永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(312)

2009年02月28日 | Weblog
09.2/28   312回

【行幸(みゆき)の巻】  その(10)

内大臣は、

「侍はでは悪しかりぬべかりけるを、召しなきに憚りて、承り過ぐしてましかば、御勘事や添はまし」
――お伺いせずに失礼しておりましたが、お召しがございませんので遠慮しておりました。こちらにお出でのことを聞き過ごしてしまいましたなら、更にご不興を蒙ったことでございましょう――

 源氏が、

「勘当はこなた様になむ、勘事と思ふ事多く侍る」
――ご不興を蒙るのは此方にこそ、思い当たることが沢山あります――

と、なにやら思わせぶりなおっしゃりかたです。内大臣は雲井の雁の事かと思い、面倒なことになったと、恐縮した様子をされます。源氏はつづけて、

「(……)親しき程には、その勢いをも、ひきしじめ給ひてこそは、とぶらひものし給はめとなむ、うらめしき折々侍る」
――(昔は公私ともに、心へだてなく鳥の両翼のように朝廷の御後見もいたそうと思っておりましたが、年月を経て、当時考えていました事と本意が違う事もいくらか出てきました。が、それもほんの内輪のことで、根本の志は変わっておりません。あなたには御身分というものがありますから、威勢を張るお振る舞いをなさるのだとは思いますが)私たちの親しい間柄では、そのご威勢もお控えになって、お訪ねくだされば良いのにと恨めしく思う時がよくあります――

 内大臣も、昔の事を思い出されて、「仰せのとおり、昔は何の遠慮もなく失礼なほど馴れ馴れしく、同列の身とも思えませんのにお引き立てをいただきました。大した身でもありませんのに、こうした高位に昇り、朝廷にお仕えしますにも、この頃は、年のせいで怠慢のことばかり多くなりました」とお詫びを申し上げます。
 
 源氏は、
「そのついでに、ほのめかし出で給ひてけり」
――このついでに、玉鬘のことを言いだされたのでした――

ではまた。


源氏物語を読んできて(311)

2009年02月27日 | Weblog
 09.2/27   311回

【行幸(みゆき)の巻】  その(9)

 君達を大勢引き連れて、三条邸に入られる内大臣のご様子は、

「ものものしうたのもしげなり。丈だちそぞろかにものし給ふに、太さもあひて、いと宿徳に、おももち、あゆまひ、大臣といはむに足ひ給へり」
――重々しく頼もしげで、背も高くいらっしゃって、肉付きもそれに相応しく貫録も備わり、顔つき、歩きぶりもすべて大臣というに十分でいらっしゃる――

御装束は、
「葡萄染の御指貫、桜の下襲、いと長う尻ひきて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、あなきらきらしと見え給へる」
――葡萄染(えびぞめ)の御指貫(おんさしぬき)、桜の下襲(したがさね)の裾(きょ)を長く引いて、ことさらに取りすましてゆるゆると歩いて来られますのが、ああ何ときらびやかな、と思わせます――

一方、源氏は、

「桜の唐の綺の御直衣、今やう色の御衣ひき重ねて、しどけなきおほぎみ姿、いよいよたとへむものなし」
――桜の唐渡りの、綺(き)の御直衣に紅の御衣(おんぞ)を幾枚も重ねられた、くだけた親王らしいお姿が、たとえようもないほど美しい――

 内大臣のご子息も皆お美しく、お人柄が派手で立派な方々が十人以上集まられ、盃が幾度も巡るうちに、みな酒に酔っては、大宮の優れた徳を話題にし合っています。内大臣も久しぶりに源氏にお逢いになって昔のことを思い出しておられるようです。

