永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(964)

2011年06月29日 | Weblog
2011. 6/29      964

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(25)
 
 それぞれ女房たちが心配げに話しているのをお聞きになって、中の君は、

「今はいかにもいかにもかけて言はざらなむ、ただにこそ見め、とおぼさるるは、ひとには言はせじ、われ一人うらみきこえむ」
――今はもうあれこれと口に出して言わないでほしい。ただじっと、匂宮のなさることを見ていましょう。こうお思いになるのは、匂宮の事を人にはかれこれ言わせまい、ご自分一人でお恨み申していようとのお積りであろうか――

 女房たちが、

「『いでや、中納言殿の、さばかりあはれなる御心深きを』など、そのかみの人々は言ひ合せて、『人の御宿世のあやしかりけることよ』と言ひ合へり」
――「ほんとにまあ、中納言殿(薫)が、あれほど深い御親切ぶりなのに」などと、大君が薫に中の君をお薦めになった当時の事情を知っている者たちが、顔を見合わせては「人の御運というものは、不思議なものでございますね」などと言い合っております――

 さて、匂宮は、

「いと心ぐるしくおぼしながら、今めかしき御心は、いかでめでたきさまに待ち思はれむ、と心げさうして、えならず薫きしめ給へる御けはひ、いはむかたなし」
――中の君をたいそうお気の毒にお思いになりながらも、やはり派手好きな御性格から、お待ちかねの六の君側の人々に、立派な婿君と思われたいものだと精一杯気負い立って、御衣に並々ならぬ名香を薫きしめた御風采など、まことに申し分ありません――

「待ちつけきこえ給へる所のありさまも、いとをかしかりけり」
――お待ち申される夕霧邸の様子も実に風情を凝らしているのでした――

「人の程、ささやかにあえかになどはあらで、よき程になりあひたる心地し給へるを、いかならむ、ものものしくあざやぎて、心ばへも、たをやかなる方はなく、もの誇りかになどやあらむ、さらばこそ、うたてあるべけれ、」
――六の君の姿形は、小柄で華奢(きゃしゃ)などということはなく、良い具合に発育しきった感じがなさるのを、匂宮は、お人柄の方は一体どんなふうであろうか、ものものしく構えて内気なところはなく、気立てもやさしさに欠けていて、気位ばかり高いのではないだろうか、そんなふうならとても気に入るまい――

 などと思っておいでになりましたが…。

◆心げさうして=心化粧して=相手を意識して気を使う。緊張して。

では7/1に。

源氏物語を読んできて(963)

2011年06月27日 | Weblog
2011. 6/27      963

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(24)

「松風の吹き来る音も、荒ましかりし山おろしに思ひくらぶれば、いとのどかになつかしくめやすき御住ひなれど、今宵はさもおぼえず、椎の葉の音にはおとりて思ほゆ」
――松を渡る風の音も、あの宇治の荒々しかった山風に比べれば、この二条院はたいそうのどかに好ましいお住まいではありますが、今宵はそうは思えず、宇治の椎がもとに吹きよる風がなつかしい――

「『山里のまつのかげにもかくばかり身にしむ秋の風はなかりき』来し方忘れにけるにやあらむ」
――(中の君の歌)「宇治の山里の住いでもこれほどわびしい秋風を聞いた事はなかったものを」過ぎ去った日々の辛さを、中の君はお忘れになったのでしょうか――

 歳をとった女房などが、

「今は入らせ給ひね。月見るは忌み侍るものを、あさましく、はかなく御くだものをだに御らんじ入れねば、いかにならせ給はむ。あな見ぐるしや。ゆゆしう思ひ出でらるることも侍るを、いとこそわりなく」
――さあ、もう中にお入りください。月をじっとご覧になりますのは不吉だともうしますのに。それにほんの少しのお食事も召しあがらず、せめて水菓子をとおもっても見向きもされないでは、いったいどうなりますやら。ああ何と辛いことでしょう。つい不吉なことも思い出されて、心配でなりません――

 と、溜息をつきつつ申し上げますし、若い女房も嘆かわしげに、

「いで、この御事よ。さりとも、かうておろかにはよもなりはてさせ給はじ。さ言へど、もとの志深く思ひそめつる中は、名残りなからぬものぞ」
――それにしても、匂宮のなさり方のひどい事。まさかこのまま疎遠になりきっていまわれますまい。何と言ってももともと深いお気持で愛しはじめた間柄ですもの、まったく切れてはしまいませんでしょうとも――

