蜻蛉日記 中卷 (79)の1 2015.11.4
「八月になりぬ。そのころ、小一条の左大臣の御とて、世にののしる。左衛門督の、御屏風のことせらるるとて、え避るまじきたよりをはからひて、責めらるることあり。絵のところどころ書き出だしたるなり。いとしらじらしきこととて、あまたたび返すを、せめてわりなくあれば、よひのほど、月見るあひだなどに、一つ二つなど思ひてものしけり。
人の家に賀したるところあり。
<おほぞらをめぐる月日のいくかへり今日ゆくすゑにあはんとすらん>」
◆◆八月になりました。そのころ、小一条の左大臣(兼家の叔父で藤原師尹)さまの長寿の御祝いということで、世間では大騒ぎです。左衛門督(さえもんのかみ)さまが差し上げなさる賀の御屏風をお作りになるとのことで、引き受けざるを得ないつてを通して、屏風歌を是非にと望まれることがありました。あちらこちらの風景を描きだした屏風絵です。ばかばかしいことだと何度も何度もお断りしたのですが、是非にと無理無理言ってくるので、宵のうちや月をながめている間などに、一首二首など作ってみました。
ある家に、賀宴を催しているところの絵があります。
(道綱母の歌)「大空を月や日が回りつづけるように、この人たちは、これからも何度、今日と同じめでたいお祝いにめぐり合うことでしょう」◆◆
「旅ゆく人の、浜づらに馬とめて、千鳥のこゑ聞く所あり。
<一声にやがて千鳥とききつれば世世をつっくさん数もしられず>
粟田山より駒ひく。そのわたりなる人の家に、引き入れて見るところあり。
<あまた年こゆる山べに家ゐして綱ひく駒も尾も慣れにけり>」
◆◆旅行く人が、浜辺に馬を停めて、千鳥の声を聞いているところの絵があります。
(道綱母の歌)「たった一声聞いただけで千鳥の声だと分ったのですから、その千鳥の「千」のように、千代も万代も限りなく栄えていくでしょう」
粟田山を通って馬を引いて行くが、その近辺の人家に馬を引き入れて見ている所の絵があります。
(道綱母の歌)「長年駒ひきの馬が越える粟田山に住んでいるので、東国の荒れ馬もなついてしまいました」◆◆
「人の家のまへちかき泉に、八月十五夜、月のかげ映りたるを、女ども見るほどに、垣の外より大路に笛ふきてゆく人あり。
<雲ゐよりこちくの声を聞くなへにさしくむばかあありみゆる月かげ>
◆◆人家のそば近くの泉水に、八月十五夜の月影が映っているのを、女たちが眺めているとき、垣根の外を通って大路で笛を吹いて行く人の絵があります。
(道綱母の歌)「はるか彼方の空から響いてくる胡竹の笛の音を聞くと、泉水に映る月も一段とくっきり手に取るように見えます。」◆◆
■いとしらじらしきこと=当時の屏風歌は、地下歌人や女房歌人の読むものであったので、気乗りがしない。馬鹿にされたような。
■駒ひき=東国の御牧の馬を逢坂の関を越えて貢進する。
■こちく=胡竹と「此方(こち)来(く)」をかける。
「八月になりぬ。そのころ、小一条の左大臣の御とて、世にののしる。左衛門督の、御屏風のことせらるるとて、え避るまじきたよりをはからひて、責めらるることあり。絵のところどころ書き出だしたるなり。いとしらじらしきこととて、あまたたび返すを、せめてわりなくあれば、よひのほど、月見るあひだなどに、一つ二つなど思ひてものしけり。
人の家に賀したるところあり。
<おほぞらをめぐる月日のいくかへり今日ゆくすゑにあはんとすらん>」
◆◆八月になりました。そのころ、小一条の左大臣(兼家の叔父で藤原師尹)さまの長寿の御祝いということで、世間では大騒ぎです。左衛門督(さえもんのかみ)さまが差し上げなさる賀の御屏風をお作りになるとのことで、引き受けざるを得ないつてを通して、屏風歌を是非にと望まれることがありました。あちらこちらの風景を描きだした屏風絵です。ばかばかしいことだと何度も何度もお断りしたのですが、是非にと無理無理言ってくるので、宵のうちや月をながめている間などに、一首二首など作ってみました。
ある家に、賀宴を催しているところの絵があります。
(道綱母の歌)「大空を月や日が回りつづけるように、この人たちは、これからも何度、今日と同じめでたいお祝いにめぐり合うことでしょう」◆◆
「旅ゆく人の、浜づらに馬とめて、千鳥のこゑ聞く所あり。
<一声にやがて千鳥とききつれば世世をつっくさん数もしられず>
粟田山より駒ひく。そのわたりなる人の家に、引き入れて見るところあり。
<あまた年こゆる山べに家ゐして綱ひく駒も尾も慣れにけり>」
◆◆旅行く人が、浜辺に馬を停めて、千鳥の声を聞いているところの絵があります。
(道綱母の歌)「たった一声聞いただけで千鳥の声だと分ったのですから、その千鳥の「千」のように、千代も万代も限りなく栄えていくでしょう」
粟田山を通って馬を引いて行くが、その近辺の人家に馬を引き入れて見ている所の絵があります。
(道綱母の歌)「長年駒ひきの馬が越える粟田山に住んでいるので、東国の荒れ馬もなついてしまいました」◆◆
「人の家のまへちかき泉に、八月十五夜、月のかげ映りたるを、女ども見るほどに、垣の外より大路に笛ふきてゆく人あり。
<雲ゐよりこちくの声を聞くなへにさしくむばかあありみゆる月かげ>
◆◆人家のそば近くの泉水に、八月十五夜の月影が映っているのを、女たちが眺めているとき、垣根の外を通って大路で笛を吹いて行く人の絵があります。
(道綱母の歌)「はるか彼方の空から響いてくる胡竹の笛の音を聞くと、泉水に映る月も一段とくっきり手に取るように見えます。」◆◆
■いとしらじらしきこと=当時の屏風歌は、地下歌人や女房歌人の読むものであったので、気乗りがしない。馬鹿にされたような。
■駒ひき=東国の御牧の馬を逢坂の関を越えて貢進する。
■こちく=胡竹と「此方(こち)来(く)」をかける。