたげず」
――(少将の君は)まあ、とんだことを。どうして思慮のないことをなさるのですか。尼君がお帰りになりましたなら、何とおっしゃいますか」と言いますが、ここまで事が運ばれてしまったのに、とやかく言うのもいかがかと僧都がお制止なさいますので、少将の君がお側に出てお止めするわけにはいきません――

「『流転三界中』などいふにも、断ちはてしものを、と思ひ出づるも、さすがなりけり。御髪もそぎわづらひて、『のどやかに、尼君たちして直させ給へ』と言ふ。額は僧都ぞ削ぎ給ふ」
――(僧都が)「流転三界中(るてんさんがいじゅう)」などと唱えられますと、浮舟は、ご自分はとうに恩愛を断ってしまった筈ですのに、さすがに思い出が心をさすめますのは、まことに悲しいことです。阿闇梨も御髪をすっかりは削ぎかねて、「あとでゆっくり尼君達に直してもらいなさい」と言います。額の髪は僧都がお切りになりました――

「『かかる御容貌やつし給ひて、悔い給ふな』など、尊きことども説き聞かせ給ふ。とみにせさすべくもなく、皆言ひ知らせ給へることを、うれしくもしつるかな、と、これのみぞ生ける験ありて覚え給ひける」
――(僧都が)「このような美しいご容姿を剃髪なさったからといって、決して後悔なさいますな」などと、いろいろと尊い教えを説いてお聞かせになります。(浮舟はお心の中で)なかなかすぐには出家など出来そうにもなく、皆が抑えなだめていたことなのに、うれしくも望みが叶ったことよ、と、これだけが生きていた甲斐があったことと嬉しく思われるのでした――

「皆人々出でしづまりぬ。夜の風の音に、この人々は、『心細き御住まひも、しばしのことぞ、今いとめでたくなり給ひなむ、と、頼みきこえつる御身を、かくしなさせ給ひて、残り多かる御世の末を、いかにせさせ給はむとするぞ。老いおとろへたる人だに、今は限りと思ひ果てられて、いと悲しきわざに侍る』と言ひ知らすれど、なほただ今は心やすくうれし」
――僧都たちが皆立ち去られましたので、この家の内もひっそりと静かになりました。夜の風の音につけてもお側の人々は、「こうした心細いご生活ももうしばらくのこと、やがて結構なご身分におなりでしょうと、頼みにお思いしましたものを、このようなお姿におやつしになられて、これから長いご一生をどうなさるおつもりです。老い先のない私たちでさえ、いよいよ出家をいたします時は、これが生涯の終りのような気がして、何もかも思い捨てるのが悲しいものでございます」などと言ってお聞かせしますが、浮舟ご自身は、それでも今のところ、心配もなくただただ嬉しいのでした――

「世に経べきものとは思ひかけずなりぬるこそは、いとめでたきことなれ、と、胸の明きたる心地し給ひける」
――この世で女並みの生活をしなければならないと思わずにすむ事が、何よりも有難く、胸の晴れ晴れする心地がするのでした――

では4/25に。

源氏物語を読んできて(1246)

2013年04月21日 | Weblog
2013. 4/21    1246

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その38

「聖心にいといとほしく思ひて、『夜や更け侍りぬらむ。山より下り侍ること、昔はこととも思う給へられざりしを、年の経るままには、堪へがたく侍りければ、うち休みて内裏には参らむ、と思ひ侍るを、しか思しいそぐことなれば、今日仕うまつりてむ』とのたまふに、いとうれしくなりぬ」
――(僧都は)聖ごころからまことにあわれと思われて、「もう夜も更けてしまいましょう。昔は山から下りることなど、何とも思いませんでしたが、年をとるにつれてひどく身体にこたえますので、一休みしてから御所へ参上しようと存じておりました。そのようにお急ぎになるのでしたら、今日、戒をお授けしましょう」とおっしゃいます――

「鋏とりて、櫛の箱の蓋さし出でたれば、『いづら、大徳たち、ここに』と呼ぶ。はじめ見つけたてまつりし、二人ながら供にありければ、呼び入れて、『御髪おろしたてまつれ』といふ」
――(浮舟が)早速、鋏を取って、櫛の箱の蓋に添えてさし出されたところ、僧都が「どれ、大徳たち、こちらへ」とお呼びになります。いつぞや宇治で最初に姫君を見つけ出した弟子の二人が、お供の中にいましたので、それを呼び入れて、「御髪(おぐし)を落ろしてさしあげるように」と言います――

