
◆京から須磨へ
源氏はどういう行路で須磨へ行ったか
源氏は旅の通例に従って夜のまだ明けきらぬ暗いうち「夜深く」二条院を出て、何とも特に語られていないが、網代車で質素にやつして出発したことだろう。供回りは、惟光・良清・前右近将監等の四、五人が付き従ったが、その人たちは何に乗って行ったものだろうか。
二条大路を西に向かい、京外に出て、桂川から舟に乗った。桂川を下り、山崎で宇治川・木津川と合流して淀川を下り難波まで行ったのだろう。
そこからさらに海路をとり、風にまかせて須磨の浦まで行ったようだ。春三月の「日長きころなれば、追風さへそひて、まだ申の刻(午後4時ころ)ばかりに、かの浦に着きたまひぬ」とあった。およそ12時間くらいで着いたものであろうか。「延喜式」によれば、播磨国国府まで海路で8日と規定されているのだが、ずいぶんと早い到着である。
◆参考と引用 :渋谷栄一著(C)
源氏物語の世界/コラム
◆写真 宇治川
源氏はどういう行路で須磨へ行ったか
源氏は旅の通例に従って夜のまだ明けきらぬ暗いうち「夜深く」二条院を出て、何とも特に語られていないが、網代車で質素にやつして出発したことだろう。供回りは、惟光・良清・前右近将監等の四、五人が付き従ったが、その人たちは何に乗って行ったものだろうか。
二条大路を西に向かい、京外に出て、桂川から舟に乗った。桂川を下り、山崎で宇治川・木津川と合流して淀川を下り難波まで行ったのだろう。
そこからさらに海路をとり、風にまかせて須磨の浦まで行ったようだ。春三月の「日長きころなれば、追風さへそひて、まだ申の刻(午後4時ころ)ばかりに、かの浦に着きたまひぬ」とあった。およそ12時間くらいで着いたものであろうか。「延喜式」によれば、播磨国国府まで海路で8日と規定されているのだが、ずいぶんと早い到着である。
◆参考と引用 :渋谷栄一著(C)
源氏物語の世界/コラム
◆写真 宇治川