永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1062)

2012年01月31日 | Weblog
2012. 1/31     1062

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(33)

 匂宮がお入りになって、

「『常陸殿といふ人やここに通はし給ふ。心ある朝ぼらけに、いそぎ出でつる車副ひなどこそ、ことさらめきて見えつれ』など、なほおぼしうたがひてのたまふ。聞きにくくかたはらいたし、とおぼして」
――「常陸殿とかいう人を、こちらに出入りさせておいでなのですか。意味ありげな明け方に、そそくさと出て行った車がありますよ。供人の様子なども、ことさら人目を忍ぶようでしたよ」などと、まだ疑って(薫ではないかと)おっしゃる。中の君は聞き苦しく恥かしいこととお思いになって――

「大輔などが若くての頃、友達にてありける人は、ことに今めかしうも見えざめるを、ゆゑゆゑしげにものたまひなすかな。人の聞きとがめつべきことをのみ、常にとりない給ふこそ、なき名はたてで」
――大輔(中の君の侍女)などの若いころの友達だった人ですが、あの人は別にどうということもない人ですのに、ことさら意味ありげにおっしゃいますこと。人が聞き咎めても仕方のないことばかり、いつもおっしゃいますね。浮名を立てられるような、めったなことはおっしゃらないで――

 と、横をお向きになるのも、可愛く美しい。
 明石中宮のご病気もよくなられたので、匂宮は左大臣家の若君たちと碁を打ったり、韻塞(いんふたぎ)など、楽しげにお遊びになります。
夕方になって、匂宮は中の君のお部屋にお渡りになりますと、丁度お髪を洗っておいでになるところで、「あいにくのお髪洗いでは、お目にもかかれまい。といって、終わるまで私は暇つぶしをするのかな」と侍女にお伝えになりますと、

「げにおはしまさぬ隙々にこそ例はすませ。あやしう日頃もの憂がらせ給ひて、今日過ぎばこの月は日もなし、九・十月はいかでかは、とて、つかまつらせつるを」
――仰せのとおり、お出でのないときにいつもは御髪をお洗いになるのですが、この頃は妙に億劫になられて、今日を過ごしますと今月はもう吉い日がなく、九月、十月は差し障りが多うございますので、それでお髪洗いをおさせ申したのでございます――

 と、大輔が申し訳なさそうに申し上げます。
若宮も御寝みになっているようで、女房のだれかれも、そちらの方へ行っているようです。仕方なく匂宮はあちこちお歩きになっていますと、西の対に見馴れない女童が見えたので、新参の侍女でも来たのかと思われて、そっと覗いて御覧になります。

◆ゆゑゆゑしげ=故故しげ=由緒ありげに、ことさら意味ありげに。

◆髪洗い=吉日を選んで洗髪をした。

◆当時の風呂とは=湯殿で召使に湯をかけさせた。いまでいうシャワーのやり方。まず桶に熱湯を入れたのをいくつも置き、湯気を立てさせて、湯気風呂のようにして身体を温め、それから湯をかけた(春夏秋冬)。現在のように身体ごと湯の中に入るのはずっと後のこと。
湯に浸るのは温泉療法といって、病気の人であって、今のように元気な人が温泉に行くことはなかった。

では2/1に。

源氏物語を読んできて(1061)

2012年01月29日 | Weblog
2012. 1/29     1061

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(32)
 
さて、

「明けぬれば、車など率て来て、守の消息など、いと腹立たしげに、おびやかしたれば」
――夜が明けると、常陸の守が迎えの車などを寄こして、たいへん腹立たしげな文面で脅してきましたので――

 北の方は、中の君へ

「『かたじけなくよろづに頼み聞こえさせてなむ。なほしばし隠させ給ひて、巌の中にともいかにとも、思ひめぐらし侍る程、数に侍らずとも、おもほし放たず、何事をも教へさせ給へ』などきこえ置きて、この御方も、いと心細く、ならはぬ心地に、立ち離れむを思へど、今めかしくをかしく見ゆるあたりに、しばしも見馴れたてまつらむ、と思へば、さすがにうれしくもおぼえけり」
――「恐縮でございますが、万事お頼み申しあげます。浮舟をもうしばらくお匿いくださいまし。出家させようかどうしようかと思案しております間、取るに足らぬ者ではございますが、お見棄てなく何かとお導きくださいまし」と(泣く泣く申し上げて退出します。)
この姫君(浮舟)も、母親と離れ離れになるのはたいそう心細く案じられますものの、当世風で華やかな御殿で暫くの間でも住まわせていただけることを思いますと、さすがに嬉しくもあるのでした――