「よそよそにてこそ、はかなき事につけて、いどましき御心も添ふべかめれ、さし向ひ聞こえ給ひては、かたみにいとあはれなる事の数々思し出でつつ、例の隔てなく、昔今のことども、年頃の御物語に、日暮れゆく」
――お互いに離れている時には、一寸したことにも負けじ魂が生じますが、こうして指し向いでお話しになっていますと、お互いにあはれ深い思い出のあれこれに話題も尽きず、過ぎ去った日の事、今の世の事、と次々にお話がはずむうちに日が暮れていきます――

◆宿徳(しゅうとく)=観音経に「宿植徳本」とあり、前世に植えた徳に今の世の光華があること。

◆ゆるゆるとことさらびたる=ゆったりと改まった

ではまた。

源氏物語を読んできて(310)

2009年02月26日 | Weblog
 09.2/26   310回

【行幸(みゆき)の巻】  その(8)

 源氏は「それには、仔細がありまして、つまらない世間にあるような話ですし、夕霧にさえも詳しくは聞かせて無いのです。」

「『人にも漏らさせ給ふまじ』と、御口かため聞こえ給ふ」
――「決して他に漏らさないでください」と固く口止めされます――

 内大臣邸では、源氏が三条の大宮のところへお出でになっていらっしゃるとお聞きになって、

「いかに淋しげにて、いつくしき御さまを待ちうけ聞こえ給ふらむ。御前どももてはやし、御座ひきつくろふ人も、はかばかしうあらじかし」
――どんな見すぼらしい有様で、源氏ともあろうご立派な方をお迎えになったことだろう。前駆(さき)の人々を御もてなししたり、御座所を整えたりする人も少なかったであろうに――

 と、すっかりうろたえなさって、御子の君たちや、内大臣家に親しい然るべき殿上人たちをお遣わしになります。「御くだものや、大御酒など、しかるべく差し上げるよう。私が伺うのは大げさのようだから」と、おっしゃっている時に、大宮から御文がありました。それには、

「(……)対面に聞こえまほしげなる事もあなり」
――(源氏の大臣がお出でになっていますが、こちらはご用意も体裁わるく、困っております。あなたを呼び寄せたという風ではなく、大げさでないようにしてお出でください)源氏の大臣が、あなたにお会いした上で、お話なさりたい事がおありのようですから――

 内大臣は、何事であろうか、雲井の雁の事で、夕霧が訴え出てでも来られたのだろうか。大宮もこうして余命いくばくかの御身で、二人の仲を許すように言われ、源氏も穏やかに一言でも「可哀そうではないか」とおっしゃるなら、これ以上反対はできまい。良い折があったならば、源氏のご希望に添うようにして、許してしまおう、と、お思いになります。

が、

「御心をさし合わせて宣はむ事と思ひより給ふに、いとどいなび所なからむが、またなどかさしもあらむ、とやすらはるる、いとけしからぬ御あやにく心なりかし」
――源氏と大宮が企んで言われるのではないかと想像しますと、反対はできないものの、またどうしてそうしなければならないかと思い、気持ちが萎えてしまわれるのは、内大臣も実に困った、ねじけた御心でいらっしゃる――

 とにかく、お二人がお待ちなので、ご装束を整えられて大急ぎでお出かけになったのでした。

◆いなび所=否ぶ、承知しない、断る

ではまた。

源氏物語を読んできて(309)

2009年02月25日 | Weblog
 09.2/25   309回

【行幸(みゆき)の巻】  その(7)

源氏はつづけて、

「その折は、さるひがわざとも明かし侍らずありしかば、あながちに事の心を尋ねかへさふ事も侍らで、たださるもののくさの少なきを、かごとにても、なにかは、とおもう給へゆるして、をさをさ睦びも見侍らずして、年月侍りつるを、いかでか聞し召しけむ、内裏に仰せらるるやうなむある」
――その当座、だれも間違いだと教えてくれる者がおりませんでしたので、強いて深い事情を探り出すこともせず、ただ私には子供が少ないので、実子でなくてもよいという気になりまして、特に親しく世話をするということもなく、過ごしてきましたところ、どうしてお聞きつけになったのでしょうか、帝から仰せがございました――