 と、聞きにくいことを囁き合っています。

◆月見るは忌み侍る=月夜は不吉な事がおこると思われていたか。かぐや姫が満月の月夜に月に惹きつけられて帰るなど。

◆お月見とは
 お月見は旧暦の8月15日に月を鑑賞する行事で、この日の月は「中秋の名月」、「十五夜」、「芋名月」と呼ばれます。月見の日には、おだんごやお餅(中国では月餅)、ススキ、サトイモなどをお供えして月を眺めます。
 月見行事のルーツはよくわかっていません。最近の研究によると、中国各地では月見の日にサトイモを食べることから、もともとはサトイモの収穫祭であったという説が有力となっています。その後、中国で宮廷行事としても行われるようになり、それが日本に入ったのは奈良~平安時代頃のようです。
 また、日本では8月15日だけでなく9月13日にも月見をする風習があり、こちらは「十三夜」、「後の月」、「栗名月」とも呼ばれています。十三夜には、月見団子の他に栗や枝豆をお供えします。各地には「十五夜をしたなら、必ず十三夜もしなければいけない」という言葉が伝えられており、片方だけの月見を嫌う風習があったようです。十三夜の風習は中国にはなく、日本独自のものです。

では6/29に。

源氏物語を読んできて(962)

2011年06月25日 | Weblog
2011. 6/25      962

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(23)

 中の君はしみじみと思うのでした。

「幼き程より心細くあはれなる身どもにて、世の中を思ひとどめたるさまにもおはせざりし人一所を、頼みきこえさせて、さる山里に年経しかど、ただいつとなくつれづれにすごくありながら、いとかく心にしみて世を憂きものとも思はざりしに】
――私たち姉妹は幼い時から心細くさびしい身の上で、現世の事を心をとどめているようにもお見えにならなかった父宮お一人をお頼み申して、ただもういつと限らずつれづれで物さびしくはありながらも、まさかこれほど身に沁みてこの世をつらいものとも思いませんでしたのに――

「うち続きあさましき御事どもを思ひし程は、世にまたとまりて片時経べくもおぼえず、恋しく悲しきことの類あらじ、と思ひしを、命長くて今までもながらふれば、人の思ひたりし程よりは、人にもなるやうなるありさまを、長かるべきこととは思はねど」
――父宮、姉君と引き続き思いがけなく亡くなられた当時は、これ以上生き残って片時も永らへそうにも思われず、これ程恋しく悲しいことが他にあろうかと思いましたものを、寿命が長くて今までも生き長らえてみますと、(匂宮に引きとられた後は)他人が予想したであろうよりも人並みになったような生活ではありますが、これとても長続きしそうな事とも思われず――

「見るかぎりは憎げなき御心ばえもてなしなるに、やうやう思ふこと薄らぎてありつるを、この折り節の身の憂さ、はたいはむ方なく、かぎりと覚ゆるわざなりけり」
――お逢いしているときは、匂宮のお気持もお振る舞いも、憎そうなところもなく、次第に悩みも薄らいできていましたのに、折も折、今度の六の君のことでは辛さは例えようもないほどで、いよいよこれが縁の切れ目と思われる――

「ひたすら世になくなり給ひにし人々よりは、さりとも、これは、時々もなどかは、とも思ふべきを、今宵かく見棄てて出で給ふつらさ、来し方行く先皆かきみだり、心細くいみじきが、わが心ながら思ひやる方なく、心憂くもあるかな、」
――全くこの世を去られた父宮や姉君よりは、当然、いくら何でも匂宮は時折りは来てくださらない筈はないと考えたいところですのに、今夜、こうして私を見棄てて出ていかれた辛さを思いますと、過去も未来もすべてが混乱して、心細く恨めしいことが、われながらどうすることもできず、やるかたない思いであることよ――

「おのづからながらへば、など、なぐさめむことを思ふに、さらに姨捨山の月澄みのぼりて、夜更くるままによろづ思ひみだれ給ふ」
――生き長らえていれば、匂宮との間も自然に元のようになるだろうか、などと心慰めているものの、折からの「姨捨山の月」を思わせるような澄みきった月が高く中空にあって、夜が更けてゆくにつれて、さまざまにお心が乱れるのでした――