「車引き出づる程のすこし明うなりぬるに、宮、内裏よりまかで給ふ。若宮おぼつかなくおぼえ給ひければ、忍びたるさまにて、車なども例ならでおはしますに、さしあひて、おしとどめて立てたれば、廊に御車寄せて降り給ふ」
――車を引き出す頃のあたりが少し明るくなりました程に、匂宮が御所から退出して来られました。若宮がどうしておいでかと、そっと見たいとお思いになりましたので、お忍びのご様子で、車もいつもより目立たない風でお帰りになったのでした。北の方の車が、匂宮の御車とすれ違いそうになりましたので、車を止めて立てていますと、匂宮の御車は廊に寄せてお降りになります――

「『何ぞの車ぞ。暗き程にいそぎ出づるは』と目とどめさせ給ふ。かやうにてぞ、忍びたるところには出づるぞかし、と、御心ならひにおぼし寄るもむくつけし」
――(匂宮が)「誰の車だ。まだ暗いうちに急いで出ていくのは」と見咎めておっしゃる。こんな風に密かに通う女のところからは、こっそりと帰るものだと、ご自身の経験から気を回されるのも困ったお心癖です――

 北の方の供の者が、

「『常陸殿のまかでさせ給ふ』と申す。若やかなる御前ども、『殿こそあざやかなれ』と、笑ひあへるを聞くも、げにこよなの身の程や、と悲しく思ふ。ただこの御方のことを思ふゆゑにぞ、おのれも人々しくならまほしくおぼえける。まして正身を、なほなほしくやつして見むことは、いみじくあたらしう思ひなりぬ」
――「常陸殿の北の方が退出されるのです」と申し上げます。すると匂宮の若やいだ先駆の者どもが、「殿、とはまあ、大袈裟に言ったものだ」と笑いあっているのを、車の中で聞くにつけても、北の方は、なるほど自分はこの上もなく劣った身の上だ、と悲しくなるのでした。それにつけても、ただこの浮舟を大事に思うからこそ、自分も人並みの身分になりたいと思うのであるし、まして当の浮舟を、当たり前の身分に引き下げて見ようなどとは、とんでもなく惜しいことに思うようになったのでした――

では1/31に。



源氏物語を読んできて(1060)

2012年01月27日 | Weblog
2012. 1/27     1060

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(31)

中の君は、薫が内々に浮舟を所望されたことを、それとなく北の方に仄めかされます。

「思ひそめつること、執念きまで軽々しからずものし給ふめるを、げにただ今のありさまなどを思へば、わづらはしき心地すべけれど、かの世を背きても、など思ひ寄り給ふらむも、同じことに思ひなして、こころみ給へかし」
――薫という御方は、一旦思い初めたことは、執念深いほどで、軽率ではいらっしゃらないようです。ただ実のところ、帝の婿君という今のご身分を思いますと、なるほど面倒なお気持もなさいますでしょうが、尼にでもさせようかとまで考えておいでならば、いっそ同じことと思って試しに差し上げてごらんなさいな――

 とおっしゃいますと、北の方は、

「つらき目見せず、人にあなづられじ、の心にてこそ、鳥の音きこえざらむ住ひまで、思ひ給へおきつれ。げに人の御ありさまけはひを、見たてまつり思ひ給ふるは、下仕への程などにても、かかる人の御あたりに、馴れきこえむはかひありぬべし」
――浮舟には苦労をかけず、世の人に侮られぬようにとの親心からこそ、鳥の音も聞こえないような山深い住いまでもと考えてみたのです。まことに薫の君のご様子や感じを拝して思いますのには、たとえ下仕えの身分にせよ、あのようなお方のお側近くに親しくお仕え申し上げましたならば、どんなにか甲斐あることでございましょう――

