永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(462)

2009年07月31日 | Weblog
09.7/31   462回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(16)

 夕霧が召されるらしいとお知りになって、御簾の中の御方々は恥ずかしく、緊張なさっています。明石の御方以外は皆、源氏がお教えになった、いわば弟子たちでいらっしゃるので、源氏もまた、夕霧に聞かれても恥ずかしくないように、それぞれに気をお使いになっていらっしゃる。

 夕霧は、

「いといたく心げさうして、……あざやかなる御直衣、香にしみたる御衣ども、袖いたくたきしめて、引き繕ひて参り給ふ程、暮れ果てにけり」
――ひとかたならぬお心づかいをなさって、……色鮮やかな直衣に香の染みたお召物を重ねて、袖には殊更に香を薫きしめて、容儀を調えて参上なさる頃、すっかり日が暮れてしまいました――

 趣の深い空に、そよそよと吹きわたる風も花の香に匂っています。そこに御簾の内の薫物の香も交り合って、御殿のあたりは匂い満ちております。

 源氏が、御簾の下から、筝の琴の尾の方を夕霧に差し出されながら、

「軽々しきやうなれど、これが緒整へて調べこころみ給へ。(……)」
――急なお願いですが、この緒を締めて調律してください。(ここには他に知らない人が入って来そうもありませんから)――

 夕霧が謹んでお受けになる。そのご様子など、親子の間柄ながら、うやうやしく鄭重にお受けになります。

「一越調の声に、撥の緒立てて、」
――(撥(ばち)の緒は、筝の調子の基準音となる絃で、それを一越調の音とした)、一越調(いちごちょう)に撥の音を立てて――

 夕霧が控えておりますと、源氏から一曲所望されましたので、遠慮がちに風情ある程度に一通りお弾きになって、御簾の内にお返しになりました。

「この御孫の君達の、いとうつくしき宿直姿どもにて、吹き合わせたる物の音ども、まだ若けれど、生い先ありていみじくをかしげなり」
――この孫の君達が、みな直衣姿で笛を合奏している音は、まだ子供っぽいけれど、将来の上達が窺われて、冴えて聞こえるのでした――


ではまた。


源氏物語を読んできて(461)

2009年07月30日 | Weblog
09.7/30   461回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(15)

 正月も二十日ほどになりますと、空もうららかに、風も暖かく吹いて、六条院のお庭の梅も花盛りになっていきます。源氏は「二月になれば、御賀の準備も忙しく、合奏なども試楽のように聞こえるでしょうから、今のうちに女達の合奏を催そう」とおっしゃって、女三宮の寝殿に紫の上はじめ、女方をお連れになります。

 紫の上方から童女四人、明石の女御方からも四人の童女、明石の御方からも四人の童女を、いづれも容貌の優れたものを選び出し、汗袗など美しく装わせてお連れになります。我も我もと女房たちも合奏を聴きたくて、参上したがりますが、源氏は多少の心得のある者だけを選んで従わせます。

 女三宮の御殿の廂の間の隔てを外して、御几帳ばかりになさり、

「今日の拍子合はせには、童べを召さむとて、(……)」

――今日の絃楽器に管楽器(笛など)を合奏するのに、童子を召すことにして、(髭黒の三男で玉鬘腹の第一子に笙の笛を、夕霧の雲井の雁腹の長男太郎に横笛をと、簀子に席を作ります)――

室内(廂の間)には、お褥(しとね)を敷き、源氏ご秘蔵の琴など、見事な紺地に入っているのを取出されて、お並べになります。

「明石の御方に琵琶、紫の上に和琴、女御の君に筝の御琴、宮には、かくことごとしき琴はまだえ弾き給はずや、とあやふくて、例の手ならし給へるをぞ、調べてたてまつり給ふ」
――明石の御方には琵琶を、紫の上には和琴を、明石の女御には筝の琴をお渡しになります。女三宮には、このようなものものしい楽器はまだ弾きこなすことがお出来にならないのではと、心もとなくて、源氏はいつも弾き鳴らしていらっしゃるお琴を、ご自分で調律して差し上げます――

「筝の御琴は、ゆるぶとなけれど、なほかく物に合はする折の調べにつけて、琴柱のたちど乱るるものなり。よくその心しらひ整ふべきを、女はえ張りしづめじ。なほ大将をこそ召し寄せつべかめれ。この笛吹きども、まだいと幼げにて、拍子整へむ頼み強からず」
――筝の琴は絃が緩みやすいという訳ではないが、それでも他の楽器と合わせる時の調子によっては、琴柱(ことじ)の立て所が乱れるものです。良くその点に注意して琴柱を立てるべきだが、女ではよく張れないだろう。やはり夕霧を召し寄せよう。この笛吹きどももまだ幼くて、拍子を整えるには頼りにならなさそうだし――