 それと申しますのは、「内侍所(ないしどころ)に尚侍(ないしのかみ)が、欲しい。それには高い家の生まれで、世間の評判も重々しく、暮らしの方も心配なく、さらに世の中の人望のある家の者を昔から選んできた」と内々で私におっしゃいます。公職としての内侍所は、目立たない場所でもありません。本人の人柄によって寵を賜るようなこともありますので、宮仕えをさせる気になりまして、その娘に年齢などを聞きますと、

「かの御たづねあべい事になむありけるを、いかなるべいことぞとも、申しあきらめまほしう侍る。(……)」
――内大臣がお捜しになる筈の姫君でしたので、どうしたらよいかとご相談したいのです。(裳著の腰結のことをお頼みしましたら、大宮のご病気にかこつけて、億劫げに断られましたので、こうして参った次第です。大宮も幸いご病状もよろしいようですから)――

 大宮は、

「いかにいかに侍りけることにか。かしこには、様々にかかる名のりする人を、厭う事無くひろひ集めらるるに、いかなる心にて、かくひき違へかこち聞こえらるらむ。この年頃承りてなりぬるにや」
――それはまあ、どうしたことでしょうか。内大臣のところでは、いろいろ娘だと名乗り出る人を、嫌がりもせず拾い集めて育てているようですが、その姫君は何を間違えて訴え出たのでしょう。前からあなたを親と聞いて、あなたの子になったのでしょうか――

◆ひがわざ=道理にはずれたこと。あやまち。

◆もののくさの少なきを=ものの種(子供)が少ないので

◆御たづねあべい事=御尋ねあるべき事

◆いかなるべいことぞ=いかなるべきことぞ

ではまた。

源氏物語を読んできて(308)

2009年02月24日 | Weblog
09.2/24   308回

【行幸(みゆき)の巻】  その(6)

 大宮は、

「公事のしげきにや、私の志の深かからぬにや、さしもとぶらひものし侍らず。宣はすべからむことは、何ざまの事にかは。」
――公のご用事が多いのでしょうか、わたくし事としての孝養の志が深くないからでしょうか、そのようにしげしげともこちらに参りません。お話しになりたいと仰せになりますのは、どのようなことでしょうか――

さらに、

「中将のうらめしげに思はれたることも侍るを、初めのことは知らねど、今はけにくく
もてなすにつけて、立ちそめにし名の、取り返さるるものにもあらず、をこがましきやうに、かへりては世人も言ひ漏らすなるを、などものし侍れど、たてたる所昔よりいと解け難き人の本性にて、心得ずなむ見給ふる」
――夕霧が恨めしく思っておいでのこともあるのですが、事の起こりは存知ませんが、憎らしいと思っても今となっては、引き放そうとしましたところで、一度立ってしまった浮名が取り返せるものでもなし、却って世間も馬鹿げた事と噂をするでしょうから、などと言い聞かせるのですが、内大臣は昔から、一旦言いだしましたことは引かぬ性質で、困った事と思っているのですよ――

 折り入っての話を、大宮は夕霧の事と思われていらっしゃるので、少しお笑いになりながら、源氏は、

「いふかひなきにゆるし棄て給ふこともやと聞き侍りて、ここにさへなむかすめ申すやうありしかど、いときびしういさめ給ふ由を見侍りし後、何にさまで言をもまぜ侍りけむと、人わろう悔い思う給へてなむ」
――あの二人のことは、どうにも仕方のないこととして、許してくださるかと、私もそれとなく口を添えたのですが、たいそうきつく夕霧をお扱いになると伺ってからは、なんであれほど口出しをしたことかと、悔やまれまして――