 つづけて、

「まいて若き人は、心つけたてまつりぬべく侍るめれど、数ならぬ身に、物思ひの種をやいとど蒔かせて見侍らむ。高きも短きも、女といふものはかかる筋にてこそ、この世、後の世まで、苦しき身になり侍るなれ、と、思ひ給へ侍ればなむ、いとほしく思ひ給へ侍る。それもただ御心になむ。ともかくも、おぼし棄てずものせさせ給へ」
――まして若い娘はどれほど心ひかれますことか。数ならぬ娘の身に物思いの種をいっそう増すことになりましょうが、身分は高くても低くても、女というものは、こうした類の男女関係のことで、この世はもとより、あの世までも苦しみ抜くものかと思いますと、浮舟を可哀そうに思います。しかしそれもあなたさまのお心次第でございます。ともかくお見棄てなくお世話くださいまし――

 とひたすらお頼り申し上げますので、中の君はすこし面倒にもお思いになって、

「『いさや、来し方の心深さにうちとけて、行く先のありさまは知りがたきを』と、うち歎きで、ことに物ものたまはずなりぬ」
――「さあどうでしょう、今までの薫のご親切に心を許して、このご縁組をおすすめするのですが、将来のことは分かりませんもの」と溜息をついて、それきり何もおっしゃらなくなりました――

では1/29に。


源氏物語を読んできて(1059)

2012年01月25日 | Weblog
2012. 1/25     1059
五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(30)

 垣間見ていた北の方は、

「『いとめでたく、思ふやうなる様かな』とめでて、乳母ゆくりかに思ひよりて、たびたび言ひしことを、あるまじきことに言ひしかど、この御ありさまを見るには、天の川を渡りても、かかる彦星のひかりをこれ待ちつけさせめ、わがむすめは、なのめならむ人に見せむは惜しげなる様を、夷めきたる人をのみ見ならひて、少将をかしきものに思ひけるを、くやしきまで思ひなりにけり。」
――「本当に申し分のない、素晴らしいお方ですこと」とすっかり感心して、かつて乳母が思いつきのように薫を婿にするようにと度々言っていたことに、自分はとんでもないように言ったことなどを思い出して、この君のご様子をお見上げしたについては、七夕のように年に一度でもよいから、こういうご立派な婿を通わせたいものだ。自分のむすめとはいえ、浮舟は平凡な男にやるのは勿体ない容姿なのに、田舎者めいた人ばかり見馴れてきていて、あんな少将を立派な人と思っていたのが、今では口惜しいようにさえ思うのでした――

「寄り居給へりつる真木柱も茵も名残りにほへる移り香、いへばいとことさらめきたるまでありがたし。時々見たてまつる人だに、たびごとにめできこゆ」
――(薫が)寄りかかっておいでになった真木柱(まきばしら)や、お茵(しとね)に残って匂う移り香は、口にしてはわざとらしく思われるまでに芳しく、折り折にお目にかかる女房たちでさえ、その都度薫大将をお賛め申し上げるのでした――

 女房の中には

「経などを読みて功徳のすぐれたることあめるにも、香のかうばしきをやむごとなきことに、仏ののたまひ置きけるもことわりなりや。薬王品などに、取りわきてのたまへる、牛頭栴檀とかや、おどろおどろしき物の名なれど、先づかの殿の近くふるまひ給へば、仏はまことし給ひけり、とこそおぶゆれ。幼くおはしけるより、行ひもいみじくし給ひければよ」
――お経などを読んでみますと、功徳のすぐれたことが書いてあります中で、香りの芳しいのを尊いものとして、仏がお説きになっていらっしゃるのも尤もなことです。薬王品(やくようぼん)などに特に取り上げて説いておありになるのは、牛頭栴檀(ごずせんだん)とかいうそうで、名前は恐ろしいようですが、まずあの薫大将殿が身近で身じろぎなさいますと、その香りで仏様は本当の事をおっしゃったのだと思いますよ。幼い頃から勤行も熱心になさったからですよ――

 と、言う者もおり、また、

「『前の世こそゆかしき御ありさまなれ』など、口ぐちめづることどもを、すずろに笑みて聞き居たり」
――「前世にどんな善業をお積みになったのか知りたい程のご立派さですこと」などと、口々に褒めていますのを、この北の方は、おのずと顔をほころばせて聞いているのでした――