「げにいみじかりし人の御ありさまなれば、うつし人にては、世におはせむもうたてこそあらめ、
と、この阿闇梨もことわりに思ふに、几帳の帷子のほころびより、御髪をかき出し給へるが、いとあたらしくをかしげなるになむ、しばし鋏をもてやすらひける」
――全くあの時は、妖怪変化かと見紛うようなご様子であったので、俗人のままでは生きておられるのも不都合なことなのかも知れないと、この阿闇梨も尼への御発心をもっともなこととは思いますものの、几帳の帷子(かたびら)の間から、かき寄せて出していらっしゃる御髪が、ほんとうに勿体ないほど美しいので、しばらくは鋏を持ったまま、ためらっています――

「かかる程、少将の尼は、兄の阿闇梨の来るに逢ひて、下に居たり。左衛門は、この私の知りたる人にあへしらふとて、かかる所につけては、皆とりどりに、心よせの人々めづらしうて出で来たるに、はかなきことしける、見入れなどしける程に」
――こうしている間も、少将の尼は兄の阿闇梨のきているのに会うため、自分の部屋に下がっていましたし、留守居の左衛門は、僧都の供人の中で個人的な人々にもてなしをするとて席をはずしていました。こういう山住みでは、誰でもそれぞれ自分の親しい人々が珍しくやって来るのに対して、ちょっとしたご馳走などを用意するもので、丁度それを指図していました時で――


「こもき一人して、かかることなむ、と少将の尼に告げたりければ、惑ひて来て見るに、わが御上の衣、袈裟などを、ことさらばかりとて着せたてまつりて、『親の御方拝みたてまつり給へ』と言ふに、いづかたとも知らぬ程なむ、え忍びあへ給はで泣き給ひにける」
――ただ一人側にいました童女のこもきが、「これこれのことです」と少将の尼に知らせましたので、あわてて来て見ますと、僧都が御自分の上衣や袈裟などを、ほんの形式的にお着せ申して、「親のいらっしゃる方へ向いて御礼拝なさい」とおっしゃいますが、どちらの方角とも分かりません。その時浮舟は堪え切れなくて泣き出されるのでした――

では4/23に。

源氏物語を読んできて(1245)

2013年04月19日 | Weblog
2013. 4/19    1245

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その37

「『まだいと行く先遠げなる御程に、いかでか、ひたみちにしかは思ひ立たむ。かへりて罪あることなり。思ひ立ちて、心を起し給ふ程は強く思せど、年月経れば、女の御身といふもの、いとだいだいしきものになむ』とのたまへば」
――(僧都が)「まだ行く末長くお若い身空に、どうしてそのように一途に思い立たれたのでしょう。なまじの決心などで出家なさるのは、却って罪障になるものです。決心された当座は道心堅固なおつもりでも、年月が経ちますと女の御身というものは、はなはだ困ったことになるものですし」とおっしゃいます――

「『をさなく侍りし程より、ものをのみ思ふべきありさまにて、親なども、尼になしてや見まし、などなむ思ひのたまひし。まして、すこしもの思ひ知り侍りてのちは、例の人ざまならで、後の世をだに、と思ふ心深く侍りしを、亡くなるべき程のやうやう近くなり侍るにや、心地のいと弱くのみなり侍るを、なほいかで』とて、うち泣きつつのたまふ」
――(浮舟は)「幼い時から、苦労の絶えない身の上で、親なども尼にしてしまおうかと心にも思い、口にも出しておいででした。まして物ごころつきましてからは、私自身、世間並みの女の暮らしなどは求めず(結婚などは求めず)、出家して、せめて後世でも救われたいと思う心が深かったのですが、死ぬべき時がだんだん近づいてきましたせいか、気分が悪くて仕方がなく、やはりどうぞ尼にしてくださいませ」と、泣く泣くお頼みになります――