続けて、

「よろづのことにつけて、清めといふこと侍れば、(……)何事につけても末になれば、落ち行くけぢめこそやすく侍るめれ、いとほしう聞き給ふる」
――何事にも「汚れ」には「清め」というものがつきものですから、(このことについても、綺麗さっぱり水に流してくださらぬ筈はあるまいと存じますが、一旦流れた浮き名をきれいにして、より良いご縁組をとお望みでしょうが、こう世間の噂にのぼった浮名というものは、さっぱりと澄むことなど無いのが常です)万事、後になる程、悪く変わっていくのが例ですし、よいお相手もなかなかいらっしゃらないでしょうから、内大臣のご立腹もお気の毒の思われます――

こうおっしゃって、源氏は肝心の話を始められます。

「さるは、かの知り給ふべき人をなむ、思ひまがふること侍りて、不意に尋ね取りて侍るを…」
――実は、内大臣がお世話されます筈の人を、勘違いしまして偶然私が探しだしているのですが――

◆けにくく=気憎く=こ憎らしい。

◆かすめ申す=それとなくほのめかして

ではまた。

源氏物語を読んできて(307)

2009年02月23日 | Weblog
09.2/23   307回

【行幸(みゆき)の巻】  その(5)

 玉鬘の裳著の腰結(こしゆい)を、是非とも内大臣にお頼みしようと、お伺いをたてましたところ、昨年の暮れより、大宮のお具合が一層悪く、こんな取り込みの際では具合が悪いでしょうとの、お断りのお返事がありました。

 源氏は思います。

「世もいと定めなし、宮も亡せさせ給はば、御服あるべきを、知らず顔にてものし給はむ、罪深きこと多からむ、おはする世に、この事あらはしてむ、と思し取りて、三条の宮に御とぶらひがてら渡り給ふ」
――無情の世の中だ。大宮が亡くなられたら、本来血縁である玉鬘も喪に服すべきであるのに、このまま知らぬ顔をして済ますのは、はなはだ罪深いことだ。いっそ大宮のご存命中に事実を打ち明けてしまおう、と、思いきって三條の宮にお見舞いかたがたいらっしゃいました。――

 大宮は、脇息に寄りかかり大分弱々しくていらっしゃいますが、お話はお出来になります。一通りのご挨拶を終えられて大宮は、

「今は惜しみとむべき程にも侍らず。さべき人々にも立ち後れ、世の末に残りとまれる類を、人の上にて、いと心づきなしと見侍りしかば、出でたちいそぎをなむ、思ひ催され侍るに、この中将の、いとあはれに怪しきまでに思ひ扱ひ、心をさわがい給ふ」
――もう今は死んでも惜しい事はありません。頼みに思う人々にも先立たれ、今までも、年老いて生き残っている例を他人の上に見ては、ひどく不愉快でしたから、後世の準備を急がねばと気になっておりますにつけ、あの夕霧が不思議なほど親切に世話をしてくださるので、こうして生き延びているのです――

 と、ただただお泣きになって、お声のふるえるのも呆け呆けしいのですが、おっしゃる事はなるほどと頷けますので、源氏はまことにお気の毒にお思いになります。あれこれとのお話のついでに、

「内の大臣は、日隔てず参り給ふことしげからむを、かかるついでに対面のあらば、いかにうれしからむ(……)」
――ところで内大臣は、きっと毎日お見舞いにお出でになっておられることと思いまして、ついでにお目にかかれれば嬉しく、(何とかしてお耳に入れたいことがあるのですが…)――

◆心をさわがい給ふ=心をさわがせ給ふ(会話では往々にしてこのように発音する)あれこれ心配する。

ではまた。

源氏物語を読んできて(306)

2009年02月22日 | Weblog
09.2/22   306回

【行幸(みゆき)の巻】  その(4)

源氏は、玉鬘からのお返事をご覧になって、紫の上に、

「しかじかの事をそそのかししかど、中宮かくておはす、ここながらのおぼえには、便なかるべし。かの大臣に知られても、(……)」
――玉鬘に宮仕えをお勧めしましたが、考えてみると、秋好中宮もああしておられますし、同じ私の娘として帝の寵を受けるのは具合が悪いでしょう。(内大臣に打ち明けたとしても、あちらでは弘徽殿女御がおられるし、それでなくてもこちらを気にしていらっしゃる。若い女なら、帝をちらっとでも拝したなら、宮仕えを厭がる者はなかろうし…)――