◆薬王品(やくようぼん)=法華経第二十三章

◆牛頭栴檀(ごずせんだん)=牛頭山に生える栴檀

では1/27に。



源氏物語を読んできて(1058)

2012年01月23日 | Weblog
2012. 1/23     1058

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(29)

(薫の歌)「見し人のかたしろならば見にそへて恋しき瀬々のなでものにせむ」
――浮舟がかつて見た大君の身代わりならば、いつも側に置いて、恋しい時の撫で物にしよう――

 と、いつもの戯れ言のようにして、中の君へ寄せる本心を紛らわしておしましになります。
中の君が、

「みそぎ河瀬々にいださむなでものを身に添ふかげとたれかたのまむ。引く手あまたに、とかや。いとほしくぞ侍るや」
――禊ぎ河の瀬々に流し出す「なでもの」ですもの、浮舟を一生お側に置いてくださるなどと、誰が信用いたしますものか。あなたは引く手あまたでいらっしゃるとか。余計なことですが、それでは浮舟が可哀そうでございます――

 と、おっしゃいますと、薫はすかさず、

「『つひに寄る瀬は、さらなりや。いとうれたきやうなる水の泡にもあらそひ侍るかな。掻き流さるる「なでもの」は、いでまことぞかし。いかでなぐさむべきことぞ』など言ひつつ、暗うなるもうるさければ、かりそめにものしたる人も、あやしく、と思ふらむもつつましきを、『今宵はなほとく帰り給ひね』と、こしらへやり給ふ」
――「つひに寄る瀬は、の歌のとおり、私が結局落ち着くところは、もちろんあなたですよ。それなのに、お慕いしても突き放されるこの身のはかなさは、水の泡といずれ劣らぬ、まったくいまいましいような私の恋心ですからやりきれない。私こそ川に捨てられた撫で物ですよ。この胸のうちは、どうして人形(ひとがた)などでなぐさめられましょう」などと、かき口説いているうちに日は早くも傾いてきて、中の君は、女房たちの手前も厄介であり、またこちらに旅宿りしている人たちも妙に思うことであろうと、「今夜はやはり早くお帰りなさいませ」と、薫を程良くなだめ、つくろっておっしゃいます―― 

 薫は、

「さらばその客人に、かかる心の願ひ年経ぬるを、うちつけに、など、浅う思ひなすまじう、のたまはせ知らせ給ひて、はしたなげなるまじうばこそ。いとうひうひしうならひにて侍る身は、何ごともをこがましきまでなむ」
――では、そのお客人に、長年こういう願いを心に秘めていたことで、だしぬけになどと、浅い風に解しないように、ご説明ください。私が物笑いにならぬようでしたら、よろしくお取り成しいただきたいと存じます。ほんとうにこのような恋の道にはもの馴れない身ですから、何かにつけて、愚かしいほど気後れがいたしまして――

 などと言い残してお帰りになったのでした。

◆なでもの(撫で物)=禊ぎのとき、身を撫でて、罪穢を移す人形(ひとがた)のこと

◆つひに寄る瀬は…=伊勢物語「大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありといふものを」

◆はしたなげなるまじうばこそ=はしたなげなる・まじう・ば・こそ=わたしが極まり悪いことにならないようでしたら(お願いします)

では1/25に。


源氏物語を読んできて(1057)

2012年01月21日 | Weblog
2012. 1/21     1057

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(28)

 中の君は、お心の中で、

「さしもいかでか、世を経て心に離れずのみはあらむ、なほ浅からず言ひそめてし事の筋なれば、名残りなからじ、とにや、など見なし給へど、人の御けしきはしるきものなれば、見もて行くままに、あはれなる御心ざまを、岩木ならねば、思ほし知る」
――それほどいつまでも姉君を忘れられずにいらっしゃるのかしら。やはりその昔、並々ならず思い寄られた手前、今になってすっかり忘れた風に思われはしまいか、との意味合いもおありか、とも思いますものの、薫の悲嘆さは傍目にもはっきりとしていますし、と、この薫を御覧になっているうちに、真っ直ぐなお心が、岩木ではない自分の身にも、しみじみと通ってくるのでした――