「あやしく、かかる容貌ありさまを、などて身を厭はしく思ひはじめ給ひけむ、もののけもさこそ言ふなりしか、と思ひあはするに、さるやうこそはあらめ、今までも生きたるべき人かは、あしきものの見つけそめたるに、いとおそろしくあやふきことなり、と思して、『とまれかくまれ、思し立ちてのたまふを、三宝のいとかしこくほめ給ふことなり、法師にて聞え返すべきことならず。御忌むことはいと易く授けたてまつるべきを、急なることにてまかでたれば、今宵かの宮に参るべく侍り。明日よりや御修法はじまるべく侍らむ。七日果ててまかでむに、つかまつらむ』とのたまへば」
――どうも不思議なことだ。このような美しい容姿なのに、どうしてまた身を厭うように思い出したのであろう。そういえば物の怪もいつぞやそのような事を言っていたが、と思い合わせると、それにはそれだけの理由があるのであろう。(僧都はお心の中で)大体今まで生き長らえられる人ではなかったのだ。いったん物の怪が見込んだからには、このままで置いていては、まったく恐ろしく危険なことであろう、とお考えになって、「とにもかくにも、出家を思い立たれたのは、御仏も殊にお誉めくださることです。法師としてお留め申すことではありません。御受戒のことは、まことにたやすくお授け申す事ができますが、何分急用で山を下りまして、今夜は女一の宮の御所に参上しなければなりません。七日の御修法が済んで退出した際に、ご出家申させましょう」とおっしゃいますが、――

「かの尼君おはしなば、必ず言ひさまたげてむ、と、いとくちをしくて、みだり心地の悪しかりし程にしたるやうにて、『いと苦しう侍れば、重くならば、忌むことかひなくや侍るらむ。なほ今日はうれしき折とこそ思う給へつれ』とて、いみじう泣き給へば…」
――(浮舟は)あの尼君が帰ってこられましたなら、必ず私の出家に反対なさるだろうと思い、それでは困りますので、いつぞやのような生死をさまよったと同じ容態を装って、「とても苦しうございますので、これ以上重くなりましてからでは、受戒も甲斐がないことになりましょう。やはり今日が良い折と存じます」と言って、ひどくお泣きになります――

では4/21に。


源氏物語を読んできて(1244)

2013年04月18日 | Weblog
2013. 4/17    1244

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その36

「くれがたに、僧都ものし給へり。南面払ひしつらひて、まろなる頭つきども、行きちがひ騒ぎたるも、例に変りていとおそろしき心地す」
――暮れ方に僧都がお出でになりました。南面に御座を設えて、丸い頭つきの法師たちがあちこちしてさざめいていますのを、浮舟はいつもと違ってたいへん恐ろしい気がするのでした――

「母の御方に参り給ひて『いかにぞ、月ごろは』など言ふ。『東の御方はものまうでし給ひにきとか。このおはせし人は、なほものし給ふや』など問ひ給ふ。『しか、ここにとまりてなむ。心地あしとこそものし給ひて、忌むこと受けたてまつらむ、とのたまひつる』と語る」
――(僧都は)母尼のお部屋に参上して、「いかがでいらっしゃいますか。この頃は」「東の対に住む人(妹尼)は、物詣でにいらしたとか。また、前に居られた方は今もお出でですか」などとお訊ねになります。母尼が「はい、その通りですよ。こちらに居残っておいでになって、気分がたいそうお悪いとかで、受戒をお願い申したいと言っております」とお話になります――

「立ちてこなたにいまして、『ここにやおはします』とて、几帳のもとについゐ給へば、つつましけれど、ゐざりよりて、いらへし給ふ」
――僧都が立ってこちらへいらっしゃって、「ここにいらっしゃいますか」と言って、几帳の側にお座りになりましたので、浮舟はおずおずとゐざり寄ってお返事をなさいます――

「『不意にて見たてまつりそめてしも、さるべき昔の契りありけるにこそ、と思う給へて、御祈りなども、ねんごろに仕うまつりしを、法師は、そのこととなくて、御文聞えうけたまはらむもびんなければ、自然になむおろかなるやうになり侍りぬる。いとあやしきさまに、世を背き給へる人の御あたりに、いかでおはしますらむ』とのたまふ」
――(僧都が)「思いがけずもお目にかかりましたのも、前世の因縁があったからこそと存じまして、ご祈祷なども真心からお勧め申しましたが、法師というものは、これといった用事も無しに女の方とお手紙を取り交わすのも不都合ですので、自然にご無沙汰のようになっておりました。それにしましても、この世を捨てた尼たちのお側に、どのようにしてお過ごしになっておられますか」と仰せになります――