 紫の上は、お笑いになりながら、

「あなうたて、めでたしと見奉るとも、心もて宮づかへ思ひたたむこそ、いとさし過ぎたる心ならめ」
――まあ、いやですこと。帝をいくらご立派とお見上げしても、自分から宮仕えを考えるなど、余りにも出過ぎたお考えでしょうに――

 そうおっしゃりながら、源氏はまた、玉鬘の返し文に(歌)、

「あかねさす光は空にくもらぬをなどてみゆきに目をきらしけむ」
――み光は曇りもなくご立派ですのに、雪のために目が霞んで見えなかったとは、どうしてでしょう――

 宮仕えを決意なさい、というものでした。

 それはそうとして、源氏は、先ず裳著(もぎ)を急がねばならないと、実に立派に仰山な程のご準備をなさり、式は翌年の二月にとお決めになったようです。

源氏は思いめぐらします。

 玉鬘も今は自分の娘として、とおしているものの、もしも思い通りに宮仕えが叶うとすると、藤原氏を源氏と偽ることになるので、春日明神に背くことになる。その上、

「つひには隠れて止むまじきものから、あぢきなくわざとがましき、後の名までうたてあるべし。(……)親子の御契り絶ゆべきやうなし、同じくばわが心ゆるしてを知らせ奉れむ、など思し定めて」
――結局は隠し通せるものではないのに、つまらなくわざとらしい評判を、後後まで受けるのは嫌なことだ。(今では氏を改めることも容易ではあるが)親子の縁というものは絶えるものではないし、同じことなら、自分から内大臣に有りのままを打ち明けようか――

などと思い巡らして、やっと打ち明けることをお決めになったようです。


◆藤原氏を源氏と偽る=内大臣の家系は藤氏(藤原氏)。玉鬘の血筋は、藤原氏であるのに、源氏として出仕させることは偽り。

◆春日明神に背く=春日明神は藤原氏の氏神なので。

ではまた。


源氏物語を読んできて(裳著)

2009年02月22日 | Weblog
◆裳著(もぎ)=女子が成人のしるしに、初めて裳(も)を着る儀式。十二.三.四歳のころ、結婚前に髪上げの儀式と同時に行った。

「裳着」という呼び方は、女性が仮名で書いた文学作品においてみられる呼称であり、男性が漢文で書いた公卿日記や儀典書などにおいては「着裳(=著裳=ちゃくも)」と呼ばれています。配偶者の決まった時、あるいはその見込みのある時に行われることが多く、この儀式を終えることによって、結婚の資格が得られるのでした。玉鬘の場合、事情があって非常に遅くなっています。

 日取りは吉日が選ばれ、裳の腰紐を結び、髪上げをする。また、「かねつけ親」の立ち会いのもと、初めてお歯黒を付け、眉を剃り、厚化粧をして殿上眉を描く(引眉)。これ以降、小袖は白、袴は緋(但し江戸時代以降は結婚まで引き続き濃紫)となります。

源氏物語を読んできて(305)

2009年02月21日 | Weblog
09.2/21   305回

【行幸(みゆき)の巻】  その(3)

なおも、玉鬘は行列をご覧になって、

「兵部卿宮もおはす。右大将の、さばかり重りかによしめくも、今日の装い、いとなまめきて、胡籙など負いて、仕うまつり給へり。色黒く髭がちに見えて、いと心づきなし。いかでかは女の繕ひたてたる顔の色あひには似たらむ。いと理なきことを、若き御心地には見貶し給うてけり」
――蛍兵部卿の宮もいらっしゃいます。髭黒の大将のあれ程重々しく由緒ありげな人も、今日はひどくあでやかに、胡籙(やなぐい)などを背にしてお供しておられます。御顔の色が黒く、髭がちに見えてまことに気に入らない風情です。男がどうして女の化粧した顔に似るわけがあるでしょうか。まったく無理なことですが、お若い玉鬘のお心では、右大将を爪弾きなさってしまうのでした――