では6/27に。


源氏物語を読んできて(961)

2011年06月23日 | Weblog
2011. 6/23      961

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(22)

「宮は、なかなか今なむ、とも見えじ、心ぐるし、とおぼして、内裏におはしけるを、御文きこえ給へりける、御返りやいかがありけむ、なほいとあはれにおぼされければ、しのびて渡り給へりけるなりけり」
――匂宮は(六の君のところへ出かけるのが)今夜であるとは思わせまい。気の毒だ、御所からその足であちらへと思って参内なさったのですが、御文を中の君にお遣わしになったそのご返事に、何と書かれていたのでしょうか、やはり大そう可愛らしく思われたので、そっと二條院にお帰りになったのでした――

「らうたげなるありさまを見棄てて、出づべき心地もせず、いとほしければ、よろづに契り、なぐさめて、もろともに月をながめておはする程なりけり」
――中の君の可憐なご様子を見棄てて六の君のところへ行く気持ちにもなれず、あまりのいじらしさに、なにくれとなく、お約束されたり、なぐさめられたりして、ご一緒に月を見ておいでになるところに(夕霧からご催促のお手紙が)届けられたのでした。――

「女君は日頃もよろづに思ふこと多けれど、いかでけしき出ださじと、よろづに念じかへしつつ、つれなくさまし給ふことなければ、ことに聞きもとどめぬさまに、おほどかにもてなしておはするけしき、いとあはれなり」
――中の君は、このところ思い歎くことが多かったのですが、決して態度には出すまいと、万事お心に決めて、さりげなく心を落ち着けておられることなので、夕霧のお使いに対しても格別お心にとめぬ風にして、おっとりとお振舞いになっておいでなのが、ひとしおあわれ深い――

 「中将の参り給へるを聞き給ひて、さすがにかれもいとほしければ、出で給はむとて、『今いと疾く参りこむ。一人月な見給ひそ。心空なればいと苦し』ときこえおき給ひて、なほかたらいたければ、隠れの方より寝殿へ渡り給ふ」
――(お使いの)夕霧の子息の頭中将がお見えになったとお聞きになった匂宮は、そうは言っても六の君のこともお気の毒になって、やはりあちらへ参ろうと、中の君に「じきに帰って来ますよ。ひとりで月をご覧になっていてはいけません。あなたを残してゆく私の心も上の空でたいそう辛いのです」と仰せ残されて、それでもやはりきまりが悪いので、人目につかぬ物陰の方からそっと寝殿にお渡りになります――

 中の君は、

「御うしろでを見送るに、ともかくもおもはねど、ただ枕の浮きぬべき心地のすれば、心憂きものは人の心なりけり、とわれながら思ひ知らる」
――匂宮の後ろ姿をお見送りしますに、どうということもお思いになりませんが、ただむやみに涙がこぼれて、枕がいまにも浮きそうな感じがして、情けないのは私の嫉妬心だと、つくづくとご自分の心をお知りになるのでした――

◆一人月な見給ひそ=一人でお月さまをご覧になってはいけませんよ。早く老いる。不吉。
   古歌「大方は月をもめでじこれぞこの積れば人の老いとなるもの」

◆御うしろで=御後姿

では6/25に。


源氏物語を読んできて(960)

2011年06月21日 | Weblog
2011. 6/21      960

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(21)

 母宮は、

「幾世しもあらじを、見奉らむほどは、なほかひあるさまにて見え給へ。世の中を思ひ棄て給はむをも、かかるかたちにては、妨げきこゆべきにもあらぬを、この世の、いふかひなき心地すべき心まどひに、いとど罪や得む、とおぼゆる」
――私の命もあといくらもありますまいに、ご一緒に暮らす間は、やはり甲斐あるさまに立派なお暮しぶりを見せてください。あなたが世の中を思い棄てられることに対しても、(私自身、尼姿でありながら)あなたのご出家をおとめするわけにもいきませんが、もし、そのようなことになりましたなら、この世では生きる張り合いも、甲斐もなくなります。それがますますわたしを罪深い者にすることでしょう――