「うらみきこえ給ふことも多かれば、いとわりなくうち歎きて、かかる御こころをやむる御禊ぎをせさせたてまつらまほしく思すにやあらむ、かの人形のたまひ出でて、『いと忍びてこのわたりになむ』と、ほのめかしきこえ給ふを、かれもなべての心地はせず、ゆかしくなりにたれど、うちつけにふと移らむ心地はたせず」
――しかしまた、薫が中の君への募る想いを、それとなく仄めかして、恨み言をおっしゃるので、ほとほと当惑なさって、このような不条理な恋心を鎮める禊ぎのおつもりでありましょうか、あの人形(ひとがた=浮舟)のことをお話になります。「ただ今、忍んでこちらに泊まっておりますが」と、ちらっとお知らせになりますと、薫は浮舟に対してお心がさわぎ立ってこられましたが、急に軽々しく、中の君から浮舟に気持ちを移す気にもなれないのでした――

「『いでや、その本尊、願ひ満て給ふべくはこそ尊からめ、時々心やましくば、なかなか山水も濁りぬべく』とのたまへば、はてはては、『うたての御聖心や』と、ほのかに笑ひ給ふも、をかしう聞こゆ」
――(薫は)「さあ、そのご本尊が、ほんとうに私の願いを満たしてくださるようでしたら、有難いでしょうが、なまじご利益もなく、時折りあなたに対して心を悩ますようでは、折角の御本尊も、かえって煩悩の種になるばかりでしょう」とおっしゃるので、中の君は、「さても困ったご道心ですこと」と、ほのかにお笑いになるのを、几帳越しの北の方は面白く聞くのでした――

「いでさらば伝へはてさせ給へかし。この御のがれ言葉こそ、思ひ出づればゆゆしく」
――それでは、ともかくも、私の気持ちをそのままその人形にお伝えください。しかしあなたへの私の気持ちを、浮舟に譲ろうとの、逃げ口上は、大君があなたに譲られた事を思い出させますので、不吉な気がします――

 と、おっしゃりながらも、涙ぐんでいらっしゃる。

では1/23に。


源氏物語を読んできて(1056)

2012年01月19日 | Weblog
2012. 1/19     1056

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(27)
 
 北の方は、

「すずろに見え苦しうはづかしくて、額髪なども引きつくろはれて、心はづかしげに用意多く、際もなき様ぞし給へる」
――物越しではありますが、何となく面映ゆく、極まり悪い気がして、額の髪をそっと直さずにはいられないのでした。大将の君をこの上なく奥ゆかしく、たしなみ深く、素晴らしい御方だとお見上げするのでした――

 内裏よりそのままこちらへお出でのご様子で、お供の者たちも大勢います。

中の君に薫の大将は

「昨夜、后の宮のなやみ給ふ由うけたまはりて、参りたりしかば、宮達のさぶらひ給はざりしかば、いとほしく見たてまつりて、宮の御かはりに今までさぶらひ侍りつる。今朝もいと、懈怠して参らせ給へるを、あいなう御あやまちにおしはかりきこえさせてなむ」
――昨夜、明石中宮のお加減がお悪いとのことで、参上いたしましたところ、(明石中宮腹の)親王たちがお出でになりませんでしたので、お労しく存じ上げ、匂宮のお代理を勤めて、今までお着き添い申し上げておりました。今朝も大そう遅参なされましたのは、貴女が無理に引きとめておいでになったせいかと、お察しいたしましたよ――

 と申し上げますと、中の君は、

「『げにおろかならず、思ひやり深き御用意になむ』とばかりいらへきこえ給ふ」
――「宮のお代わりをしてくださったとは、並み並みならぬお心遣いで…」とだけお答えになります――

「宮は内裏にとまり給ひぬるを見おきて、ただならずおはしたるなめり。例の、物語いとなつかしげにきこえ給ふ。事に触れて、ただいにしへの忘れがたく、世の中のもの憂くなりまさる由を、あらはには言ひなさで、かすめうれへ給ふ」
――匂宮が内裏に宿直(とのい)なさるのを見届けておいて、薫は何か思うところがあってお出でになったのでしょう。いつものようになつかしそうに昔のお話をなさいます。事に触れては、亡き大君を忘れかねて、女二の宮との御仲がいよいよ心染まずなりゆく由を、帝の御手前もあるのでしょうか、それとなく仄めかしてお訴えになるのでした――