 と、夕霧の大将をお召しのお使いを出されます。

◆琴柱のたちど=琴柱(ことじ)の立ち所

写真:紫の上がお連れした女童(めわらわ)

ではまた。

源氏物語を読んできて(460)

2009年07月29日 | Weblog
09.7/29   460回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(14)

 源氏は四十七歳になりました。
朱雀院の五十の御賀は、まず、宮中から盛大にお始めになるということで、日程がぶつからない様にすこし日を置いて、六条院では二月十日頃にと決めました。
楽人、舞人が六条院に参上して、奏楽の催しが絶え間なくおこなわれております。

 源氏は女三宮におっしゃいます。

「この対に常にゆかしくする御琴の音、いかでこの人々の筝・琵琶の音も併せて、女楽こころみさせむ。ただ今の上手どもこそ、さらにこのわたりの人々の御心しらひどもにまさらね」
――紫の上がいつもお聴きになりたいとおっしゃている、あなたの琴の音に、何とかして女房たちの筝や琵琶を合わせて、女楽をさせてみたいものですね――

「……そのかみより、またこの頃の若き人々の、ざれよしめき過ぐすに、はた浅くなりにたるべし。琴はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか。この御琴の音ばかりだに、伝へたる人をさをさあらじ」
――昔よりこのかた、若い人たちが洒落て気取って弾くなど、大分浅はかになっているようです。七弦の琴はなおさら、今は習う人がなくなったということですよ。あなたの琴の音程度にも、お弾きになる人はそうそういないでしょう――

 女三宮は、無邪気に微笑まれて、源氏に褒められたことを嬉しくお思いになります。そのご様子は、

「二十一、二ばかりになり給へど、なほいといみじく片なりにける、きびはなる心地して、細くあえかにうつくしくのみ見え給ふ」
――お歳は二十一、二歳におなりですが、やはりまだ成熟したところのないあどけなさで、細くたおたおとして、ただただ愛らしくばかりお見えになります――

源氏は、

「院にも見え奉り給はで年経ぬるを、ねびまさり給ひにけりと御覧ずばかり、用意加へて見え奉り給へ」
――朱雀院には長らくお会いしていなかったのですから、今度の対面の折には、立派に成人なさったとお喜びになられますように、万事お気をお配りになってお目通りなさるのですよ――

 と、お教えになります。なるほど、このような親代わりの御後見がなければ、子供っぽさばかりが目につくことであろうと、お付きの人々、女房たちもお見上げになるのでした。

◆心しらひ=心配り、配慮

◆きびは(なる心地)=きびは=幼くて弱々しいさま

ではまた。

源氏物語を読んできて(屠蘇)

2009年07月29日 | Weblog
 屠蘇(とそ)

 平安時代にさまざまな年中行事が誕生しました。その多くは、中国の古習に則ったもので、悪疫を防ぎ、病魔の退散を祈り、延命長寿、無病息災を祈る行事でした。屠蘇の風習も、中国で生まれた災難予防や疫病逃れの呪術儀式が、日本でも平安貴族の迷信深い思想によって広まり、やがて経済的なゆとりを持った江戸時代の庶民に育てられ、現代の年中行事として伝わっています。

 屠蘇とは「邪気を屠(ほふ)り、心身を蘇(よみがえ)らせる」ところから名付けられたと言います。「悪鬼・疫病を治し、邪気・毒気を払うとされて、一人でこれを飲めば一家に疫なく、一家でこれを飲めば一里に疫なし、元旦にこれを飲めば一年間病気にかからない」と信じられてきました。

 屠蘇散の処方は、書物によって違いますが、一般的にはオケラの根(白朮)・サンショウの実(蜀椒)・ボウフウの根(防風)・キキョウの根(桔梗)・ニッケイの樹皮(桂皮)・ミカンの皮(陳皮)など、身体を温めたり、胃腸の働きを助けたり、風邪の予防に効果的といわれる生薬を含んでいます。もともと、薬のトリカブトの根(烏頭)や下剤のダイオウ(大黄)なども加えていたようですが、現在の処方には激しい作用の生薬は含まれていません。


源氏物語を読んできて(459)