 とおっしゃいますのを、薫は勿体なくも痛々しくて、母宮の前では、一切の物思いを断ち切った風を装っておいでになるのでした。

 さて、

「右の大殿には、六条の院の東の大殿磨きしつらひて、限りなくよろづを調へて待ちきこえ給ふに、十六日月やうやうさしあがるまで心もとなければ、いとしも御心にいらぬ事にて、いかならむ、と安からず思ほして、案内し給へば、『この夕つ方内裏より出で給ひて、二条の院になむおはしますなる』と人申す」
――右大臣(左大臣?)の夕霧家では、匂宮のお出でをお待ち申し上げますについて、六条院の東の御殿を立派に磨き込んで、調度品もあらゆるもの全てを調えておりますのに、御本人がなかなかお見えにならず待ち遠しく思っております。十六夜(いざよい)の月がそろそろ空にさし昇るころになってもいっこうに音沙汰がありません。はじめから匂宮は、六の君との御結婚に気乗りのしていらっしゃらないことですので、どうしたものか、と、夕霧は不安にお思いになって、使いをおやりになりますと、「この夕がた、御所からお退りになって二条院にいらっしゃるそうでございます」と報告がありました――

 夕霧は、

「思す人持給へれば、と、心やましけれど、今宵過ぎむも人わらへなるべければ、御子の頭中将してきこえ給へり。『大ぞらの月だにやどるわが宿に待つ宵すぎて見えぬ君かな』」
――やはり、中の君という愛人を持っておられるからだ、と、癪にさわるけれど、吉日として選んだ今夜が無駄骨になっては世間の笑いぐさになることだろうと、息子の頭中将をお使いに立てて、申し上げさせます。(歌)「大空の月さえ差し入る私の邸に、あなたさまは待つ宵を過ぎてもいらっしゃらないおつもりですか」――

では6/23に。


源氏物語を読んできて(959)

2011年06月19日 | Weblog
2011. 6/19      959

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(20)

 そろそろ日が差し昇ってきて、侍女たちも上がってきましたので、あまりの長居は中の君との間に何か深いわけでもありそうに思われても煩わしいので、お出ましになろうとなさって、

「何処にても御簾の外にはならひ侍らねば、はしたなき心地し侍りてなむ。今またかやうにもさぶらはむ」
――どこに伺いましても、御簾の外のお扱いはうけたことがございませんのに、きまりの悪いことでございます。でもまた懲りずに参上いたしましょう――

 と、ちょっと恨み言をにおわせて立ち上がられます。

「宮の、などかなき折には来つらむ、と、思ひ給ひぬべき心地なるも、わづらはしくて、侍の別当なる、右京の大夫召して『昨夜まかでさせ給ひぬ、と承りて参りつるを、まだしかりければくちをしきを、内裏にや参るべき』とのたまえば、『今日は罷でさせ給ひなむ』と申せば、『さらば夕つ方も』とて出で給ひぬ。
――(薫は)匂宮が、なぜ私の留守中に来たのだろうと、怪訝に思われそうなご性質であって、それも煩わしいことですので、二条院の侍所(さむらいどころ)の長官を呼んで、「匂宮は昨夜内裏から退出なさったと承って参上したのだが、まだお帰りではなく残念なことだ。ならばこれから宮中に参ってみようか」といいますと、長官は、「きっと本日は御帰邸なされましょう」と申し上げます。薫が「それならば又夕方にでも伺いましょう」とおっしゃってお帰りになるのでした――

「なほこの御けはひありさまを聞き給ふたびごとに、などて昔の人の御心掟をもて違へて、思ひぐまなかりけむ、と、悔ゆる心のみまさりて、心にかかりたるもむつかしく、なぞや人やりならぬ心ならむ、と思ひかへし給ふ」
――(薫は)やはり、この中の君のご様子や気配をお感じになるにつけ、何で亡き大君のご意向に背いて、思慮もなく人に譲ってしまったのだろう、との後悔ばかりが日に日にまさって堪え難く、なぜ自分から求めたことでこのように悩むのかと、反省ばかりがしきりでいらっしゃる――

「そのままにまだ精進にて、いとどただ行ひをのみし給ひつつ、あかしくらし給ふ。母宮のなほいとも若くおどろきて、しどけなき御心にも、かかる御けしきを、いとあやふくゆゆし、とおぼして」
――(薫は)大君の亡きあと、ずっと引き続きご精進なさっていて、ますます勤行ばかりなさりながら、日を送っていらっしゃいます。母宮(女三宮)は、まだ若くおっとりとしたお心のうちにも、薫のこうした仏道にばかり志すご様子を、たいそう危うく不吉なこととお思いになって――

