2011. 5/1 934
四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(16)
「皆かきはらひ、よろづとりしたためて、御車ども寄せて、御前の人々、四位五位いと多かり。御みづからも、いみじうおはしまさほしけれど、ことごとしくなりて、なかなかあしかるべければ、ただしのびたるさまにもてなして、こころもとなくおぼさる。中納言殿よりも、御前の人々数多くたてまつれ給へり」
――この山荘内を綺麗に掃き清め、全てのお支度も整い、御車も何台となく簀子に寄せて立ててあります。京からのお迎えに参った御先駆などには、四位五位の者たちが多くいます。匂宮ご自身も、是非お迎えにいらっしゃりたいようでしたが、ことごとしくなっては却って悪い事にもなりそうですので、ひたすら内輪に取り計られて、御殿の内で待ち遠しく気を揉んでおいでになります。薫の方からも数多くの御先駆を挿し向けられました――
中の君の上京には大方の事は匂宮の方からお手配されましたが、内輪の細々したお世話は、みなこの薫が何から何まで手ぬかりなくお計らいになったのでした。
「日暮ぬべし、と、内にも外にももよほしきこゆるに、心あわただしく、いづちならむと思ふにも、いとはかなく悲し、とのみ思ほえ給ふに、御車に乗る大輔の君といふ人のいふ」
――「もう日も暮れそうです」と、邸の内でも外でも御催促申されますのに、中の君は落ち着かぬお気持で、自分はいったいどこへ行くのかしら、と、たまらなく悲しい思いでいらっしゃいますのに、大輔の君(たいふのきみ)という人が――
(大輔の君の歌)「ありふればうれしき瀬にも逢ひけるを身をうぢ川に投げてましかば」
――生きていればこそこういう嬉しい機会にも遭いましたものを、もし世を儚んで身を宇治川に投げていたならば、どんなに後悔したことでしょう――
と、嬉しさいっぱいに歌ったのを、中の君はお聞きになって、なんと弁の君の心づかいとはこの上もなく違うことよ、とお思いになります。
もう一人の侍女の歌は、
「過ぎにしがこひしきことも忘れねど今日はた先づもゆくこころかな」
――亡くなられた大君の恋しさも忘れはしませんが、今日は何をおいても京へ行くことが嬉しく満足です――
「いづれも年経たる人々にて、皆かの御方をば、心よせましきこえためりしを、今はかく思ひ改めて言忌するも、心憂の世や、とおぼえ給へば、物もいはれ給はず」
――(この二人は)どちらも長年仕えた侍女たちで、みな大君の方を余計に大事にお思い申していた様子でしたのに、今はすっかり気が変わって、大君の事を口にしまいとするのも、何と薄情な世の中よと、思われて、中の君はものもおっしゃれないのでした。
◆心よせましきこえためりしを=心寄せ・まし・きこえ・ためりし・を
5/1・5/3を同時に。
四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(16)
「皆かきはらひ、よろづとりしたためて、御車ども寄せて、御前の人々、四位五位いと多かり。御みづからも、いみじうおはしまさほしけれど、ことごとしくなりて、なかなかあしかるべければ、ただしのびたるさまにもてなして、こころもとなくおぼさる。中納言殿よりも、御前の人々数多くたてまつれ給へり」
――この山荘内を綺麗に掃き清め、全てのお支度も整い、御車も何台となく簀子に寄せて立ててあります。京からのお迎えに参った御先駆などには、四位五位の者たちが多くいます。匂宮ご自身も、是非お迎えにいらっしゃりたいようでしたが、ことごとしくなっては却って悪い事にもなりそうですので、ひたすら内輪に取り計られて、御殿の内で待ち遠しく気を揉んでおいでになります。薫の方からも数多くの御先駆を挿し向けられました――
中の君の上京には大方の事は匂宮の方からお手配されましたが、内輪の細々したお世話は、みなこの薫が何から何まで手ぬかりなくお計らいになったのでした。
「日暮ぬべし、と、内にも外にももよほしきこゆるに、心あわただしく、いづちならむと思ふにも、いとはかなく悲し、とのみ思ほえ給ふに、御車に乗る大輔の君といふ人のいふ」
――「もう日も暮れそうです」と、邸の内でも外でも御催促申されますのに、中の君は落ち着かぬお気持で、自分はいったいどこへ行くのかしら、と、たまらなく悲しい思いでいらっしゃいますのに、大輔の君(たいふのきみ)という人が――
(大輔の君の歌)「ありふればうれしき瀬にも逢ひけるを身をうぢ川に投げてましかば」
――生きていればこそこういう嬉しい機会にも遭いましたものを、もし世を儚んで身を宇治川に投げていたならば、どんなに後悔したことでしょう――
と、嬉しさいっぱいに歌ったのを、中の君はお聞きになって、なんと弁の君の心づかいとはこの上もなく違うことよ、とお思いになります。
もう一人の侍女の歌は、
「過ぎにしがこひしきことも忘れねど今日はた先づもゆくこころかな」
――亡くなられた大君の恋しさも忘れはしませんが、今日は何をおいても京へ行くことが嬉しく満足です――
「いづれも年経たる人々にて、皆かの御方をば、心よせましきこえためりしを、今はかく思ひ改めて言忌するも、心憂の世や、とおぼえ給へば、物もいはれ給はず」
――(この二人は)どちらも長年仕えた侍女たちで、みな大君の方を余計に大事にお思い申していた様子でしたのに、今はすっかり気が変わって、大君の事を口にしまいとするのも、何と薄情な世の中よと、思われて、中の君はものもおっしゃれないのでした。
◆心よせましきこえためりしを=心寄せ・まし・きこえ・ためりし・を
5/1・5/3を同時に。