◆懈怠(けだい)=ずるけて。なまけて。

では1/21に。

源氏物語を読んできて(1055)

2012年01月17日 | Weblog
2012. 1/17     1055

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(26)

「容貌も心ざまも、えにくむまじうらうたげなり。物恥もおどろおどろしからず、さまよう児めいたるものから、かどなからず、近くさぶらふ人々にも、いとよく隠れて居たまへり。物など言ひたるも、昔の人の御様に、あやしきまでおぼえたてまつりてぞあるや」
――(浮舟は)ご器量も気立ても憎げなところなどなく、まことに愛らしい。恥じらう様子も大袈裟ではなく、ほどほどにおっとりして才気もほの見えて、近くにお仕えする女房達からも、さりげなく身を隠しておいでになります。ものを言う声なども、亡き姉上に不思議なほど似ていらっしゃること…――

「かの人形もとめ給ふ人に見せたてまつらばや、とうち思ひ出で給ふ、折しも、大将殿参り給ふ、と人きこゆれば、例の、御几帳引きつくろひて、心づかひす」
――大君の身代わりをお探しになっておられるあの方(薫)にお見せ申したいものです、と思っている折りも折り、薫大将殿が参上なさいました、と人が言上しますので、いつものように女房たちは御几帳を直したりして、御対面の用意をします――

 この浮舟の母君は、

「いで見たてまつらむ。ほのかに見たてまつりける人の、いみじきものにきこゆめれど、宮の御ありさまには、えならび給はじ」
――それでは私もそっと拝見させていただきましょう。ほのかに拝した人は皆、素晴らしいお方だと申しているようですが、匂宮のご立派さには、とてもお立ち並びになれますまい――

 と言いますと、御前に侍る人々が、

「いさや、えこそきこえさだめね」
――さあ、いかがでしょう。それはどちらともお決め申せません――

 とお互いに話合っています。「ただ今、御車からお降りの由です」という声が聞こえますが、うるさいばかりのお先払いばかりで、急にはお姿はお見えにならない。やがて歩み寄られた御様子を拝見しますと、なるほど、匂宮に較べれば、

「げに、あなめでた、をかしげとも見えずながらぞ、なまめかしうあてにきよげなるや」
――まったくご立派で、宮に比べてはそれほどとも思えないながら、いかにも雅やかで、しかも気品があって清楚です――

では1/19に。

源氏物語を読んできて(1054)

2012年01月15日 | Weblog
2012. 1/15     1054

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(25)

「ねびにたる様なれど、よしなからぬ様してきよげなり。いたく肥え過ぎにたるなむ、常陸殿とは見えける」
――(この北の方は)少し年とった様子ではありますが、風情がないというほどではなく、小綺麗な人で、ただひどく太り過ぎているところが、品が良いとは言えず、いかにも常陸殿(ひたちどの)と呼ばれるのにふさわしく見えます――
 
 その北の方が、

「故宮のつらうなさけなく思し放ちたりしに、いとど人げなく、人にもあなづられ給ふ、と見給ふれど、かうきこえさせ御らんぜらるるにつけてなむ、いにしへの憂さもなぐさみ侍る」
――亡くなられた宮様(八の宮)が、つれなく娘をお見棄てになられましたので、いよいよ人も相手にせず、世間からも蔑まされるのだと、恨めしく存じておりましたが、こうしてあなた様にお話し申し上げ、お目にかからせていただいたりいたしますと、昔の憂さもなぐさめられます――