では6/21に。


源氏物語を読んできて(958)

2011年06月17日 | Weblog
2011. 6/17      958

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(19)

 中の君は、薫のご様子から姉の大君の面影が顕って、恋しさに一段と悲しみに誘われて、

「世の憂きよりは、など、人は言ひしをも、さやうに思ひくらぶる心もことになくて、年頃は過ぐし侍りしを、今なむ、なほいかで静かなるさまにても過ぐさまほしく思う給ふなるを、さすがに心にもかなはざめれば、弁の君こそうらやましく侍れ。この二十日あまりの程は、かの近き寺の鐘の声も聞き渡さまほしく覚え侍るを、しのびて渡させ給ひてむや、ときこえさせばや、となむ思ひ侍りつる」
――山里は辛い世の中より住みよいなどと、昔の人は言いましたが、そのように比較することもなく過ごしてまいりました。けれども今は、どうにかして静かな状態で過ごしたく存じますが、それも思うにまかせないことです。尼になった弁の君が本当にうらやましいことです。この月の二十日過ぎには、父上の三回忌ですから、宇治の山荘の近くの阿闇梨のお寺で法要の鐘の音も聞きたく思いますので、そっと宇治にお連れくださらないかと、貴方にお願いしたいと、そう思っておりました――

 と薫に申されます。薫は、

「荒らさじ、とおぼすとも、いかでかは。心やすき男だに、往来の程荒ましき山道に侍れば、思ひつつなむ月日もへだたり侍る。故宮の御忌日は、かの阿闇梨に、さるべき事どもみな言ひおき侍りにき。彼処はなほたふとき方におぼしゆづりてよ」
――宇治のお宅を荒らすまいとお思いになりましても、あなたにそんなことが何でできましょう。気軽に出かけられる男の身でさえ、行き来には険しい山道ゆえに、心にかけながらも月日がたってしまうものです。故八の宮の御法要には、あの阿闇梨に必要なことをすべて言い置いてあります。あの山荘はやはり仏様にお譲りになって、お寺にしておしまいなさい――

「時々見給ふるにつけては、心まどひの絶えせぬもあいなきに、罪失ふさまになしてばや、となむ思ひ給ふるを、またいかが思しおきつらむ」
――昔のままの山荘を、何かの折にご覧になっても、かえって悲しみに心がかき乱されるようでは、無益なことでしょう。罪障を消すためにお寺になさってはと存じますが、どうお考えになりますか――

「ともかくも定めさせ給はむに従ひてこそは、とてなむ。あるべからむやうにのたまはせよかし。何事もうとからず承らむのみこそ、本意のかなふにては侍らめ」
――どのようにでも貴女がお定めになる通りにしたいと、そう思っております。こうしたいとお思いのようにおっしゃってくださいよ。万事隔てなくお言い付けいただくことだけが、私の本望でございます――

 などと、宇治の山荘の処分のことなど細やかにお話申し上げます。

「経仏など、この上も供養じ給ふべきなめり。かやうついでにことつけて、やをら籠り居なばや、と、おもむけ給へるけしきなれば、『いとあるまじき事なり。なほ何事も心のどかにおぼしなせ』など教えきこえ給ふ」
――(中の君が)経や仏などをご自分でも更にご供養なさるおつもりらしい。今度のご供養を機会にそっと宇治に引き籠もってしまいたいとのお志のご様子なので、薫は「(宇治にお帰りになるのは)まことに思いのほかのことでございます。なにごとにつけても、お気持をゆったりお持ちになっていらっしゃしまし」と諭してさしあげます――


◆世の憂きよりは=古今集「山里は物のさびしきことこそあれ世の憂きよりは住みよかりけり」

では6/19に。

源氏物語を読んできて(957)

2011年06月15日 | Weblog
2011. 6/15      957

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(18)

 薫は思い出すままに続けて、

「方々つどひものせられける人々も、みな所々あかれ散りつつ、おのおの思ひ離るる住ひをし給ふめりしに、はかなき程の女房などはた、まして心をさめむ方なく覚えけるままに、もの覚えぬ心に任せつつ、山林に入り交り、すずろなる田舎人になりなど、あはれに惑ひ散るこそ多く侍りけれ」
――六条院のそれぞれのお住いに集っておられた女の方々も、あちらこちらに別れ散っては、世を捨てたお暮しを思い思いにしていらっしゃいます。軽い身分の女房などはましてやすっかり取り乱し、分け分からぬままに山や林に分け入って、そのまま思いがけなく田舎人に身を落とし、可哀そうにも散り散りになってしまった者も多いということです――

