2012. 1/31 1062
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(33)
匂宮がお入りになって、
「『常陸殿といふ人やここに通はし給ふ。心ある朝ぼらけに、いそぎ出でつる車副ひなどこそ、ことさらめきて見えつれ』など、なほおぼしうたがひてのたまふ。聞きにくくかたはらいたし、とおぼして」
――「常陸殿とかいう人を、こちらに出入りさせておいでなのですか。意味ありげな明け方に、そそくさと出て行った車がありますよ。供人の様子なども、ことさら人目を忍ぶようでしたよ」などと、まだ疑って(薫ではないかと)おっしゃる。中の君は聞き苦しく恥かしいこととお思いになって――
「大輔などが若くての頃、友達にてありける人は、ことに今めかしうも見えざめるを、ゆゑゆゑしげにものたまひなすかな。人の聞きとがめつべきことをのみ、常にとりない給ふこそ、なき名はたてで」
――大輔(中の君の侍女)などの若いころの友達だった人ですが、あの人は別にどうということもない人ですのに、ことさら意味ありげにおっしゃいますこと。人が聞き咎めても仕方のないことばかり、いつもおっしゃいますね。浮名を立てられるような、めったなことはおっしゃらないで――
と、横をお向きになるのも、可愛く美しい。
明石中宮のご病気もよくなられたので、匂宮は左大臣家の若君たちと碁を打ったり、韻塞(いんふたぎ)など、楽しげにお遊びになります。
夕方になって、匂宮は中の君のお部屋にお渡りになりますと、丁度お髪を洗っておいでになるところで、「あいにくのお髪洗いでは、お目にもかかれまい。といって、終わるまで私は暇つぶしをするのかな」と侍女にお伝えになりますと、
「げにおはしまさぬ隙々にこそ例はすませ。あやしう日頃もの憂がらせ給ひて、今日過ぎばこの月は日もなし、九・十月はいかでかは、とて、つかまつらせつるを」
――仰せのとおり、お出でのないときにいつもは御髪をお洗いになるのですが、この頃は妙に億劫になられて、今日を過ごしますと今月はもう吉い日がなく、九月、十月は差し障りが多うございますので、それでお髪洗いをおさせ申したのでございます――
と、大輔が申し訳なさそうに申し上げます。
若宮も御寝みになっているようで、女房のだれかれも、そちらの方へ行っているようです。仕方なく匂宮はあちこちお歩きになっていますと、西の対に見馴れない女童が見えたので、新参の侍女でも来たのかと思われて、そっと覗いて御覧になります。
◆ゆゑゆゑしげ=故故しげ=由緒ありげに、ことさら意味ありげに。
◆髪洗い=吉日を選んで洗髪をした。
◆当時の風呂とは=湯殿で召使に湯をかけさせた。いまでいうシャワーのやり方。まず桶に熱湯を入れたのをいくつも置き、湯気を立てさせて、湯気風呂のようにして身体を温め、それから湯をかけた(春夏秋冬)。現在のように身体ごと湯の中に入るのはずっと後のこと。
湯に浸るのは温泉療法といって、病気の人であって、今のように元気な人が温泉に行くことはなかった。
では2/1に。
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(33)
匂宮がお入りになって、
「『常陸殿といふ人やここに通はし給ふ。心ある朝ぼらけに、いそぎ出でつる車副ひなどこそ、ことさらめきて見えつれ』など、なほおぼしうたがひてのたまふ。聞きにくくかたはらいたし、とおぼして」
――「常陸殿とかいう人を、こちらに出入りさせておいでなのですか。意味ありげな明け方に、そそくさと出て行った車がありますよ。供人の様子なども、ことさら人目を忍ぶようでしたよ」などと、まだ疑って(薫ではないかと)おっしゃる。中の君は聞き苦しく恥かしいこととお思いになって――
「大輔などが若くての頃、友達にてありける人は、ことに今めかしうも見えざめるを、ゆゑゆゑしげにものたまひなすかな。人の聞きとがめつべきことをのみ、常にとりない給ふこそ、なき名はたてで」
――大輔(中の君の侍女)などの若いころの友達だった人ですが、あの人は別にどうということもない人ですのに、ことさら意味ありげにおっしゃいますこと。人が聞き咎めても仕方のないことばかり、いつもおっしゃいますね。浮名を立てられるような、めったなことはおっしゃらないで――
と、横をお向きになるのも、可愛く美しい。
明石中宮のご病気もよくなられたので、匂宮は左大臣家の若君たちと碁を打ったり、韻塞(いんふたぎ)など、楽しげにお遊びになります。
夕方になって、匂宮は中の君のお部屋にお渡りになりますと、丁度お髪を洗っておいでになるところで、「あいにくのお髪洗いでは、お目にもかかれまい。といって、終わるまで私は暇つぶしをするのかな」と侍女にお伝えになりますと、
「げにおはしまさぬ隙々にこそ例はすませ。あやしう日頃もの憂がらせ給ひて、今日過ぎばこの月は日もなし、九・十月はいかでかは、とて、つかまつらせつるを」
――仰せのとおり、お出でのないときにいつもは御髪をお洗いになるのですが、この頃は妙に億劫になられて、今日を過ごしますと今月はもう吉い日がなく、九月、十月は差し障りが多うございますので、それでお髪洗いをおさせ申したのでございます――
と、大輔が申し訳なさそうに申し上げます。
若宮も御寝みになっているようで、女房のだれかれも、そちらの方へ行っているようです。仕方なく匂宮はあちこちお歩きになっていますと、西の対に見馴れない女童が見えたので、新参の侍女でも来たのかと思われて、そっと覗いて御覧になります。
◆ゆゑゆゑしげ=故故しげ=由緒ありげに、ことさら意味ありげに。
◆髪洗い=吉日を選んで洗髪をした。
◆当時の風呂とは=湯殿で召使に湯をかけさせた。いまでいうシャワーのやり方。まず桶に熱湯を入れたのをいくつも置き、湯気を立てさせて、湯気風呂のようにして身体を温め、それから湯をかけた(春夏秋冬)。現在のように身体ごと湯の中に入るのはずっと後のこと。
湯に浸るのは温泉療法といって、病気の人であって、今のように元気な人が温泉に行くことはなかった。
では2/1に。