「『世の中に侍らじ、と思ひ立ち侍りし身の、いとあやしくて今まで侍るを、心憂しと思ひ侍るものから、よろづにものせさせ給ひける御心ばへをなむ、いひかひなき心地にも、思う給へらるるを、尼になさせ給ひてよ。世の中に侍るとも、例の人にて、ながらふべくも侍らぬ身になむ』と聞え給ふ」
――(浮舟は)「この世には生きていまいと覚悟いたしましたこの身が、不思議にこうして今まで生きていますのを、辛いとは思いますものの、何もかもご親切にお世話くださった御志を、不甲斐ない心にもしみじみ有難く思わずにはいられないのですが、やはり世馴れぬ気持ちで、結局は生きていられそうもない気がいたしますので、尼にしていただきとうございます。この世におりましても、とても普通の女並には生きられそうにない身でございます」と申し上げます――

では4/19に。

源氏物語を読んできて(1243)

2013年04月15日 | Weblog
2013. 4/15    1243

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その35

「下衆下衆しき法師ばらなどあまた来て、僧都今日下りさせ給ふべし、『などにはかには』と問ふなれば、『一品の宮の御もののけになやませ給ひける、山の座主御修法仕うまつらせ給へど、なほ僧都参らせ給はでは験なしとて、昨日ふたたびなむ召し侍りし。右大臣殿の四位の少将、昨夜夜更けてなむ上りおはしまして、后の宮の御文など侍りければ、下りさせ給ふなり』と、いとはなやかに言ひなす」
――(とかくするうちに)いかにも下役らしい僧たちがおおぜい来て、僧都が今日横川から下山される筈です、と言います。尼たちが「なぜ、そんなに早く」と訊ねますと、「一品の宮(いっぽんのみや=女一の宮:匂宮の姉宮)が御物の怪にお悩みになっておいでになりましたのを、山の座主(比叡山の天台座主)が御祈祷をなさいましたが、やはりこちらの僧都が参上なさいませんでは、効験が無いとのことで、昨夜また重ねてお迎えがございました。右大臣(実は左大臣)の四位の少将が昨夜、夜も更けてから横川にお見えになられ、明石中宮のお手紙などがございましたので、下山なさるのです」と、大そう大袈裟に吹聴します――

「はづかしうとも、逢ひて、尼になし給ひてよ、と言はむ、さかしら人すくなくてよき下りにこそ、と思へば、起きて、『心地のいとあしうのみ侍るを、僧都の下りさせ給へらむに、忌むこと受け侍らむ、となむ思ひ侍るを、さやうに聞え給へ』と語らひ給へば、ほけほけしううち肯く」
――(それを聞いて浮舟は)恥かしくても僧都にお会いして、尼にして下さいと言おう、さしで口をする人も少なくてよい折だと思って起き出して、「いつまでも気分がいっこうにすぐれませんので、僧都が下りておいでになりましたら、戒を受けさせていただきたいと存じますが、そのように申し上げてください」と相談しますと、母尼は呆けた様子でただ肯いておいでになります――

「例の方におはして、髪は尼君のみけづり給ふを、他人に手触れさせむもうたて覚ゆるに、手づからはたえせぬことになれば、ただすこし解き下して、親に今ひとたびかうながらのさまを見えずなりならむこそ、人やりならずいと悲しけれ」
――浮舟がいつもの自室に帰られて、お髪はいつも尼君に梳いていただいていましたのを、他の人に手に触れさせるのも気が進まないのですが、といって、ご自分では出来ませんので、ただ少しだけ髪をほどいて垂らしながら、もう一度母君に今のままの姿を見せずにしてしまうことが、誰に訴えようもなく悲しい――

「いたうわづらひしけにや、髪もすこし落ち細りにたる心地すれど、何ばかりもおとろへず、いと多くて、六尺ばかりなる末などぞ、いとうつくしかりける。筋なども、いとこまかにうつくしげなり。『かかれとてしも』と、ひとりごちゐ給へり」
――重く患ったせいか、髪も少し抜け落ちて少なくなったような気がしますが、しかしそれほど衰えてはいず、まことにふさふさとそてきれいにみえます。「このようにしようとは」と、古歌を口ずさみながら座っていらっしゃるのでした――