「さてなかなか皆荒らし果て、忘れ草生ふして後なむ、この右の大臣も渡り住み、宮達なども方々ものし給へば、昔に返りたるやうに侍るめる」
――そのようにして六条院をすっかり荒れ果てさせ、栄華のあとかたもないほどに忘れられた後に、こちらの右大臣(夕霧)が移り住まわれて、明石中宮の皇子方の幾人もおられますので、昔の源氏のおいでになった頃のように見えます――

 さらに、

「さる世に類なき悲しさと見給へし事も、年月経れば、思ひさます折の出で来るにこそは、と見侍るに、げに限りあるわざなりけり、となむ見え侍る。かくはきこえさせながらも、かのいにしへの悲しさは、まだいはけなく侍りける程にて、いとさしもしまぬにや侍りけむ」
――源氏の薨去というような世に又とない悲しさと思われましたことも、年月が経てば悲しさも薄らいでくる時がやってくるものだと思いますにつけましても、成る程、ものには限りがあるものだったと思われます。こうは申し上げながらも、源氏の薨去の折の悲しさは、私がまだ幼少の身であった時分でしたから、それほど深く身に沁みなかったのでしょう――

「なほこの近き夢こそ、さますべき方なく思ひ給へらるるは、同じこと、世の常なき悲しびなれど、罪深き方はまさりて侍るにや、と、それさへなむ心憂く侍る」
――やはりこの最近の夢(大君の逝去のこと)こそ、覚ましようもなく存ぜられますが、それは源氏の薨去と同じように世の無常さへの悲しみですが、往生の妨げにはこちらの方が罪深いことと、それさえ辛く思われまして――

 と言って泣いておられますのも、まことに深いご愛情だったからなのでしょう。

◆忘れ草生ふ(わすれぐさおふ)=忘れ草は草の名であって、この場合、忘れるに掛けている。

写真:ワスレグサ(忘れ草)=花が一日限りで終わると考えられたため、英語ではDaylily、 独語でもTaglilieと呼ばれる。実際には翌日または翌々日に閉花するものも多い。中国 では萱草と呼ばれ、「金針」、「忘憂草」などとも呼ばれる。 ユリ科ワスレグサ属の多年草です。キスゲ、ノカンゾウ、ヤブカンゾウなどがあります。 夏に1メートル程度のすらっとした茎の先に、ユリのような花を咲かせます。 中国の 漢文には「忘憂草」として登場するため、日本では古くから「忘れ草」とよばれていました。

では6/17に。


源氏物語を読んできて(956)

2011年06月13日 | Weblog
2011. 6/13      956

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(17)

 その朝顔の色が赤味がかって移ろっていって趣き深く感じられましたので、そっとそれを御簾の下から差し入れて、

(薫の歌)「よそへてぞ見るべかりけるしら露のちぎりかおきしあさがほの花」
――朝顔におく白露のように大君が約束されたあなたを、私は大君と同様に思ってお世話すべきでした――

 殊更ではないでしょうが、露をおいたまま枯れそうな朝顔をご覧になって、中の君は、

(中の君の歌)「消えぬまにかれぬる花のはかなさにおくるる露はなほぞまされる」
――露が消えぬ間に枯れてしまったような儚い姉君でしたが、それにおくれた露のような私は、更に儚い身の上です――

 つづけて「何にすがってよい私でしょうか」とその後もお続けになれない。そのご様子が、あの大君によく似ていらっしゃると思うにつけても、まず悲しみがこみ上げてくるのでした。しみじみと、

「秋の空は今すこしながめのみまさり侍る、つれづれの紛らはしにも、と思ひて、先つ頃宇治にものし侍りき。庭もまがきもまことにいとど荒れ果てて侍りしに、堪え難きこと多くなむ」
――秋の空は、他の季節より物思いが増すものでございます。そのつれづれの慰めにもと思いまして、先頃宇治へ行って参りましたが、庭や垣根がすっかり荒れ果てておりましたので、堪え難いことの多い思いでございました――