 玉鬘は、かねてから源氏が宮中への宮仕えのことをお勧めになることに、思いめぐらしておいでになります。思いもよらぬ恥ずかしい目に遭うのではないかと、躊躇しておりましたが、

「馴れなれしき筋などをばもて離れて、大方に付うまつり御覧ぜられむは、をかしうもありなむかし、とぞ思ひ寄り給うける」
――帝のご寵愛を受けるなどという筋は別として、ただ普通にお仕えして、時折、帝にお目通りできれば、それはそれでとても結構なことであろうと、今日、帝を拝したために、そんな気持ちにもおなりになるのでした。――

行幸の翌日、源氏は西の対の玉鬘の所へお文をお使わしになります。

「きのう、上は見奉らせ給ひてきや。かのことは思し靡きむらむや」
――昨日は、上様をお拝みになりましたか。以前わたしがお勧めした宮仕えのことは、お気が向きましたか――

 と、白い紙に、いつもの色めいた風ではなく、ごく真面目に書かれております。玉鬘は「何をおっしゃるやら」とお笑いになりますものの、よくもまあ、人の心の奥をお見通しになるものと、お思いになります。ご返事には、

「『うちきらし朝ぐもりせしみゆきにはさやかに空の光やは見し』きのうは、おぼつかなき御事どもになむ」
――(歌)「ぼおっと朝曇りした雪の日では、はっきりとお姿は拝せませんでした。」何事も(帝の御顔も、宮仕えのことも)はっきりいたしませんで――

 このお返事を、紫の上も一緒にご覧になりました。

◆胡籙(やなぐい)=矢を入れて背に負う武具。

◆写真:武官  風俗博物館

ではまた。


源氏物語を読んできて(304)

2009年02月20日 | Weblog
09.2/20   304回

【行幸(みゆき)の巻】  その(2)

 玉鬘は、行列の中に、

「わが父大臣を人知れず目をつけ奉り給へれど、げにきらきらしう、もの清げに、盛りにはものし給へど、限りありかし」
――わが御父の内大臣を、それとなくお見上げなさいましたが、なるほど輝かしく上品で、男盛りではいらっしゃるものの、臣下となれば限界があるようです――

「いと人にすぐれたるただ人と見えて、御輿の内より外に、目移るべくもあらず」
――(御父の内大臣は)まあ、臣下の中で優れた人というだけで、御輿の中の帝以外には、目移りもしません――

「まして、容貌ありや、をかしやなど、若き御達の消えかへり心うつす中少将、何くれの殿上人やうの人は、何にもあらず消え渡れるは、さらに類なうおはしますなりけり」
――ましてや、お美しいとかご立派とか、若い女房たちが消え入るほどに憧れる、中将や少将、何とかの殿上人など、まったく目に入らぬのは、帝の無比のご立派さゆえなのでした――

「源氏の大臣の御顔ざまは、他ものとも見え給はぬを、思ひなしの今すこしいつくしう、かたじけなく、めでたきなり」
――源氏の御顔は、帝と瓜二つにお見えになりますが、気のせいでしょうか、帝の方が、もう少し威厳がおありで、もったいないほどご立派です――

 玉鬘は、源氏や夕霧などの美しさに見慣れていて、高貴な方は皆美しくて、普通とは違うべきものとばかり思っておりましたが、

「出で消えどもの、かたはなるにやあらむ、同じ目鼻とも見えず、口惜しうぞ圧されたるにや」
――他の人々は帝や源氏の前では、見栄えのしない、醜さであろうか、同じ人間の目鼻とも見えず、口惜しいほど圧倒されてしまったことよ――

ではまた。