◆『かかれとてしも』=古歌「たらちねはかかれとてしもうばたまのわが黒髪を撫でずやありけむ」(私の母君は、まさか出家せよとのおつもりで、この黒髪を撫でてくださったのではなかろうに)

では4/17に。




源氏物語を読んできて(1242)

2013年04月13日 | Weblog
2013. 4/13    1242

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その34

「昔よりのことを、まどろまれぬままに、常よりも思ひ続くるに、いと心憂く、親と聞えけむ人の御容貌も見たてまつらず、遥かなる東をかへるがへる年月をゆきて、たまさかにたづね寄りて、うれしたのもしと思ひきこえし姉妹の御あたりも、思はずにて絶え過ぎ、さる方に思ひさだめ給へりし人につけて、やうやう身の憂さをもなぐさめつべききはめに、あさましうもてそこなひたる身を、思ひもてゆけば、」
――(浮舟は)「眠れぬままに、昔からのことを、いつもよりもつくづくと思い続けていますと、まったく辛いわが身であったと思うのでした。御父と申し上げる方のお顔も拝したことがなく、遠い東の国に、何度も往ったり来たりしながら年月を過ごして、ようやく上京はしたものの、たまたま尋ね出してお目にかかった姉君のあたりとも、思わぬ事から疎遠になってしまうし、それなりの身分でお世話してくださるおつもりだった大将の君(薫)をお頼りにして、だんだんに自分の不仕合せな暮らしも慰められようとする間際に、浅はかにも身を誤ってしまったことなどを思いつめていきますと――

「宮を、すこしもあはれと思ひきこえけむ心ぞいとけしからぬ、ただこの人の御ゆかりにさすらへぬるぞ、と思へば、小島の色をためしに契り給ひしを、などてをかしと思ひきこえけむ、と、こよなくあきにたる心地す」
――匂宮をほんの少しでも慕わしいと思い申した自分の料簡がいけないことであった。ただ匂宮との御縁からこのような流浪の身になったのだ、と思いますと、匂宮が橘の小島の色を譬えにして愛を誓われたことを、あんなにも素晴らしく思えたことも、すっかり厭になった気がするのでした――

「はじめより、薄きながらものどやかにものし給ひし人は、この折かの折など、思ひ出づるぞこよなかりける。かくてこそありけれ、と、聞きつけられたてまつらむはづかしさは、人よりまさりぬべし」
――最初から、情熱的ではないながらも、気長に愛してくださった人(薫)のことは、この折、あの時と思い出すにつけても、ずっと恋しく思い出されるのでした。浮舟がこうして生きていたと、薫に聞きつけられたなら、その恥かしさは例えようもないであろう――

「さすがに、この世には、ありし御さまを、よそながらだにいつかは見むずる、とうち思ふ。なほ悪の心や、かくだに思はじ、など、心ひとつをかへさふ」
――おそらくきっと、この世ではもうすべての薫のお姿を、そっとよそながらでも、拝見することがあるかしら、と、ふと思いながら、ああやはりいけない未練だこと、もうこんなことさえも思うのはよしましょう、と心一つには打ち消しては、また思い返しているのでした――

「からうじて鳥の鳴くを聞きて、いとうれし。母の御声を聞きたらむは、ましていかならむ、と思ひ明かして、心地もいと悪し」
――ようやくのことで鳥の鳴く音を聞いて、浮舟はやっとほっとなさる。これが母君のお声ときいたならば、どんなにうれしかったろうとおもいますが、昨夜はまんじりともせずに夜をあかしましたので、気分がひどく悪い――

「供にてわたるべき人もとみに来ねば、なほ臥し給へるに、鼾の人はいととく起きて、粥などむつかしきことどもをもてはやして、『御前にとく聞し召せ』など寄り来て言へど、まかなひもいと心づきなく、うたて見知らぬ心地して、『なやましくなむ』と、ことなしび給ふを、しひて言ふもいとこちなし」
――お供の童女こもきもいっこうに帰ってきませんので、そのまま横になっていますと、あの鼾(いびき)のひどかった大尼君などが早々に起き出して、朝食の粥の支度などに立ち騒いでいます。「貴女様もはやく召し上がれ」などと側に寄ってきて言いますが、このような老人のお給仕役も気に染まず、このようなことをしたこともありませんので、「気分がすぐれませんので」とさりげなくお断りしていますのに、なおも無理強いするのは、何とも気が利かないことかと、思うのでした――