 さらに、昔を思い出されたのでしょうか、

「故院の亡せ給ひて後、二、三年ばかりの末に、世をそむき給ひし嵯峨の院にも、六条院にも、さしのぞく人の、心をさめむ方なくなむ侍りける。木草の色につけても、涙にくれてのみなむ帰り侍りける。かの御あたりの人は上下心浅き人なくこそ侍りけれ」
――故院(光源氏)がお亡くなりになって後の、その晩年の二、三年を出家生活をされた嵯峨院にせよ、六条院にせよ、立ち寄られた人は皆、悲しみの心を抑えようもなく、木のさま、草の色を見るにつけ、涙にくれて帰ってきたのでした。源氏のお側にいた人は、上下を問わず悲しみの浅い人はおりませんでした――

◆故院の亡せ給ひて後=源氏の薨去に先立って、晩年の二、三年出家した後、亡くなったことが、この記述ではじめて知られる。源氏が出家の意思を示されたのは「幻の巻」にあるが、そのように実行されたことは見えない。薫を通して、この場面で急に源氏の晩年を説明している点で、記述を疑問視する人もいる。

では6/15に。


源氏物語を読んできて(955)

2011年06月11日 | Weblog
2011. 6/11      955

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(16)

「もとよりけはひはやりかに男々しくなどはものし給はぬ人柄なるを、いよいよしめやかにもてなしをさま給へれば、今はみづからきこえ給ふことも、やうやう、うたてつつましかりし方、すこしづつうすらぎて、面馴れ給ひにたり」
――(薫という方は)もともと世間の男とは違って、性急に無体なことをなさるご性質ではない上に、さらに心して慎み深くお振舞いになるので、御方も今ではご自身で直接お話になることにも恥ずかしがらずにお馴れになってきたのでした――

 薫が、「お加減はいかがですか」とお伺いしますと、常よりも沈んでいらっしゃるご様子に、きっと六の君の事を聞かれてのこととお察しし、しみじみおいたわしいと
お思いになります。

「こまやかに、世の中のあるべきやうなどを、はらからやうの者のあらましやうに、教へなぐさめきこえ給ふ」
――細々と、男女の仲とはこのようなものです、などと、まるで男兄弟の中の語らいのように、教え慰めておいでになります――

「声などもわざと似給へりとも覚えざりしかど、あやしきまでただそれとのみ覚ゆるに、人目見ぐるしまじくば、簾もひきあげて、さしむかひきこえまほしく、うちなやみ給へらむ容貌ゆかしく覚え給ふも、なほ世の中に物思はぬ人は、えあるまじきわざにやあらむ、とぞ思ひ知られ給ふ」
――以前には中の君のお声が、大君に似ていらっしゃるとは思ってもおりませんでしたのに、今は不思議なほど、あの方かと思えて、人目に見ぐるしくさえなければ、御簾を引き上げてお側にいき、差し向いに、お悩みにやつれていらっしゃるお顔を拝見したいものよ、とお思いになるにつけても、自分のような真面目な男でさへこうなのであれば、女のことで苦労しない人はあり得ぬことであろう、などとあらためて思いさらされるのでした――

薫は、

「人々しくきらきらしき方には侍らずとも、心に思ふことあり、歎かしく身をもてなやむさまになどはなくて過ぐしつべきこの世、と、みづから思ひ給へし、心から、悲しきことも、をこがましくくやしきものおもひをも、方々に安からず思ひ侍るこそいとあいなけれ」
――わたしは、人並みに華やかに出世するということはなくても、心労が多かったり、不遇に身を苦しめるようなことなどなく、世の中を過ごせるものと思っていましたのに、自ら求めて亡きお方をお悼みし悲しみ、今また貴女に思いを寄せる愚かしくも未練がましい物思いも、あれこれと休む間もなく気を揉むというのは、実に辛い困ったことです――

 つづけて、

「官位など言ひて、大事にすめる、ことはりのうれへにつけて歎き思ふ人よりも、これや今すこし罪の深さはまさるらむ」
――世間の人は官位などといって重大事にしていますが、そのような不満を持つ人々よりも、どうやら私の悩みは罪深いようです――

 などとおっしゃりながら、先ほど手折ってきた朝顔の花を扇の上に置いて見ていらっしゃる。

◆はやりかに=逸りか=気の早いさま、軽率なさま

では6/13に。