2009年07月28日 | Weblog
09.7/28   459回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(13)

 女三宮の琴について源氏は、「何かの折りごとにはお教えしたものの、まだまだお聴きいただく程の奥深さはない」と、朱雀院の御前でのご披露が、さ程でない結果では可哀そうに思われて、この頃になって一生懸命に教えていらっしゃる。

「取り立てて教へ聞こえ給ふに、心もとなくおはするやうなれど、やうやう心得給ふままに、いとよくなり給ふ」
――(女三宮に)特別熱心にお教えになりますと、初めは心もとなく頼りないようでしたが、次第に覚えていかれて、大そう上手になりました――

 奏法の極意も会得おさせしようと、紫の上にもお許しを得て、女三宮の所で朝に夕に教えていらっしゃいます。

 明石の女御にも、紫の上にも源氏は琴(きん)はお教えになりませんでしたので、この機会に源氏がお弾きになるのを伺いたいと、ことに明石の女御は内裏からお暇をいただいて六条院に退出なさっておいでです。折しも御懐妊の五か月に入られ、十一月は宮中で神事が多く、穢れが憚られますのも口実となさってのご退出なのでした。

「冬の夜の月は、人に違ひてめで給ふ御心なれば、面白き夜の雪の光に、折りに合いたる手どもひき給ひつつ、侍ふ人々も、すこしこの方にほのめきたるに、御琴どもとりどりに弾かせて、遊びなどし給ふ」
――(源氏の君は)冬の夜の月は、普通は喜ばないとされているようですが、世の人々と違ってお好みなので、月の光に一段と趣深い雪の景色を愛でながら、この季節に合った曲などをお弾きになります。またお側に控えている女房たちで、この方面にたしなみのある者に、筝、和琴、琵琶などを弾かせて、合奏を楽しんでいらっしゃる――

 年も暮れにせまってきて、紫の上は忙しく、

「こなたかなたの御営みに、自づからご覧じ入るる事どもあれば、『春のうららかならむ夕べなどに、いかでこの御琴の音聞かむ』と宣ひわたるに、年返りぬ。」
――あの方、この方の新年の晴れ着のご衣裳について、染め織り、裁ち縫いなどに紫の上ご自身もお指図なさることも多く、「春のうららかな夕暮れにでも、何とかしてでも女三宮の御琴の音を、お聞かせ願いたいものですこと」と、おっしゃっている内に、年が代わりました――

ではまた。


源氏物語を読んできて(458)

2009年07月27日 | Weblog
09.7/27   458回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(12)

 何の理由もなく、そおっと朱雀院へ参上は出来ぬと、源氏は、

「このたび足り給はむ年、若菜など調じてや」
――(朱雀院は)来年、ちょうど五十歳になられる筈ですから、お祝いに若菜などを調えて差し上げよう――

 と、さまざまの席における院の御僧服や、精進料理のご準備、お道具立てなど、何かにつけて俗人のそれとは様子が違いますので、人々のご意見も取り入れて、万端そつのないようにとお考えになります。

「いにしへも遊びの方に、御心とどめさせ給へりしかば、舞人楽人などを、心ことに定め、すぐれたる限りを整へさせ給ふ」
――(朱雀院は)昔から音楽の方面にご熱心でしたので、舞人楽人を特に念入りに優れた者だけを選び出してお揃えになりました――

 黒髭の大将の子 二人
 夕霧の子 (籐典侍腹の次郎も)三人
 その他七歳以上の御子は皆、 童殿上として、
 良家の子息たちの容貌の優れた者を選び出して、たくさんの舞の準備をおさせになる。

 女三宮は、七弦の琴を以前からたしなまれておりましたが、御幼少で院とお別れになって以来ですので、朱雀院は是非聞きたく思われていらっしゃるようで、

「参り給はむついでに、かの御琴の音なむ聞かまほしき。さりとも琴ばかりは引き取り給ひつらむ」
――こちら(朱雀院)へ来られるついでに、女三宮の琴を聞きたいものだ。いくらなんでも、源氏の仕込みで上手になっているだろう――

と、蔭で仰せられましたのを、帝もお聞きになって、

「げにさりともけはひ異ならむかし。院の御前にて、手つくし給はむついでに、参りきて聞かばや」
――おっしゃる通りきっと人とは違う上達振りでしょう。院の御前でのご披露の折に、私も参上して拝聴したいものです――

 などとおっしゃっておいでだと、源氏は人づてに聞かれて、さて、とお思いになります。

ではまた。