 と、この長い年月の物語や、陸奥の守であったころの、あの浮島のあはれ深かった景色などもお話するのでした。

 そして、さらに、
「わが身ひとつの、とのみ言ひ合する人もなき、筑波山のありさまも、かくあきらめきこえさせて、いつもいつも、いとかくて侍らはまほしく思ひ給へなり侍りぬれど、かしこにはよからぬあやしのものども、いかに立ち騒ぎもとめ侍らむ。さすがに心あはただしく思ひ給へらるる。かかる程のありさまに身をやつすは、口をしきものになむ侍りける、と、身にも思ひ知らるるを、この君はただまかせきこえさせて、知り侍らじ」
――わが身ひとつの、とも物思いを打ち明ける人とてもなく、筑波山在住の事もこのようにはっきり申し上げまして、これからいつも、こうしてお側にお仕えしたい気持ちになりましたが、私の家ではろくでもない子供たちが、どんなに大騒ぎして私を探しておりましょう。やはりそのことが心配になりまして落ち着きません。こんな受領程度の妻に身を落とすのは残念なことであったと、わが身につけましても思い知らされました。どうかこの浮舟のことは、いっさいお任せして、私はもう係わり合わぬ事にいたしたいと思いますが――

 などと、身の不運をかこってお願い申しますので、中の君は、北の君の心中をお察しになって、ほんとうにそのとおり、浮舟を見苦しくないように過ごさせてやりたいとお思いになります。

◆わが身ひとつの=古今集「世の中はむかしよりやはうかりけむわが身ひとつのためになれるか」。拾遺集「大方の我が身ひとつのうきからになべての世をも恨みつるかな」

では1/17に。


源氏物語を読んできて(1053)

2012年01月13日 | Weblog
2012. 1/13     1053

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(24)

 北の方は、

「かの過ぎにし御かはりに尋ねて見む、と、この数ならぬ人をさへなむ、かの弁の尼君にはのたまひける。さもや、と思う給へ寄るべきことには侍らねど、一本ゆゑにこそは、と、かたじけなけれど、あはれになむ思う給へらるる御心深さなる」
――亡くなられた、あの大君の身代わりに、せめて似た方でもいたならば、尋ね出して世話しようと、取るにも足らぬ浮舟のことまでも、あの弁の君に仰せられたそうです。と言って、お言葉に甘えてその気になってよいとは存じませんが、畏れ多いことながら、それもあなた様方につながる御縁からでしょうと、思いやりの深いお志の程、かたじけなく存じます――

 と申し上げます。この機会に、浮舟について思い煩っていることを泣く泣くお話しするのでした。

「こまかにはあらねど、人も聞きけり、と思ふに、少将の思ひあなづりける様などほのめかして、『命侍らむかぎりは、何か、朝夕のなぐさめぐさにて見すぐしつべし。うち棄て侍りなむのちは、思はずなる様に、散りぼひ侍らむが悲しさに、尼になして、深き山にやすゑて、さる方に世の中を思ひ絶えて侍らまし、などなむ、思う給へわびては、思ひ寄りはべる』などいふ」
――それほど委しくではありませんが、少将が浮舟に違約したことは世間も知っていると思いますので、「私が生きております間は、何の、朝夕のお話相手として面倒をみる位の事はできましょう。でも私の死後は、思いもよらぬ姿で落ちぶれ、さまようことになるかと、それが悲しいのです。いっそ尼にしたうえで、深い山にでも居つかせて、世捨て人として、結婚のことなど諦めておりましょう、などと思案にくれて、考えたりしているのです」などと申し上げます――

 中の君は、

「『げに心ぐるしき御ありさまにこそはあなあれど、何か、人にあなづらるる御ありさまは、かやうになりぬる人のさがにこそ。さりとてもえたへぬわざなりければ、むげにその方に思ひ掟て給へりし身だに、かく心よりほかにながらふれば、まいていとあるまじき御ことなり。やつい給はむも、いとほしげなる御さまにこそ』など、いとおとなびてのたまへば、母君、いとうれし、と思ひたり」
――「ほんとうにお気の毒なご様子ですけれど、何といっても、人に侮られるのは、私共のように親に先立たれ身寄りのない者の常なのです。そうかといってふっつりと世を捨て去るのもなかなか難しいことです。父宮がひたすら隠遁生活へとお仕向けになった私でさえ、こうして思いがけず浮世に漂っているのですから。まして浮舟が出家なさるなどとはとんでもないことです。姿をやつして尼になられるには勿体ないご器量ですもの」などと、たいそう分別あるご様子でおっしゃいますので、北の方はたいそううれしく思うのでした――

◆一本ゆゑに=古今集「紫の一本(ひともと)故に武蔵野の草はみながらあはれとぞみる」

では1/15に。