では4/15に。

源氏物語を読んできて(1241)

2013年04月11日 | Weblog
2013. 4/11    1241

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その33

「姫君は、いとむつかしとのみ聞く老人のあたりにうつぶし臥して、寝も寝られず。宵惑ひは、えもいはずおどろおどろしき鼾しつつ、前にも、うちすがひたる尼ども二人臥して、おとらじと鼾あはせたり。いとおそろしう、今宵この人々にや食はれなむ、と思ふも、惜しからぬ身なれど、例の心弱さは、一つ橋あやふがりて帰り来たりけむ者のやうに、わびしく覚ゆ」
――浮舟は、気むずかし屋と聞いている母尼の近くに臥して、眠る事もできずにいらっしゃる。宵の口から寝ている年老いた大尼君は、たとえようもないほどの物凄い鼾(いびき)をかきつづけて、前の方にも同じ年恰好の尼が二人寝ていて、負けず劣らずの大いびきをかいています。まことに恐ろしく、今夜この人々に食われてしまうのではないかと思うのでした。どうせ惜しくもないこの身ではありますが、いつもの気の弱さから、あの昔物語にみえる、死ぬつもりだったのに、一本橋を危ながって途中で引き返して来たとかいう人のように心細く思われるのでした――

「こもき供に率ておはしつれど、色めきて、このめづらしき男のえんだち居給へる方に帰り往にけり。今や来る今や来る、と待ち居給へれど、いとはかなき頼もし人なりや。中将言ひわづらひて帰りにければ、『いとなさけなく、うもれてもおはしますかな。あたら御容貌を』など謗りて、皆一所に寝ぬ」
――(浮舟は)童女のこもきを供にしてこの部屋にこられたのですが、小娘も色めいてきたとみえて、あの珍しい中将が物思いありげにしておられる所へ帰って行ってしましました。今帰って来るか、今戻るかと待っておいでになりますが、何とも当てにならないお付きであろうか。中将もとうとうもてあまして帰っていまわれましたので、少将の尼たちは、「なんとまあ、しょうのない引っ込み思案なお方でしょう、もったいないご器量なのに」などと陰口をききながら、皆、一緒の所に寝んだのでした――

「夜中ばかりにやなりぬらむ、と思ふ程に、尼君しはぶきおぼほれて起きにたり。火影に頭つきはいと白きに、黒きものをかづきて、この君の臥し給へるをあやしがりて、いたちとかいふなるものがさるわざする、額に手をあてて、『あやし。これは誰ぞ』と、執念げなる声にて見おこせたる、さらに、ただ今食ひてむとする、とぞ覚ゆる」
――もう真夜中になった頃と思われる時に、母尼は咳こんで起きてしまわれました。火影にうつる髪は真っ白ですのに、黒い物をかぶった気味わるい老人が、自分の近くに姫君が臥せっていららえるのを不思議に思って、いたちのするように額に手をかざして、「おかしい。これは誰だろう」と、疑い深げな声でつぶやきながら、こちらをじっと見ている様子が、いよいよ取って食おうとしているのではないかと思われるのでした――

「鬼の取りもて来けむ程は、もの覚えざりければ、なかなか心やすし。いかさまにせむ、と覚ゆるむつかしさにも、いみじきさまにて生き返り、人になりて、またありしいろいろの憂きことを思ひ乱れ、むつかしともおそろしとも、ものを思ふよ、死なましかば、これよりもおそろしげなる者の中にこそはあらましか、と思ひやらる」
――(宇治の山荘で)鬼がさらって来たらしいあの時は、意識を失っていましたので、却って怖くもありませんでしたが、今後どうしたら良いのかと、思い煩うにつけても、情けない有様で蘇って、人並みに身体は快復したものの、再び昔のいろいろな辛いことを思乱れ、またあらたに厭わしく忌まわしいことに心を砕くことよ、それでも、もし死んでいたなら、きっとこの老尼君よりももっと恐ろしい地獄の鬼の中で、さいなまれているに違いないと思ったりしています――

◆一つ橋あやふがりて帰り来たりけむ者のやうに=古物語に「心はただ身を投げんとせし人の行く道に一つ橋の危きを見て道より帰りたる」

では4/13に。