永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(58)

2015年08月01日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (58) 2015.8.1

「五月にもなりぬ。十よ日に内裏の御薬のことありて、ののしるほどもなくて二十よ日のほどにかくれさせ給ふ。東宮の亮といひつる人は、蔵人の頭などいひてののしれば、悲しびはおほかたのことにて、御よろこびといふことのみ聞こゆ。あひこたへなどして、すこし人心地すれど、わたくしの心はなほおなじごとあれど、ひきかへたるやうにさわがしくなどあり。」
◆◆五月になりました。十日過ぎに、帝のご病気ということが起きて、大騒ぎであったが程なく二十過ぎの頃に崩御されました。東宮の亮であったあの人(兼家)は、蔵人の頭に任ぜられて騒いでいますので、崩御の悲しみは表向きのことで、昇進のお祝いということばかり言いに来ます。私は応対などして少し人並みになった気がするものの、わたし自身の気持ちは以前とまったく同じで変わらないけれど、これまでとは打って変わったように身の回りが騒々しくかんじられるのでした。◆◆


「御陵やなにやと聞くに、時めきたまへる人々いかにと思ひやりきこゆるに、あはれなり。やうやう日ごろになりて、貞観殿の御方に『いかに』などきこえけるついでに、
<世の中をはかなき物とみささぎのうもるる山になげくらむやぞ>
御返りごと、いとかなしげにて、
<おくれじとうきみささぎに思ひいる心は死出の山にやあるらん>
◆◆(村上天皇の崩御は五月二十五日)御陵や何やかやと聞くにつけ、天皇の時代に栄えていらした人々は今はどんなに嘆いていらっしゃるのかとお察し申し上げると、しみじみとした思いになります。次第に日が経ってから、貞観様に「どのようにお過ごしでいらっしゃいますか」などとお伺い申し上げますついでに、
(道綱母の歌)「御方さまは、この世を無常なものとお観じになり、御なきがらの埋もれている御陵の山をしのんで、お嘆きのことでございましょうね」
そのお返事に、とても悲しそうに、
(貞観殿の歌)「亡き帝に遅れ申すまいと、御陵に思いを寄せる憂き身は、すでに死出の山に入っているのでございましょうか」◆◆


■東宮の亮(すけ)といひつる人は、蔵人の頭などいひて=兼家のことで、東宮坊の次官であったが、東宮即位に伴い蔵人の頭(くろうどのとう)に任ぜられた。

■東宮=村上天皇第二皇子、憲平親王。安子腹(兼家の異母妹)で十八歳。

■ののしる=大騒ぎする
 
■貞観殿の御方(じょうがんでんのおんかた)=藤原師輔の女(むすめ)で答子(とうし)。兼家の同母妹。はじめ重明親王妃、親王薨後、村上天皇の寵を受けた。



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